2026/10/01:ブログ

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2026-10-01 14:30:05 0 Comments

サンフランシスコ条約との報道

どうでも良いことかもしれませんね。

世界史では「1951年 サンフランシスコ条約に各国が署名した。」で終わっていますが、

実は今に至る世界の原点の姿が見えてきます。

以下AI

サンフランシスコ平和条約(サンフランシスコ条約)に署名した中国代表は存在しません

(中国は同条約に招待されず、署名・参加していません)。


不参加の理由:1951年のサンフランシスコ平和条約署名当時、中国は中華人民共和国と中華民国(台湾)のどちらが

中国を代表する正統な政府であるか代表権争いの最中であり、連合国側から会議に招待されませんでした。


関連条約

その後、日本と中華民国との間で1952年に「日本国と中華民国との間の平和条約(日華平和条約)」が

締結されましたが、サンフランシスコ条約そのものには中国代表は署名していません。

1 アメリカ 中華民国(蔣介石)を支持

立場 アメリカは、台湾へ逃れた中華民国(国民党政府)を引き続き中国の唯一の正統な政府として認めていました。

背景 当時の世界は冷戦の真っ只中であり、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、中国共産党(中華人民共和国)は

義勇軍を派遣して米軍(国連軍)と直接砲火を交える「交戦国」となりました。このため、アメリカ国内では

激しい反共主義が高まっており、共産党政権を講和会議に招くことは政治的に絶対に容認できない状況でした。



2. イギリス:中華人民共和国(毛沢東)を支持

立場 イギリスは、大陸を実質的に支配下に置いた中華人民共和国(中国共産党政府)を1950年1月にいち早く

国家承認しており、彼らを講和会議に招くべきだと主張しました。

背景 イギリスはアジアにおける自国の多大な経済利権(特に香港の植民地維持や、大陸に残るイギリス企業の資産)を

守るため、現実の支配者である共産党政権と良好な関係を保つ必要があったからです。

結末 足して二で割る「双方不招待」の妥協

米英がそれぞれ異なる政府を推して譲らなかったため、そのままでは条約の共同起草国である米英の協調が

崩れる恐れがありました。


そこで、アメリカの特使ジョン・フォスター・ダレスとイギリスのモリソン外相が協議し、

「今回はどちらの中国も招待しない。日本が独立を回復した後に、日本自身の選択でどちらの政府と

平和条約を結ぶか決めさせる」という妥協案(ダレス・モリソン協定)で合意しました。


これが、前述の「サンフランシスコ平和条約に中国代表が参加しなかった」直接の背景です。

以上AIです

暗々裏に台湾との関係を伝えようとしたことに激怒した中国側官僚がいたということですね。

習近平さんは米中は日本と戦ったとスピーチしていましたが、完全な歴史音痴です。

彼の尊敬する毛沢東は日本軍のお友達で、日本に感謝しているまで言っています。

もしかしたらサンフランシスコ条約は毛沢東がサインしたぐらいに思っているのかもしれません。



以下AIによる解説

毛沢東が日本に感謝すると言ったと言われていますが本当ですか(私の問い)

毛沢東が戦後、訪中した日本人に対して「日本(皇軍)に感謝する」という趣旨の発言をしたのは事実です。

中国共産党の公式な外交記録である『毛沢東外交文選』や、面会した日本人の回想録などに複数の記録が残っています。

どのような文脈で発言したのか?

毛沢東がこの言葉を使ったのは、親日的な意味からではなく、きわめて冷徹な政治的

軍事的なリアリズム(本音)に基づいています。


1930年代、中国共産党は蒋介石率いる国民党軍に追い詰められ、全滅寸前の危機(長征)にありました。

しかし、1937年に日中戦争(全面戦争)が勃発したことで風向きが変わります。

毛沢東の戦略は、「日本軍との戦いは蒋介石の国民党軍に正面からやらせて消耗させ、共産党は裏で力を

温存・拡大する」(いわゆる「一割抗日、二割妥協、七割発展」の指針)というものでした。


結果として、日本軍が蒋介石の精鋭部隊を徹底的に叩いて弱体化させたため、戦後の国共内戦で

共産党が国民党を台湾へ追い落とし、政権を奪取することができたのです。


実際の主な発言記録

毛沢東は1950年代から70年代にかけて、訪中した複数の日本代表団(元軍人、政治家、実業家など)に

この認識を語っています。


1956年:遠藤三郎(元陸軍中将)との会見

「あなた方に感謝する。日本の侵略が中国国民に団結することを教えた。……バラバラだった中国人民を叩いて

 団結させたのだ」

1961年:黒田寿男(日本社会党議員)らとの会見

「もし日本軍の侵略がなければ、我々は今も(辺境の)延安におり、北京で京劇を見ることはできなかっただろう。……

日本の資本や軍閥は我々に良いことをしてくれた。感謝しろと言われれば、私は侵略に感謝してもよい」



1972年:田中角栄首相との国交正常化交渉時

田中首相が過去の戦争について「多大のご迷惑をかけた」と謝罪した際、毛沢東は「謝罪する必要はない。

日本軍が侵略してくれなかったら、我々の勝利(共産党政権の誕生)はなかった」と応じ、賠償金の請求も放棄しまし

た。



現代における扱い

この歴史的発言は、現在の中国共産党政府(習近平政権など)にとっては「ひた隠しにしたい不都合な真実」となってい

ます。


現在の中国の公式歴史観では「中国共産党こそが抗日戦争を主導して日本軍を倒した」と教育されているため、

「実は日本軍を利用して蒋介石を倒した」「日本軍に感謝していた」という毛沢東の本音は、

中国国内のインターネットや教科書では厳しく検閲・制限される対象となっています。


以上AI


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