コラム

3月6日 苦い思い

ある程度長く鑑定に携わっていると、「苦(にが)い想い」を

することがあります。善意の思いが裏目にでること。

譬え話ですが

この時期を越すために頑張りましょう。頑張れば金銭的にも

恵まれます。結果。頑張りました。その通りになりました。

調子に乗って浮気しました。離婚になりました。

いったい何のための鑑定か?

晩節の楽しみのために事業をおこして一文無しになるのも、

働きすぎて病気になるのも同様 本末転倒です。

相手の頑張りを信じて大丈夫と言ってあげても、

そこまで頑張れる人は稀有です。

特に運勢の条件が、頑張りにくい形であれば、止めることを

優先するのが本来の鑑定です。

本人にそれを言うことは禁忌ですが「退く道」も選択肢として

提案することが大事なことになるのです。情が優先すると

これが言えない。結果が出た時、味わわざるおえないのが

この「苦い想い」なのです。

私にもいくつもの苦い思いがあり、本人にとって、一生を通じて

何が一番幸せなのかを考えるようになりました。

結局は他人との「自他の関係」において、評価されたい

批判されたくない。自由でいたい。

もう一つは「自分の中の自他の関係」において満たされたい。

満足したい。

両つながら心が満たされた時、健康で美味しいものを少し

食べることができれば人は誰もが幸せになれるのです。


どうすれば他人は黙るのかー言われるようなことをしない事

見せないこと。敵を作らないこと。

どうすれば評価されるのかー評価されるような行動をとること 

どうすれば自由でいられるのかー自立していること

どストレートな開運方法です。開運の王道です。

(楽して、こんな努力せず、何か手があるかと呪術や魔術や

神秘的なものに頼ると、一生懸命 頼れば頼るほど

もののけに憑かれてしまう。

皮肉なことですが、王道の努力は嫌いだが

こちらの努力は死んでもやり抜く。という人が結構いて、

人情や命に無頓着になり、平気で他人を傷つけたり

目的のために我が子の命を奪るまでやる。

心の核を闇の中に閉ざしていく。魔の修行というのは

こういうものなのでしょうね。)


どストレートな開運法を偽善だと言いたがる人もいますが、

それを言う人は本当にそこまで自身は純粋で汚れなき存在かを

問うて見てください。

親ガチャだ、全て親が悪いというのも間違いないでしょう。

そうであれば、一日も早く親から独立し、自立し、親との縁を、

悪い身内との縁を切ることが最善です。

親を扶養する義務 できないと主張することです。)

それから自分の未来を大事にしてください。

今負った小さい傷が将来大きな傷に成長することがよくあるのです。

傷に追われる人生は辛いものです。

もし社会的な適応力に問題があるのなら最初から自身の現状を

もしくは具体的な取説を提示してしまうことです。

隠さないことです。我々の国は小学校からこの手の教育に

ずいぶん力を入れ受け入れる側の理解度は昭和の時代とは

雲泥の差がある。勇気を出さいてください。






私は苦い思いをするたびに多少成長できたような気がしています。

想像もできないことが日常に起きる時代です。浅くでもいいので広く

世の中を見る力を身につけてください。

新参の若い鑑定士さんたちの参考になればと思い書いておきます。

3月1日

水素鉱床の話を書いて、思い出したのですがダニエル・グレイグの

「ナイブス・アウト グラス・オニオン」で

かなり厄介なエネルギーとして扱われていました。

映画の中でもヒンデンブルク号の名が

出てきていて。「危ないもの」「悲劇的なもの」との印象操作か?

と陰謀論的なことも考えてしまうのですが、

世界は既得権益のために動いている。そんなもんです。


サイトウ・キネンフェスティバル松本(1992)

斎藤秀雄の血脈の結晶( 教え子達の肩書はこれを見ればわかります。)

若く力強い小澤征爾さんの勇姿がここにはあります。

彼の姿は最晩年まで映像に残されており、生を謳歌する姿と、

死に導かれる過程に底知れぬ畏れが生まれ心を軋(きし)ませる。


斉藤先生の教え子の一人のバイオリンの潮田さんのインタビューの中に

「皆アーティストだから職人さんになっていない。それが音楽作りの.....。」

昔々の話になりますが、知り合いの恋人が某国の

音大に留学し、一時帰国時コンサートをするというので

駆り出されたことがあるのですが、つまらない。

その知り合いに、正直に感想を話すと

(当時の私は、遠慮会釈無く、なんでも言ってしまう、馬鹿な小僧で、

本当に色々なところで迷惑をかけていました。)

実は、伴奏をずっとやらされていて、それも彼女の悩みなんだ。とのこと。

これが職人さんですね。

込み上げる感情を操作し表現するのと、込み上げる感情が

いつの間にか無くなってしまうことの違いでしょうか。

我々のような仕事でも、時々この「職人さん」がいるのです。

相手に幸せになって欲しいと思うことから出る言葉と

そうでない、荷捌きのように目の前の人をあしらう人たち。

その心掛けの違いが何になるかというと相手にとっては

何も変わりません。

ただ、使う本人の心が冷たいままか、頑張れと温かくなるか。

その違いです。占いでも鑑定でも、生活のため、お金のためと

割り切るのは良いのですが。自分自身にも大きな影響があることを

忘れてはいけません。

直弟子と一般生徒の違いはあるかもしれませんが、

誠実で真っ当な師匠であれば、自身の研鑽の結晶を弟子に

教えるものです。

良い先生に出会えれば目標の達成は早いでしょう。

教えが深い場合はその深淵さ故に時間もかかることを

覚悟する必要もあります。


師匠のいない先生方が山ほど世の中にはいます。

現場に立ったことのない本当に稚拙な先生もいるのですよ。

誰の弟子だったのか。誰の系譜なのか。実践の場にたったことがるのか。

破門されて、名乗れないという人も中にはいます。

自分で一派を起こしたという人もいるでしょう。

信頼できる良い先生を見つけてください。


鑑定士占い師の方達は絶対に相談者を占い漬けにしてはいけません。

一期一会で終える究極の鑑定が理想です。

2月27日

アルバニアで純度98%の水素鉱床が発見されたとのこと

記事にもあるように現在費用対効果で水素社会は

無理だというのが経済の専門家の意見なのですが、

年初から嫌なことばかりでしたが、こんなお年玉が

見つかりました。まだまだ夢のような話ですが

中国のレアメタルやロシアのウランに頼らない世界

NATO加盟国なので政治家先生に頑張って貰えば、

なんとかなるかもしれません。

今年は本当に「文明の姿」が変わる年なのかもしれませんね。

しっかりと世界を見つめ続けたいですね。

本当に禍福は糾える縄の如しです。

諦めず努力した人にだけ福は微笑む。

頑張りましょう。


天然水素

調べてみるとまだまだお話止まりのようです。

実現することを祈ります。

2月16日

春の候 そろそろ新緑の季節ですね。

カケスやメジロが近所を飛び回っています。

メジロは鮮やかな緑色でスズメよりも小さく、

目の周りに名前通り白い丸が描かれている。

可愛い鳥です。花鳥風月と言いますが

メジロの囀りには癒されます。

この春から、いろいろなことを始められる方がいると思います。

順調であれば幸いですね。老婆心からですが、

少しだけアドバイスをさせていただきます。

思い通りのことが始められる喜びに満ち、

奮い立つ姿。素敵ですね。ただ一点

「入れ込み過ぎない、気負わない。」

自分自身の自然体を忘れないことです。

勢いがつきすぎると、大抵は転ぶ。

こんなはずではなかったと後悔し始める。長続きしない。

大抵はモノになる前に途中下車してしまう。

何故か?

持っているものが切れ味鋭く、価値のあるものであればあるほど

そこには必ず「驕(おごり」が現れ、自然に、当たり前のように

自分が特別な人に思えてしまう。

(実は、これが印星の負の面なのです。)

心の見えない部分に、むくむくとこれが起き始めると、

必ず相手に気付かれ、思いもかけない形で叩かれます。

時々「戦って下さい」と書いていますが、

敵は外にいるのでは無く自分の中にいる。

獅子身中の虫とはこのことで、いかに自分の中の

「陰の心」と戦うかが常に問われます。

特に我々鑑定士のようなものが驕れば、たかが占い師のくせにと

蔑(さげす)まれ、さらに鑑定した内容にも信頼が置けなくなり

鑑定が正しければ正しいほど相手の人生を傷つけることになる。


社会は「自」と「他」の関係で成り立っていて、

別の言い方をすれば「自分」と「自分以外の人」

それぞれが円満なあり方であるのが理想の姿なのですが、

実際は敵対、支配、妬み、尽きるところ誣告までする。

社会、集団生活の負の部分であり、血を分けた肉親でさえも

状況は同じです。


もし自身の驕りを指摘され叩かれ、動揺し、自分を責め、

相手を恨めば、自分も彼らと同じように負の流れに落ちていく。

本当に馬鹿馬鹿しい。

だからこそ自身の自然体の姿を忘れてはいけません。

普通の常識人でいて下さい。

それであれば、頓挫することはないでしょう。

気負わずに弛まず、歩みを進め続けることです。

2月10日

本当に人生とは面白いもので、20(?)年も前につけた

自分の雅号が2024年のお正月の料理番組とリンクし、

目指すべき方向のヒントが道元禅の中にあったのだと

実に感心して居るところです。

禅とは結構ご縁があったのですが面白いものですね。

「喜心」の名は自分への戒めとして月称の「入中論」から

採ってつけたのですが、道玄さんの三心には庶民的な

温かみがあり、しばらくはこちらの説で行こうと思います。

「老心」の親の心を持てば迷惑がられるのが現代人の人情です。

時代にあった態度 時代にあった鑑定が大切ですね。

そして「大心を目指し精進する」こと。

肝に銘じる言葉となり洗心庵のスローガンになりました。

たかが鑑定士 されど鑑定士。

人としての信条を大切にしたいと思います。





研究科の生徒さん「テキスト補講」を読んでおいてください。

2月1日

幸福の「可能性」の話をしておきます。

幸福の可能性を自ら壊している人が沢山いる。

だからと言って「幸福」に縛られるのも良くありません。

この辺りが難しい。

陰陽の転換を知ること。良いことばかりが続くことはない。

必ず転換は起きてくる。

恋で言うなら「愛」が「不安」に変わる時がそれですね。

不安は「愛」を保証するための「何か」を相手に求め始める。

プライベートの関係には縛りがないので制御の無い生(なま)の自分が現れてくる。

お商売の場合、社会規範 ルールがあるので、順調な時はそれなりに安定、

安心できるのですが、特に体勢が変わる時即座に変化し始め、

大抵は期待などというのは叶いません。


現状に疑いを持っても、愛着を持ってしまってもトラブルと

怒りが生じてくる。これを我執とでも呼ぶのでしょうか。

人生とはこんなものです。これの繰り返しが人生だと思って良い。

強い愛情も強い執着も人生には時として毒となる。

夢があり、ことを成し遂げようとするのであれば覚悟と

それに見合う努力は必要ですが、一点、それを諦(あきら)める

潔(いさぎよ)さも不可欠です。それが無いと、

身の回りを巻き込んで苦しみに落ちることになる。

我々の命は循環しているというのが推命学の基本信条ですが

諦め、負けを認めなければ次の段階に進めない。

運の良い人ほどそれをやっています。強いだけの運の人は

苦しみもがき続けている。

良い運(吉運)と強い運(強運)の違いがこれなのですよ。

怒りも、夢も、プライドも手放せない。その結果、

不幸の代償として「敵」をマークし始める。

「あいつさえいなければ......。」こう思ったことはありませんか?

運が強くとも弱くとも誰にでも経験のあることだと思います。

もちろん私にも経験があります。

そんなもんなんです人生は。特別なアニメのような人生など無いのですよ。

だからこそ、一日一日、お互い楽しく、後悔の少ない日々を

過ごし、泣いたり、笑ったりしながら、自分も相手も大事にし

日常の変化に一生懸命対応し、課された仕事をこなし、

世界情勢を知り、日本の未来を思い、次の世代の幸福を

多少は考え、戦い続けること。勝って驕らず、負けて腐らず、

日々の命を繋ぐことです。その中に、ホッとできる瞬間を持つこと。

安心できる味方を見つけることです。

本当に自分を大事にして下さい。やけを起こさないことです。

神様も仏様も観音様も何かを叶えてくれる対象としてではなく

神通力や超能力は全く無いが、ただ、そばにいてくれるだけで安心できる

心を満たしてくれる優しくて尊い存在だと意識の転換をしてみてください。

脱超能力、脱神通力 この辺りからでしょうアセンションは。

自分のことで精一杯だとしても他の人の死を悼(いた)んでください。

他の人の死を悼む人は自分に死を与えることはないと思います。

1月30日

先日生徒さんから16persontalitiesってよく当たるんです。

(サイトの最後あたりにテストの仕方が出ていますが自己責任で行なってください。)

私は何々タイプだから.......。との会話がありました。

翌日漫画家さんの自殺の報道。自分を知ることで多少は

「他」との関係を諦めたり「しょうがないね」と妥協する

きっかけになるかもしれないと思い調べると

日本MBTI協会

こちらのホームページから注意喚起がされていました。

16何某は聞いたことが無かったのですが、こちらの「MBTI」は

かなり前に、聞いたことがありユング本人が許可した正当な

系譜の上にあるものとのこと。

バッタモンの検査を受け、そのクレームが本部に届いているようです。

多少ショッキングな表現で耳目を集めるというのは

どの世界も同じです。(醜く嫌な世界です。)

名を変え品を変え洋の東西を問わずお商売というのは

売ったもの勝ちであり個人の品位というのは問われません。

そんなもんです。遊びとして、そんなもんだ。と楽しむことです。

ある方が言っていたのですが、

「我々は、本当に馬鹿な存在で、自分の人生の中の、苦しい面だけを

取り上げて、何度も何度も味わって心に溶け込ませている。

一瞬でもあった幸せな時をどこかに捨ててしまっている。」

京アニの犯人がこの典型ですね。

漫画に救われた喜びやワクワク感をどこかに置いてきてしまった。

彼の誤解は強烈な怒りを生み出し、その怒りは彼の

あらゆる幸福の可能性を焼き尽くしてしまった。

楽しい思い出、優しい心 忘れたくないですね。

大事にしましょう。そして、それ以上に「怒り」は

喜びを焼き尽くす。



「なになにのくせに........。」は怒りのスイッチへ

ソフトにタッチしている状況ですよ。

2024年1月

1月は乙丑月

不安になりやすい月です。

孤立と先暗示による不安、絶望がキーワードになります

事故や出産、自然災害 仕事の配置換え 引きこもり

自己否定な人生 将来に希望が持てない等々

もし、このような状況で不安を抱え始めたのなら

それは杞憂です。そう自分に言い聞かせてください。

お腹が減り 美味しいものが食べたいと思う限り大丈夫です。

それこそが鮮烈な命の顕現です。



年運と月運が2月の節分で変わり始める。

多少の吃水感として、不安は残るでしょうが、これも

宇宙の運(エネルギー)の流れです。

忍耐強く自分を保ちましょう。

天(宇宙)を味方につけること、自分の運勢と宇宙の運勢を

区別することが私の見つけた極意の一つです。

慌てて事を起こしてはいけません。

焦って動いて墓穴を掘らないことです。

とりあえず、動くのは2月を過ぎてから

冷静な判断ができるようになってからにして下さい。

色々と考えるのを、今月はとりあえず止めるというのも選択肢です。

誰にでも平等に働く宇宙のエネルギー「年月の運」を

上手に使うことです。





また、喋りすぎたかな。嫌味や皮肉に取らないでくださいね。

四柱推命教室について

2024年2月より教室の内容を変更いたします。

洗心庵では泰山流初級教室のみで中級教室は開いておりません。

泰山流初級教室 

基礎科
これは中級コースを目指し緒方先生のテキストである「四柱推命実践講座」の内容を学習するもので就学期間は1年半(月2回の講義の場合)を目標に学習し誰でも入門できる教室です。終了後は修了書(有料)を得た上で緒方先生、又は他の優秀な先生が開催する泰山流中級教室に移れます。

洗心庵 専修科
こちらは推命学を自分自身の人生に応用することを目的としたもので、初級の段階から今野喜心が実践で学び積み上げた知識と鑑定法を学んでいただく講座です。テキストは基礎科と同様ですが就学期間は2年半(月2回の講義)を目標にし、終了後は他の先生の中級講座へ移るもよし、従来通り洗心庵の研究科へ残ることも可能です。

専修科は泰山流四柱推命学会の会員として登録されることは基礎科と変わりありません。

料金

入会金三万円 講義料 月1回ならば1万五千円 2回ならば2万五千円 3回ならば4万円

教室はどのコースも基本は個人講義なので、一度面接していただき決めて頂ければと思います。

遠方の方はスカイプ等で応じますのでご遠慮なくお申しでください。


ご注意

こちらの教室では調候用神法の教室で格局法の講義は致しておりません。

著作権を侵害するPDFが流通しているようですが犯罪だと認識しております、

テキストは必ず紙媒体の「本」をお買い求めください。

2024年1月17日

生徒さんから緒方先生のブログに関するお話があり

今朝閲覧いたしました。

緒方先生ブログ

怒ってらっしゃいますね。

本当にこの業界には下衆な奴がいます。お前もそうだろと

言われそうですが、流派の名、師匠に恥をかかさぬよう、

克己勉励し細心の注意を払ってきたつもりです。

コラムの内容は全て私自身の感想と考えです

そのおかげで実践鑑定に関しても断易に関しても、それなりの腕に

仕上がっており、明確な根拠のもとに更に進化を目指し、その中でも

「順逆のサイクル」などは誇るべき発見だと自負しています。

流派の看板で食べているつもりはありません。

実力は私程度には付きます。安心して学びに来てください。

2月より教室を開きます。詳細は四柱推命講座の欄をご覧ください。



先生の娘さんがデビューとのこと。

私の経験ですが、占術の世界は何がしかの支えが必要な世界です。

一つは術理、一つは守護。特に易には必要だと思っています。

全てが揃っている現状。

大器となり次の世代に正しい占術を宣布なされることを

期待いたします。戦ってください。

門派に後継者が現れるというのはこんなに感慨深く

嬉しいものなのだと驚いています。不思議な感覚です。








ちなみに泰山流「緒方派」と他の「泰山流」についての

見分け方についてお知らせしておきます。

まず誤解のないように書きますが、

それぞれの境界においてご縁ができる術式というのがあり

それはそれで良いのだと私は思っています。


各局法を言う泰山流は「緒方派」ではありません。

「阿部泰山全集」を言う方も違います。

PDFで先生のご著書を配布する教室も違います。

流派の名を望むのであれば、どこの泰山流の系譜に属しているのか

確認の上入門されることを推薦します。

法律的な無知で知的財産について、めちゃくちゃをしていると

思われますが、違法は違法です。先生の名を語れば詐欺です。

心当たりがある方たちは改めてください。


私の教室の生徒さんも中級に昇級し資格を得ていない者は

泰山流を名乗れません。気をつけてください。

テキストを最後まで終了し研究科で1年以上学んだ生徒さんは

泰山流は名乗れませんが今野喜心に学んだと述べていただいて

結構です。ただし実力が伴う方のみに許します。

流派を名乗るというのは実力と覚悟が必要なのですよ。

先人に恥をかかさぬよう、真っ当な人物であること

これが学ぶものに課せられる基本的な態度です。

忍耐強く賢くあってください。嘘つきの恥知らずではいけません。

1月11日 2024年

女性の発達障害

1時間12分強の長い動画ですが、後半1時間すぎたあたりから

具体的なトレーニングを精神科の先生が提示されています。

AIを使ったリフレーミングの仕方も提案されていて、

目から鱗の感がありました。AIに関しては前に、

これからの人生相談はAIに任せるのが適当だと書きましたが、

カウンセリングに関しても、段々そうなっていくのかもしれません。

AIに超えられない特別な「何か」を我々鑑定士は研鑽しないといけませんね。

1月6日 パラダイムシフト

能登半島での大地震でインフラの老朽化、耐震化の遅れ等々、

地方行政の課題が明確になってきました。

安芸高田市のYouTubeを見、本当に財政課題の問題は深刻だと

感じていました。そして、やはり今回の地震災害地における

ビルそのものが土台から倒壊している映像を見、いまだに道路が

繋がらない現状など脆弱な内政基盤が露呈してしまった。


「生存権」を差し置いての「国連指導者の言うグローバル化」はまったく

意味がない。年末の紅白歌合戦を録画し、先日見たのですがオープニングで

録画を削除しました。

「ボーダーレス」これこそ平和ボケ象徴のスローガンです。

平和で経済が豊かで、誰にでも食料を振るまえる時代であれば

理想の形態ですが、そうでない時代、人気取りのために

それを主張することは底の抜けたバケツに水を注ぐようなものです。

「ボーダーレス」というのは理想的社会主義者がかつて

主張した思想です。一見すると美しい言葉、ですが、

これが政治に反映された時、実際にかつてのソ連邦では

自分よりも上の生活をしている。あいつは何かやっているに違いない。

不平等だ、警察に密告してやる。それが全ソ連邦で行われていたのです。

産経新聞

極端な例示ですがこれが実際に行われた「平等」になるための社会です。

我々の国でさえクレーマーと呼ばれる人種が山ほどいる。

性差のボーダーレス、男女差別のボーダーレス、

家族や家庭のボーダーレス。それはそれで良いと思うのですが、

それを拒否する権利を否定する傾向が一部の政治家にはあるようです。

皆んなを支配したい。言うことを聞かせたい。そういう政治家さんです。

「不平等」

この言葉は正しく使わなければ「正義」を振りかざし、

相手を黙らせ支配するのに最も都合の良いスローガンなのですよ。


中共が飴と鞭を使い分け進軍し始めたようです。

政治家の方たちは胆力を養わなければ食われるでしょう。

(すでに食われているのかもしれない。)

靖国参拝が我々にも露骨にわかる踏み絵です。

興味深く見させていただきたい。

時代の流れは急流であり激流です。我々も胆力を練る必要があります。

武道でも何でも、体を鍛えましょう。

体を鍛え体力をつけること。そして弱い心を鍛えること。

弱い心は強い心を知る事で鍛えられます。

神話でも、ゲームや漫画、アニメの主人公で充分です。

人の心は、そのくらい単純なのです。

もちろん、愛する人のため、愛してくれる人のため。

それに勝る強さはありません。強く、強くなりましょう。

大人たちは子供の前では強く正しい大人であってください。

特に、移住してきた外国人の子供に対しては、優しくしてください。

そうすれば子供が親の世代の教育をしてくれるでしょう。

子供にもそれを教えることです。日本人にも欠けている

地元を愛する気持ち、社会を大事にする気持ちを子供世代に

しっかりと教えるためには、親が移住者の悪口を言わないこと、

子供達の世代に愛国心をつけること。日本に住むことに

誇りを持たせることです。彼らにも地元やこの国を愛する

心を持ってもらうことです。イジメは社会的な害悪を生むだけです。

残留孤児2世3世で散々経験してきたことですね。

差別は絶対にいけない。大勢が弱い立場の者を攻撃するのは卑怯です。

必ず、自分達に戻ってきますよ。(日本社会全体に対してという意味です。)



本当はあけましておめでとうで始めたいのですが、そんな悠長なことは

言えないと、今年は感じています。

右翼か?と思われる方もいると思いますが右に触れ切って

神聖な縄文文化の復活だ、鎖国だ、とでも言えれば良いのですが

いかんせん現実主義をここまで通してきたので「お話」程度の

興味しかありません。

現実を見れば、日本でも昨年あたりから地獄の釜の蓋が開いたようです。

来年あたりから経済的には良好な動きだと予想されてます。

悪いことばかりではありません。

人の繋がりによる喜怒哀楽はいつの時代も変わらない。

人に優しく、その優しさの喜びを自ら感じられる日常になるよう

努力しましょう。

「アセンション」の言葉を使う方達からも「パラダイムシフト」を

言う方達からも、このことは否定されないことだ思います。

個人の運勢はこの大きな流れの中に揺蕩(たゆた)っている。

あなたは、この流れの中の自分の座標がわかっていますか?

自分を守り身の回りを守ってください。








1月3日に記事を書いたのですが、暗いのでコラムの一番下に移しました。

12月30日 2023年

来年は良い年となりますように。と言っても

何が「良い」のか? 良いこととはなんぞや?


「よかった。」と呟く時 健康診断で「何もなくてよかった。」

赤ちゃんの健康診断で「何もなくてよかった。」

帰省の指定席のチケットが取れて「ああ、よかった。」

天気が晴れて「ああ、よかった。」

SNSの返信が来て「ああ、よかった。」

そして、我々は、その奥にある「よく無いこと」を

なんとなく知っています。

一陰一陽 これを易という 良いことと悪いことは

一対のようなもので、「人生は糾える縄の如し」、諺どおりです。

巨額の金銭が入ろうが、人の羨む出世をしようが、そこには

必ず不幸が寄り添っている。しょうがない、それが人生です。

運の良し悪しなんてのは、こんなものです。

しかし、

些細な日常に幸福を見つけ、それを守る努力を重ね、

自分の幸せを積み上げるならば。滅多なことでは、

誰にも壊せません。単純明快、自家薬籠中の幸福です。

自他の関係性の中で、いかにして、それを掴めばいいのか。

これも単純です。自分の仕事をし、成果をあげること

自分を信頼するものを裏切らず、誠実に対応すること

そして最も大事なのは、信頼に足る相手を選ぶこと。

どうすれば、そういう相手と出会えるのか?

少なくとも自分自身が誠実であること。これは引き寄せの

法則どおりだと思います。

ただ、いくら誠実に生きていると言っても運勢がそれを邪魔することがある。

だからと言って、なんでもかんでも運のせいにしてはいけません。

一陰一陽、辛い時も必ずあるし、良い時も必ずあるのです。

暴力や、裏切りがあるのであれば、別れることも勧めますが、

「気に食わない。」程度であれば「自省」を私は薦めたい。

特に夫婦の縁というのは、奇なるもので、間違いなく

運勢的な関係がある。そこに気づけば必ず人として

成長できる。人間力が増し魅力が増すという意味です。

自分の中に余裕が生まれてくるという意味でもある。

(これは他人から、どうこう言われる筋合いのものでもありませんよ。)

忍耐強く本質を追いかける能力が増す。いいことづくしです。


他人を信頼できない人に何故ですかと問うと、

大抵「人は裏切るから」と答えます。

その「人」の中に自分も入っているのだと気づいていない。

どんな時でも、相手の都合というのがあるものですよ。

潔癖 潔白なんて人、世の中にいません。いるとしたら

サンタさんはいると本気で思っている就学前の児童程度でしょう。

期待と喜びの中に真実を覆える年齢はその程度までです。

「自分の思い通りであって欲しい」その希望と現実の

痛さに耐えきれない。これは青春の証明のようなものですよ。

はるか昔から憎むべき親や大人達も通ってきた道です。

大人になることです。

清濁合わせ飲む器量、他人を傷つけないこと。

自立し、なんでもかんでも、親を含めて他人のせいにしないことです。

親の影響、環境の影響は間違いなくありますが、苦い水を

飲み続けることは無いのです。

繰り返し思い出す過去を消すには現在の幸福を噛み締めること。

だから今「幸せ」になることが必要なのです。「現在」のあり方の

大事さに気づいてください。過去の苦しみの分、もっと、もっと

金が欲しい、出世したい、尊敬されたい。

しかし、それは幸福と、かけ離れた、ただの幻想です。

その傷は、「心の核に」気づき、そのように生きることでしか

癒せない。


コロナ禍以降のパラダイムシフトが更に加速し、大きく言えば

経済によるグローバル化で国家の枠組みが支配、被支配という形で

動き始めています(エネルギー資源がその代表ですね。)

我々は地に足をつけて、流れを知り、対処していくことです。

安易な幻想にとらわれないことでしょう。



今年はこれが最後の投稿になります。

あらゆる存在、すべての存在の奥深くに発動する生命が

恵まれ、豊かに、力強く芽吹き、一切が調和し

途切れることなく ほとばしり続ける世界であれかし

良いお年をお迎えください。




洗心庵 今野喜心

12月24日(23日改) 2023年 

ブログの方で毒を吐いたので多少気が晴れ、

洗心庵の核心である心の核について、もう少し書いておきます。

心の核は「愛」だ。なんて書くとスピリチュアル系の方に

同じ事を言っているなと思われてしまうかもしれません。

その意味では彼等の言うことは一面正しいと思っています。

ただ、あらゆる現象は陰陽の両面性から成り立っていると

考えるのが「易」であり、そのもう一つの一面を書いておきます。


「他人から大事にされたい愛されたい。」この面だけが昂じると

「自意識過剰」の利己心の強いナルシストさんになっていく。

こじらせ君、困ったちゃん。もっともっと自分の言うことを聞いて。

言う通りにしてというお子様ちゃんです。幼児期だけならばいいのですが、

大人になってもこれをやる。極まれば、権威や肩書き、高評価というある種、

権力志向型、他人を支配したい人になる。

(これは印綬の意味ですが、通変星は全て、その負の面を知らなければなりません。)

「人を愛したい」心が行き過ぎると押し付けがましい、

「ストーカー」となり、これは「愛」が「執着」に変異した姿で

「自己愛」が変異した形です。

さらに「自分は正しい。」というフィルターがかかれば、

 批判批評大好き人間、嫌味な皮肉屋、クレーマーになるのです。

幼少期から愛すべきは国であるなどと洗脳されれば、

愛国正義を生み出す。怖いことには、これが集団になった時、

さらに、老若男女の区別なく残酷性お構いなしの敵の殲滅に向かっていく。

(ハマスの残虐さもイスラエルの無差別攻撃も中共のウイグルでの施作も同じです)

言葉を変えれば、「愛」はあらゆる苦しみの原因にもなり

この愛の「変異」が仏教で言う所の「煩悩」なのだと私は解釈しているのです。


「愛」に偏向するのも良いと思いますが、

愛だけでは「苦しみ」には対抗できないのですよ。

なぜなら、何度も書いたように苦しみの源こそが「愛」だからです。

「愛」という言葉は、いいように金儲けに使われ、

グローバリズムのシンボルのような扱いになっている。

だからこそ愛に振り回されない「自制心」「冷静さ」が必要で、

冷静さを維持するための根源的な力は物事を判断し選択する知性であり、

それは常に「自分と他の存在との調和を意図すること」だと

思う。温和な人間関係を構築しようと努力すること。

だからこそ他を承認し、受け入れること、

左巻きの嫌いな言葉である「妥協」することが必要なのです。

お分かりでしょうか。妥協ができないというのは

極端に言えば「おバカ」の証拠なのです。(ごめんなさいね。)

他とともに生きることを否定しているとも言える。


円満に生きるためには知恵を養うこと、自制心を養うこと。

なぜ自制心を養うのか。それは我々の世界は「社会」と言う

他人との共存を強いらている世界だからです。

ポツンと一軒家でさえ、親と子の対立が存在する。さらに言えば、

野生生物と人間という対立構造があり、どんな形であっても

「自」と「他」の関係は消えません。ネズミや、狸や、蛇やカエルも

自然界にいる身近な生物は、すべて「他」なのです。

(田圃のカエルの鳴き声がうるさいと農家に苦情を言う人がいると報道されていましたね。)

もう一つ自他の関係で大事なことがあります

それは心の中でやっている自分自身との会話についてです。

嫉妬や愚痴や怒り、欲まみれの自分と、長年かけて学び身につけてきた

法律や社会常識との葛藤。

(昔は「天誅」と叫んで嫌味な上司をバットで闇討ちするドラマが

結構ありました。カタルシスとしての演劇が許されていた時代でしたね。)

自他の関係、自分と社会との関係というのは、どこまで行っても

個人の持つ心の核が、良い意味でも悪い意味でも心身の活動力として働き

あらゆる選択の根拠になっているのです。

その上で、我々は安全に日々を過ごしたい。平和であって欲しいと

願っている。

我々は皆が皆、守られたい、守りたいの集団なのですよ。

それが、「行き過ぎること」が全ての苦しみの始まりなのです。

まずは自分自身の有り様(よう)をしっかり受け止め理解すること。

自分もまた、潜在的に、かまってちゃんであり、愛するものを守りたい

「勇者様」であることに気づくことです。

「自分はヒーローになりたいなんて思っていない。」と

多くの人は言うでしょう。だから気づいていないというのですよ。

みなさんちゃんと自分の子供やペットの世話をし、

大事にしているじゃないですか。特別な「何か」なんていらないのです。

すでに十分な勇者ですよ。特に妊娠さんなんてのは、命懸けの冒険者です。

自分自身を承認すること。これが本当に大事なことなのですよ。

「自分に自信が無い」それでいいんだと思います。そういう自分を

受け止めてください。そして動けば良い。自信があろうがなかろうが

動けば結果は現れる。それが因果というものですよ。





来年は、皆さんに良いことばかりが起きることを祈願いたします。

そして、間違いないでくださいね、日々平々凡々に過ぎ、

自分も身の回りの人も安全で、災難がが起きないこと。

当たり前の安全な日常を過ごせるようにという意味です。

何か「特別なご褒美」を想定しないでください。

「期待」と「現実」のギャップの不安。「良いこと」と聞く時、

ご自身の「幸福観」が、実に赤裸々に見えてくると思います。

(ごめんね。でも、そこが苦しみの原因なんですよ。)

12月25日 日本の未来

日本の未来について地方の首長が本音で話をなさっています

財政説明会での質問からの答えです。

安芸高田氏財政説明会

55:39辺りからの話になります。

地方から日本は崩壊していく。日本は小国になる。

大国に伍していくために教育しかない。

地元に生まれたアイデンティティーとしての文化と歴史の継承 

唯一の希望としての若者の教育。

まさに幕末の志士達が語っていた危機感そのものです。

この方の場合、数字のエキスパートなので、

未来予測は外れないでしょう。


実は私はこれを見て、歴史は繰り返すんだな、

やはりそうなんだなと、かなり驚きました。

3年目の若い首長さんです。県外の同職の方達ともかなり

交流があるようにも聞いています。その方の発言として、

一つは今の日本は間違いなく危機に瀕しているという事実。

地方議員さんが地元の既得権代表で執行部を恫喝する動画は

住民の意識改革にはもってこいの材料です。

高校生の頃の知人に南方熊楠を敬愛する人がいて

よく話したのですが、(彼曰くクマクスではなくクマンクスだとのこと)

彼は日本最初の環境保護運動家でした。

明治政府の神仏習合が否定され、それまで

御神木とされていたものが、ただの「木材原料」となり、

お金に変えられたのです。誰が切ったかといえば山を所有している

地元の有力者 地主さん達が。 神木を金で売った。

昔からなのですよ、我が国のこういう人達は。


日本の未来に対し、これに対抗しようとする若い人達が

ずいぶん出てきたように感じます。この市長さんの影響も

間違いなくあると思いますが、やはり皆、現実の肌感覚から

かなりの危機感をお持ちなのだと推察します。

我々でさえシャッター街を通る時、不安に苛まれている。


ここ数年の日本は、正直、幕末の維新前夜を見るような景色だと

想定されます。暗い夜明けにならぬよう、

皆で支えなければいけませんね。

優秀で仁愛を知る若者はぜひ政治を目指してください。

12月22日 目から鱗の勉強の仕方 愚痴

勉強の仕方

灘ー東大ーハーバード 24歳で芦屋市長と京大ー三菱ufj-安芸高田市市長の

対談で灘高性の勉強法を披瀝しています。さすがに目から鱗の勉強法です。

推命学に限らず、とても参考になると思います。

天才の受験勉強法

ブログの方に自民党大騒動にかまけて、今年の愚痴を書きました。

内容が結構過激なので、怖がりの方は見ないでください

引き寄せ系の方にもおすすめしません。

そうでない方、戦う意思のある方は怖いもの見たさで見てください。

面白いと思います。

心の核

について調べていたら

なかなか驚くべき研究結果を知ってしまい、こんなものなんだなーと

ため息をついていたら、興味深い動画がはられていて

ここ数回書いていることに繋がるな、シンクロニシティかなと。

その動画を貼っておきます。大切な人 

脳科学はさておき、私から見ると「心の核の働き」を理解するための

とても大事なヒントが語られているなと感じています。

太極 12月17日 2023年

千変万化する運勢の流れを読むことが大事であると

何度も書いてきました。

とても難しい課題に聞こえます。なぜ難しいかというと

「何が」変化しているのか捉えきれないからです。

「易経」的に表現をすれば、それは「太極」にあたり、

太極とは「両儀(陰陽)」であり、この「陰陽の絡み合い」から

全てが生じると私は考えています。

(学問的な解釈はどうぞ専門書を読んでください。)

我々運命学を志す者はこれを日常のあり方として捉えてみることです。

陰陽の絡み合いとは、どういうことかと疑問に思う人も

多いと思いますが、私なりの解釈ですが、運勢は人の心により

生まれる。そしてその心とは

「大事にされた(愛されたい)」「大事にしたい(愛したい)」

という能動、受動の二面生の基盤の上に成立していて、

このバランスこそがその人の幸福度を決めていると思うのです

全てがここから生じている。

具体的に言えば「誰かに」大事にされたい愛されたい

期待が叶えば喜びが生まれ、期待が叶わなければ

怒り、憎しみ、嫉妬が生まれ、心が暴れ出す。

愛される喜びが叶えば、それは愛する喜びに連動していく。

(「愛するに足る自分自身」という点で成功、失敗体験も

  同様の作用を及ぼしていると判断しています。)

これは人だけではなく、大事にされてきた動物達も同じだと

最近は思っています。

あまり上手に言えませんが、たくさんのことを、この関係性から

身近な人や自分のこととして想像してみてください。

プライベートの人間関係はどう構築されてきたのか。

社会との関係性はどう構築されてきたのか。

自分の現状を見、いつまでも心から離れない「問題」を見つめ、

自身の原命式を見返すことです。

運勢に上手に乗れてきたのか、翻弄されたままなのか。

そして他人もまた自分と同じだと確信を持つことです。


人には、今に至るその人の物語が間違いなくあるのです。

悲喜こもごも、この悲喜劇こそが「千変万化」の姿であり

根本である「両儀(陰陽)」(私はこれを心の核と言っています。)が

どう動いてきたかを「追う」ことが私の考える推命学の手法なのです。

原因と諸縁が明確になれば結果は自ずと予想できるもので、

的は外れません。同時に原因がわかり諸縁を改善することで

違う結果が生じるのも自明の理です。

推命学を学ぶにあたって 12月9日 2023年

推命学を学ぶにあって

「引き寄せの法則」系のスピリチュアルを学ばれている方には

推命学を学ぶことをお勧めいたしません。

「心の核である愛に溢れた心こそが世界を生み出している」と

理解してはいますが、運勢を動かしているものは、「核」を

厚く覆っている外殻で、これは「心の核」が変異したものだと

私は考えています。

「愛」が「欲」に変異してしまったものと言えば理解しやすいでしょうか。

元をたどれば、なんてことないのですが、いかんせん、人は縛られている。

愛縛聢洞臉菩薩位 という般若理趣経の文言が

いまだに誤解されている所以です。

迷いのフィルターを誰もが身に纏っている。


「欲」とは願うもの、欲するもの、と言う意味ですが、

自己表現の姿とも解釈でき一般的にはこれを「個性」と表現していますね。

運が崩れる時、その主役はこの個性の持つ「負」の面が

個人の運を大きく動かしている。

頑固さ 怒り 復讐心 嫉妬 期待から生じる絶望 等々

視点を変えれば、最初からダメだとわかっているのに

相手に固執し離れない(頑固) どうして自分のことが

わからないのか(怒り) なぜ自分じゃないのか(嫉妬)

なんでこんな期待通りに行かない奴と(絶望)等々です。

謙虚さがないものは嫌われ、他人を見下しがちの者も嫌われ、

神経質すぎる人も毛嫌いされ、怒ってばかりいる人も嫌われる。

誰もが持つ性格の負の面です。会社の人事も当たり前ですが

同じ優秀さなら、調和を大事にする方が昇級していく。


運勢鑑定というのは、この運を破る負の性格を把握するところから

始まるのですが、引き寄せ系の人には「毒」として写ってしまうことに

最近気づきました。私の慢心の所業です。

説明しておけば良かったと今は思っています。

私は自分が学んだ推命学は運(人生)の傷を治す一種の医療だと考えています。

病を得た経験を消すことはできませんが、病の予防はできる思います。

どうか、この辺りをご理解ください。病状や病の重さに臆していたら

人を癒すことなど無理なのですよ。醜く汚いものを見る勇気が必要であり、

醜く、汚いものもまた人の心の核である「愛」の変異であることを

知ってください。

(大変失礼ですがスピリチュアル系の方の最大の弱点だと思っています。)

あらゆる場面に対応できる運勢学を目指し精進する所存です。

同志の方々のご参加を常に祈念しております。





あと20日もあるのに来年は、とか言っていますが

生徒さんとも、「良いお年を」とか挨拶し始めたので

思い立った時書いておくのがベストだと思い書いておきます。

12月9日 かみさま

年末なので、何か良いお歳暮をと思い一つ大事なことを書いておきます。

推命学も易も使わなければ、何もわからない。

特に私どものような先達からの明確な理論の上に実践に

実践を重ね練り上げた推命学は使わなければその真価が見えてきません。

雲を掴むような騙りに見えてしまい、学習も続けられません。

しかし、ひとたび使いはじいめて初めて。本当だと腑に落ちる。

最近、

実際に使い始める生徒さんが増え成長ぶりを楽しんでいるのですが、

「使う」とは、相談者が目の前にいて、逃げることができない。

頭で考えるのとは違う。圧倒的な場の力がそこには存在し、

唯一の身を守る武器は学びの中にしか無いのです。

本音を言えば怖くて怖くて仕方ない。そこで役立つのは結局は、正しい技術と、

もう一つは己(おのれ)自身の人間性しかありません。

実践は形骸化した過去の遺物を再生させることにも繋がり、

そこから新しい発見を見つけることもできるのです。

実践を通じて初めて易神も推命の神様も力を貸してくれるようになる。

お試しあれ。

12月7日

生徒さんも皆ベテランになり、

来年はどうなるのでしょう?と問う方達が減ってきました。

来年は甲辰の年運です。良い年になればいいのですが、

世界的には良い年になる要素はあまりないようです。

国の枠組みが正常に機能し、我々の権利が守られているうちは

個人の人生であれば、いくらでも改善できるし危機回避も

可能です。自暴自棄を起こす必要はありません。

良い年にしましょう。


戦争準備が着々と進んでいると左巻きの方達が主張していますが

相手に見合った軍備拡張というのは戦争抑止力そのものです。

中国も北朝鮮もやる気満々で軍拡中ですが、

それに備える姿勢を見せている間は直接の対決はありません。

台湾も同じです。しかし国民が油断し、敵に媚を売る政治家や

マスコミが大騒ぎを始めた時は危険な時です。

ウクライナの戦争が始まった時、戦うより、人道主義だと

主張した先生方が沢山いましたが、国が破れれば、蹂躙されるのです。

最近の戦争の心理戦とでも言いましょうか、ハマスの性暴力

戦争に使うという記事を読んで、ロシアのウクライナ侵攻時の

記事を思い出し、最新の戦時支配はここから初まるのか......。と

「相手に抵抗できなかった恥辱を与え抵抗の意思を削ぐ」という、

人としての誇り、羞恥心を利用したとてつもない心理戦です。

おそらくPTSDの研究から生まれた心理戦でしょう。

そしてこれは女性だけはなく男性にも採用されているようです。

どれだけ女性は、このことで深い悲しみを負ってきたのか

男性も思い知る時が来た時代と言えるでしょう。

中国政府がウイグル人にイスラムの戒律に反する豚肉を強制的に食べさせ

信仰に対する破戒の罪悪感を植え付け、自尊心を奪い、

抵抗する根拠を奪ってしまう。

ただ命令に従うだけの奴隷のような国民にする占領政策です。

なんと倫理観のない心理科学の所業の残酷なことか。

「抵抗を忌避させる心理学」が間違いなく研究されているのでしょう。

(中国はその最先端なんでしょうね。)


人道主義なんてのは、安全な位置にいるもの、支配した者だけの言い草です。

鮒がブラックバスの餌になってしまったように、

釣り人の好奇心から水辺の調和さえ守れなかった我々です。

他国に対して甘すぎであり、お人好しすぎです。


社会が安定し、幸福感が増せば、自然に愛は溢れるものです。

それ無くして特権を主張者たちには、暗々裏に反感だけが増長していく。

来年はそうゆう年にならないことを願います。

12月2日

コンサル会社の倒産 厳しい時代です。

また、記事に対するコメントがなかなか面白く参考になると思います。

チャットGPTは最新のものは特に優秀とのこと。

「頭」だけで生きるというのは難しい時代です。

いくら賢くともAIに勝つのは難しい。

知識や知恵の分野で人が勝てるとしたら「勘(カン)」ぐらいでしょうか。

勘もまた情報の蓄積から生じる吉凶の感覚のようなものですが

AIには痛いとか、苦しいとか、気分が悪いとかの

感覚的な機能が今のところプログラムされていないようなので

勝負するとしたらこの辺でしょう。

(富士通9つの感覚を理解するAIの研究へ)

GPTには勝てないからと色々諦めるのではなく、

我々人類には時の流れに知識を熟成させ、新しい形と知恵を結ぶ

楽しみがあります。




我々人類、頑張りましょうね。

11月29日

明日から(11月30日)から12月3日までの四日間 予告通り無料メール鑑定を行います。

今回はどなたでも参加できます。ご遠慮なくお申し込みください。

どうぞ、こちらの腕試しに来てください。盛り上がりましょう。




生徒さんから「コラム?えーと、なんとか」に書いていただいて......。

と言われ、言いやすい元のタイトルの「コラム」に戻します。

ブログは適当な話題、コラムは推命関係と話題の棲み分けをしようと思い

名称を変えたのですが、あまり意味がなかったようなので元に戻します。

11月25日 2023年

暇と気鬱が続いているので何か良いものはないかと世界の名言集を

ググっていたら瀬戸内寂聴さんの名言がありました。

「私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、これが「因」です。
起こった結果が「果」です。
因果応報というように、必ず結果は来るのです。」

との名言なのですが、実は数日前生徒さんに「知恵」とはなんですかと

質問され、似て非なることを答えたので、参考までに書いておきます。

推命学に携わる者は運勢という視点から「因果」を見ているのですが

因があれば必ず結果が生じるかというと、

そうではないと答えなければなりません。

それは、原因があってもそれを芽吹かす

「縁」がなければ結果は生じないからです。

これを「縁起」と言います。

因果を知り「縁」を変えること。

これが「知恵」だと私は答えました。

それでは推命学であらゆる因果がわかるのか?と

問われれば、人生の一部の因果ならわかるかもしれません。

例えば、夫婦の縁に障害が出やすい人 なんでも途中で投げ出してしまう人

無理を通して嫌われる人 嘘をつきやすい人 いじめられやすい人等々

生活雑貨程度であれば推命家には「因果」がわかるのです。

そして具体的な「縁」の変え方もある程度はアドバイスできるのですが

受け入れるのが難しい。何度も書いた通りです。

自分を変えるなんてのは死ぬより嫌だ。というのが

普通の人ですよ。

ですから、よっぽど悔しい、苦しい、悲しい、機会がないと

真剣に自分に向き合うことができない。

ある意味、

対人関係で起きる災難というのは自分を変える絶好の機会なのです。

さらに、そこで「人としての成長」なんてことに繋げられ

「不幸」に感謝できるようになれば、これはもう達人ですね。

現役の生徒さんも、途中下車の生徒さんも皆さんこのことを忘れないでください。

人生は創造するものであり、人と言う器の中に押し込められた

自由と不自由を知り、その運勢の幅の中で何が可能なのか、

その人にできるのかを一緒になって追求することが我々の仕事です。




さあ、ビールを飲んで元気を出して、また頑張りましょうか。

社会性 11月24日

生徒さんとよく話すのですが、どんなに命式が悪くても

社会性として信用を大事にし、約束を守り、

仕事に真面目に取り組み、常識的な人の道を

踏み外さなければ、誰でも必ず人生を全うできる。

問題は「社会」=「他人」との関係において

常に「社会」が「真っ当」であるとは限らないということです。

対策は「チャットgpt」の最新バージョンに問うのが

最も良いでしょう。そんな時代です。

理論や理屈、道理は大体言語化されています。

それで十分だと思うのですが、感情はなかなかおさまらない。

自分を受け止めてくれる「何か」が足りない。

原始以来の集団生活の名残だと思うのですが我々人間はは常に

自己承認を求める生き物であり、

それを満たすためには「人の情」「生物の温もり」が不可欠なのだと思います。

「CATS」の中でグリザベーラが歌う「memory」の中の

最後のセンテンスにtouch me...という歌詞があり泣かされます。

だから、誰にも触れられなくなってはいけないのです。

怒り、愚痴、威圧、高慢ちき、皮肉屋では人が近寄らない。

まるで自分のことのようですが、孤立、孤独であればこそ

少ない人間関係を大事にし、余計な関係は整理することです。

できるだけ自分は「真っ当な人」としての人生を歩むことです。

そんなのわかっているわい。と怒られるかもしれませんが実は

これは「真っ当な生き方という信念」に

運の悪さを支えてもらってくださいという意味なのです。

運が悪いというのは災難が起きやすいという意味もありますが

人間が卑屈になりやすいという意味でもあるのです

嫉妬、怒り、恨み、妬み、弱いものイジメでストレスを晴らし、

人の悲しむ姿を見て喜んだり、挙げ句の果てに

自分にとって一番大事な人を傷つけチャンスを潰す。

これが運が悪いということです。

これを回避するために「真っ当な人でありたいという信念」が

必要なのです。絶対そうならないと決めること。

だから「信念」なのですよ。

そして、いくら運が良くとも、ちょっとしたきっかけで

誰もがこの「卑屈」な人間になる可能性があることを

覚えておいてください。

逆に言えば、誰もが自分の運を破ることができるのです。

運の良し悪しはともあれ、本人が何を選択するかで人生は決まるのです。

三奇(貴)

大抵の推命書には大吉の星として「三奇(貴)の星」

すなわち、正官 正財 正印(印綬)の三星が示されています。

(最近は少ないかもしれません。昔と変わらないかな。)

しかし何故そうなのかと考える人は少ないように思います。

素晴らしい仕事が得られ(正官)、給料に何の不満なく(正財) 

頭も良く知識も才能もある(印綬) 一点の曇りのない吉星に見えます。

額面はその通りなのです。しかし、「ただし」と言わなければなりません。

ただし、

これは中国で「科挙」という官僚採用試験にに受かる条件

としての最高の星の組み合わせだと誰かが主張したのだと

私には思われるのです。

この組み合わせは条件が揃わない場合はけっこう難しい組み合わせで。

命式のバランスが悪い場合星の短所が現れ、いじめ 借金 

自分勝手等々に変わり 結構苦しい現象が生じる場合がある。

最悪は、

お金に執着し追いかけ(財)、悪知恵(印綬)を使い、捕まる(官)

これも三貴の星の姿なのです。

人の心は悪にもなるし、善にもなる。その人の環境によっても

善悪が変わってくる。我々(鑑定士)の視点は常に

自由でなければ本質が見えなくなり

それが見えないと解決策も揺らぐのです。

人の心の使い方で星は千遍万化する。

他の星にも同様なことが言え、悪神とされるものも

使い方次第なのです。

だから、出版物程度の知識や、考察の足りない伝統的、

固定観念的な知識を後生大事に鑑定の基軸にしてしまうと

何も見えてこないのです。それがなんであれ、

固定観念を外し学んだ理論を繰り返し検証することです。

その上で、どうすれば解決できるのかのポイントを

探すことです。






来年からの新講座の宣伝も兼ねて少しですが洗心庵の推命学の解説を書きました。

エンタメ占いと差別化するため多少難しいことを書いていますが、洗心庵の鑑定法は

原理が単純明快で素直に原理、公式を受け入れて貰えれば、かなり自由自在に

多くの変化に対応できるものです。

素直に理論を受け入れられれば易行門、知らない聞いたことがないを言えば

難行門間違いなしです。本人次第の運勢鑑定の門になります。


月末あたりから希望があればまたメールの無料鑑定をやろうかなと考えています。

入門希望、私の腕試しメール鑑定は常時開いていますのでいつでもどうぞ。


ごんぎつねを読めない子供達 こんな時代です。

岸田首相

この方が首相になった時「分配」の人と評しましたが、

ちゃんとその通りになり、危惧していた通り。

財源は、ちょっと遅らせて「増税」ときました。

あーあと嘆息を漏らしていたら、今度は自分とお仲間へ

お金を配ることを決めてしまった。

ほんまに頼りにしてまっせーそう言いたいのですが.......。



わてほんまによう言わんわ。(「買い物ブギ」から)



笠置シズ子さんのお名前は知っていたのですが、オリジナル音声を

初めてじっくり聞きました。歌に踊り、

本当にハートのある人ですね。なぜか感謝したくなります。

ラッパと娘

銀座カンカン娘 

驚いたことに五代目古今亭志ん生師匠が出演していたます。


ついでと言ってはなんですが

淡谷のり子さん昭和46年の映像ですが昭和12年のものよりはるかにカッコいい。

30年の熟成ですね。

11月2日

推命学の優劣は、医師と同等その診断能力で決まります。

その上で処方箋を出すのですが、医療なら薬 推命学なら

病薬用神(調候用神)を具体的に提案します。

この「用神」に当たるものとは何か?

それぞれの先生方によって実にまちまちです。

風水であれば玄関の間口 門の方位を変え、

使用する部屋を最適化すること等、具体的に答えを

教えてくれます。(在宅で仕事をなさっている方は

風水を学ぶのも良い機会だとと思いますよ。)

問題は、

なんであれ、人の心は際限無く動き続けるということで、

風水が良ければ、もっと良い風水は無いかと、

素人考えで物を動かし、せっかくの吉相を潰して

しまうことがよくあるのです。

これが人の心で、この心を制御するのが「用神」の

正しい使い方だと私は確信しているのですが、

心に制御をかけることは、実に難しい。

一昔前、船井総研の船井幸雄先生が「長所進展法」を

提唱されていて、本人の「長所」を伸ばせば自然に

「短所」は消えていくということを主張されていました。

私もその通りだと思いますが、その長所を

なかなか見つけられない人が多く、逆に短所を

日々進展させている人のなんと多いことか。

これを明確な言葉にすれば、人を傷つけること、言葉でも

暴力でも、態度でも、また、常に怒りを内包したあり方。

昨日の蕨市の立て籠もり犯人の醜悪な面相を見れば

どれだけの怒り、妬み、恨み、つらみを積み重ねてきたか

一目瞭然です。

若い時、どんなに美しい人でも短所を伸ばし続ければ

必ず、あんな顔になっていくものです。

短所の原因は

「怒り」「満足しきれない貪欲さ」「嫉妬」「恨み」

「被害者意識」に尽きます。

それでは人の持つ長所とは何でしょう。

一言で言えば他人に対しても自分に対しても

約束を守ること。固い言葉で言えば「責任と信用」です。

これが社会性、人と人との関係性の基本ですね。

その上で、

相手に「敬意」を持つことに尽きるのではないでしょうか。

本当に、誰に対しても敬意を持つというのは難しく、

実はこれは「平等な心」を養うことに繋がり、

自分の中にある「差別」や「慢心」相手を見下す気持ちを

平らかにする最善の方法なのです。

(極まればキリスト教的なアガペーが完成されるのかもしれません。)

亭主や女房や出来の悪い子、出来の悪い友達に

我々は敬意を持って接しているでしょうか。

こういう事なのです。用神を使うということは。

用神を神秘的な特別なものと理解しているうちは

絶対に推命学を自分のものすることはできないと私は思っています。

皆が知っていて当たり前だけれども、なかなか実行し難いもの、

絶対やりたくない。死んでも奴には頭を下げたくない。と

皆が思っているものに用神のヒントがあるのです。

難しいのは被害者側に自分がいる時、何が自分を助けてくれるのか?

その用神は何かということですね。

「なぜ自分が?」の理由は分かりませんが、自分を守ること。

でも本当の意味で自分を守っているのか?

これを忘れないことです。

少なくとも短所を伸ばさないことだけは確実です。

10月27日

来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが

そろそろ来年の年運が動き始めるので書いておきます

来年は初級教室のレベルを基礎科・鑑定科に分け

講義をしたいと思っています。(テキストは同じものを使います)

現在、初級教室は、生徒さんのレベルに合わせて

講義をしているのですが、内容はトップレベルの

鑑定法です。

特に後半の調候法(実際の原命式の解説)の例題あたりから

生徒さんの実力によっては、かなり本格的な解説になり、

先日も「難しい」との意見をいただきました。「原命式の解説」について

は、既にいくつか公開しましたが、数段階の深さを想定しています。

基礎の段階では、一番重い星との通変星と力量を決めて

用神をとるのですが、実際は、もう少し複雑で、命中の

いくつもの隠れている起爆装置を解除しなければ

用神が使えない場合もあるのです。

現在は、それを含めて教えているのですが、

中には「そんなこと聞いたこともない」と言う生徒さんや

時代に合わないと言うかたもいます。

しかし、その内容はプロになった生徒さんから

「初めは、信じられなかったが、現場では、その通りのことが起きている。

驚いた。」とこちらとしては、蔑まれつつ褒められ、信用のなさを

痛感した覚えがあるのですが、講義内容にはしっかりとした

裏打ちがあるのです。

世の中に氾濫している推命学の知識体系というものはほとんどが

基礎の基礎理論で誰もが手に入れることのできるもので、

その先にある判断や評価としての鑑定法は表に出ていません。

吉の評価、凶の評価はされていますが、

吉凶の具体的な内容はほとんど公開されていません。

本にできる内容などは高が知れているということなのです。

本当に当たり前のことだと思うのですが、血の汗を流して苦労し

身につけたオリジナルです、どんなに人が良くてもヒント程度だと思います。


今後洗心庵ではテキスト基礎のクラスと、鑑定クラスにわけ

「テキスト基礎」は中級に上がることを目指し

それに必要な知識とテキストに則った調候用神法を教えます。

修了者は緒方先生の大崎の中級教室に入り泰山流の師範を目指すことができます。

東京での中級クラスは土曜日限定なので、土曜日に動ける方が対象です。


「鑑定クラス」は従来通り、人とは、人生とは、運命とは何か、

人間の研究に興味のある方、鑑定を通じて身の回りの人社会に

貢献したいという従来通りの方達を対象にします。

それゆえ、かなりレベルの高い内容になると思いますが、

基礎的な鑑定は半年ほどでできるようになると思います。

こちらのクラスは平日と土曜以外の朝から夜まで

予約にて受付いたします。

テキスト修了者は緒方先生の中級クラスへ参加することもできますが、

研究科にそのまま在籍しながら推命学の探求を続けることもできます。

ともに面接の上参加いただきます。


「自分を知るためのコース」は従来通りです。

手前味噌ながら入門には最適なコースだと思います。

10月23日

「雑感」に日付をつけはじめたので、前回からだいぶ経ってるなと。

今月(2023年10月)に入り世界中でいろいろなことが起きていますが、

しばらく前に習近平氏と玄学について書きましたが。

どれだけ優秀なブレーンがいるのか。やはり流石だと思って見ています。

危険時の過ごし方 目立たず、露出を避け、安易に決断しない。

しかし、そうは言っても、我々のような庶民は、運気がどうであろうとも

仕事をしなければ食べていけない悲しい定め。台風が来れば

カッパを羽織り、傘をさし、背中を丸めて風雨をやり過ごす。

これが唯一の生き方でしょう。諦めず、腐らず、楽しみを空想し

夢を見ながら生きる。これも世を渡る一法です。

明日があるさ

力まず、潔く、他人を恨まず 心を軽くして生きたいですね。

怒り恨みは心の中で幾重にも重なり、解放されることなく

閉じて重みを増し、自然に下へ下へと落ちていく。

古代の人は多分これを地獄と呼んだのでしょう。

10月15日

深刻な話ばかりです。困ったものです。

個人同様、解決法は明確なのですが、既得利益を手放すことはできない

絶対にできない。恨みを手放すことはできない。怒りを手放すことができない。

解決法は「できないことばかり。」

冷静に話し合い、自由と権利の範囲をきめ、約束をお互いが守り

血の気の多い連中の管理に責任を持つ。中学生でも見付けられる解です。

長い時間を経た紛争は恨みや怒りが一つの集団を形成し

大きな負のエネルギーを生み出し続ける。

それを掻き回し、思い出させようとする連中が必ず出てきて

怒りの鮮度が繰り返し増していく。

先に書いた個人の心の作用と全く同じことが集団で起きてくる。

抵抗する権利だ、正義だと圏外から煽れば煽るほど

さらなる血が流れるだけです。デモなどやめましょう。

争いを止めるための支援にはなりません。



統計を使った面白い記事を見つけました。出会いの確率

この中に

「相手に求める条件が増えれば増えるほど、運命の人に出会う確率は

爆発的に低くなっていく。」との記述がありました。

私はそもそも「運命の人」というのは「破れ鍋に綴じ蓋」であると

最近は結論づけています。

昔は、お互いが必要な星を持ち合う相性が最善と

思っていましたが、実際を見ると、そうとは言えない場合が多く

どんな相手でも「共に生きる覚悟」次第でどうとでもなると

考えるようになっています。

一時期「ソウルメイト」というのが流行りましたが

「何世にも渡って共通の課題を背負ったもの同士」であり

結婚にたどり着いた夫婦全てがこの関係にあると私は思っています。

その課題の多くが「パートナーと家族を大事にすること」

この一言に尽きると思います。

10月14日

衆寡敵せず

ハマスの侵攻から1週間がたちました。「ガザ」が空爆された時

だいぶ前に見た「ガザの美容室」という映画を

思い出しました。

美容室内のたった一つの風景の中にそれぞれの女性たちの人生を

描いた群像劇だったと思います。

男たちは争いに明け暮れ、女たちの目から見れば

子供の喧嘩の様 意味もないことに血道をあげ

生活も幸せも、そっちのけ そんな日常の中に、

日常の幸せを求め 口紅を塗り パーマをかけ おしゃれをし

鏡の中の自分と向き合い 微笑み 喜びを噛み締める

美容院の窓の外は銃撃の音、火薬と鉄の焼ける匂いに満ちている

そして今、その街が跡形もなく消えようとしている。

争いに夢中な男どものために。

本当にやるせない気持ちになります。

男どもは正義は自分達にあり、死を恐れない

自分こそ真の英雄だと、軽装備の武器で戦争を始めてしまった

どう終わらせるつもりなのでしょうか。

「衆寡敵せず」教室のテキストの中に出てくる言葉ですが

 実際に本当に重要な言葉なのです。

そして、その強敵をいかにして自家薬籠中のものにするのか?

