2012/06:ブログ

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2012-06-13 10:53:18 0 Comments

人はどこまでも享楽的にできています

目で映像や風景、物の姿を楽しみ、舌で味わい喜び、

香しい匂いに惹かれ、耳で音楽や自然の音を楽しみ、

肌で温もりや、触れる喜びを感じています。

それぞれを身体が感じ、受け入れるか、

受け入れないかの取捨選択を心がしています。

個性が別れる所です。

けれども、感覚というのは面白いもので、

じきに馴れてくると好きだったものが、

嫌いになったり嫌いだったものが

好きではないにしても並みの感覚になってきます。





もし、男運が悪いと思っている方がいるとしたら

自分の享楽の傾向がそのような男性を選んでいると

仮定してみたらどうでしょうか?

多くは視線や会話、雰囲気が自然にマッチして

「恋」に発展していきます。これって

「お互いの傾向が一致し波長が同期したとき」

ということですよね。

でもね、本当のことを言うと

自分の中に破壊的な衝動があれば、同じような

または、それに相応しい被破壊的な因子を持つ相手と

同期しやすい(縁が生じやすい)。昔から割れ鍋に綴じ蓋

と言われているものです。本当に本当に

世の中は、ものすごく合理的に出来ているんですよ。


このように書くと「これじゃ救いが無いよー。.....トホホ。」

となるのですが、そうでもありません。

物事にはすべて2面があり、

自分の「生(まな)」の姿で行けばこうなるよという話しです。

最近はコスメグッズなどで男性もかなり匂いや見栄え

に気を使うのが習慣になってきていますね。

女性も太古よりお化粧とは切っても切れない

生き方をしています

これって虚構の姿だと思いませんか?

自分は正直に生きたいという女性だって

実は虚構の中の自分で勝負している

運勢は心の凸凹を原動力として動いていきます。

この心の凸凹をコントロールする事が運を変える

最善の方法です。

心に化粧をすること。

シミ、そばかす、肌のくすみをファンデーションで

隠すように、心のクセである、責任放棄、他者依存

束縛嫌悪、潔癖性、冷血漢、わがまま、甘えたがり

強欲などを一つ一つ装って行く。ある意味アートに

通じるところがあります。

難しいと誰もが言うのですが、

理由は自分の心の顔が見えないからです。

どこの場所のベースを濃くすれば良いのか

どのような色のシャドウやチークを置けば

良いのかが解らないからだと思います。

ツケまつげをした方が可愛いのかどうなのかも

解らない。

(心にもツケまつげはつけられるます。物の見方という意味ですね)

運勢鑑定というのは運勢を鑑(かんが)みるという意味で

自分の一生の姿を鏡に映し、自分で自分の運を検討し

生き方を考えるというものです。

(いわゆる占いとは次元を異にするものです)

本当は自分で学ぶのが一番身に沁みる学びです。

自分の姿を自ら学ぶ作業なので自分と直面するのは

楽ではありません。かなりキツイ作業です。でも、

変わろうと思う切っ掛けとしては最適なものです。

自分は運が悪いと思っている人も、今は運が良い。これから

もっと良くしたいと言う人も。哲学的に、人間とは何かと?

問いたい人でも、ぞれぞれの答えは

求めれば必ずこの中から得られると思います。

面白い学問です。


2012-06-08 00:07:35 0 Comments

マスコミも虚と実のバランスを欠けば

ただの虚構(うそ)の垂れ流しになります。

多くの人が忘れているようですが

オウム事件の時、TBSが情報を教団に漏らし

坂本弁護士が殺される原因をつくった過去は消せません

過去を戒めとし、未来を開くことが理想なのですが

過去を封印し見えなくしていては

途切れる事の無い繰り返しのループです

同じ轍を踏まぬといいのですが.......。

福島の原発事故の報道で、

1999年の東海村の臨界事故の報道に携わっていた

社会部や文化部の記者は何をしていたのでしょうか

政治家よりもはるかにspeediの存在を知っていたはずです

箝口令がしかれていたのかと勘ぐられても

しかたないですね。波江町が県を相手に

SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)