これが推命家の課題なのです。





しばらくすればわかると思うのですが、彼らに武器を提供し、

その気にさせた連中が許せません。

10月8日 激しい感情

激しい感情を微細な感情に溶け込ませることを書きましたが、

我々は普段、この激しい感情をどう処理しているかというと、

「モノや誰かに当たる」ことで解消しているのです。

身に覚えがある人、けっこう多いのではないでしょうか。

当たる方はいいですが。当たられる方は良い迷惑ですね。

会社や家の中に煽り運転をする奴がいる。そんな感じですね。

これだけでも大変なストレスですが、本人にとっては

それがフラストレーションの解消になっている

(フラストレーションも最近聞かない言葉になっていますね。)

「荒いエネルギー」の処理方法は先に書いた分析的な手法が一つ。

 他に運動による方法があると思います。

(私が勝手に思っていることですが、効き目はあります。)

それはより激しい運動を自分に課す方法、肉体的刺激という言い方も

できると思います。一定のリズム(規律)を肉体的に課す方法なのですが、

実は大抵の方は、既に体験していて一定の運動エネルギーこれは

ジョギングやマラソン。リズムー体育の必修科目であるダンス

(2012年からの必修科目とのこと。)

そしてカラオケ。歌うことによる発散ですね。

歌い踊ること。激しい運動波による感情波の打ち消し。

怒りにしても、嫉妬や執着にしても、強い感情というのは

心を支配する波のようなものです。本来の感情は、意識しない限り

早ければ一瞬で、遅くとも2、3日で消えていく。

だから人は、何度も何度も憎い相手を思い出す作業を無意識に

自分に強いている。自身の中の「何か」が消えることをを許さない。

それを自分で見つける作業をし感情を手放すというのが

分析的な手法の原理であり、一方で肉体に直接働きかけて、感情の波を

鎮めてしまおうというのが運動を介する方法。

物理的には人は原子でできている「物体」ですね。

物体であれば物理法則がそこには必ず成立するはずです。

ここで大事なのは「波の干渉」により負の感情を強めることを

回避すること。一切のものには正と負の二面性がある。

打ち消し合うことを意図するとことがこの場合の「正」になり、

「負」であれば感情をさらに害することになる。

こんな所からも「自分が意図する」こと「ゼロ」になることを

意図すること。

今の作業に夢中になること。悪意の突き入る隙を与えないこと。

「それ(歌やダンス)以外は無になること」が大切です。

集中してください。

本当に単純ですが、この原理が理解できれば、なんであれ

夢中になれる趣味を持つことの大切さがわかると思います。

日常を「忘れる時間を持つ」という「気づき」。

趣味、旅行、家具の環境を変えること。等々

意識的にチャレンジしてみてください。

ただし現在順調な方ならば、これらは不必要です。

返って、「より良くなりたい欲」が仇(あだ)となり、現状を自ら壊す人を

時々見受けられます。

現状が良いのなら、人にも物にも「感謝」し細心の注意を払い

現状を維持することです。

運勢に使われること是非是非超えてください。

2023年10月3日

昨日前々から危惧していた言葉を生徒さんから聞いて

これ、絶対書いとかなきゃと思い立ったことがあります。

誰もが社会生活の中で、摩擦が起き多少なりとも

敵対関係になる場合がある。

もし、その時、我々のような命学を学んでいるものが、

それを使い、相手を傷つける意図を持って、仕返し、

侮辱すようなことをやったり言った場合

本人の鑑定技術は必ず濁ります。具体的な濁りの意味を言うならば、

依頼者の相談に出てくる問題の相手が自分が知っている人、

似たような相手、自分を傷つけた者、ほんの少しでも、

その相談者の敵対する相手に自分の時と似ている場合

間違いなく、そこにアンコンシャス・バイアスが生じます。

相手を攻撃の対象として認識し、冷静な判断ができなくなるのです。

誰にでも必ず似た点はあるもので、一時が万事となってしまう。

この意味で特に怒りが内在している人には注意が必要です。

これをやれば必ず何倍もの形で自分に帰ってきてしまう。

占いや鑑定の仕事を始める動機として多くの人は「人の役に立ちたい」と

願い、それが天に届いてプロの鑑定士、占い師になれた。

(この動機でなくとも相手はそう思って相談に来るものです)

そう成れたにも関わらず他人を傷つけること、利用して

お金を儲けることに学びを使えば「天に唾を吐く」行為となり

自分の運を必ず壊してしまう。(保証します) 

ですから、

普段の生活で見聞きしたこと、起きた事件を通して

人の運勢をさらに理解し、運命の改善方法を意図し

工夫し続け「善なるあり方」を意図することが

自分自身を助けること、能力を上げることにつながるのです。

「因果の法則」だけは間違いなくある。

(「善」とは何かは「十不善」「十善業」を調べてください。)

私なども、自分は元々は悪人だと自覚していますが、

「善なるあり方」を意図した人生を歩んできたおかげで

多少なりとも人のお役に立てているつもりでいます。

(人生ですから私を嫌う相手ももちろんいます。)

たくさんの占い師さんを見てきましたが、本当に、

「無意識の偏見」に呑まれ自分のことは全く分からないという人が多い。

ここに気が付けば、だいぶ自分が楽になれるのですよ。

「目が開いてくる」とでも言えばいいでしょうか。

時々、自分自身の傷を思い返してみてください。その痛みを、

他人で晴らしていないか、誰かに「イメージ」を被せていないか

検討してみてください。もし怒りに苛まれているのであれば、

「怒りの対象」ではなく

(怒りの対象を見つめ続ける限り怒りはエンドレスです。消えません。)

自分自身の怒りー自分にとっての怒りとは何か?怒りの価値 

自尊心と怒り 自己執着としての怒り 自己肯定 自己主張としての怒り 

自意識過剰 承認欲求 自己顕示欲としての怒り 等々 怒りの視点を

自分自身に向ける。自己に直面し、自分を見つめてみてください。

怒りとは荒い思考で、分析は微細な思考になります。

微細な思考を意図することにより、荒い思考の波は和らいで行く。

うまくいけば微細な思考に溶けていく。

「怒り」という現象を視点の変更により操作する方法です。

これは「激しい感情」全てに使える方法です。試してみてください。

よもやま相談

よもやま相談のお知らせ。2023年10月4日

(だいぶ前の記事なので、多少改訂して再度掲載いたします。)

ーー研究科、初級講座の生徒さん お休み中の生徒さん。

(多少は病気の相談にも乗れると思います。)

何やら人生に迷った時、お金はいりません。

何なりと相談に乗ります。遠慮なくご相談ください。

(途中下車の生徒さんは現役生を優先したいので、ごめんなさい。)




一一いちど有料鑑定を受けたことのある方。

(参考までに、いつ頃か教えてください。)

費用は、しばらくは二千円ぐらいにしておきます。

メールでのご相談に限りますが、ご了承ください。

全て私自身だけがメールを開封し、答えさせていただいています。

コンピューターの解答ではありません。


人生に目標を持つことが大切です。なんでもいいのですが、

目標がわからないというのであれば。

「清らかで温かい人になること。」

この目標はいかがでしょうか。

無料鑑定への感謝

無料鑑定へご参加くださった方達へ感謝申し上げます。

9月、ひと月でしたが、それぞれの心の秘密を打ち明けてくださり、

こちらを信用してくださったことに感謝いたします。

多少は人生のお手伝いができたでしょうか?

そうであれば幸いです。


入門希望者には引き続き、こちらの腕試し無料鑑定を継続いたします。

その場合、「入門希望」とメールには書いてください。

私は大和オノコ故「言霊」への絶大の信頼を持っており、

日本人である誇りとして自分の言葉への責任を持つものです。

それゆえエンタメに金儲けなどの浅薄な動機での入門は、

決して受けないと強く心に決めたところです。

従って受け入れた人には包み隠さず、世の中に知られていない

私が見つけたオリジナルの推命学の核心を伝える覚悟でいます。

是非お試し鑑定に応募ください。楽しみにしています。



無料鑑定にもかかわらず、わざわざ返信と感想を送ってくださった方、

こちらこそ感激です。ありがとうございました。

この国はまだまだ大丈夫ですね。

皆様のお叱りや、喜びのお声が私の力の源泉になっています。

ご質問以外には、しつこくなるので返信をいたしませんが、

御礼と感謝をここに述べさせていただきます。

皆様の人生が順調に進み、「和」に満ちた人生であることを心より

祈念いたします。

風水 現代中国の共産主義

2023年9月25日

無料鑑定もあと5日 どしどしご応募ください。

推命学の教室を探している人のお試し相談も大歓迎です。



習近平の父の墓10年前の記事ですが前に

コラムに書いたことがあるのを覚えていますか?

今年(2023年)に入ってからの周さんの動きを見ていると

彼には、かなり優秀な中華哲学のブレーンがいるようです。

そして、とても信頼しているようですね。

これはYouTubeの「推背図」の解説にある通りなのですが

命式を見ても特に今月来月は危険を回避する月周りで

ブレーンから警戒信号が出されているのかもしれません。

ただ、これをなん度もやってると迷信を信じる「非科学的」な

旧態依然の「迷信」を信じる共産党員にあるまじき態度と

誹りを受けることもあるでしょう。

何と言っても「共産主義」は科学なのですから。

党首には相応しくないと突っ込む党員がいないのであれば

筋の通った共産主義者はいないことになります。


「矛盾」とはこのことですね。

2023年9月23日

無料鑑定を受けて驚いている方(かた)が多いようです。

なかなか良い反応をいただいています。

あと一週間は無料なので 是非ご縁のある人にご紹介ください。

誠意を持って無料でお答えいたします。

あと7日は聖人君子を装いますが、来月は一般人に戻ります(ジョークです。)

無料鑑定 9月21日 2023年

今月(2023年9月)もあと9日無料鑑定の終了日が近づいています。

遠慮なさらずお申し込みくださいね。




さて、我々は誰にも子供の時代があり、過去が

現在を形作っています。誰も否定できないことです。

もし、現在、何らかのトラブルが起きているとしたら、

過去のどこかに原因があるのかも知れません。

不適切な親の養育である場合は

かなり重い枷になっていると考えられる。大人になった本人には自覚は薄いですが、

実質的な、かなり決定的な影響をここから受けている場合があり、

積極的に自らその影響に気づこうとしなければただの過去話になってしまいます。

怒り、動揺のキッカケ、自らの地雷原等々、コントロールし難い感情のスイッチが

この養育時の「枷(かせ)」に起因している場合がある。

子供の頃からの責任転嫁癖も、自惚れた自尊心も同様です。

京アニ事件の犯人の裁判における供述が如実にこれを語ったいます。

猜疑心と被害者意識、自己正当化、どうにもなりません。

大人になり、これに気づき、自らこの改善に臨んでいれば、

こんな悲しい事件は起きなかったはずです。

可能性は無限大といいますが、短所を訂正し、長所を伸ばす努力をすれば

可能性は無限大ですが、短所がそのままであれば、その短所もまた成長し

可能性を潰す爆弾になってしまう。運を壊してしまう。

短所の多くは他への攻撃性、破壊的感情、支配欲に現れてきます。

これを通変星に直すと食傷と財になるのです。

こんなこと聞いたことがないと言う人も多いと思いますが、

私はそう解釈しているのです。加害者は暴力で支配することが

楽しい。だから、すぐにはやめることは無いのです。

けれども最初だけは心の痛みを感じる、この時、

咎(とが)めなければ、すぐに行為に慣れ「後悔」が消えてしまう。

ですからこの初手を封じることが関係者に課せられている事なのです。

男女問題も同じで、初手にNOをいえるか言えないかで

その後の関係性が決まってきます。特にお金の貸し借りにこれが現れる。

お金を貸せとか、物を欲しがる男(女)性には注意が必要です。

誠実であることが美徳とされる教育は、今はなされていないようです。

美しい国日本、技術大国日本はどこに行ってしまったのでしょうか。

もうYouTubeの中にしか無いのかもしれませんね。



小さな子供さんを持つ親御さんはリンクをよく読んでくださいね。

あなた方の言葉が子供の未来を作り、ひいてはあなた方の老後を

決定する可能性があるのです。子供を壊してはいけません。

研究科 解除コード

3年ぶりに研究科の解除コードを変更しました。

洗心庵の現役の生徒さん、現役でお休み中の生徒さんに限りますが、

メールでお問い合わせください。

駄文(コラム)はブログに移動しました。

負の連鎖

無料鑑定継続中です。相変わらず希望者が少ないので、人気の無さに

辟易しています。あまり怖くないし、優しく答えます。恋愛の話でも

大丈夫。相手の心が知りたいでも、うまくいくかしら?でもいいですよ。

離婚したい。という場合は、それぞれの長短を知ってもらうので、

ちょっと厳しい答えになるかもしれません。適職は適職でわかるのですが

職業環境の厳しさを鑑みると、お勧めできないこともある。

宗教を無理強いしたり、変な暗示をかけたり、霊障だとかは言いません。

(だから記録が残るメール鑑定に限定しています。)

いつも優しい気持ちを心がけて(いるつもりで)います。

みなさまお待ちしています。





ここから空気が変わるので、体調の悪い方は読まないでください。




負の連鎖

因果というのものは本当に不思議なもの。

某タレント事務所もまた不思議な形で帳尻合わせが発動中です。

誰かが罪を犯しその余録で食うものがいるならば、

その中の誰かがその始末をさせられる。

因果応報の明確な実例です。そして、罪を犯した本人自身が

罪の罰を受けるのなら、まだ納得できますが「業」には形が無いだけに、

世代を超えて蠕動し弱いところに根を生やす。ここが怖いところなのです。

しかし、あらゆる全てに陰陽があり真反対の善なるエネルギー(これが徳)もまた、

血縁子孫に繋がっていく。

良き才能と呼ばれているもの。これもまた因果応報であり

一つのことをやり抜く努力が縁になり、その徳を花開かせる

そして、誰にも間違いなく、この「徳」が備わっている。

徳を育てるか、業を育てるか、怒りは「業」を育て、優しい心は

「徳」を育てます。これは信心ではありません。

(ダライラマがよくお使いになっている言葉です。自然の摂理です)



Amazon Prme Videoに「無聲」という台湾映画があります。

多くの賞を獲得したとのことで見たのですが、なかなか、

困った映画でした。Wikipediaにもあらすじが載っています。

しかしラストが映像とは違っています。

「自分から求めた。」

究極的には加害者を愛することで昇華しようとする、自分を守るための

心の仕組みが負の連環に組み込まれている。

本当に救いが無い現実。負の継承。

一度ついた過去の傷を、今の人生と区別できれば、

いくらかは楽になれるのですが........。

大人になること、今の自分より、より大きな心を育み苦しみを許容できる

大人になること。学び、考え、受け入れることで必ず達成できます。

世間から身を守るために「自分」を包んだ殻を拡げることです。

 

無料鑑定

先月(2023年8月)あたりからメール鑑定でのQ &Aの返信が無くなり

「あれれ?」と思い始めています。

今までもあったことなのですが、週内に重なり、

鑑定内容、大きく外れて怒っているのかな? 

当たりすぎて怖くなったのかな?等々

こちらに都合の良いことばかりを考えていたのですが

依頼した人たちに、「だました。」と

罪の意識を持たれるのも申し訳ないので、

(「罪の意識」は自分を罰するために同じような事を別の場所でやり続けるものです。

 心の核はそのくらい繊細で、愛しく、正直なのです。

 自分を罰して日常に折り合いをつけ縁ある人に悪態をつく。

 さらに負の連鎖が切れにくくなる。)


機が重なるのは良い機会なので、

一ヶ月ぐらいは良いかなと洗心庵コラムの愛読者サービスとして

メール鑑定限定で9月いっぱい無料で鑑定(通常2万5千円の鑑定)をいたします。

推命学の範疇はとても広いので「何を知りたいのか」必ずお書きください。

(浮気の有無など秘密の暴露系についてはお答えできません。ご本人の抱えている問題に関しては何でもお問い合わせください。多分お答えできると思います。)

一般の方はご遠慮なくお申し込みください。

(生徒、元生徒の方はご遠慮ください。)

そういうわけで、

鑑定後質問があれば遠慮なく質問してください。従来通りです。

無料鑑定ですので、こちらも鑑定料や返信を期待しないので

気持ちよく鑑定できます。


なお入門を決められた方でご希望の方には漏れなく

「金剛寿命陀羅尼経」または「観音経」を差し上げます。

「自我偈」も押しのお経ですが身に付けてお守りになるお経

ということでこの二つにしました。

初級教室

新入門者を募集いたします。

(お休み中の生徒さんの席は確保してありますので安心してお休みください。)

入門などというのも、こちらの実力がわからなければ

無理でしょうから、希望者に関しては、運勢鑑定をメールにて

(下記のメール鑑定フォームをご利用ください)無料で実施いたします。

その結果でご判断ください。

個人対応の講義になりますので入門希望者には

一度面接を実施した上で入門の可否を決めさせていただきたいと思います。

これも無料です。(2023年は出来る限りこのスタイルで行く予定です。)

地方の方はスカイプでの受講も可能ですので奮ってお申し込みください。

入門希望の方に対しては当面この方式にて対応いたします。

メール鑑定フォーム 時間もわかるのであればご記入ください

「自分を知るためのコース」は従来通り

推命学の知識を使って自己発見に至るためのコースになります。

奮ってご参加ください。




洗心庵 今野

入門、自知コース

「自知コース」

受けた人には評判が良いのですが、

なんせ、人が集まらないもので、少し宣伝しておきます。

(私の不徳の至りです。時々書くことは過激で怪しいとも思いますが、

(多分)人当たりも良いし、そんなに怖くもないんですけどね。)



四柱推命教室からの抜粋です。料金等はこちらで確認してください


入門クラスー自分を知るための四柱推命入門講座ー

「自分を知ることが大事なことです。」と

あちこちで書いているのですが、

どうやれば自分を知ることができるのか?

「信用の置ける運勢鑑定を受けること」

でも、この「信用」というのも問題で、

人は、どうしても、「評判」を優先させるところがあり、

さらに、運があまり良くない人は、

あまり良くない人を選びやすいのです。

また、運勢鑑定を受ける機会にしても、

.....ウ〜ン.......。

この「機会」というのがなかなか難しく厄介で、

大抵は思いがけないトラブル、不運、

縁の破局など、よほどのことが無ければ

自分と向き合い、さらに誰かに相談しようなどとは

思いません。

「転ばぬ先の杖」とはよく言いますが、

こんな風に転ばないと、機会が生まれないのでは

ショウガナイですよね。

ずっと考えていたんですが、現在開いている入門コースとは別に

「自分を知るための四柱推命入門講座」を

併設したいと思います。

「自分を知ること」をメインテーマした講座です。

全4回の講義になり従来通り基礎理論から

大運の出し方まで学んでもらい、

鑑定の根拠を明らかにし、自分で

自身の運勢を理解できるようにするのが目標になります。

修了者は引き続き「本科生」として、

さらに「人」をより深く理解するための

学習を継続することができます。

いつから始めるかは希望者次第(随時受付)なので、

いつでもお申し込みください。

鑑定について

鑑定の一番難しい面は、相談者が苦しみの原因に

気づけるかどうか、そしてそこから抜け出す

努力ができるかどうかです。そして鑑定士は

何を以て人生の改善を相談者に提案するのか?

これが問題です。

占いビジネスが流行っているようですが、

人の相談に乗りたい。寄り添ってあげたい。

これもとても大事なことですが、人生の改善法を

提案できればベストなのでは無いでしょうか。

そのためには揺るがない「志(こころざし)」が

必要です。動機はお金のためであっても

誰かの役に立ちたいという思い。

これが無いと、多くは途中下車するか、勘違いして

墓穴を掘るかになります。強い人ほどそうなりやすい。

そのくらい改善を目指す鑑定は命を削るものなのです。

真摯に相手の苦しみの原因を見つめれば

見つめるほど人の持つ業の深さにため息が漏れる。

儒教的な決定された運命論、宿命論

「苦しいのは生まれながらに卑しいからだ。

運命は決まっているのだ。」では、どうしようもない。

一切は無常、変化し続けるというのが自然の法則であり、

運命は決定しているという先入観、現実は変えようが無いという

固定観念を捨てることが、我々に課せられていることなのです。

そうでなければ、楽に溺れることだけが苦の対処法に

なってしまう。実際、その被害者たちを何人も見てきました。

「こころざし」がなければ到底、無理な話なのです。


「未来は、今ある自分の心から生まれる。」

そう信じることです。

苦い思いを抱きつつ生きる現在であっても

苦い思いは過去であり、それは未来にはありません。

ただ同じ苦しみが起きるかもしれないという恐怖が

明るい未来を拒んでしまう。そして、いつまでたっても

みそくそ一緒の未来になってしまう。

区別する作業が必要です。

その方法は信頼できる人に静かに聞き役になって

聞いてもらうことです。

そのような人がいないなら、お寺や

神社に行って神様や仏様に聞いてもらうことです。

これが結構効き目があるんですよ。

大丈夫です。今こそ勇気を出してください。

慢心 8月17日

甲子園が始まり、お盆が終わる頃3回戦が始まり、ベスト8、

ベスト4 準決 決勝とともに夏休みの終わりが近づいてきます。

毎年繰り返される夏の終わりの行事ですね。


古典を知らなくとも古典の風習が残っていた「時代」に育った

我々世代の文化(言葉 考え方)と、望めば、あらゆる情報に

アクセスできる新世代とは自然な形で既に「分断」されている

と最近は思っています。

推命学も、そうであれば面白いのですが

古典に重きを置くが故にいまだに間違った理論を

正しいと思い込んでいる人たちが多く現実で検証しないことが、

その理由だと思っています。

気になる人がいれば、自分で命式を出し研究してください。


運を壊すものとして「怒り」について何度か書いてきましたが

そのきっかけとなる最大のものが「慢心」になります

よく言えば「プライド」「自尊心」悪く言えば「他人と比べる癖」です

これが今、世界を分断している最大の原因であり

これに反応して「嫉妬」「妬み」「ヒガミ」「被害者意識」

さらに高揚して自主性の否定による「責任転嫁」にまで発展し

原因が、何故苦しんでいるのかが見えなくなり感情だけが激走し

出口の見えないトンネルに入ってしまう。


先に「分断」と書きましたが収入の格差を「心の貧しさ」と

同根にしてしまっているのが政治のせいにしたいマスコミの

成せる技で、高収入を「運の良い人」とどこかで信じこませきた。

誰のコラムでしたか高級外車に乗っていた女性が信号待ちで

車の灰皿の吸い殻を窓から道端に捨てていたと書いていましたが、

そんなもんです。哀れとしか言いようがない。

環境や他人に配慮できない人は 心の貧しい人です。

大抵は自分のグループの中だけで権勢を誇り、

最終的には孤立しやすい。いわゆる」社会性を学び

身につけられれば、これは回避できると思います。


本当の「運」の良い人は人の痛みがわかり、そして

自分の努力を惜しまない心の豊かな人のことなのです。

財(お金)官(地位)印(学歴)が揃った倫理道徳感のない

連中がどれだけ多いことか問題を起こした政治家先生、

捕まったり逃亡した元大企業の経営者を見れば

一目瞭然ではないでしょうか。これが慢心を起こしてしまった

「貴格」と言われる人の成れの果ての姿です。

これが従来の鑑定の限界です。

本当はこんな雲の上の人達の話はどうでもよく

夫婦、親子、仕事場、あらゆる身近な日常での

人間関係にこの「慢心」の現象が起きていて

ある人は加害の立場、ある人は被害の立場になっていることを

自分のこととして認識してほしいのです。

特に鑑定士を目指す方は自分ごととして認識してください。

もう一度自分自身を見つめること。どうすれば円満な

日常が過ごせるのかが怒りの次に追求するべき課題です。

繰り返し述べますが、

財官印さえ命中に揃えば幸せになれるなどという幻想は捨ててください。

大事なのは社会性とコミュニケーション能力です。

人間関係において運が悪いと自覚があるのであれば、落ち込む前に

啓蒙本ではなく処世術を学んでください。

ユーモワを学ぶことです。

推命学の難しさ

今年も10日を切るほど押し迫り、(2022年12月の記事です)

あれをしなければ、これをしなければと焦る気持ちばかりが

先立つ日々です。

とりあえず推命学について思うことを書いておきます。

推命学を学んでみると、

その内容は実に単純で固定された解釈は無く、固定された解釈を

すればする程、現実との乖離が生じ当たらなくなります。

四柱推命は学問は立派だが当たらないと言われる所以です。

残念ですね。学理がさらに整理され統一されている運命学にも

同じことが言えるのではないでしょうか。

問題は

「運勢には吉凶があっても、その人物の善悪には関係ない」

この辺りの誤解から始まっているのだと思います。

強運の人が善人とは限らない。弱運の人に運がないとは言えない。

「泥棒は吉運の時大儲けし、凶運に入ると捕まる。」

こう言えば理解しやすいかもしれません。

泥棒は善人ではありません。

そして運勢によって泥棒になっている訳でもない。

もし運勢によってならば、その日の同じ時間に生れた者は

全て泥棒になるということです。矛盾はないと思います。

世の中には間違いなく一等の宝くじに当たる人がいる。

ラッキーであることに間違いはありません。

年収が何十億という経営者もいます。そして普通に

退職金を何百、何千万ともらっている人達もいる。

羨ましいと思うかもしれませんが、

本人にしてみれば長年の奉職の結果であり原因がはっきりしているもの

仏教で言うところの異熟果と同じ物です。

今生での積み重ねの結果が「退職金」という形で生まれ、

信じるか信じないかは別にし、同様の構造が

前生と今生という時間を超え今生で様々な形を結び

我々の目の前にただ現れている。これが因果と呼ばれる理論です。

こう考えると、現世での不公平に納得せざる負えない。

( 実はこのような考え方が世界共通の階級制度の源泉であり、

  お釈迦様はこれに反旗を翻しました。

  解放されるためのの具体的な解決法を示し、

  解き放たれた状態を涅槃と読んだのです。

  極楽を天国のようなものと誤解している人達も多いと思いますが、

  極楽な状態(心が一切から自由になること)があるだけで、

  そんなもの(場所)は無いのです。真宗系の方には申し訳ありません、
  
  あくまでも私の私見です。)


「あらゆる現象は自分自身の心から生じる。」

お釈迦さまの言行録である法句経の一番最初に書かれている

言葉です。

これか本当なら実に恐ろしいことです。

悪口お兄さんがM1チャンピオンになりましたが

我々の生活の中にも同じような人達がたくさんいますね、

罵詈雑言のコメントを日常書き込んでいる人達、

そこまでいかなくとも、日々怒りに駆られている人達

少なくとも、その数分は怒りに燃えている訳ですから、

それが繰り返されれば自然に日常が怒りに覆われるのが

自然でしょう。親への不満等々怒りが日常になれば

普段は常識を纏って生きていても、何かの拍子に積んできたものが現れる。

これが業というもので時々晒される我々の姿です。

怒りや、執着や、妬みの感情であり、自分を

汚し、不快にしてしまう様々な心の状態のことですね。

原名式に現れるのは実はこの心の傾向なのです。

しかし、

その同じ星が人を愛する星でもあり、尽くす星でもあり

自己犠牲や正義に殉じる星、人としての尊さを

象徴する星でもあるのです。

ここに気付けなければ人を知ることもできず、

ましてや人を生かす鑑定はできません。

そして何故その違いが現れるのか?

ここを追求することです。

固定された解釈に関わらず、

めんどくさいと言わず追求し答えを見つけてください。

人の見方が何重にも変わってくると思います。

どのような運命学の流派、鑑定法であれ、

諦めずに追求すれば必ず成果は得られると思います。




追記

推命学に関する記述はどこまでも私自身の見解です。

誤解のないようお願いいたします。

夜と霧2(改訂)

改めて「夜と霧」を読みました。

新版が出ているとのことでAmazonで購入

是非、最後まで読んでください。

占いや鑑定でプロを目指す人には必読の書です。

繰り返しますが、気分が悪くなっても最後まで読むこと。

最後に色々なものから解放されます。大きな「救い」のある本です。

飛ばし読みでは解りません。

現在 どん詰まりにいる人にも勧めます。


推命学の奥義や 秘伝を追いかける人達を、たまに見かけます

勉強熱心で良いと思うのですが、それでは片手落ちになり

自分も相談者も守れません。

運勢鑑定は結局最後は自分との戦いになるのです。

それは相手を尊重するか自分を尊重するかの戦いとも言え、

この修羅場を

くぐり抜けるためには自身の人間力を高めるしかありません。

それが出来ずに心を病んでしまった占い師さんを

私は沢山見て来ています。また本当に恥ずかしいことですが

開き直って不善の道に相談者を導いている先生方もいる。

人として自分自身を鍛えること。大事なことです。

2023年 7月22日

リモート

暑い日が続きます。

外出自体が害になりそうな今日この頃

リモートをご希望の方はお申し出ください。

多少繋がりが悪いですがスカイプでの講義となります。




お知らせ

泰山流 緒方先生の新しい万年暦が出版されました。

1940年から2049年までの内容です



金剛寿命陀羅尼経 ここにあるように平安時代から大事にされてきたお経です

四苦のうち「死」に対する対処法として説かれたお経で、

様々な功徳があり、あらゆる霊的な障害より守られるとされています。

体験談や現代語訳がネットにも出ています。

ネットの通販でもお経の専門店でも千円以下で手に入ります

厳しい職場(学校)や危険な仕事に行かれるとき携帯されることを

お勧めいたします。

占いとの相性

2023年6月14日

占いビジネスがとても盛んになり資格講座まで生まれています

コロナ禍による不安からビジネスチャンスとなっているのでしょう。

それはそれで結構な話だと思います。

ただし、安易な謳い文句にのってしまうと辛いことになるので

注意を喚起しておきます

「なんちゃって占い師」と自虐的にいっていた人達を

何人も見てきており かなり詳細なテキストであっても

応用力 発想力が苦手な人にとっては、それを説明する

先生が必ず必要になります 2、3回のスクーリングでは

まず無理です 知識だけが積み重なり、特に「四柱推命」などの

同じ看板でも内容に天と地ほど差があるものなのです

本来の推命学は安心立命を求める学問であり

未来に起きるであろうことを運勢から想定し、その

運を変える技術というのが推命学の本質だからです

(こう書いても、結局 信じる信じないになりますね。)

だからこそ、推命家というのは日々研鑽と探求をし続けているのです


占い師を目指す方に、すこしアドバイスを書いておきます

数理に強い人 疑い深い人 連想や想定が

苦手な人には西洋「占い」が向いています。西洋占星術は主に

実際の星 星座をつかうので疑いようがなく、過去のデーターも

膨大で オープン化されていて口伝や奥殿などの個人的な隠し事が

ほぼ無いと言われているようです

西洋占星術は一言でいえば「理数系のクール」な人に向いている。

これに対し古典好き 想像好き 物語を作るのが好きな人

連想力 人との関係に暖かさを好む人は東洋占術が向いていると思います

文系そのものですね。

(紫微斗数などの東洋占星術もありますが同様に考えてください

 実星を扱う占星術は数理的な能力がやはり求められると思います。)


自分に合っている術 相性の良い占術を見つける目安にしてください

最後に

四柱推命の力量の変化を数理で追うことはほぼ不可能であることを

お伝えしておきます それは、五行は日々変化し 本人の行動により

さらに変化し続けるからです 数理で追えば必ず迷う 保証します

この教室では その変化を把握し 事実を知る探究をしています

実際の話予備知識が無い人の方が身につける速度は早いようです


すでに一杯になったコップに新しい水はそそげません

悪しからずご察し下さい

推命学

推命学を学ぶ方達への助言です

特に他流派の知識が豊富な方達が陥りがちな

共通点があり、それは言葉での知識はあるが

使うことができない。

その理由は「良い事だけ聞きたい。」という

我々の持つ本能のようなものだと思います。

通変星の解釈がその代表なのですが、

財星は財に恵まれる星 素晴らしい。

で思考が止まってしまう。

「財」は下手を打つと首元に刃を

引き寄せる星であることを忘れてしまう

また、印星は知識 学習の星と言われています

もちろんその一面もあるのですが、

本人が自立していなければ、労力を嫌う

(勉強嫌い 悪知恵の働く人)

他人を利用して生活しようとする

依存型の御し難い人物になります

また、自立心が強すぎれば他を押し除け

身内の利のみを考える人 さらに強ければ

自分だけの利益を望む 身内でも自分の

犠牲にしてしまい結局「喜び」全てが気泡に帰してしまう。

全ての星には、これら吉凶の二面生があり、

この選択は、実はその人が受けた教育や

人生における学びにより決まるものです。

運勢だけが原因では無いということで、

当事者である本人が自分自信を理解し心を整えれば

運勢は変わる。持って生まれた星の善なる

部分が自然に現れてくる。

(教育の意味は人間教育という意味で

学歴のことではありません。学歴は時に、

そのプライドを優先させ最悪の選択を迫る。)


前回 平常時 攻勢時 守勢時でのあり方を知ると

書きましたが、実はこのことなのです。

そして、どれだけ我々は「学び」を人ごとと

しているのかが明確に見えてくる。

自分の命式を見て、普段の自分、怒った時の自分 

怒られた時の自分の姿はどの星によって動いているのかを

自分に問えばいい。

それに対応する知識がそれまでの学習に無いのであれば

何かが足りない学びの内容となる。これが学びと知識を

検証することになる。



ここまで書けば誤解はないですね。

そして自分以外の人も同様である。

これは他人の境遇をただ憐れむ心では無く

根拠のある慈心と悲心に変わるよう心を

鍛えることです。

良いことばかりを集めたり、隠し事を探すような

推命学は実に不本意です。

机上の知識どまりでは、モノの役に立ちません。

だいぶ老いてきましたが、食われても

栄養になる程度の肉は残っています。

あまえず へつらわず

是非食らいついてきて下さい。


お休み中の生徒さん達も遠慮なさらずに連絡くださいね。

命学を学んで1

四柱推命に限らず「命学」を学んでいる方達は

「的(まと)」を絞り、当てることを第一に考えます。

的とはいつ結婚できるか、いつお金が入るか、出世できるか。

人の「希望(のぞみ)」の成就する時期を言います。

それがわかれば、こんな楽しいことはありません。

ダイヤモンドが自分の中にはあるんだ。

素敵ですね。

しかし、どうすればそれが手に入るのか?

運勢の中にはそれがあるはずだったのに

手にできなかったのは何故か?

答えは簡単です。皆が皆知っているように、

人生は、そんなに甘いもんじゃないからです。

どうすれば?どうすれば?と考えるうちに歳をとり

知らないうちに頭が真っ白になり、ジジイ、ババアに

なっていく。そんなものです。

先日、ついに私もシルバーシートを譲ってもらいました。

「ジジイ」を指摘されたショックなのか、

そこに一度も座ったことが無いゆえか

座ることはできませんでした。しかし、

そのうち、当たり前のように、座らせろと心の中で

呟くようになるのでしょう。

今までの人生で自分は何をしてきたのだろうかと問うとき

名誉もお金も人に誇ることもないのですが、

幸運だったと思うことは、

全てが縁によって生じ、縁を作らなければ

悪縁であれ善縁であれ絶対に生じない。

この「因果律」「縁起」という考え方に「信」を

置けたことにあると思います。

ただ残念ですが、これは自分以外には効きません。

本人が自覚しない限り生じない「自助の力」なのです。

そして、このおかげで推命学がよくわかるようになりました。

どんな悪星でも、悪縁を作らなければ発動しない。

富貴の星でも努力という縁を作らなければ

富貴は生じない。良縁は善意の積み重ねの上に生じ

悪意は良縁を削ってしまうのです。

人は考える葦であり、弱く、しぶとく、生きてる限り、

あっという間に現状に飽き、風に揺られながら、

頭の中は目の前の景色と違う、未来への「期待」と

「恐れ」を探し続け、引き寄せてしまっている。

尽きることのない我々の心象風景ですね。

幻想

以前から時々

自分には推命学で吉星とされる正官、正財、印綬が

ついているのですが、そこまですごいことはありません。

どうしてですかと問われることがあります。

つい最近、そんなの嘘っぱちだよと答えてしまったのですが

少し(薄っぺらい)根拠を書いておきます。

伝統的な四柱推命のテキストには必ず書かれている

三貴の星。なぜ吉星と言われるのか?

その理由は「科挙」と歩んだ中国の歴史にあると想定すれば、

とてもわかりやすいのではないでしょうか。

隋の時代から清末まで1300年絶えることなく行われた

任官試験で、今で言う国家公務員試験、上級試験。

ここで思い出して欲しいのは

「印綬」は学力、知性、科挙に受かるための第一条件

「正官」は公僕として正式な役所に出仕すること、

「正財」は皇帝から下賜される公僕としての正当な資産。

命式中にこの三星があれば、この人の運命は科挙に受かり

出世し大財を築き富貴になること間違い無し。

通変星にとって触媒のような意味付をした神殺も、

同様な経緯から数えきれないほど生まれた。

当時の占いビジネスを象徴するものだと思います。

断易では京房氏がこの張本人であると九鬼盛隆先生は

書かれています。

英雄の命式についていた。きっとそうに違いない。

多くの占いの先生が推命学は統計学だとおっしゃる理由です。

難解だと言いつつ、例外が多すぎることに嫌気がさし

気学、九星術、西洋占星術に移行してしまう。...............。

あくまでも想像です。証拠となる資料もありませんので、

戯言(たわごと)と流してください。



あらゆる道に通じることですが、

人は自分に都合の良いことを信じたがる生き物です。

どんなに権威のある定説であったとしても、

その虚偽を検討することは使う者としての責任です。

占いと推命学

これから書くことは泰山流の見解ではなく

私自身の見解なので師や兄弟弟子の方達に

ご迷惑がかからないようお願いいたします。


私は推命学は大きく分けて二つに分類できると思います。

一つは造命法としての推命学。

もう一つは占い的な推命学。現行は占いビジネスとして

こちらの推命学が主流だと思います。

自分の婚期はいつか?お金周りが良くなるのはいつか?

この方法は 蔵干全てに通変星をつけ官星、財星の行方から

判断する方法です。(占いの的を絞る方法)

この類のことに関しては割と当たることが多い。

しかし、

自分はどう生きたらいいのか?なぜ、自分は不幸なのか?

この根本的な問いに関し、「占い」的なものでは

なかなか満足のいく答えを提示することはできない。

「占い」は明確な「的(まと)」があれば、その答えを

提供することはできるのですが、本人の人生そのものに

ついては扱い難いのです。

その理由は星の扱い方が全く違うからなのですが..........。

これはとても大事なことで現在自分が学んでいる推命学は

どちらなのかを知っておく必要がある。


もし、人の苦しみに寄り添いたいのであれば、やはり

その人物の成り立ちにまで深く理解し、その人生を

無条件で受け入れることができれば、不思議なことですが

自然にその人の苦しみが和らぐきっかけになるのです。

実はこれが最上の造命法(運を創造する)としての

四柱推命なのです。

自身に直面し自分を理解すること、それができれば

他人を本当の意味で理解することもできるようになる。

根本的な性状が理解できれば、大抵のことには

答えられるようになり、占い的にもはずれない。

人を理解する土台がこれであり、土台ができたら

その飾りとして占い的な要素を学べばいい。

この学びの順序を間違えると学びから導き出される

福を招くための行動、自制心、共感性、倫理観

全てが欠如した「欲」の追求の指針としての運勢の解釈

になってしまう。

総合的な人間力を養い、人として成長することを

捨ててはいけません。

ただ、人は弱いもので自分を制御することほど難しいものは無い

己自身を知っても自分の弱い部分には知らんふりをし

悪いのは誰かのせいにしてしまう。

結局、苦しみの苗を育て続け人生が過ぎて行く。

土壌を耕し(過去を完了し)善なる種を蒔き、

育てる(希望を持ち前に進む)ことです。



私の師匠がなされた最大の功績こそが、

「占い」的な推命学を、この「造命法」としての推命学に

再編纂されたのだと最近ようやく気づくことができました。

ありがたい限りです。

遅きに失しますが、ここまで辿り着けたようです。

推命学について

NHKのワールドニュースに戦死したウクライナ兵と

残された人々の声が報道されていました。

何人兵士が死んだのかのレポーターの問いに

部隊の隊長は、その数を教えなかったそうです。

なぜかを問うと、数を言えば自分が復讐の悪魔になってしまう。

今、自分がやるべきことはこの前線を守ること。とのこと。

究極状態での平常心を保つ唯一の方法なのかもしれません。


年が変わり、いくつか面白いことが起きました。

生徒さんが、推薦図書はありますかと聞いてきたことが

それなのですが、とりあえず「いんしつろく」を薦めました。

そこで、ふと考えたのが運勢鑑定の意味についてです。

そもそも四柱推命が学問として体系づけられたのは

様々な説はあるのですが、やはり「元」末、「明」初に

現れた四柱推命の原点である「滴天髄」の著者である劉基が

原点だと思います。

(その100年ほど前には、それまであった様々な推命理論が編集され

一般的には命理の祖と言われている徐子平、徐大升(じょだいしょう)が編集した

『淵海子平』があります。)



劉基が何を考え推命学に形を与えたのか?

このかたは科挙に通った「元(げん)」の高級官僚でした。

彼ら高級官僚士大夫の理想は儒教で言う所の「聖人君子であり

彼もまた同様だと思うことは自然なのでは無いでしょうか。

私もまた師の教えを思うと推命学は自身の理解と

自己修養のためのものと考えます。

この辺りの歴史的な背景を知っておく方が良い形で推命学を

活用できると思います。



「富貴」を求めつつ「自己修養」をすることが

殺し合いをする必要のない世界に生きている我々に、

いま許されている状況です。死に際に

苦い思いが残らぬよう日々を大事に過ごしたい。

苦(にが)い思いがあるのなら、善なる思いを奮い立たせて

世の中に貢献することです。

献血でもヘアードーネーションでも、できることを、

やり続けることです。家に多少のお金を入れることでも

できることをやれば良い。

そして絶対に大きなことを考えないでください。

「大きい事」は必ず「できない言い訳」になる。

続ける事で結果は必ず「大量」な善をなしたことになる。

苦い思いも必ず溶けていく。

実はこれが『陰しつ録』に書かれている運命改善の方法なのです。

本の中ではさらに観音様の真言が与えられていて、

菩薩様というさらに大きな視点から自分を見つめ直し

自助努力と人の持つ傲慢さを抑える(信仰)万全の方法論が説かれています。

(時間をかけて、ゆっくりと方向を変えれば、必ず変えられるものです。)

講座について

最近なのか以前からなのか、多分以前から

ずっと続いているのだと思いますが、

四柱推命講座、鑑定士資格習得との広告等々を

最近よく見かけるようになりました。

よく学び、資格を取ってプロデビューを目指す方達への

アドバイスです。

(余計なお世話かもしれません。腹を立てる人がいたら先に謝っておきます。ごめんなさい。)

自分がよく知っている友人、知人、家族を鑑定し

自分の学んだものが通じるのか通じないのかを、

しっかりと検証することです。

一概に四柱推命を名乗っていても、教える先生によって

内容が天と地ほどの差があり先人達の言うがまま、

検証されず迷信化している理論や、解釈が山ほどあり、

そのまま受け入れてしまうと人生を誤らせてしまう要素が

多々あるのです。

ですから、ご自分の学んだ理論を一つ一つ検証し

当てはまらないものは捨てる勇気を持ってください。

占いを「ビジネス」と考えるのであれば、

お客様の満足度を上げ、顧客を増やすため、

より高い技術を追求するのが当たり前のあり方です。

しかし、トラブルを全て「空亡」のせいにするのでは

遺憾にもし難い。

他の占術を代わりに使うのも一法ですが、

せっかく学んだ四柱推命をドブに捨てては

あまりにも、もったいない。

現実から離れた机上の空論なのか、心に届く真理なのか、

追求し続けることが何よりも大切です。

資格に相応しい鑑定士、占い師になってください。


濁世の時代、多くの人がお金のために裏切りや

知的財産を盗み、あたかも自分が成したかのように

振る舞い、見せかけの極意を売り物にする時代です。

知識の根拠たる理論さえ心許ない。自らの頭で考え

断捨離をしてください。

1月21日 易占について

どこかに書いたような気がするのですが

占いは当たらなければ意味がありません。

運勢鑑定は占いとは違い、その方の人生の指標と

必要であれば改善策を提案するものです。

それゆえ「易占」については、かなり高額な

料金を提示してありますが、当たらなければ

料金は一切 発生しません。ご安心ください。

的中の場合でも、その旨ご相談いただければ

融通をきかせます。

易占は転ばぬ先の杖のようなもので

万が一最悪の結果が当たったとしても

「すでに知っていたことが起きただけだ。」と

その事柄に関しては完了します。


やるせ無い世の中です。詐欺も横行しています。

まずはご自分の常識で測り、疑いがある場合は

お気軽にご相談ください。

メールのみの鑑定になりますが「易占希望」と

お書きの上メールフォームからお申し込みください。

1月11日

今日は1月11日かと何気なしに思っていたら

311もあったよな、何時だっけ?と11繋がりで

911もそうだったよねと妙な連想で、嫌な話ですが

かつての天災人災が思い出されてしまいまいた。

1995年1月17日5時46分阪神淡路大震災

2001年9月11日アメリカ同時多発テロ

2011年3月11日14時46分 東日本大震災

暦をつけると

阪神淡路 甲戌年(1月は前年にあたります) 丁丑月 戊申日 乙卯時

911 辛巳年 丁酉月 丁丑日

311 辛卯年 辛卯月 乙丑日 癸未時

今年2月の節分を超えれば癸卯年になります。

天災を暦で見ても意味がありませんが、

何がしかの暗示はあるように思えます。

311の時の首相は破財の運がめぐり、今の首相も

今年は破財の運が巡っています。国のお金を

散々にばら撒かないと良いのですが。


いまだ経済大国日本の幻を捨てきれない人が

一国の首相に選ばれているということです。

自由の不自由のまま大人になって、いまだに

寄るべとなる心の支えが無くどう生きて良いのかわからない

大人達 そしてそれを見て育った子供達。

子供にとっての心の支えになるはずの大人、親、

学校の先生方も支えになるどころか彼等を

裏切り報道に晒されている。

子供に対する罪の深さに直面することからしか

子供達の更生は難しいのではないでしょうか。

子供が親をなぶる時代になりかけている。分断の時代と

言われますが、親子の断絶から始まるような気がします。

子供や生徒には誠実でいてください。

支えになるのが大人の義務です。

1月6日

明日には松の内が明け、日をおいて鏡開きが行われ

年神様にお帰りいただき 日常が始まります。

既に風化した風習かもしれませんが、季節を感じる

行事は大切にしたいですね。

雲を眺め月を愛で花を待ち侘びる「粋」。

今晩は流れる雲の中の 澄み切った月が美しい。



現実逃避かな?

2023年1月1日

新年あけましておめでとうございます。

世界に平和がおとずれる年になると嬉しいですね。



心は実に相対的なもので自分と、その環境との交流により

性質がある程度決まってくる。環境が怒りに満ちれば、

心も怒りに染まる。当たり前のことですね。

同様に、優しさに満ちた環境であれば、優しさが

その人の性状となります。

これが子供の時の我々の姿ですね。「三つ子の魂百まで」とは

よく言ったもので、環境の影響は一生残るものなのです。

嫌味や皮肉の癖があるとしたら、多分育った環境にそれがあったと

考えるのが自然ですね。私にもあります。やはり父母や

大人達の会話の影響を受けていると思う。

そして、この辺りに気づくことが、もしかしたら

自分の中の嫌いな部分とリンクしているのかもしれません。

運勢のどうのこうのとは別な問題で、いつの間にか自分の

いちばん嫌いな人と同じことを口走っているだけだった。

ここに気付けば自己改善ができると言うことです。


運勢とは日々の天気のようなもので、それぞれの持つ

運勢の春夏秋冬における、心の変化と行動、その中で生じる

執着、怒り、依存、対立、欲心 etc. etc.のバロメーターであり

それを見極め、求められれば それに対する改善を提案するのが

運勢鑑定です。これは推命学の使い方の提案であり、

深く推命学を知り使い方を学べば時代の予測も可能なのです。


今の時代ほとんどの人が携帯端末を持ち、そこから情報を

発信し、経済が回るような仕組みに変わってしまった。

イノベーションと呼ぶ人たちも多いのですが

社会システムのレボリューション(革命)です。

そして権力が集中している国家ほどその進度が早い。

経済は財 システムは官鬼 自身より強い財官は

自身を支配しようとする。これが相剋の図です。

わかりますか?

自由でありたいなら、自身が根を持ち

強く自立し時代を上手に受け入れ利用することです。

善人だけでは生きていけない。しかし悪人になる必要はない。

賢く、時代を生きてください。若者は夢を持ち、年寄りは

それを支えることです。

今朝 日本酒を3合ほど飲んで起きたら夕方になってました

酒に弱くなった。

一切は無常であり、盛りがすぎると日々衰えて行く。

健録 帝王が過ぎれば衰病死と過ぎて行く。

一休さんがお正月に髑髏を持って遊行したのがよくわかります。

過去など放っておいて「今を生き抜く覚悟」を持つことです。

結局これこそが運を良くする最善の方法であることを悟ってください。

皆様のご多幸を衷心より祈念しております。





洗心庵 今野喜心

運勢の強弱 法句経

仏の教えというのは、時に慈悲深く、実際は

冷徹です。現実に対して妥協が全くありません。

多分、真理だからでしょう。

毎年そうですが自暴自棄の行動や自殺を選ぶ方達が

この時期増えてくる。けれども今現在、不幸であっても

不幸もまた無常であり変化していくものです。

良い種をまき、育てることです。

人と関わりたくない人も他人に棘を出せば、自分もその棘で

傷つくことを知ることです。

人の心の核は優しく愛おしいもので、それを分厚い蓋で

閉じ込め、自分を守らなければならなかったキッカケがあって

他人にも自分にも優しくなれなくなってしまった。

ただそれだけなのです。

運勢には善悪はありません。幸せになりたいのであれば、

善なることをすれば良いし、できるだけ悪なることを

止めることです。他人の悪ぐちは十不善の一つです。

間違いなく不幸の元になると菩薩達は言っている。

そして以下の経文にあるように、今の生き様が

来世の生き様にまで継続されるというのが仏様の考え方です。

こんな世の中です。来年も変わりそうにありません。

今、幸せならばそれを噛み締め、落とさないよう身を守りましょう。

そうで無い。そして幸福にないたいのならば、種をまき、諦めず、

粘り強く世話をし育てる事です。そう腹を決めてしまうことです。

「運勢」の強弱は「幸福に生きる事」とはまったく関係ありません。



青空文庫 法句経より

 一五 

 現世に憂へ、死して後憂へ、罪を造れる人は兩處に憂ふ、

 彼れ憂へ、彼れ痛む、己の雜染の業を見て。

 一六 

 現世に喜こび、死して後喜こび、福を造れる人は兩處に喜ぶ、

 彼れ歡こび、彼れ喜こぶ、己の清淨の業を見て。

 一七 

 現世に惱み、死して後惱み、罪を造れる人は兩處に惱む、

 「我れ惡を造れり」と惟うて惱み、惡趣に墮ちて更に惱む。
 
一八 

 現世に慶こび、死して後慶こび、福を造れる人は兩處に慶こぶ、

 「我れ福を造れり」と惟うて慶こび、善趣に生じて更に慶こぶ。

 一九 

 經文を誦むこと多しと雖も、此を行はざる放逸の人は、
 
 他人の牛を數ふる牧者の如く、宗教家の列に入らず。



The Dhammapada
 
お経の現代語訳は何気に仏教用語が使われピンとこない方も多いと思うのでパーリ語からの英訳をつけておきます。他のお経に関しても実は英訳の方が語意が明確で現代人には理解しやすいところがあります。

15. The evil-doer grieves here and hereafter; he grieves in both the worlds. He laments and is afflicted, recollecting his own impure deeds.

16. The doer of good rejoices here and hereafter; he rejoices in both the worlds. He rejoices and exults, recollecting his own pure deeds.

17. The evil-doer suffers here and hereafter; he suffers in both the worlds. The thought, "Evil have I done," torments him, and he suffers even more when gone to realms of woe.

18. The doer of good delights here and hereafter; he delights in both the worlds. The thought, "Good have I done," delights him, and he delights even more when gone to realms of bliss.

19. Much though he recites the sacred texts, but acts not accordingly, that heedless man is like a cowherd who only counts the cows of others — he does not partake of the blessings of the holy life.


色々なアイテムや方位や風水で運を強くしたい、

良くしたいと願うのは当然ですが、残念ですが

「人物」は変わりません。一時的には余裕が生まれ

善化したように感じられますが、強めたパワーは結局、

利己心を増し、他人との摩擦が生じる。

敵に敬意を尽くしながら競える人はほんのわずかな

聖人君子だけだと思います。だから、

「運」を強くすればするほど不善と結びつきやすくなる。

我々は凡人です。

幸せになりたいのであれば「善」をなすことです。

十の善なる行い

それぞれの世界での円満なる調和を目指すことですね。

アンコンシャスバイアス

biasは 偏見 アンコンシャスとは無意識

最新の時流としての考え方だと思います。

アンコンシャスバイアス youTubu

これは妻と夫 会社と自分 等々 現状の苦悩の原因として

自分の心を検証してみると色々見えてくると思います。

「もしかしたら自分は間違っているかもしれない。」と

立ち止まること。


1時間を超える動画ですが職場での問題、等々お持ちの方は

怪しいスピリチュアル系のものでもなく、根性系の

セミナーでもなく、企業トップの方達のあり方です。

日々の話題としても奇異に思われることはないと思います。

最後まで頑張ってみてみてください。

大企業ほど動きが鈍く、中小程動きやすい。

個人はもっと早く自分の中の偏っている自分を

見つけることができると思います。

もし会社の日常がマンネリ化し、先行きに夢が感じられないのなら

転職を決める前にこのアンコンシャスバイアスについての

ブリーフィングを提案しても良いのではないでしょうか。



自分が見えると「自分以外の人」もまた同じだと

気づきが生まれる。

自分を見つめることです。どのように自分を見つめるかですが、

今までのプライベートでのトラブルの原因を

「自分は悪くない」を外して再検討することが最短だと思います。

若者たち

若者たち

あらゆる意味で社会経済が時代転換の波にもまれる現代、

誰もが未来を見据えて「生きよう」ともがいている。

自分自身に合った生き方を求める人々。

そのための様々なアイデアや生活スタイルが提案され、

提供されているようです。全く知りませんでした。

リバ亭 

様々なアイデアがこのサイトの中でも提案されています。

自分が思うほど日本の未来は暗くないのかもしれません。

引きこもっているけど健康ならば、一度問い合わせてみては

いかがでしょうか。人生の扉が開くかもしれません。

愚者

どの占い師さんにもあることだと思いますが

肉体的な相性を問われた場合、(セフレというやつです。)

男性からなら、「あなたは女を道具としか思っていないのですか?」

と怒ってください。性的な事柄に大きな傷があるか

人を人と思わぬ輩です。

その上、自分の卑しさに気づいていない。

そのままであれば一生涯異性で幸せを知ることはできません。

その上で、

相手のことを心から大事だと思えるようになれば

肉体的にも精神的にもあなたにとっての最愛のパートナーに

なりますよと答えることです。

女性にも同様な人たちがいます。

人を物として扱う人達、亭主や奥さんを「物」と見下す人達

この方達は他にもっと自分に相応しい人がいるはずだと

思っている人がほとんどです。

それはそれで本人の勝手だと思うのですが、目の前にいる人こそ

自分の姿を映す鏡なのです。お相手を醜く、使えない奴と

思うのであれば、あなたの中に、間違いなくその要素が

あるのです。

仕事や学歴では一流で社会的な評価が高いとされていても

別な面、プライベートに関して人として醜く、偏っている、

お門違いのプライドで固く、心が閉ざされている。


ここに気づくことが出来たなら、(気付けるといいのですが.......。)

少しだけ優しく、自分の心を開き、大事だよと

心の中で声をかけることをなん度も試してみてください。

温かいものが必ず流れ始めます。


本当に様々な人生がここ1年起きています。

ウクライナにおいては今日も命が消えている。

ウクライナに限らず、世界中で冬の寒さに凍え、

銃の炎に焼かれ「個人の運勢を超えたこと」が起きている。

我々にはまだ、自分を守る算段を計れる機会がある。

他国から狙われ、政治家の利己心が増大しているにも

かかわらずです。

身近な人を大事にしましよう。

自己有用感

自己有用感

これはとても大切な概念で、説明している人の経験値で

その内容が若干異なりますが、追い詰められた経験のある方には

命の蔓になる考え方です。自と他の関係性がどれだけ大事か。

自分も大切なんだと本当に気づければ喜びが溢れてくる。

あらゆる人間関係の一助になります。


そして時に、これが悪い宗教の手口にもなる。

宗教も恋愛も結婚も同様それは安心か、安全か、

苦しみの原因にならないか?飛び込む前によく検討すること。

自分の頭で考えることをやめないこと。

そして自分を過信しないこと。私だったら大丈夫というのは

解決できない不安から逃れる口上に過ぎない。

苦しみの前では人は弱いものです。

ネズミの話

先々週の教室の時、遂に屋根裏をネズミが地響きを立てて

足り回り、生徒さんを驚かせてしまいました。

遂にと書いたのは、10月くらいからネズミが天井裏を

走り回り始めたのです。大抵は夜中に限ったことで

気にも留めなかったのですが、内心、授業中だけは勘弁してとも

思っていたのです。そしてこの日、昼の日中に大暴れ。

YouTubeのネズミが嫌う音を流しても、一旦は静まるのですが

すぐに運動会は再開され、音の種類を変えても同様。

そのうち強い念波を感じるようになり、最近の素行をチェックしても

ネズミしかいないよね。との結論に達し、早速Amazonで鼠取りを購入

箱タイプの鼠取りです。「戦を制するには敵を知ることから」と

孫氏の兵法通り、ネットを探っていたのですが、変なものを

発見し、しばらく嫌な気分が続いています。

それは「universe25」というもので、ネズミの社会性に対する

25回の実験の結果が全て同じになったという都市伝説好きには

格好の話題を提供するであろうものです。

内容は簡単にまとめると、食べ物に困らない環境で

個体数が増える(世代が変わる)と、それまでの秩序が壊れ

増えなくなり、やがて全てがいなくなるというものです。

(これを25回やったのです。)

これを現代社会と結びつける人達が多々あり、

解釈自体がなんとも言えません。

まず、ネズミ社会の基礎になる親たちは数匹で、それが

近親交配により増えていくわけですから、当たり前ですが

遺伝子の段階で瑕疵が起きている可能性が検討されていない。

その社会には明確なルールとそれぞれの行為に介入する

他の存在が無い。生きる以外のストレスが排除された感興

等々、人間社会と比べることすらどうかと思われるものですが、

人類の未来だとばかりに喧伝するサイトが多く、この辺りが

気分が悪い原因です。しかし、思うがまま、自制することなく

感情の赴くまま生きてしまえばこうなるような気もします。

ちょうど手元のダンマパダの中の第一章「対」の7、8に



「この世を、思いのままに好き放題をして生きることが

正しいと思いこみ、節制することなく食をとり

なすべきことをせず、努力を怠るならば、

魔があなたを支配する。

根の腐った大木が風に倒されるように。」



「この世を、好き勝手に生きることは間違いだと知り

自分の欲望を制御し、感覚に溺れず食事の節度を知り

信念を持ち、努力を惜しまない人を魔は支配することが

出来ない。

岩山が風に微動だにしないように。」

このダンマパダは法句教と呼ばれている経典で

大乗仏教の法華経の位置に当たる上座部系仏教の

聖典です。お釈迦様の言行録の一次資料であり、

我々一人ひとりへの仏になられたゴータマの教えだと思います。

本当に素朴で当たり前の言葉がまとめられているのです。

後代、仏教は神通力に溺れ、壊れ、権力の手段となり

その本質が消えてしまいました。ネズミの話からで

申し訳ないのですが、ダンマパダには多数の訳があり

岩波書店から出版されているワイド判の岩波文庫

「真理の言葉 感興の言葉」がお勧めです。


ちなみに魔というのは、人が苦しんだり、失敗したりすることが大好きな連中で、お釈迦様がおっしゃっているように、しっかりと自分を
守っている人に影響することはできないのです。問題は慢心を起こしたり、他人を傷つけたり、見下したり、約束を守らなかったり、十不善を行っている人、何気に負目を感じている人の心の隙間に入り、失敗させよう、失敗させようと手ぐすねを引いて待ち伏せしている。これが魔の正体です。これくらいは許されるだろう、というのが魔が撒いた撒き餌です。気をつけてください。

相手の姿がわかれば怖く無いでしょ。

身代わりお守り

運気の悪い人 命式の苦しい人には身代わりお守りを

お受け下さいと書いたことがありますが、お守りの

扱い方について説明が足りなかったようです。

子供さん、忘れ物をしやすい人には服に縫い付けること、

またはお守り用の小さなポケットを作ってあげること。

大人ならば携帯のストラップとして肌身から離さないように

すること、首から掛けるのも良いと思います。

運勢の影響からの災厄であればお守り一つで一度は収まると思う。

しかし本人の生活習慣からの災厄、

他人をいじめたり、悪口を言いふらしたり、誰かを恨んだり、

恨まれたりをしている間は、この類ではありません。

他人を恨むということは自分の中に恨みをためること、

陰なるエネルギーを溜め込むことなのです。

自分の行為の結果としての災厄は、そこに気付き、慚愧の念を起こし、

二度としないと自分に誓うことです。結局、

他人を恨むことは自分を傷つけることになってしまう。

(納得いかない人もいると思いますが、恨みを止めるには、

「恨みに捉われない」ことしかないようです。)

自分を守り、大切な人を守ってください。

ちなみに、お守りを授けて頂く神社さんは、どこでも良いのですが

目安として、木が繁り、水が流れ、磐座があり、よく陽の当たる

鳥居と社殿と履き清められた境内の神社さん、お寺さんが

良いと思います。

論理

時々、どうせいつか死ぬのだからと人生を放棄している人や

遅いか早いだけの違いと人生を諦めている若い人たちが

います。自分を「おじさん」と呼ぶ30代も近頃多いが

老成(ろうせい)している割には幼子(おさなご)のように

純粋で、無防備な人たちも多い。

人は死ぬものです。

しかし、もし、生まれた結果は死だ、生きることを諦めよう

と言うなら目の前のとても美しく飾られた絶品料理を、

どうせあとで「うんこ」になるのだから諦めようというのと

同じ論理です。馬鹿の極みですね。人生を味わう事を放棄している。

我々は食材のように、さまざまな色や形、出来の良し悪しの上に

この世に生まれてきている。能力も才能も環境も何もかも

平等ではありません。平等ではありませんが、自分でものを考え、

様々な世界を学ぶだけの自由は、この国では保障されている。

大学教育という意味ではなくネットでもYouTubeでも、

携帯が持てなければ図書館でも、本屋の立ち読みでも、

いくらでもあります。

食材は料理の如何に関わらず、体を養い、命を繋ぐ本質を

持っている。味の良し悪しではありません。価値のない

食材は無い。人は人に喜ばれるほどの喜びは無いものです。

自分に与えられた、自由に使える時間で何をするか。

自分だけの為に生きるか、誰かのために生きるか

先にも書いたように「楽」を生きれば、結局、自分も

身の回りの人も「楽」に固定され身動きの取れないものに

してしまう。「財」の快楽は「(官)鬼」の疑似餌なのです。

お忘れなく。

官鬼

私が教える推命学では「楽に縛られる」という言い方を

時々しています。

別の言い方をすれば「財に縛られる」とも言う。

「縛られる」の意味は、それ以外の自由が無いと言う意味です。

具体的に言えば、ゲームを楽しむうちに、ハマってしまって

四六時中ゲーム以外に関心が無くなると言う意味です。

目に見える形で、何かに束縛されることを官星の働きと

思っている方が多いのですが本当に自然な形でそれ以外の

(官星は一般的には名誉、出世、権威の吉星と解釈されていますね。)

自由が無くなり、その他の選択肢がなくなってしまう。

縛られて身動きが取れなくなる。

これが私がよく言う「財星」が「官星」とイコールだと言う

具体的な例です。

「官星」は「官鬼」であり、手練手管の怖い星なのです。

「楽」を餌に釣りをする「鬼」そのものです。

これが実践での「官星」の姿です。

(恋愛はさらに、わかりやすい例ですね。)

コロンブスの卵というのがあり、これを知った方達は

明日から財は官だと言ってくれるかもしれませんが、

本当にこれは大事なことで、安易に「財」を言い、勧め、

あとは本人の自己責任と、とぼけることは「無知」の極みであり

罪作りなことになるのです。

「財星」には必ず「官星(官鬼)」が寄り添っている。

人の為になりたいと占い師になった方達も多いと思うのですが

術理が浅い場合、生兵法は大怪我のもとになります。

初学の方達は「財」「官」の関係性をしっかり覚えておいてください。

置き土産

現代ビジネス

経済活動として小麦文化の移入を促進する人たちがいても

当たり前、でも、それを政府や大新聞が片棒を担ぐのは

やりすぎであり、そこに何かがあると勘ぐられても仕方無し。

しかし、最近は農家や米作について、多くの人達が思考し、

新しい形での「近代農業」が発展しつつあります。

現在進行形という所でしょうか。

善なる大きな波が生まれることを祈ります。


話は変わりますが、イーロンマスクさんが経営者側の本音を

主張し始めました。激務が無理なら退職を

なかなかの主張ですが、SDGsの理想と現実です。

時代に逆行するようにも聞こえます。しかし、

戦争中の国や人口が爆発的に増えている国では

生存競争の現実は厳しく、同時代に共存する我々にとっても

「ぬるま湯」が許されない時代です。

いつ難民が押し寄せてくるのかもわかりません。

政治家先生方は、この危機感が薄いのでしょうか?

涯のない欲

「欲」は必要なものだが、必要以上の欲は毒にしかならない。

本当にこれは大事なことなのです。

現状、何不自由無いのであれば、現状維持を第一に考えることです。

なぜならば、現状というのは常に衰退していくものだからです。

残念ですが、真理だと思います。現状を維持する労力が

新しい利益を生み出していく、少しづつそれが積み重なれば

10年前とは比べ物にならない利益を生み出していることになる。

そう考えることも一つの選択肢では無いのでしょうか。

ところが、人の欲には限りが無く、特に占いの世界では、

あれが叶う、これが叶うと煽る方達がいる。

もっと良い相性はこの星の人だ、この相性はお金が儲かる。

この風水は幸運の風水だ等々

実に信じ難いことを述べられている方達がいる。

「命」を知らない方達なのかもしれません。

「命」とは運命の命のことですが、相性にしても、

財運にしても、あらゆる関係性には正負の二面があり

必要以上のお金を得ると運勢が大きく揺らぐ「命」

相性は良くとも沈む「命」があるのです。

逆に最悪と言われている相性でも、学び、労り、時に忍耐し

お互いが敬意を持つことさえできれば末長く良い関係を

保てるのです。

もっともっと良くなりたい、もっと素晴らしくなるはずだと、

現状のバランスを壊してしまう人を時々見受ける。

その方達に、どんな風になれればいいの?と聞くと

具体的に答えられる人はあまりいません。

充分に家族に愛されていても、もっともっとと言い、

充分なお金があっても足りない足りないと言い

涯がない。満足することがない餓鬼の世界です。苦しいですね。

これを回避するためには

自分の中に満足単位のようなものを決めることでしょう。

昔はアイデンティティーと言って物で自分の価値を

測ることが流行っていました。わかりやすくて

良いと思います。

ただ現在、近くのタワマン住民らしき人たちが増え、見ていると

小さなグループ内のマウント取りからの階級社会が

年々増えているように思えます。実に卑しい風(ふう)に見える。

何を威張っているのやら.....。



自分の満足度を満たすには、まずは目標を決めることですね。

そして素直にその自分の言葉を受け入れ従うことです。

金持ちになりたいという人ならば収入の具体的な目標です。

運を良くしたいという目標であれば「陰隲録 」を実践することです。

日々の生活を心おだやかに過ごしたいというのであれば

「法句経」を日々読み返すことです。

最近は、どう生きていいのかわからない。皆と同じに

生きることが辛いという人が多いように思う。

当然です。誰もが携帯を持ち、首に鈴をかけられた猫のように

職場や仲間に管理されているような時代です。




心穏やかに過ごしたいものですね。

ゲーム (補遺)

うちの子はゲームばかりで、困っています。

よく聞く話です。

柔道金メダリスト 高藤選手のコメントを参考にしてください。

どんな世界であれ、視点を変えればそこには学びが潜んでいます。

問題は親御さんが、どのように彼らに届くように話せるかです。

親もまた、子供と共に学び成長を求められるのが人生です。

とどまれば、子供に馬鹿にされ、なじられる。

頑張りましょうね。


同じ視点を持ち、理解し、その果てを見極め、変化が必要なら

自らが手本を示すことです。

早起き、断酒、禁煙。大袈裟な事でなくて、簡単なことで良いのです。

子供に嘘をつかない事が何よりも大事です。

大人のつく、どんな嘘も子供には筒抜けであり、彼や彼女が大人になった時

必ず仕返しされる。

こればかりは覚悟する必要がある。その上で大人のお付き合いをする事です。

10月26日

本日は晴天なり。気持ちのいい日です、

久しぶりに林試の森公園に散歩に出かけ、

周囲の保育園?(幼稚園?)から集まる大勢の園児達の

歓声の中でしばらく過ごしました。

なかなかうるさく、けたたましいのですが、

風に鳴る大木の群れの音と共演し、風に降り落ち舞う

落ち葉の姿に3年ぶりの「風立ちぬ」の季節だなと感慨深い。


「風立ちぬ、いざ生きめやも」よりもユーミンの「ひこうき雲」が

使われた「風立ちぬ」を思い浮かべる人の方が多いかもしれませんね。

ジブリといえばば最近はトトロの森のナラ枯れが報道されていましたが、

十数年前から各地で問題になっていたように記憶しています。

「ジブリ」がきっかけでさらに対策が進むといいのですが。

子供たちの想像力を育む最善の方法は豊な自然に触れさせ

共存を教えることだと思うのですが、たくさんの方たちがそのように

子供さんを育てていますね。羨ましい限りです。

ジブリの話題といえばジブリパークもそうなのですが

実写版の「耳をすませば」が作られたとのこと。

アニメに実写版は要らないと強く否定する人がいます。

私は、どっちでも良い派で、面白ければ良いという立場です。

ただ、予告編の子供の頃の「雫ちゃん」はジブリ作品とは

根底から違うものだと思いました。

ダイヤモンドのような純粋な意志と行動力が「愛」に

移行していく。本物の人間では表現しようのない

絶対的な理想がジブリ作品の主人公達の在り方です。

だからジブリ作品は実写では無理なレベルの最高度のアニメ作品

なのだと思います。唯一無二の芸術です。

アニメの絶対的主人公とは別次元の美しさと魅力が

人の作るストーリーにはあり、別な作品として楽しめば

いいだけです。こんな、

どうでもいい事を考えながら帰りの道を歩っていると

保育園児集団の第二波とすれ違い、彼等を過ごし来る風に

柔軟剤の香りが混じり親達の愛が匂ってきました。

今のように大事に育ててもらいたいと切に思います。



新しい勉強を始めるのに、とても相応しい季節になりました。

洗心庵の四柱推命学入門講座を受講してみませんか?

推命学自体は偏光眼鏡の一種です。

けれど、正しくこのメガネをかけると

色々なものが平等に、ありのままに見えて来るのです。

ありのままの「その人」、ありのままの「自分」が見えてくる。

深くて興味の尽きることがありません。

こんなに厳しい時期を、どのように耐えて乗り越えたのか?

本当に尊敬の念を禁じえない人たちが沢山いる。

素晴らしい貢献を世の中に成したにも関わらず、晩節を汚して

しまった人達も多々いる。一体、その理由は何だったのか?

それぞれの人生に付された課題(意味)と人の持つ信じられないような

可能性、脆(もろ)さ、弱さが明確に混在しているのが人間なのです。

困難に立ち向かい、課題をクリアーするのも、陥穽にはまるのも実は

紙一重であることを知ることが本当に大切なことなのです。



「勝って驕るな、敗れて泣くな。」と昔の人が言ったように

勝つためには日頃からの訓練が大事で、それが無いと後悔ばかりが

先に立つ人生になってしまう。後悔とは、

関係を完了することができないという意味です。

日頃からパートナーにキツイことばかりを言えば、

相手は逃げを打つのは当たり前で、たまに優しくしたり

おだてたり、機嫌を取ったり。これが訓練の意味です。

(したく無いことをするという意味での訓練でもありますね。)

結果的にこれもまた自分を大事にするという意味でもある。

どんな関係性であれ、

自然にそれができるようになれば最高なのですが、

慣れればできます。そして、やるだけのことをやったにも

かかわらず、成果が出ないのであれば、潔くリセットすること。

これは努力した人にだけ付与された清々しさです。

必ず次がある。ただ努力の仕方を間違いてはいけません。

科学の進歩

科学の進歩はどこまでいくのでしょうか。

心理学は脳科学と切り離せない段階にきていますが

もし、ここに遺伝学が参入したら、

「科学的な根拠」を元にした差別が起きてくる。

ヒトゲノムの解析で、かなりの遺伝子の働きが

明らかにされ、「病気の遺伝子」「攻撃性の遺伝子」等々が

明確に分類されています。ともに家庭を作るパートナーに

そのような遺伝子を持つ方を選ぶでしょうか。

悪の遺伝子

初めての遺伝子検査

通俗科学であれば笑って迷信だと言えますが、

世界中の科学の権威がそう主張すれば、そうなるのです。

全ての遺伝子の持つ意味自体が明確になっているわけではありません。

不都合な遺伝子があっても、それが発動する条件については

かなり曖昧にされています。また特定の「不都合な遺伝子」に対する

「アンチ不都合遺伝子」が同時に存在していないとも限らないのです。

実は前回書いた「ベースに欠いているもの」の意味はここにあり

遺伝子による個体差を無視して条件付けた実験やデータを採集しても

人を知ると言う意味ではあまり意味がなく、大雑把すぎる結論付け

であり、心の底にある肝心な「種の系譜」が見えてこない。

交流分析などというのは「成長過程で体験した縁」のみを扱っている。

ですから、同様な手法で得られる結果というのはかなりの

個人差が生まれる。多くのセミナーを受けても、なかなか

変われない理由はこの辺りにあります。

大事なことはあらゆる科学的な進歩に対しては

医学等の必要な分野のみでの応用に限定すること。

しっかりとした「倫理」基準を設けることでしょう。

(既にあるのかな。)



推命学も占いも倫理観が劣っている者が使い出すと、

どうにもならなくなる。

倫理観と経済欲求というのは初めは許容できても

必ず敵対し始める。人は弱い動物です。





本日2022年10月21日 

眞子さまのご主人の小室圭さんが試験に通ったとの報道。

すごい奥さんです。本当によかったですね。

心理学

YouTubeでエリック・バーンの広告があり(2022年10月18日)

「運命を変える」との謳い文句でした。

交流分析が主なる手法です。

最初期交流分析自体は通俗心理学の謗りを受けていたようですが

現在は広く受け入れられているようです。

社会(自分以外の人達)と個人の関係を改めて再認識させるものです

ただ「自我」のさらにベースとなるものが提示されておらず

生まれたての人間は全て平等だとの観点に立っています。

心理学が客観的な心理観察による科学である所以でもありますね。






教室の生徒さんは、ここで言う交流分析が理解できれば

鑑定のもう一つの観点と私が常に言う「現状を知ることの大事さ」の

意味が理解できると思います。

こんな当たり前のことなんですよ。

法律相談

旧統一教会についての法律相談を法テラスでも

受け付けるとのこと。

法テラス 下記にもう一つリンクを貼っておきます。

法テラスに相談するときの参考になると思います。

法律相談

基本、妻の暴力行為も夫のそれと同じく離婚理由になりますのでご注意を。

本当の自分

「本当の自分になりたい。」

時々ドラマや小説、漫画などで聞かれる言葉です。

起承転結の起の部分

なぜ、そう思うのか?

大抵は、家族や同級生や仲間と呼ばれる他の人達の中で

自分の思ったことを言えない、嫌だけれど世間のルールに従ってしまう

自分の気持ちに正直に行動することができない。

別の言葉で言えば、自分の気持ちを表現することができない。

誰かの顔色をうかがったり、自分以外の他人に従うことが許せない。

自分は誰にも支配されたくない。

それを受け、(承)

「本能に身を任せた感情の発露」奔放な性、食、暴力、悪態、

感情に任せた行為が描かれ


命ぎりぎりの場面に遭遇し、そこから「気づき」が生じ

他人との関係が覚醒し

「あなたといると本当の自分になれる。」との台詞で

ものがたりはピークを迎え、転結していく。

誰からも強いられることなく、安心と安らぎを感じられ、

自分も,その人を守りたいと思う。自然に湧き出る愛情、大切に、

大事にしたいという思い。それをとても尊いと感じられる感覚。

純粋さが描かれ、平和が訪れる。

(これが幸福の定義だと私は思います。)

しかし、さらに人は「平和の後の残酷な悲劇」を想定し

カタルシスを得ようとする。

物語であってさえ他人の幸せが許せない。

人がなかなか幸せになれない原因がここにあります。

妬み、嫉妬は自覚できないものです。

これらを自覚できれば、他人と自分を比べなくなる。

これも自立の意味の一つです。

多くの人が自分自身に蓋をし、自分でない自分を演じている

だからと言って自分に蓋をすることは悪いことなのでしょうか。

大事なのは社会性と自我とのバランスを取ることで

自身の抑圧の原因を明確にすることです。

「本当の自分」なんていう大層なものを求めるから

苦しくなる。そんなものありゃしないのです。

それじゃ、なにがあるかというと、認められたい。

褒められたい。大事にされたい。自分も笑顔になりた。

そんなものなのです。

笑顔になれない自分。幸せそうな奴を馬鹿みたいと見下す自分。

なんやかんやと常に他人を対象にし、自分はそこに参加していない。

そこに参加すること。このことが責任の意味です。

時々書いている私の思う自立、責任の意味です。

単純ですが強い力が間違いなく生じます。

頑張るしかありません。

そしてしっかり自由を楽しみバランスを取ることです。

ぼーっと空を見上げる。雲になってみる。星になってみる。

人の想像力は無限です。けれど我々は自分で限界を作ってしまっている。










 

脳に波を起こす言葉

脳に波を起こす言葉 週刊現代

後編記事の開高健の名前に惹かれ読んだ記事ですが、

田中角栄氏 吉田茂氏等々 精一杯自分の理想

国の未来に夢を託した方達の言葉には惹かれるものがあります。

「白いページ」だと記憶しているのですが

開、高、健やか、でお腹を抱えて笑ったっけ。懐かしい思い出です。

縁切り 別れ

別れたい。こんな奴とは思ってもいなかった。

別れること。やはり神頼みが最良です。

神様のお手配があれば、綺麗に別れられる。

ただ、これも本気で別れたいのか、思いは残っているのに

別れて見せたいだけなのかで未練の重さが違ってくる。

未練がある場合、別れても心は相手に支配され続け、

かなり辛い。すると純粋に「執着」が生じます。

自分が相手に「執着を残している」のを自覚すること、

ここに気づくことが大事です。

どんなに相手からの自由を望んでも

「別れ」に伴う深い悲しみには副作用が伴い

突然悲しくなってきたり、死にたくなったり、

やけを起こして自傷行為をしてしまうことがある。

(離職にも似たような作用が伴うことがある。自分に罰を与えてしまう。)

なぜそうなるのか、理由がわからないと止まらないのです。

その全てとは言いませんが、この執着に理由がある場合が多い。

(子供の時のさまざまな陰なる記憶と複合している場合も多い)

この理由さええ別れば、

「その人」の存在は、自分自身を傷つけるほどの価値があるのか?

そう自分に問うことです。自分を落ち込ませる程の価値があるのか。

誇り高く、誰が何を言おうが、

「私は私だ。誰にも支配されない。」そう心の中で叫べばいい。

強くなって下さい。自分を守れれば、誰かを必ず守れるのですよ。


自覚された執着は、追いかけさえしなければ、

時間と共に薄くなっていく(すぐに消えるなんて言ってません。)

自分を大事にしてください。


次に

既に結婚している人の場合 お互いが離婚に納得した場合は

離婚届に「はんこ」を押してもらえばそれで終わります。

一方的に離婚を望む場合は家庭裁判所で

離婚調停を申し立てる方法があります

家庭裁判所の仕事(こちらの法律事務所を推しているのではありません。弁護士が必要な場合はご自分の足で見つけてください。)

離婚調停費用は

申立手数料は1200円、

裁判所からの通信に使う郵便切手代(予納郵便料)

1000円から1500円をあらかじめ支払うことにより

調停が始まります。(思いのほか安い)

詳細はお近くの家庭裁判所にお問合せください



財産分与、慰謝料、養育費を望むのであれば専門の

弁護士に相談することがベストです。
(費用は50万から100万が相場とのことです。)



我々は、本当に、なんとも言えないのですが、

たった一枚の薄くて軽い婚姻届で相手との契約が成立し縛りを受け、

たった一枚の離婚届で、費やした時間と絆が解(ほど)かれてしまう。

暴力や精神的なDVなどのよほどのことがないのであれば

相手が自分と出会わなかった時のお互いの可能性を想像してみてください。

どれだけ大きな犠牲をお互いが払い、苦楽を共に過ごしてきたか。

自分も被害者かもしれませんが、お相手も被害者です。

忍耐を養い、感情の制御を学び、相手を変えたいのであれば

自分が先に変わって見ること。それでもこちらの誠意が伝わらないなら

別居からはじめ、別れを決断し、その後の生活の準備を着々と進めればいい。

傷つけ合うことを回避することです。


キツイことばかり書いてきました。ソウルメイトはお互いの魂を

高め合うための出会いだとスピリチュアルの方々は言う。

もしそうなら、高め合うにはそのための努力と苦労が伴うのは

当たり前なのではないでしょうか。





ここ何回か公的な厚生機関を紹介してきました。

宗教や占いに依存しなくとも世の中には沢山の人たちが

時間をかけて知恵を出し合った問題解決手段があります。

(不正受給など、恥を知らぬ「日本人」さえいなければ、もっと違う形になるのだとも思う。)


孤独で一人ぼっちに思えるかもしれませんが、

我々は毎日の買い物でさえ消費税という形で国や他人に貢献し

繋がっているのです。だから公的機関と繋がるのを遠慮する必要はないのです。

諦めずに自分の足で自分が助かる方法を見つけて下さい。

今の世は足ではなくネット情報のみが普通ですが、聞くと見るとでは、

大差がある場合が多い。最終的には自分の目で確かめることをお勧めします。

結婚 追記

追記

書き忘れたのですが、

どっちがいいかしら?選んでくださいというのはダメですよ。

これは、ご縁を与えられても、もっといい人が現れるかもしれない。

また神様にお願いすればいいや。という神様に対する侮辱に

当たります。何度かやっていませんか?

やっているとしたら、悔い改めて誓い直すことです。

結婚する覚悟のない人には無理な願いなのです。

結婚

某女子アナは「入籍済み」との報道がありました。

おめでたいですね。

結婚の難しい所は、やはり「ご縁」です。

結婚の条件が三高から3Cに移り、

自分のライフスタイルに見合った相手と結婚するんだとの

強い「意識」が勝てば、目の前の相手を値踏みしてしまうのは

自然です。しかし気楽で気の合う人との「ご縁」を

自ら捨ててしまっているのも事実です。

それはそれとして、どうすれば「ご縁」が生じるか。

これが一番の問題です。

「神頼み」

これが私の答えの一つです。

一番は出雲さん。

2番は箱根の九頭竜さん。

九頭竜さんは箱根の3社全てにお参りすることが

条件であるように思います。

箱根神社本宮のお山を登り、

芦ノ湖に沿った長い遊歩道の先にある九頭竜さんにお参りし

箱根神社の本殿でご祈祷を受けてください。

交通の便は小田急西武の箱根戦争の影響で

とても悪いのですが、元箱根港から駒ヶ岳ロープウエイまでタクシーで千五百円くらい。本宮から降りてきて、そのまま徒歩で20分距離にして1、3キロくらいで九頭竜神社に着きます。帰りもタクシーを使うのが便利です。

良いご縁をいただいてください。

素直な心 が大切です

生きる 杖

誇り高く生きようとしても、生活に行き詰まることはあります。

もがいても、もがいても行き詰まる。そんな時は

落ち着いて心を整え呼吸を安定させれば次が始まります。

そう信じることです。各市町村の福祉課、全国社会福祉協議会

もし厭世感に苛まれているのであれば、他人に

自分の気持ちを話してみることです。必ず落ち着きます。

自分の気持ちを受け取ってもらうことです。

全国のいのちの電話

全国にネットワークがあるようですが、受付時間がそれぞれです。

話したい時に話せる番号を選べば良い。

見ず知らずの自分のことを、日本中の誰かが待っていてくれる。

この国には嫌な「日本人」もたくさんいますが「人」のことを

真剣に思ってくれる人たちも沢山いるのです。

これがその証拠です。

今この瞬間も、誰かの苦しみを抜こうと命を削りながら奮闘してくださっている。

心の奥底にある「力」の持ち主の方達だと思う

生まれた時から日々、様々なゴミ(否定され苦しみ、命令束縛され、劣等感に苛まれ、時に慢心により他人を見下し、理不尽に腹をたてたり、裏切りに絶望し、人を裏切り、傷つけ、後悔に苦しみ、怒り、恐れ 自分を傷つける まとめて言えば「四苦八苦」)を作って撒き散らし、時間と共に記憶の中に堆積し硬質化し、「力の素」を覆い隠してしまっている多くの私たち。

この「力」は間違いなく誰の心の中にもある。

私が言っているのではありません。これが「如来蔵」なのです。

「あらゆる生きるものに真剣に向き合い楽しく幸福に誠実に仲良く

気持ちよく生きようとする気持ち」と解釈するとわかりやすい。

小さな一歩を踏み出すことです。大きな進化につながるはずです

国葬

昨日安倍元総理の国葬が行われました。

2万3千人以上の方が一般献花をなされたとのこと。

教会信者の動員でこのくらいは集められると

ある方が言っていました。

礼儀を忘れた「日本人」が、ここにもいた。

参列した一般人を無知の馬鹿者だと暗に言っている。

死後数ヶ月、計り知れない強烈な毒が彼の計らいによって

撒かれ、彼の不在により、限りなく甘い汁を吸っていた輩が

司直の手によって絡め取られ始めています。

彼の功罪の「罪」の部分が火を見るより明らかではあっても、

組合旗や学連旗を立てて、声高に叫ぶ連中よりも、

元首相の功罪を明確に認識し、それを踏まえた上で、

武道館の国葬に参列した方達の気高さを知るべきでしょう。

しかし、それにしても、式場内で居眠りし、イラつく先生方が

数名いたとのことです。

本当に恥知らずを「先生」にしてしまっている我々国民の

日和見。

面白ければ良いなどと御託を並べ、選挙運動を煽る人たち。

日本の政治はどうなるのでしょうか。

全国の大学に政治学科があるにも関わらず、優秀な政治家が

現れない(現れているのかもしれませんが、知名度が無い)

志の高い政治志望の学生さんが増えることを願ってやみません。

働くこと

働く気さえあれば何とかなるかもしれません。

たくさんの人たちが知恵を出し合い行政が動いた結果の

制度だと思います。働く気さえあれば、仕事とのマッチングさえ

合えば正社員としての道が開ける可能性があります。

東京働くネット

こちらのサイトを訪ねてみてください。


最近「日本人」というterm(ターム)が

「礼儀知らずで卑しい」という意味で

差別用語化されつつある。実に由々しき問題です。

自転車

昨日散歩をしていると、小学生くらいの子供達が

タイヤの太い自転車に乗って(ファットバイクと言うらしい)

道路を横切っていました。

そのうちの一台が道路の真ん中に止まり、後ろを振り向き

「〇〇、いいよ、渡りな。」と

後ろを振り返り呼びかけるのです。

その方向を見ると、

ひと回り小さい男の子が乗る自転車がありました。

ヘルメットを被り、こわばる姿から察するに

最近補助なしで自転車に乗れるようになったようです。

そうすると、

道の真ん中に自転車を停めたのはお兄ちゃんでしょうね。

弟を安全に渡らせようとするお兄ちゃん。かっこよかった。

彼らのお父さんがしたように、彼も弟のために自然に

そのような行動をとったのでしょうか。

流行りのバイクを兄弟に買い与えるのだからそれなりに

余裕のあるお家なのかもしれません。

貧すれば鈍すると言う諺があります。

日々に余裕がないと頭が回らなくなる。当たり前のことです。

さらに小さな子供がいて、自分自分と泣きじゃくられれば

どこかおかしくなるものです。子供を育てると言うのは

その連続です。本当に親というのは大変な仕事を課せられている。


裏のマンションの駐輪場の音がよく聞こえるのですが、

最初は」大丈夫か?と思われた父親や母親達も

実に忍耐強く子供たちと接している。親達も成長している。

本当に賢い方達だと思う。


小さな子供が犠牲になる事件が前の事件を忘れた頃になると

また起きてしまう。ただただ痛ましい。


産院でも自治体でも「母親学級」「両親学級」という

「赤ちゃん」に関する教室が開かれています。

賢い親御さんになってください。

時代 ゲーム脳

台風頭痛の季節です。

体験の無い人にはわかりづらいことですが、気圧の変化に

敏感な方にはよくある現象だそうです。

この時期コロナか?と驚くことがあるかもしれませんが、

とりあえず対処法を試してみてください。

原因さえわかれば、アレだこれだという、おかしな暗示

不安を回避できます。人の心は、あっという間に自分の胃に

穴を開けるほどの力があります。ダメですよ、自分をいじめちゃ。


ここ数日、時代が大きく動いていることを実感するような

ことに気付かされています。政治的にどうのこうのというのではなく、

言葉の変化にそれを感じているのですが、

物理で殴る」と言われて

わかる人はわかるし、わからない人はわからないと思う。

私にはわかりませんでした。ゲーム用語だそうです。

eスポーツで使う用語なんでしょうね。作戦を練る際

時短のために短く的を得た言葉を使うのだと思います。

使われる言葉と感情はリンクしていると考えるのは自然です。

ゲーム脳に人が変わる時、確実に何かが変わる。

ウクライナ戦争でのドローンにしても、ミサイルにしても、

そもそも戦争を仕掛けた当人は現場にいない。

ゲームと同じですね。

現場の血の匂いも焼かれた鉄の臭いも感じることがない。

これから各国が色めきたって無人兵器を作り続けるでしょう。

SFで描かれる世界が実現しないことを祈ります。

時代

台風頭痛の季節です。

体験の無い人にはわかりづらいことですが、気圧の変化に

敏感な方にはよくある現象だそうです。

この時期コロナか?と驚くことがあるかもしれませんが、

とりあえず対処法を試してみてください。


ここ数日、時代が大きく動いていることを実感するような

ことに気付かされています。政治的にどうのこうのというのではなく、

言葉の変化にそれを感じているのですが、

物理で殴る」と言われて

わかる人はわかるし、わからない人はわからないと思う。

私にはわかりませんでした。ゲーム用語だそうです。

eスポーツで使う用語なんでしょうね。作戦を練る際

時短のために短く的を得た言葉を使うのだと思います。

使われる言葉と感情はリンクしていると考えるのは自然です。

ゲーム脳に人が変わる時、確実に何かが変わる。

ウクライナ戦争でのドローンにしても、ミサイルにしても、

そもそも戦争を仕掛けた当人は現場にいない。

ゲームと同じですね。

現場の血の匂いも焼かれた鉄の臭いも感じることがない。

これから各国が色めきたって無人兵器を作り続けるでしょう。

SFで描かれる世界が実現しないことを祈ります。

中国

中国に関する興味深い記事を見つけました

現代ビジネス

この記事で習近平さんの素顔が見えてきました。困ったものです。

しかし記事を読むと中国の政治家達の在り方というのは

やはり広大な大陸的だなと感じます。

知識階級の器の大きさが桁外れに違うようです。

宗教団体頼みの集票に頼るような、どこかの国の政治家とは

やはり危機感が違うのでしょう。

一番の平和ボケ集団でに見えてしまう。

エリザベス女王

エリザベス女王が亡くなられ、ウインザー城に虹がかかるという記事がありました。

チベットなどでは聖者が亡くなられたときに起きる現象だそうです。

あまり知られてない事ですがこのかたは第二次世界大戦のとき軍役についています。

(機械翻訳のため日本語として読みづらいところもありますが、写真は素敵です。)

その後の度重なる王室の危機からも逃げる事なく

常に戦い続けた方ですね。

最善の生き方の証しとしての天国の門の階(きざはし)の証明が

この虹なのでしょう。すごい事です。奇跡ですね。

希望

胸がふたがれるような事件が日々起きています

園児が暑さにシャツを脱ぎ水筒の水が空になるまで、

自分の順番を待ち続け命を落とした。もし、

何かが違っていたら彼女は命を落とさなかったのか?

プーチンが決断しなければウクライナの人達の命は

消えなかった。このくらい明確な敵がハッキリしていれば、

心の遣りどころもあるのですが.......。

子供を失う恐ろしさは計り知れません。

子を失わせた相手への恨みも計り知れない。

今も昔も、延々とこんなことの繰り返しを我々はしている。

親を取られた子の恨みも同様。その原因がかつての

国の元首であっても許さない。

(血縁との関係は何処かで線を引くことができれば、ずいぶん楽になるのですが。)


政治家に限らず、人の命を駒(コマ)や票の数(かず)、

数字として認識してしまう人達が増えているようです。

大企業しかり、現場のマンパワーにおんぶに抱っこの

日本の多くの企業の現状。

それに嫌気がさし、転々と仕事を変える、これから

嫌がうえにも日本を支えなければならない若者世代。


でもね、これは今だけの話ではなく、過去にも様々な災厄と

悲喜劇が何度も繰り返さてきた、そして何処かで希望を失わなかった者が

その闇を切り裂いてきた。

面白い記事があったので貼っておきます。

東洋経済オンライン

この記事の中にこのような言葉が出てきます。

その中で私が映画プロデューサーになるために心掛けたことは2つです。1つは、神様に毎日祈ること。祈ることで願望が確固とした意志になります。そして、「どういうふうにすればいいのか」という考えが生まれてくる。期待されていなければ何でもできます。大切なのはギブアップしないことです。


少し勇気が湧いてきますね。この国では無理だ、

自分はそうでは無い、こんなに強くない。でも彼女のような

人がいるというだけで、微かかもしれませんが希望の光は見えてきます。

悔しさと涙の繰り返しかもしれませんが、

やってみなければわかりません。

粘り強く、上手に人との信用を築き主張し続ければいい。

(むやみに突っ込むだけではダメですよ。)

自分から時代や親や他人に縛られる必要はありません。

自分を縛っている自分ルールを時々見直すことも大切です。


たとえ締め切りがあったとしても諦めずゆっくり進むことです。

そうありたいものです。

推命学応用

推命学を占いの類で終わらせるのは実に勿体無いと

日頃から思う。人生の学び、自己修養の鑑とするのも

良いのだが、現実に実用できなければ意味が無いと思う。

例えば

「お金」については財運に注目するのですが、

お金の得かたには2種類あり一つは直接財を狙う方法。

もう一つは食神、傷官を使う方法です。

直接の方法は、目の前のお金を取る。極端な例で言えば

家にある親のお金を盗む。これが直接の財の取り方です。

泥棒、詐欺、嘘ばかりの洗脳セミナーなども、この類です。

もう一つの食傷の取り方は、

常に他人、世間を意識し、どのような

サービスや商品が求められているか情報収集の上で研究工夫、

商品開発をし経済活動を営む方法で消費者に喜ばれ

受け入れられた結果得られるもので、

自分と他の関係が円満に成立した上で得られる財の

ことです。

(食傷はこのような使い方ができる星なのです。)

直接の方法は自他の関係を忘れがちで、

結局、手にしたお金がトラブルの原因になってしまう。

なぜかといえば、財は官鬼を生じるからなのです。

通変星の通りのことが起きてくる。

一次が万事この法則に当てはまってしまう。

伴侶も然り。これも自他の関係の上で見ていけば、

長く一緒にいられる相手か、そうでないかは

明白なのです。基本、めんどくさい相手は、

そもそもの相性が悪く現代であれば自他の関係を

永続することは難しい。

(家制度の強い男尊女卑の時代であれば、夫を立て忍耐を重ねることが良妻賢母のあり方だと教えられていました。)


職場と個人との関係も同様です。

本人の仕事を正当に評価し給料を上げる努力を

会社がしてこそ、初めて自他の関係が円満に成立し

仕事意欲が増すというものです。

これを道理というのですが「言うは易く行うは難し」と

昔から言われている。しかし、道理は道理です。

推命学にはこのような道理に則った

人生の困難に対する知恵がいくらでもあるのです。

学ぶ人、教える人達が占い的、運命的な射倖心を煽り、

学ぶ者も同様であり「運命」に囚われ、人の持つ自由度を

考えることをしない、

占術自体を他人事としてしか認識できず、

自分のことはわからないとしてしまう

スカベンジャーのようなお商売に走ってしまった結果が

今の世の中での推命学の評価です。

(嫌な言い方をしてしまい同業者の方はお許し下さい。)


レクレーションであれば、いろいろなサイトの

コンピューターによる無料占いで十分だと思います。

しかし、人生の相談は生きている人に相談することを

お勧めいたします。

占い師さんに依存すること無く、自分で考え、

その上で相談することです。

相談内容は占い師さんより専門のお医者さんにした方が良い

問題も多々あります。アスクドクターズ

占い師さんは無理をなさらないで下さい。

(コンピューター占いは特に姓名判断に良いものがあります。新生児の名付けの参考にされたら良いのではないでしょうか。)














じゅげむ庵開設中

自分を知るための入門講座

推命学を学ぶことで何が得られるのか。

将来の仕事として学びたいという方も多い。

しかし、「仕事の道具」としての価値しか

ここに見出せていないとしたら、学びの

何十分の1の価値しか得ていないことになります。

学びの中では、自分を含め、あらゆる人の苦しみの原因

心の癖を解説しています。

問題は、この癖を知っても「自分とは違う」と思いたい、

我々の自己擁護システムが働いてしまうことで、

人のことはよく当たるが、自分のことは分からないと

言うことになってしまう。知っていても気付けない。

だから、何度も同じ轍を踏む。

我々は人として成長したいという願いが誰にでも

備わっている。これは心の核に原因があり、

人に好かれるため、良い仲間を作るため、

自分を守るため、居心地の良い居場所を確保するため

自身の成長がそれを果たすと考える自然な欲求です。

しかし、それが傷付けられた場合、当然ですが

成長することは無駄なことだと諦め、時間が止まり、

心が荒れる。

どうすれば、また時間を進められるのか。

自分を知ることから、それは始まると思う。

自分を知ることは親を知ることでもある。


自分を知りたくない、見たくないという人も

実際います。それで良いと思う。余計なお世話です。

我々は自由だから当たり前です。

しかし、それを望むのもまた自由ですね。

自分を知るための入門講座は入門とありますが

実際は初級レベルを超えたもので、実は、

プロの方達にこそ一番必要な情報が説かれています。

皆様のご参加をお待ちしております

時代

いつも思うのだが「〇〇過ぎる」という表現をみると

学生時代の「過ぎたるは及ばざるが如し。」「蛇足」という

故事を思い出す。特に「美人すぎる。」という表現をされた

人物の写真に違和感を感じてしまう。「美魔女」などというのも

同様だ。世間に対しての異質な感覚の修正というのは、なかなか

難しく、「やばい」の意味が、「危ない、危険」の意味から

最近やっと「良い、すごい」の意味として定着し始めている。

「むずい」なども芸能人がテレビで使い始めてから、

随分な年配の人達が使っている。「さぶいぼ」も同様。

異質な言葉は区別され差別の原因ともなるのだが、

気持ち悪いという感覚を制御するのは難しい。

常識的な知性と生理的な感情の修正というのが

求められる時代である。LGBTなどが最たるものだが、

「お墓までも持っていって欲しかった。」と

言わせてしまうのも、なんだかなーと正直思う。

言葉は時代によって、その意味が変わると何度も見聞きし

知ってはいるのだが、異質に聞こえ始めている自身の

対応力の変化に時代との隔壁を思う。

過去が大きく変化し続けている今この時、

毎日のメールにあからさまな詐欺メールが届いても

それを取り締まる法律さえ無い現状、我々個人に

何が起きても不思議ではない。

すごい時代になったものだとつくづく思う。







よもやま相談開設中

四柱推命学の功罪

統一教会が罪の意識を利用して信者さんを支配する構造を見ていて

改めて思うのですが、推命学にも似たようなところがあります。

私の流派では、そもそも神殺は無視しているのですが

同門を名乗る流派でも、この神殺を重要な鑑定ポイントとして

見ています。特に桃花 沐浴 紅艶等の色気の多寡を判定する

星を好んで使い、隠れた性状を言いたがる。ゲスの極みです。

元々男尊女卑の封建社会、男性社会で発展してきたものが、

結婚相手を判断する際、嫁として相応しいのかの判断として

使われてきたと想像されるのですが、

日本でも淫乱、浮気者の性などと古い本には書いてあります。

「あんた、浮気星がついているよ。気をつけなさい。」

などと言われた人は多いのではないでしょうか。

余計なお世話だと内心思いながら、そうかもしれないと

随分悩まれた人が多いように思えます。

そうすると、これが大きな暗示として、その後の恋愛に影響し

うまく行かないのは星のせい。自分の業が深いから。

などと一生を棒に振ってしまう。占い好きの方達は

さらに言われたことが本当かしらと推命学を勉強し始め

やっぱりそうだと人生を諦めてしまう。

これが大きな罪です。

残念ながら昔からの多くの書籍は商業ベースに乗り

奥義 秘伝と称し、射倖心を煽り推命学を汚してきた。

本当に残念でなりません。

国立国会図書館デジタルコレクション

こちらで著作権が消えているものは閲覧ができます。

(3ページ 48番あたりから読めます)


封建時代であれば、「家」という看板があったので

自然にフィルターがかかり相応しい相手との出会い、

官位、嫁ぎ先も保証されていました。

官星は親を通じて発現したということです。

努力せずとも運勢通りに出世でき、星は「家の徳」を原資に

動いていたのです。この辺りがとても重要なことなのです。

我々のような一般人とは違う世界での話です。

ですから官星が運勢で回ってきても、結婚というより

フィルターを通っていない、生の相手との縁ができやすい時期と

捉えるべきなのです。

「生」とはお互いの運が引き合った相手という意味であり、

運命の人という意味ではその通りなのですが

自分自身の人生の課題そのものである相手と考えるのが

自然だと私は思います。



四柱推命学を独学で身につけるには、かなりの高い壁があり、

誤解したまま延々と悩み続けている方達も多い。

名ばかりの四柱推命で内容は別物の羊頭狗肉状態であると

いう人もいます。

人の一生をテーマにした学問が、そう易々と身につくと

思うこと自体が人生を甘く見ている証拠です。

耶蘇の箴言に

「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、

もっとやさしい」というのがありますが

実践と深い研究に裏打ちされた力のある先生を見つけ、

腰を低くし頭(こうべ)を垂れて門を叩いてください。







 

8月6日

今日は広島に原爆が落ちた日 

それにしても、

変わらず世界は戦争に満ち、弱いものも

強いものも傷つき続けている。

われわれは「平和の仕組み」にこだわり続け

国連や様々な国同士の約束事をし続けてきたが

あいも変わらず、個々人は憎い、欲しい、羨ましいを

繰り返し戦いに明け暮れている 

個人を代表する者達はさらに大きな力で排除し、痛めつけ、威圧し

自分に従わない者を思い通りにしようとしている。

そして、この人達がこの平和の仕組みを運用しているのだから

平和を維持することなど砂上の楼閣に等しい。


我々個人は「幸福に生きるための哲学」が根本的に欠けています。

「誰か」に幸せにしてもらうことばかりを考えている。

誰かのせい、制度のせいはひとまず置いておいて、

自分自身を涵養すること、成長するための忍耐を覚え、

知恵を絞り、なんとか、嫌な奴とでも共存することを

積極的に考える習慣を持つことが大事ですね。

共存してやるから、過去を謝れ、それをよこせという相手は

論外です。共存する相手を選ぶこと、これが何よりも大切です。


そして幸せになりたければ、尽くしがいのある相手を見つけ

大事に大事にお付き合いをしていくことです。

そうすれば何十年でもお付き合いは続くものです

相手を見つけることが最難関ですが、

それさえできれば、後はそんなに難しくありません。

お互いの「信用」を大事にすることだけですね。

独立 自立

独立、自立、自助努力をうるさく言うな、

孤立し鬱を助長するという記事を読みました。

その通りだと思います。自立などといのは

強者の言い分で、できるものならとっくにやっている。

他人と交流するネットワーク作りが大事だとの結論なのかもしれません

世の中の現状に対する若くて素敵な理想論です。

問題は、それぞれに孤独でありたいと望む理由があり

ほとんどの人が他との関係で深い傷を負っている。

親、家庭環境に始まり同級生、教師 etc. さらに大人になれば

仕事上の人間関係全てが世を苛む原因になります。

それが嵩じると今ある苦しみが人生の全てだと

思い込んでしまい、その一点だけが現実になってしまい、

そして、自分を見て欲しいと暴れることで他人との関係を

成立させようとしてしまう。

全てがそうだとは言いませんが秋葉原事件の犯人の

手記からはそう感じさせられます。

自分で自分の自由を奪ってしまった。

「自分を大事にするためにはどうすれば良いのか。」を

問い直す時代なのかもしれません。

人は愛されたい、愛したい、大事にされたい、

それは生きとし生きるもの全てに対しての

基本的な感情です。

その上で、自分の思い通りにならないものに対し

簡単に愛情が怒りに置き換わってしまう。

そういう厄介な生きものなのです

言うことを聞かないペットを(裏切り者と)

蹴飛ばしてみたり、残酷な仕打ちをしてしまう。

このような暴れ方を多くの人たちはしている。

愛情深い人ほどここに落ち込みやすいのです。

まさに子供のありようなのですが、本人が気づかないうちは

治りにくい。

解決は難しいが原因は単純な問題なのです。


孤独の原因が他人と接することであるのなら

自分の足で外に出て、空を見上げることです。

そして外に出たのは自分の意思だと確信し、

自分の心の中にある自由を見つけてください。

心の中を平和で暖かく慈愛に満ちたイメージで満たすことです

日頃の敵を傷つけたり、恋する異性を暴力で支配する

心の中で思うイメージの習慣は結局、他人に依存した楽しみです。

さらに現実と幻想が絡まりおかしなことになる。

結局これは自分を傷つけるものであり相手への感情に

操られた働きです。(感情に操られ自由を奪われる。)

自分の自由を煩悩に捧げてしまうようなもので、

全く自分を大事にしていない。豊かで温かい心の風景も

荒涼とした景色も自分の中に間違いなく生み出せるものです。


何をイメージすれば豊かになれるのか?ですが、

我々のご先祖さんがちゃんとそのヒントを残してくれています。

 「花鳥風月」「雪月花」まだまだ美しく暖かく

豊かなイメージがあるのです。

他人に自分を見せることは愚かなことです。

秘かに自分を確立していけばいい。隠遁をこころがけ

世阿弥の「秘すれば花」を拠り所にすれば、

時間はかかりますが他人と自分を比べる回数が減り、

自分を好きになることができます。

花火

前回からの続きにもなるのですが

天高く夏の夜空に可憐に咲く花火にもチョコレートと

同じ効果があります。

非日常のさまざまな景色が一瞬にして日常を停止させる。

美しく散りゆくものに自分を重ねたり愛するものを重ねたりし

共有する記憶としても、個人の記憶としても

人の心情に大きな変化を生み出すキッカケになるものです

心の豊かさを育むものですね。

それがここ3年来コロナによる中止が続いている。

東京では隅田川も荒川も玉川も中止になりました。

もう30年も前のことになりますが豊島園の夏恒例の

花火大会を友人の家で見ていた時、新潟出身の女性が「

大したことないわね。」とこそっとつぶやき、

その場を凍らせたのですが、長岡の花火大会の話をされ

一同納得した思い出があります。

新潟では本日の8月2、3日と予定されているようですね。

天気が良いといいですね。子供たちはワクワクしているのでは

ないでしょうか。そうだといいのですが。



子供にとっては「あっ」と驚くような

美しく幻想的な景色というのは一生の

「情緒ー美醜と愛憎の基準」になりうるものです

同様に身近な者たちの(親の)喧嘩や怒鳴り合いも

情緒の不安定さの原因になってしまう。暴力が伴えば

なおさらで、彼らにとっての最短の感情の表現手法になる。

過去は変えられませんが、これからは変えられます。

自分自身を振り返り子供の頃の環境を思い出すことです。

知らず知らずのうちに自分も同じことをしていたら、

そこに気づくこと。それが自分の今の姿ということです。

「自分を知ること」は、このような形でもできるのです。


お釈迦様の遺言がパーリ語経典にあります

この世で自らを島とし、自らをたよりとして、

他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、

他のものをよりどころとせずにあれ。


幸せに生きるための工夫は日常のほんの数分から

できるのです。

問題は、普通の人は、賢い人ほど

「今すぐに、全部、一気に、幸せになりたい

 それができなければ幸せじゃない。」と

思い込んでしまう。

これは余程の条件が揃っていなければ無理なのです。


我々は少しづつの時間を利用し人生という天秤に乗っている

「減ることのない生きる苦しみ要素」と「幸福の要素」

のバランスを取ることが大事なのです。

男性も女性も老いも若きも同じですよ。

不幸も幸福も無常です。望む縁を積み上げることでしか

結果は得られません。これが因果の法則です。

諦(あきら)めることはないのです。

チョコレート

日々腹が立ち、追い立てられるような焦燥感が

身に纏い付く最近の情勢です。

仕事が忙しいというわけではなく、むしろこの暇な状況を

打開するための工夫を求められているのですが....。

野暮な話は置いといて簡単にできるストレスリリースの

方法を提案しておきます。試してみてください。それは

「高級チョコレートを少しだけ食べる」

という方法です。

仕事に忙殺され、まとまった休みの時間が取れない人向けの

方法ですが、ストレスは何らかの課題に対し心が働き続け

寝ていても心が休む(停止する)事がないのが原因です。

心の動きを停止させるというのが、その処方箋になりますが

普通の人には無理です。

瞑想や気功でもハイレベルの部類に分類されるものです。


心の働きは

心理に関するものでも何であれ全て五感を通して

動き始めるもので、目 耳 香り 舌 肌の接触を通し

目に映る美醜 心地よい音や言葉 その逆の音、言葉 

味わい 触れ合いにより、良し悪しの感情が言葉により

分類され心に蓄えられ、良い、悪い、そのどちらでもない、

特殊なものと振り分けられています。ここからさらに

第6の意識 すなわち記憶の集合体としての意識が生じます

それを基盤に我々の行動と思考は決められて行く。

大抵は楽で気持ち良いものを優先して選択することを

よしとしている。

五感から五つの意識が生まれ、そこからさらに六つの意識が生じる。

ですから理屈で言えば六つのうち、どれか一つに意識を絞れば

他の5つから派生したものは止まるのです。

難易度で言えば第6の「意識」が最難関で、

扱いやすさから呼気と吸気に意識を集中することが

一般的なマインドフルネスなどでは行われています。


ここまでくれば何故「チョコレート」かの理由はお分かりですね。

味覚に的を絞り五感を遮断しようとの試みなのです。

いわゆる嗜好品全てに同様な効果があり

かつての主役は「タバコ」でしたが、今は時代が許しません。

チョコレートには本当にたくさんの格言や物語があります。

アメリカの小説家、ジル・シャルヴィスの言葉に

「チョコレートはセラピーよりも安く、予約も必要ない」

というのがあります。

悲しい時に食べる食べ物、幸福をもたらす食べ物等々

食べ過ぎに注意して、できれば高級なものを

「高いんだ。絶対効果はある」と覚悟し、数分間目を閉じ、

味覚だけに全神経を集中し「幸福」を味わってください。

ほんの2、3分だと思いますが外界が遮断できると思います。


ただチョコレートを薦めるのに、こんな理屈があるなんてと

呆れて笑ってくださいね。

数分でも自由な時間を楽しみ、嬉しいという感情を

思い出す事ですよ。

甘さは肉体の歓喜を象徴する味覚です。

根拠は五行にありですね。我々は自然の一部であり全部でもある。

他を傷つける愚か者であってはいけません。

統一教会 自民党

週刊現代

統一教会は選挙の切り札だったようですね。

ここまでひどいとは知りませんでした。

選挙協力への見返りがこれ(週刊現代の記事)だとしたら、

その指揮者は代々の売国一族としか言いようがありません。

国防、自衛隊を表看板にし、一族代々の義理を果たすための

憲法改正論とまで勘繰られてしまう。

利用した議員さん達の平和ボケの証です

この事件が先生方の骨身に染みていると良いのですが

自民党の自浄作用を切に望みます。

同じ与党も似たようなものですが、少なくとも

半島や大陸に国を売るようなことはしないでしょう。

そう願います。


日本の宗教界が一つになることです。神社さんもお寺さんも

正当なキリスト教も一丸となってカルト宗教と戦うことです。

もっともっと積極的に苦しんでいる人達に寄り添い、

先祖が地獄で苦しんでいると言われたら、そのことを

相談されるだけの親しみやすさをお坊さん達が

身につけ、広く一般の人達に門戸を開くことでしょう。

地道な救済活動で伝統宗教が負けているから

こういう事になってしまった。

葬式関連の収入も時代の変化で衰えてくるでしょう。

宗教関係、霊関係の無料相談所を開設し広く知ってもらう

名のあるお寺さんや神社さんが率先して行動することが

何よりも大事ですね。ミイラ取りがミイラになることは

避けなければいけません。

できることがあれば協力は惜しみません。


キリスト教的な解釈では「完全なキリスト者」以外は皆

地獄に行くのです。ところが一般人はそれを仏教的な

地獄と誤解し、残された者の追善供養で極楽に生まれ変われると

解釈してしまう。これが彼らのやり方なのです。

違う伝統をごちゃ混ぜにした詐欺のような教義なのです。

弥勒菩薩の団体まで作っている。

愛情深ければ深い人ほど無限地獄にお金を捨ててしまう。

カルトを否定するだけの知識を身につけることです。

あちこちの宗教の良いとこどりのごちゃ混ぜ教義ほど

胡散臭いものはありません。

注意してください。


日本の神様方も唯我独尊を捨て、連合し

敵を排除し国の民を守っていただけることを

衷心より祈願いたします。

鑑定について

少しづつ生徒さんが育ってきてプロになっています

鑑定士として知っておくべき大事なことは沢山あるのですが

たいてい最初にご縁のある相談者は自分と同じ悩みに

苦しんでいる人達です。縁というのは面白いもので、

自分と同じ境界の人たちが引き寄せられてくる。

しっかりと自分自身を知った上で鑑定してください。

それができていないと自身の持つ星のパターンで

判断しアドバイスをしてしまう。これは

洗心庵で教える推命学とは違うものです。

鑑定は当たれば良いという人もいますが、

占いの予言を変える方法が推命学の「用神法」なのです。

当てるための占いと変えるための運勢鑑定があるのです。

お分かりでしょうか。

ここで学ぶ運勢鑑定は過去を知り現在と未来の吉凶を判断し

転禍招福のための行動を提案することに重きを置いた

鑑定なのです。根本的な解決を目指すもので

そうでなければ、同じ苦しみを場所を変えて延々と

繰り返す人生になってしまう。


人生は苦しいものです。生きることが苦しい。

仕事が苦しい。様々です。しかし、もし、

自由な時間を確保できるのなら、家族や他人に迷惑が

かからない範囲で、しっかりと集中して楽しめる「何か」を

見つけてください。

何をしても楽しくない。趣味がないという人は、もしかしたら

苦しんでいる自分が大好きな高貴なプライドを

お持ちの方かもしれません。

それならば貴族の楽しみを見つけることです。

限られた自由を謳歌することです。


それでも楽しみがないというのであれば、他人のために

何かしてください。「子ども食堂」の手伝いでも

介護者の荷物運びでも何でも良いので、他人に尽くしてみることです。

代価を求めない行動です。

(頭が良すぎるのが原因で行動できず悩んでいる方の対向処置です)

自分の心を開くことが、どんなに嬉しいことなのかが

見えるまで頑張ってください。

不忍池 7月24日 2022年

蓮の便りを聞き久しぶりに不忍の池に行ってきました。

綺麗なものですね。

ピンク色の花弁が いくえにも重なり 丸く 宝珠の形の

ハスの蕾(つぼみ)が緑一色に池を埋め尽くす葉の中のあちこちで、

たおやかに風に揺られていました。

上野の野外ステージ側から見た不忍池が一番良い景色だと思います

遠くに見える弁天堂と青く広い空と、たなびく雲が望め 

左側に聳え立つビルの一群との対照に「時代」の間(はざま)を

見ているような感覚を覚えました。


今日は上野公園の竹の台広場での催しが何もなく、

国立博物館を望む景色の美しさが際立っていました。

透き通るような空の青い広大な空間に掃(は)かれた白い雲の

静かに動くさまの美しいこと。

本当に素敵なランドスケープです。


令和の御代 嫌な事ばかりが起きている。

誰かのせいというわけではなく、そういう時代という事です。

不忍の池の周りでパンイチで半身浴をしているおじさん達が

結構いたのですが、これが普通の我々の日常です。

実際は色々な苦しみを背負い自分のことで精一杯で、

できるだけ楽をして生きて行きたいと望んでいる。

そして同じ轍(わだち)の上で喜怒哀楽を繰り返し続ける。

この轍の先には何があるのか?

この時代を共有する世界中の国に、

その時代に相応しい人達が生まれ、

そこに繋がる全ての過去の精算を強いられている。

そしてこれは、どの時代でも変わりません。

我々の日常も同様で、これを「因果」というのですが、

因果もまた「無常」なのです。

だから、一つ一つほどいていけば良い。

今も繰り返し行なっている苦しみの原因になっている行動を修正していくことです。他人の言葉に反応し、否定を繰り返し、嫌われ受け入れられず、怒り、妬み、求め拒否され傷つき、さまよい、孤独に震え あきらめ、他人を傷つけることにも自分を傷つけることにも慣れてしまう。まずはそのことに気付き、そんな自分を大事にするためにはどうすれば良いのかを考えることです。

言うほどに簡単ではありませんね。

でも間違いなく可能性はあるのです。

大切な「自由」を自分を傷つけることに使ってしまう人の

何と多いことか。

自分を大事にすると言うのは結構大変なことなのです。

新興宗教2 「自由」

信仰の自由を主張する教団

教団に隷属し自由を自ら手放す自由

自立し、自分に直面し、心を洗い始めると、

染み出した垢や汚れが、まともに見えてきて、

自己嫌悪感がどうにもならなくなるものです

けれど、これは心が洗浄されてきた証拠です。

嫌悪感が本物なら少しづつでも言葉の行為

行動の行為 心の行為が変わっていきます。

精神的な自立の意味はここにあります。

人生に付随するせっかくの自由をどう活かすか。

苦しい人生どうすれば楽しく生きられるでしょうかと

問うた人がいました。

自らを縛る「執着の鎖を手放し.....。」自由を得る。

などと言ってもしょうがない。

衣食住が満たされているなら幸せをすでに得ている。

健康で仕事があるのなら、すでに幸せを得ていると

気づくことから見ていきましょう。

現状の苦痛は何が問題で原因はなんなのかを分析しましょう。

たいてい、色々ごちゃ混ぜになり一つ一つを区別できなくなり

色々な悩みが複雑化していきます。

人間関係がうまくいかない 仕事がこなせない

過去の悪い思い出がループしてしまう

欲しいものが手に入らない(恋愛 結婚 進学 就職 友達 お金)

それがなんであれ

強烈至極のパワーワードを紹介しておきます。

「楽も苦も自分も他人も一切は無常以外の何物でもない。」

(「一切皆苦」より自然に受け入れてもらえると思います。)

無常である自分の人生を受け入れ、

望む姿の希望の夢のジグゾーパズルを時間をかけて

諦めずに、最後までやり遂げようとすることです。

(これも苦しい作業には変わりない。

ほらね、人生は苦しみでできているでしょ。)

一時的な快楽なら、誰でも どこでも、いつでも

得られるものです。(人の体はそう出来ている)

「長く継続する楽しみ」を求めるのならば

それこそ創造の苦しみと痛みが求められる。

人に尽くし、喜ばれ、相手の喜びを自分の喜びとし

味わう「喜びの循環」。

推命学の研究の中にこれを見つけ私はこれを

「順のサイクル」と名付けています。

こんな人がいたら奇跡に近いと思いますが

でも、多分これが止むことのない極楽の形です。

「生きとし生きるものは全て大事にされたい 大事にしたい 

 命(人生)が愛おしい」だから、傷つけるものを

憎み恐れ敵対し 心を鎧で覆い、素直さを捨て、

自然な「心の核」の発露を阻害し自分を守っている。

これもまた我々の自然な姿です。けれど、

そのままに居続ける必要もない。不自由極まりない。

一切は無常です。

心の「自由」さを思い出してください。

新興宗教 事件から1週間

事件から1週間が過ぎ、事件の背景が色々と

見えてきました。私怨ですね。

宗教の怖いところは「救われてしまう」ことにあり、

その救いは、それで良いのだと思います。

同じような苦しみを持った人達が集まり、

信仰したらこんなに良いことがあったと語り合い、

日々の幸せを探し始め献金の額で仲間から

羨ましがられ、友達もでき、孤独から解放され、

政治や社会に影響力のある大組織に帰属することで

優越感と自尊心を満たしてもらえる。

これが新興宗教の救いであり、どの教団も

大同小異、ある意味グループセラピーの代替施設であり

間違いなくこれが必要な人達もいる。

ですから彼等に善悪を問うても仕方がない。

大事なことは献金等々、使える金額の決め事をする事です。

この辺りが今回のケースの遠因です。

(原因自体は別の所だと思います)

極端な献金がなされているのであれば、

法律の専門家に相談の上、生前分与、未成年後見人等の

手続きをした上で本人以外の資産を凍結することが

最善でしょう。

自分の分のお金で幸せを買ってもらうことです。

(最近の日本では「セミナー」を名乗っている団体が多いようです。

 半島系の宗教ばかりではありません。)

もし布教の対象にされた場合、無理強いをするようであれば

心を鬼にして縁を切ることです。


それができないのであれば、時間をかけて目覚めるのを

待つこと。何に目覚めるのかと言うと

先に書いた、大きな組織へ帰属した安心感、友達を得て

孤独から解放された喜び、しかし、

「本質的な苦しみは何も変わっていない」という

この現実に直面するまで寄り添い待つことです。

他に依存隷属する限り絶対に本質的な苦しみは消えません。

本人にとって、いちばん苦しくて残酷なことかもしれませんが

これが普通に生きている我々が日々強いられている姿です

生きることは苦しい。しかし、「自由」もあるのです。

苦しい中に自由があるからこそ

人生には価値があるのではないでしょうか。

ビール

焦げるような暑さで我が家ではビールの消費だけが

増えています。クーラーも年々身体に堪える始末。

嫌なことばかりが続く。

苦しみには「壊苦」「行苦」「苦苦」の三段階あると

仏家は説きます。その根拠は全てが無常で移り行き

苦しみでさえ、時と共に、その感じ方が変わり、

痛みの伴わない状態に変わってしまう。

痛みの忘却戦術とでも言いましょうか

人の持つ生存戦略の一面です。

苦しみにも喜びにも「飽きて行く」人の心

同様に愛情にも慈悲にも飽きてしまう

ところが「敵」に対する心は、相手を排除するまで

終わらない。

純粋な優しさには執着しないが、自分に損害を与える敵、

自分の思い通りにならない敵には執着し続ける。

これも誰もが持つ心の一面です。

この人の持つ心の複雑さに対し、占いや推命学はどのように

関われば良いのか?どう思いますか?

今も昔も本屋やネットには占術のノウハウが溢れ、

学びの系譜を示せない怪しいサイトが多々あり、

それを真っ正直に信じて勉強している一般の方達。

最も大事な占う側の心がまえが皆無です。

(洗心庵のサイトでは心の成長に関する事だけをテーマとして書き続けているつもりです。)

将来、人を助けられる占い師さんになりたいという

夢を持つ人が、ネットや本で勉強し、ある程度当たるようになると、

他人の悩みを「有料」で見てみようかな。という

「なんちゃって占い師」になってしまうことがある。

孤立し深い悩みを持つ依頼者と関わってしまった時

自分の生命力を削られ、相手の念に引き摺られ、

自らが問題を抱えることになる。

昔も今も、変わらず、何人も何人も、

そのような占い師さんを見てきました。

独習は慢心を引き寄せ、慢心は傲慢を引き寄せます

腰を低くし良い先生を探すことが、良い占い師 鑑定士になる

最短の近道です。

無料鑑定 改

6月29日 追記

6月は30日まででした。明日まで無料鑑定をいたします。

通底鑑定の形式でのメール鑑定です。

易が当たり過ぎて怖いのか、はずれ過ぎて呆れてしまったのか

こちらからの質問に返事をいただけない人がいます。

もし余計なことまで的中しているのであれば、そこに

悩みの核心がある場合が多いことをご理解ください。

エンターテイメントの占いを求めている方には

あまりお応えできない感があります。悪しからずご遠慮ください。

(真剣に具体的な悩みがある場合はお力になれると思います。)





数年ぶりにメールの無料鑑定を行いたいと思います。

ただし、私の未来はどうなりますか?的な漠然とした

質問はお断りいたします。

これからどうしていいのか分からない。という場合、

大抵はどうすれば良いのかわかっているけれども

それをやりたくない。他に、良い手はないか?というのが

質問の趣旨である場合が多いからです。

具体的にこうしたいのだがどうか?については、吉凶を

答えること、それなりのアドヴァイスができると思います。

「具体的」に物事を考えること、自分を客観視する、

現在の自分の姿に直面することが、わずか半歩か一歩ですが

前に進んだ証拠です。頑張って相談してください。

過去に私に怒られた人達も、教室を途中下車した方達も

喧嘩を売ってきた方も迷いがあれば奮ってご相談ください。

期間は2022年6月18日から30日までの6月いっぱいです。

鑑定用メールフォームからご相談ください。

エンターテイメント占い

デイリー新潮

時々生徒さんから質問される内容です。

いつも、この通りに答えています。

お前はどうなのか?と問われるのは当然だと思いますが

多くの先生方は、真摯に迷いや悩みに応え、

陰ながら、心の底から依頼者の応援をしていると思います。

私もそうありたいと思っています。

運勢を扱うということ。これは見せ物ではありません。

運をつける

「増刪卜易」という断易書にかなり示唆に富む

事例が書かれていたので記載しておきます

藤田善三郎先生翻訳版の252ページの例題です。

地下に忽然と五色の光が現れ宝物が埋まっているのか?

との易断を求める者に対する答えで

「何もないよ」

「何もないのに、なぜ光るんだ?」

「それは、妖気です。」

実際に掘ってみると破れ甕と瓦礫の泥が

出てきたとのこと。

これに似たことが、実によく起きている。

とても魅力的に見える男性や女性がいます。

どのあたりに魅力を感じるのか?

強くて優しそうとか、明るくて社交的とか

出世株だ、掘り出し物件だとかもありますが

それが、実際は「まやかしの光輝」妖気の場合が多く

そう見えてしまい引き寄せられてしまう。

この本では、問筮者(依頼者)は欲に目が眩みやすい人で

だから妖気由来の光輝が見えてしまった。

と考えるのが自然だと思います。


普段の心の影の欲望が現実に投影されてしまう、

これがリアルな我々の姿です。

妖怪は我々の心の中を住処にしています。

我々の心の一部なのですから「出て行け」は

無理な話で、何らかの手段で追い出しても

すぐに戻ってきてしまう。しかし、

「調教」することは可能です。

「さあさあ悪態ばかりついていないで、

「善」なることを楽しもうね。」と言い聞かせ、

行動することです。自分の中の悪心を受け入れ

「こうしても良いんじゃない?」と対立するのでは無く

優しく会話し、自分で自分をリード(指導)していく。

対立ではなく円満に善なるものと同化させる。

実に面倒臭いことですが、できます。

そうすると「運」は必ず付いてきます。

どんな運かといえば、生きるのが楽になる運です。

自分を通そうとばかりしてきた人であれば晩年の

「孤独」「孤立」が必ず伴う副作用であり、

他人を受け入れ、自分も受け入れられるための

自尊心の涵養が善なる行為になります。

耐えながら逃げる事ばかりしてきた人であれば

自立する努力こそが善となり結果、自由が手に入ります。

倫理社会の授業で習う「善」とは違いますが

運をつけることで人生も開けていきます。

頑張りましょう。

鏡花水月

これもだいぶ前に「苦しみの分析」について書きましたが

何故、苦しみの分析が必要なのかを解説しておきます

皆が皆、幸せを求めています。自分の幸せであり、

愛する人の幸せを願う。当たり前のことです。そして、

この「幸せ」を傷つけるものを嫌悪する 今のままで良い。

それ故お説教的であったり上から目線的なムカつく情報は

無視し耳に入れないようにしている。

これも一つの生存戦略です。

自分の生き方を否定されるような情報には心を閉ざす。

しかし、

本当に残念なことなのですが幸せというのは長続きしません。

何故かといえば「幸福」の高揚感を維持すると

心と体が壊れてしまうからです。

(脳内物質が過剰に分泌された時の弊害を調べてください。)

人はそれに「慣れ」ることによって心身のバランスを維持している

言い換えると、幸福を当たり前としてゼロ化している。

このように幸福感は必ず消え行く宿命を背負っている。

問題の一つはここにあります。


人間の研究として推命学を追求すると、

人は内的、外的環境がよほど整わない限りは

満足できません。一般の推命学を学んでいる人達でも

知っていることですが地支の解釈として

12運 空亡 冲 刑、害等々を加え大運年運を加え

判断をしていくと、例外なくどんな命式も必ずこれらの

組み合わせが成立してしまいます。

中には天戦地冲などとおどろおどろしい名称が

つけられているものまである。

これが濁りの原因だと私は理解しています。

(どれも条件が成立しない限り決して発動しません。

 安心してください。)


歳を取るのは嫌ですね。子供の頃は早く大人になりたいと

思ったものですが、時間の流れは止めようが無い。

神様の世界も同様で天人五衰は有名な話ですね。

「自然」の摂理、生きとし生けるもの、存在するもの全てが

流れ続ける時間の中の住人です。

この宇宙自体も生住異滅を繰り返している。

(宇宙論等、最新の科学は下手なスピリチュアル世界よりも数段神秘的です。)

時間は流れ続け、変化しないものはない。

そして、その流れには圧倒的に人の心を濁らせる因子が多く

「幸福」の実態は「鏡花水月」水面(みなも)に映る花の

ようなもので、もし消えゆくものに執着すれば

苦しみが、幸福を得た結果になってしまう。

映った花は幸福の芳香をはなつ痛みの種でもある。


心の濁りはどうすればいいのでしょう。

水面に映る花をどうすれば維持できるのでしょう。

「無常」という「時間」の流れの中に我々はいる。

この事実を受け入れることが「気づき」の始まりに

なると思います。

伝統

聞き流しでよくYouTubeを聴いているのですが

先日 ハットなったサイトがあって、見ると

ストリートピアノなのですが、音が違うのです。

驚いて調べてみると数々のコンクールで入賞している

音大生でたくおんTVを運営している

石井琢磨さんというかたでした。

本当に面白いと思ったのは、

マエストロ達により醸された音楽が音に

凝縮されているように感じるのです。言い換えれば

膨大な時間の修練で磨かれた正確な技法と

師事する先生方から伝えられた曲の解釈の表現とでも言いましょうか。

クラッシックのプロの世界にいる音楽家の方達は

皆、そうなんだなと改めて認識されました。

伝統の継承者たちです。

新しい皮袋に入れられた古き酒とのブレンドと言ったら

怒られるかもしれませんね。


推命学も同様なのかな?とも思うのですが、

方術系の学びで、もっとも大事なことは

学ぶ側が「何を動機として学ぶのか?」であり。

この辺りが結局、そこから何を得られるのかの

境目になります。

「どうして学ぶのか?何を目的に学ぶのか?」

私は自分の苦しみの原因の源を知るために

この学びを始めました。源がわかれば苦しみを

消す方法も必ずあると思ったからです。

ある人は

自分の人生を再構築するための拠り所とするため、

中には

果てしない天人合一の知的快楽を追求するため、

またある人は、ビジネスとして「お金」を得るため。

ともに一流にならなければ目的を達成できないものですが

残念なことに、この学びで「お金」にコミットしてしまうと

自分のことは分からなくなってしまうようです。

(何故かよく考えてください。)

さらに、他人に利用されること、自分が傷付けられることが、

よくあるようです。気をつけてください。

相性

相性について書いておきます

相性の中には一度結ばれるとなかなか離れられない

関係の相性があり、一般的には調和の相性などと

言われています。しかし、お二人が吉運にいるときは

とても良いのですが、一旦どちらかが崩れると

相手の苦しみを、自分も負うことになり、それが始まると

家庭に負の連鎖が起きてしまう。具体的に書けば

吉運の時は、夢のような二人だけの世界を共有し、

子供さえ、そこに入ることはできなくなる。もちろん、

お二人が立派な人間教育を受けていれば、良いご家族が

出来上がる。「人間教育」と書いたのは学歴とは

別なもので、他人の痛みを知り、できる限り他に優しく

相手に無償の奉仕をする学び、これが最善の喜びであり、

尊い価値あることと認識する教育、という意味です。

「自分自分自分だけ」の利己心を育て、それに付随する

高学歴ならば、AIさえあれば必要のない役立たずです

「人の価値」に対する無知が学歴社会の最悪の産物で

この傾向はハイブランド好みのプライドが高い人達を蝕み

権威やレッテルに対する憧れが、彼らや彼女らを毒している

自分はそうでないのだが、子供や友人の自慢好きや前回書いた

「3高」などが良い例です。そして、驚くことに、

生まれながらにこの傾向を持つ人達がいるのです。

人類は5百万年前に誕生したと言われていますが、

この傾向は我々の心の核に刻まれた生き残り戦略の

名残りのようなものだと思う

(「愛おしい命」を守るための戦略 自分だけの命という意味ではありません。

本当に言い難いことですが、今ウクライナでこのことが起きています。)

従順に権威に従う 智恵を使う 技芸を売る 商売をする 

降伏する 逃げる等々 全てが生きるための手段です。

(残酷な言いようですが、その結果の良し悪しは全く別です)

しかし、これは遺伝子的なものなどではなく、先祖というより

前世の自分自身が今生へ持ち越してきたものであると

考えるのが妥当で、親や先祖を恨むのは間違いです。

時代が違い、この世で過去の戦略を繰り返す必要はない。

しかし、前世からやり続けてきたことなのですから、

上手にそれを活用すれば素晴らしい成果が生まれるはずです。

問題は、それを育てる努力ができるかどうかと

負の遺産の処理をどうするかということでしょう。

いわゆる悪神の類を最初から抱えて生まれてきている。

これが負の遺産です。このことも確りと書いておきますが、

この悪神は縁を生じなければ発芽しません。

「強烈な感情」が、その縁になり強い執着 怒り 

嫌悪の伴う差別 等々ですが 多くの人にとって

社会的な日常生活では、全て回避できているものですが、

しかし、当たり前のように、私的な日常では遠慮会釈無く

この感情が蠢(うごめ)き苛(さいな)まれている。

注意しなければいけません。

それぞれが、それぞれの「エンドレスな生命」を

演じ続けている、自分もまたそうだと考えることができれば

同病愛憐れむの心境に達してしまう。

これが達人の領域です。(ジョークです。)



時代の多様性から言うと我々は男女の結婚に

縛られなくなっている。生涯独身という選択肢、

生涯のルームメートを探すのも同様です。

しかし相手が男性でも女性でも人と人である限りは

持って生まれた生きるための戦略がそれぞれ違うことを

知ってください。お互い違う人間なんだと認識することです。

「常識でしょ」、とか、「当たり前でしょ」は

一番危険な言葉かけです。


一番身近にいる人に敬意を持てるよう学ぶことです。

クソ亭主であれ、クソガキであれ、クソババアであれ、

クソの中には黄金が隠されていると昔の人は言ったものです。

その通りかもしれませんよ。

循環

我々は循環しています。推命学でも断易でも

五行思想は全て循環が基礎となり12運という形で

表現されています。長生..沐浴...帝王...墓...絶...長生....