を迅速に提供しなかった事に対して

刑事告発を検討していると言う記事が4月にありましたが

マスコミ各社に対し知っていたのに知らせなかった

責任を問うてもよいのではではないのでしょうか

しらばっくれて何も知らない顔で国や県の責任を

報道し、東電叩きで気持ちよくなっている偽善者が、

もしかしたら結構いるのかもしれません


マスコミは第三の権力として、特に虚(きょ)の面を煽る

とても強力な力を持っています。だからこそ

誇り高い生き方をしなければ毒を垂れ流すことになります

表現の自由、報道の自由を盾にして毒を流したとすれば

基本的人権と信教の自由を盾にした

オウム真理教と何ら変わりがありません

「ますゴミ」に成り下がるのも本人達の矜持しだいという事です。


2012-06-07 18:29:15 0 Comments

易の考え方の根本は陰と陽のエネルギーが触れ合い

様々な現象を生み出している

「その姿」を易卦によって

写し取り、その推移を予想していくものです。

陰と陽の世界のバランスがうまく取れ

中庸となることを理想とします。

(イイ感じでものが動き、皆が円く治まっているのが一番安定し、安心安全と言う意味ですね)

一番我々の生活に密着しているのは経済活動ですが

経済には実体経済と資産経済があることをご存知でしょうか?

ザックリ言うと資産経済は実体経済から派生した金融取引

信用取り引きなど資産の移動によりもたらされる利益の

総称で金融経済とも呼ばれています。金融商品、

デリバティブなど最近では誰でも知っていますね。

ペーパーが億になったり一瞬でゼロになったりするものです

「実物」を売って、利益行為を行うのが実体経済になります。

陰と陽の世界を「虚」と「実」の世界と

言い換えて良いと思うのですが

現代はどう見ても、陰(虚)の要素が過大になっている

実体経済を実とすれば資産経済は虚になり

「虚」は虚像の如く、どこにも実体がありません。

その虚像の売り買いを世界中で行っているのですから

常に薄氷の上を歩く危うさがともなっています。

今、日本には虚の世界が溢れています

政治の世界を見れば

民主党の政権公約は結局「虚」でしたこれは「うそ」

と読んだほうがわかりやすいと思うのですが、

「実」のある政治家の影さえも見えません

見えても「黒い影」です。

原発の安全神話も虚構であることが証明されてしまいました。

しかし、虚構は数字を生み出します。

AKB総選挙で138万票が投票されたそうですが

138万人のフアンがいるという訳ではないようです

(これも虚構ですが、良い夢が見られるうちは数字が膨れ上がります。虚構であっても数字を価値観とする世界(視聴率などは典型的です)では価値が高いと評価されます。虚構の世界では数字こそが「実」ということですね。実が無くなれば消えなければ成らない世界が虚構の世界と定義して良いかもしれません。人気という根拠の無い世界での話しなのですがこれが虚構の世界の価値観です。)

なぜこんな事を書くかと言うと、

オウムの菊池容疑者が捕まった事が切っ掛けになっています

文字通り逃げ隠れしていた17年の間、陰の世界にいた人間が

表の世界に現れ。さらに東電OL殺人事件で

15年もの検察の虚構が暴かれました。

易には陰が極まれば陽になり、陽が極まれば陰になると

陰陽が変転するとされています。

この世界は全てがリンクしています。

これほどまでいろいろな事が重なると陰の世界がもしかしたら

いよいよ極まってきたのかなとも考えられます。

だから、何なの?なのですが、

時代が揺れたら揺れ戻しが起こります。

これだけは自明の理ですね。

備えあれば憂い無しです。


2012-06-04 11:13:51 0 Comments

さて昨日に引き続きですが

同時代の中国は春秋戦国時代

孔子や老子達が活躍し、かたや西アジアはペルシャに統一され

ギリシャとの間に戦いが始まり、ローマに共和制が

生まれ、商業により世界が繋がり始めた時代です。

様々な思想が出会い始めたとも言える時代ですね

現代にも通じる所があります。

王達が領土の拡大に血眼になり、社会が混乱し

人もまた獣のように弱肉強食の中で生きていた時代です

実利のあるもの、利用価値のあるもののみが

強いものの庇護を受けられた。

明日がわからない不安から、

人智を越えた存在に助けを乞い、

その代表が祖先信仰やトーテム信仰

精霊信仰(アニミズム)シャーマニズム等々

になり、その信じる対象との交信手段として

今で言う「占い」が生まれました。

(しかしお釈迦様の目から見たらどう転んでも

この世は六道輪廻の世界だから、この世の善し悪しを

判断する占いは禁じていました。時々

占いを仕事にしている坊さんがいますが

教えに導くための方便として使っていると

言うらしいのですが、どうでしょうか。)

そのくらい本来の占いは文字通りの必死の中から

生まれてきたものです。

開口健の本に確か「輝ける闇」だったと思うのですが

当時の北ベトナムの将校が星占いを活用する戦術をとり

それにアメリカの将校が辟易していた

件(くだり)があったように記憶しています。

(違っていたらごめんなさい)

日本の軍師達も同様な事をかつてはやっていたようです

いつ出陣するか、どの門から出陣するか、

決戦の端を何時開くか、等々軍師が決めていました

主に易と天文ですね。甲陽軍艦などを読むと

雲気というのがあり、兵が潜んでいる

場所の空には今で言う独特のオーラが輝いている

など、相手の勢いをオーラ視して判断する解説まで

書いてあります。生き死にが決まるのですから

人の持つあらゆる能力を結集して戦いに臨むのが

当時の武士達の生き方だったようです。

それを身につけるために凄まじい修行をしたんでしょうね

まあ、易などは、そのくらい必死の中で切磋琢磨された占いという事です

どうでしょうか?つらつら書いてきましたが

占いの持つ本来の意味が少しくらいは

見えてきたでしょうか。占いは

人の人生にコミットして行うものです。

けれどもボランティアでは、こんどは相手が真剣にならない

遊びや、レクレーションになってしまう。

本屋さんで売っている占いコーナーの延長です。

私の金運はどうかしら?

素敵な主人はいつ現れるのかしら?

しかし、皮肉な話しですが白馬の王子様が

自然に現れてくれる人は占いには頼りません。

これが現実です。なぜなら運が安定している人は

占いが必要ないからです。逆の見方をすれば

占いには常に不安がともないます。

現れないからこそ、占いで、自分を変える方法を

具体的に学ぶことです。恋愛至上主義の運勢なら、

それが結婚を縁遠くしているのですから

「恋愛」を代償にして「人生」を手に入れることも

戦略として選択肢にいれることだし、人生を楽しむ事と

結婚する事を別に考えても良いかもしれません

結婚にこだわれば結婚のための代償を払わなければ成らないし

恋愛にこだわれば恋愛のための代償を払う必要がある

あれも、これもが許されている人は、世の中にあまりいません

その数少ない人を見て、自分もそう成りたいと思っても

残念ですが、貴方の過去世は、その人とは違うのだから無理です。

だから「現在(いま)」努力をすることが大切になる。

不断の努力が星を補い、福を呼び込む事が出来るようになる

実例を挙げなければ説得力が無いのであげておきますが

(このような例として出すのは大変失礼ですが)

孫正義さんがそのような方です。

(台湾総統だった陳水扁さんも努力で

運を補った方でしたが、総統になった途端

運勢が変わり、自分の理想とする世界がなんだか

わからなくなり、身内に関するお金と財に関する件

(秘書、妻、娘婿が財の件で狂ってしまい)で

失墜し、今は牢につながれています。誰かに

つつかれるような事をしでかせば、遅かれ早かれ

報いが来るのがこの世の定めです。

厳しい人生は息を引き取るまで安心出来ません。)