占い的な解釈では無く、人は終わることのない

生死の循環の中にいるという明確な啓示でしょう。

今生という言い方がありますが、まさに、今、生きていると

感じている我々の感覚こそが「生」そのものなのです。


プライドや、慢心や嫉妬が高じ激しい怒りが生じてしまい

その感情と記憶に貼り付けられ、そこから動けなくなった時、

ある意味人の心は停止してしまいます。

そうなると、夢や希望や楽しむ心が覆われ

心の深い部分では喜びをもてめていても、

停止した心は積極的な人生を恐れ、

日常活動全てが慣れ親しんだ従来の自分自身の行動を

超えられない。しかし、

その従来の自身の行動の中にこそ苦しみを生み出した

原因である「種」があり、それを何とかしない限り、

また新しい苦しみが芽生えてくる。これが自然の理です。

しかし、

種は持って生まれたものですから変えようがないのですが

実は、発芽しない様にはできるのです。それは

「縁」を与えさえしなければ発芽しない。

「縁」とは何か?

多くの場合、それは

「責任転嫁」「こだわり」「依存」「甘え」です。

身内に対し激情を表すのも甘えですよ。親が子を怖がって、

それを許せば極端な場合、最後には悲劇が待っている。

しかし家を出てもらえば、本人の苦しみは続くが

悲劇は起きません。

一昔前、結婚の条件は三高ですという女性が多くいました。

現在、某一流大学生等々 三高のどチンピラが犯罪者として

日々報道されています。お分かりでしょうか?

「人物」ではなく相手のレッテルだけで判断することの

悲劇です。これが「こだわり」の意味です。

「甘え」の意味もここから察してください。

特に身内への依存、責任転嫁は結局自分に返ってくることを

知らなければいけません。



人は循環していると推命学は説きます。

傲慢で威圧的なものも必ず死を迎え、また生まれてくる

ただ生まれてくるのでは無く「生」に培った「種」とともに

生まれてくると仏家は説きます。その通りだと思う。

幸福を願うのであれば、不幸の種を弾き、幸福の種を植え

縁を与え育てることです。注意深く他人の目を持ち

自分を見つめ、己の善悪を判断し自分以外の他と

(他には、夫 子供 血縁全て自分以外の人達の意味です)

共存共栄できるよう賢く生きることです。

本当に残念なことなのですが、自分のパートナーを

見下す癖の強い人が多いのですが、少しでも相手に

敬意を持つことが相手がどうであれ自分自身の心を汚さなくなる

最善手であることを知ってください。これができれば

だいぶお二人の関係は良くなります。



苦しみの形は様々ですが、

蓋をしてしまった自分の心に少しだけ勇気を出して

誰にも負目(おいめ)を負わないよう自分を正し、

夢や希望や目標を持つことを恐れず「今生」などとケチなことを言わず

諦めても一生 求め続けても一生 凡庸でも一生と

他人もまた同じ「一生の存在」であると認めてしまうことです。

心の重荷は、自分が生み出している幻想なのかもしれません。

TVショウ

歌人ご夫婦の絆を知り、やはり潔(いさぎよ)く生きたいと思う。

純粋な生き方は儚く美しいと思う。


生徒さんから最近テレビで占いが流行っていますが

あんなこと分かるのですかと複数の人たちから問われ、

TVショウですからと答えています。

(若い占い師さん達は皆魅力的でお金を払っても相談したいと

思うのは自然ですね。それにすごく当たるようです。

あまり言われるものですから録画したのですが

正直にいうと3秒くらいオープニングを見て消しました。)


名を挙げるために世間に能力を見せるというのは

是とします。しかし、やはり運勢鑑定や占いは

他人に知られてはいけない陰の世界のものです。

(かつてオーラの泉という番組があったのですが案の定 

 裁判沙汰になり消えています。)

例えれば弁護士に身内の相談や負債、なんらかの法的な

争いをする姿を公の場で見せてしまうようなものなのです。

さらに言えば、現状の悪さの原因が自分にある場合

本人が変わらない限りは、誰にもどうしようもなく、

医者も弁護士も凝り固まった性情を治すことはできない。

本人しか自分を変えることはできないのです。

よほどのショックや生き方を変えてでも、誰かを

助けたいと思うような、いわゆる自分の命をかけてでもと

なった時に初めて人は自分を見つめ始める。

逆にいうなら、そのくらい追い詰められなければ

日常の自分に、なんやかんや言っても満足していると

いうことなのです。

最近、私も生徒さんに、この人には救いがないのでしょうか?と

問われると、2、3回生まれ変わらないと無理かなと、

本気で答えています。なぜかというと

そのご本人、現状、衣食住は足りていて。ただ、

自分の願いが叶わないのが悩みということだからです。

何から救えばいいというのでしょうか?

その願いというのは差し迫ったものというより趣味の問題なのです。

いったいどこに気づきの機会があるでしょう?

現状維持で十分であり、問題は、

その生徒さんが彼らの欲に飲まれ同情させられている。

相手の傲慢さと不幸話に、いい様に操作されているのです。

コラムを読んでいない生徒さんなので早く気づいてくれるといいのですが。



時には我々は命を削るような思いをし、それを諭し、

本人の持つ「業」のようなものと戦うことがある。

殴りはしないがそれに近いことをする。相手はギャフンと言います。

それがこちらに聴こえる時もある。

(昭和生まれの父親の拳骨ですが恨まれます。)

それでも、多くの方達には「気づき」が生まれ再生している。

(と信じたい。)



占いも運勢鑑定も見せものではありません。

お分かりでしょうか?

私どもの運勢鑑定はこういうものなのです。

お医者さんにヤブ医者もいれば名医もいるように

我々の世界も全く同じです。術は人により定まるものなのです。

生徒さんや依頼者の皆さんには誤解の無いようお願いいたします。

TVショウの方達とは一線を画すものです。


時代なのかもしれませんね。

ただ、これだけ個人情報にうるさくなった時代、

そもそも個人情報にもならない鑑定では意味がないのですが、

自分を晒される出演者の方達も、占い師さん達も、

テレビの方達も、その辺りを分かっているのでしょうか。

制作側の甘さが見え隠れしてしまいます。

歌人 絆

Yahoo!ニュースを見ていたら

歌人の河野夫婦の馴れ初めから死別までの

物語がご主人の永田氏により語られていました。

なんと言いましょうか、ものすごい緊張感のある文章で

奥様との物語がアニメーションのように伝わってきます。

映像 音 心情の響き これが歌人の表現力かと驚かされます





彼らの絆の深さに新しい発見がありました。

断易と余談

先日生徒さんから断易の伏神の意味を問われたました。

ベテランの断易家の方は既にご存知だと思いますが

初心の方には参考になると思うので書いておきます。

学び方の第一として、

まず、八純卦の構造を理解しておくことです。

納甲の原理はここにあり、何が五行の基準となり

通変としての六親が付されるのかを知ることです。

それが理解できれば納甲表を見る必要はなくなり、

世爻の位置も簡単に見つけられます。そして

これにより伏神の本質的な意味も理解できるでしょう。

飛神は顕界 伏神は、顕界に現れ難いものの意味です。


余談になります。本を読むBGMを探していたら、

とても綺麗な神社さんの映像が現れ、見とれています。

神旅 4K映像なのでしょうか綺麗です。

貴船神社の映像を貼っておきます。この神社さんの中宮の

「結社」には縁結びの神である磐長姫命が祀られています。

「恋う」は「乞う」です。

恋に苦労した和泉式部は「和泉式部集」で

男に忘られて侍りけるころ、貴船に参りて、みたらし川の、

ほたるのとび侍りしを見て

「物おもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる

 魂(たま)かとぞみる」と詠むと

「おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり

 ものな思ひそ」と男の声が答えたとのこと。

蛍の飛び交うのは宵の口(午後7時から9時頃)

そこでこの歌です。

いつの時代も男には「女性」の気持ちは理解できません。




縁結びの神様が誰であれ、無理をお願いしてはいけません。

暗い気持ちで行くのも禁物です。明るい未来を

イメージして参拝してください。暗い気持ちは暗いものを

拾ってくるものです。

「あー、神様と会えて嬉しいー。」と言うのが

最善です。感謝、感謝。その上で神主さんがいて

社務所があるのであれば、しっかりとお金を払って

祈祷してもらってください。5円や100円で願いを叶えて

もらおうというのは、あなたのお願いの価値がそれだけだと

言うことです。

喪失感

文春 上島竜兵 喪失感

なんなんでしょう、この喪失感を私も感じています。

同感だ、これが、その答えだ。とは言えませんが、

感覚を共有する人がいたことで意を強くしています。


他人の困惑した表情を笑いとして定着させ

素人をいじり倒した「欣ちゃん」しかり、

ストレス社会の捌け口から生み出された娯楽の

行き着く先を憂えても仕方ないことですね。

時代の産物です。

研究科の方へのお知らせ

「原名式の研究」欄を閉鎖し、テキストI、IIとし、

新たな命式を加え再編集しました。

従来のパスワードで入れます。

パリジェンヌ

面白いサイトを見つけたので貼っておきます。

パリジェンヌになるための格言

望みの鏡

自分が望む姿を映し出す「みぞの鏡」の話が

ハリーポッターにありました。

「自分が望むもの」理想の姿。

占いを含むスピリチュアルの世界にそれを求めている人が

とても多い。ハリーポッターなどはその代表格でしょう。

特別な別次元の自分、今とは違う本当の自分の姿。

素敵な話です。私も同じように彷徨いました。そして、

いつの間にやら髪は白くなり声が枯れ始め青春の盛りは、

とうに過ぎてしまいました。

同年代の上島さんの訃報を聞き、寂しさが増します。

手段はどうあれ

「功成り名遂げて身退くは天の道なり」です。

本当にお疲れ様でした。頑張ってきたのですねと

心の底から思います。


望みの鏡に写った自分の姿が、普通の鏡に写った時

人生は完結し未来への道がついえてしまうようです。

昨年も同じようなことがありました。

人の寿命は自分で決めるものではありません。

決められるものでも無い。当たり前ですが「自然」の一部です。

命あるもの全てが同じであるように、我々も

老いて、動かなくなり、停止するものなのです。

また、時に、母なる自然の強烈な運動に飲み込まれ

土に戻されてしまう。それを思えば、

普通に生活できている日常の、なんと愛(いとお)しいことか。

心を過去の痛みに満たすことを辞め、限りのある人生を

愛おしみ、他の人達もまた同じであると、彼らが気付こうが

気付くまいが思うことができれば、人生は遥かに豊かになります。

あの世へは「心」しか持っていけないと世界中の宗教が

説いています。その通りだと思います。

人生の最後に自分を傷つけてしまった心は、

いったいどこに行くのか。想像もしたくありません。

天気

雨空の下、今日もちゅんちゅんとスズメが鳴いています。

気象庁のホームページを読むと2022年の関東の梅雨入りは

6月7日頃とあります。まだ多少日にちはあるようですが、

ここ数日の天気を見てると、もうちょっと早いかなと思います。

断易中興の祖である九鬼盛隆先生は毎日天気を占うことを

日課とされ、これで達人に至ったと書かれています。

私の場合残念なことですが、理屈っぽく、

どこの天気を占なえばいいのか?と屁理屈を呟き、

勉強を怠け、未だその域に達せません。

それでも、毎日空を見上げることはしています。

易の腕を上げたいと悩んでいる方は、先達が言うように

自分の頭の上の天気に限定して、占い、研究してください。

データーを残し何度も検討することです。




大事なことを書いておきます。

これはとてもとても大事なことです。

それは、

「自分のことは絶対に占わないこと。」

自分のことを占い始めると必ず「魔」が入ってくる。

どの占いであれ、毎日自分のことを占い始めると

現れた象意の暗示に囚われ、自縄自縛の憂き目に

落ちます。心して下さい。

社会人

昨年までであれば4月になれば新入社員や

学生たちの話題が一つや二つ映像で流れていましたが

ロシアの侵略戦争がそれを消してしまいました。

新人さん達は新しい環境になれたでしょうか?

大学がオンライン授業であれば地方在住でも

かなり生活に余裕ができると思うのですが、

学生生活としての価値は半減でしょうね。

「人」を学ぶこと(友達を作ること)も学生に課せられた

課題の一つです。最近はこの辺りを意識させる大人が

あまりいないようです。

社会に出れば「情」をかけることもかけられることも

自然には行かなくなることがあるものです。

孤立して孤独に落ちたり、ひとりぼっちで不安や

不満に苛まれても、

咳をしてもひとり」と俳人が読んだ境涯を味わうことにもなるでしょう。

でもね、と考えてほしいのです。

孤独、孤立というのは他人との対立から生じる問題で、

「死」というのも「生」と対立させるから「恐れ」が生じる

のだと思うのですが、宇宙開闢以来、今、この瞬間も

空の彼方にある星は死に続け、生まれ続けているのです。

存在するものは地球も同様、必ず死に至る病に犯されるのです。

(あと20億年、水が枯れた時、生命が終わる時と言われています。)

空を見ることを忘れてしまった我々は、自分のことしか

見えなくなっている。


今、目の前にいる嫌な奴は、お互いの長い人生の一瞬でしかない。

相手も社会人であればルールの上で戦うことです。

数字を上げ、見返せばいい。相手よりも評価される仕事をすればいい。

世間を味方につけることです。

ルールの無い相手ならばnoルールを考えれば良い。

遠慮することはありません。

ただし、そんな奴とはいえ、傷つければ、いつかそれは

自分とその近親者に必ず戻ってくるものです。

世の中よくできていて、プーチンさんも、その家族も

護衛がいなければトイレにも行けないのではないのでしょうか。

それはそれで惨めなことです。

世の中は怒りに任せたり、短気を起こしたものが負けるように

できている。さらに言えば、それを許す組織は必ず大きな

犠牲を強いられてしまう。旧日本軍しかり、某大企業然りです。

(具体的に言えばインパール作戦や戦艦大和の特攻。

最近も復活できるか?で話題になっていた有名企業です。

調べてください。)

世の中筋が通らないことも多々ありますが

まずは忍耐し、自分の実力を測ってください。そして実際の能力と

実績を勘案し、自信があるのなら転職の機会を狙うことです。

思い込みの実力では役に立ちません。馬鹿にされるだけです。

最近はリア充の弊害が言われ始め、会社にとっての「役立たず要因」

の代名詞のように使われ始めています。コネと学歴とバブルに溺れた人材も

同様、廃棄される傾向にあるようです。

実力に自信がある人たちは是非起業してください。

ネットが世界を繋ぐ時代です。お商売の仕方はいくらでも

あるのではないでしょうか。

どのような形になるかは別として一旦は戦争も落ち着くでしょう。

束の間の平和かもしれませんが、

宇宙規模の時間軸で考えると当たり前のことです。

「吉凶はあざなえる縄の如し」

人生、長くて8、90年、坐して死を待つ必要はありません。

しかし静かに日常を過ごし、人生を終えることができたとしたら、

それも達人の生き方なのでは無いのでしょうか。

空の星を見上げてください。

習ったことを使うこと

初級を終えた方達、研究科の方達は

とにかく習ったものを使ってください。

使えば、習ったことの正しさが実感できるでしょう。

使わずに寝かしておけばサビが生え疑いが増すだけです。

そして、相手にどう伝えるかを何度もシミュレーションし

自分の言葉と心を鍛えることです。相手を傷つけず

自分も傷つけられないためには言葉に親しさと

寛容さ、そして慈愛が求められる。

それができて初めて相手に言葉が届き始めるのです。

流派だの学理だのを相手に告げても全く意味がありません。

生きた言葉を伝えることです。

そのように教えているつもりです。

プロの鑑定士を目指すのではなく、良い隣人となることです。

それができてくれば、自然とプロとしての道が開かれる。


あちこちに首を突っ込めといっているわけではありませんよ。

他人の悩みや迷いに気づいてあげることです。

お節介をせず、心だけ寄り添うこと。そうすると

不思議に話をする機会が訪れるものです。

初心

人に慣れ(なれ)、仕事になれ、時には神仏にもなれてしまい、

初心の純粋な気持ちが消えてしまう。

「なれる」舐め腐る、見下す、等々。いつの間にか

自分にとって、とても大切だったはずのものを

下に見てしまう。これでは救いがありません。

(このような癖を持つ星がある。)

他人への皮肉や嫌味をやめられず、

愚痴の性状につきまとわれ、いつまでも自分は

被害者であり続ける。そして、

自分にないものを持つものを妬み、嫉妬し、怒り、

誰かに愛されたい、愛したい。大事にされたいと

願い続ける。心がささくれ立ち、

出会いがあっても相手を試すことを繰り返す

だから、一時的に満たされても長くは続かない。

世の中に背を向け恨み続けることになってしまう。

愚痴とは、ものの道理がわからない者のことを

言います。自分のことで精一杯であったとしても

嫌味を言われた相手もまた大事にされたいし

誰かを大事にしたい人であること。

多くの人がこれを忘れてしまっている。

これに気づけたとしても、

そこに慣れが生じ始めると、元の姿に戻ってしまう。

もし、苦しみを解くための気づきが生じた時、

それがなんであれ、その気づきを維持し続ける

覚悟を持つことです。

一瞬でも純粋な光明が見えたならば、その心を

維持するため何度も何度も気づきを言葉にし

自分の心を浄化し続けることです。

自分の心に底にある「愚痴の闇」と戦い続けることです。

そして、今すぐこれが出来なくとも、いつかは出来ると

意図して生きることです。

持って生まれた心の癖だったとしても、それを

変化させることはできるのです。「変える」のではなく、

気づきを維持し表現の質を変えること。これが肝です。

それをし続けると、本当の自分ではないような感覚が芽生え

必ず居心地が悪くなりますが、必ず順応できます。

不動の覚悟をもつことです。

運勢を変えると言うのは、甘いものではありません。

我々は誰もが穴の空いたバケツで水を汲んでいる。

穴の大きさに大小があるだけですね。

鑑定法 4月21日 改

先日、生徒さんとの話で、鑑定とは?的な話をしたので

参考になればと思い書いておきます。世間一般では、

運勢鑑定を人の能力や価値を測るもののように

言われていますが、私個人が教える運勢鑑定とは

現在、本人が望まない状況が起きているとしたら

それは、持って生まれた星の長所よりも短所が育って

しまった結果であり短所の現れ方を具体的に自覚してもらい

長所を育てる努力に変換することを提案しています。

人の可能性を模索する鑑定法、

人の悪さを探す鑑定ではなく「長所を見つけ育てる」鑑定法です。


21世紀、社会的常識のタガが外れた時代、

YouTubeを見ていると私などが考える「影の世界」

「陰の世界」を売り物にし、自身の経歴を晒すことで

生活している人達が大勢出てきています。

無理をすることなく棲み分けをし静かに行動し続けること。

人を傷つけることをせず、生きる意思さえあれば、

なんとかなる時代です。疲れたら休みつつ、もがいて下さい。

(私はそうしています。)


追記

洗心庵の鑑定法はプロの先生を育てるだけのものではありません

身近な人の力になれることを第一に目指す学(まなび)の教室です

ロマンやファンタジーではなく、心底悩んでいる人達に

その原因と解決法を提供するための学びです。ですから、

お金儲けを目指す方達には遠慮していたいただいています。

こんなことを言っている私は、かなりの変わり者かも知れませんが

これが私のポリシー(方針)なので悪しからずご了承ください。

人は誰もが幸せになれる可能性がある。それなのに、

それに逆らっている自分を自覚しながら生きている人の

なんと多いことか。意地やプライドがそれをさせてしまう。

これが運勢にがんじがらめになっている人の姿です。

自分の運勢を自覚することさえできれ、この轍(わだち)から

解放される可能性が生まれてくるのです。

自分を変えたいと皆が言います、けれども、

その自分自身を知らずに何を変えると言うのでしょうか?

人を知ると言うことは、結局、自分を知り、人を知り、

それにより人を生かすと言うことです。

推命学の優劣の問題ではありません。

皆様が人を生かす運命学と出会えることを衷心より

祈願いたします。

4月17日 想念

色々と考えることがあり、なかなか考えがまとまりません。

生徒さんとの会話からの課題 長年抱え続けてきた命題等々

答えが見えそうで見えないのだが、見えるかも知れないと、

微妙な時期が続いています。


世界の共通認識として

SDGsを表看板と決め、時代の衣替えが始まり、

時流に反する国家が炙り出され、そこにある偏見と

肥大化した個人の野心が、暴力を振るうことで

自己主張し、殺戮と悲劇が続いています。

「時流に取り残された人々」の生き残り戦略

これを他所(よそ)の話としてはいけません

「時代に乗れない個人の話」と解釈してもらえれば

日本の企業や役所、あらゆる社会の現場で起きている

現象です。

やる気のない人達にやる気を出してもらうこと、

人材を育てること、できない人を諦めないこと。

依存しないこと。

運勢の話で言えば、人の行動は記憶に根ざしています。

過去がクリアーできていなければ、現状、どんなに

運が背中を支え、押していても行動が伴わなければ

絶対に現実化しません。補償します。

もちろん転がり込んでくる財や官はありますが、

指の隙間からこぼれていくか大きな代償が必ず伴うものです。

お金が欲しい欲しい人で「それに見合う仕事」をしていない場合

身近な人の保険金が転がり込むようなことが起きるのです。

人の「念」はそのように働いてしまう怖いところがあることに

気づいてください。逆に言えば、

強い念と運が連動するとき大きな事を起こすことができるのです。

幸せを望むのであれば、幸せを念じ、行動し、

運を天に任せるつもりで疑いを持たないこと

どんな人も共通で年運でも月の運でも必ず吉運が

短い間隔に巡ってきます。それを生かすには日々の

弛まぬ努力と目標を意識した生き方。

「チャンスから逃げないこと」と言った方が

腑に落ちる人が多いのではないでしょうか。


後悔や自責の念で自分の想念を濁らせないことも

大事なポイントです。

常に心がクリアーであることです。

これが他人を傷つけてはいけないと言っている

根拠なのです。

人を傷つければどうしても心が濁ってしまい

自分が嫌いになってくる。怒りという形で心の核に

覆いをし無意識に自己正当化をし、そして気付かぬうちに

自分が虐められたように他人をいじめ、もてあそぶ。

他人のものを取ろうとしないこと 傷つけないこと

人生を諦めないこと、出会いを諦めないことです。

幸せを掴む勇気を出してください。

目標を持って前に進んでも、過去に囚われ後ろを向いたまま

前に進んでも結局は疲れるものです。

それがなんであれ疲労回復をし、たまには自分を、

思いっきり甘やかしてください。

フランス

フランス 大丈夫でしょうか?

危ないですね。

全集中

「全集中」という言葉が一時期流行りましたが、

例えば目の前に10の事柄があって、そのうちの第3番に

全集中した場合、本人にしてみれば残りの7つは、全く

目に入らなくなり、意識から消えることになります。

実はこれが、怒りに囚われている時の人の姿です。

怒りが全てになってしまう。

怒りだけではなく、執着も、嫉妬も、慢心も同じですね。

怒りに駆られ一番大事なことさえ忘れてしまう。そして、

その大事なものを無くして初めて、その大切さに気づく。

怒りや、妬みや、嫌悪感で目一杯になった時こそ、

自分にとっての一番大事なものを思い出してください。

自分自身の「心の核」に問うことです。

極意

4月6日 久しぶりの陽光です。

体を動かしたくなるような正午の日差し。

何を悠長なことをと怒られるかもしれませんね。

最近注目している人の中に菊野克紀という

武術家がいて、その方が武術の極意の一つに

相手と釣り合うということをおっしゃていました。

「相手を変えようとすると喧嘩になる。繋がって

 自分が変わると勝手に相手が変わる。」

この言葉を聞いて自分の言葉に足りていないものが

はっきりと見えてきました。

それは相手と「つながる」という言葉で自他の関係と

私は表現してきたのですが言葉が足りていなかったようです。

「つながる」というのは何らかの「意図」がそこに

介在するということです。

その「意図」が実に複雑で、「縁を切る」意図もあれば

「縁を結ぶ」意図もある。


相手と、どう繋がるか次第であらゆる関係性は

変わってきます。そして、これが見えれば

余計な忖度はいらなくなるし、見えないが故に

いらぬ苦しみが生じてしまう。

また、その人と「繋がる必要があるのか?」を

検討することも大事でしょう。

一対一の関係でも一対他の関係でも、やれることは一つ

自分が変わること、その結果、周りが動き始める。

武術の極みは翻訳次第で人間関係にも通じることと

つくづく感じさせられました。

100の嘘

2022年 4月4日

寒の戻り。寒い。

外回りの仕事の人はきついですね。

ウクライナの報道がされています。

人は環境により壊れていく。

私と同年代の親達、祖父母達は、ほとんどが

戦争体験者です。私の母は昭和7年生まれで空襲の

焼夷弾が花火のように綺麗だったとよく話してくれました。

母の一番好きだった叔父も戦地で亡くなりました。

大陸に従軍していた人からは 兵隊が「人」から「鬼」に

変わる瞬間の話を何度も聞かされました。

人はきっかけさえあれば簡単に「鬼」になってしまうのです。

「同じ人間なのだから」とか「話せばわかる」という人達を

私は「平和ボケ」と呼んでいるのです。

人の行う蛮行に対する無知がそれを言わせているのでしょう。

過去の日本軍だけではなく、中華、中共も、チベットも

クメール・ルージュもユーゴスラビア紛争もアフリカの少年兵達も、

合理的な意味づけをされた上に、心の核に何十もの鍵をかけ

「鬼」に変身したもの達の所業です。



そしてこの時代に同じことがウクライナで行われている。

ロシアによるプロパガンダで市民をゲリラだと

宣伝すれば、それで合法化できてしまう。

情報が統制された当時の朝日新聞を筆頭とする

大新聞社、公共放送と現ロシアのマスコミのゴミ度は

全く同じです。

「小さな嘘より大きな嘘に大衆は騙される」という

ナチスの宣伝相の格言がありますが、

皆が望むような大きな嘘に騙されたいというのが

大衆の心情でしょう。かつての日本国民もそうでした。

「あらひと神である天皇に間違いはない」の教育のもと

国民はマスコミに騙され続け日本中焼け野原にされました。

唯一の救いは、軍国主義が終わったこと。そして、

複雑な各国の思惑の中で、死んだ兵士達の勇敢さに

米国が敬意を払い日本国の元首である天皇もまた、

マッカーサーに命を預けたことで現代日本の礎が

芽吹いたのだと思います。

それを我々は今、引き継いでいる。

自分の命と人生を大事にしてください。

その命は数えきれない先輩たちが残してくれたもの、

引き継いだものであることに気づいてください。

自由の不自由さなどとイキがるのではなく、

誰から何を言われようが、あなたが強かろうが弱かろうが

望みを持ち一生懸命生きることです。

今、いくら苦しくとも命があれば人生は続き、

泣いたり笑ったり、好きな人ができたりするものです。

それが自由を謳歌することなのだと思うのです。


日本はナチを支持するのか?とプーチンさんが

言ってましたが思い出されるのが

「嘘を毎日つき続ければ真実になる」

「嘘も100回つけば事実になる」というナチスの宣伝相の言葉です。

しかし、戦闘中は全てが「藪の中」ですが、兵が退き、

そこに残されたものだけが事実だというならば、

キーウに残されたものは悲惨すぎる。

民間人の無抵抗の結果がこれならば救いがありません。



一度「鬼」になってしまうと、簡単には元に戻れません。

威圧と暴力が日常となり、忠誠と排除の繰り返しで

群れがなされていく。

あー、これプーチンさんだと、妙に納得し、

さらに背筋が薄ら寒くなってきました。

我々はバカな「大衆」であってはなりません。

次の世代のためにも、

100の嘘を見破らなければなりません。

教室のご案内

西小山の緑道の桜も、ほぼ満開です。

花冷えの季節 寒暖差にまいっていますが、それでも

春ですね。世界が戦火に怯えていても、春はやって来る。

推命学は「人間の研究」だと思い教室を開いています

五行五気の周流から生じるあらゆる人間の心の動き、

自分自身もその流れの中の一点であることを知る良い機会です。

スケジュールに少し余裕ができたので受講を希望される方は

(お金儲けに利用したい方はご遠慮ください。向いていません。)

メールフォームのコメント欄をご利用ください

遠方の方にはオンラインで対応させていただいています。

代償

人の持つ本質的な社会性というものを

天干と地支の姿として基礎講座では教えていますが

ウクライナ戦争での諸外国の動きが、そのままに反映され、

なんとも言えない気分です。

「うわべの友好」「腹の底の敵愾心」「共有利益のための協力」

それに伴う「利益への執着」「建前の正義」「経緯」が織りなされ 

現実 理想 人間の3つのあり方が複雑に絡み合い、

実際の現象が現れてくる。

個人の在り方と何も変わりません。


昨日のゼレンスキー大統領の「新しいルール作り」について

ほとんどのマスコミは取り上げていませんでしたが、

実に正論だと思います。

この戦争において誰もが気づいたことですが

常任理事国の起こす戦争に国連は機能しない。

侵略側の国の情報は嘘で固まり国民は愛国者のみが

求められる。

これからの時代のための、より良いルール作りが

この戦争がもたらす唯一のメリットになるのかもしれません。

そのために、どれだけの代償を払わされるのか、

今以上に払わなくてはいけないのか。

それを考えるとつくづくです。

3月22日

入門講座の講座料と日程を改訂いたします。

年相応の無理の効かない体になり、

少し自分を甘やかすことにしました。

悪しからずご了承ください。

地震 3月16日

3月16日

午後11時30分過ぎ 。地震です。震度6とのこと。

揺れが長い。関東は震度3程度の揺れらしいのですが、

時間が長いと不安になります。

皆さん大丈夫ですが?

教室の生徒さん。不安だと思います。

オンラインへの変更は遠慮せずに言って下さい。

時代も世の中も揺れています。

できる限り自分優先の生き方で身を守って下さい。

それで良いと思います。

時代

SMAP

彼らの歌を聞くと、ギザギザの心も優しくなれます。

年代なんでしょうね。色々なことが重ねて思い出され、

忘れかけていたものが蘇り、自分にとって何が大事かを

思い知らされる。

震えながら戦い続けるウクライナとロシアの兵隊たち。

私が学生の頃、知り合い(民青)が兵士一人一人が

戦争反対を叫べば戦争は起きないと主張していました。

でも、そういう兵隊さんは削除されてしまうのです。

平和ボケの学生には理解できない机上の空論です。

それが戦争です。

そこに個人の意思は存在できない。

しかし、今回の戦争の報道を見ていると、ロシア兵の中に

上官の命令に一旦は拒否している者もいるようです。

時代が変わっているのでしょう。これが「愛」の時代の

影響であればいいのですが。しかし同僚が撃たれれば、

血に興奮するオオカミに変わる。

同僚の敵討ちの大義ができてしまう。手段を選ばぬ

果てのない殺戮が始まらないことを祈るばかりです。

どうすれば戦争が止まるのか。

ベトナム戦争時はアメリカ国民の反戦運動から

政治家の忖度で戦争が終わりました。

日本は全土を焼け野原にされ、さらに皇居以外を

火の海にされ、沖縄への上陸を許し、広島、長崎への

原爆で敗戦を迎えました。昨日は3月10日、東京大空襲の日

この時点で終戦を天皇が決意していれば、沖縄も広島 長崎も

あり得ませんでした。

今日は3月11日 テレビの前で映し出された津波の映像が今も

鮮明に自分の心に残っています。

3月9日一昨日の話ですが、3回目のコロナワクチンの接種終了。

平熱が35度4、5分なのですが38度2分まで上がり、まる2日

寝込んでいたのですが、文字通りの悪夢を見ていました。

同じことが延々と繰り返される夢です。

何度寝ても同じ夢を見るのです。

平熱になり熱のせいか、何かの啓示かがわかるでしょう。

楽しみです。

世界と個人

新潮社 フォーサイト

運勢は個々人にあるものですが、

社会はその個人が集合し選択した結果、

実現され維持されている。

為政者はこのことを実によく知っていて、

大衆が求めるものは何なのか、何が彼らを惹きつける

魅力となるのかを常に研究し、それを身につける

努力をしている。独裁者に至る必須の教程です。

その内容は、

腕力、支配力、わかりやすい理想、強引さ、等々

私が理解している「能動原理」そのものです。

ポピュリズムの原動力がこれであるとすると

従うものは受動型、依存型、自分の代償を求める

仮託型、等々の「受動原理」になります。

陰陽として見るのも面白いのですが、この陰陽が揃うと

現実化が始まります。

政治であろうが、この世界をこのような観点から見ると

全く、個人の姿と変わりません。法人も同じです。


「時代の流れだ。」「運命だ。」と言ってしまえば、

我々の無力を認めてしまうことになる。

これに対抗するためにこそ、我々が愚かな個人に

ならないことが子供のため愛する人達のために

できることです。

そのためには時代を意識し考えることです。

決して考えてもしょうがないと諦めないこと。

これが、自分が「自立すること」です。

自主独立であればこそ人としての自由がそこにはあります。

自分の意思で「何か」を選べるという意味ですが

自分の意思で依存することを選ぶ人もいる。

しかし、依存した結果、依存主(あるじ)に汚いこととか、

痛みがともなうこととか、嫌なことを命じられた時、

選択権を一任した後では拒否できる可能性は低い。

その時ではもう遅い。

( 犯罪、離婚など同様な経緯で起きている場合が多い。)


天人合一などという考えがありますが、

国もまた個人と相似性をなし、国のリーダーの

意思は実は国民全体の意思を反映している可能性を

隠していると考えれば、我々個人がマトモであり

常に自立し、正しいことは何かを見極める

智慧を養うことの大切さを自覚する時代なのだと

ウクライナの戦争を見てつくづく思います。

未来の不幸も幸福も、現在の私たちの中にその

タネがある。自分の中にそれがある。

本当に私自身、日々三省しなければと思う。

人生は楽ではありません。





(熱に浮かされている安いアジテーションの原稿みたいな文ですが本人も自覚していますのでご安心ください。どうも最近自分が不甲斐ないので自省のために公開し残しておきます。)

ウクライナ侵攻

2022年 3月2日


先の「バブル期の研究」で、思ったことなのですが、

時代が人を呼び集めるのか、人が時代を創るのか、

それぞれの運勢を結び合わせる核のよなものが

あるのかもしれません。

時代を動かす中心の原理となり人と人を結びつける

大きな「力」「幻想」のようなもの。

(バブル時代は「金儲け」がそれでした。)

それが時代の「太極」です。

社会規範を縛る倫理や道徳、共通意識だと考えて下さい。


なぜ、今プーチンは行動を起こしたのか?

彼の運勢を見ていると汎スラブ主義の

盟主としての理想を実現するための絶好のチャンスとしての

侵攻のように思われます。

一つはロシア資源に依存する欧州経済に対する自国への

安全保証の確信、もう一つは習近平さんとの密約(の可能性です)。

中国の市民管理は世界一ですから、仲良く占領地管理の

ノウハウを共有しようというのでしょう。

中国はより賢いところがあり、他国への侵略に対して

世界がどのように動くか虎視眈々と観察し、

世界がロシアに対して甘い態度をとったら、即時に

台湾に対し侵攻しようというのでしょう。

世界経済の中心である中国に対し表面的な文句は言うが、

経済は大事だよと擦り寄るであろう国をロシアを手本にして

見極めようとしているのでしょう。

実際そんな国が出始めています。


世界の正義が試されている。

しかし現実は厳しく戦う意志のある国だけが他国から

手を差しの伸ばしてもらえるようです。

しぶとく戦い生き続ける遺伝子は尊いと認識する人類というより

動物の本能的な選択なのだと思う。まさにそれが

徹底的なウクライナ市民の抵抗により、ドイツを始め

世界が動かし始めた。

しかし、EUの議長がEUへのウクライナの加盟を発言した途端、

組織自体が発言は間違いだとした。

これが組織の論理であり倫理です。

国連が何もできないのも原因はここにあり、

支配者(強者)のルールがそれを縛る。

人道支援は文句がないが武力行使は、建前上、

その国の正義による行為であるとの解釈で、

中国お得意の「内政干渉」が罷り通ってしまう。

強国の都合。中国大使館のTwitterそのものです。

国連のルールはいつ変わるのでしょうか?

(国連が戦勝連合国の名を冠するうちは無理かも知れません。)

プーチンの汎スラブ主義の復活 習近平は長年にわたる

党是である中国統一。共に狂気とも言える理想の実現を

武力によって成そうとしている。

このように、国のトップである個人が強い意志を持って

時間をかけ準備し機が熟し行動した時、彼らの意図する時代が

始まってしまう。自然な時代の流れで言えば、平和、友好、

平等を謳うSDGsの流れですがトランプさん以来の

「国のプライド」「自国主義」の残滓とでも言える

ご都合主義の流れを、お二人の運勢が「今がその時だ機が熟した。」

「経済も完全に縛ってある。相棒もいる。」とささやき、

既存の世界を転覆させようとしている。

自然な時代に転換に逆らおうとする悪魔の囁きです。

運勢がどうこう言おうが善悪の区別はつくはずです。


国とは何か、民主主義とは何かを考えさせられます。

独裁者がいなくとも国民が知恵を出し合い安全な

社会が保たれること。ただただ、それを望みます。


それにしても我が国は命をかけた戦いを放棄すれば、

誰からも手を差し伸べられないという事実に

いつ気付くのでしょうか。これが平和ボケの証です。

運勢も人生も同じです。優しさだけでは無理なのです。

戦う意志のある者にしか運命の女神は微笑みません。

お知らせ

研究科の生徒さんへのお知らせです。

昨日、教室でバブルの崩壊についての相関図を見たのですが

散らかってしまった内容を整理してみました。

「元命式の研究 テーマ別」をご覧ください。

元名式の具体的な研究の仕方として参考にして下さい。


バブル期についての参考サイト


総量規制の経緯

「心の核」と聞くと

何やら特別な素晴らしいものに聞こえますが、

誤解しないでください。

「素晴らしい」かもしれませんが、かなりの厄介者です。

一番めんどくさいのは、この心の核はありのままでいることを望み、

変わる事を嫌うのです。

生まれたままの姿でいることを望む。

母親のお腹にいる時の胎内での無償の育(はぐくみ)を

初めて味わう「愛」と認識し、これが本人の

「愛」の基準になるからなのだと思います。

(それゆえに自分と他人の世界の中では決して得られない。)

幼児体験が厳しい場合、ここで問題が起きてくる。

子供の時に得られなかったものを成長し大人になって

無意識に得ようとする。知り合いにもいるのですが、

兄弟が多く子供の時に「自分」のおもちゃを買ってもらえなかった

親が自分の子供にはなんでも欲しがるおもちゃを買い与えてしまう。

このくらいなら良いのでしょうが、

子供の頃に出来なかった我儘を(親の愛を独り占めにしたかった等々)

大人になって恋人や親切にしてくれる人にしでかす輩。

わがままを通し、親から与えられなかった愛情を

相手に被(かぶ)せて求め、得られなければ暴れるという

幼年期と青年期が悪い形でリンクしている人もいる。

親の愛情と、恋人の愛情は別物で恋人では無理なのです。

本人も相手も傷だけが深くなっていく。

親の愛情と恋人の愛情の「質」の区別ができない。

まさに「幼い」ままであり、「愛」が育っていないのです。

我々が生まれたこの世界は他人と出会うことで、

(「親」が最初に出会う人であり、最初に所属する社会です。)

人と社会に揉まれ、この「心の核」を成長せざる負えない

ような世界なのです。「人の成長」というのは結局

こういうことなのでしょう。

自分の心を見極めること。そして変化を嫌う心の核に

変化を望む(成長する)ことを覚悟させること。

当然そこには苦しみが伴う。

良い人生を送っている人は自然に、このことをなさってきた。

今、厳しい人生の中に苦しむ人がいたとしたら、

自分の中の奥の奥にある心の核に、時々触れてみてください。

難しいことではありません。

「誰かから愛されたい?優しくされたい?大事にされたい?

誰かを愛したい?やさしくしたい?大事にしたい?」

「命が愛おしい?」

胸の締め付けられるような感情が湧き、涙が溢れるまで

自分に向き合うことです。時に、そんな自分に絶望し、

時に、皆そうなんだと優しい心が生まれ、時に、自分も

頑張ろうと思えるようになるまで、自分と仲良くすることです。

あなたが私のようなオッサンでも、誰であろうと、

たまに自分と正直に向き合ってください。

その上で、ちゃんとルールを守って他人と接すれば、

少しづつでも人は変われます。

「自分ルール」では怖がられるだけです。

(多くはこれが苦労の種になってしまっている)

そもそも他人に受け入れてもらえません。

時間をかけ、自分の言葉と行動を意識しながら

焦らず、運勢(心の癖)に負けず、人を恐れず

嫌われず、そばにいる人達と日々を大事に過ごしてください。

心の核 4

心の核には3つの特性がある。

ただこれは、私が勝手に言っていることです。

それを前提に読んでください。


心は、この核の部分だけでできているかというと、

決してそれだけではないようです。個々人に、

この核の入れ物というべき「心の器」があり

私はそれが「現命式」だと考えています。

その上に立って推命学を眺めてみると格段に

「人」に対する理解度が増してくる。

現命式は昔から金権主義、恥知らず、強欲、権威主義、

破天荒豹変型、お人好し、破鏡型等々に分類されていますが、

現象がそのまま出る場合と、そうでもない場合があるのです

その理由は

器の形はそれぞれですが、これが壊れかける時、

この核の部分が心の奥底から現れ始め、愛されたい、

愛したい、自分を受け入れて欲しい。癒して欲しい。

優しくして欲しい。愛に満たされたいと呻吟し始める。

何度かこのコラムでも書きましたが、

苦痛は自身の運勢を知る絶好の機会で、

この時、この心の核に出会え

「自分は何も特別では無く、他の人と変わらない。

苦しい、優しくされたい。癒されたい。」そして、

「自分は人に優しくしてきただろうか..........?」

その後は「心の核」が命式の求める事象とのバランスを取り始め、

そうすると運勢の転換が起き始める。

この「気づき」の有無が、その後の人生を精神的に豊かにするか

同じ苦痛を繰り返すのかの分水嶺になるのだと思います。


優しくされることにパニックを起こす方達も実際いる。

他人からの好意に恐怖を持つ方達も多い。

子供の頃から他人の心を感じないようにしてきた

人達も多い。

自分のことだけを考えて生きるのは実に真っ当な

生き方です。敢えて言うなら、人生は自己責任です。

他人のことなど考える必要はありません。

しかし、もし、日常が乾いていると感じた時は

誰かに優しくしたかな?と思い返すことです。

いやみや、皮肉や批判ばかり言っていては

良いものも逃げていきます。

「引き寄せの法則」ならぬ「嫌われの法則」はいけません。


時には、優しい気持ちで相手に微笑みかけることにより、

たったこれだけで、

消えかけた相手の心の炎(ほむら)を立ち上げることができる。

その根拠がこの「心の核」の在り方にある。

意味のない無駄なことではありません。

心の核 3

心の核は繊細で脆く壊れやすい。だから

人は自分の「人の良さ」をひた隠しにしようとする。

傷つきやすいのだから仕方ない。ですから、常に

被害者というのが基本的立場であり、これを理由に

言葉や腕力の暴力によって本人的には合理的に

仕返しをする。怒り、妬み、憎悪なんていうのもここから

発信されるものです。

自分の愛を受け入れない相手を、どうにかしてくれよう。

あの人の愛は受け入れたくない。迷惑だ。

愛は地球を救うかもしれませんが、あらゆる抗争の

原因でもあるのです。

身内愛なども同様です。悪いのは身内ではない。

そうすると、目の前に見えている事実さえ見えなくなる。

個人の関係でも国同士の関係であっても同じです。

「利害」を盾に取り無理くりに納得させ結び合う。

これも妥協案としての一つの知恵の使い方です。

時間をかけて対立関係が溶けていけば良い関係に

なると思います。

「心の核」を使って怒りや妬みの原因を分析してみて下さい。

けっこう甘くて抜けている可愛らしい自分の姿に気づくはずです。

気付けた時は笑いながら(泣きながら)その感情を

手放して下さい。

心の核 2

人に関するあらゆる関係というのは、結局のところ

二つの願いのぶつかり合いで成り立っています。

高尚な表現をすれば、

「愛したい」と「愛されたい」

愛に対する受動と他動のあり方です。

一般的には、この「愛」は恋愛にのみに適用される

言葉になりますが、実際は本人が思う「正しさ」とか

自分は「こうだ」と思っている自分基準の主張として

表れ、それを受け入れられるか否かで関係の良し悪しが

決まってきます。そして自分の意見が認めらること、

受け入れられることが、この「愛」が満たされる要因で

もしお互いの主張が違えば、ぶつかり合ってしまう。

風景のように変わることない我々の現実社会です。

さらに、

ある程度力関係が安定している世界に生きている人達は

自分の世界に能力が足りない者、気に入らない者が

入ってくると、当たり前のように群れを成し

異物に対するように排除に傾く。




一体、「命を愛おしむ」と言う心の核はどうなってるの?と

疑問が湧くと思いますが、先に書いたように自分を守るために

怯えながら心の奥底に、言い訳まみれで隠し、知らぬうちに

自責の念が積まれ、自分を嫌う遠因として身に付き纏われる。



この勝ち負けの世界では、苦しみは常に

後ろから追いかけてくるのです。勝ち負けの「対立」は、

結局のところ無限ループの繰り返しです。この対立の構造から

離脱するための方法を長い間模索していたのですが

すでに目にしていた「循環」の図の中にそれを発見し、

「順逆の理論」と名づけ講座の生徒さんには

学んでもらっています。(教室の最初の講義です。)

「心の核」はこの順逆の理論の核心でもあるのです。

自分の心に当てはめて、しっかり学んでください。



愛のどうのこうのとスピリチュアルのようなことを

書いてきましたが、残念ながら一元的な愛が理想ですが、

我々のような凡人は、常に二元的な愛であり、

「叡智を伴う無償の愛」とは対極にある

「与えられることを要求する愛」が優先してしまい、

この「求める愛」(渇愛の情)が際限のない苦しみの原因に

なっている。

なかなか辛いですね。

心の核

子供に怒りをぶつける親御さん。

その本心は自分も愛されたい、子供から大事にされたい。

素直に言うことを聞いてほしい。しかし、子供は無知で、

この「心の核のありよう」など知りようが無い。

同様に親もまたそのような自分の本心がわからない。

(気づけない)

自分も愛されたいことを意識できず、

「どうして言うことを聞いてくれないの。」

「ちゃんと説明しているでしょ。どうしてわからないの。」

裏のマンションの駐輪場で幾度となく聞いた会話です。

もし、ここで親御さんが、疲れている自分の心と

会話しながら子供に向き合えれば、

「お母さん疲れちゃった。ちょっとだけ優しくして。」と

囁くことができるでしょう。

そうすれば、

子供の中の能動的な愛が一回だけは動くと思います。

しかし、少しでも子供に不義理をすれば二度目は

ないかもしれません。

いくつになっても、人の心の核は繊細で傷つきやすく

脆い。


親子関係はどちらかがいなくなるまで続いていく。

子供が幼い頃、親が自分のことで精一杯であった場合

子供の成人以降、恨み言を言い続けられる人もいる

私の姉は母親が弟の私ばかりを可愛がっていたと

私と縁が切れるまで言い続けていました。

子供の頃からある「愛情の差別感」というのも

「心の核」のあり方が原因です。

子供はただ、愛されたい。そして親を愛したいのです。

しかし、一度差別感にスイッチが入ってしまうと

求める愛には限界が無くなり満足感が消えてしまう。


大人になってからの恨み言は親への深い愛情の

裏返しです。

もし子供との関係を修復することを望むならば

お互いが、この心の核のありようを話し合い

人として理解し合うことが根本的な手段だと

私は思います。

幼少時の親御さんの何気ない裏切りが、その子の

愛情問題を引き起こす原因になっている場合が多い。

すでに親がいないのであれば

仏壇でも、心の中でも自分の前に相手をイメージし

心行くまで、「愛して欲しかった。愛したかった。」

「お母さんも同じだったの?」と話をすることです。

手のつけられない子供であれば、その子をイメージして

話し合い浄化する手法も使えると思います。


親を選ぶ事はできない。子を選ぶことは出来ない。と

したり顔で言う人たちがいますが、問題は

生まれた子に対し、産んだ親に対し、どう生きるかです。

お互いが一方的で頑な「愛されたい」「愛したい」を

他人と比べ、自分の不足ばかりを主張してしまった末の

それぞれの苦しみです。

絶対的な愛などというのは一神教文化が育てた

社会秩序を維持するための契約に縛り付けるために

生み出された幻想であり相対的で融通をつけなければ

必ず破綻する感情なのです。


社会は決して平等ではありませんが人の心の中にある

「核」は一様です。

自分に合う社会に出会い、それぞれを認めあい棲み分け

一番生きやすい世界で生きれば良いのです。

お互いの心の核を悟ることが人事円満の秘訣です。

是非これからの人生の、学ぶべきテーマの一つに

加えてください。

運勢

運勢は動きます。これは、どんな偉い先生方でも

否定できないことです。時々、相手に暗示をかけて

自分の言った通りになっただろうと自慢している人も

いますが、良い方にであれば問題ありませんが、

その逆であれば相手を傷つけたことになる。

辛い経験を繰り返している人の多くに

このパターンが見え、自分で自分は不運だと

暗示をかけている。だめですよ。これでは。

それを回避するには、良い行動をして、

良い行動をしているのだから大丈夫だと確信を

持つことから始まります。

自分に自信を持つ根拠が必要という意味です。

神様も宇宙法則も関係ありません。

起きている現実と事実だけを見ることです。

良い行動とは何か?となると思うのですが、

すでに書いたように、あらゆる生物の心の中には

普遍的に「優しくされたい」「優しくしたい」

「あらゆる命が愛おしい」という「核」があり

その原点に時々戻り行動することだけなのです。

しかし、

四六時中「人に優しく」なんてのは無理な話で

通勤列車でカバンの角を押し付け他人を排除しようとする

輩さえいるこの世の中、くたばっちまえとなり

怒りが相手への執着に変わり呪いをかけてしまう。

人を呪えば、その感情が心に纏い付き

手放せなくなる人もいる。

だから、時々でも自分に素直になり、

心を洗う必要がある。

要らぬものを手放し本来の自分に戻る作業。

素直というのはこういうことなのだと思う。

ペットや趣味の仲間を愛すること、愛されること。

冬空であれば野良猫を見て寒いだろうなと憐れむこと。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」そのものです。

自分の本来の心を回復するための行動。

もし、あなたがメチャクチャなクレーマーだとしても

モンスターペアレントだとしても、家族を裏切っていても

自分を裏切っていても、心の奥底にあるものは同じです。

それを人に見せないため、見せてはいけないと

いつかどこかで決め、自分を守るため、

他人や自分に対して運が悪い人、普通の人とは違う人、

他人を傷つけても平気な人を演じてしまっている。

原点に戻ることができれば「運」は安定します。

ゆっくりと時間をかけてください。

「良い子ちゃん」を演じる必要はありません。

異性との複雑な関係、親への不信、それぞれが果実をなし

今の自分の心を覆っているわけです。

しかし過去は変えられませんが感情の絡み合いは手放せます。

心の大掃除は一生かけてやれればいい。

最後の最後に善人になれれば大したものです。



「運」というのは、下手な使い方をしないことです。

暗示をかければ暴走し手がつけられなくなることもある。


推命学とは別な話ですが、風水なども国家規模で使うと、

極端な利己心が育まれ貧富の差や権力の集中と暴走を起こし始める。

近隣諸国が良い実例です。

国中の運を吸い込み続け、いつか自壊して行く。

バランスこそが大事なのです。

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。

今年は良い年になると良いですね。

その可能性は十分ある年です。頑張り次第です。

不義理をして落ち込んでいる人は、謝る事から始まり

将来を悲観している人は、動くこと。

希望の持てない人は、腹を括って信用できる人を

愛すること。

夫婦仲の悪さに悩む人は、相手が悪いのではなく

自分も悪いのかも知れないと、今までの自分を

見つめ直すこと。「嫌う」のでは無く、少しだけ

「許すこと」にコミットする事です。

新しい命への誕生の名付けに悩む人は

無料姓名判断サイトこちらをご覧ください。

良い名前を付けてあげて下さい。

冷静に、積極的に進み始め、恥ずかしがらずに自分の

優しさを表現して下さい。それをちゃんと返してくれる人か

どうかを見極めることが開運ポイントです。

年始のお知らせ

相変わらずだらしなく、年末年始のお知らせが遅れ

大変申し訳ありません。

年始は1月6日より通常に戻ります。

今年の大反省会

今年は例年よりさらに早く感じた年でした

理由は簡単で結構な落ち込み方をし、それを抱えたまま

時間が過ぎたからです。実に明確です。

本当にダメですね。

本をたくさん書いている有名な先生と

比べられて感謝されても、身を削って鑑定している

こちらとしては、そっちの先生に見てもらって下さい。

というのが本音で、お安くみないでほしいの感に囚われ

くだらない自尊心(自己愛)に苛まれ、手放すのに苦労しました。

(鑑定料も上げてしまい申し訳ないと思っています。)

結局は長年積み重ねた縁起観と般若の空観が極めて良好に効き、

仏様の教えは効果的面であるであることを改めて体験しました。


自分の心を徹底的に追求すると結局のところ、憎しみや怒りよりも

誰かに優しくされたい、優しくしたいという強い欲求と

誰の命であっても本当に愛おしいという想いがあり

その本質を人に知られることを恐れ、強烈な防御壁を心に

張り巡らし他人を拒否しているようです。

それはそうです。自分を軽くみられたくないし、

優しいだけのただのお人好しは他の者の餌食にされるのがオチで

時には身内からも食い物にされてしまう。

そんな自分を守るため頑なに我を張り、他人と違った

プライド、思想や信条を持とうとする者もいる。

でも、ときにはその思想信条が間違っていることがあり、

いつの間にか「それ」に使われ利用され命まで奪られてしまう。

先日仏教のことを聞いてきた生徒さんに話したのですが

一向一揆の宗派の指導者はこれをやりました。

日本における宗教テロの歴史は結構根深いのです。



今年もいろいろありましたが私家版の般若心経も書けました。

人生に追い詰められた時、是非、心に変化が起きるまで

繰り返し読んで下さい。

意味がわからなくとも読書百遍すれば意味は自ずから現れてきます。

気持ち悪い、エグイから始まりますが最後には

「命の愛おしさ」を実感できると思います。

そして「苦」を受け入れ、手放し 運勢に負けないために頑張り、

前に進み続けること。

前に進むには労力を求められ疲労を伴うことは誰の人生にも伴う事実です。

進めない理由をそのせいにしてはいけません。

お知らせ

私家版のお経はお経についてに転載しました

興味のある方はご覧ください。

ここ数日何人かの生徒さんに仏教の教えとは?と

質問されることが続き、私家版の般若心経を書いてみたのですが

自分の心が鎮まり、機会を与えてくれた生徒さん達に感謝です。

サンスクリットからのオリジナルの翻訳や本山のお坊様達の

ご著書も数えられないくらい出版され、最近ではチベット版の

解説も出版されています。ご興味のある方はオリジナルに

あたり学びを深めてください。


気付き 手放し 歩み続けること そうすれば

ときどき楽しく ときどき苦しく ときどき幸せを感じられます。

師走(12月10日 改)

12月も残り2週間を切りお正月が近いはずなのに、

陽気になれません。

「何か」が引っ掛かっているような感じです。

あれか、これか、それともあのことかと言葉で記憶をたどり

感情と照らし合わせ、スッキリと落ち着ける記憶を

探し続ける作業

記憶の索引は言葉の形で保存され映像と感情がそこに繋がり、

さらなる言葉に誘発され再現されるのかもしれません。

実に興味深い。

しかし、もし過去に起因する感情を不可避とするなら、

我々は常に過去に縛られて生きているようなものです。

全てが「過去から来る未来」になってしまう。

過去にしでかした事柄が今の我々を作りだし未来は

確定していることになる。

そうかも知れませんね、でも、それだけでは無い。

本当は過去なんて全く関係ないのかもしれません。

今起きている現実を過去のせいにし、自分に直面するのを

避けているのかもしれない。

たいていのトラブルの原因はプライド(自己愛)や、

承認欲求からの甘えに応えてもらえないことからの

怒りや、妬みが原因の場合が多々あるように感じます。

そもそも他人を認めず見下している人が多い。

夫婦問題などその最たるもので、大事にされないと嘆く前に

自分は相手を大事にしているのか?を先に自分に問うべきですが

その前に、

疲れ切った相手に話を聞いてというのは無理があるし、

嫉妬深い相手に、異性の友達の話をするのも愚かなことです。

「間違った人を選んでしまった。」という前に、

相手から見える自分の姿を冷静に客観的に考えてみることです。


私も10数年らいの相談依頼者から、改めて、

そういう評価だったのかと告げられ、かなり気持ちが落ち込み

自分自身のくだらないプライドのなせる業だと猛省し

最近は過ごしています。

どこまで行ってもあるがままの自分であり、あるがままの他人です。

コミュニケーションの慣れは、全てを錆びさせてしまう。

まだまだ修行が足りません。

ありのままの自分

禅の教えに脚下照顧という言葉があります。

なかなか痛い言葉です。(「きゃっかしょうこ」と読みます。)

何が痛いかと言うと、日々三省しても、ことが起きると

感情に流され、落ち込んだり失望したり、相手を

憎んだりと、どうにも嫌な気分が抜けません。

感情に動かされた肉体の興奮が収まれば

元に戻るのですが、やはり時間がかかります。

しばらくは、思い出すたびに体が反応し

落ち込み、不安定な心は感情の動きを的確に捉える

言葉を探しまわり悪態をつかせ、言葉はそれに輪をかけ

怒りや悲しみや絶望の感情を想起させてしまう。

本当に困った代物です。

けれども、間違いなく言えることは、苦しみのタネを

追いかけさえしなければ、

全て、「元の姿」に戻って行く。

「元の姿」この元の姿を知ることが

同じ轍を踏まない最善策なのですが、元の姿は

自然の姿であり、一番楽な自分の日常の心の姿なのです。

「ありのままの自分」で幸せになれるのか?

なんとも哲学的な命題です。

ジャーナリズム

中国の人権問題を語る前に日本の人権問題、足元を見ろと

サンモニの某ジャーナリストが言ったとのこと。

日本の人権問題はいろいろあると思いますが、

中国政府は時間をかけて賢い民族浄化を行っています。

(直接の民族浄化は、かつてのチベットで行われていました。)

男たちを檻の中に囲い、老いるのを根気強く待ち、

女たちは漢人と混血させ、民族の血を少しづつ薄める政策を

取っています。これと日本国内の差別問題を同じ視点で問うことの

意図はどこにあるのでしょう?

政府とズブズブのジャーナリストは卑しさが滲み出ていて

気味が悪いですが、このての方達には反対しかできない

野党の先生方と同じ臭いがしてインテリの戯言としか聞こえません。

本当にこの国の未来が心配です。

断易

断易を学びたいという方が生徒さんの中にもいて

どうしようかなと思っています。

研究科の何人かにはご本人の得た易卦を読む

アドバイスはしているのですが私自身道半ば、

未だ未熟と感じており学習の方針と、参考文献のみを

ご紹介いたします。


基礎は菅原荘先生の「断易入門」で学習し

藤田善三郎先生の「五行易 師弟問答」で実際の

実例研究をするのが最短距離だと思います。

この「師弟問答集」をさらに理解しようと思うのであれば

同じく藤田善三郎先生の「増刪卜易」を研究することを

お勧めします。

応期の取り方などは九鬼盛隆先生の「断易真義」に詳しく

その他の断理もよくまとめられているのですがカタカナを伴う

読み下し文なので、途中で投げ出したくなるかも知れません。

「黄金策」に関して言うと星の動きをどう読むかの練習として

考えるのが良く、一部著述のまま受け取ってしまうと

齟齬が生じるように私には思えます。

(「増刪卜易」にもこの指摘があったと思います。)

この辺りは実践で検証して下さい。


最近は中国の先生方のご著書も出回っているようです。

自分の中に一本基準になる「芯」を持っていた方が、

それぞれの教えの長所、短所がはっきりとわかるもので、

とりあえずは最初に出会った先生の教えを自分の芯として身につけ

他の先生方の手法を見ていくのが良いと思います。

断易は「誠心誠意」が必要な占いなので、心して取り組んでください。

(自分のために占う場合は、我欲が先走ったり悪心を回避するために使うことが肝心です。)

カリキュラム

洗心庵で教える推命学のカリキュラムの紹介をしておきます。

1、こちらの教室では、まずは基礎の基礎として

  推命学の「総論」を学んでいただきます。

  (実は入門コースというのがこれを担っています。)

2、次が「各論」でテキストを補完しながら内容の解説と

  次の技術論につながる知識を学んでいただきます。

3、次が「技術論」これはテキストの後半から出てくる例題を

  元に具体的な鑑定技術を身につけることを目指します。

この段階でテキストは修了し、希望される方は緒方先生の中級教室へ

進むこともできるし、日程の合わない方は、

洗心庵の「研究科」に進み、さらに鑑定技術を研鑽することもできます。



現在自分のいる過程の到達目標を知ることが大事なことです。

全ては基礎の基礎である「総論」から始まっています。

そして、その積み重ねの上に技術論が成り立っているので、

一つ一つを丁寧に積み上げることが不可欠です。

頑張って下さい。

身体 感情

からだ動かしていますか?

身体は感情の器です。

器がしっかりしていないと、「圧力」を受けると

あっという間に「感情」が言葉になって崩れ落ちることになる。

風が冷たいのも、騒音も、電車や街の人混みも「圧力」です。

ありのままの自分に不本意な圧力をかける因子です。

しかし、世の中、他人と共存するためには、この「圧力」と

うまくやらなければならない。

どんな人も力がある時は反発し、力がない時は、それを受け入れて、

なんとか圧を感じない生き方を選び生活している。

これが普段の我々の姿です。

辛いと愚痴をこぼせば、今度は言葉が我々の記憶の中から

「辛い」にリンクする体験や語彙を一瞬で検索し、

それを、ハッキリと思い出そうとするごとに、

記憶に残っている体験が再現され辛さが増してしまう。

ある種の「言葉」は雪崩のように我々の心を覆い尽くす。

そうなると困ったもので、聞く耳がふさがり、

闇夜に彷徨うことになる。


まずは我々の魂の器である身体を動かし、少しでいいので

器(身体)の強度を上げることです。

「筋肉」は自分のやる気で、いくらでも強くなるものです。

心肺機能を上げ、血液の循環を促進し、脳を活性化し

体力に裏打ちされた知恵を鍛え、身を守り

心を守ることを心がける事です。

亭主の泣き言や、上司の苦言にびくともしない

腹を練る事です。そして、笑って下さい。

自分を変える方法 賢さ2

日常には、さまざまな苦しみの声があります。

はるか昔から今に至るまで人の持つ悩みは変わりません。

お釈迦様の時代から今に至るまで四苦八苦の本質は

全く変わりません。

「怒りの分析をしようね」と前に書いたことがありますが

怒り=感情というのは必ず理由があって動くものです。

原因があるから怒りや妬みや恐れという結果としての

感情が生まれてくる。小さな棘が刺さっただけで人の気持ちは

揺らぐものです。

ここで改めて知って欲しいのですが、人は心だけで

成立しているものではありません。

それは体(行為)、言葉、心(意思)の3つにより構成され

相互に緊密な関係を保ち「人物」を形成している。

体調が悪ければ心は沈む 心が沈めばマイナスの言葉が生まれる

マイナスの言葉は過去の記憶を呼び起こす。

怒りも妬みも、執着も同じ過程を経て悪さを増して行くのですが、

「最初のマイナスの言語」が生まれた段階を、なんとかすることが

大事な点です。

仏典に「二の矢を受けず」という言葉があります。

解釈の仕方が色々あるようですが、端的な私的な解釈を

恥ずかしげも無く書くと、

綺麗な女性が目の前に現れれば、美しい人だと

認識する。これが第一の矢です。そして、

綺麗だな、あんなことしたり、こんなことして

遊んでくれないかな?と思うこと。これが二の矢に

なります。

二の矢を止めてしまう事 此処が行動を制御する急所であり

自分を変える眼目なのです。

変えるというより、気持ちの方向を変えると言ったほうが

正確かもしれません。

仕事に疲れて帰ってきたお母さんが、

言うことを聞かない小さな子供に、ついつい

大きな声を出してしまう。「うるさい」と

大声を上げる前に、

「うるさい」と言おうとしている自分がいることに気づき

言語化し、客観化すると言葉によって牽引される

マイナス思考の雪だるま化が阻止され、たった一瞬ですが、

闇雲に突っ走る自分の感情を制することになります。

一朝一夕でできるものではありませんが、

これを意識することが肝心です。

腹のすわった母親になってください。



健康な体を維持しましょう。

そもそもが体調の不快が多くのトラブルの原因です。

食事 睡眠 排泄 運動のリズムを身につけることです。

人もまた動物であることを忘れてはいけません。

体調が良好であれば、大抵のストレスには耐えられます。

男性も女性も体調が不良な時の精神状態を思い出して貰えば

合点がいくと思います。会社に行きたくない。

何もやりたく無い。という時、多くの場合、体の不調が

その言葉を使ってしまう原因になっています。

ストレスが溜まった体は肩甲骨と肩甲骨の間に大きな

コリができやすく身近な人にほぐしてもらうことを

お勧めします。就寝前であればよく眠れると思います。

運動が難しい人は、気功やヨガ、太極拳など内功を練ることです

そして、笑うこと。特に幼いお子さんのいるご家庭では

親の笑顔が子供の安心の源泉です。


自分なんか生きていてもいいのか?

こう考える方達は、とても頭のいい人達だと思います。

死する命の生きる意義を考えることをしている。

自分なんかの「なんか」をいつから言い始めたのかを

思い出すことから始めてください。

寝小便でしょうか? 言葉を覚えるのが遅かったと

親に言われた時でしょうか?親が自分を絶望する目で

見た時からでしょうか?

大抵は中学に上がるくらいまでに劣等感というのは

身につくようです。劣等感というのは自分が決めた

自分に対する評価です。でも本当に自分が決めたのかは

あやしい。疑ってみてください。

親の決めた自分への評価を疑うべきです。



人の命は有限なものです。死を前提にすれば

何をしても意味がありませんが、皆が夢中になっている

ゲームにもまた「end」がある。それにも関わらず、

夢中になるのはゲームに参加するのが楽しいからであり、

人生も同様「参加」さえすれば身につける技術次第で

楽しむことも可能です。

リセットの効かないゲームです。怖いのが当たり前です。

負けたりいじめられたりする自分の弱さを許してください。

そういう自分を認めることです。そして、まあいいやと

安いプライドを捨て自分の人生を開くことです。

そして普通の人生が歩めたとすれば100点満点の人生です。


限りある命の時間を大事にし他人からの評価に一喜一憂するような

くだらないプライドを捨て、人生を楽しむことです。

我々のご先祖さん達は平安の昔から「遊びをせんとや生まれけん」と

生きることを肯定して生きて来ました。

一部の貴族以外は明日の命さえ計り知れない時代にです。

我々のような名もなき庶民のご先祖さんは、どんな苦労を経て

この命を今の世に繋いでくれたのか。

多分「絶対に生き抜いてやる」とは思ったこともないでしょう。

ただ、当たり前の毎日を、逃げたり泣いたり、怒ったりしながら

へへへと言って子供を作り、楽しみ飲み食いし、柳に風のような

心持ちで生きてきたのだと思います。

その子孫が我々です。命を諦めたり、人生を諦める必要は

ありません。

もし、今、苦境の中にあるのであれば、間違いなく

先祖から受け継いでいるDNAに刻まれた太々(ふてぶて)しい

生命力を解き放ち、開き直り、生きることを選択してください。

苦しいのは、数ヶ月だけで、時が過ぎれば、なんて事はありません。


良い人生は他人を傷つけない事からしか始まりません。

他人を食(くら)えば、必ず恨まれます。恨みはあらゆる災厄の

種となり、時間をかけて熟成しドス黒い花を咲かせる

そして、

運を良くしたいのであれば、身近な人を大事にする事です。

ご本尊様をいくら拝んでも、隣にいる亭主をバカにしている限りは

幸せにはなれません。当たり前ですね。


それがなんであれ「許容」できる事が愛情の持つ特性の一つです。

まず自分を愛してください。自分の欠点を許し受け入れること。

そうすると、静かに、その欠点は善化していくものです。

繊細で神経質の細かい奴が「気の利く良い人」に変わってくる。

自分を大事にし、自分が大事にされたいように他人を大事にする。

そして結果を急がない。日々が修行であり、遊びでもある。

生きて下さい。

賢さ1

なぜ、学歴も立派で賢い人達が人間関係で悩むのか?

それは、その賢い頭を人間関係に使ってこなかったから。

それが答えです。プライドがやたらと高いという人達にも

同じことが言えます。

共に、相手を思いやることができない。

これは被害、加害とも両面のケースがあり、

会社にあっては、文句ばっかり言う社員さんもこの類に

入ります。権利や被害ばかりを主張する最近の新入社員さんに

多い現象のようであり今の仕事を腰掛けのように考えている

きらいがあるように見えてしまう。

あまりにも世の中を甘く見ている。

仕事も一期一会、人も一期一会です。


信用にしても人間関係などというのは、ガラス細工よりも

壊れやすいものです。

人は誰もが社会に出れば、一人前の大人を装い

常識的な人として受け入れてもらうために

他人と自分を比べ気を張って生きています。

(そもそもが他人と自分を比べるな。などというのは無理な話なのです。)

だからこそプライベートは気楽に、思うがまま過ごし

ストレスのかかるものは極力排除したい。

これが自分にとっての自然の姿に戻ることですね。

そして、このありのままの姿こそが、持って生まれた

運勢の姿なのです。運勢通りが一番楽なんですよ。

それは人の思考が運勢を拠り所としているからなので、

▲▲星の影響が強い人は他人と違うことに生きがいを

持ちやすいし、他人と比べられたり常識を言われるのが

大嫌いです。

逆に〇〇星が強い人は家の中も、整理整頓していないと

気持ちが悪くなってしまう。

持って生まれた運勢というのは、個々には差があり、

その通りに生きることが一番自然だと感じてしまう。

それにも関わらず、同じ社会人としての装いのもと、

それぞれの社会集団の中で生き抜こうとしている。

それが我々の現実です。レアケースですが、

ありのままの自分を受け入れくれるパートナーや会社と

出会えていたら人生の苦しみの半分は消えたも同然なのです。

そして、そうでない場合なんとか苦しみを減らす算段

しなければならない。

環境に順応する自分を創造していくという難しい作業を

子供の頃から強いられる。

そして問題は、自分自身をどう変化させれば良いのかが

わからない。

次に、その方法の1例を挙げていきます。

子供給付金

公明党は何を考えているのでしょ?

どこまで国民を愚弄しバカにするのか。

我々日本人は誇り高く、無力でもなく

施(ほどこ)しを甘受するほど卑しい国民では無かったはずです。

これでは、有力者にすがりつき骨までしゃぶるのを当たり前とする

どこかの隣国の国民性と大差ありません。

よく言われる国民劣化の最大の要因はこのあたりなのかも知れません。

働けるものは働き、働けないものは、その施しを受け、

生計を立てる社会こそが理想である、自分達には、その一翼を担う

権利があるなどと権利ばかりを主張する愚劣な国民を

彼らは育てようとしているのでしょうか。


国民をみくびり見下すエリート達、そんな政党だから安倍さんの

お友達政治を許し、権力に媚を売り彼のお友達ジャーナリストの

女性に対する犯罪に未だ意見を言うこともできない。

支持団体の女性達は怒りの声を上げるべきですが、

そんな認識さえないのでしょうか。


そもそも子供のお金なのだから、飲み食いに使わないよ。

当然、君たちのために蓄えておくよというのが筋ですが、

これでは景気を刺激するという建前さえ崩壊する。

なんで、こんなアホみたいな自明の理に辿り着けないのか。

何かがおかしいと思うのは私だけでしょうか。

この政党支持団体の方達が大きな声をあげてくださることを

心からお願いしたい。

自死について

久しぶりに林試の森公演まで散歩に行って来ました。

私と同年代のおじさんやおばさんが無邪気に

たむろし、お不動さんはあっちよ。なんやら

プロムナードは彼方ねと賑やかでした。

ベンチに座れば、カラスの賑やかな囀り。良い日です。

良い日のはずなのに、風の音に耳を傾けると

出かける前に見た女性の自殺者が増加しているとの記事が

頭に浮かび、一気に心が内向して行く。困ったものです。

自殺の話は何度か書いて来ましたが、やはり悲惨です。

他人が見れば、何も死ななくともと思われる事情なのでしょうが

本人達は、絶望し、そこから目が離せなくなり、死に集中していく。


生きることは苦しい。

働く女性が増えていると記事にはあります。

職場の威圧する相手達への恐怖から逃れるためであれば

仕事をやめてください。そして一度ちゃんと考えることです。

自分にとって仕事とは何なのかを。

その仕事でなければいけないのか?

トラブルの中にいる人の多くは大抵、

職を「プライド」や「夢」で選んでいます。

仕事の肩書きやレッテルにこだわり、動けなくなる。

動く勇気、捨てる勇気を持つことです。

面当てに死ぬのも、怨霊物語的で悪くありませんが

生きて「人生の楽しみ」を見つける方が、どうせ

苦しい人生です、楽しいですよ。

そして全く同じことがパートナー選びにも言える。

限界のくる相手を選びたがる人達が数知れずいる。

中には、見果てぬ夢の中で現状の彼や彼女を腰掛けのように考え

蔑(ないがし)ろにする人達もいる。

夢見るのは勝手ですが、目の前にいる「その人」を大事にせず、

一体誰があなたに優しく接してくれるというのでしょうか。

私も良い歳になりました。過去死にたくなったことなど

数知れず。人には生きるか死ぬかの二つしかありません。

生きることの意味などと難しいことを考えてはいけません。

こんな時だけ利口者になる必要はない。

それでも死にたくなったら、来週のワンピースを読まずには死ねない。

と来週まで生き、来週になったら次のワンピースはどうなるのかと、

また1週間生きそれを繰り返せば、当分生きることはできます。

そのころには自分の中の死ぬ理由なんて無くなっているものです。

必ず日常が、時間の流れが、癒してくれる。信じてください。


勇気

言霊

最近少し気になることがあり、ちゃんと

書いて残しておかなければと思います。

それは、安易に「忌神」や「悪神」を

冗談まじりで言葉にしている人達がいる。

プロの先生方の中にもいるようです。

これらの言葉は解除の仕方を知っている人が

使うのならば問題ないのですが、

そうでない人、ずぶの素人が使うと暗示となり、

それにかかった人達は「呪詛」の類に落ち、時に、

相手によっては逆恨みされ「呪詛返し」のような

ことにもなり本人も相手も、

取り返しがつかないことになりかねません。

運勢学の知識での冗談や揶揄は禁忌です。

間ジャム

昨日「関ジャム」という番組でミスターチルドレンや

スピッツなど平成を代表する歌手達のベスト10を放送していました。

平成は30年、20代の子たちには、ほぼ懐メロでしょうね。

宇多田ヒカルのNo.1曲の当時の映像が二十年数年前 

渋谷駅前の大型ビジョンから流れていたものと同じで、

この「オートマチック」に受けた衝撃とともに、当時の

自分の状況を懐かしく思い出していました。


つくづく思うのですが、我々の時代には昭和初期のように

生きる指針やなすべきことを強制されることはありません。

思想信条の自由を我々は与えられ学校教育でも

意図的にこれを避けてきました。その代わり、

馬鹿らしいと本当に笑ってしまうのですが、愛国主義、

軍国主義を拠り所にしてきた大人達は一度無くしてしまった

人生の拠り所を拝金主義、学歴主義に移行し、心の安心を

はかって来た。絶対的な幸福が「学歴」と「お金」であり

それを得られるかどうかが「幸福」の尺度となっていました。

だから亭主はお金さえ稼げば一人前であり、家の中では

暴君であっても許され、それが当たり前というのが

昭和という時代の一面ですね。


そしてバブルで弾けた。

結果 それまでの人生の拠り所だったものが崩壊し

内省的な時代が到来し人生の価値が多様化し、

拠り所として固定していた価値観が液化し、今、

SDGsという国連が決めた価値観に固まろうとしています。

世界が決めた「たてまえ」です。

個人の本音である「嫌悪」や「敵対」は厳しく処される。

けれども無くなる事はない。

時代の流れは圧倒的に「善なるもの」が本音として

勢力を増しているように私には感じられるのですが

弱肉強食を本音としている人たちの勢力はまだまだ

強烈です。

威圧、強迫、法的強制のゴリ押し最終的には暴力により

相手を支配しようとする

人が善化すれば、相手もそうだと思い込みやすくなるものですが、

結局 自分の器の大きさでしか自他を認識できない。

けれども器の大きさは間違いなく変えられます。

(小さくするのは物凄く簡単ですね。)

そのためには、今まで知らなかったことを学ぶことです。

神仏にすがってもダメですよ。

すがる人達は、「今のままの自分に」幸を与えて下さい。

守ってください。究極は、もっと人生で甘やかしてください。

というのが一般的なおねだり信心です。

神仏を味方にしようと思うのであれば

「神仏に誓って努力をします。戒めは守ります。必死に生きます。

背中を押してください。支えてください。」と

強い信仰心を持って願うことです。

人は誰でも変われます。

まずは自分の思う「我儘(わがまま)」を我慢(がまん)することです。


また説教くさいことを言っていますが

今の世の中は本当に自由です。そして自由を持て余してしまい

自分が何をしたいのかがわからない人が実に多い。

「心のままに生きたい」といっても どこに行っていいのか

何をしたらいいのかがわからない。

何に希望を持てば良いのかわからない。

老いも若きも、わからないだらけなのです。


今ある暗闇を照らし迷路を抜ける勇気を与えてくれる

彼らや彼女達のメッセージが自分の人生に重ねられ

共感し支えられる。素敵な仕事です。

こんな鑑定をしたいものですね。

子供 大人

子供の自殺について

嘘ばかりのアジテーションは有権者の若者層に向けた

非公式の選挙運動です。選挙違反スレスレのもので、

自殺者を選挙に利用しようとしている。

恥じ知らずも甚だしい。


大人の自殺は減っています。ただし子供の自殺は

増えている。子供の自殺

本来子供は自分本位の生き物であり、死を望むことは稀です。

何よりも「自分が」愛されたいと純粋に考え、

愛情を独占したがり、嫉妬し、我儘を言い、

愛情の確認作業を日々繰り返し成長していく。

しかし自分の存在自体が邪魔だ、いらないとされた時

自己愛への執着が、その一瞬で消えていきます。

自分は消えた方がいいんだと考え始める。

家庭が冷え切っていても学校や友達がいれば

逃げ場はありますが、コロナ禍ではそれもできない。

ストレスを家の中で発散していると感じている親御さんは

子供達は、あなた以上に外の世界で傷ついていることを

知るべきだと思う。

親御さん達もまた、ただ、無条件に愛されたかったはずです。

そんなこと、思ったことないという人は、

すでに充分愛されていたということです。

全ての喜怒哀楽のスイッチは自分への愛情を独占したいと

思うところから始まります。

お金では愛情の器は買えますが、中身が、

蜃気楼のような愛では、心の渇きは満たされません。


「愛」を求める心というのは老化しません。

人の心の不思議なところです。


自殺自体の原因は複雑です。

上記のものが全てのケースに当てはまるという意味ではありません。しかし絶対に親が言ってはいけないことは、その子の存在を否定することです。兄弟で比べるのもいけません。そこから嫉妬が始まり、時には、それが原因となり行動することさえあるのです。荒れる子供と自ら死を選ぶ子供は同じ動機から始まっている場合があるのです。
男女の恋愛問題と何も変わりません。

自殺対策

自殺者が増えていると某政治家はアジテーションの中で

騒いでいましたが、自殺防止法が施行されてから

各自治体の努力は功を奏し、自殺者をかなりの数減らしてきました。

これは間違いなく政治の力です。

厚労省自殺対策室 この最下段にある付録1にある

原因、動機を見ると、

体と心(依存症を含む)の病気、家庭問題、生活苦の数字が高く

年度別の統計でもこの上位は変わらないようです。

一生懸命生きるしかない。

孤独でも、馬鹿にされようが、いつか見返してやればいい。

そのためには何かを掴み、育て、誰よりも輝くものに

仕上げる努力を惜しまないことです。

あらゆるものは流れている。自分が方向を決めることができれば

必ず、その場所に流れていく。これが因果の法則です。

それを信じきれずに、諦めてやめてしまう。最初から

「疲れるから、努力は嫌だ。何もしたくない」という人もいる。

自らが絶望を生み、育てていることに気づかない。

馬鹿みたいに信じて、進む人には必ず結果が現れる。

もっとバカになり、単純に生きることです。

多少の痛みなど、屁とも思わぬ太々しさ。

バカほど強いものはない。「これでいいのだ。」と

戯けることです。

神経質に正誤表を作る生き方を捨てて、なんでも包含できる

強さと逞しさを身につけること。達人の肚を練ることです。

家を守る人ほど必要なことです。

真面目は神経質の始まりで、「感情」が緊張状態に固定され

何を見ても聞いても「反応」しやすくなってしまう。

たんき、怒りん坊、ヤマアラシのジレンマになってしまう。

反応し、人を言葉で傷つける。そんな自分を嫌悪し、

時に自分に罰を与える。

ほどほどのアバウトさを大事にしましょう。

逃げないこと。諦めないこと。バカになること。

死んで恨みを晴らすより、楽しくバカをしながら

20年後見返せば良い。寿命を上手に使うことです。

一票一揆

YouTubeの広告で「一票一揆」を標榜する

政党の党首が持説を語っていました。

すごいことです。悪いのは全て政治のせい。

選挙に参加しようぜ、(自分の政党に)投票して

政権を変えれば、世の中は素晴らしくなる。絶望は減る。

それが政治なんです。政治を変えましょうや。と言いつつ

なんの具体的な策もなく、ただ、投票することで

自殺者が無くなり、老後の備えができると主張している。

(「自分達に投票すれば....」と言わないところが選管に咎められない根拠なのでしょう。)

新手の詐欺商法です。

詐欺犯の情熱そのものの熱のこもった演説。

かつての小泉首相の演説にも似ている。

激情型の選挙演説です。

子供も見ているYouTubeでこんな広告いいのでしょうか?

特定の思想植え込み型の広告は、ナチスドイツの手法です。

純粋なゲルマン精神を高揚させ、そこに混じる

劣っているもの、不純なものを排除する政治。

民族浄化を、一般人までもが協力し劣等とされた者達と

ユダヤの民を殲滅に追いやった歴史。

若者は騙されてはいけません。彼の口車に乗ってはいけない。

選挙は国民の権利です。権利放棄も自由、遂行するのも自由。

ただ、ありもしない幻惑に当てられ、

雰囲気だけのリーダーを選べば、必ず裏切られます。

簡易メール鑑定

簡易メール鑑定のお知らせ

あまりに敷居が高すぎるとの声があり

その通りだと思います。孤高の人では、やはり寂しい。

私も誰かと繋がっていたいというのが正直な気持ちです。


一件につき質問は1回とさせていただき料金は3千円にします。


依頼時に注意して欲しいことがあります。

推命学と断易、

運勢鑑定と占いを使う手法にしたいと思っているのですが

推命学は

可能性を追求し、そこから現実を想定し判断するものですが

断易は現実を切り取る「占い」で、例えば、

「彼氏の気持ちを知りたい」との質問に対し、得た卦に

二人の彼氏が現れ、依頼者側の二股がバレる場合があったり、

何も思っていない、既に彼女がいるとか、

人間関係の相談の場合ご本人の性格の悪さが原因であることが

はっきり出てしまう場合があり、運勢鑑定のような、

遠慮や言葉を濁すことができません。

いつ結婚できますか?のような問いに対しても

今の状況では無理とはっきり出てしまいます。

断易はこのように生々しく、絶句する場合も多々あり、

私は好きではありませんが、これが「占い」というものです。

原因に対する改善策も提案するつもりですが

短いものになります。例えば、

彼氏と仲良くするためにはどうすればいいですか?の問いに、

「思ったことを、なんでもかんでも相手にぶつけないこと。」

こんな答えになると思います。

こちらの答えに気分を害する方がでるかもしれません。

そのあたりも承知の上でお申し込みください。

必ず簡易メール鑑定希望とお書きください。


従来の徹底的な対話をベースにした、高額のメール鑑定を

ご希望の場合は「普通メール鑑定」とお書きください。

真摯にお応えしたいと思います。

地震

10月7日 久しぶりに大きな地震が関東地方にありました

皆さん大丈夫でしょうか。こちらは写真を入れた額が

落ち、重ねておいたビールの缶が崩れ落ちる程度でした

それにしても一瞬、3.11 を思い出してしまい、

気持ちの悪いことひとしおです。

この地震、変な予兆でないといいのですが衆院選が

すぐそこに迫っています。売国、嫌日、原理主義の

ろくでもない議員さんが与党からも野党からも消え、

大同などと言って政治のせいにし弱者を犠牲にする事なく

志の高い私心のない明るい日本の未来を目指し実行できる

力のある方達が国政に参加して欲しいとつくづく思います。

雰囲気や因習的な選挙は終わりにしないと、この国は

半島からも二つの大陸からも食われかねない。

どうなることやら。心配です。

岸田内閣

岸田内閣が正式に発足し、ここ数年間の日本国の体制が

決定しました。良くなるといですね。

客観的な評価は経済に聞くのが一番早く、

結果は最悪のようです。経済を見れば世界が見えます。

菅総理が辞職を決めた時点で30年ぶりに

跳ね上がった日本株が、岸田首相が決まった瞬間

3万円を割り、これほど現金なものかと驚愕したのですが、

翌日の今日、菅政権時代の水準まで一気に下がっています。

コメントを読むと課税に関してのものが多く、

ここ数年の流れを見ると、ばらまき財政の付けを

増税すれば選挙に勝てない。

どこから取ろうかと考えた結果

資産家の連中がやっている株式投資からという発想なのでしょう。

さらに今度は中小企業層への財の分配などという

選挙を意識した同盟与党への媚びへつらいが見え始め、

国全体を見る視点がありません。これからなのでしょう。

そうであることを真摯に望みます。

日本の代表として国際社会で活躍していただきたいのは

山々ですが、意思のある者には、今以上、青少年から大人たちまで

それぞれに相応しい自立支援、一生ものの資格、技術習得の窓口を広げ、

営業支援までの道筋を提供していただきたい。

政治家も一般の国民も無視し続けている男も女も

生きるために体を売らなくて済む環境を整備して

欲しいものです。




国益を他党と分配するのは致し方ないとしても

他国と分配するようなことだけは、しないで欲しいものです。

安息の場所

結婚差別は今も昔も変わりませんが、

今は良い時代です。

成人し、二人の同意があれば、誰も止めることはできません。

結婚自体の価値も家どうしの相互扶助的な関係から

個の関係に移行し、関係ないよと双方が言えば、関係は

消滅します。しかし現実は言葉ほどは軽くなく、

強烈なしがらみにより実家との縁は切れず、時に

非情な苦しみの原因ともなる。

「親ガチャ」 「子ガチャ」を言う人たちがいますが、

双方とも、いったい何に期待しているんだろうと思う。

しかし、親は子を一人前にする義務を課せられている。

関係ないねでは済まされません。

会社の人間関係に頭を使うように子供にも頭を使ってください。

感情のまま怒鳴り散らしても人は動きません。



なんであれ、自分が守るべき世界、帰るべき安息の場所を

見つけることです。

仕事場がそうだと考えてもいいし、家庭がそうだと考えるのも

それがなんであれ、自分を支えてくれるのなら

否定する必要はありません。

信頼してください。しかし信頼もまた変化することを

覚悟することです。

人生は苦しいものです。それであれば何事にも動じないための

不動の肚を練り続けることです。

静かに目立たず、風のように生きるのも素敵な生き方です。

頭を使い知恵を練り気合いで乗り越える生き方もまた

ワクワクできる素敵な生き方です。

幸せは自分次第です。

辛い話

娘の本家への挨拶についていかない馬鹿親には

ほとほと呆れます。

世間がなんと言おうが、結論が出たのであれば

親として娘を守ろうとするのがまともな親です。

この馬鹿親は娘を一般人の常識で育てた上で

自分たちの「身分」に無頓着で、相手の素性を調べることさえすることなく

乙女心を放任し、取り返しのつかない状況に追い込み

最後は保身に走り、官僚任せにし、さらに状況を悪くしてしまった。



お二人についての推命学からの吉凶の評価というのは

もちろんあります。

しかし、推命学の成立過程を考えると吉凶の基準というのが

儒教的な世界観を基準とした高級官僚や君子を望む者達の

処世術であり、昨今の常識と乖離している面が多々あることを

承知しておかなければなりません。

用神の取り方にしても、従来の取用方をそのままとっていては

かえって苦しみが増す場合がある。

用神をとれば人間関係は間違いなく円満に変わりますが、

それは本人の持つ幸福論と比した場合大きく齟齬が出る場合もある。

これは実際の話なのですが、

自分の世界に根を張り、人としての責任を果たし

円満な人間関係に努力し、明るく楽しく生きることが

理想の生き方の一つですと述べた時

そんな一つの世界に根を張り、お尻に根を張る生き方を

どうのと言われても、流れのままに面白おかしく生き、

後悔のない生き方をすれば、別に流れても良いのではないかと。

(ツッコミどころは多々あるのですが、まさに正鵠を穿っている。)

その通りだと思います。余計なお世話なのです。

自我を通す生き方は子供の頃から養われる生き方で

親に100%責任があり、走り始めれば止まりません。

止めれば壊れる。

この家の親は、自分たちがそうだからと言って

かえってそれを推奨していた節がある。

若い二人はそっとしておくことです。

願うのであれば将来、インペリアルデプロマシーを

発揮していただくことでしょう。

これ以上一つの家族を虐めてどうしたいというのでしょうか。

9月30日 信頼

何をやってもうまくいかない人 それが癖になっている人 

その原因は誰かのせいだとか、運が悪いからだとか

自分のせいもあるが、それだけでは無いと思っている人

その苦しみがなんであっても

自分を信頼すること 自分への信頼を回復すること

自分自身で自分を支えようとすることです

人は自分が思っているほど弱くありません。

なんでも良い、一つのことを日にちを決めて

初めてください。

一日 腹筋100回ではなく、完全禁酒とかでもなく

例えば腹筋と決めたなら期間を「1週間 」

1日2回くらいから始めることです。

そんな馬鹿なと思う人もいると思います。

大事なのは「1週間」という目標を達成できるかどうかなのです。

自分が決めたことが「達成できた」という小さな自信を

身につけること これが「種」になる

この種に毎日水をやりお日様を当てることです

粘り強く繰り返し 少しづつ課題を増やしクリアーできれば

明るさと自信が現れてくる。そうなった時 

いじめた相手への仕返しとかを考えてはいけません

人生における大きなハードルを乗り越えた自信を持つことです

笑顔が戻ったその時点で いじめなどする下衆の連中とは

違う世界の住人だと胸を張ることです。

信頼に足る自分自身 禅でいう不動心そのものです

「ふどうしん」て、なんかカッコイイ響きでしょ。

何かで動揺しそうになったら、字面を思いだしながら

「不動心 不動心」と呟いてください。

自分に後ろめたいものがない限り大丈夫、不動です。


自分を信頼できるか? 

多くは自分が善なる場合でしか自分への信頼は生じません。

これは自分が「善」かを問う、問いなのです。

「善」の基準は十不善 十善行として既に書いています。

苦しみの原因が自分にあるのなら、

それを他人のせいにしているうちは苦しみは消えません。

9月24日

今日はいい天気です。

同年代の古いお付き合いの方が昨年「鬼滅の刃」を

ベタ褒めしていて、ここ数日フジテレビで「無限列車編」

に至るまでの物語を放映しており録画したものを

先ほど見終わりました。

明日が映画本編の放映なのですが、楽しみです。

敵キャラの回想シーンが泣かせる作品で、

なんでしょうね、いい歳のおじさんをキュンと

させてしまうところがあります。そうか、これが

「全集中」か、もう少し前に知ってればなと思います。

呼吸法の話が物語の中にあるのですが面白い。


気功やヨガでは呼吸法をとても大切にしています。

心の平安を得るための一番の近道が、呼吸による

交感神経の制御で、血流の流れを整え

ホルモン系に働きかけ怒りや絶望感などのマイナス思考の

連鎖を停止させる効果があると言われていますが、

どうでしょうか、

呼吸法単独では、ちょっと難しいと経験上感じています。

なぜかといえば、身体と心はリンクしていて、

体の不調が心の不調に連鎖していくというのが

私の考えです。快眠、快食、快便、の三拍子が揃って

初めて健康体が維持でき、どこか身体に違和感があれば

間違いなく、それがストレスの原因になり、対外的な活動に

支障をきたし、対人関係に摩擦を引き起こす。

疲労、過労、仕事のストレスなどが典型です。


だいぶ前に見たことがあるのですが、

デイズニーランド帰りの舞浜駅から乗ってきた、

若いカップルが最初は手を繋ぎ、仲良さげだったのが、

東京駅に着く頃には、話かけるな、疲れた、眠い、ウザイと

喧嘩し始めているのです。

おお、これがデイズニーデートは別れると言う

都市伝説の正体かと妙に納得したものです。

精一杯楽しみ、過度に疲労し、相手を思いやれなくなってしまう。

アトラクションを待つだけでも大変です。

まして、初めてのデートであれば緊張もあるでしょう、

無理もありません。相手を好きと体が辛いは別物ですが

ごちゃ混ぜになり、辛いのが嫌いが、あなたが嫌いになってしまう。

身体は心に優先するのです。

子育て中のお母さんやストレスに四六時中晒されるような

職場環境で働く人、まずは体を整えてください。

体の疲労は、トゲトゲしい心の温床になり、

幸せそうな人に嫉妬し始め、怒りが生じ始めます。

まずは自分自身の快眠、快食、心地よい排泄を

チェックしてください。

無料メール鑑定

本日2021年 9月21日から23日までの

3日間無料鑑定を行います。

メール鑑定料を値上げした手前、

もっと早く相談しておけばよかったという人も

もしかしたら、いるかもしれません。

そこで、

こちらの気が向いた時で申し訳ないのですが、

無料鑑定を行いたいと思います。

体力、気力もさほど無くなってきたので、

内容は個別のアドバイス程度になります。

質問も基本的には一度でお願いします。

45歳定年制

サントリーホールディングスの新浪剛史社長が

45歳定年制を公言してしまい話題になっています。

会社員が準備しなければいけないこと

ついに、こんなことが言われる時代になってきました。

それ以上に驚いたのは、この記事にある社内失業社が

400万人いるという記述です。

(これは全会社員の一割に当たる数字とのこと。)

年功序列型の会社では、大半の中高年は現場の労働力に

なっていない高級取りとの記述もありました。

この傾向は、どちらかというと公務員系のパターンかと

感じていたのですが、民間もこの傾向にあるようです。

最前線の現場は割りに合いませんね。

人資源の活用の工夫が経営者には求められているようです。


つい最近も大手銀行の早期退職が記事になっていました。

スキルさえあれば、転職は可能のようですが

グローバル化が招いた結果は、心も体力もすり減らす

弱肉強食の厳しい世界です。備えることです。

9月16日

ワクチンの副反応で2日ほどだるい日を過ごしました。

体温が1.5度ほど上がっただけなのですが、

体調の変化というのは気分の良いものではありませんね。

自民党の総裁選がテレビを賑わしています。

彼等がというわけではりませんが、

世の中のあらゆるところにいる、

「頭の良い」「仕事ができる」と言われる人達。

怒鳴り散らしたり、他人をバカにしたり、

見下す。そこにどんな結果が待っているのか

想像できない人たちがとても多いように感じます。

賢いはずなのになぜそれができないのでしょうか?

同時にですが、自己主張ばかりして、

自分を見失っている人たちも多い。

悪いのは自分ではない。環境が悪い。

仕事の教え方が悪い、上司や同僚と相性が悪い。

そう主張して転々としている人達。

その通りかもしれません。しかし、

そうでないかもしれない。


日々答えの出ない問いを繰り返しています。


人生は戦いです。社会人は誰もが日々戦っている。

せめて、プライベートでは楽しく平和でいたい。

けれども、

時に隠れながら時に露骨にプライベートで

相手を支配するための戦いを起こしている。

それにさえ気づいていない人が多い。

自分の思うような人になって欲しい。

期待するのは当たり前ですが、そこにいるのは

自分の意思(石)を持った他人です。

我々の遺伝子は自己都合第一で働くようにできています。

自分の命をつなぐための本能として

パートナーを求め家族を作ろうとする。

本来は、本当に単純明快なのですが、

何かがそれを複雑にしている。

誰のせいでもありません。

9月9日

本日2回目のワクチン接種が終わりました。

今日の先生は注射が上手で、前回に比べ痛みは

少なく、こんなことも副反応に出るのかもなと

複雑な思いがあります。暗示ともプラシーボとも

言われる、人の感情の思い込みが自分にも、他人にも

大きな影響を与えるている事実を考えると

やはり怖いものがありますね。

自分を変えたいと望むものにとって、この辺りが一番難しく、

何が正しく、何が悪いのかがわからない。

悪いとわかっていてもやめられない。

そこには個々の持って生まれた傾向があり、

個々の具体的なアドバイスはできないのですが、

一般論として言えることは、「腹八分目」で満足することです。

これは平凡だけれども平穏な生活と、

終わりの無い不幸とのギリギリの分水嶺だと思う。

運の悪い時でも、これさえ守れば不幸の流れには落ちません。

腹八分目というのは、残りの2分を諦めるという意味でもある。

「自分の思い通りにしたい。」こう願う時、

誰かが、その被害者になっていることに気づいていますか?

思春期の悩みの中に「自分らしく生きたい」というのがあります。

自分らしく好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

正直に生きたい。純粋で素敵な言い分です。

その結果「あの子は嫌い」と言葉に出さなくとも正直に態度に表し、

傷つけ、恨まれる。間違いなく被害者は出ている。

相手が弱い子ならば、傷つき、強い子なら反発し

あらゆる手段で戦い始める。

どちらにしてもいじめは止みません。

本来純粋で優しい子であっても、好き嫌いを価値観にして

生きれば、この傾向が生まれ、攻撃性が表立ってきます。

そして、いつの間にか本来の自分に正直に生きたいという

純粋性はどこかにいってしまい、

「恨み」や「怒り」や「嫉妬」ばかりが心を満たす。

そもそも、正直に生きることが自分らしいストレスのない

生き方だったはずなのに、真逆の結果に苛まれてしまう。

それさえ、今は忘れている。

このように、我々は自分がどんな苦しみの原因を選択したかを

忘れてしまっていることが多いのです。ここに気づくことです。

深く深く自分に潜ってみてください。

苦しみの裏面

人の運命は「持って生まれた星」と「運勢の流れ」によって

成立し、他人との出会いによって、さらに千変万化の変化が生まれ

人生が営まれています。この中で、傷つき、苦しみ、

どうして自分ばかりが苦しいのかと嘆く時、

「自分の持つ運命とは何か?」を知ることを望むのであれば

 お役に立てると思っています。

自分を守るために言ってきた沢山の言い訳を捨て、

ありのままの自分自身の可能性を知ること。

それを見つけて大事に育てれば、

苦しみがなくなるとは言いませんが、

孤立の苦しみは減ると思います。

人は自分自身は自分が一番よく知っていると思っていますが、

それは一枚の紙の表の姿だけで、

その裏面についての気付きはあまり無いように思えます。

紙の表の面に「絶望」と書いてしまっても、

ひっくり返して裏を見れば新しい絵を書くスペースは

結構あるものです。自分を信じてください。

花嫁

報道では駆け落ち婚などと言われていますが、

若く、気高い、純粋な一人の女性を本当に尊敬します。

北山修が作詞した「花嫁」に歌われる女性のようです。

本当に幸せになれるといいですね。

ただただ、それを願うばかりです。

ニューヨークは、成功し、お金に不自由の無い人だけが

幸せに暮らせる都市だと聞いたことがあります。

ご主人が不測の事態で稼ぎが減った時、

ご主人を助けるために彼女も働くのか?

彼女なら、そうするかもしれません。他人事ですが、

そんなことを考えただけで胸が痛くなります。

お二人とも頑張って欲しい。

そんなことが起きないよう、亭主になる男よ、覚悟し、

必死に活きて欲しい。誰よりも、妻を大事にする男であれ。

もちろん実の母よりも妻を大事にしろという意味です。

よく言われる

「嫁の代わりはいるが、母の代わりはいない。」

などとは絶対に思わないで欲しい。

これから彼らの生きる世界が地獄であろうが煉獄であろうが、

二人が思い合い人生を支え合う気持ちを持ち合えるのであれば、

心には常に天国の歓喜が沸き起こってくる。

そうであって欲しいと願う。

逃げることなく持って生まれた人生を是非とも全うして欲しい。





明治政府に無理くりつくられた国家神道的な権力と結びついた

天皇家の破綻の始まりかもしれません。我々が思うような

「神」とは別物の、人としての肉体と心を持つ、

普通の当たり前の人、まさに昭和天皇がなされた

「人間宣言」そのものです。


伝統や、しきたりに拘束され、人生に自由のなかった

数限りない女性達。皇族で言えば在原業平以来の

「斎宮の意趣返し」とも言える事案です。

悲恋に終わりつづけていた、閉じることのなかった

「愛の物語の輪」が令和の時に閉じられ完成されるのであれば、

本質的な男尊女卑の歴史が終焉を迎える可能性があります。

静かに世の中が変わり始めているのかもしれません。

このようにロマンチックな面だけが更新されれば

いいのですが、男性も女性も異性に甘えることが

許されない時代という意味でもあります。

愛や人情がものを言えなくなる時代。

実力だけが評価される時代、これはこれで厳しい時代です。

メール鑑定再開のお知らせ

大人気もなく疲れたと言ってメール鑑定を

お休みしていましたが。

9月1日から再開することに致します。

「ただし」

申し訳ないのですが鑑定料を上げさせせて頂きます。

自分的には破格の2万3千円とさせていただきます。

これは常識を超える金額だと私も思います。

その理由は安易な相談や未来予知など、

ご本人が冷静に考えさえすればどうにかなる相談を

回避するためです。

(占いに依存し破産に至った人のなんと多いことか。)

自分の頭で考え、解決することが自立への第一歩であり、

占いジプシーからの離脱になるのでは無いでしょうか。

依存し自分の考えを放棄してしまうことへの警鐘だと

理解してください。

是非とも自分の出した答えを信じ実行してください。

現状が悪いのであれば、その原因が必ずあるはずだし、

答えが出せないのは、身近な人をみくびり

意見を聞く耳を持てない自分自身の慢心が原因です。

自分のプライド、自尊心、自負心を、まずは疑い

謙虚に我が身を振り返ることから始めることを

提案いたします。

その上で、洗心庵の、微々たる助言がお力になれると

思われる方がいるのであれば、誠心誠意お力になりたいと

請願を立てる所存です。

アセンション 8月31日

先日アセンションの話が出て、

「風の時代」「アセンション」最近聞かなくなったなと、

少し感慨深いものがあります。どちらにしても、

あまりにも多数の犠牲者を出し続けているコロナ禍が

3年めに入ろうとしている今、さらに被害が

子供にまで及び始め、

それが本当に人類の昇華なのかどうなのか?

直接の被害にあっている者、子をもつ親にとっては、

どうでも良い話でしょう。間違いなく最悪の周期です。


しかし、そうは言っても

世界中の善悪の基準の曖昧さが明らかに

変わってきているように思う。

先駆けはme too運動でしょうか。

強要されていた女性達が男社会に対し

泣き寝入りし、無理矢理自分を納得させ

男社会に迎合せざるおえない時代から

自立し、多数の支持者を得、自ら発信する強さを

勝ち得、罪は罪と社会的な断罪を明確に主張できる社会に

なり始めている。


硬く強ばり、緊急事態にもかかわらず、後手後手に回る

旧態然の国家である日本の現状は、漢方で言うところの

瞑眩(めんげん)反応が出始めているのかもしれません。


自民党の総裁選が見どころですね。




今日、みずほ銀行のシステム障害の遠因としての人員削減が

報道されていましたが、どこかで聞いた話ですね。

生徒さんへのアドバイス

命式が読めるようになった人が陥りやすい、

ミスについて書いておきます。

どの流派でも、占いでも一部の事象が当たり始めると、

それ以外の手の届かない部分を自分自身の経験や自分の中の常識を

根拠にして依頼者にアドバイスをしています。

「学理」を理解できずに個人の経験、体験などというのを

根拠にしているのであればかなり怪しい鑑定と言わざる終えません。


占い師に限らず、

自尊心、競争心、運が強い人が離婚問題を相談されるとき、

ほとんどの人は新しい生活をするべきだと、

離婚を肯定します。なぜなら、自分(占い師、鑑定師本人)は

離婚をしても生きていけるだけの実力があると自負しているからであり、

二つ返事で、男が悪い、離婚した方がいいよと言う。

しかし命式は、とても一人で生きられる強さは無く、

誰かを頼らなければ生きて行けないと語っている。

こんなケースも多々あるのです。

また夫婦喧嘩のケースの場合、女性側の話を鵜呑みにし、

夫の運勢を精査することなく夫婦が揉める原因は

全て夫側にあると決め込み、悪いのはヤツだと断定し、

別れてしまえ、慰謝料を請求しろと煽る方達も少なくない。

同情と共感は必要ですが一方のストーリーに飲まれてはいけません。

対人関係のあらゆることに関して同様なことが言えるのです。

丁寧に話を聞くだけで「癒しの鑑定」にはなりますが、

相手の身の丈に合わないアドバイスは、

実行すれば、人生が立ち行かなくなってしまう場合もある。

まずは「生きるためにはどうすれば良いのか。」が肝要です。

丁寧に両者の命式を精査し、言い分はわかるが

実際はどうなのか、あなたはどうだったのか?と

問うた上で事実誤認がないよう十分注意した上で

判断してください。


運の強い人には、運の弱い人の気持ちや行動を理解できません。

そのために推命学という学問があるのです。

次の段階へ登るための大事な心がけです。

当たったはずれたで一喜一憂してはいけません。

慢心を起こさず頑張ってください。

コロナ禍の経済展望

面白い記事を見つけました。

財務省の人災

劣化した財務官僚とは皮肉な言い回しです。

でも、その通りなのでしょうね。

近視眼的な物の見方しか出来ない、というより

「そんな先のことは、その時考えればいいんだ」と

誰かが言っていそうですね。

心に刺さったままのピン

人の苦しみというのは、その場の感情に飲まれ

前後を考えることなく、感情のままに反応し、

停止して動けなくなることから始まるように思います。

時(とき)の一点にピンで留められるようなもので、

その不安定さに知らぬ間に他人への防護壁ができてしまう。

体の中に入った異物を免疫細胞が繭(まゆ)のように厚く覆い、

閉じ込めてしまうのと同じことが心の中でも起きているのだと

思います。

そして、感情は、傷にリンクする場面で復活し暴れ始め、

それを何度か繰り返すうちに、何が原因で怒ったり、

欲しがったり嫉妬したりするのか、わからなくなってくる。

(その場での理由は明確ですが、なぜ、これほど激しい

感情の揺れが起きるのかがわからないという意味です。)

なぜ、これほど深い絶望を、この程度のことが引き起こし

身に纏い続けてしまうのかがわからない。



喜びや、楽しさというのは、実に儚(はかな)く

潰(ついえ)やすい。喜びは隠す必要がないので、

すぐに、どこかに消えてしまう。

(隠す喜びの毒の味こそ捨てがたい甘露である。

こういう人達のいる理由がこのあたりにあるのだと思う。)

生花のしおれる以上に人の心の喜びは色褪せやすく、

ただの日常の景色として消えていく。

平凡さ、いつもある景色、見慣れた、当たり前の姿

しかし、苦痛に嘆く人にとっては平凡な家の日常は

奇跡のような喜びに溢れて見えるものです。


何かを望むとき、もし、そこに障害が現れるのであれば

少しだけ自分の心に刺さっているピンを探すことを

お勧めします。

心に刺さった棘が見つかったら、

もしかしたら、それに使われている自分が見えてくる

かもしれません。そして、そんな心の傷から

降りられた時、望みは叶うと思っています。

ここ数日、ワクチン接種の副反応もあり、

静かにしていたのですが、心配な人がいるので

書いておきます。

「苦しみからどうすれば解放されるのか?」が

洗心庵で教えている推命学の主題です。

苦しみに至る原因を徹底的に追及し泰山流(緒方派)の

学理を基礎とし実践と研究で得た経験を加味した上で、

独自の理論解釈を行っています。

私が学んだ推命学は非常に実践的で、

貴星を根拠にするファンタジーの部分は

完全に削除されています。

甘いところが全くと言っていいほどありません。

結果として推命学の幻想の部分が削られ

実にリアルな人生があらわれてくるのです。


その目を以って実践を重ねていくと、本当にいろいろなものが

見えてきます。

(霊視などという場当たり的なものではないので

誤解のないようにお願いします。)

その中でも一番顕著なのは、

「努力しないものには決して果実はみのらない。

運勢が悪かろうが、忌神がついていようが、文字通り、

必死に努力したものは、一流大学にも会社にも

入れるし人並み以上の生活もできる。」

結局は「生きよう」と言う「こころざし」や

頑張るんだと言う「意気(いき)」を持ち

それを実現しようと願い、行動することが

「世の中に出る」と言う意味での運を開く

原動力になるのです。

やる気のないもの、生きる気のない者には運は開きません。

苦しみも同様で、苦しみから逃れるのではなく

苦しみを「ほどく」努力をしない限り、苦しみは消えません。

厳しいことばかりを書きますが、すぐに立てとか行動しろとか

そういう意味ではありません。

ただ、あきらめてしまわないこと。

今日、もしかしたら動けるかなと、予感がしたら、

素直にやってみる、ちょっとした勇気が必要だという意味です。

例えば、毎朝5時に起きるんだと決めても、それを

できる人とできない人がいて、たまたま、5時に起きられた時は

ラッキー、できたと自分を褒め、思い立ったことをやればいい。

誰もが、人の悲しみや哀しみを直視するのは苦手であり、

親切な人がいたら頼り、すがり、どうにかして欲しいと

願うものですが、自分が動かなければどうにもなりません。

これを人生は残酷だと見るか、人とは愚かな生き物だと見るか。

本人次第というところでしょうか。

メール鑑定 お休みのお知らせ 改

8月17日だったと思うのですが以下のように、こちらに書きました。

諸事情によりしばらくメール鑑定を停止いたします。

メールでのお返事もできかねます。悪しからずご了承ください。



先日生徒さんからどうしたのですかとの問いがあり

何でもないよと答えたのですが、疲れたと言うのが真相です。

メール鑑定を受けた方はご存知だと思うのですが

忍耐の限界まで徹底的にメールで会話をし続け、

多くは相手の気付きまで待ち続けます。

その体力が低下してきたことと、何ともコメントのしようがない

お礼のメールに困惑し疲れが一気に吹き出し、

メールの中止にいたりました。

原因は私の自尊心なのですが、

自分自身の課題がまた見えてきました。

そこまで、戒め、自我を調教しなければ心の動揺を

制御できないのかと.........。

「気付き」といえば「気付き」ですが

しんどいものです。

人生の90%は苦しみだと思います。

生老病死そのものです。

我々の肉体は日々消耗し生物的年齢のピークを過ぎれば

悲鳴をあげ始めます。

その点、心は、いくつになっても変わらず、

還暦を過ぎても中二病のままの人もいれば、

一番良かった時代のままの人もいる。

社会的な立場ゆえに偉そうに威張って見えるだけですね。

心はいつでも年齢を超えることができます。

しかし、残念ですが、子供の頃に考えた、一生「楽しく」生きるとか

「幸せに」生きると言う幻想に囚われているうちは身近にある

幸福を感じることができないかもしれません。

古今東西の幸福論が明確にこのあたりを語っています。

90%の苦しみの中で10%、楽しみや、幸せを見つけることができれば

人生の成功者だと思う。

苦から逃げずに、戦い続けるしかありません。

神仏に祈ろうが、感謝しようが、

身にかかる火の粉を払わなければ焼け死ぬのです。

戦わなかった後悔と、逃げた負い目をもって

生まれ変わるとしたら、前世と同じ根を持つ

別バージョンとしての再生を繰り返し、

また、それを繰り返し、繰り返す。

とんでもない苦しみの連鎖となる。

想像するだに楽しくないですね。


身の回りの人生に満足できないことが苦しみをより増強させ

足りているものへの満足を知らない。

よくある夫婦問題にしても、亭主が頼りないのではなく、

最初から自分の言うことを聞く亭主を選んでいるのです。

その点では理想の亭主であるにもかかわらず

人生の場面が転換するたびに理想の亭主の姿が変わり、

頼りない、情けない、平凡だ、ちっちゃい男と侮蔑する。

しかし、夫婦というのは、お互いの合わせ鏡なのです。

皮肉に聞こえるでしょうね。でも事実だと思います。

お盆が終わり 8月16日

お盆が終わりました。

死者への弔いの数日間 変なことを考えていました。

変なことです。

人の心が完全に善なるものであれば、もし、自分の行為の

全てを記憶していたとしたら、これは確実に自分にバチを当てるなと。

罪と罰。

法律に抵触するものから、自分だけが知っている罪まで

大小の違いはありますが、我々のほとんどが罪人(つみびと)です。

他人に対しても、自分に対しても、親に対しても、心の中で、言葉で、

傷つけたり、裏切った経験のない人はいないでしょう。

被害者としても、妬まれたり、意味不明な恨みや怒りを受けたり

孤立させられたりと何らかのダメージが残っているのも同様です。

これが人の弱みというものです。

相手がいる場合は、何かの形で挽回し、謝罪し、完了することが

できますが、そうでない場合、我々の善なる心は、自分自身に

課題を与え関係を完了しようとするのではないでしょうか。

怖い話です。

もしそうであり、人の心が輪廻するのであるなら、この

仮定が正しいなら、天国や極楽の謎が解けてきます。

天国の門は誰の中にもあり、間違いなく開いているのだが

純粋な善なる自分自身が門番となり自分だけが知っている

その人生で積んできた思いに審判を下し

「自分にはここを通る価値がない 傷があり、

          やり残してきたことがある」と

それを完了するための資源としての肉体と課題が刻まれた

魂をもって再び生を繰り返す。

この辺りに気づいたズルい宗教は人の弱みにつけ込み

原罪などと訳の分からない事を言い、

罪の大小の基準を作り続け、罪を解消するための代価として

お金とか奉仕を要求してきたように思えます。

罰当たりのことを我ながら書いていますが中華の哲人とは

違う意味での「深層の性善説」で「善なるが故に人は苦しむ。」

そして、もう一つ、あらゆる生き物は、いじめ続けられると

生物的な自己保存の本能から善悪を問う余裕が無くなり

「生きる」ことに特化し、ときに他人の命を軽んじ、傷つけ、

おもちゃにし自分を活かすためだけ生きてしまう。

これも生存欲の一面だと思う。

我々の国にはまだ善悪を問う余裕がある。

後悔のない人生を送りたいものです。


なぜ、こんなに苦しみが続くのか........。

私なりの一つの答えです。

栄冠は君に輝く

栄冠は君に輝く

今日から(8月10日)夏の甲子園大会です。今大会の開会式では

朝ドラ「エール」に出演された山崎育三郎さんが

アカペラで独唱しました

東京オリンピックのテーマがいつの間にか震災復興から

コロナ禍でのスポーツの力に移行した感がありますね。

ここ数年オリンピックに向けて作られた番組が何本かありましたが、

あまり芳しくなかった。

オリンピックに関わる政治とお金と個人の腐れが見事に東京オリンピックを

汚し続けたのも事実ですね。

しかし関係ドラマにしろ、現場のボランティアや審判、運営スタッフ

演者さん達が演じた個々の想いは開会式の聖火ランナーとして登場した

六代目勘九郎さんが履いていたマラソン仕様の地下足袋のように真っ白で、

真っ直ぐだったと思います。素敵な心意気の演出でした。

そして今日、夏の甲子園の開会式、

朝ドラの「エール」を見た人以外には、わからないかも知れませんが、

そこで描かれた戦争、愛しい人達との別れ、青春の挫折と、

希望の復活、敗戦後の軍国主義からの開放感と自由を若者たちが

謳歌し躍動する象徴として描かれた甲子園大会のテーマ曲。

そして復興の象徴としての東京オリンピック。閉会式でも流れた

古関裕而氏作曲の「オリンピックマーチ」


「栄冠は君に輝く」がオリンピックの閉会式から日を待たずに

歌われたことを考えると9年かけて準備してきた

TOKYOオリンピックは、その場に立てなかった者

命半ばで人生を終えたかつての若者達の希望と祈りを

全て受け取って、やっと完了できたのだと私的には思っています。

だから最初から関係者達の汚れが告発され続け、

時代の流れの中での善悪が明確にされたのだと思うと

胸のすく気がします。


甲子園の学生たちは、何を思いこの歌を聞いたか?

と問いたいところですが、野暮です。

若者は自分の持つ野心を胸に、今を突っ走ればいい。

こんなことは歳をとってから考えればいいのです。


この歌に感動し共感した者たち。身に沁みる詩の言葉が

わかる人は、それ相応の人生の経験がある人達でしょう。

この歌とともにある球児の姿に想像の力を加え、

自分自身の人生を後悔のない、晴れやかな人生とするための

夢と希望を作詞者は願っていたのでしょう。

「若人よ いざ 」

 


年寄りは若者に恥じない生き方をすることが、

我々のできる最大の貢献です。

汚れるのも仕事などと言っている政治家の先生方は

「慚愧」という言葉をお調べ下さい。

8月8日

オリンピックが終わりたくさんのメダリストが生まれました。

彼らや彼女達が政治に利用されないことを切に願います。

ボランティアの方達や運営に関わった方達にとっては

魂に刻まれた栄光の記憶として生き続けるに違いありません。

お疲れ様でした。

それにしても針の穴を通すようなお天気の差配は見事でした。

最悪の条件の中でも最善の環境が整えられたように感じます。

神様達にも感謝です。

ところで、先日小田急線で殺傷事件が発生しました。

不慮の暴漢を避けるための方法は、それこそ出かける前に

何かができればいいのでしょうが、行者さんとか霊能者さんとか

以外は無理というものです。

我々のような一般人は神仏に縋ることが最善かも知れません。

「身代わりお守り」というのがあり

大きな仏閣や神社さんで授与していただけます。

外出時は身につけることで安心を確保してください。

もう一つ。

「般若心経」や「観音経」の小型の経本が

大きな本屋さんなどでお守りとして販売されていたと思います。

お経を護持する者は護法神に守られるとされているので

小本を身につけるのも一法だと思います。

神社仏閣のお札もそうですが、

お金を払ったんだからと神仏を使いパシリ程度に

考えるのはいけません。尊敬を持って身につけてください。

敬信の深さが神仏との交流の強さとなるのだそうです。

人同士と何も変わりません。


閉会式のコンテンポラリーダンスですが

死者のどうのこうのとの解説でした。

知人の霊能者さん曰く、彼らの願いは

自分を忘れないで欲しいのだそうです。

親族が幸せそうにが笑っていれば死者もまた

幸せそうに笑っているとのこと。

「リメンバーミー」という映画がありましたが

あんな感じらしいとのことです。

1年に1回かも知れませんが、彼らを思い出すお盆が

もうすぐです。亡くなった方達の好物を思い出し

用意してあげてください。


明日は長崎の原爆の日 

何年経っても世界中にある忌日が消えることはありません。

8月6日

今日は広島に原爆が投下された日です

知人に原爆2世がいます。

まだ我々の世代は、そこで何を見たかを語る方達がご存命でした。

私も20歳ごろ丸木美術館に行ったことがあり、そこで、

底知れぬ人の持つ恐ろしさと、人を超えるものに託された、

人のなす愚かさからの救済の祈りを感じたものです。

人が生死の究極の状態に追い詰められた時、形の無いものにしか

頼るものが無くなる。多分これを絶望というのでしょう。

しかし、中には「お父さん 助けて。」と呟いた妻達

「お母さん助けて」と呻き、亡くなった子供達が

数限りなくいたと思います。

東京大空襲の記録の中に子供を胸に抱いたまま亡くなったお母さんの

写真がありましたね。

「助けられなくて ごめんね」と赤ちゃんに語って

亡くなったのかも知れません。

同様なことが中国では日本軍によって起きていました。

重慶の空爆も 南京のゲリラ掃討時も同様なことが人為的に

起きていたと想像されます。

ある日突然外国の軍隊がやってきて蹂躙された。

日本では、はっきりとこの記憶があるのは沖縄だけかも知れません。

国レベルの勢力がぶつかる時、その最中は個人の権利は消えていき

個々の事象が取り上げられることは無くなっていく。

中東の戦争が良い例です。戦争中の裁判などありえない。

(法律的にいうならば東京裁判は茶番です。)


我々は嫌な記憶は水に流す文化を持っている。

ゲームの世界もそうですが守備力が無くなった時

餌食にされるというのが「この世の生存ルール」です。

食われてもいいよという宣言そのものです。

愚かな左巻きは、このことの理解ができない。

広島も長崎も制空権が確保されていれば原爆は落ちませんでした。

「原爆許すまじ」もいいのですが、「原爆落とされまじき」を

考えるのが順番というものです。中途半端な政治や外交では

また「許すまじ」が現実になるかも知れません。

政治家の先生方も政商の皆様も腹をくくってこの国を

守ってください。お願いいたします。



8月6日 原爆の日

8月4日

「泥中の蓮」の話を生徒さんから伺い、

お釈迦様の初転法輪だったかな?と調べてみると、

「維摩経」とあり手元のものを調べると

「維摩経」中央公論社 世界の名著2「大乗仏教」

昭和53年の初版本91ページ「宝蔵の讃歌」の後半に、

長尾雅人先生の翻訳で、

「あたかも水に生えた清らかな蓮華が、

水に汚されることのないように、賢者という蓮華は

泥を抜け出て空性の平等感を実践する」とあります。

「泥中の蓮(でいちゅうのはす)」とよく使われるものです。

誰の心の中にも清らかな、仏心があるの例えで使われますが

典拠はこのようになっています。生徒さんのおかげで

改めて維摩経が読めました。ありがたいことです。

ところで、この本の序章にあたる長尾先生の解説で、

32ページ、「大乗の経典」の章に

「小乗たる所以は守旧保守にあった。経典の解釈を

固定させ、戒律の条文を一定不変のものにすることに

ほかならない。それに反して、より進歩的な人々は、

条文や文字の当面の意味よりも、その裏に隠れた仏陀の

真意を知ろうとし、より自由な解釈を与えようとした。

それが大乗と呼ばれる運動である。」とあり、

この一文に心打たれました。


歴史と伝統のある世界(組織)の多くは、

ややもすれば権威主義の中でがんじがらめになり、

新陳代謝ができず閉塞していく。それを知りつつも

自重で窒息していくような旧態然とした世界の

息苦しさ。

推命学という狭い世界の中で、それをやり遂げた恩師は

大乗の先生そのものだなと改めて驚嘆しています。

師に恥じないよう頑張らなくてはいけません。


「維摩経」自体の話をすれば、このお経は、菩薩の悟りと

阿羅漢 声聞 独覚の悟りの違いがわかりやすく説かれていて

菩薩が最上位という主張がなされていますが、

声聞の悟りも、独覚の悟りも、ましてや阿羅漢の悟りなども

厳しい修行の上に得られた悟りであり

維摩居士にやり込められる姿を読んで、我々のような者が、

(あなたが菩薩ならば別ですが、)

彼らを見下すような思いを持っては

絶対にいけません。

この辺りの「自分達が一番主義」こそが

大乗経典の最も罪深い所だと私は思っています。

書き込み

毎月カレンダーに予定を書き入れるため

壁に刺したピンから外すのですが、

7月を破った後のカレンダーの軽いこと。

驚いています。

SNSでの選手への中傷、相変わらずの様相です。

言いたいことを言える国ではあるのですが、

調子に乗っていると全部自分に舞い戻ってきます。

投稿を削除しようが専門会社に依頼され、追跡された時は

調査費込みの損害賠償を負わされるのが常道で

信用毀損罪

額面は3年以下の懲役又は50万円以下の罰金となって

いますが、さらに慰謝料などが発生する場合は

諸経費を入れると、この何十倍もの金銭的な

損失と社会的な制裁が課されます。もし、対象の個人を

組織が金銭に糸目をつけず守ろうとすれば、

冗談では済まなくなります。自分のためです。

書き込みで他人を傷つけるのはやめてください。

7月30日

嵐 カイト

毎日劇的なドラマが繰り広げられ、延期された、

この1年の彼ら不安や苦悩が伝わってきますね。

ピークを1年延期する至難の技を強いられ、

負けていく選手達。

この1年でコンデションを最高点まで持ち上げ、勝利を掴んだ

無名の選手達。繰り返される悲喜劇。今現在の実力による

勝敗です。潔く認めたオリンピアと、それに納得いかない大衆。

けれども選手達は開催が中止されるかもしれないという

絶望や不安、コンデションを上げるための必死の苦労を

分かち合い、お互いを讃えあっている。その姿を見ると、

本当にすごいですねアスリート達は。

いつか大衆もそれに気づく時が来るといいのですが.......。

本当に無観客で良かったと思います。

大衆のフラストレーションは競技の邪魔でしかありません。

選手の高潔さに対する侮辱以外の何物でもない。

大衆が己の愚かさに気づき、これからは誰も傷付かず、

無事に競技を終え帰国し、家族やパートナーと

この困難な時期のオリンピックに参加できた喜びを

分かち合い喜びに浸れることを切に願います。

7月28日

台風が近づくたびに仕事を休んで波乗りに行っていた

知り合いのバイト君を思い出すのですが、

昨日の波が彼等のお目当てだったんですね。

凄かった。

延々と続く黒く白い波しぶき。

果ての無い底を想像するだけで、体が固まる。

3年ぐらい前、ジェリー・ロペスという名前を知人から聞き

サーフィンはヨガや禅にも通じるんだ。

タオイズムの陰陽マークもこの人由来で、

うまく波に乗れた時の感覚は、禅の警策

いただいた時の感覚と似ているとのこと。

恍惚感に痺れるのだそうです。

自然を相手に遊ぶというのは常に、生き死にが伴い

その分、人の中にある普段表に出ない「自然」が

素直に覚醒するのかもしれません。

7月25日

色々な意見があるようですが、無事に開会式が終わり

現行の日本の姿がわりとハッキリ見えたようです。

日本には特別な権力者がいないこと。

今更、何か誇りたいものも無いこと。

所々不満もあるが、日常を楽しく過ごせれば良い。

日和見で、何が悪い。楽しくおかしく暮らしているんだ。

人を驚かすような技術もあるけど、そんなもの見せるのは野暮でしょ。

お祭りだから、楽しもうよ。と、実におしゃれで粋な国民なんだと。

開会式の外で行われたデモも、インテルのドローンが飛ぶ頃は

皆が大空を見張り、すげーと心の中で呟き、

豊島丘女子と郡山高校のコーラスが始まる時、

清らかな声に心奪われ、天皇の開会宣言時の

偉い人の無礼さに、やはりなと妙に納得し、それでも、

何事もなく終わることを願い、聖火も点灯され、

とりあえず開会式が無事に終わり一安心です。

あとは、天気が落ち着くといいですね。

セーリングやサーフィン、トライアスロンなど

台風の直撃がズレるといいのですが。


コロナワクチンを打っている方達は、感染しても

そこまでは重篤にならないとのこと。コロナよりも

熱中症が心配です。

屋外競技は大丈夫なのでしょうか。大丈夫だといいのですが。

開会式のドタバタに比べ、各競技場の進行自体には

あまり問題が無いようで、よかったよかった。


メダルを取った選手の顔を見ていると言葉のはしはしに、

開催されるか否かへの不安や絶望を払拭し、この場を

準備してくれた人々への感謝の気持ちが自然と発せられ、

そういうことなんだなと、アスリート達の思いが

熱く伝わってきました。


ギリギリの所まで自分を追い込んできたのにも関わらず

最後の最後に競技の中に大きな忘れ物をしてしまった人の

姿も印象的でした。

多くのオリンピア達が、その忘れ物を追い続け、

それを勝ち得た者だけが「成し遂げた」と快哉を叫ぶのでしょう。


多くの人に同じような体験があると思います。

私の場合、推命学の教室に通っていた頃、テキストが1冊上がるたびに

「よーし。」と気合を入れ直し、十数年をかけて一通り終わった時。

こんな自分でも「やり遂げた」と祝杯をあげたものです。

実に遅咲きの快哉体験です。

学生時代は、全てが「当たり前」であり、何をしても

感動も感激もなく、醒めていました。

若者特有の「慢心」が原因だと今は思います。

何かに執念を燃やし、努力し続けることなど

馬鹿げていると自嘲気味に世の中に対し斜に構え、

利口ものだと嘯いていれば格好がつく時代でした。

「根を張る」ことの意味が全く理解できなかった。

何かをやり遂げること。そこに根を張ること。

早ければ早いほど人生の可能性は広がります。


「指示待ち社員さん」の話をよく聞くのですが、

転職を繰り返すよりも、仕事のノウハウを身につけ

その上で、今以上に自分には何ができるのか社内に

同志を求め、根を張り積極的に会社に関わり、

その分の評価を会社に求めることです。

時代は、その流れに移行しつつあります。

トレンドは「ガジェット」だけではありません。

組織自体の脱皮が求められています。

オリンピックの開会式に至るまでの流れがそれを証明しています。

延々と続いてきた男社会の汚泥は決して世間から

許されるものではないと世界と時代が判じた。

安定していた時代ではありえないようなことが

求められ始めています。

開会式

7月23日 今日はオリンピックの開会式です

本当に無事に済むことを願います。

真面目に神様仏様お天道様、無事に開会式が開催され

この日のために鍛え上げて来た選手の一人一人が

無事に競技を終え母国に帰れることを願います。

充分に我々の国の組織の無責任さと無知は露呈されました。

ユダヤ人の虐殺が、どれほど酷いものだったのか。

その子孫たちがいまだに持ち続ける、恐怖と怒り

自然災害ではなく、人によってもたらされた事の

重さに気付けない。揶揄された者たちの

怒りの対象としてあり続ける事になることに考えが及ばない。

無知のなせるわざです。



併合した国の民を一部の人達が

同じように「おもちゃ」にした過去の歴史も含め、

我々の良心が試されている感じがしてなりません。

特に政治家の良心、誠実さが求められている。

いいかげん、

記憶にございませんの答弁は無しにしていただきたい。

かつて子供たちはこの答弁で大人が嘘をつくことを

明確に知りました。

(ロッキード事件のときの話ですが、中学生だった

私はそう確信したのです。事実は、もうちょっと複雑ですね。)