「運勢が違うのは過去世が違うのが理由だ」

と長い間言いたかったのですが

やっと言う事が出来ました。

人は生まれながらに不平等です。当たり前です。

才能の原因を根気よく努力して積んできた人と

ろくな事をせずのたれ死にした人が生まれ変わって

同じ才能があったら、本当の意味で不平等です。

この世で幸せに見える人は、前世で我々よりも

幸福になる因を積んだ結果として幸福があるだけです

幸せになれないと他人を妬むのではなく、

幸せになるための努力を積む事です。

他人を妬み、自分を呪っている今の姿こそが

前世の自分の姿そのものなのですから。

だからこそ人生は変える事が出来る。

大変ですが、コツコツ積めば変わるのが道理です。

積んだら注意深く崩さないよう気をつけ、また

コツコツ積み上げる。その繰り返しです。

是非、人生を変えて下さい。切っ掛けくらいには

なれると思います。


2012-06-04 01:51:44 0 Comments

お釈迦様が悟りを開いた時

四聖諦を説いたと言われています。

苦集滅道の四つの真理と言われています

私流に解釈すると

1、苦  この世は苦である

2、集  苦しみに繋がることばかりするから
     苦しみが集まって来る

3、滅  苦しまなくても良い境地というのがある

4、道  そこに至る方法論


こんな感じでしょうか。

初転法輪といわれ(最初に教えの輪を回したという意味ですね)

根本仏教、原始仏教と言われる仏教の主軸の教えです

1、2の解説として縁起の法が説かれ

3を到達目標とし

4を方法論とし八正道という実践方法と

戒律という善悪の規範をつくりました。

内容は

悪い事はしない(苦しみの原因を作らない)

良い事をする(良い境地に至るための原因を作る)

という戒律の部分と縁起の法を根底にした

瞑想法が説かれたようです

「この世とは何か?」

この大命題を「苦」としてお釈迦様は捉えました。

何故「苦」か?

あらゆる生き物は果てしなく輪廻し、

その中から抜け出る事は無い

無限に六界を輪廻し続け、生まれ死に

また生まれを繰り返す。死さえ一時的な

輪廻の形態でしかないとうのが苦の理由です

「死んでも終わりでは無い」

よく考えると、とてもとても怖い考え方です。

(でも輪廻が終わる世界があると3で宣言しているので

これはこれで一安心ですね。)

お釈迦様の教えというのは本来はこのような教えです。

何かを信じれば救われるといものでは決してありません。

「えっ! 仏様って助けてくれないの?」

そのような声を聞いて沢山の大乗教典が作られ

いろいろな仏様が生み出され、

なになにしたものは自分が必ず救う

という誓願として救われる条件が色々と

提示されています。

本当に効果があるかないかは、その仏様の

誓願にすがってみなければわかりません。

ただ、共通して言える事は、どの仏様も

仏になる修行を始めるとき、

生きとし生けるもの全てを救済するという

誓願を立てて修行し、仏に成っているので

あまり問題はないと思います。

その中でも一番、間口が広く人気があるのは観音様で

一心に観音の名号(南無観世音菩薩)を唱えれば

善悪問わず誰でも、たちどころに救ってあげるよ

ということが観音経には書かれています。

けれど、悪い業が重く積もっていると、救うつもりでも

救いが届かないというのが実際のようです。

仏の顔も三度までと言われるように無努力のおねだりでは、良くて2度、窮地を救ってくれる人とのご縁を付けて下さることが多いようです。ただし業が深ければ、すぐに障害や我(が)が邪魔をして縁が切れるようです。
腰を低くして進む事が大事なのかもしれません。


2012-06-02 18:05:59 0 Comments

今日所用で出かけたのですが

帰りの電車で初めて女の人が

ツケまつげをする、その現場を

見てしまいました。私が座った

座席の真正面に座った二十歳くらいの女子なのですが

(露骨に見るのは失礼なので、チラチラと

見ていたのですが、もちろん相手の女子は

気付いていたともいます。)それでも

堂々と、念入りにアイラインを書き

ツケまつげに丁寧にノリらしきものをチューブから出し

小さな筆で広げ、左のまぶたにセットしました。

初めて見る片目ツケまつげです。きゃりーぱみゅぱみゅの

耳につく音楽が先ほどから頭の中で鳴っていたのですが

ツケまつげ、片目まつげです。

残念ですが西小山についてしまい

電車を降りなければなりませんでした。

残念!





難しい事を久々にコラムに書いたので、気分直しの今日の風景です


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