今、国会議員さんを尊敬している子供はあまり

いないのではないでしょうか。

国民の代表の劣化は、国民自体の劣化と捉えられても

仕方ありません。そして、

仕事さえできれば良いさでは納得されない時代がきている。

人間を磨くことが求められています。

やがて技術も経済も情報も平均化した世界になるのは

ごく自然な流れです。そうなると結局、その国の人的資源の

優劣が国の未来を決めることになる。

当たり前のことですが、事実としてのお互いの歴史を知り

膨張する国のエゴに対して違う選択肢を提案できるだけの

知識と知恵を持ち共存共栄の理想を共有できること。

そのためには自分たちが、社会や家族に根をはり、

自分自身を支えてくれるものを明確にすること。

その人達のために生きる算段をすれば、

体はキツイかもしれませんが、生き甲斐のある

楽な生き方ができます。


つらつらと、とめどもない怒りを言葉にしています。

お許しください。

あと数時間で始まる開会式。どうか無事に済むことを

願い、祈ります。

これ以上の恥を世界にしらしめませんように。

支配

「おもちゃにする」という言葉が最近死語になっています。

「おもちゃ」というのは「人では無い」「人情をかける必要のないもの」

ただの遊び道具、「自分が自由にしていいもの」の

意味になると思います。実はこれが私が解釈している

「ナマの支配の星」の一面です。

自分が支配を許されている前提にあるもの。

そしてそれが、思いもかけない程の残酷性を内在しているか

オリンピック関連の最近の話題が証明してくれています。

「自分では直接手を下さず、誰かにやらせていた。」と

自慢していましたが、これもどこかで聞いた台詞です。



誰の心の中にも、この支配欲はあり、自分以外の人に向けば、

相手の人生を、妻を、夫を、子供を、部下を支配するとなり、

支配が叶えば楽しく、できなければ悔しい、苦しいとなります。

自分に向けば克己心として働きます。


国を代表するメンバーとしては絶対に相応しく無い人です。

しかし、そんな人だと判明しても継続させようとした

組織委員会の方達の言い訳と、判断はまさに

令和日本を代表する「恥」そのものでしょう。

上の人たちが、このような その場凌ぎの無責任を

し続けている。空いた口が塞がりません。(これも死語かな。)

権威と年寄りが頼りにならない時代です。

若者にとっては良い時代です。

思う存分力を発揮し世界に貢献してください。


P.S 「式典チームが勝手に選んだ」だと、

管理さえできない無能の集団だったのか、この組織は。

組織の責任者の言うコメントではありません。

嘆かわしいにも程がある。

組織 7月20日

最初から最後の最後まで様々なトラブルが今回の

オリンピックに付き纏っています。

盗作疑惑から始まり、一旦決まったメイン会場の設計変更

最近では企業とのズブズブの関係を告発した職員さんの自殺、

そして今回のパラリンピックにもっとも相応しくない人の参画の暴露

もしこれらの事案をこの国の将来への学びとするならば、

この国が今後立ち向かうべき課題は

「自浄作用が働かない組織」を再活性化させること。

「人物評価の欠如及び成果主義への反省」の2点かもしれません。

人物評価については、最高権威の婚姻問題を考えると

公私を区別することの必要性と、憲法で保証されている

国民の権利すら行使できな彼女達を、そこから

開放されるべきかどうかが問われているように思える。

さらにもう一点見えてきたことはスポンサーである

大新聞、マスコミは、自身に不利があるときは

報道さえしたがらないということです。

第二次世界大戦中の反省はどこにもありません。

自分たちは大事、政府は嫌いでは、あなた方の主張には

誰も共感しない。

このままでは大新聞社、マスコミの倒産は遠くないと思う。



開催を優先する組織委員会には倫理感がなかった。

彼の自主的な辞退がなければ、しらん顔で仕事をさせていたと思える。

実務型で仕事のできる組織ではあるが「恥知らずの組織」でもある。

しかし、彼らは悪いのは方針をギリギリになっても

ハッキリさせなかった政府だというでしょう。

時間がないんだから、しょうがなかったとも言うでしょう。

けれどSDGsの世界的な流れに対する無知が

日本のあらゆる組織、特に政治を中心とする男社会にあり

委員会も、仕事に遅れを出さないために、とりあえず

倫理は無視し、わかってくれよと

それで押し切ろうとしたのだろうと推測できる。

この国の男社会が変わらなければ、似たようなことが

延々と起き続ける。起き続けてきたと言う方が正しい。

苛烈な競争社会で戦い続けることは

男女のどーのこうのではなくワンチームで戦うことでしか

勝利は掴めません。

勝たなければ信用されないのがこの世の中です。

誰もが2番手よりは1番手に依頼したいのです。

2番手の信用では1番手の仕事は取れません。

さらに最近は環境や人物に対しての高い倫理観をも

要求され始めた。

政治家の方々、特に国政に多いボンボンやタレント出身の

先生方に欠けている一般常識です。

我々一人一人が社会人として求められ始めたものでもある。





最近もっとも笑ったYouTubeです

運勢鑑定

私の思う運勢鑑定を誤解している方が多いようなので

説明をしておきます。

第一に運勢鑑定は占いのような当て物ではありません。

では何をやっているのかと問われれば、

一つは、その人の可能性を探求するというのが第一です。

それぞれの持つ星の、あらゆることを想定し

その上で、現状の話を伺い、想定との符号を見つけ

因果関係を測り、生じている苦しみに対策を練り、

必要ならば未来を予測する。

この一連の作業が鑑定だと思っています。



私は依頼者に寄り添うということはしません。

私はその人の可能性に寄り添うことにしている。

なぜかと言えば、苦しむ人達は誰もが自らの器に

苦を盛る者だからです。

(ただし、これは成人の話です。誤解なく)

ですから、自分が変わるのは嫌だという方には

こちらの鑑定は無力です。

けれども、間違いなく、誰であれ、心の底には暖かい良心や

仏心とも呼べる輝くような優しさや慈愛の心がある。

時々、それじゃ、お前、オレの中から掘り出してみろと

言う人がいるのですが、私にはできません。

それは自分の力で掘り出すしかない。

ただ、そのお手伝いはできるつもりです。

用神を使った生き方がそれで、自分自身が安定し

環境を安定させ、生活が安定し他人へ感謝できるようになり

他人からの感謝を感じられるようになる。

運勢を変えるには自分だけではダメなのです。

他人の期待や優しさに触れることで人の成長は達成される。

だから少しでいいので社会と関わることが大事なのです。

何度も何度もこれを繰り返し、時間によって薫陶され

心が養われてくれば、自然にそれが起こってくる。

4、50年かかるかもしれませんが、

人生80年の間には間違いなく達成できる。

傾きかけた運勢を整えるというのは難しいものです。

しかし、傾く前の運勢であれば、ある程度はなんとかなるものです。

もがくことを恥とは思わないでください。




ここに書いたことは、こちらの鑑定を受けなくても

日々の生活の中でできることです

自分自身の生き方を、時々振り返り、時々反省し

人を傷つけず、怨まれず、恨まない。

人に嫌われず、人を大事にし、それを継続しながら

自然に生まれてくる人間関係の中で感情のコントロールを学び、

成長していけばいいのです。

この世は苦しみで満ちています。

社会に出ていれば摩擦が起きるのは当たり前です。

摩擦が起きたら冷静を持って対処することです。

感情を荒げても損をするだけです。

理不尽なのなら戦ってください。そうでないのなら、

自身の感情をコントロールするための忍耐修行の時と

覚悟を決めることが最善かもしれません。

マンダラチャート

今朝(7/11 2021)ボーとしながらテレビを見ていたら

エンジェルスの大谷選手の特集をやっていて、その中で

彼の「マンダラチャート(シート)」が映し出されていました。

マンダラシートを特集するサイトは多く、

彼は明確にこのおかげで目標を達成できたと考えれられます。

「運」→ゴミを拾う。等々なかなか大したものです。

これを見ると感情のコントロールを14、5歳から始めています。

目標がある人は、一度試してみてはいかがでしょうか。

そして、続けることです。(これが一番難しい課題ですね。)

おことわり 2

ちなみに「元命式の研究」の内容は偉人、有名人

犯罪者等々誕生日が公開されている方達のもので、

当然ながら鑑定依頼により得たものはありません。

個人鑑定のものは、鑑定を受けた方はご存知だと

思いますが、ホワイトボートに記入後その場で

消しています。

(命式研究は既に終えており過去の命式に関する資料も処分済みです。)

個人情報に関しては秘密の厳守は大前提であり、

情報の共有ももちろんのこと犯罪行為だと理解しています。

この辺りの誤解が生じないよう明言しておきます。

おことわり

先日メールがあり、大変申し訳ないことを

していたかも知れないと、反省しきりです。

「洗心庵」を泰山流四柱推命学会の直轄支部だと

誤解していると思える方がいて、自分も会員だから

会員ページの解除キーを教えて欲しいとの内容でした。

教室は独立自営です。もちろん会員資格は

入会金が発生した時点で正式に本部に登録されますが、

本当に申し訳ありません。洗心庵の会員ページは、

洗心庵に所属している会員だけのものであり、

私個人が長年の研究資料として蓄え続けているもので、

一般の方にも、泰山流同門の方にも公開しておりません。

私自身の研究資料であり、こちらに長く通っていただいている

生徒さん達への感謝の気持ちでもあるのです。

誤解を招くような表記をしていることをお詫びいたします。

悪しからずご了承いただければ幸です。





洗心庵 今野喜心

経済

日本経済新聞に若者の雇用流動化の記事があり

そうだよね。最近多いもんねと。

ただ、これも問題で、本人たちは仕事ができるつもりで

動いているようですが、上司の方達の話を聞くと

学歴は立派だが、仕事ができない。という意見がほとんどです。

基本的に周囲に気を使うことができず、自分を譲らない、

我意が強く、仕事に対し自己流を貫き、結局、身につかない。

等々、かなり辛辣な感想を皆さん持たれているようです。

あまり良い話を聞きません。

仕事を完璧にマスターし、結果も残した。

新しい挑戦をしてみたい。という人は少ないようです。



現在の仕事が嫌いでないのならば、できれば3年は続けたいものです。

3年とは、その仕事に根を張れるかどうかの期限のようなもので

「根を張る」ことを「束縛」の意味に取る人がいるのですが

これは自分の居場所、帰る場所と解釈して貰えれば

理解できると思います。

一般的には帰る場所は「家」とされていますが、

実際は、家庭よりもはるかに職場の方が理性的である場合が多い。

あくまでも「社会的な常識がある職場」という前提ですが。

仕事さえ人並みにできていれば、安全な場所であり生活の糧が

得られる場所。社会人としての価値が認められる場所とも言える。

仕事があること、毎日通う場所があるというのは大事なことなのです。

別の言い方をすれば、装ったままの自分でいられる場所とも言える。

良い職場(例え怒ることがあったとしても、

理性を保ち続けることができる場所)であるならば、

職場こそが最高の安全地帯と言えるのではないでしょうか。

(だから職場で個人的な我意やゴシップを流す輩は嫌われ、

 排除するべき者と判断されます。)

自分の思いのままに生きたいと言うのが個人の望みですが、

思いのままってなあに?と問われた時、どのような答えが

あるのでしょうか。

私の場合、時間だけはあるのですが、秋霜の時期を迎え

これと言って思い残すこともなく、無為自然でもなく

得たもので惰性のように時間の中を生かされています。

青年期 壮年期の方達とは明らかに人生観が違ってきている。

次にもチャンスがあると思えた青年期、

積み上げ努力すれば、生活は安定してくると思い込んでいた

壮年期、人生の帳尻は必ず合うのかもしれないと確信を

持ち始めた今日このごろ。それにもかかわらず、

持って生まれた運勢のゆりかごの中で揺れています。

揺れる自分の姿というのは面白く、心の一部は16歳ごろと

全く変わっていません。

青年期の方達は是非とも自分の居場所を見つけてください。

その上の方達は、5年以上そこにいるのなら

今の居場所に確信を持つことです。

合っているからこその5年です。

能力のある方は、さらに高みを目指すことです。

(昔々「かもめのジョナサン」という小説がありました。)



近所の悪ガキの騒ぎ声が、力強く、この国の未来が

この子らに託されているのだと思うと、頼もしくもあり

不安でもあり、良い大人になってくれればなと祈るばかりです。

条件

怖い話ばかりで恐縮しています。

いつの間にか、そういう時代に我々は生きている。

ただ、それだけです。

50代、60代はバブルに弾かれ、40代は就職氷河期

その下の世代あたりから生まれながらのネット社会、

情報洪水時代で、男女の神秘も何もかも、ロハになり、

2次元、2次元半の快楽に耽溺し、バカッターとかバイトテロに

代表される、自分の行為と結果が結びつかない程、

社会に甘えた思考停止型、自己中心型の子供たちが

増えてきたということでしょう。

「子供のままの社会人」とでも呼べばいいのでしょうか。

機能不全家族を原因とする「アダルトチルドレン」という言葉が

2、30年前に流行りましたが、それとは別の何かです。

推命学でこれを考える時、

ある瞬間「条件」が整った時、沈静化していた漏気の星が

一気に旺盛になり、自我がそれに耐えきれず行動した。

と解釈でき、

「条件」とは、誰も見ていない、自分と仲間だけの

閉じた秘密の空間となります。

別の見方をすれば、条件が整わなければやらなかった。

こんな子らでも条件が整わなければやりません。

それでは、条件が整えば必ず「やる」のかというと、

そこに個性と「社会性としての教育」が関わってくる。

個性というのは持って生まれた中心なる星で

社会性とは、生まれ育った家庭環境と学校教育によるものです。

推命術の鑑定は、ここを見極める必要があります。

人の成すあらゆる行程には、原因があり、それが発動する条件が

あり、条件が整わなければ顕在化しません。

持って生まれた中心なる星というのは、若ければ

若いほど変化できます。

それこそ潜在的には無限の変化が隠されている。

それを例えば「そういう人」と断定してしまうのは

一生その「暗示」の中で生きることになる。

推命学を学んでいる人は肝に銘じる必要があります。




占いブームのせいなのか、占い師さんに「断定」された人の話を

最近多く聞くようになりました。

鑑定を受ける側は感情的になれば負けです。

鑑定に満足できないのであれば、その根拠を問うてください。


占い師さん側に言うには、もう少し考えてから物を言うべきです。

傷官があるから離婚する、官鬼が多いから淫乱だでは

どうにもなりません。下の下の鑑定です。

星には全て二つの意味があり、それが陰陽なのです。傷官にも

官鬼にも陰陽があり、それが善なる作用と悪なる作用なのです。

悪なる作用が現れているときは、それを助長した条件が間違い無く

起きていたはずです。原因とそれが生じた縁を極めることです。

これは実践鑑定に不可欠な作業です。

人生において価値ある仕事を選んだにもかかわらず

これをめんどくさいと言うなら鑑定士失格です、

お辞めになることをお勧めいたします。

雷山小禍

習近平さんの台湾を統一するとの宣言から

易を立ててみました。午月庚戌日(申酉空)2、4変

雷山小禍の沢風大禍となんとも禍々しい動きです。

世を習近平とすると午月なので、やる気満々。

応は父母、白虎で激しい不安。

ところが、現状はこの通りなのですが、

経済がそれを阻むとの占いです。

世界第一位の半導体生産国である台湾に対し

「無くしてはいけない国」の評価なのでしょう、

多くの国が阻止するようです。

ちなみに2位は韓国3位は日本です。

1位でなければ、どうしていけないのか?と

問うた議員さんがいましたが、もし、この3カ国と敵対した時

レベルが同じなら1位を残すのが当然の選択なのではないでしょうか。

すでに世界2位の経済大国を任じていますが、

世界中の投資家筋が最も嫌うのが戦争です。

意図的な株の暴落からバブルが弾けるのかもしれません。

世界経済は一つです。中国株にはご注意ください。

もう一つの解釈として、

中国が喉から手が出るほど欲しいのが半導体技術です。

これさえ叶えればアメリカにも勝てるというのが

彼らの考えのようです。

(台湾ごと半導体を手に入れれば、一瞬で世界第一の

経済大国にもなれるし、半導体外交による世界制覇が

可能になります。習近平の野望です。)

戦争をしない代償として、半導体技術を人質によこせとの

交渉ごとが始まるのかもしれません。

台湾人のプライド。日本人のプライド。

そんなものより命が大事だと主張するのでしょうか。

香港を見れば彼らのやり方は火を見るより明らかです。

自由はありません。

(共産党の悪口さえ言わなければ結構自由じゃん。という人もいます。)

水面下では中国共産党の侵略戦争が随分前から始まっていたようです。

出来すぎる政治家(小平 習近平)というのは本当に困ったものですね。

今まではちょうどよかった日本の政治家の先生方も、

もう、おぼっちゃま、お嬢様ではいられません。

逃げずに戦ってください。それがお仕事です。

ワクチン2

  AERA

先日、天岩戸のひきこもりと書きましたが、

裏にはこんな実情(?)があるようです。

記憶にも新しい厚生省のコンビは、あれだけの風評をたて、

官僚の人事権は政府が握っているにも関わらず、

代わりになる人物がいないんですね。

厚生労働の未来は相変わらず暗いようです。

野党が、どう見ても力不足の今日、自民党内での

自浄作用を期待するしかないのですが一度、

要石になっている後期高齢者達に引退してもらい

切磋琢磨をしてもらいたいものです。

しかし、人の持つ恨みというのは根強く、大義よりも

私怨を優先させる。

こんなことが太平洋戦争の時も権力者同志の間で起きていたのでしょう。

そのせいで、数万、数十万の日本人が命を落としました。

愚か者が権力を握るほど怖いことはありません。

愚か者かな?を見る場合、いくつかパターンがあります。

一つは強烈な圧をかけられると思考停止してしまう者

この型は、追い詰められると馬鹿とかアホとか

罵倒してお話にならなくなります。

一つは自己過信の者 強情というやつです。

一つは、丸投げ型で、わかったお前に任すという、これは

最初から責任放棄する自己否定型のパターンで、事柄が

上手くいっていれば良いのですが、そうでない場合、

体と心が壊れやすい。管理職には向いていません。

どの組織にもいると思います。注意深く接し、

尻拭いをさせられないよう気をつけてください。

一筆もらうのが得策です。


どこに居ようと、その世界がなんであれ「個で自立している」ことが

身を守る最大の武器です。

その上で気が合った人達と繋がればいい。

「孤立こそ善」の意味ではありません。

仲間がいてこその社会です。お間違い無く。

ワクチン

今までは無かったのですが、最近、どこか他人事だった

コロナ禍の犠牲になった方達の話や、身近な人達の

ワクチン接種の話が出始め、ワクチンを、打つも打たぬも、

運次第と、たかを括り始めました。

研究資料をどうするかとか、無理をさせた家族に

感謝の意とかを書いた方がいいのかなとか、

盛者必衰とはいうものの、それにしても盛りの時期が無かったな。

と自虐ネタにボヤきながら、

これ戦争中の日本人の感覚かもしれないと最近は思い始めています。

ワクチンを打てるのは国のおかげです。

でも、ここまでおかしなことになっているのも

国のせいだよなと。オリンピックのスポンサーになっている

マスコミ大新聞は、沈黙し、都知事も天岩戸に籠ってしまった。

都議会選挙が7月4日に行われますが、どうなることやら。

5年越しの約束を実現するために強いられる犠牲が

出ないに越したことはありません。

オリンピックのボランティアの方達は多分、

毎日が最前線に立つ兵士と同じ気分だと察せられます。

ワクチン接種を終えていたとしても、

勇気を奮い立たせ、毎日戦い続ける事になる。

医療現場の方達に起きたような無用な差別が起きないことを

祈ります。


貧乏くじを引かさる形になった令和の天皇の御不運にしても、

「事実に合わない」「実力の伴わない」あらゆる権威的なものは

無意識に否定され、侮られる。すでに大新聞の権威は地に落ち、

大衆情報の中枢だったテレビも同じ様相です。

反面、個人が自分の好みに偏ったコアな情報を

SNSや、YouTubeなどで、数分もかけず

検索できる時代になっています。

(そして発信もできるようになっている。)

生まれる前からSNSが十分に発達し、プログラミングを

小学生から習う今後のこの国の子供達の将来に

期待ばかりが広がるのですが、心配なのは

孤立しがちで、他人に興味を持てなくなりやすい

推命学が「孤極星」と呼ぶ現象が起きてしまうことです。

「コミュニケーション能力」の獲得と向上に「情報」科目と同じくらい

比重を置いて学び、身につけてもらいたいです。

そのためには共通の話題、知識がなければ、文字通り、

お話に(会話)なりません。他の教科も必須と言うことでしょうか。

楽はできません。誰もが嫌う「学習」や「努力」という言葉が

人生にはつきまとう。

生きるというのは難しいものです。




JIJI.COM

長官発言

ついにこの時が来たかと、懸念していたことが

起きてしまいました。それは、「政治」が遂に、

天皇の発言を否定し、侮辱し始めたことです。

どこかに書きましたが、令和の天皇は国民に寄り添うことを

意図すると宣言なさり、国民の代表として

ご家族の在り方、象徴天皇のあり方を模索してきた方達で

これからも、そうあるでしょう。

それを、あろうことか官房長官が、

違うよ、宮内庁長官の私見だよと。

もし、そうであれば宮内庁長官は、天皇との板挟みになって

この世から消えるしかなくなってしまう。

長官程度の肩書きの人が天皇(国家元首)の名を語ったとしたら、

それこそ国の根幹に関わる大事件です。

代わりの政党がないとは言え、自民党の奢りは、

如何ともし難い。

JB Pressに、30年で日本は滅ぶ.......。との

記事があり、なんだかなと、読んで見たのですが、

著者はお坊様の池口恵観さんでした。

核武装を唱えています。確か新興宗教の〇〇〇〇党も

同じ趣旨のことを言っていたと思います。

今も昔も洋の東西を問わず「宗教」は、お金と戦争が

大好きなようです。

かつての西洋では教会は大地主で、徴収した土地代で金融業をやり、

現代、この国では宗教法人の非課税を利用し蓄財に余念がない。

十字軍は土地獲得戦争であり、英仏薔薇戦争などもこの類です。


もしこの国が核武装したとしたら、

島国であり、外界から閉ざされた国です。もしその方向に動いたら、

武装が完了する前に躊躇なく核の雨があちらこちらから

降ってくるでしょう。

北朝鮮の場合は、国境を接し難民を受け入れる事になる

中国が反対する限り無理だし、韓国も同じ理由で

あらゆる手を使って反対するでしょう。

結局

「この世に無くてもよい国」にならないことが、

最大の防衛策なのではないのでしょうか。

他国にとっても価値のある国という意味になります。

「この世に無くても良い国」のレッテルを貼られないことです。

昭和の政治家たちは多かれ少なかれ、このために奔走していました。

今の政治家さんは、この辺りをわかっているのでしょうか?

自分の国を嫌う日本人がとても多いと昔から感じてきました。

彼らが誰かから、そう仕向けられたのかは定かではありません。

どうすればこれを回避できるのかと問われれば、

自分のそばにいる人達、縁がある人達を大事に思い愛すること。

このくらいしか思いつきません。

心がホカホカと暖かくなれば大抵の破壊衝動は消えていきます。

(ホルモンの研究が進み、色々なことがわかり始めています。

 科学の進歩は素晴らしいですね。)

「核」のどうのこうのを言う前に共存共栄の道を

模索することです。


しかし、一つはっきりさせなければいけないのですが、

理想と現実は別で、現在、絶対なくなると困ると思われている国が

一つあり「イスラエル」がそれです。

建国以来戦いに明け暮れている国。人類のもつ矛盾そのものです。

昭和

立川談志の本を読んでいたら、なんとも昭和の臭いが

プンプンとし始め、ぽっちゃんトイレや

木造長屋の壁板に巣を作った足長バチの、美しい,

流線型の胴体、花にたかるミツバチの羽の音、

川辺に咲く菖蒲を摘んだ時の独特の匂い,

懐かしく思い出され、紅茶につけたマドレーヌは

こんな感じかと、ひとり悦に入っています。

こんなサイトを見つけたので貼っておきます。

昭和ガイド

親子

最近裏のマンションから、子供が叩く鉄琴の音が

聞こえ始め、騒々しいなと。

今日、日曜日、可愛らしい子供の声と、お母さんが

お店屋さんごっこをしている声が鉄琴の音とともに

聞こえてきました。騒々しさが微笑ましさに変わり

あまりにも無防備なプライベートの音に、なぜか

罪悪感が生じて、思わず窓を閉めてしまいました。

この頃の子供の声では男女の判別がつかず、

性別もわからないのですが、この優しく可愛い

声の主が、早ければ、あと3、4年で、親に対し

〇〇とか〇〇とか言った悪態をつくかもしれないなどと

想像すらできません。

親は親で、数年後も、今のままの優しい声で彼らに

接することができるのかは、不確定です。しかし、

今味わう、幸福の、この一瞬を大事にすることだけは

できるはずです。けれども、人の心は動き続け、

一箇所に居続けることができません。

昔から言われるように、心は「コロコロ」動いてしまうから

「こころ」なのだと、言い得て妙であり本質をつく格言です。


止まることを知らない心は、「その瞬間の幸福」を経由して

次から次へと、別の流れに乗り続け、「その瞬間」は

記憶の中に消えていき、リセットされてしまう。

運命学は、

この心の流れの方向性を知る学問であり

本流を中心に、いくつかの支流、その変化まで読み込み、

その先に起きるであろう現象を推論するもので、

これができるが故に「運命学」と称することができるのです。

初学の学生は、是非、この段階を目指して学んで下さい。

落語(改2)

だいぶ前の話になりますが落語好きの方から

古今亭志ん朝と立川談志師匠、どちらが好きですか?と

問われたことがあり、うちは志ん朝派ですよと答えました。

「うち」と言ったのは家のものが彼の大フアンで、

私は三遊亭圓生 五代目圓楽 春風亭柳昇が好きといえば、

好き程度で、選択肢がお二人だったので自然と

「平成ぽんぽこ」のナレーションをしていた

志ん朝さんと答えたのです。

今思えばなんと無礼な。

その後は反省し真面目に志ん朝さんを

聴き、今は時々「んーん」とか馬鹿な真似をしています。

彼の落語を聞いていると色々なものがリセットでき、

今では酒のつまみになってもらっています。



ところで、なんでこんなことを書いているかというと

先日、伊集院光さんが師匠の6代目三遊亭円楽さんと

二人会を開催し、翌日(6月15日)のラジオにお二人が

出演なされていたのをYouTubeで聞いたからなのです。

その中で談志は「努力は馬鹿に恵(あた)えた夢である」

といっていたと聞いて、面白いことを言う人だなと。

調べてみると彼が週刊誌に書いていたエッセイを

新潮社が2014年にまとめ出版した単行本の題名として

使われていました。

これを読むとやはり談志は天才だったんだと納得させられます。

見直しました。

談志の人情噺は芝浜にしても、乗ってる時は

会場が咽び泣いたそうです。映像でもその迫力は

伝わってくるのですが、登場人物がまとっている

「色」が強くて、好きではありません。その場は丸く治っても、

こいつ、また、やるなと思わせてしまう「業」のようなものが

登場人物全員に染み付いていて、人の持つ「陰」の部分が

強調されている気がしてならないのです。

聞くものに、そう思わせる程の力があるという意味では

間違いなく名人だと思います。

それに比べて志ん朝さんの、例えば「芝浜」は最後まで粋で

カラッとして、泣いたり笑ったり、喧嘩しちゃあ仲直りして、

死ぬまでこんなことを繰り返し、人生を過ごすんだろうなと

思わせる多幸感が生まれてくるのです。

本当に不思議で、「こんちくしょー」の一言で

それまで起きたこと全てにけじめをつける

潔さというか諦観と言うか、サラリサラリと

水に流して人生行きましょうってなもんだい。

と笑っているお天道様のような感じなのです。

登場人物に陽気が満ちている。


ところが、

「業」を再現する地獄の閻魔様のような

談志師匠が、物書(ものかき)として人生を表現するとき、

実にユーモアが効き、サービス精神が旺盛で、優しく、繊細で、

多弁な、人の良い、寂しがり屋のおじさんが見えてくるのです。

皮肉屋でもなんでもありません。正直すぎるくらいの正直者です。


文章に一度落とし込んでいない、彼の語りは、落語の「枕」として

表現されるのですが、これは聞くに耐えません、嫌いです。

しかし本題に入った後の迫力は凄まじく、

「話」の流れと今で言うキャラクターデザインの

研鑽、そこに経験と時間をかけ醸造された

迷いのないパフォーマンスがあり、「本題」は間違いなく

何度も書き直され紡ぎ出された文才の賜物であることを

彼の文章を読んで、その話芸の源泉であると確信させられました。

彼が再構築した「小説を語る」のが彼の落語修行の

方法論だと感じています。


それでは我々はどのように鑑定の技術を磨くのか?

人間的にまともであることがが第一ですね。

(もし「人間的にまともとは」如何に?と問うていたとしたら、その時点で失格です。十善、十不善を調べて見て下さい。)

そして、どこまで行っても基礎理論を極めることです。

基礎理論を「憶えました」では何の役にも立ちません。

「なぜ」その理論が成立しているのか?

「なぜ?」この神殺は尊いと言われているのか

なぜ、この干支をこのように解釈するのか?

もし、昔から言われているからとしか答えられないのなら

それは迷信か、暗示か、偶然かで、その星に名声が

与えられ同様に悪名が与えられている。ということです。

是非、「星々」の根拠を追求してください。

そして慢心を起こさず、普通の人として人生を

過ごしてください。

オリンピック

家から自転車で15分くらいでしょうか、6月7日

都営浅草線の中延駅で朝9時22分 人身事故が

起ました。東京新聞

オリンピック組織委員会の方との報道。

なんで?と

調べるうちに、あれやこれやが繋がり始めました。

数日前、国会答弁が生放送されていた時、一度、

このことが問題にされていて、担当大臣が答弁していたのを

なんとなく聞いていたのですが、その後の野党の

質問も腰砕けで、他人を見下したような大臣さんの顔を見るのが嫌で

チャンネルを変えた覚えがあるのです。

それにしても

ボランティアさんを集めて、たくさんの関連企業と

広告代理店 大手マスコミ

(TBS 「報道特集」のデスクだけは違ったようです。)

戦前から軍や政府とズブズブの関係を維持し、さらに

元首相のお友達の会長さんが人材派遣業で参加しているのだから

競争原理皆無の、大名商売です。

現場に派遣される人は、時給に見合った人なのでしょうが

お気の毒です。


日本の経済を回すというより、自分たちの

関連企業の利益を回すというのが実際のところです。

お金のかからないオリンピックのはずが、妖怪達に

いいように食われてしまった。

もし彼が「報道特集」で

告発を行ったJOCの現役職員であったとすればの話ですが

無念だったと思います。



JOC山下会長が事故だと主張されていると今朝の報道にありました。

事実は「彼」の「意思」の向かう先で判明するのではないでしょうか。





時系列を整理すると

gooニュース2021年4月20日

AERA.dot5月30日

TBS FREE6月5日 

6月7日 自殺 5日放送の告発者の方だとされています。

コロナ

武漢オリジナルは年配のかたに、イギリス変異は壮中年に

インド変異は幼少年に、各年齢層平等に感染するかのような

ウイルスの変異です。若いからと言って油断できなくなりました。

一方で、ワクチン接種予約券の配達も進んでいるようですが、

コールセンターへの怒声がやまないとのこと。

オペレーターの方達の心が折れ辞めていくとの報道がありました。

こういう怒声を放つクレーマーは「心無い人達」ですね。

相手の悲しみや、痛みを楽しんでいるのか

己の孤独を誰かに当たり散らしているのか

自分の考えだけが正しいと思っているのか

なかなか興味深いところがあります。

人間関係が壊れていく時、大抵我々はこの

「心の無い人に」なっています。



なんであれ自分の想いが相手に通じないと、

自分の思い通りに相手を変えたいと望むものです。

「信長の野望」よりも大な野心だと私は思っています。

なんせ生まれも育ちも違う他人を、お金も名誉も与えることなく

自分の望む人間に変えようと望むのですから。

当たり前ですが、いろいろな亀裂が生じ関係は壊れていく。

何度も書きましたが

変化を求めるとき、自分自身が変わることは可能ですが

相手の心を思い通りにすることは無理なことです。

自分が変わることで相手に自主的に代わってもらうしか

方法はありません。それも癪に触ると考えるのであれば、

別れるのが得策です。

人類が生じ文明が現れ言葉が記録され物語が紡ぎ出されたとき

そのテーマのほとんどが四苦八苦です

有史以前も以後も人に課せられた苦しみは何も変わっていません。

曾祖父さんも、じいさんも皆悩んで生き死んでいったのです。

だとすると、我々の心の中には、間違いなく彼らの

心の一部としての苦しみに対する抵抗力や、

より良い人生に対する知恵が肉体を通じて遺伝して

いるのではないでしょうか。何世代にわたる人類の知恵が

自分の中にもあると思うことです。

自分を信じ、自分を大事にし、勇気を奮い立たせる理由であり

他の人を理解するための明確な根拠だと思います。

他人は、なんとなく自分より幸せに見えるものです。

しかし苦しみの中身は変わらず、そんな相手に自分より

幸せになるのが悔しいーとか思うより、自分を磨くことです。

ゆっくりお風呂につかって、充分な睡眠をとってください。

近況

最近生徒さんに話し始めたのですが

通変星というのはマネキンに着せられた

普段着のようなもので、これだけで本人を

判断してしまうと、実に間の抜けたものになるんだよ。

マネキンではなく、それを羽織っている本人の「根本」にあるもの

これが大事です。基礎で教えたものですね。と

推命学の裾野の広さは、何度か書きましたが、それを

代表しているのがこの通変星です。

通変星の解釈はどの時代の流派もほとんど差がなく

ひと時代前の占いブックで有名な先生方は「神殺」という

神秘的な名称の特殊星で独自路線を主張されていました。

「神秘の天徳貴人占い」的なものです。

本当に我々は、この「神秘」という言葉に弱く、

誘蛾灯に集まる虫の群れのように集まってしまう。

誰もが自分の心の中に神秘へのロマンを抱えているからに

違いないと今は思っているのですが、残念ながら

根拠に欠けるものでしかありません。

最近は四柱推命アプリが簡単に手に入るようになっています。

ネットに上がる様々な問題を起こしたり

不慮の事故で亡くなられている方達の命式を

是非、見てみてください。

素晴らしい「神殺」をお持ちの方が実に多い。

まさか、犯罪者で有名になるための星ではありますまい。

実際はこんなものなのです。

良い星と悪い星がぶつかってゼロになる。

というのも、ちょっと違うと思います。

悪い星は悪い星として現れ、良い星は良い星として

現れるのですが、中身が「マトモな人」であれば

来ている服にナイフが縛り付けてあっても

犯罪者には絶対になりません。中身がまともでなければ

最高の礼服を着ていても、素手で相手を傷つけるようなことを

しでかしてしまう............でも、しかし、

「服装に人が現れる」という言葉もあるので

それを極めることも、とても大事な作業です。

私は、通変星等々の各論は全体を構築するための

部品だと教わってきました。この部品は磨き、鍛えれば

鍛えるほど、全体に組み込まれた時に力を発揮します。

そして各論のレベルが上がると自然に推命学の総論とも言うべき

全体像に繋がってきます。

どの流派であっても学び続けることです。

感情の制御 2

東洋経済オンラインに感情制御の記事が載っていました。

科学と陰陽五行思想から生まれた漢方の原理は

相容れないものです。

なんせ目に見えないし再現のしようがないので

根拠となる理論が、証拠として成り立ちません。

この辺りを、統計学と主張(ごまか)し、科学的な根拠があるのだと

言いたい方たちが多いのですが、どうなんでしょう?

しっかりとデーターをとって、このことを主張しているのは

「新推命学」で有名な増永篤彦先生だけかもしれません。

内容は、よく調べられています。

しかし暦が独特で数え年なのか実年齢なのか判断し難い所があり

私などもそうなのですが、現命式に時々誤記があるので

(誤植かもしれませんし私が間違っているのかもしれません。)

データー自体の信用が危うい。

六親関係にしても、それを言っていいものかと

大変疑問が残ります。現命式はどこまでも

その人自身の情報で、そこから自分以外の人を

どうのこうの判断するのは、時々当たり、時々

大外れすることになる鑑定法です。

気をつけてください。

それじゃ、推命学は統計学ではないの?と

当然思われると思います。

私は推命学を「五行の化学」だと思っています。

そう想定すると、いろいろなものが見えてきます。

たいして難しい法則はないのですが、基礎を疎かにすると

何も解釈できなくなる所など、化学そっくりです。

身につけた理論と、起きている現象から、

結果を予測する。ただこれだけです。

その予測の精度があがれば、上がるほど起きている現象の

原因と過程、そして結果が実際の現象と一致してくるのです。

面白いでしょ?

生じるであろう結果が嫌ならば、原因は、

変えられないかもしれませんが

「過程」を変化させることはできます。

例えば、パートナーと喧嘩した、 謝れば元に戻れるのだが

謝るのは嫌だ。そっちの方から謝ってこい。

もし、このまま別れるとしたら「原因」は

喧嘩したことにあるのではなく、

「謝れないこと」にあります。

これが持って生まれた星の姿なのです。

お分かりでしょうか。

誰でも喧嘩もするし、だらしないこともします。

善人の固まりの聖人君子などという人を見たことがありません。

自分は上格だから素晴らしいと言われたと言いながら、

仕事がうまくいかないと泣いている人もいるのです。

「上格 貴格」とおだててどうしますか?

うまく行かないんですと言う人に「空亡」だから

しょうがないと言い続けてどうするんですか。

「望む人」には道を切り開く手助けをすること

手を抜かず頑張らないといけません。

本人さえ望めば、原因から生じる過程を変化させることも

できるのです。



迷い、悩み、後悔ばかりしているのが我々です。

それでも、時々うまく行き、ご褒美を得て100の苦労の結果の

1つの果実を堪能し、何気に満足することを延々と繰り返し続けている

それが我々人間です。

実にバカでくだらない存在だとも思いますが、時々、

本当に愛おしくなることもある。

なんせ自分自身がそういう存在なのだから愛おしくなっても

仕方ありません。誰かを好きになるとか愛するとかいうのも

自分が不完全だから、それを補完する誰かを求めるのかも知れません

誰もここからは逃れられない。

これはある種の悟りかも?と思っています。

おかげで何事にも期待することがなくなりました。

(悟ったと言って悟った奴はいません。 気の迷いです。

 本当は、悟っていないので安心してください。)

感情の制御

自分に正直で嘘をつけない人

楽しい時は楽しく笑い、悲しい時はさめざめと泣き

誰かを好きになると他の人が見えなくなる。

そして、相手が誰であろうと、その人のために

勇猛果敢に獰猛に戦うことを厭わない。

火が出るように怒りと共に戦う。

たとえそれが血を分けた家族であっても。

正直すぎて、剥き出しの神経のように誰彼構わず

反応し、感情を逆立てている。

変化を求めない世代からすると一面とても魅力的ですが

一面、あまりそばにいて欲しくない人達とも言えますね。



もし、ご自分がそうだとしたら、暴走する感情を止めたいと

思うことがあるのなら、少しアドバイスできると思います

暴走が始まる時、体の中に普段とは違う圧力のような

感覚が起きていると思うのですが、いかがですか?

「怒り」は火の星に属し、木火の形で昂じて行きます

(木は肝臓 火は心臓 木生火の原理です)

心が「安易」に相手の言葉や態度に動揺し体が反応してしまう。

脳科学から見た怒りの正体

「怒り」はその対象から自分を守るための反応です。

自然な反応ですから恥じる必要はないのですが

子供の頃の環境による習い性が原因であるならば

やはり改善の努力が必要かもしれません。

冷静を取り戻すためには、息を細く長く吐いてみることです。

5、6回ゆっくりと時間をかけ行うことです。

できるならば、対処の相手から目線を逸らしてください。

相手の表情の見えない部分に目線を変えることが必要です。

理屈を言うならば、息(肺は金の五行に当たります)を使い

金気を亢進させ火気をコントロールすることにあります。

面白いでしょ?

実際のところ推命学は漢方の原典といわれる

「黄帝内経(こうていだいけい)」と理論を同じくするものです。

(同じ時代に基礎理論が成立したと言われています。)

身体の「病(やまい)」と運勢の「病」への対処法です。

五行の識別については「五行色体表」として

漢方の先生方が詳しく書かれています。

推命学に興味のある方達は参考にされると良いのでは

ないでしょうか。


とりあえず冷静になった後、どうすれば良いかですが、

すでにヒントは書いてあります。

そもそもの問題は相手への反応が「安易」に起きてしまうこと。

ここですね。なぜそれが起きるのか?

自分の心の内側を探ってみることです。

大抵は古い傷に起因しています。

我々は運勢の流れと元命式からそれを判断しているのですが、

自分でもできる作業です。

心の傷は身体とリンクしている場合がほとんどで

何かしら体の一部にそれが出ていて、それが治癒されると

同時に記憶が蘇ったなどということはよくあることです

ヨガ系統のフィットネスなど最近は充実して来ているようです。

体を正しく動かすことで本来の自分の体を取り戻してください。

「動いて気持ちが良く充実感のある運動」が目安だと思います。


五行五気の理論というのは応用がとても広いものです

上手に使って万能に近付きたいものですね。

スマイル

スマイル マイケルジャクソン

チャールズ・チャップリンが作曲した曲です。

作詞は別人ですが好きな曲です。

ナット・キング・コールの「スマイル」が有名ですが

マイケル・ジャクソンが歌うこの曲は彼が最も愛した曲とも言われ、

you'll find that life is still worthwhile If you just smile

の部分が何度もリフレインされています。

なにか自分に言い聞かせているように聞こえます。

この曲を歌うとき

多分ですが、彼自身一瞬かもしれませんが、嫌なことも

苦しいことも何もかもが消え、自分のことは空っぽになり

「誰かのための愛」に満ちることができたのかもしれません。

ゲームの世界に没入し周りの雑音を遮断し

三次元の敵への攻略に心を燃やし続けるのも、ある意味

自分の中の「苦」を空っぽにするという点では同じです。

現実逃避というと語弊があります。

人は時に空っぽにならなければ心が折れてしまうことがある。

バランスです。

苦痛を生み続ける心の流れを意図的に一時的にでも止めることができれば

だいぶ楽な人生になるのではないでしょうか。

仏家に伝わる「止観」なども長く続けていると

同様のように思われます。

親御さんはゲームを否定する必要はありません。

ゲームの功と罪をよく理解し理解させ、遊ばせることです。

時々は一緒に遊び笑顔を子供さんに見せてください。

それが子供さんにとって一生にわたる、最高の宝になるはずです。

天の岩戸びらき

引きこもり、閉じてしまった心を開くのは

相手が誰であれ難しく、天の岩戸開きの物語として

神代の時代から延々と語り伝えられてきています。

(日本神話の古代編は、とても面白い。)

最上位の決定権を持つ大神に引きこもられ困った神々が

相談し、出した答えは大宴会を開催し、おこもり部屋から、

強引に引き出す計略でした。

陰々滅々した住環境(洞穴)に立て篭もり

閉じた心の闇に光を惹起するため、躍動し陽気あふれる

踊りと笑い声で空間を満たし、彼女の心にそれが通じた瞬間、

機を逃さず扉をこじ開け、再び他の神々との縁を結び直したというのが

物語です。


成人が身内と縁を切るのを望むならば「家出」をします。

閉じこもりは身内に対する抵抗です。彼女の場合は

こちらですね。

子供(の時期から)の場合は、ほとんどが避難所としての引きこもりです。

「何から避難しているのかを知ること」これがポイントです。

本人をしっかりと理解することです。

甘やかしたら「図に載る」子か、強がりの仕返しにあっている子か

繊細で人と交わることができない子か、先生なのか、同級生なのか、

それとも親の圧迫で行き場を失っている子か

様々な個性と現状を見極めることが大切です。

推命学は、直接誰かを変えるような魔法は使えませんが

かなりの深部まで相手のことを理解できるようになります。

相手を理解して発する言葉と、そうでない言葉との差は

歴然としているのではないでしょうか。



最近の行政は割としっかりしていて、手助けを求めれば

なんとかなる場合が多いのです。引きこもりサポートネット



身内の方に問題のある方がいたとしたら、

まずは、一緒に暗くならないことからです。

家族といえど、それぞれの人生があり、社会で生きていく義務を

我々は負わされています。

「一緒にいる」ことはできますが、成り代わることはできません。

自分と相手の距離感をしっかりと区別することも大事なことです

改善について

推命学は占いのレベルから学問レベルまで非常に裾野の広い

占術です。そしてこの裾野の広さが多くの誤解を

招く原因にもなっていて、風水で使うべき理論、

断易で使うべき理論、択日で使うべき理論がごちゃ混ぜになり

ミソくそ一緒にしてしまっているように私には思えます。

その代表的なものが「空亡」なのですが、

「純粋な正しい推命学とは何か?」などというのは

愚問中の愚問で、なんの意味もありません。

生年月日から実際の人物をどこまで描き切ることができるのか

どうかが問題で、それができれば運勢上のトラブルの時期の予測

心が呼び込む災厄の予想が可能になり

同時に改善方法も提案できるようになります。

ただ残念ですが、聞く耳を持たないものに対しては

無力です。万能ではありません。

誰かを自分の思い通りにしたいと思い、おまじないや

方違えや、月の力や、お祈りに頼るのも一つかもしれませんが、

まずは、ご自分が相手の見本になることです。

皮肉なことですが

「お前にだけは言われたくない。」というのが彼らの本音です。

四柱推命

推命学の限界については書きました。

それでは この学びの可能性はなんでしょう。

自分に対し、他人に対しての

「気づき」がそれだと思います。

「なぜ、自分はそのように考え行動したのか?」

「なぜ、あの人はそのように言ったのか?」

推命学では、この「なぜ?」に対し明確な答えが出せるのです。

今までも「自分自身に直面する」と何度か書いてきましたが

そこに見える自分の姿は、あまり気持ちの良いものではありません。

リアルな自分自身と欲望そのものを見ることになるからというのが

理由です。

(「誰であろうが絶対に勝ちたい自分」などというのも一例で、

一見すると良さそうに聞こえますが、誰であろうとの「誰」が

「パートナー」や会社の上司であれば争いが起きるし、

そのかたの日常はマウントの取り合いの日々であり。

自分以外の人と張り合うことに一生を捧げてしまい、

歳をとっても自分の子供と張り合い続け、気づいた時は孤立している。

この点に関し、面白いと言っては語弊がありますが、

自分自身を認識すること自体を断固拒否している場合も多いのです。

けれども、それは、「拒否」することで自分を守っているのであり、

それ以上他人がどうこう言う必要はないことなのです。


四柱推命というのは、アミューズメント的な分野も含めて

裾野の広い「占術」ですが、極めれば、

人の心の深淵まで潜ることもできる学問なのです。

推命学の限界

一人の人間にはその人の辿ってきた歴史がある。

我々鑑定家は、この辺りを忘れがちで、目の前に座る、

災難に苦しむ、必死な姿しか見えていない場合が多い。

当たり前のことですが目下の災難の忌避が何よりも優先事項である

ことは当然です。しかし、それは表面的な一時的な事象で、

繰り返される可能性のあるものです。

(医者の言う生活習慣病と変わりありません。)

手相をご存知だと思うのですが、まさに

その人の考え方とそれまでの過程が「形」として

手に現れる。そして考え方(心)が変われば

手相も変わる。手相家の皆さんの言う通りです。


積み重ねた心の癖が行動を決め、時に災難を引き起こしている。

「災難に巻き込まれている」と書きたいのですが、

残念ながら、ほとんどが、自(みずか)らそこに飛び込んでいる。


もし、思慮の足りなさが原因で様々な困難に出会っているとしたら

改善策は、原因が自分にあると覚悟し、怒ることなく、

妬むことなく、執着することなく、誰かのせいにすることもなく

目の前の困難に対峙することです。


我々は決して一人ではありません。必ず誰かと繋がっています。

自分以外の、その誰かが問題を抱えているとき、

我々にできることは限られています。

本人が覚悟を決めて動かない限り家族や友人は、

ただ忍耐を強いられるだけです。

強い人は、その人のために、なんとか自分が道を開いてやりたいと

苦悩し、そうでない人は、

遠くに逃げるか、できれば縁を切りたいと思うのが本音でしょう。

自己修養を建前とする推命学の限界はこの辺りにあります。

推命学は自らを助ける者しか助けられません。

自分達の限界を知る事の大切さを知っておいてください。


推命家が奢るほど愚かなことはありません。

駅伝選手の逮捕

箱根駅伝のヒーローの一人が問題を起こしたとの報道

有名人故の報道でしょう。

氷山の一角だと予想せざる終えません。

若い女性達の,思いも掛けない出産が事件として

時々報道されています。

あんしん母と子の産婦人科連絡協議会

年相応の男女が異性を求めるのは自然の現れですが、

それが犯罪として見なされるのはお互いの無知が招いた結果だと思います。

しかし、もし、それで子供を授かったとしたら、子供に罪はありません。


男子にも女子にも必修で子供を育てる方法を義務教育で教えるべきだと思います。

その苦労がわかれば、若年層の妊娠中絶数は自然に減るのではないでしょうか。

少子化対策の根本的な解決もこの辺りだと思います。

時代の流れで、人生における選択の多様性が謳われているにもかかわらず

女性の妊娠、出産、子育てを当たり前のこととしてしまっている。

携帯電話ありきで政策を進めている政府のようなものです。

SNSが使えないでワクチン接種を諦めている年配の方がいるとの

報道もありました。皮肉なことですが

携帯を使えない独居老人は社会から消えてしまえとも

取れます。社会は決して平等ではありません。

同日生年月日

有名人 同日誕生日

人格や、価値観、歩む人生の違いは

生まれながらの持って生まれた星で変わるのか

環境や本人の生き方によって違ってくるのか。

良い実例だと思います。


誕生日に刻まれた運勢は人生の土台のようなものです。

推命学的には良くない運勢の人であっても

それに気づこうが、気づくまいが、常識と目標を持ち続け、

諦めず、腐らず、怒らず忍耐強く歩み続けている人は

それなりに人生を安定させています。

その上で、誰にも文句を言われない楽しみを見つけることです。



100の望みを叶えられる人はたった1つの苦しみに

身悶えし、100の苦しみのある人は、ほんの1つの喜びが

至福となる。人の心とは不思議なものです。

占いのセカンドオピニオン

占い師さん達、皆が思っていることだと思うのですが

ご縁のあった人には幸せになってもらいたい。

自分のアドバイスが、その人の為になりますようにと

心の底では念じているものと思っています。

ただ、時々困った人達もいて、お酒や、趣味の

お供になりたがったり、お友達になりたがる方達がいて

依頼者との一線を超えてしまう者がいる。

これでは冷静なアドバイスは無理です。

辛辣かもしれませんが、自分の成した罪は一生十字架として背負い、

時には墓場まで持って行くべきですとはっきり言うだけの覚悟が

常に我々は求められているのだと私は思っています。

私は「釘を刺す」と習ったのですが。実際は修羅場というか

文字通りの土壇場で、これを言わなければならないもので

これが言えなければ、そのかたの未来に起きるであろうことの

抑止力が無くなってしまう。

実際、調子ばかり良いことを聞いて、全てを無くしてしまう人の

なんと多いことか。情けない限りです。



またそれ以上に、占い本を読み漁り、占いの専門家よりも詳しいと

自負する方達が自ら墓穴を掘っている。

特に方位でこれをやっている人が多くて、吉方位に移ることで

貯金をはたき、毎日ゲロを吐きながらきっと良いことが起きるに違いないと、

待ちぼうけをしている人達がいる。

信じることも大事ですが、現状の冷静な分析も

必要です。

是非ともセカンドオピニオン、サードオピニオンを

専門家に問うて下さい。




占い業界の方には大変申し訳ないのですが、

占いブームとのこと、被害者を出さないためにも

思い込みによる占いの弊害を書くことをお許しください。

家庭裁判所

読売オンラインにウエブ調停の記事が出ていました。

ちょうど良い機会なので

離婚 円満解決に関する裁判所の解説を掲載しておきます。

家庭裁判所

相変わらず内容が煩雑です。

やはり、電話などで直接問い合わせるのが一番早いと思います。

推命学へのご招待

人生を重ねれば、苦しみもありますが喜びもあるし、

悪いことばかりではありません。

しかし、たった一度でも信頼している人に裏切られたり

否定されたりすると、そのことが心の傷になり、

長く長く残ってしまう。楽しいことが100あっても

その1度が二人の全てになってしまう。

それが自分を守ってくれるはずの、親兄弟や、

友達であれば、なおさらです。

夫婦も同様ですが、夫婦の場合は、これがまた複雑で、

自分の代わりに喧嘩してくれなかった。自分でも理不尽なことを

言っているのはわかっていても、同意してくれなかった。

それが元で亀裂が入る場合もあるのです。

理性的な脳の使い方をしている人は

一生かかってもそのあたりがわからず、

相手を怒らせ続けてしまう。

美空ひばりが歌う秋元康の詩のようなものです。


どこかで崩れ続ける自分に歯止めをかけること。

それには男であろうが女であろうが、人で傷ついた傷は

人に癒やされるのが一番早く治るもので、

ただ、挨拶を交わすことでさえ、癒しの一環になっていく。

誰かに話を聞いてもらえればなおさです。



もし、そんな時、

あなたが話を聴く側であるならば、求められない限りは

絶対にアドバイスをしてはいけません。

そんなことわかってんのよ。で全(すべ)ておしまいになります。

ただ、ただ、黙って「相手の苦しみを受け取ること。」

それだけで、何も言葉は入りません。話終わる頃には

相手の苦しみは半分以下になっているものです。

涙と一緒に消えている場合もある。

楽になって日常に戻って、また苦しみを積み重ね。

同じことを繰り返し続けるのが、我々の人生です。

推命学の学習希望者の中には、人のために尽くしたいという方が

時々いらっしゃいます。

推命学自体の体系を身につけるにはそれ相応の時間とお金と

学習能力が必要ですが、まず、ここから

始めるのが良いのではないかと思います。

「人の話を、ただ聞き、相手を受け入れ、自分の器を高めること。」

私の教える推命学は学問的な能力よりも

この辺りの実践体験のある方に身につきやすく編纂してあるのが

特徴かと思います。

ある生徒さんが(プロになられた方で、トップのリピーター率を誇る方です。)

「推命学は実践してみないと、何もわからないのよ。」と

言っていました。私てきには(何も分からなかったのかー.....。)と

ちょっと複雑ですが、この方の推命学に対する

確信が生で伝わる言葉だと思います。


ご縁のありそうな方はお尋ねください。

ザッカン

般若心経の「空」を解説するお坊様の本では

よく「水」の変態を例えにするものがあり、

水は冷やされれば個体(氷)になり、温められれば気体になり

0度を超える温度なら液体としてあり、物事はただ条件(縁)によって

姿が変わるだけで、これを縁起と言い「水」と言う実態さえ無い。

これを「空」と言う。なんてことが書いてあります。

そうか、これが悟りか。

なるほど全ては元の木阿弥ってことだな。

悟った。それじゃ、何をやっても元に戻るんだから問題なしだ。

と落語の与太郎のようなことを言ってはいけません。



先日生徒さんと話をしているとき、それ「ゆとり世代」の人ですか?

と尋ねると、いいえ先生、「さとり(世代)です」と言われ

「?」となったのですが、

調べると流行語大賞(2013)にもあげられて当時は流行ったようです。

さらに調べると今ではミレニアル世代 Z世代「ジェネレーションα」

などなど、パソコン、ネット端末の普及とともに育った世代で分布が

なされているようです。

知識の導入部分に関しては実に恵まれた時代です。

自分の若い頃今のような時代であれば、2、3ヶ国語は

マスターできていたかもしれません。いい時代です。



反面、

最近よく尋ねられるネット掲載の四柱推命講座的な

知識を検証してみると

四柱推命と亜流のミソくそごちゃ混ぜ感が否めません。

これは、かなり昔からですが、それくらい四柱推命というのは

誤解されている占術だとも言えます。

ネット情報は全て正しい。本当のことが書いてあると

勘違いしないことが大事ですね。そもそもプロならば

大事なものは人には見せません。

ケチだから見せないというのではなく、

時に「生き死に」に関わる情報がそこにあるからです。

実践に役立たない可憐な言葉の羅列や

ファンタジーな予言では誰も救われないし、

「体感」のともなわない悟りなどありません。

ざっかん

アスリートがピークをキープすることの難しさを

先に書きましたが、実際の話、1年間の先延ばしは

昨年に間に合わなかった選手達にとっては、

当たり前のことですが、ちょうど良い準備期間だったんですね。

ある人にとっては憎むべきこと、ある人にとっては天佑神助

陰陽の極みです。

こんな当たり前すぎることに気づけない。

過ぎ去ることで初めて見えてくる世界。

まだまだ未熟、反省しきりです。



先日、自分は何月と何月が「なんとか空亡」で悪いと聞いたのですが.......

どうなんですか?と生徒さんに問われました。

それでは、過去を検証してください。その月は悪かったんですか?と私

いいえ、そんなことありません。

それが事実ですね。と私。

でも「空亡」が.......。

私は空亡は説きません。それを言う先生の所で学んでください。

こう書くと、冷たい先生のように聞こえますが

重要事件は、大抵は別の因子の重なりが主因で

空亡で括り始めると、それしか見えなくなり

鑑定士としての技術が停止してしまいやすいのです。

例えば、会社の人間関係が苦しいのです。

空亡だからです。

今年出会った彼氏と結婚したいのですが、どうでしょうか。

空亡に入った時期に出会っているので、お勧めできません。

相性を見てください。

空亡の相性が悪いのでやめておいた方がいいですよ。

等々。

四柱推命の先生は空亡しか言わない、信じない。

さもありなん。と呆れるしかありません。


この辺りを補うために、気学、九星、手相、西洋占星術

その他諸々を身につけられ、相互補完しながらプロの矜持を

保っている。

私のような不器用なものにすれば、驚嘆に値します。

それであっても、「空亡」に逃げてはいけません。安易すぎます。

相性を同循空亡一本で見るのも危険すぎます。

雑観

相変わらずきついことを書いているような気がするのですが

自分の運勢がわかると困ったことがもう一つあります。

それは運勢が安定してくると、困ったことが少なくなり、

「安定した日常」が訪れてしまうことなのです。

一見良さそうに聞こえますが、別の観点から見ると

将来に備える努力も、より良くなるための向上心も

必要のない日常を過ごすことになる。

(必要の無いというのは言葉のあやだと思ってください。)

しかし、一生、その運勢が続く人など滅多に無く

大抵、中晩年での荒波が待ち受けているもので、

これは、推命学など知らなくても多くの人が

肌で感じているものだと思います。

熟年離婚など、その典型なのではないでしょうか。

運命学だからと言って一般常識を超えるものではありません。

破綻した人間関係が、運勢が安定したからと言って

それまで成してきた行為の結果(離婚に至る事実関係や争い)

が変わることはないのです。

ただその時期、運勢が安定していれば速やかな円満離婚が

成立するだけであり、運が落ちていれば泥沼の離婚劇が

待っていると言うだけなのです。

推命学に幻想を抱きたいのは山々ですが、

「自然」の姿こそが推命学の姿であることを承知して下さい。

中国五千年の歴史を見れば盛者必衰の理がよく見えてきます。

己の運勢を知っていても、抗(あらが)わなければ、

皇帝でさえ、それに翻弄され欲に溺れてしまえば、

糞尿をたれ、権力で人の恨みを買うだけの

ただの人と何も変わりはないのです。

人は楽な道だけを歩きたいものなのです。

そのうちに、頑張ろう、いつかあれをしよう、

これをしようという間に、運勢は過ぎ去って行く。

雑感

先日

書いているものの半分もわからないとのメールをいただきました。

残念です。簡単には理解できないかもしれませんが、

そこには人生を突破するヒントをかなり書いているつもりです。

先人達の功績を身につけるためにはそれを理解するだけの

知性を磨かなければなりません。

私もこれに苦労してます。

そのために時間をかけ学びを繰り返し、検証し

事実(真理)を把握しようと研鑽し続けています。

知性などというものは一朝一夕で身につくようなものではありません。

相変わらず厳しいことを書きますが、

何事も、求めなければ「扉は開かない」のです。

運の良い人でも勝手に扉が開くのは20代までです。

タピオカミルクティー

自分を客観視できるようになり、運勢の流れを把握し始めると

実は困ったことが起きてきます。一つは「悔恨」

なぜ、この時自分は耐えられなかったのか。

この時こそ、意志を貫くべきだったと、

過ぎ去った過去への後悔が生じてくる。そして、

なぜ自分は、こんな星を背負って生まれてきたのかと

自問し始める。(私の場合はそうでした。)

散々親兄弟に不義理をし、傷ついた故の感覚かもしれませんが

心が弱っている時は、こんなものです。

自分なりの答えは出せましたが、やはり「後悔先に立たず」です。



最近、占い師になりませんかのメールが頻繁に来ていて、

アドレスを抜かれているかなとも思うのですが、

面白いので放ってあります。

世間が占いブームだと聞いてはいましたが、

私の知る限りではテレビの中だけと思っていました。

そうでもないのかもしれませんね。

(ちなみに私のところは低空飛行が続いている状態です。いやはや........。)

不景気の時代には「占いが流行る」という過去のデーターからの

打ち出しでしょう。在宅ワークというワードも書かれていました。

「11PM」から始まった算命学の「天中殺」騒動、

1999年前後の宜保愛子さん、織田無道さん 「オーラの泉」の

「霊視」ブーム、細木先生の「六星占術」ブーム。政治家や

芸能人の専属占い師等々と時代と共鳴した方達が

たくさんいらっしゃいます。流石だと思います。

うちの生徒さんも、先生「数秘」というのはこうやるんですよと

丁寧に教えてくれたのですが、今の時代に相応しい占いなのかも

しれません。

甘くてちょっとだけ苦い新鮮なタピオカミルクティーのような

優しく、人を傷付けない嗜好品的なものが流行る時代です。

呑気で良い時代です。

死に物狂いで人生に根を張り今を生きようとする人々もいれば、

洒落たカフェでタピオカミルクティーに興じる者もいる

「分断の時代」をひしひしと感じています。




犠牲を生む可能性を承知していても、オリンピックの開催で、

どれだけ、この国の借金が膨らむのか計り知れません。

巨大な組織は一度動き始めれば、止まることができない。

止めるには動き続けて積算された以上のエネルギーが必要です。

オリンピックのために来日する世界中の政治家や経済人も

たとえワクチンを打ったとしても、日本に行って

自分が罹患しないかヒリヒリしている点では我々と

同じでしょう。こういう所が人の面白い所ですね。

今回のオリンピックは最悪のコンデイションの中で

オリンピアとしての名誉のために戦う選手達はもちろん

現場の役員やボランティアもまた感染のリスクに晒される。

平和の祭典を謳い文句にするのならば、

本来ならあり得ない大会です。さらに、

アスリートのピーク キープの難しさはよく知られています。




結果がよくなることをただただ祈るばかりです。

客観視について

推命学の主目的は「客観視」だ。と言われれば

疑問に思う人もいると思います。

ところで

「構えをとる」という言葉をご存知でしょうか。

これは「五輪書」に書かれた宮本武蔵の言葉で、

日常のあらゆる瞬間の備えという意味で

日々の「心構え」の重要性を説いたものです。

私の言う「客観視」もこのような意味だと思っていただければ

ご理解いただけると思います。

「俯瞰で自分を見る眼を養う」ことと言い換えても良いと思います。

推命学をしっかりと学べば、自分の持って生まれた価値観と

行動原則が理解でき、さらに運勢を知ることにより

一生における盛衰の時期と、感情の浮沈のリズムが

自他ともに理解できるようになります。

これが客観視の根拠になり、自他ともに何が起きても

起きてくることを許容し対処を講じ、慌てることがなくなります。

(だからと言って人生での苦悩が無くなるのでは無く減少すると

考えてください。人生自体は苦を盛る器でありことに変わりはありません。

人の心は複雑で、どんなに愛する人でも相手を知ること自体が、時に

嫉妬につながったりします。)


もし、あの時に代表される「たられば話」の中で、

運勢学的に

自分を(相手を)俯瞰的に見ることができていたら。

捨てなくて良いものを捨てていたり、

捨てるべきものを拾っていたりと、

違う選択肢があった可能性もあるのです。



安全安心指向の良い子であれと言っているのではない事を

ご理解ください。自分の人生を

他人にとやかく言われる筋合いはありません。

その先が、困難だとわかって行くのも人生だし

覚悟さえあれば、潔い、勇気のある行動で、

後悔さえ付き纏わせなければ選択肢に善悪はないと思っています。

それぞれが、人生の可能性を広げるのが私の考える推命学です。

命式と運勢を読み込み未来予測としては、ほぼ外れませんが、

神秘的な予言や占いとは違うものです。

四柱推命

四柱推命について

この学術の最も優れているところは占いの範疇を超えた

明確な「客観視」を提示するところにあると思います。

自分に起きていることを客観的に見る目を養うという意味です。

(自分以外の人に起きていることも同様に理解できることができます。)

今流行りのマインドネスの目的そのものであり

神秘的、オカルト的な要素とは無縁の学術です。

「自分探し」の手段そのものだとも思います。

ただし。

現状に対する「なぜ」には答えられますが、

そもそも何故自分はこの親のものとに生まれ、

今があるのかの自分自身の始原論に関しては

この学問と区別する必要があると思っています。

「輪廻」という言葉を使えば簡単かもしれませんが紀元前18世紀とも言われるヴェーダの時代から輪廻の主体は「アートマン」だとされていましたが、お釈迦様がそうではないと主張し、彼の弟子たちは長い時間をかけて上座部系、説一切有部から分派した犢子部では輪廻の主体を「プドガラ」と名付けたのですが、アートマンとの違いを提示できずに苦労したようです。その後大乗仏教では唯識学派は「アーラヤ識」を主張しましたが、方便の唯識と真実の唯識など、後出しジャンケンの様相で若干腰砕けになっていき、最終的には中観派に収まったようですが、その派も枝葉が広く分かれて行ったようです。

輪廻論というのは実は、とても危なっかしいもので、この論が根拠になってカースト制度ができています。すなわち、卑しい身分にうまれたのは、本人の過去世の行為の結果である。当然のことだ。という論です。日本でも、一向一揆などは、寺のために戦うことで極楽往生できると、輪廻論を逆手に取り民衆を先導し殺戮に駆り立てた過去があります。実に危うく、これを説く人によって、なんとでもなってしまうところがあるのです。

タロットカード

将来占いで生計を立てたいという方のご相談がある時

私はタロットカードを第一にお勧めしています。

習得しやすいのに加えて近い将来に対する的中率は高く

今ではYouTubeでも独習でき、良い専門書も沢山あり

正しい情報は溢れています。

あとは実践を繰り返し行うことで腕は確実に上がります。

だいぶ前に生徒さんが話してくださったのですが、

西洋占術の世界は全て情報が公開されていて、

東洋的な秘伝や口伝などの差はあまり無いと教えてくれました。


タロットも誠実に向き合えば必ず誠実に応えてくれる占いです。

だいぶ昔の話ですが西洋の先生方と交流があった時

よく先生方が、自分のことは、わからないと話をされていたのですが、

自分勝手な自己都合の解釈をし、カードがダメだよと

警告しているのに「我」を張って、本人がカードを裏切り、

あてにできなくなってしまうようです。

カードとの信頼関係が壊れると自分のことは当たらなくなります。

このことは断易にも言えて、何事も素直な心が肝になる。

どの占術であっても、自分に見合った技術を得たとき

自分に相応しい依頼者とご縁が結ばれます。

あとは力の限り応える努力をし続け、もし

今の技術に不足を感じるのなら、それは

実践による成長の証であり向上心の現れです。

そして

ひと道抜けることができれば、何が本物か、偽物か、

亜流かの区別が見えてくると思います。




最後に

大変申し訳ないのですが、前回からのご相談と言う形で、

全く別のお悩みや曖昧な質問については鑑定依頼として

お申し込みください。

雑感

流派や占術に関し、それぞれが棲み分けをしながら

切磋琢磨すれば良いだけで、自称であろうが亜流であろうが

依頼者に対し誠実に応じている限り、どうということはありません。

時々プロの先生方から推命学を勉強した方が良いですかと

聞かれますが、今のあなたに合った依頼者との御縁ですから

今のままで良いのでは?と答えています。

人と人の出会いには必ず何らかのご縁があり、時々

神様みたいなものが、このご縁を鼻先にぶら下げ

試してくるのです。

どんなに吉運の時でも良縁に混じって悪縁があり、

私の見るところ多くは奢(おご)りに依って繋がれてしまう。

慢心から始まる凶のご縁です。

どの世界であろうが、やはり日頃の生き方が最終的にはものを言う。

奢ってはいけません。自惚れてもいけません。

自戒しなければいけません。






「戒め」というのは、腹立たしい言葉ですね。

誰もが自由でありたいと思っている。

自由こそが幸福の源泉であるとも思う

しかし自由の不自由さというのを感じたことはないでしょうか?

休日何をしていいのかわからない。

これから先どうしていいのかわからない。

砂漠に放たれた籠の鳥みたいのものです。

餌も、水も自分で探さなければならない。

止まり木さえ見つからないかもしれない。

不安で不安で仕方がない。何かにしがみついていたい。

だからこそ自由を扱えるだけの力量が求められる。

そして、その「力」は制御されなければ、

実に、暴走しやすい危ういものなのです。

(教室の生徒さんや、推命学の力量の大切さを知る方達には理解できることと思います。)


改めて書けば、世の中には自由を謳歌できるものと

自由に押しつぶされやすいものがいて、押しつぶされない

ためには自分を磨き、強くし、自負心を養い

逞しさを得ることが最重要課題で

自由を謳歌できる者は、自身の成功や願望成就は程々にして

バランス良い人間関係を築ければ7割がた人生は安定するということです。

りっちん

先日 生徒さんに、これは「りっちん」の現象ですかと

問われ、それ「算命学」の言葉ですよと答えたところ

いいえ、四柱推命のサイトに出ていましたとのこと。

「律音」を「りっちん」と読みます。

四柱推命では「比肩」にあたる通変星のことなのですが、

なぜ、わざわざこれを他の占術の言葉を借りてきて使うのか

気が知れません。

比肩の言葉のイメージが悪いから、真新しい耳に心地よい言葉を

使おうというのでしょうか?

全ての通変星には表の現象と裏の現象があります。

「比肩」についての陰陽の解釈を知らないのかもしれません。

ため息しか出てきません。

どうなる日本経済

産経オンライン

ネタ元が産経新聞なので、真偽の程は他社の報道を見なければ

わかりませんが、政治の世界は明らか米中戦争に突入しているようです。

たとえ大陸側は善意での資本提携であったとしても、

「お上は」そうは見ませんよ。ということでしょう。

怖いことですが、かわぐちかいじ氏の漫画の世界が現実化するのも、

あながち無いことでは無いということでしょうか。

紛争回避の知恵と行動が双方にとって不可欠です。

経済を手に入れ強力な武器と勢力を誇る国ほど

手のつけられないものはありません。

世界と共存するためにはバランスをとることが大事なのですが......。

「お前が譲れよ」では無理ですね。

中華思想のもと漢人が他民族を支配する共産党一党支配の国、

軍縮のタイミングが平和共存の意思を世界に示す機会だと思うのですが

いつになることやら。

漫画のようなといえば、東京女子医大の記事を読んでいると

TVドラマの「ドクターX」で見たかの既視感に襲われます。

事実そうなのか?と思わされてしまう。

現今あらゆる組織に必要なものは透明性なのではないでしょうか?

(オードリー・チャンさんの言葉だったと思います。)

SNSにより社会全体が透明化している現在

経営者個人の奢りと嗜好が会社全体に響くようでは

一時的な組織というしかありません。

しかし怖いのは最近、個人情報保護の元、

透明化に歯止めがかけられ始めているように感じられます。

情報を管理し利用しようとするのは全体主義国家の手法ですが

日本にもその流れが確実に来ているようです。

「自由」を失うことほど怖いことはありません。

夢の話

最近面白い夢を見ました。

よく夢はその人の潜在意識の表れだとか、

深層の意識の表れだと説明されます。

夢判断などの本も出ていますね。

私も変な夢を見ると分析してみるのですが、

明け方に見る夢の大抵のものは、その日の干支が

影響しています。

「この一瞬も自分達は、この五行の流れの中にある。

これを把握し意識できればこの流れの行き先を変えることもできる。」

たいそう大袈裟な言い方ですが、今の所そう思っています。

そんな夢の話ですが、中にも例外があり、その夢の話です。


とある、お役所の受付で、険しい顔をした女性が、こちらに来てくださいと

3人ぐらいの中高年の男性が待つテーブルに連れて行かれ

私に、どうしてくれるんですかと、剣呑な様子で詰め寄るのです。

どうも、私の駐車したバイクが停めてはいけない場所だったらしく

ネチネチと、困るんだよ、どうするんだ、どうするんだと、

やるのです。私ですが、知らない事をとやかく言われても

徹底抗戦の体で、どうしようかと考えていて、人を集めて

お役所に取立てをかますとか、SNSで徹底的に攻撃するかとか

物騒なことを考えていました。夢の世界は実に直接的なもので

思えば形になってしまい。輩(やから)が集まり、

双方弁護士などを雇い、大袈裟なことになり、

実に気持ちの悪い、不安や、恐怖に苛まれ、

ああ、これが訴訟を抱えている人の思いかと身に沁みたのです。

元々が痛いのも苦しいのも嫌いな性(たち)で

待てよ、戦い方はこれしかないが他に何か手立ては無いかと

考えたのです。ここからが面白いのですが、

そうだ、観音様に頼んでみよう。なぜか、そう思いついたのです。

観音様は 水瓶 を持っていたよな。煩悩を浄化してくれるお水だったよな。

かけてもらおう。

と、なんとも無礼で畏れも知らずに頼んでみると、

霧のような雨とともに、

集めた輩でパニックを起こしていたお役所から人が消え

整頓され、さっきまで鬼のような顔をしていた課長さんや

部長さんらしき人も、受付の怖い顔をした女性も。

何もなかったように、にこやかになり、

今度は気をつけてくださいねと微笑みかけてくるのです。

こちらも、自然に「すみません」の言葉が出て、なんの

摩擦も無くなってしまったのです。

念彼観音力とは言ったものだなと驚きました。

観音様とは10代の頃からご縁があり真言ぐらいはと

130万回までは数えましたが、今も時々唱えています。

(40年以上かけての数ですから多いとは言えません。)

思えば、最初は自分のことだけをお願いしていましたが、

歳をとると、だんだん自分のことは二の次になり、

ご縁のある人達に「福」がつくようにと変わってきました。

10善の行などを言い始めたのもそのためです。

観音様の教えは「慈悲」の心を持って人生を過ごすことです。

しかし、人には、それぞれの立場があり、時にして

ぶつからなければならない。

そして人と人がぶつかれば痛いのです。

私の夢の中では、小さな駐車違反が原因で弁護士沙汰の

大騒ぎです。すいませんの一言で終わるものを、お互い意地を張り、

馬鹿の極みです。


慈悲を哀れみと捉え、他人を見下す嫌な奴と

考える人もいると思います。しかし慈悲の本質とは

この仕事をしての経験上「知恵」そのものだと私は考えます。

お腹の空いている人を哀れんでパンを与えても、

絶対にまたパンをもらいに来てしまう。

それの繰り返しをたくさん見てきました。

社会に参加し働き、自分の手でパンを買うことをせずして

その人の人生は始まらない。誰かに依存した生き方をする限り

絶対に自由は無いし、愚痴と妬みと自責の念から逃れられません。

生活の全てで自活するのが無理ならば、協力者を募り

相互扶助を目指して努力することです。

この自助努力が自信に繋がり、そこに根が張れれば人生はだいぶ楽になる。

お役所の福祉課の職員さんが言うようなことですが

これが私の思う知恵の姿です。

因果関係の肝を見つけ直(なお)しをかけることです。


仁愛も寛恕も言葉としては同じ意味だと感じます。

愛する者のために、こんなものができたらいいなと

依頼された者が、ふわふわのベットを生み、テーブルを作り、

椅子を作り、家を作り、冷暖房を生み出し、

楽しくて便利で誰もが使える道具を作りたいという動機で

あらゆるものが生み出されてきました。

我々は忘れてしまっていますが、この世の中、ワクワクするような

愛で満ちていると言っても間違いではないと思います。



人は不思議なもので、光の部分より影の中を覗きたいものなのです。

水族館のウツボコーナーに群がる子供たちのようなに

非日常的な姿にワクワクするものです。

しかし、その世界だけが全ての世界だと考えるのは早計で

そことは違う世界も間違いなくあるのです。

地獄があれば天国もあるし煉獄もある。

そして、その場が何処であろうと、

天国に一番近い生き方は仁愛を纏った生き方だと今は思っています。

誰かにすがりたい。助けて欲しいと嘆いても、人は

自分の頭の上の蠅を追うので精一杯なのが世の中ですね。

そんな時は、全国どこにでも居てくださる観音様にすがってください。

ご贔屓の神様や仏様でもいいんです。

祈って「自助努力の勇気」をもらってください。



「自助努力」を「孤立」とは捉えないでくださいね。

相互扶助もまた自助努力の一つですよ。

(昔の組合風のスローガンですが、必要な時もある。)



面白い夢を見たものです。

推命と断命

一般的に四柱推命と言われている占術は

大きく2種類に区分できると思います。

一つは星の性状から過去現在未来を予測するもの

文字通りの推命術

もう一つは

持って生まれた星をその人の人生を形成する

変化しようのない絶対的な因子、決定したものとして

捉える断命術です。

私の持っている資料では、中華の某先生のご著書に

子供の寿命を鑑定し、何年何月に事故で亡くなるので

その日は絶対に外に出してはいけないと予言し、

言われた家族は子供を守るために田舎に引っ越し、

息を潜めて、その日が過ぎるのを待っていたにも

関わらす、その日、子供が家を飛び出し、

事故にあって亡くなったとありました。

私が思うに、子供の命が無いと言われた家族は、

生きる気がしなかったのではないでしょうか。

その日に至るまでに積み上げた負の暗示に耐えきれなくなり

その日、ことが起きたのだと思います。これは間違いなく「呪い」の類です。

呪い縛ることに長けている人達には気をつけてください。


運命を捉えるにあたり、教室では必ず最初に言うのですが

運勢は変化し、転変するものであり、干支そのものの構造が

そうなっていることを学んで頂いています。

大運 年 月 日 時 この瞬間も、元命式は時の変化に晒され、

命式中の星は刺激され、動揺している。これが心の動きとして現れ、

本人のあらゆる行動を選択させているのです。

命式にはそれぞれ特有な偏りがあり、中心となる星と

それ以外の星の関係性を通変星と称し、命中の一番

力量の強いものが重心となり性格や価値観となるのです。

これが運勢の構造です。

問題は、このシステムを不変と取るか変化するものと

とるかで推命派と断命(宿命)派に別れていく。

私は運勢の構造を知ることさえ出来れば、その後の運勢の方向は

自分の意図で変えられると教えられ、私もそう考え実践し

学んでこられた多くの生徒さん達の多くは自然に良い方に変化している。

ですから自分の運勢を変えるのは可能だと思うし、

運命を宿命だと決めるのは、自分にかける暗示の呪いであり

間違いだと思うのです。



この仕事を始めた時から思っていたのですが変な

暗示をかけられたり、それこそ本を読んでは

自分の性格の悪さを「決めている星」を掘り起こし

自身に呪いをかけている方が本当に多いのです。

(星のせいだから、自分のせいでは無い。改善する努力は無駄だと

安心して現状維持を決め込む。私も昔はこんな感じでした。)




幸せになりたいと皆そう思っている。

でも、どうなれば「幸せ」を感じられるかは人それぞれです。

(この辺りは先に書きました、そちらをお読みください。)

私は「良心を満たす生き方」が幸福の基礎にあると思っています。

偽善的に聞こえますね。その通りだと思います。

アメリカの大金持ちがチャリティーで大金を寄付したり

基金を作ったりしていますが、もしかしたら労働者を搾取?した

お金かもしれません。それでも、世の中に貢献するのであれば

大したものだと思う。

(キリスト教的な懺悔や告解などの宗教的な行為にとても似ていますね。

神に赦されるための行為 神の子たる良心を思いさせる儀式。 

米国では富裕層の義務とされているそうですが、

キリスト教の伝統に立脚していると考えれば

日本ではあまり見られないことに納得がいきます。)



推命学を学ぶ時、この学問が個人の悩みや苦しみに対して

確実な原因分析と、そこから導かれる対処法を提供できることが

理解できます。しかし相手に伝える言葉は

一般の人が言いそうなことと大差ありません。

ただ、その根拠を問われれば、徹底的にお話しすることができます。

ここが本当に重要な所で「なぜ」を問われて初めて本格的な

鑑定に入っていくのです。


自分自身の運勢を変えることは間違いなくできます。しかし、

生まれながらに自然に表現してきた星の傾向を知らずに

数十年以上も積み上げてきた性格は一朝一夕では変わりません。

変える必要もありません。

少しづつ、なりたい自分を見つけていけばいいのです。

なんにしても事を成すためには忍耐が必要です。

そしてこれが自身の器を大きくすることになるのです。


学生の頃、このての議論をすると、俺の器は猫の額ほど狭いんだと

開き直っていた友達がいましたが恋人の前ではとても器の大きい男に

なっていました。人生はモチベーション次第ということでしょう。


最後に、誤解しないで欲しいのですが人物の良し悪しと事業は別物です。

事業には事業の成功の仕方があり、人物の良し悪しと混同しないことです。

善い人になったからと言ってお金持ちにはなれないのです。

もし、安楽に暮らしたいのであれば大きな期待をせず円満な

人間関係を他と結び、こちらへの信頼を裏切らない生き方をすれば

必ず実現します。

人生 人間関係

会社人の人間関係

仕事は仕事、プライベートはプライベートと区別する方達が

最近は多いと思います。2015年SDGsが採択されて以来

パワハラやセクハラ等の人権擁護の考え方が国際的に制定され、

各国の、特に、優良企業を目指す方達の間では、

SDGsを知らなかったでは済まされない時代になりました。

吉本興業グループなども運動に参加しています。

(これからの日本社会に課せられた国際的な約束です。外務省のホームページへのリンクを貼っておきますSDGs

世界の叡智が生み出したグランドデザインです。

我々が思っている以上に、この方向に世界は進むと思います。



人間関係は難しいですね。

日々身を削って仕事をしている人にとっては理想は理想

現実は現実 仕事のできない奴 コミュニケーションが難しい相手

攻撃的な相手 言うならば相性の悪い相手には普通に

勘弁してくれと内心では思っているものです。

会社の人事次第では、そんな人達とチームを組んだり

プロジェクトを推進しなければならなくなる。

どうすればいいのか?

そうなった場合、

コミュニケーションを技術的に使うしかありません。

議論が伯仲し始め相手の言葉が攻撃的だと感じたら

「私に対する個人攻撃ですか?」と相手に問うことです。

「そうだ。」という奴はあまりいませんね。

そうしたら、論点を明確にし仕切り直すよう提案することです。

これの繰り返しですね。どうにもなりません。

自分が相手を嫌うように、相手も自分が嫌いということです

たいてい、その理由はお互いが誤解し合っていることで、

もひとつ許容力の低さが理由になっています。

器の大きさの問題になるのですが、

戦国武将はこれを禅で鍛えました。

今時(いまどき)はマインドフルネスと言うそうですが

要は「腹」を作ることです。神経を太くし落ち易いブレーカの

数値を上げ怒りの制御回路を作り出すことです。

やり方はとても簡単で、

臍下丹田に意識を置き深呼吸を5分くらい続けるところから初め

少しづつ長くしていくだけです。

続けて鍛錬すれば副交感神経が鍛えられ

副腎皮質ホルモンが安定しストレスに対して

抵抗力が生まれるとのこと、できるだけ単純になることを

心がけてください。眠くなったら寝てください。


人生には苦労が伴います。願いが叶わない事だって普通にある。

それが自然なのではないでしょうか。

衣食住が不足している者は、衣食住が満たされることで

幸福を感じ、自己主張が苦手な者は幸せを実感したいと願い

強いものは自分の意見が通り希望が叶うことを願います。

人の持つ幸福感は立場で違い、それぞれが叶わない限りは

自分は不幸だとしか思えない。このくらい、人というのは厄介なのです。

その典型が子供で、あらゆる大人は、かつては子供であり

その癖が確実に残っている。



子供がおもちゃ売り場で駄々をこねる時

大人は、今は時期ではない、誕生日かクリスマスに

買おうねと時期を待つことを教えるのではないでしょうか。

時期を待つというのは信頼関係と確実な約束がなければ

不安で不安で苦しいものです。だからこそ成功を意図し

目に見える確証を積み上げ続け、諦めないことです。

そうすれば、その結果は宝となり価値を生み出します、

それを求める人は必ず現れるもので、現れなければ、

自ら売り込むことも不可能ではありません。


悩む前に動く事。

人生、上手に休憩を入れて、足元を見てガムシャラに

毎日進むしか道はありません。

泣いたり喚いたりしながらでも自分を客観的に見つめ、

他人との関係をどう構築すればいのか自分に辟易しながらも、

考え、行動していくことです。


素直で優しい人と評価される人は実は臆病で自己主張が

できない人かもしれないし、堂々として自己主張の上手な人は、

家族から嫌われている人かもしれません。

そんなものなのです。他人を羨むことはない。

自分を卑下することもありません。

皆が皆、持って産まれた長所と欠点があり、

その特性の活かし方に、いち早く気付いたものが、望めば、

他人との関係をより円満に向かわせ、人生を割と安楽な流れに

導くことができる。そんなものなのです。


不安に自分を責めることをしないでください。

それは一時的(一部分的)なもので、あなたの全てでは決してありません。

オリンピック

個の人命よりも全体の経済を優先させてしまう国家

都合の悪いことには箝口令が敷かれる国より、よっぽどマシですが、

インバウンドがどうのこうのと、〇〇の一つ覚えのように

いまだに言う人達がいる。

参加予定国が辞退し始めたら、更にめちゃくちゃになる可能性があります。

中国は意地でも参加するでしょうが、辞退を希望している国は

全くないのでしょうか?どうなっているのでしょう?

オリンピアン達は充実した練習ができているのでしょうか。

ピークをキープするには難しすぎるコンデイションです

彼らに課せられる「物」が大きすぎると思うのですが、

これが国の代表としての使命なのでしょう。

世界中の出征兵士の親達はこんな心境だったのかもしれません。

不思議な感じです。

ビジネスモデル

現代ビジネスオンライン

昨年からのテスラの躍進にはちゃんとした理由があったことが

わかりやすく書かれています。

トヨタが富士山麓でやろうとしていることも

この辺りからの発想だと思われます。

結局、大勢が望むものをいかに提案していくか

より細かく、丁寧に必要なものを提案していくこと。

ハード面に奢ってしまうと、より良い製品が生まれれば

それに喰われ、お終いです。

マンパワー任せではなくシステムとしてソフト面での信頼と信用で

長いお付き合いができるかがこれからのビジネスでの成功を

決めると思われます。

使い捨ての時代が身に染みてしまった高年齢世代が 

もしグループの権力を握っているのであれば

時代遅れになる可能性は否めません。新しい風を入れることですね。

(当たり前のことばかり書いてすみません。)

脱炭素

読売新聞オンライン

こういう報道を見ると、我々国民の意識自体が

ガラパゴス化しているのかもしれません。

国家の優劣基準がSDGsの達成度に反映される時代のようです。

国際基準の高い所にはお金と人材が流れやすい。

印象操作といえば元も子もありませんが

株価に直接反映するもので企業イメージなどは最たるものです。


中国の観光地などの交通手段はだいぶ前から電化に

変わっているようです。

我々は他国の悪い所を見ることばかりをしやすいですが

小さな優越感に浸っている隣国の姿から

我が身を振り返ることをしなければ「同じ程度」

彼らの言う双子になってしまいます。



「風の時代」に入ったと言われていますが

産業面での骨子は上記の辺りだと思います。

精神面に関しては、風に乗る水 水が原神である風を

考えれば答えは出てくるのではないでしょうか。

これは私の推命学からの見解です。



プレジデントオンライン

いつの時代も変わりません。幸せになりたいと誰もが思う。そして、

それを食い物にする頭の良い人たちがいる。

スピリチュアル好きな方達は、逆らうことが苦手で無私になりやすく

自己犠牲から流れに乗りやすところがあります

気をつけてください。

心の環境問題

SDGsという言葉を昨日テレビで聞いて、

もったいない運動?のようなナレーションが流れ

ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイさんの流れか?

と調べてみると、世界的な規模で行われている

国連主導の生活問題と環境問題に関する国際目標が定められた

幅広い取り組みのことでした。

ジェンダーに関しての記載を読み、

初めてここ数年の流れを知ることができました。

自分自身の無知を改めて知ったのですが、

世の中の流れを実際に変え始めています。すごいことです。

中国の習近平が食品の廃棄について支持したとの

報道があったのですがその一環かもしれません。

2016年以降具体的な目標達成度が発表されています。

テレビのナレーションは、「水の無駄使いはやめよう」的な

ものでしたが何かが違う気がしました。

水も物も循環して初めて価値が生まれるものと

消費せず不動であることこそが価値を生み出しているものがあります

これを区別をしなければ、みそくそ一緒になってしまう。

水の循環は大気の循環そのものです。下水道が完備したのならば

下水道がわりに暗渠にされていた小川に清らかな流れを

復活させる運動の方がどんれだけ大切かと思う。

渋谷で一部の暗渠が外されたようですが、臭い。

コンクリーとの壁に沿う人口の装飾物も悪くはないですが

ビオトープとはかけ離れている。

どぎつい色の空間も同じで人工的すぎる街は捨てられていく。

そんな気がします。




水は生き物を結びつける働きがあり、澱めば関係も濁ってくるものです。

人の心は「水」によく似ている。この刹那に変化しています。

知らぬ間に埃(ほこり)が水面に浮き、これを

自覚できなければ、やがてほこりからカビが育ち毒をだす。

言葉や態度や邪視で周りの人を傷つけてしまう。

自身も自家中毒を起こし心の会話で自分を痛ぶり

傷つけ、絶望し、孤独に落ちる。

普段 何気なしに我々がやっていることです。

自然の景観と我々自身は同じものであり

人は自然界との相似系であると言うべき存在です。

天人合一とはよく言った言葉だとつくづく思います。

(水に触れる埃(ほこり)とは言葉であり、他人の態度であり、

自分以外の全ての人々を指していると理解してください。)

陰陽で言うと上記の部分は水の陰のあり方の現象です。

同様に真逆の在り方としての陽なる現象の現れ方が間違いなくあります。

それでは、水が一番素晴らしい姿として映るのはどんな姿なのか

考えてみてください。
















観光に関して

農薬汚染

「文藝春秋オンライン」からの記事です。

農薬の使用率と発達障害

農薬大国日本

放射能汚染と同レベルだと思うのですが、あまり言われません。

記事の中に

「農薬の使用が多い国は自閉症の有病率も高く、

明らかに相関関係があると言われていて、

残念ながら日本はその当事国である」とあります。

毎日口に入れるものが原因ならば、運の良し悪しを問うことほど

馬鹿らしいことはありません。

「運が良ければ、口にしない。」など論外で

吉方位をとろうが、風水を改善しようが、時限爆弾を

毎日摂取して生活していることになる。

目の前で人が死ななければ耳目が集まらないのが世の中ですが

未来に起きるであろう障害を未然に防ぐことこそ

人の知恵だと思うのですが..........。

強烈な権力からの指導や利権団体の駆け引きがあるのでしょうね。

データーが出ているのにもかかわらず動きは遅いようです。

もう一度言いますが「放射能汚染」と同じです。

これは忍耐強くゴネ続ける必要があります。

メールについて

Yahooメールに不具合があるようです。

発信はできるのですが、着信ができないらしく、

こちらからの連絡が1日以内に来ない場合は

お手数ですが以下からご連絡ください。

生徒さん専用メール

寛恕のお願い

実はコラムを書くたびに 人生に苦しんでいる人を

追い込む記事ばかり書いている気がしています。

角を矯めて牛を殺すという諺があるのですが

自分を変えたいと望むのであれば時間をかけることが大切です

今できなくても、明日はよくするんだ。を繰り返せばいい。

今の自分を否定するのではなく改善を望んでいる自分を誇ることです。

それこそ人として成長を望む孤高の誇り高き勇者だと私は思う。

そして、それを秘することです。

急ぐことはありません。勇者であり続けることです。


でも、それでも、耳に痛い事を書かざるおえない。

世の中の事件を見て貰えば、

なんとなくでも理解してもらえるのではないでしょうか。

常識では考えられないくらい人は脆(もろ)く、

自分に任せろ、面倒見てやる。

なんて言葉を最初にかけられれば、子供の命まで

捧げてしまう人もいるのです。

どんな人も危機が迫る時、警鐘を鳴らす言葉に出会え、

違う選択ができるものなのです。

間違いなく最低でも2回くらいはこのチャンスがあるのです。

けれど、警鐘が自分を否定する言葉に聞こえて

耳を塞いでしまう。

幸せを望むのなら耳を塞ぐ生き方に慣れてはいけません。

苦しい時こそ、信用できそうな人の言葉に

素直に耳を傾けることです。

とりあえずは警察や役所の公の助けを求め、

それでもダメならNPOや頼れそうな組織を頼り

自分を守ることです。

他人に自分を丸投げしてはいけません。

依存すればそのものに自分の人生を食われてしまう。

酒も、薬も、sexも、クラブも、ホストも、仕事も、

賭け事も、信仰も同じです。



推命学を学ぶと人の可能性が見えてきます。

運の良し悪し以上に人の可能性の素晴らしさに直面し

驚くことが多々あります。

しかし運勢の流れのままに翻弄され、

運を閉じてしまっている人も多々いる。本当に残念です。

運勢鑑定というのは、怒りや、嫉妬や、妬みで閉じてしまった

良心を真っ当な姿に戻し、傷ついた心に希望を提案し、

晴れ晴れと自分の足で歩ける方法を提案するのが眼目です。

言い換えれば人の可能性を追求する学問です。

諸行は無常で、生老病死は自然の法則です。

精進は欠かしていないつもりですが、

私自身だいぶ疲れてきました。

入門講座はこちらの体力がかなり消耗する講座です。

良い状態で教えられるのはあと数年かもしれません。

機会を逃さぬよう奮ってご参加下さい。

(本科、研究科の実践鑑定は冴え続けています。ご安心ください。)

運が良い人

「運が良い」とはどういうことでしょうか?

それは、

第1に「出会い」に有り、

第2に「運を掴み切る努力ができるか?」にあります。

運の良し悪しというのは実に単純でこの二つのことに尽きます。

(運が悪い人の特徴は、この逆になります。このどちらにも

当てはまらない人は普通の運の持ち主だということです。)

第一の「出会い」に関していえば、まずは生まれる家庭にあり

こればかりは、どうしようもありません。

しかし時間は誰にでも平等で、環境は移ろい

人は成長していく。問題は生まれた環境から受けた傷が

治らないものだと誤解したり、過去に引きずられて

自分を変われないものだと決め込んだりしてしまうことにあります。

「万物は流転している」自分も環境も変わり続けると

確信し、幸福を望むのなら良い縁を引き寄せる努力をすることです。


第2の「運を掴み切る努力ができるか?」

これに気づくことができさえしたら、

だいぶ人生が変わっていたと思う人は多いのではないでしょうか。

出会いに恵まれている人というのは結構多いもので

問題は、それが実を結ぶ前に辞めてしまう人が

とても多い。それが周期的に来る人もいます。

才能があると自分も皆も認めているにも関わらず

実を結ばない。どうすればいいのか。

「人生に根を張る覚悟を持つ」

こうとしか言いようがありません。

これは幕末から現代まで洋の東西を問わず

名を残してきた方達の命式の研究から導かれたものです。

(社会的な成功と人物としての評価は別物だと思ってください。)

その成功を得るために費やした忍耐や努力は

時代の奔流に対し「守るべきものが明確に存在した」

「立場上の使命感」等々様々ですが、そのどれに対しても

命を賭す覚悟で臨んでいたというのが特徴です。




今の時代は過去のどの時代よりも「出会い」に関しては

チャンスが多い。秘密にされていた事柄も動画付きで

公開されている。ダライ・ラマやビックネームのお坊さん達の

法話も聞こうと思えば聞ける。どの言語も

学ぼうと思えば学べる本当にすごい時代です。

知恵や知識がネットの中に溢れている。


社会人として成功したいのであれば、仕事をやり遂げること

人として成功したいのなら付き合う相手を選び

自分の望まないことを相手に求めず誠実であること。

精神世界を満たしたいのであれば自分を含めた

あらゆるものの幸福を祈り続け、見返りを求めないことです。


そして、私たちは誰もが「社会人」です。

何からすべきかは明確です。見て見えぬふりをしていては

持って生まれた運は萎んでいくだけです。





「タラレバ」とはよく言ったのものですね。

私もタラレバだらけですが30年以上の時間をかけて

今に至っています。

諦めず、忍耐強く、それぞれが決めた道で、

社会人としての責任を果たすことをし続ければ

最後は気楽な人生になると信じています。

そして、必ず来る未来に対して無知であってはいけません。

備えることも大切です。

怒りの鎮め方

怒りの鎮め方

怒りの分析をすると、怒りの正体が見えてきます。

世の中の理不尽や政治に対するものではなく

社会正義や同情心からのものも同根ですが、

個人対個人の関係から生じる怒りの原因は主に本人の持つ

「自尊心」 「自負心」 からであり

「傷つけられた自分」から離れることはありません。

被害者としてのありかたから離れることは難しい

お互いの信頼関係が長く続いていた場合、

ある種の契約関係がそこにあった場合、

一方的な束縛、不公平、さまざまな形で感情に亀裂が入った時

理性では整理しきれない感情が生じます。

それは、起きたことを認め、受け入れられない場合

恨み、怨み、憎しみ、鬱憤などの晴れることのない

苦痛が生じてくる。

その苦しみを晴らすため、いつの間にか

対象以外の人に対しても好戦的になり、

嫌悪の連鎖が起きてくる。

その場で爆発し相手の怯える顔などを認められれば

まだ楽なのですが、そうでなければ

鬱々と過ごすことになる。どうすればいいのか?

結論から言えば相手に

「罪の意識」を持たせることです。

ただ問題は相手を殴って痛い目にあわせ

謝らせるという一般的な方法では「罪の意識」

は生じません。謝罪を装うことで逃げてしまう。

本来の罪の意識というのは慚愧というもので

行為を恥じ、自分を戒めることなのです。

(戦後の日本人がどれだけ自国を嫌悪したか、徹底した反省をしてきました。)

自分で自分を責めること程、辛いものはありません。

罪の意識とは一般的には「良心の呵責」「自責の念」と言われるものです。

相手にこれを惹起させるにはどうすればいいのか。

そもそも「良心」などというものと程遠い人だから

こんなことができるのではないのか。

その通りだと思います。

しかし一時的でも心を開き「愛情の交換」があったのであれば

お互いが「良心を持ち寄った」時期があったということでしょう。

それが交戦状態になっている。

人は攻撃されている間は決して良心のある「まともな人」には

戻りません。加害側も被害側も同じです、相手に対し

ともにガードを上げ攻撃体制でいる限り無理なのです。

加害側も自分が何をやっているのか、心の底ではわかっていて、

反撃されることに備え防御体制を取っています。

(いじめなどは、この時点で対策を講じるべきです。彼らは

反撃されないと分かった途端、手がつけられなくなります。

家庭内暴力も同じです。)

それなりに教育を受けているものは病的なものでない限り

必ず最初の時点では「良心」が暴力を躊躇させるものなのです。

ですが、良心は自分を戒め縛るものなので、

溜まった感情の爆発を止め苦しみが晴れない。

だから心の深い部分に隠し蓋を閉めてしまう。

それが何時だったのかさえ覚えていない人が多い。


このガードを降ろさせ真っ当な感覚を喚起させること。

真っ当な感覚とは良心であり罪の意識ですが

こちらが敵意を持つ限りは相手は背を向け、

戦い続けることになる。

自尊心から生じている怨みは、

相手の謝罪が会って初めて根まで切れる

(バイデンさんが日系アメリカ人に対して謝罪したのも、この意図からだと思われます。日本国内にいては想像もできないような相当に深刻な分断が前政権で起き、今も問題になっていることが推察されますね。政治の世界と個人の世界は基本的に分けて考えなければいけませんが、人の心に訴える点では同じです。)

それではどうすればいいのか。

多くの人が相手への復讐を手放せず苦しんでいるのは重々

承知していますが、

「相手の幸せを祈ること。」

これが怒りの心を洗う最短の方法です。

馬鹿言ってんじゃないと怒る人もいると思いますが、

相手が「良心の呵責」に苦しむこと以上に

相手にとって辛いことはありません。

恨みに苛(さいな)まれている自分自身と同等の苦しみが

そこにはある。

だから、相手が、良心をもつ真っ当な人間になることを

心の底から願うことが最高の復讐にもなり、

自分の心の安らぎを得ることにもなるのです。

宗教の人たちが言うような「祈り」とは少し違うかもしれません。

生身の人間の祈り、その人の良心を呼び起こすために

自分の良心を奮い立たせることです。

こんな話があります。

ある国のとても有名なお坊さんの話ですが、

その方は若い頃、強盗が仕事だったそうです。

ある時、某所に強盗に入り、一仕事終え

逃げる際、いつものように後を追われないため、

その家の馬を殺していたのだそうです。

ところが銃で撃たれ死んだと思っていた馬が

突然動き出し仔馬を生み落とした。

それを見た彼は、胸の奥から熱いものが

湧き出し、体が震え、涙が溢れ、

声をあげて泣きだしたそうです。

母馬は残りの力を振り絞り子を産み、

母馬がいないのに必死に生きようと立ち上がる

小馬を見て彼の良心は目覚めた。

その後一切の命を奪うこと無く慈悲深いお坊さんとして

過ごされたそうです。


一瞬の出会いが、その人の人生を大きく変えていく

悪い一瞬ばかりが取り上げられ、落ちていく人生ばかりが

語られますが、心が浄化され成長していく一瞬があることも

事実なのです。

そのスイッチを積極的に求めるのなら自分のためにも相手のためにも

幸福を祈ることが最短の方法であり絶対の方法です。



神仏に相手に罰を与えてくださいと言っても無理です

なぜなら仏の中心は慈悲でありそれは良心の別名であり

神々の最も好まれるのは六根清浄だからです。

六根清浄とは良心を保つことだからだと私は思うからです。

祈りというのは今この瞬間でもできるものです。

上手に祈ってください。

そして、強盗だったお坊さんのような機会に出くわしたなら

その時の気持ちを大事に持ち続けてください。

幸せを(自分の良心を)感じ続けることです。

騙す

文春オンラインで面白い記事を見つけました

面白いというと語弊がありますが、被害者の数を見ると

なんとも言えなくなります。純粋に恋愛をしていると

被害者達は思っていたのでしょうか?

この「恋愛」という網には、どんなに学歴や教養や社会的な

地位があってもなぜか、かかってしまう。

内なる好奇心と寂しさが因になり男性の華やかさに心奪われる。

多くは「下心のある1」対「突然声をかけられた1」から

始まっています。信用させ、恋愛に耽り、利用する。

いつも思うのですが、加害者側は「騙されるのが悪いんだ」と考え

被害者の多くは、だからしょうがないと泣き寝入りをしてしまう。

つらい恋愛経験では無く犯罪被害者です。

苦しみを連鎖させてはいけません。

勇気を出して警察に相談してください。

この手の人達は、必ず、他にも犠牲者を狙っています。

弱い立場の普通の女性を食い物にする連中は昔からいて

この記事では風俗でしたが、薬もそうだし、仕事先に

追い込みをかける等々めちゃくちゃな連中がいるのです。

自分が持つ基本的人権を警察に主張してください。

個人での対処は難しい。

契約書をかわすことには特に注意してください。

強要された場合は無効になるはずなので、

傷の一つも作っておき証拠を残しておくことです。

(悪用しないでくださいね。)

ここにある同様の手口は実によく使われるもので

依存させるために占い師さんの一部でも使われています。

その場合は必ず、言葉の根拠を聞いてください。

なんとなく「感ってやつだよ。」と言われたら

「偽者」です。ごめんなさい、と逃げることです。

「てんちゅうさつ」「くうぼう」も

私的には眉をしかめたいのですが、

他の占術を併用している先生方が多いので、

吉凶半々というところです。

(良い先生を見つけてください。)

癒しのはずが地獄の一丁目への入り口になってしまう。

気をつけてください。

この手のことに手を染める占い師さん達には

可愛そうですが、それ相応の報いがあるようなので

ご本人達も気をつけてください。

お金をいただいている方達は

目に見えないものに常に見られていますよ。


最近は人を侮辱したり見下す時、「ゴミ」という言葉を

使うそうですね。「オワコン」とか「老害」なども

同じ類の言葉かもしれません。

もし自分自身をそう呼ぶ人がいたとしたら、

それは間違いです。(戦わない言い訳には都合の良い言葉かな。)

人の心は決してゴミにはなれません。

なぜかというと、常に喜びを求めている。

(それぞれに嗜好というものはありますが....。)

どんなに落ち込んでも、美味しいものは美味しいし、

可愛いものは可愛く、自分のものにし大事にしたくなるものです。

(大事の仕方も様々ですね。)

そして、心は、「でもね。私はダメだからと囁き始める。」

これを突き抜ける強さを持つ人は、何をやっても大丈夫。

そうでない人はそんな自分とダンスを踊りつづけることです。

少しづつ、なりたい自分の方がリードできるようになれば良い。

(ダメだと囁く自分も大事にしてあげてください。)

短気を起こし、ぶつぶつと途切れても、また、

そこに戻ればいいだけです。だって自分の心の中だもの、

「よーしやるか」とか「深呼吸3回」とか何か儀式を決めておいて、

元に戻ればいい。

人生にはそのくらいの時間は十分に用意されています。

万物流転

教室の中でよく話すのですが、万年暦を見てもわかる通り

一切は流転し続けています。暦はそれをわかりやすいように

時間、日、月、年、そして大運と干支を使って

説明しています。

「今、この一瞬も変化し続けている。」

これは誰も否定できない事実なのではないでしょうか。

自分には関係ないと思う人も多いと思います。

多分それは、環境そのものが本人と一緒に変化しているので

大きな流れの中での変化に気づけない。

誰もが地球が自転していると知っていても、

自分もまた、その巨大な運動の中にいるとは意識しません。

けれども朝、昼、夜の循環を毎日体験している。

空の雲が千変万化する不思議。

大地が兆しもなく地響きとともに動き出す恐怖

一瞬の休みなく全ては変化している。

人も自然の一部だとすれば人もまた変化し続ける。

その辺りの事情を詳細に研究し続けてきたのが

運命学だと思います。

循環の中に法則を見つけ、未来を予想する。

多くの推命家の先達がなされてきた学びです。

統計学という人もいるのですが、その原理を知らずに

例外ケースを無視し科学だ、最高の学問だと主張しても

無意味というものでしょう。典型的な例ですが、

「空亡」でありながら、その現象が起きないケース、

貴星が山ほどついていながら犯罪者になっている人達、

結婚の星が巡っているのに結婚できない。

離婚の星がないのにも関わらず、離婚に至ってしまった。

財があるのに我が物にできないのは何故?

誰もが一度は思い悩んだ事柄だと思います。

伝統派であろうと、何流であろうと、

「法」に溺れず「人」を知ることに重きを置き、

真摯に取り組めば納得できる理由は必ず見つかると思います。

肉体は変化し、心は変化し、環境も変化する。

そして、このことは自分一人のことだけではありません。

「相手もまた変化する。」

同じです。けれど、同じだとは思えない。






元命式とは生まれたばかりの子猫のようなもので育て方次第で

ドラにもなるし、大事な家族にもなる。

生き物である限り、一度傷がつくと取り返しはきかない。

一度傷がつけば、本人が自ら理解し、赦し、再び進もうとするまで

根気よく寄り添い続ける実に困難な作業になります。

バイアス(偏見)

森元首相の記事を読んでいてアンコンシャス・バイアスという言葉に出会い

面白いなと思って読みました。

カタカナで書かれたものを読んで

「バイアス」が「バイブス」みたいで響きはカッコいいなと。

英語のできる人には無知の極みと怒られそうですね。

(バイブスという言葉自体お笑い芸人さんが使うまでは

知りませんでした。バイブスはバイブレーションの略とのこと。

昔、ビーチボーイズが「Good Vibrations 」という曲を

発表して以来スピリチュアル系の人達が好んで使った言葉です。)

アンコンシャス・バイアスは潜在的な偏見と訳されるようです。

企業内で行われる社内セミナーでの常用語のようです。

世界的な規模で、大企業を牛耳る大株主達の共通意識が

「善なるもの」を求める時代に移り変わり始めたというところでしょうか。

環境問題もそうですね COP

(環境は金になると勇んでソーラパネル設置のために環境を破壊し続けた

 太陽発電などは見る影もありません。風力発電の風車は鳥たちを

打ち落としと続ける等々。皮肉なものです。

何かの犠牲を伴う代替エネルギーでいいのでしょうか。)

北欧の環境戦士が大きく取り上げられることを考えても

これからの時代はこの方向だと思います。

こんな世界でも良い時代に向かっていると思います。

ところでバイアスをここでは偏見と訳していますが

実際は「傾向」と訳す方が元の言葉の使い方には相応しい

と思われます。

日本語でいう偏見は、やはり「prejudice」

「先入観」とか「色眼鏡で見る」意味の方が強いと思います。

私にも大きな先入観があり、一つは「霊視」もう

一つは「プレアデス星」の有無があります。(笑ってくださいね。)

亡くなられた船井総研の会長が、この手の本の帯を

たくさん書き経営者の方達を始めとする世の人たちに

知られるようになったと記憶しているのですが、

常識的には、名付けられている星はあるが「星人」はいない。

しかし、精神的な星人はいるんだとか、この星に再生している

とか、なかなか真剣に討論している方達が世界規模でいて、

どうなんだろうと思っています。

だから何だという話なのですが、

いる、いないで、めくじらを立ててもしょうがない。

シャーリー・マクレーンの著書が1983年出版されて以来

世界中に広められたソウルメイトという言葉も

似たようなものなのですが、時々、これらの根拠が曖昧な言葉で

人を煽動する連中がいるのです。

これが困ったもので業界の先生方の中にもいて、

慰めや癒しを求める人には、現状の悲惨さをロマンと

ファンタジーのオブラートで包む方法として提供するのは

悪くないのですが、それ以上に相手への執着を助長することを

認識するべきです。

人は、時に弱い生き物になってしまう。

多くは恋愛がそのスイッチになりやすく、

命懸けで子供を産む行為に直結する体を

交わす行為が行われると、まだ恋に純粋な時は

アンコンシャスバイアスをパートナーに抱き始めます。

男女ともにこの傾向があり、それが時に相手への過度の期待や

支配や縛りに変化し、おかしなことになっていく場合が

多々起きやすい。


恋愛の悪ベテラン達は、ソウルメイトだ運命の人だと

出会いの頃は大騒ぎしても割と簡単に、魂のパートナー達を

切ったり、裏切ったりと自由自在です。

それじゃ魂のパートナーって何?自分を納得させたり、

相手を誘惑するためのセリフか?とも思う。

人でなしは、いつの時代も、再生しても本人がこのことを

自覚しない限り人でなしです。


思う人と出会い、結ばれ、同じ時間を過ごすようになる。

問題が起きないことに越したことはないのですが

大事なことの第一は、誠実な相手を選ぶことです。

自分の信用を裏切らない相手を見つけること。自分も相手を

裏切らないこと。その上で、干渉しすぎないこと。

天体の星たちは、ちょうど良い距離を保ち周回軌道の上で

活動しているから、長く関係が保たれているのです。

もしもプレアデス星が地球に近づいてきたとしたら、

大変なことです。恒星間のバランスが崩れ何が起きるか

わからない。人も星もそれぞれの活動領域があり、

引き合い弾き合い成立している。

人の場合は、この辺りが難しく、星の性状で接触を好むもの

孤立を好む者、等距離を好むものがあり相性の妙が

この辺りで起きてきます。





絶望に閉じこもる人がいたとしたら、

自分の望みを少し検討してみてください。

漫画や小説の悪役はこの世界への恨みで閉じこもり

人を傷つける人達が描かれやすいですが、

私はそうは思いません。

外に出て何をして良いのかわからない。

もう外に出るには遅すぎる。年齢が重なること自体を

恐れ恨んでいる人、そのこと自体を忘れてしまい、ただ

苦しんでいる人たちがいるようです。

時を忘れてしまうと、思い出すのが難しくなるものです。

自分の中にある絶望を一つ一つ剥がす勇気が、やはり、

必要です。時計を戻す作業は残酷かもしれません。

これを誰か他の人に言われることは許せないと思います。

だから自分から立つことかな。親にはしらばっくれて、

支援団体に連絡してみるのが最初の勇気かもしれません。


自分が誠実であることを努力したのなら、

この世は捨てたものではありません。

嘘をつかない。約束を守る。誰かを傷つける言葉を使わない。

自分がやられたくないことは他人にやらない。

でも、真逆の奴らばかりがのさばっている。

学校でもそうだった、職場もそうだった。

それが現実です。

奴らもそうして自分を守っていただけです。

あなたが彼らのようになる必要はない。

だから忍耐する強さを養うことが必要になる。

敵以上に強くなることです。

かったるい腕立て伏せを一日3回くらいから初めて見ますか?

100回できる頃には、だいぶ強くなれます。

女の子だからってできないことは無い。

強くなれます。

人が動物である以上、腕力はやはり根源的な自信の源です。

行動すること、動くこと。ここが最大の勇気が必要な事柄ですね。

コロナ

昨年末からコロナについての問い合わせがあり

年末の易では2月3月に動きがあるとでていて

効くワクチン、またはワクチン接種の効果かなと

その時は漠然と考えていました。

今日あたりでは考えられませんが、

経済重視の観点から各国が鎖国状態を解き

人の移動が、始まるのかもしれません。

昨日、イベントの相談があり易を立て、気になることがり

今日2/10その他諸々の易卦を立て判断すると

コロナは6月、7月あたりに収束し始めるようです。

(そう願うばかりです。)

ただ、このウイルスは前にも書きましたが、

繰り返すという変な特徴があり、油断はできません。

また命より経済を優先したい政治家達が、思いつきで

go toキャンペーンなどの逆風で煽らなければが条件です。


森元首相のおかげで日本の底辺にはびこる澱んだものが

(ジェンダー・ギャップ)

表に現れ長い間放って置かれた水底の「掻い掘り」がなされる

大きなチャンスが巡ってきました。

でも女性議員さんに代表される感情的、扇情的とも思われる

攻めかたでは逆効果です。誰もが怖がってついてきません。

ジェンダーギャップの下地があるからこそ

それぞれが冷静に、腹を括って相手に臨み他の人からの支持を

取り付けることです。他者に敬意を払うことのできない者に

敬意を払う者は、その人の利害関係者だけです。

裸の王様と家来達では情けない。


風が吹けば桶屋が儲かる的な考えで恐縮すが、

老害のしがらみを超えて、世界があっと驚くような、

夢のような、新商品の開発や、安全に人と繋がれる

コミュニケーションシステムがこの国から

生まれるようになれば社会の精神的な貧困や、

夫婦や子供に対するDVなども減少するでしょう。

生き甲斐のない、夢のない社会で社会人になること

は、ただストレスだけが加算されていく。

当たり前ですが悪いことしか起きません。

お金を撒いてもどうにもなりません。

根本の解決は、その辺りでしょう。

研究科

研究科の生徒さん用ページ

「テーマ別の原命式の研究」の蘭に命式を挙げておきました。

なかなか興味深く、ことの次第では一歩前進する

キッカケになるものです。

推命学もまた、日々前進するものだと、つくづく思います。

2021年 2月4日 立春

今年からは汎用性があり再現性のある実用に適するもの以外は

消し飛ぶ可能性があるようです。その上、流行の流れが早く、

時流に乗るか、単純だけれども嘘がなく実用的なもの、

この二択が時代を拓くキーワードになりそうです。



これは「過去コラム1」の冒頭の文章です。

5年前に書いたものですが、

推命学の基礎理論について書いたものです。

私の実践経験上からの解釈で誰かから教わったものではありません。

生き物としての四柱推命学というのが私が持つ推命学に対する見解で、

常に流動し変化する、易の考え方そのものです。

余計なことも書いてありますが、

これから推命学を学ぼうとする人にとっては、

大きな利があると思います。また鑑定に慣れてきた

生徒さんには初心に戻る良い機会だと思います。

人に対してどのような見解を持つかにより結局は

鑑定の深さが決まります。

法を誇って法に溺れるようなことになってはいけません。

高邁な学理があっても「人」を知らなければ

無能の謗(そしり)りを負うことになります。


2016年4月現在の推命術に対する私の感想です。

四柱推命術は一般的には「占い」に分類されています。

しかしあまり言いたくないのですが、その汎用性は高く

人の成す様々な心理、感情、情動、行動の原因を解明し

同時にその解法を展開することができるものなのです。

循環と対立という無始の昔より変わらぬ

「生命の求める動き」と

因果律という定理の上に繰り返される現象

その実は、ものすごく単純なのですが、

この単純さが複雑に絡み合い人の心に喜怒哀楽を

生み出している。

「当てる」ための推命の究理がそのまま「生きる」ための究理として

応用できることをご理解ください。


これが本来の推命術なのかどうかは私の知るところではありませんが、

これを学ぶことが、人生に多大な資糧を与えてくれることに

間違いはないようです。



四柱推命

四柱推命の構造は簡単に説明すると

原命式の変化を表す縦軸と時間を表す横軸による

チャート(海図)のようなものです。

一般的には原命式は変化のない固定された

絶対的なものとの概念がありますが、私の経験では

それは間違っています。

十干は成長したり、劣化したりする生き物であり

その本質は変わりませんが、確実に変化するものなのです。

「横軸である時間軸」というと難しく聞こえますが、

これは、その人が人生の中で得る喜怒哀楽の体験であり、

知らずに演じている悲喜劇の記憶なのです。

そしてこの経験を意識し、そこから学ぶことができれば

おのずと、次の場面での選択肢が変わってきます。

これが「気づき」です。このことを

「経験から学んだた知恵」という方もいるでしょう。

私は、このことこそが万物の霊長と言われている人間の最も

尊い特性だと思うのですが、

時に、推命学を学んでいる方の中にさえ

運勢は確定していると思い込んでいる人がいるのが

残念でなりません。

そして、この縦軸としての原命式の変化を見切ることこそが

運勢鑑定の重要なポイントになるのです。



通変星大論1

通変星大論1

「五行五気の周流と通変星から見た運の原理とその改造についての考察」


推命術を学び実践する中で、個々が繰り返す不幸の連鎖を見続け、そこからの解放を意図し続けるうち、ある法則がそこに働いていることに気づきました。それは数学の方程式のようなもので、そこに気づき、行動すればあらゆる人間関係に「解」が得られます。
それまで絶対視していた「用神」にしても、この法則の外にあるものではないと思っています。

先ず東洋哲学の基盤である五行の相生 生剋の説明から始めましょう

木が火を生じ 火は土を生じ 土は金を生じ 金は水を生じ 水は金を生じる

木は土を剋し 土は水を剋し 水は火を剋し 火は金を剋し 金は水を剋す

どなたでも知っている五行の相生相克の理論ですが、ここで言う五行とはいかなるものでしょうか? それは宇宙の万象を映し出す象徴だと思ってもらえれば分かりやすいと思います。
そして、この相生相克の理論こそが一切の運動を理解する原理になっています。

推命術ではこの五行を陰陽にわけ十干十二支に分類し、それぞれの関係生を通変星として区別しています。

  干     支

木 甲乙    寅卯

火 丙丁    巳午

土 戊己    丑辰未戌

金 庚辛    申酉

水 壬癸    亥子


基準点の自分自身を我身日干とし、

日干と同じ五行の星を比肩、刧財

日干が生じる星を食神、傷官

日干が剋す星を正財 偏財

日干が剋される星を正官 偏官

日干を生じる星を印綬 偏印

と呼んでいます。




相生

我身日干は食傷を生じ 食傷は財を生じ 妻財は官を生じ 官は印綬偏印を生じ 印綬変印は我を生じるとなります。

比刧は自分とおなじ星になります。


相克

我は妻財を剋し 官鬼に剋され 妻財は印星を剋し比刧に剋され 官鬼は食傷に剋され我を剋す
           
                  
ここで大事なことは相生にしても相克にしても、それぞれの五行は常に「動いている」ことに気づかなければなりません。

この五行五気の動きは「気」の動きであると同時に「心の動き」そのものであり、私はこれを魂に刻まれた気質、持って生まれた星の特性と理解しています

また、このような解釈が推命術を成り立たせ実際の鑑定の場で実証されてきました。 

それでは、その通変星について考察したいと思います。


漏気の星

まず我が生じるものを食神傷官と名付けられています。これは我れが生じる星ゆえに
漏気の星となります。陰陽の違いにより食神、傷官と名称が違うだけで起きる現象に強弱の差はありますが一般的に言われるほどの差はまったくありません。

自分から見て最も近くにあり、直接的に本人のエネルギーが漏れることをこの星は意味しています。現象としては本人の心に怒りが生じれば、怒りを、悲しければ悲しみをまったく遠慮なくダイレクトに表現することになります。欲しければ欲しいを我慢しません。常に心の風景(本人の意図する世界)と世間の風景を一つにしたい思いが強く、それゆえに理想家で潔癖、嘘を隠すことができず、秘密を守ることが苦手です。




妻財

正財偏在と言われている星になるのですが、日干から見ると我身が剋すことのできる星がこの星にあたります。それでは剋すとはどういうことでしょうか?剋すとは自分が相手を無条件に支配するという意味になります。それゆえ、財に対しては無防備に近づこうとする。

また支配したとき善悪を問わず自分の意のままになるもの、一方的に自分が楽しめるもの、もてあそべるものとなります。


官鬼

自分から見て官鬼は自分を剋す星になります。官鬼から見れば自分が支配できる星の意味になり妻財と真逆の立場になる。そして妻財と官鬼のベクトルは財が官鬼を直接生じる流れになっています。
               
印綬偏印

自分自身である日干を生じる星で、無条件に自分を生じています。自分に価値を与えるものの意味になります。もともとの印綬の由来は官位を得たものがその身分の証として与えられた印とそれを下げる組紐との説があるのですが、一般的には自分を助ける資格、技術、知恵、引き立ててくれる上司、世話を焼いてくれる親、先生、知恵などを指します。




比肩刧財

本人と同じ五行の星をあらわし、血縁、友人、同窓、同郷、同期とその人の立場により、その意味は変わり、外国にいれば、同じ日本人を比肩として見ることもあります。

これが通変星の姿ですが、それぞれの星はどのように流れ、動き、人生を形成していくのでしょうか?

若者たち

昨今暇に任せYouTubeを見ていたら石橋貴明の

「貴チャンネル」で「(天丼の海老)一本選手権」というのを

やっていた。上天丼の三本の海老の内2本を食べてしまい

尻尾だけは3本あるのだが、中身は1本。そのどんぶりの

蓋を開けた時の反応で優勝者を決めるという、実に馬鹿馬鹿しい企画。

ターゲットは某お笑い事務所の5人くらいの若手芸人さん。

それぞれ天丼を出された時は上機嫌なのだが、

蓋を開けた途端「オレのくいました?」と仕掛け人を睨みつける者が

後を絶たない。

仕掛け人は石橋貴明とマッコイの二人

そもそも天丼の金を出してもいないのに、

「オレの」の時点で、勘違いもいいところなのだが、さらに、

二人を睨み付けるのである。やられたら、笑いでやり返すというのが

お笑いの世界だと思うのだが、この子達、向いてないと

心底思う。機転が全く効かない。

俺の2本です。先輩のは大丈夫ですか。3本ありますか?

あるんですか。それじゃ、よかった。いただきます。と

食べるのが、多分正解だとおもう。

優勝者は一番穏便に食べていた子だった。

どの世界も礼儀知らずは結局消えていくような気がする。


ここしばらく我々は平和ボケと言われている。

ネットフリックスで「空母いぶき」という映画を見たのだが

わかりやすくそれが描かれていた。

しかし、

コロナ禍2年目、医療従事者が足りないという事情から

訓練課程を終えていない学生を卒業させ実践の場に

立たせるとの報道。

かつて飛行訓練を終えたばかりの少年兵を

片道分の燃料の飛行機に乗せ、出撃させた

日本軍と同じことをやっている。

全体主義を正義としてしまうことの危うさ。

我々の平和ボケの薄皮の下には全体主義の兆候が色濃く

あるのかもしれない。社会正義を主張している

ネット警察と言われる人達にこの傾向は顕著だが

潜在的には誰にでもあるのではないだろうか。

もちろん自分の中にもある。

(話は大きく逸れますが、生徒さんが面白いからと教えてくれ

見てしまったのですが、2チャンネル5チャンネルの掲示板の

罵詈雑言には震撼させられます。(本当に怖くて震えるのです。)

教養も学歴もあり本も出版している人?と予想される人達の使う

相手を傷つけるために特化した言葉は、さすがの

教養だと思い知らされます。反社の凌ぎよりも激しい。

すごい業界だな。危なかった「桑原桑原」と繰り返し退散しました。

ストレスが溜まった時のカタルシスとしては良いのかもしれませんが、

掲示板などは見るものではありません。)


新人の医療関係者の方達が後々、あの時は大変だった程度の

笑い話で終われると良いのだが。彼らの世話をやかねばならない、

先輩方の計り知れないご苦労を思うと1日も早い終息を願うばかりだ。


毎年この時期 成熟していない若者が世の中の

第一線で活躍することを余儀なくされる。

若者なりの純粋さと、壊れやすさ。

我々もそうだったし、いつの時代も変わらない。

ただ言えることは、

社会は成果をあげたものが正義で、人格の良し悪しとは

別物です。

だから成果を上げるための努力から始めることです。

そして、安定した人生を望むのなら人格を磨くことを

忘れてはいけません。個人的な関係を大事にし裏切らず

秘密を守り約束を守ることです。さらにできれば、

誤解されないように距離感を大事にして人に優しくしてください。

そうすれば、出会いの機会も自然に生まれ、必ずモテますよ。

鑑定論 2

鑑定論のもう一つは自分を見つめることです。

自分自身の良い面にも、悪い面にも真っ向から

身の回りに起きていること全てを含め、直面することです。

注意すべきことは「的外れの直面」であってはいけない。

霊障だとか、家の業だとか、生まれ育った環境だとか、

自力ではどうにもならないことについては除外し、

今自分ができること。

自分ができる可能性を見つめることです。

長所は伸ばし、短所は、直すのではなく切り替えていくこと。

その最善の方法として四柱推命学を私なりに工夫してきました。

それが「自分を知るための四柱推命入門講座」です。

鑑定を受けて、鑑定士に何かを言われるのではなく、

推命学自体を学び、なぜそのような現象が起きているのかの

原理を知った上で自分自身の四柱推命学的な判断を

自分自身で行っていく。つまり、自分で自分を鑑定するのです。

個人鑑定を受ける何倍もの説得力がここにはあり、

私は十数年の間、師匠の講義中に、これをやっていました。

幸い道半ばで終わること無く今に至り、その精華がこの講座です。

「初級教室」では、最初に入門講座と同じプリントを使い

概論を学んでいただき、さらに一歩を進め

推命学を汎用的に使う方法を学んでいただいています。

推命学を役に立てたいという方には力になれると思います。

 2021年 1月30日 鑑定論1

色々、千本以上コラムを書いてきましたが

おもうに、全て私が育んできた鑑定論です。

運勢鑑定を実践する上での心構えでありその軌跡です。

かなり厳しいことも書いています。

その骨格は単純で二つのテーマで書かれています。

一つは「自立」すること。依存すれば、相手次第の

人生になってしまうという警告。しかし、

それでも良いんだ、人生はそれぞれの幸福感で決まると

ある方に言われた時、正直、困惑しました。

そもそも現状への不満があるから、

こちらに相談に来ているはずなのですが.......。

面白いですよね。

本当に人というのは自己保存を第一に考えるもので、

自立するための労力と現状での苦労を天秤にかけ

現状の方が楽ならば現状を維持しようとするものなのです。

当たり前のことかもしれません。

かつて「翼をください」という歌がありましたが、

誰かから「授けてもらいたい」が前提なのです。



それぞれの環境の中で幸福を見つけることさえできれば

他人に何を言われようが、それでいいのだとおもう。

ここ数年、十善の行為について書くようになっていたのですが

それだけで良かったんだなと納得させられました。

2500年以上前から追及されてきた幸福に至る道ですが

2500年かけて、今に至るまで、どれだけの人達が

生き死にと喜怒哀楽の中で四苦八苦し、ここに

たどり着いたのか想いを馳せるばかりです。

十善の行為というのは正統な密教を含め仏教の粋の教えです。

人は自分の心の中でさえ、何かに操られている不自由な存在です。

(思考も嗜好もそうですね。へそ曲がりにダメンズなんてのは典型です。

それを個性と言ってしまえば、それまででですが一生それと付き合うことは、

結構、しんどいものです。)

「10個の基準値」をもって、自分の一日の言動や

思い悩みを見つめることで、心に大きな変化が

生まれるかもしれません。

後悔の少ない人生を送れれば、これに越したことはありませんね。

トレンド

昨日に引き続き

今朝FMラジオを流していたら「カブキ・チューン」という

番組をやっていて、歌舞伎の主役達はみなダメンズだとの話が

耳に入り、時代は変われど平凡な男は夫になれても働き蜂どまり。

誰かをドキドキさせてモテモテな男はやはり「ワル」かと納得。

尾上右近がパーソナリティでサラ・オレインさんがゲスト

清元の「間」の話から、リズムとは違うもの、均一なリズムは美しいが、

それだけでは心に刺さらないとの納得のいく話

そして、彼女から「これからは風の時代」との言葉、自分を学ぶこと等々

ファッションとロマンを売りにしている雑誌に掲載されている

西洋占星術情報をひとくだり。

???


トレンドカラーという言葉があり世界共通の

「年ごとの流行色」を話し合い「インターカラー」と言う団体が

決め、その情報を元に各国が色を決めています。

(「パントン」も独自のトレンドカラーを発表しています)

ファッション団体の便宜を図り2年前から色が決められるそうですが

トレンドカラーであろうが、なんだろうが、自分の好きな色を

好きなように使うのが「自由」だろうとも思う。

でもお商売の世界では、そうはいかないようです。




土の時代から風の時代というキャッチコピーは気持ちの良いものです。

問題は今に始まったことではありませんが、ファッション気分で

その手のことを喧伝する団体やセミナーに近づくと、

人生が大崩れすることがあるので注意してください。

徒党を組むとどんな団体も同じなのですが、

始めは楽しく、中では熟し、最後は腐っていくものです。

お気をつけください。

恋愛相談から   占いと運勢鑑定

最近FMラジを聴くようになり

先ほどNHKFMで青山テルマさんの恋愛相談コーナが流れていました。

ケース1、

13歳の女子 好きな人ができない。今はクラスの

可愛い同性のことが好き。告白した方がいいのでしょうか?

とのこと。

ケース2、

33歳女性 5人くらいと付き合ってきたが、

ろくなやつがいなかった。ダメンズばかりでもう恋をするのが怖い。

どうすればいいのか。

これだけの情報だけでは実に難しい相談です。

一般的には自分の体験や常識を基準に答えるしかありません。

これが占い師さんであれば得意の占術を使って吉凶を占うでしょう。


1のケースであれば告白した後の相手の気持ち、

その後の関係まで占える人がいるかもしれません。


2のケースの場合であれば、良い人との出会いが、いつ頃あるとか

(もしかしたら、どんな相手かとか)が占いの結果になり 

人生捨てたものではない頑張ってとか言って終わるかもしれません。

未来予想として使われ それなりの結果を出すのが「占い」の利点です。

易などの答えもこのような形で答えが出ます。

(ただ、相手が現れても見えていても見えない場合があるのが難点です)

それでは推命学でこれを見た場合どうなのでしょうか?

ケース1の場合 

13歳の年齢であればすでに本人の持って生まれた運勢が

動き出していて、この時期の環境と本人の嗜好の良悪が

将来の彼女の人生を決めてしまう大事な時期です。

(初中年期であれば運が悪い方に動いていたとしても、きっかけと

改善する努力は必要ですが諦めさえしなければ元に戻ります。)

命式に現れる、最終的に受け入れるパートナーの好み

自立のための準備と(適職の傾向)人生における頑張るべき時期の話をし

その上で、私なら易を立て行動の結果を判断し伝えるでしょう。




ケース2の場合 原命式から「心の癖」を把握した上で

33年間の運勢の流れを見、持って生まれそれぞれの星が

吉に動いているのか、凶として熟してきているのかを判断し

凶を選ぶ理由を見つけ「改善」するための提案をしていきます。

しかし「改善」というのは自己否定が土台になっている言葉で、

自分を嫌いになってしまっては元も子もありません。

ここで言う改善の意味は、「今までの自分を見つめること」で

今までは、ずるずると、なんとなく付き合ってきたけど

今までのなんとなく...のパターンから自由になってもいいんだ。

もっと自由に心を活動させること、

「過去の記憶や心の癖からの開放されること」という意味です。


そして自信の回復というのは、逃げている間はめったに回復できないもので

行動して小さな成功が一つ生まれれば、その分だけ回復していきます。



運勢鑑定というのは人の運や性情のあら探しをするものでは無く 

誰もが知らずに従っている心の癖からの解放の第一段階だと

私は考えています。



     

運を運を壊すもの2

最近入門された生徒さんには、この「なぜ」を

話しているのですが、これらのことを

私は推命の原理の研究と実践から気付かされました。

単純に言ってしまえば、

怒りは、さらに変化し、負の連鎖が体験として蓄積され、

人としてのコミュニケーション能力を著しく阻害していきます。

(このことに気づく時期が早ければ早いほど、上手に

これらの感情を放棄することができるようになります。

大人になってからでも、もちろん可能ですが、これらのことを

自覚できる方にだけ可能な話であり、時間はかかります。)


時とともに積み上げられたこれらの負の感情は、

その切っ掛けの出来事は忘れ去られても、

その人の性格の一部として付け足され、

その結果、極端な場合、愛情が欠落し、思いやりが欠落し、

共に楽しみ喜ぶ心が欠落し、公明正大さが消えていきます。

溢れるような喜びの街にいたとしても、心の荒みは癒されず、

その日1日をしのぐためだけに生きるような「孤独」に

苛まれることになりかねません。

ホームページの不具合について

先日、サイトの読者の方から

ホームページの不具合のご指摘をいただき

(ご指摘いただけなければ不義理を重ねるところでした本当に感謝いたします)

プロバイダーに問い合わせたところ このような返事をいただきました


ーご連絡頂きありがとうございます。

システム担当に確認したところ、SSLの不具合で、早急に対応いたしますとの事でした。

今暫く改善されるまでお待ち頂くようお願い致します。

以上宜しくお願い致します。ー


さらに本日、メールでの問い合わせの返信についても、

届いていないとのご指摘をいただき、

プロバイダーに先ほど連絡を入れたところです。


基本、全てのお問い合わせには3日以内に返信しています

こちらの返信が届いていない場合は、

メールシステムの不具合が原因だと思われます

大変申し訳ないのですが、何らかの連絡をこちらにされて、

返信がいまだに届いていない方があれば

大変申し訳ありません。

もし、いまだお問い合わせのご意思があるのであれば

お手数ですが以下のメールアドレスへ

もう一度お問い合わせください

cdmxg491@yahoo.co.jp

よろしくお願いいたします。


洗心庵 今野喜心

強く生きること

なんとも今年はいろいろなことがありそうです。

ホームページやメールの不具合等々 

考えさせられました。

それでも、

人は日々の生活を送らなければならない訳で

何が起ころうとも、今があり、それが続くのです。

ただ座して死を待つのも馬鹿馬鹿しい。

できれば、こころ満たされる 楽しい

生き方を選べるのがベストですが 

人生は そんな甘いものではありません。

せめて嫌いじゃない仕事で こき使われることを

理想としたいものです。

さて、まるで人生には夢がないような書き方をしていますが

我々が、よく見る夢の項目の最初に来るのが

「恋愛」かもしれません。人によっては「大金持ち」

最近少ないかもしれませんが「出世」等々

考えるだけで なんとなく楽しいのがこの「夢」です

中には変わり者がいて「真理」(女性の名前のマリではありません)

なんてものを夢に持つ人もいます

親の夢を子につけた例なのかもしれません

それを追う生き方ができれば幸せですね。

でも「恋愛」を一生の課題にするのは難しい。

最近は恋愛と結婚を分けて考える方も増えています

お正月 NHKの「チコちゃん」で 

イルミネーションと恋愛を関係させて

なんでカップルはイルミネーションを見に行くの?

を問うていましたが

答えとして幸せホルモンの幻惑現象としての

脳科学的な恋愛の解説をしていました

なんだかなーというのが正直なところです

人は誰もが装って生きています

しかし その本音の部分は 

自分の感情を逆撫ですることなく

上手に優しく愛して欲しいという自己保存の本能が

基盤となり それに重なるように欲しいものが欲しい

なりたい者になりたいという欲が

人生を前に動かす原動力になっていきます

そして中には早いうちからこれを放棄している人もいる

集団の軋轢の中での絶望とでも言いましょうか

その原因は個の「弱さ」です

争い事の絶えない荒れた家庭環境の中では

親父やめろよと強さを見せれば

殴り倒され不正義が暴力でまかり通ってしまう

そんな親達の人生の中で人格が育まれるわけですから

「夢や希望を持て」というのは酷な話です

正しいと言われていることも 理屈を言う大人も

信じられなくて当たり前です 

自分の無力さ、弱さを学ぶ機会だけがそこにある

人生の荒波を乗り切るような強さを習得する

機会が最初からありません。

それでは強さとは何か

「自分を信じやり遂げる力」と考えてみたらどうでしょうか

????と難しく考えても答えは出ません

人生は単純に考えたほうが本当の答えが見つかるものです

テレビや映画も漫画も主人公は自分を曲げません

やり遂げます。やり遂げた結果が「勝ち」ならば

読者は胸を撫で下ろしますが、負けても

捲土重来を期すものです これが強いということでしょう

誰もがそうありたい人が持つ理想の姿が漫画のヒーローの

姿です

生まれながらの環境が自分を歓迎しない環境だったとしても 

その環境のゴーストにいつまでも繋がっているのは損だと

思い直すことが違う選択肢を得るためのきっかけです

それがルフィーであったり キングダムの信たち漫画の主人公が

なしている人類への貢献です

自分の過去との関係を断絶するのはとても難しく

根気がいるものですが切れないことはありません

それも含め自分を強くするための最短な方法は 

自分を大事にしてくれるパートナーを探し

自分がされたかったように相手を大事にすることです 

言うのは簡単ですが実践は難しい なぜかと言えば

「大事にすること」が「束縛すること」に

あっという間に変わってしまうからです。

美味しいお菓子が誰かに取られるかもしれない

だから隠してしまえと社会人としての相手の立場を

消そうとまですることがある。

相手を縛って自分だけのものにしたいと思い始め

これこそが愛だと勘違いする 

当たり前ですが関係は壊れます

よく考えてください 

子供の時いちばん欲しかったのは親の愛情であり、

それは自分を「絶対」に信用してくれているという

確信です。子供に首輪をはめる親は人でなしです。

信用こそが愛情なのですよ。

(繊細な子供はそれが得られない時 親に捨てられたと認識し暴れ続けます。ここに原因のある親子が大きな事件として昨年来報道され続けています。)

自分が弱いと確信したら 誰かのために

その人のために その人がいるから強くなれるんだと

思える誰かを自分の中に生み出すことです。

パートナーがいないのであればエアーパートナーでも同じです

それが神様や仏様でも同じです 

考えてみれば人類に生まれたすべての宗教は

このために存在していたと考えれば

納得がいくのではないでしょうか


人は生まれながらにある程度の強弱が決まっています

強く生まれた人達は 自然に自分のために努力し

自分を曲げない強さを持っていますが

どこまで行っても「自分」が主なる関心事です。

それに対し

誰かのために生きることができたとしたら

人としては 弱く生まれた人のほうが

崇高な生き方を選べるものだと

私などは思うのですが如何なものでしょうか。

これからの世界

運勢の病を直すには、先ず本人がそれを自覚する事が

何よりも大事です。この世に起きる現象には

すべて原因がありその結果としての今がある

これは誰も否定出来ない事ですね。

親を選べない、生まれた国を選べない

というのもまた残酷な言い方ですが

そこにしか生まれることができなかった

と言う事になる。

けれども、生まれた後、その個人が

何を考え生きていくかは決められていません

これがカーストを否定したお釈迦様の考え方です。

人はその者が成す行いに依ってその人の姿が決まる

肩書きが名家のご子息であろうがドロボウをすれば

その人はドロボウだし国を売れば売国奴です

片親で子供の頃いじめられても志を持ち必死で生きれば、

人によっては大会社の社長にも、医者にもなれます。

実際に名を成している人もいます。

どこかで書いたマラソンランナーのように

過去の名声や才能だけでやってきた人との「必死」さの違いが

このような形で明確に現れ始めているのが今の世界であり

いわゆるグローバル化の流れです。弱肉強食の世界ですね

戦場がオープンになればなるほど、ルールが公平になればなるほど

強い相手が獲物を求めて参加して来る

戦後の日本人のような餓えた山犬のような貪欲さが今の日本に

あれば、もう一度「ジャパン アズ....」と言われるかも知れませんが

日本人の代表である政治の世界を見ると、頭でっかちのとっちゃン坊や

が、子供の喧嘩のようなことを毎日やっています。

たぶんローマに呑まれる前のギリシャや

帝政末期のローマはこんな感じだったのでしょう

志のないの政治家の息子達が国を滅ぼすのは必然です

毎月120万円の月給を払って彼等を雇うような会社はありません

政治家にしかなれない御曹司を担ぐ選挙民も苦しい選択でしょう

情けない話しです。是非、志がある確りした跡取り代議士だと胸をはって

言えるようその方達を厳しく教育して下さい、それも支持者の勤めです



牙を無くした山犬は狩りはできません。若者達は

男であろうが女であろうがご自身の牙を研いで下さい

剣を磨き盾を鍛えることです。

それが愛する者達を結局は救うことになります

多くの人がそうなれば一つの集団の運勢となり

多少の不運ならば吹っ飛んでくれます

もし貴方が国の中心にいる官僚だとしたら

バカな大臣が全部自分の手柄にしようとするなら

オマエはバカだ、能無しだと言ってあげて下さい

確実に悪いのはその男(女)です。

けれども、そのバカを使えないのは官僚たる

貴方に交渉力がないからであることも事実でしょう

これは仕分けのときに出ていた元官僚やお役人の

答弁を見ていれば明白です。

もっともっと賢くなって下さい。

身内に食われている人が外敵に食われないわけが無い

ご自身の牙を研ぐ事です

刃を研ぎ続け一生を終えたかつての侍の生き方ですが

潔い人生です。

行き着く先

私が長年断易と四柱推命を研究した結果は

結局「易」に行き着きました。

ただしそれは「周易」ではありません。

太極から生まれる万象の構造がそれにあたります。

断易を太極論で簡単に解説すると上卦と下卦が

陰陽にあたり、太極そのものになります。

そして、その他の構造が、占題により

切り取られた、その刹那の日月の「動き」になり、

答えの出るものには答えを、出ないものには

その過程を読み解く鍵を術者に与えます。

四柱推命は日干を太極とし元命式のその他の星々の

動きと「日干自体の陰陽の動き」を、大運、年運、月運との

力量による変化から推測していきます。

わかってしまえば、結局太極に帰納することに

なるようです。

逆に言えば、あらゆる運勢は平等なシステムから生まれているということになる。

どうこのシステムを使うか、嫌いや、その前に

このシステムに気づくかできるかが人生の分岐点になるのではないでしょうか。

補記

太極論で両義を同種の陰陽と書きましたが、この「同種」というのが

キーワードになります。同期(シンクロ)できる、同じ波長という

意味で、それが揃えば万象を生み出すことができるという理論なのですが

実は、あらゆることに当てはめることができる結構すごい理論なのです。

たとえばお経の話ですが、お経の持つ波長に人が同期できれば

そこにはお経の世界が形成されます。人に内在する如来蔵が

覚醒し慈愛に溢れた人格が生じる。

しかしお経を読むとき、あれが欲しい、これが欲しいと

お経の波長と全く異なった波長で読む側がいたとしたら

同期のドの字も生まれません。(シンクロのシの字のほうがいいかしら?)

まったくダメです。何も生まれません。ビルの陰になって

アンテナが使えない衛星放送のようなものです。

そこには太極が成立しないゆえに

経を読む人の自我によって生み出されるている、既にある

「我欲」の世界だけが成立しています。

わかりますね。

それを知ってなんの得があるのかと問う人があるかもしれません。

知らなければ、そのシステムの中でただ生きることになり、

知ったならば、それを改善する努力に気づきます。

これって大きな差だと私は思うのですが。いかがでしょうか?




使えない理論としての易の解釈は一般人にとっての相対性理論と同じです。

スピンオフ

ここ最近、通変星大論2を書いているのですが、

考えているうちに、なんとも

スピンオフ的なものが浮かんできて、

結構楽しんでいます。例えば、

人の脳は最高に使っている人でも

その3から5パーセント程度だとのことですが

その3から5パーセントが運勢の支配領域だとしたら

残りの95パーセント以上が本人の意思による

自由領域であり、持って生まれた「運勢」以上の可能性を、

誰もが秘めているはずなのに、何も知らずに、

死を迎えた場合結局95パーセント以上の可能性を無駄に

捨てていることになるのではないのか?

なんて、モッタイナイことなんだ。

いわんや自殺おや。

と言うことは、まてよ、それでは亡者というのは結局

自分を成長させる重要アイテムである

「脳」がないのだから、

結局、死んだ時点で肉体による、あらゆる成長は停止し、

その時点の記憶だけが残るということなのか?




人にとって死は絶対なものです。

そして、死についてはあまり情報がない。

これが宗教に弄(もてあそ)ばれる理由です。

後悔のない生を送る。

今の我々にできることは、ただこれだけでしょう。

困ったときは

図解でわかる新型コロナ 毎日新聞

厚生労働省 福祉 介護

行政と言うのは基本 国民に奉仕するためにあります。

必ず、何らかの救済法があるのですが、

仕組みが複雑というか、わかりにくいので忌避されているだけで

制度としては、救済の方法はそろっています。

諦めず、めんどくさがらず、追い詰められた時は

頼ることです。

いらぬプライドが一家心中や自殺を誘発している。

一時的な負けを認め撤退し、捲土重来を心に刻めば

また上がれます。

人生は糾える縄のごとしです。




 相談窓口

 いのちの電話相談

 0570-783-556=ナビダイヤル 午前10時から午後10時まで

 自殺予防「いのちの電話」

 0120-783-556(なやみこころ)=毎月10日(午前8時から〜11日午前8時)にフリーダイヤルの電話相談

 日本いのちの電話連盟はこちら(http://www.inochinodenwa.org/)

 全国のいのちの電話はこちら(http://www.inochinodenwa.org/lifeline.php)

 東京自殺防止センター(NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター)

 03-5286-9090=年中無休、午後8時〜午前2時半(毎週月曜日は午後10時半〜午前2時半、毎週火曜日は午後5時〜午前2時半 http://www.befrienders-jpn.org/)

愚痴

ご自分の人生を振り返り、「人に尽くしてばかりで誰にも感謝されない、

もう、こんな人生は嫌だ。」

こんな事を言う人が時々います。私の母親もこんな感じの人でした。

(うちの場合は私が親の言う事をまったく聞かず、

特別反抗していた訳でもないのですが、親の思う生き方と

真逆の生き方をしたことが原因でした。)

適齢期が過ぎかけた娘の見合い相手をあちこちの紹介所をつかって

必死で探し、なんとか相手を見つけ結婚させたいと思っているのに

まったく言う事を聞かず、見合いなんてまっぴら、

余計なお世話と言われ、

落ち込みながら愚痴っている人もよくいます。

御主人に内助の功をつくしても

ありがとうの一言もなく、苦労しているのは自分だけだと

涙を流している方もやはりいます

よくある話です。

そして、それぞれに共通する、いくつかの特徴があります

それは、それぞれ愚痴っている方達の星の力が平均的なものより

はるかに強く、その結果として努力を厭わず、困難を切り抜け、

人の上に立っていたり学業や仕事で手を抜く事をしなかった人達で

本人達は否定するかもしれませんが、野心家で自分のイメージを

とても大事にする人達です。

そして自分の野心を、子供や、御主人や、血縁の出世に託し

そのために世話をやいたり、面倒を見たり、お金を出したり

積極的に自分に出来る限りの努力をします。

(この点が一般的な人と違う所で、一般的にはイヤイヤ努力を強いられることになります)

その結果、それぞれが一人前になった時

苦労を忘れ、社会人として自我が芽生えたり、周りから、ちやほやされたりすると

今までなら、有り難かった女房(母)のお世話が、余計なお世話に転換します。

自営業などで、どうにもならなかった経営を、必死になった奥さんの強運で立て直し

やっと順調になり始めた途端、御主人が勝手を始めるのも同じような理由です

御主人にとっては奥さんの強い運が、うっとうしくなって来る。

とても愚かな御主人ですが、星の力の何たるかを知らない人には理解し難いものです

しかし、こういうふうにも言えます。

「貴女が人に尽くすことにより、貴女は最も良い人生を歩んでいる」と

もし強い星が暴走すれば、メチャクチャな人生です。

怖いもの知らずで、努力を厭わない人です。

自分の欲のためだけに生きれば、太く、短い傷だらけで、

他人からも恨まれなければならない、刹那的な生き方で

孤独な晩年が約束されている人生です

結婚でき御主人が変わっていないのなら感謝して下さい。

本来なら御主人と死に別れ生き別れの運勢です。

(私の母は死に別れました)

「自分を最優先させたい」のが

そうゆうかたの腹の底にあるものです。

それが、自分の思い通りにならなかった時、出てくる台詞が

最初の台詞です。

子供は素直で純粋です、すぐに母親の心の底にあるものを見抜きます

特に女子にはその傾向があり、複雑です。

もしこの台詞を吐いている自分がいるとしたら、今ある幸福に感謝し

自分の中にある理想像と現実を比べる事をストップして

無い物ねだりをやめることが、この愚痴から解放される一番の処方箋です

上ばかりを目指すのではなく

自分の人生を受け入れ、この人生に感謝することも

時々は必要なことなのかもしれませんね。







運を壊すもの

怒って何が悪い、傲慢で何が悪い。

執着は執着。欲しいのだから仕方ないじゃない。

そいつを見るだけで憎らしい。妬ましい。

こいつとは絶対一緒にいたくない。これって普通でしょ。

何やらこんなセリフが聞こえてきますね。

実に普通の心の会話です。私もそう思います。

でも、もう少しだけ先を見てみましょう。

怒りを日常にしている人は滅多にいないようですが、

子供の頃から、いじめにさらされている人、

最初は親次に同級生、同僚等、常に対人関係に

理不尽な問題の起きやすい人が少なからずいます。

「怒り」、そして「救い」を求め、いつの間にか

救いを求めることを諦めてしまい、ただ怒りだけが残る。

怒りが恒常的になると自然に他人に対する愛情が失われていく。

救いを求めても求められないものと刷り込まれ、求めることすら

諦め、ただ自分の目線より弱いものに、自分がされたことをし

憂さを晴らし心の平静を保っている。仁愛の感情を失ってしまう。

夫婦問題でも怒りが恒常的になった時点で愛は消えています。

ただ、一度甘美な愛情を味わったしまった人たちは、

別の「愛」に執着し始めます。


傲慢というのは自分の優位性におごった姿であり、

他を見下し、自分が優れていると誇る姿です。

歪(いびつ)な優越感とでもいいましょうか。

私の記憶に刻みつけられているのですが、

「日本の大震災をお祝いします」というメッセージを掲げた

サッカーのサポーターがお隣の国にいましたが、

この時ぞとばかりの姿に、ただ、ひでー国だと

憤りとともに、この国の底知れぬ闇の深さに震撼させられました。

他国への移住者の多いのにも納得されます。

傲慢さというのは、わかりにくい感情ですが

一時の優位性故に自分だけ良ければ(安全であれば)いいんだという

利己心人から他の人達への親近感が欠落してしまい、

他人の痛みをあざ笑うようなこともしでかします。

あいつ、また失敗したと、笑った経験をお持ちの方も

多いのではないのでしょうか。


次は執着ですが、何かに執着し始めると、

必ず起きることがあります。それは、

執着する対象以外を楽しめなくなることです。

恋愛小説風に言えば、彼のことを考えると

どんな美味しいものを食べても、味がしないの......。

昨日までの景色がセピア色に見える。

ただ彼だけが輝いて見えるの。

三文小説よりも酷い表現ですが、事象の証明には

なっていると思います。

この極端な例がストーカーですね。

時には自分の命までかけ執念深く追いかける。

その代償として日常の多くの「喜び」を失うことになります。


嫉妬も同じようなものです。

対象に嫉妬している間は、自分の中の劣等感から

絶対に逃れられない。

中学生の時の親友が、進路の選択から妬みの対象に見えてしまう。

就職、結婚、マンション、出世、あらゆる比較対象の中で

それが生まれています。関係が親しければ親しいほど

それが生じやすく、嫉妬の癖が身についてしまうと、

今度は自分が優越感を持てる相手が現れた時

本人の傲慢さに火がつきます。




これらのことは誰の心の中にも起きている日常の風景です。

ただ、運が良い人達は、それぞれの感情が生まれても

そこから降りることが割と素早くできる。

それに比べ「運の強い人」は、ドップリ、これにはまりやすく、

「運が弱い人」はさらに自己否定に陥りやすい。

なぜでしょうか?

名前鑑定

つい先ほど「名前の鑑定していますか?」と

連絡があったのですが、つい「やってません。」と

(もうちょっと丁寧に答えています)

答え電話を切ってしまったのですが、

今、思い出しました。即答できなくてすみません。

ホームページの相談項目に名前の無料鑑定サイトを紹介しています。

また、そちらに飛ぶのは

めんどくさいでしょうからこちらに貼っておきます。

姓名判断無料鑑定

こちらにある「山本式」を推薦いたします。


言霊のサキワウ良い名をつけてあげてください。

これから生まれてくる子供達が喜びと安心を享受できますように。

ただ祈るばかりです。

親子3

誰でもそうなのですが子供(幼児)時代、

親は世界(宇宙)の全てです。

命あるものはそれを守るために、あらゆる手段を尽くします。

体が感じる不快さは、あきらかに、危険信号として

本人に、それを回避することを命じ。

蟻も猫も犬も鳥も人も同じです。

手足が自由に効くなら、逃げ、戦い、吠え、威嚇し

身を守ろうとしますが、それができなければ、

声が出せれば泣き叫び、誰とも言えぬ助けを

呼び続ける。

子供の時は、それが唯一自分を守る

抵抗手段になります。

大人は、そのことをよく知っています。

自分も、その経験者だからですね。

けれども、それに気づいていても、

気づかないふりをします。

なぜか?

自分も苦しいからです。

大人なのに苦しい。

そして、実に不思議なのですが、

疲れているんだ、お前より、自分の方が苦しいんだ。と

心のどこかで嘯(うそぶ)く。

こんなところから、いろいろな「種」が生じてきます。

お経の話2

自我偈を長い間あげ続けて下さった方から便りがありました

お経とともに精神世界に目覚めご本人の努力により

見違えるようになった方です。もうだ丈夫だと思います。

その方へは自我偈と一緒に観音経を読む事をお勧めしました

作法についてお尋ねになられ、それに対しての私の答えです


特に作法はありません。

観音経には観音様の誓願が書かれていて、普通は第二十五偈を観音経としてお唱えするのですが、本文の観音経もネットにでているのでそちらも一読しておいて下さい。


大事な事は、もし、自分が観音様だったろどうだろう?と常に考える事です。

苦しんでいる人が自分の名を呼ぶまで、自分は待てるか?
名を呼ばれた時、誰に対しても差別なく自分はその人を救えるか?
どうやって自分はその人を救えるか?
その人にとって根本的な救いとは何か?

精神世界に足を踏み入れた人は自分の生き方として考えなければ ならない事が観音経には書かれています。それゆえに人を成長させる力があるお経になっています。
これらのことを深く考えてみて下さい。


今野喜心



救われる立場の人が、救われたら、今度は逆の立ち場に立たなければなりません

なぜなら、それをしなければ、

人としては当たり前の事ですが、

楽と欲を求めるようになるからです。

苦労が終わった!楽になった!じゃ、これから何をしよう?

苦しかった分、楽しい事でもイッパイさがすか!

これでは「必ず」もとの苦しみの世界に後戻りする事になります

ここからは合理的に考える必要があります

何があったから苦が生じたのか?

なぜ、自分は苦の中に落ちたのか?

どうしたら苦から逃れられたのか?

ここからが本当の修行で、般若経の「空」を学び縁起を考え

菩薩の行為である六波羅密の行いを日々の生活に取り入れ

生きていることに意義をもつことです。

だれかに与えられた生きる意味ではなく

自分で選んだ生きる意義をもつ事

これがこの世の中に生まれてきた本当の意味です

ここまで来たら、私は「先生」ではなく「友人」です。

毎日、泣きそうになりながらも頑張って

歩んでいる同じ一人の人間です。

一緒に頑張れると良いですね。

太極論と推命

四柱推命には興味があるが易には興味がないという人が

多いのですが、実は私の太極論は四柱推命から

想起された理論です。

人には人生という流れがあり、機と縁によっていくらでも

変わるという「変易」の本当の意味が理解できたつもりでいます。

「変えられぬ運命を知ってどうする。

変えられるから学ぶ価値があるんだ」と言う、

師匠の言葉が完全に腑に落ちました。

運勢の表面を浅く触れる程度の鑑定法では

絶対に行き着けない境地です。

もし、その境地を望むのであれば、総合的に

人を観る力を養うことが不可欠なのですが

それを身につけた先生から学ぶのが一番の近道です。

よい先生と出会ってください。

問題は、どうすればよい先生と出会えるのか?ですが、

私説太極論からいうと、どの先生を選ぶかは、

実は、すでに決まっています。本人がどのような動機で

運勢の勉強をしたいのか?それによって縁が生じてくる。

実に、自分の動機にふさわしい先生としか出会えない。

また、縁が生じても、条件が合わなければ縁はむすばれません。

難しいところですね。

本当にこの辺は面白くて、私のところにも、

だいぶ前の話になりますが、

ご近所に毎週来る用があるので、先生のところが条件にピッタリ

あったので来ました。というかたがいらっしゃいました。

また、

面接をした上、初回の講義の予約をしていったにもかかわらず

同門のもう少し便利で安い先生を見つけたので、そちらに

行きます。先生に言われたことは忘れません。

と断りのメールを入れてくれた方もいます。

私は、これはこれでいいのだと思います。

結局、これは私自身の「界」が生じた、できごとで、

なにがしかの修正が必要であることの証なのです。

人生は一瞬一瞬の積み重ねです。そして間違いなく

その結果が生じてしまう世界なのです。

そして、トラブルは気づきのためのチャンスです。

今のままが良いのであれば、今のままで良いと思います。

日々、大事に生きましょうね。

未来

ウイルスについては色々思うことがあるのですが

(根拠は断易で得た得卦ですから科学的な根拠はありません。)

学者の方達がテレビで

怖がることのないウイルスという言葉を発しているのを聞いて

40年前 帝京大学医学部の教授が

エイズウイルスは感染性が極めて弱く

怖がることは無いとテレビでヘラヘラ笑いながら

言っていたのを思い出しました。

(B型肝炎の100分の1 C型肝炎の10分の1らしい)

トランスジェンダーなどという言葉が

世の中に知られていない時代で

同性間の恋愛を倒錯性癖と蔑んでいた時代です。

時代を許容できない頑固な権威主義の

年寄りは第一線から引くべきですが

次のリーダー性を発揮しなければならない

還暦前後の管理職世代は当時流行の三無主義に

骨まで毒された、多くは無責任を標榜する腰抜け世代です

30代40代の就職氷河期をたくましく

生き抜いてきた世代がスクラムを組んで

(一部三無主義世代に毒されマニュアル主義に落ちている方も散見されるのは残念なところです)

戦うしかこの国の未来はありません。

責任放棄世代が得意な目先のお金の流れに忖度するのではなく

未来の豊かさを目指すグランドデザインを描ける 

夢のある集団が現れれば素敵だと思います

頭が偏る一企業では難しいかもしれません。

夢のある、地に足のついた人達が連携できる日が

遠からず来るような気がします。

「真理は在野にあり」とは言いますが

国の後押しがあればさらに進みます。

明るい未来を描くのは楽しいものです。

善でも悪でも 人の心に描かれた未来は

必ず実現するものです。

誤解の無いように書いておきますが、

それを実現するのは、その本人とは限りません。

この辺りに人の持つ神秘があるのかもしれません。

(スピリチュアル系の人は誰も言っていないことです。2020年2月24日)

追記

2月25日17時35分 上記の記事を書いた翌日に書いています

ニューズウイーク

どうすれば この国は良くなるのでしょうか?

短絡的な思考と感情に任せた行動は暴動になりますが、

自分の頭で考えることを放棄してしまうと、今そこにある危機の

餌食にされてしまうのも事実です。

自分を知る方法

自分を知ることが大事と 何度も書いてきました

四柱推命等運勢鑑定の知識が ある人も

ない人でも 自分を知る方法はあります

それは 

自分が出会う方たち 特に子供や親には

自分の中にある一番見たくないものが

潜んでいると「認めてしまう」ことです。

難しいことかもしれませんが できないことでもない

そして長短合わせて学び 

短所は改善し長所は成長させていけば良い

自分を変えられるのは自分以外にはありません


少し運命学の知識のある人ならば

自分の持つ星を 知り合いが持っていたとしたら

その人の中にも自分と同じ 

運勢の傾向を示す因子があると認識することです

嫌な奴であれば 嫌な奴であるほど

自分に取っての強烈な反面教師だと

嫌々でも感謝できれば あなたが組織人であれば

少しは気が晴れるというものです



推命学を教えていて面白いなと思うのですが

学理を学んでも それを 自分とは関係ない  

他人事と思っている方が時々います

ああ、これが普通なのだなとも思うのですが

彼らが もしも誰かに鑑定を依頼された時

苦労するだろうと予想され 最近はその辺りを

結構しつこく教えたり 書いたりしていますが

理解されているはずだと 信じたいところです

人は生理的だけでなく 精神的にも成長できる

生物です 

しかし「鑑定」の意味は 物の良し悪しを

判断することが本筋です

人が人を鑑定するなどということは

本来あるべきことではありません

ただ

自己の現状を知り 短所を改め長所を伸ばし

世に貢献することを願う人達にとっては 

日々の自分を写し身を正す鏡が必要であり

それこそが四柱推命術であると解釈するのが 

自然なのではないでしょうか

先達が磨いてきた心を映す鏡です

文字通りの弱肉強食の時代

皇帝に仕え国の命運を担うべく極限の状況に置かれた

士大夫階級の貴族達の間に密かに伝えられたという

歴史的な流れからもそれは判断できます

自己を律する教え 学問という意味では

間違いなく儒教的な色合いが ここにはあります

多分 これが一番正しい本来の四柱推命の用い方だと

私は思っています

それがいつからか 色々な混ぜ物が 入り交じった 

糊口を注ぐための処世の術として

現代に伝えられて来たのだと思うのです

それを再編纂され 本来の姿に戻したのが

泰山流の先達方であり緒方先生だと

私は認識しております 

繰り返しますが 自身の精神の成長を

眼目とする術であることを なおざりにしてはいけません

「当たりゃーいいんだ」というのであれば

この術の持つ本当の価値の一割も生かして

いないことになります

少し視点を変えてお話しすれば

鑑定を受けに来る人もまた 自分と同じように

この術により精神的な成長を遂げる可能性があるのです

それが「運勢の幅(はば)」の意味になります

宿命的な神殺で暗示を与え その人の成長を

止めるようなことは 本末転倒であり

本当に罪深い鑑定です このことを

肝に命じて欲しいと 思う 今日この頃です

無題 3月12日 2020年

ネガテイブな記事ばかりです。

株の下落が続きマスコミは陰陰滅々し

記事のコメント欄では罵声と怒号が渦巻いています。

でも、

面白いもので家の前では今日も子供たちが

陽気に声を上げ、走り回る足音は元気に溢れている。

大人達はパニックを起こしかけ、マスコミは、虎視淡々と、

そのての事件を待ち望み飯の種にしようとしている。

それ見たことかと野党の先生あたりがカメラの前で

凄(すご)むんでしょうね。

時代の潮目です。

しょうがないと言えば、しょうがないのですが、

ただ、言えることは

世の中の全ては「縁によって生じ縁によって壊れる」ものです。

何かが起きるまでは何も起きません。

変わろうと意図しない限りは、なにも変わりません。

感染がウイルスによって生じるのであれば、

ウイルスに近寄らなければ何も起きません。

手を洗うこと、目をこすらないこと、鼻を触らないこと

素手でハンバーグを食べない、おにぎりを食べない、

手洗い無しでおやつを食べないこと。

コンタクトはしばらくお休みにして

メガネで目からの侵入を多少なりとも

カバーすること、必要以外のものには触れないこと。

外回りの人にできることはこのくらいでしょうか。

飛沫感染に関しては花粉症の予防と同程度の装備ぐらいしか

考えられませんが、結構これが他国との違いなのかもしれません。

一日も早い感染の終息を祈るのみです。


人は慈愛に涵養されることによって豊かになり、

言葉と暴力によって壊れ荒み、自他を傷つけ始め

孤独に苛まれるものです。

人は皆 肉体という生を受け「時という縁」の中で老い、

やがて確実に加齢とともに病が生じ死に至ります。

この点は実に平等でビルゲイツもザッカーバーグも

生あるものたちは犬も猫もカラスも変わりません。

大人になるまでは、どうにもならない環境や親と

いなければならない人も多いと思います。

しかし、嫌悪する親元から離れ、自立さえできれば

自分の人生を自分で選べる機会は果てしなく

広がるものです。

自助努力に負けないでください。

良いご縁を自らに課してください。

これを難しく考えてはいけません。

ただ、自分の顔見知りの人が傷つかないでほしい

友達や知り合いを大事にしたいと思うことだけです。

ここから他人に対する寛容さと忍耐力が

少しづつ養われます。

自分の周りは敵だらけという人もいると思います

その時はどうして敵が多いのかな?と

自分の立場からと相手の立場から詳細に検討してみることです。

大事なのは相手の立場になってみることです。

己を知り、敵を知ることです。

大人としての人生の春を迎える人達

自分の居場所を見つけたら、粘り強く根を張り

それを維持し続ければ必ず花が咲きます。

しっかり学び、ガッチリ稼いでください。

判決を聞いて

新幹線殺人の判決が下されましたが

犯人にとって

刑務所は 言われたことだけを守れば 

誰からもいじめられず 

世の中のどこよりも安全が保証され

一生自分の面倒を見てくれる

安心できる場所と考えて犯罪に至ったようです

年金制度が途絶えるのを恐れ 親の死を隠す人たちと

どこか似ている

動物の本来の姿は自己保存にあり 

その手段としては いかに労力を少なくして

食べものにありつくかにあり

自由を 楽しめる人にとっては 

刑務所は地獄かもしれませんが

「そうでない人」にとっては 

世間こそが 地獄です

ここ数年 このコラムにも書いてきましたが

身内同士の犯罪が増えている 減ることは

今のままでは 考えられません そして

これは食うに困って犯すものとは違い

近くにさえいなければ起きなかったはずの犯罪です


自ら隔離されることを望む人たちの数が

年々増えているように思えてなりません

彼ら個々の安全が確保され 生産行為がなされる

シェルターのようなものが犯罪を減らす

ことになるやもしれません。

経済の失策や 移民政策による

厳しいストレス下にある多くの人々が  

自由の「不自由」さに 無意識的に気づき始め 

自分達の考え方の拠り所となる  

民族主義 政治主義のような全体主義的なものから

弱肉強食的な弱い奴がダメなんだという

傲慢な個々の優越主義 文字通りの選民主義的なものまで 

ある種の「思想」に 勢いよく傾斜し始めているのが

ここ数年の世界の趨勢です

それに対する反勢力も現れ 今のところは

拮抗しているようですが 何にしても

先立つものは経済であり 花より団子を

提供できるのかどうかに国の命運がかかっている

(中国は 実に明確にそれをやってのけています。

 個別のプライドに拘泥したイギリスはこの先

 多分 中国に呑まれるかもしれません。)

本当に難しい舵取りが政治家先生方には 

求められているはずなのですが  

国会議員にまで出世して 今を「謳歌」している

先生方が 現実と一番遠いところにいるようです

多くは親の地盤からの出世ですが 地元の方は

日本人としての

「矜恃」を忘れてしまったのでしょうか

「恥」は理屈では説明できない概念ですが

罪を犯したこの犯罪者にも その「恥る心」が

なかったことを 誰も否定できない

「自分(達の先生)さえ良ければ」の極みです

 

8月7日

管理サイトのパスワードを変更いたしました。

現役の研究科の方はメールにてお問い合わせください。

本日が立秋です。暑さは凄まじいですが、

金水の現象が起きやすくなります。

浅瀬や穏やかな流れに見えても

海、川での水遊びには厳重に注意してください。




すでに亡くなっている方もいます。

「川遊びに行ってくる」と子供さんが言ったら

「一緒に遊ぼう」と親御さんが言ってください。

「ダメ」といえば、子供は黙って行ってしまいます。

座間事件

命式研究に座間事件の容疑者のものをあげておきました。

生徒さん達にとっては最初の入門講座で学んだ、

一番の基本原則の実例だと理解してもらえると思います。

入門講座の内容は、実に単純で明解ですが、最重要な内容を

教えています。そして、このように紛れもない実例があるのです。

「自分を知る講座」についても、同様です。


最近の傾向なのでしょうか、親族に関係するものと、

SNSで引き寄せられてしまった犠牲者達が多く、

すでにプロの鑑定家として立っている方も、

身近な大事な人達からの相談に真摯に応えたいと思い

推命を学んでいる生徒さんも、

自分が相談された時、迷わないよう、しっかり備えてください。

推命学の価値

前回の続きになります

犯罪者が犯罪を成し遂げたとき幸福なのか?

その通りだとは思います。

理屈で考えれば、その通りなのですが、

これを許容することは許されません。

自身の「感情」で納得いかないことに対し

多くの方は理屈でものを考えようとする。

毎日 殺人事件が起きている。なぜ?

紛争地域で殺し合いをしている、なぜ?

だって戦争だからでしょ。

何かの因果関係で被害者加害者になったんでしょ。

時には、身から出た錆だよ、結局。

等々。理屈によって殺人を承認してしまっている。

インテリジェンスの高い人ほど、この傾向があります。

私の知っている最高のインテリジェンスの持ち主は

お釈迦さまなのですが、実はこのかたも

同じように、業だから仕方ないとおっしゃっている。

釈迦族の最後

酷い話です。

私が宗教的なものを嫌う理由もここにあります。

結局、加害者も被害者も滅んでしまい、

その因縁譚をされても、誰の利益になると言うのでしょうか。

犯罪者を知るということは、彼の成した罪の原因を知り

同様な環境にいる者を犯罪から防ぐためになすべき行いです。

現状、幸福を享受している方々は、命の儚さを

実体験としてお持ちでない方が多いと思います。

そんな奴自分の周りにはいない、

こんなこと聞きたくもないという、災害被害者の方達も

多いと思います。けれども自然災害以外でも

人の幸せなんてものは、手のひらからこぼれ落ちるように

はかなく、脆いものなのですが、それに気づいていない人が

なんと多いことか。

まずは、自分の生活を守ることが肝要です。

社会はストレスに満ちている。

それに晒された心の現象が不安と絶望で、さらに怒り化していく。

けれど、その姿を明確にし、対処し、手放すことができれば

だいぶ楽になるものです。


推命学には幸福論がないと先に書きましたが、

伝統派の方達は、三貴と言って 

正官、正財、正印の3つの星を

貴い星とし、素晴らしい星だと大抵の本には書いあります。

地位、名誉、権威と財産、学力、知性となります。

中国では隋の時代より1300年以上にわたり貴族以外の

一般市民は科挙により出世が決まりました。

当然、運勢見の人達はこの三つの星を鑑定の根拠とし

固執してきたわけです。

けれども、これは幸福論とは違う。

最近も、

世の中に名前を知られ(官)、女性にもモテお金も(財)、

学歴もあり知性の高さも評価され(印)、知らない者から見ると、

何一つ不自由のない人生を送っているはずの人が

(命式のどうのこうのではなく、現実にそれを手にした人という意味です)

多幸感を味わう為の麻薬に手を出し、捕まりました。

薬無しでは人生を送れなかったのでしょう。

人が独りぼっちになった時、お金や名誉や地位はあまり

役には立ちません。孤独を紛らわすための快楽は

その感覚がある間だけしか満たしてくれません。

お釈迦さんが「お坊さんは不幸だね、

俺にはこんなに素晴らしい家族がいる、

お前さんは一人ぽっち。なんてかわいそうなんだ。」と

どこかのオヤジに嫌味を言われた時

「自分は何て幸せんだ、家族に煩わされることもなく、

この先、裏切られることもない。」と返したそうです。

本人の一番大事だと思い込んでいるものこそが

苦しみの最大の原因に移り変わるという真理です。

大した額でもないのに、兄弟が親の財産を争うなんて話は

山ほどあります。衣食住が足りているにもかかわらず、

蝶よ花よと可愛がっていた娘が問題を起こし

一家離散した家族、最愛の夫に裏切られた妻

妻に裏切られた夫等々 生活に困らない

官 財 印が完備している方達の不幸話は尽きません。

やはり、推命学自体には幸福論はないのです。

自分自身で探さなければなりません。

それでは推命学の価値とは何なのでしょうか。

今、私にわかるのは 自分の人生と対話が可能になり

起きた不幸や、悲劇を「運」のせいにする必要もなく

受け入れ、その時の轍を踏まぬよう注意、回避し

今できる最適な生き方を模索できるようになることでしょうか。

さらに、

人のもつパターン化した心の動きを詳細に解説することも可能です

また、苦しみの原因を指摘し、改善策を提案することもできると

思います。しかし、その結果が幸福感につながるのかは

別の話で、異性が欲しくて堪らない人には

当たり前ですが、制御すること自体が苦しみになる。

中には他人を虐めたくて仕方のない人もいるのです。

十善の理を説きますが、本人は苦しいと思います。

思うのですが、我々は社会生活をすることで色々な

喜びや、楽しみを見出し、机に座って生活する人でも

自分の成した仕事の結果に対しては一喜一憂するもので

その仕事の結果を評価するのは結局他人なのです。

他人との関係性というのが結局は一番の基盤なのだと

思うのです。そして社会に出て仕事をするというのは

否が応でも他人と触れ合うことになり、

時にキツイ、修行の場なのだと思うのです。

その他人との関係を自他円満な共存共栄の関係に

することができれば、孤立することは減るのではないでしょうか。

その方法を提案することが現代の推命学の課題だと私は

思っています。


普段の生活でも結局 孤立が闇を運んでくるもので、

人と言葉を交わす事がとても大事なことであり、

孤立している人の多くが言葉に対し

ものすごく繊細になっていることを忘れてはいけません。

お互いを尊重した言葉を使うこと、自分が使われたくない言葉は

相手に使わないことが、とても大事なことですね。

9月1日 慈眼庵(じゅげむ庵)開設

一昨日はミンミンゼミとツクツクボウシが一緒に鳴いていました。

日々秋めいてはきましたが、蒸し暑い日が続きます。

体調がなかなか安定しませんね。

昨日麻生副総理が日本でも戦争が起きる可能性に言及したと

報道がありましたが、言わずもがなだと思います。

ここ数年で日本で戦争が起きるかを占ってみると

申月丁巳日(子丑空)沢火革 変 水火既済

東北 西南に官鬼が回るのですが、現状、

その力は弱くすぐに争うということは無いようです。

東北をロシアとすると割と本気で狙っているようです。

半島の北とタッグを組む可能性があるので要注意です。

西南は尖閣諸島、ここのイザコザは当分収まらないようです。

世爻には兄弟がつき経済的には応爻の子孫を生じる形で

安全を得るため、なんやかやと他国の援助に

大金が費やされるようです。ただ、結果的に自国の経済を

潤す元になるようです。この通りであれば良いのですが。

多少気になるのが、軍産経済で、いいのか悪いのかの是非が

問われることに成るやもしれません。

武器輸出三原則







9月2日(改訂)

よろず相談開催中 「慈眼庵」じげんあんと読みますが、

観音さんの本地は阿弥陀様で、無量寿如来とも称されるのですが

落語の「じゅげむ」の寿限無がこの仏様のお経から来ていると

思われるので「じゅげむ庵」と覚えていただければ幸いです。

全て今野喜心本人が丁寧にお答えしています。

私もまた、自分を消えてしまえと時々思っている類の人間です。

だからと言って未だこの世に生きている。それで良いと思っています。

他人にそれを決められてたまるかとも思っている。

自分の人生を焦る必要はありません。なぜかというと

必ず死は迎えにくる。だから無理することなく生きればいい。

人生の途中下車は、残念ですが逃げであり、

推命学の流動の立場からいうと、再び、必ず訪れる苦悩として再現する。

だから死ぬ気で頑張るしかありません。我々には逃げ場が無い。

苦しいのが当たり前。だからこそ自由を楽しみ、課題を越える。

ここに気付き、気付いたのであれば自由を謳歌する。

そして戦い続ける。これで良いのでは無いのでしょうか。




私は10代後半から20代半ばまで観音様に何度か助けられた経験があり、

自分への戒めを込めて、こちらのコーナーを「慈眼庵」と名付けました。。

どんな相談にも腹を立てずに答えようと決めました。

ここが、私にとっての永劫回帰の到達点なのかもしれません。

もしそうなら、もっと早くできたはずなのに、こんなにも時間がかかってしまい、

今に至った。時期というのは不思議なものです。

世間のお役に立てれば幸いなのですが........。


読み返して霊能者化かと誤解されるような記述があるのですが

出会った人たちが男性も女性も不思議と観音様とご縁がある人達だったのです。

観音様は観音三十三応身と言われるほど

姿を変えて我々を救済されると言われていて、時には

動物に身を変え我々を救済するとされています。

事実はどうあれ、無償の愛を与えてくれた人、

厳しい諫言を与えてくれる人、大事な家族としてのペットを

観音さんだと思えれば、だいぶ心は清々しくなるのでは無いでしょうか。

これを観音さんに失礼だなどという原理主義の方達もいると思いますが

仏は心に宿るものだと私は信じています。

世の中

世の中は愛に満ちています

ほんと?

本当です。自己愛に満ちています

自分の欲望を満たす事。

この一語に尽きます

けれども欲望に、家の名誉とか

家族に恥をかけてはいけないとか

自分が所属するグループのため等と

あらかじめ自分の生き方に形を与え、

それを守る事を自己愛の一部にしたなら

とんでもない力を発揮する事ができます。

運勢を変える事さえできるのです

かつての武士の生き方がこれですね

人は自分個人を守る気持ちはあまり

強くはないのですが

誰か、身近な人、所属しているグループを守ろうとするとき

とても大きな力を出すものです

極端なことを言えば国のために人を殺し家族のために人を殺めます。

戦争がそうですね。皮肉な事ですが、

戦場は、最も愛に満ちあふれている者同志が殺し合っている場所です

誰もが最初は愛に溢れ、やがて自分や仲間が傷つけられるとともに

いつの間にか怒りと恐怖に満たされてしまう

戦争での愛の変化は誰もが理解出来る姿ですが

我々の日常でも同じような事が起きています。

自分を愛する故の歯止めの利かない恋愛

すべてが自己愛の様々のバリエーションで現実に起きていることです


「自由」教育は、根っから強い人間にはとても有効です。

アメリカのようなチャンスで生きる国には最適ですが

そんな特別な人間はあまりいません。

自分を大事にする生き方を親御さんは教えてあげて下さい

強く生きさせるためには自分の欲望をカット出来るくらいの

できるだけ大きなもののために生きる事を教える事です。

難しい事はありません。

新規募集

11月から新規の生徒さんの募集を予定しています。

推命に興味をお持ちの方は是非ご応募下さい。

でも、世の中いくらでも推命教室はあるし、

四柱推命って皆同じじゃないの?なぜわざわざ洗心庵の推命?

ごもっともな質問です。

一つには私が、かつて本で学んだ四柱推命術は

使えないものばかりでした。

典型的な例をあげれば、天干地支の一つの柱の組み合わせで、

性格を判断し断定する、◯命学に代表されるものです。

60通りもあるのですから、信者さんは、なんとなく

自分に当て嵌まるものがあると、素晴らしい!

となります。

また、天中殺に代表される他の占術からのすり替えです。

断易を研究し始め実践で、この空亡の的確さを自得したとき

推命に利用した人の気持ちがよく解りました。

同じ干支を使う占術だから当たるに違いないという

確信にみちた「過誤」です。たぶん、それを言い始めた

先達は星の力量でみる推命が出来なかった人だった

と思われます。そのような流派ほど神殺星を使い

この星があると吉、凶と星自体に吉凶をつけるものです

この術式は人の運命を固定し、最初から

悪い人、良い人と決めつける宿命論であり、

因果の法則を無視したものです。

たとえ悪い種があっても縁を与えなければ種は芽を出さぬし

良い種を植え、それが育つ縁を与えれば良き花が開き

実がなります。

性善説を説こうが性悪説を説こうが、

人は生きていかなければなりません。

より円満な人間関係をつくり、より楽な人生を

過ごすために必要な本来の意味での教育が目指すべき

方向性です。

(国をあげて他国に恨みを根付かせるような教育は

結局、民心は荒れ、一番身近な怒りに矛先を向けます。)






あらゆる意味で中国から生まれた哲学は

「易」を基盤としています。そして易には

易簡、変易、不易、の三義があり

単純明快でもわかり易く、あらゆるものは変化し、

そして、そこには不変の法則があると説きます。

推命で使うあらゆる星には長所と短所があり

それは星の状態、環境でかわります。そして

その変化する条件こそが星の「力量」なのです。

古来、それを格局という、似ていますが各流派独自の

方法論を持って決めて来ました。ここまでが

正統な伝統的な四柱推命のありかたです。

そして、日本で独自に発展して来た「正統な

泰山流」はこれを捨て、独自の各局法というべき

調候用神法を何代かに渡って磨き上げてきました。

その基礎を教授しているのが洗心庵の推命教室です。

教室では泰山流の初級講座といいながらも、

私自身が鑑定の実践の中から気付き、積み上げてきた

鑑定論と実践論があります。

それもまた教室の生徒さんには、当たり前ですが、

隠す事無くお伝えしています。

実際、2年間教えた現在

プロとして生活し始めている生徒さんが3人程います。

まだまだこれだけでは食べていけないようですが

お客さん達からは感謝されているという報告を受けています

2年程で他人の推命を使い鑑定をするなどとは、

普通では有り難い事です。ご本人達の努力に感謝するとともに

霊感のような危ういものとは違い、真摯に学ぶことにより

誰もが身につけられる方術の可能性に夢を見たいと思っています。

苦しい恋愛

苦しい恋愛と言うのがあります。特徴として女性側から見た場合

魔法にかけられたように相手が気になり、安心感がなく、

一緒にいる時はドキドキ感におそわれ、離れた時は不安感に苛まれ

心が、まったく安定しません。関係が密になると今度は

相手のことが気になり、一日に何度もメールをし、相手を確かめたり

相手の全てを知りたくなり、本人は気付きませんが、

相手を支配しようとします。

でも、こんなの普通よ!と言う人がいるかもしれませんが

会うまではドキドキするけど、一緒にいると、落ち着くし、

居心地がよく、別れた後も安心で、相手の事を考えると

力が湧いて来るというカップルも実際にいます。

面白いのは、前者のカップルはあんなにドキドキする熱い恋愛をしていても

結婚した途端から喧嘩が絶えません。

「結婚式を行う」という二人で行う最初の共同作業のプロジェクトで

現実処理能力がお互いに試され、頼りないだったり、無責任だったり

初めて相手の生活能力に気付き始め、迷い始める。

「熱い」恋愛中はほとんどが自分の描いた恋愛の夢の中で

現実の相手の姿はあまり見えていません。多少のことがあっても

「結婚したら責任感も生まれるし、きっと確りしてくれるに違いない」と

とても好意的に相手を誤解し続けます

ところが、結婚式前後からリアルな相手の姿と直面し催眠術から醒め始め

「こんなはずではなかった」と後悔が始まります


恋愛はある意味、その人が試される甘い罠です

甘くておいしい蜜の底には毒が塗られている場合が

とても多く、この毒の特徴は、甘い香りと味で誘い、毒しか見えなくさせることです。

この毒に対する血清は、先ず、冷静に相手と自分を知り、

刹那的な誘惑に乗らないことです。

けれども、もし、その人と自分の未来を冷静に考え

その彼を選ぶのならば毒が薬に変わってきます。

男がダラしなければ、自分が生活の中心となり

自立し、愛した人と最後まで生きる、

良い家庭をつくるんだと覚悟が出来れば

ダメな亭主でも側にいてくれるだけで、幸せ感が生まれ、

その心のエネルギーが亭主が変わるキッカケになったりする場合も多々あります

愛に殉じるには根性と忍耐が不可欠です。

そんなの嫌とそこから逃げ出す人も、もちろん多いのですが

大抵、同じような事を、今度は大丈夫と自分に言い聞かせながら

繰り返し、繰り返し、繰り返し、いつのまにか時だけが過ぎて行きます

恋愛が楽しいのは、保護者がいる内だけである事を忘れてはいけません

または、生活が安定し、ある程度自立し、生活に自由がある人達だけです

魔法にかけられたような恋愛を実現するには、根性と忍耐を身につけ

自立することが不可欠なようです


どうせ私なんて......。

面白い記事を見つけたので貼っておきます。

メンヘラ、コミュ症を自称することの、知られざるリスク

学者の先生らしく難しく書いてあります。

要約すれば、第二次世界大戦下ユダヤ人収容所内で

絶望としか言えない過度のストレスの状況下であっても、

精神の健康を保つことができる人たちがいて、

なぜ彼らは心の健康を保てたのかを研究した学者がいた。

その理由を考えると、3つの要因があり

1、何に自分は苦しめられているのかを知っていた。

2、その問題に対処することを諦めなかった。

3、その問題に対処していくことに、やりがいがいと意味を
  見出していた

となり、その前提として、ストレスは生きていく上であって当然で

あり、そもそも生きていくことは苦しいことなんだと

腹の底から認識していた(これは私の表現です。)

この能力が高ければ高いほど心の健康が保たれる。

自分を知り、置かれた立場を受け入れ、その問題に対処することに

意味とやりがいを見つけ事柄に寄り添う。こんなところでしょうか。

これが我々の心の健康を保つ秘訣ということでしょう。

問題はネガティブな言葉を日頃から使っていると、

この3つの要点を、「どうせ、ダメ。」の一言で、一瞬で

潰してしまい、最悪の場合、この言葉に食われ、絡まれ、

この言葉から抜け出せない中毒症状を起こしてしまう。

ということが書かれています。




生きていくことは辛(つら)い。

だから人に優しくしたい自分がいるし優しくされたい自分もいる。

現実の苦しみから逃避し

幻想や空想なる理想の世界の中で夢を見ているから

自分の痛みばかりを主張し、他人(親や兄弟や友達も含まれます)の

痛みに気づかない大人が増えてしまうのです。

お金持ち 本当に幸せ?

お金は無いよりあった方が良いに決まっていますが

お金があれば、富貴かというと違うのではないでしょうか

たまに、最近の易や推命の専門書を中国本土からとりよせて

読んでいると、大富貴の命式とあるものを調べてみると、

ほとんどが、お金に汚く、けちで、外にお妾をもったり、

本人は優柔不断でどうにもならないけれど、

お金だけには恵まれる孤独な人の命式です。

これを富貴というのでしょうか?

日本的な解釈では富貴は心豊かなお金持ちのイメージですが

中国語のニュアンスは、富に恵まれるという文字通りの

もののようで、心の豊かさは関係ないようです

現代中国事情が垣間みれて面白いと言えば面白いのですが

こうゆう方の命式を分析すると色々特徴があり

先に書いたことの他に、物凄くお金に執着し、手段を選ばず

お金の臭いに敏感な仲間が自然に集まってきます。

(引き寄せると言った方が良いのかもしれません)

大金が集まる所には、やはり、それなりの理由があります

凡人がいくら大金を夢見ても彼等ほど強い意志でお金に

執着することは、かなりの努力が必要です

例えば、裸一貫から始め、睡眠時間を3時間くらいに削り

朝の3時から、3カ所くらい掛け持ちで仕事を20年間つづけ

元手をかせぎ、それを担保に大きな商売をし、大富貴になる

なんてことは普通の人には無理な話ですが、

こうゆう命式の人はこれを当たり前のようにやります。

ようは、自分の人生をどのように設計するかです。

いま、若い方は身の丈に合った生き方を模索している方が

とても増えています。それが良いのか悪いのかはわかりません

ただ、そうゆう生き方は、生きる環境が変わって来たとき

対応能力に欠ける場合が多いのが難点です。

自分自身をある程度環境に合わせて行くことも

大事な修行です





通変星論 抜粋

私の考える推命術の基本の基本の理論の抜粋を上げておきます。

私の思う四柱推命は完全に体系だったもので、

霊感や経験則というのは二の次であり、堅固な基礎があってこそ

初めて使えるものになると思っています。

使えない基礎を学んでしまったら、その上に色々なものを立てても

崩れてしまう。これは自明の理です。

これから四柱推命を学ぼうと思っている方達、

すでに学んでいるけれど、その使い方がわからない。

また、なんとか運を変えたいと思っている人達には

そのヒントとなればいいのですが.............。






.............................................................................................................

この繰り返しが人生では日常茶飯事に起きています。


これが相生関係から見た通変星の姿なのですが、この理解が足りないために心の癖が生まれてくるのです。

ご存知のように通変星には相克の関係があり、日干から見たとき我が剋すものが財にあたります。先にも書きましたが財は我から見て無条件に支配できる五行がそれにあたり、支配には必ず快楽が伴い、快楽は我欲を増し、その結果 知恵を削っていきます。
(通変星の関係性を見ればわかるのですが妻財は印綬を剋す関係性にあります。)
また、財が増せば自然に官鬼が増し、さらに、その受け皿となる印綬が壊れていれば、行き場を失った官鬼は直接我が身を攻めてきます。

そして、円環の流れは命ある限り止まることなく、その星に刻まれた心の傷が新たな食傷を生みさらに長い時間ををかけて積み上げられ魂に刻まれた暗号として次の生に受け継がれているのが星の力量に差がある理由だと最近理解するようになりました。

なんだか人生は決定されている。諦めろと言っているように聞こえるかもしれませんが、実はこのことをしっかりと理解することことこそ運勢を改善できる根拠になっているのです。

運勢改善のための方法論



それぞれの星の分量による起こる化学変化と五行五気の組み合わせにより現命式に現れた個人の情報を読み解き、さらに年運、大運の刺激による元命式の変化、起きうるであろう現象を予測し
正確な現状把握により用神をとり、処方箋を作ることが私が学んだ泰山流(緒方泰州派)の運勢を改善する方法です。医療で言えば、総合診療と治療を兼ね備えた方法で正しい鑑定力を身につけ、さらに用神をいかに使うかの高度な知識と経験が必要になります。



まず前述の通変星の円環の流れをしっかりと把握してください。そして考えてください。
日々、自分の心の中に生じているものは何か。世界の中心は自分んであることを認めさせたいのか?あらゆるものが許せないのか、誰かを支配したいのか?それとも、あらゆる責任から逃れたいのか?夢の世界に住みたいのか?それとも今起きている不幸を誰かの責任にしてしまいたいのか?
それを確りと認識することです。この心の囁(ささや)きが魂に刻まれた過去の自分から相続した遺産です。もちろん負の遺産ばかりではなく正の遺産もそこには刻印されています。

あらゆる人々の現在の環境は例外なくこのようにして生まれてきています。

繰り返しになりますが、たとえば自分の心の中が赤い色で染まったとすると、五行の円環は延々と流れているわけですから、すべての通変星が赤い色に染まっていることになります。このことが理解できれば、

「心の中に生起してくる色を自分が望む色に変えれてしまえば、自然にすべての通変星の色は自分の望む色に変わる」という法則が見えてきます。

これが第二の方法です。心の質を変えることにより自分が望む世界を掴むことです。従来この方法は宗教が担ってきましたが「信仰」の力が原動力故に、信仰のない人には無力ですが、その方法は生きていて既に「十善業」という形で、このホームページで公開しています。
宗教っぽくて胸糞悪いと思った人も多くいたと思いますが、決してお題目だけではなく効果が現れる方法なのです。実行して効果が出る根拠がないので、みなさん実行していないのでしょう。理由がわからなければやらないというのは現代人のとてもよい特性ですが逆に言えば根拠さえはっきりと示せば実行するということになります。



自分をいじめに来る星を官鬼といいます。何故官鬼はあなたを攻め立てるのか?理由は単純です。多くの人は財を得ることを人生の目標としています。それは自分が支配できるものが多ければ多いほど楽しいからです。そのために、もっともっと財を増やそうとします。当然のことです。その結果、財が旺じ、印綬変印が傷つき機能していないからです。つまり官鬼と自分との緩衝帯である印綬の知恵が機能しない。具体的に言えば、たとえば憧れの人とのお付き合いが始まって、楽しくて、楽しくて、知らぬ間に、相手が一番嫌がることを知っているのに、言ったり、やったりしてしまう等、冷静な時は対処できていたものが喜びの感情に流され、取り返しがつかなくなるなど、卑近な例はいくらでもあります。
人の心にはできるだけ簡単に労力を惜しんで目的を達成しようという遺伝子が刻まれていて、その通りに動いてしまうのです。仕方がないことです。しかし、もう二度と痛い目には会いたくないと誓ったならば、方法はあります。

それは「知恵をもう一度使うこと。」

いたって単純ですが、この単純な作業を回避したがための悲劇に身を苛(さいな)まれたことをもう一度思い出してください。そして、どのように知恵を使うのか?
それは官鬼と自分をしっかりと分析するところから始まります。つまり「官鬼」は「自分」のどこを、どのように攻撃してくるのか?これが「己を知り、敵を知れば百戦危うからず」の意味です。どこかで何度も書いてきたことですね。(この言葉の裏にどれだけの意味があったのかが少しは理解してもらえたでしょうか?)

残念ながら運勢を変える、運命を変えるにはこれらの方法しかありません。なぜなら宇宙は五行五気に依って成され、その五行五気はこの周流から離れることがないからです。

運勢を変えるには非常な努力が必要です、それは、流れには一定の方向があり流れを変えるには、そのための力が必要だからです。私はこの力は数学で言うベクトルとまったく同じだと思っています。仏典などではこの流れを煩悩と名づけ、これに逆らうことを「逆流(げきる)」と呼んでいます。しかし、たとえ少量の力でも、その流れに逆らう力が加われば、そこに別のベクトルが生まれることを我々は学んでいます。

「チリも積もれば山となる」

これが何度も言ってきた「努力」をすれば運勢は変わる、人は変われる理由です。

諦めないこと。努力を惜しまないこと。

本科クラス

多少の推命学の知識のある方は本科クラスから

勉強を始めるのが良いかもしれません。

結構たくさん専門書も読んで、干合や冲、

三合、方合は覚えた。でも意味がわからない。

どこから見たらその人の性質が見えてくるのか?

等々。

四柱推命はわかる情報が少ないので西洋占星術や

紫微の方が上だとか。とか。とか。

多分そう言ってしまうのも本格的な四柱推命に

出会ったことがないからかもしれません。

私の教える推命術は80パーセントまでは

当たりますが、ただそれは、その人が自分の

人生に疑問を持たず、星のなすがままに生きてきた人に限ります。

お分かりでしょうか。


プロとして活躍している生徒さんは、ほとんど

星の解釈に関しては問題なく、ただ、

その伝え方に、かなりの努力を費やしています。

だいたい3年間、個人授業で月に2回

しっかりと続けることができれば

どの鑑定所で働いても、人気は別にして、

トップの実力者として評価してもらえるようです。

プロを目指さない方にとっては、古代から延々と続く

陰陽五行と易の思想が人生にどのように関わるのか、

その深遠な世界が目の前に開かれるかもしれません。

そのように教えているつもりです。


ここまでが8月9日に書いた本科講座へのお誘いです。

私のごく最近の心境で書きました。

プロとして第一線で現役の生徒さんが活躍してくれています。

それも、人気と実力を兼ね備えた占い師さんとして

仲間の占い師さんから相談されるほど、人間的にも

実力的にも、信用されているそうです。

実に嬉しくありがたいことです。

「人の棘を抜くことが自分の棘を抜くことだよ。」と

先生が教えられた通りです。

ご縁のある方は、一緒に推命学を我がものとしましょう。

メールにてお問い合わせください。

(メール鑑定用フォームでかまいません)

国の運勢

これからの日本はどうなるのか? 

時々人から聞かれるので、このような形で自分の考えをまとめておきたいと思います。

国運とは?

その始まりをどこにするかが多くの鑑定家の考え方の差になると私などは思っているのですが、神武天皇のドウノコウノというのはまったく意味の無い事だと私は思っています。時代もまた生まれ、死に、生まれ、また死に、生まれ変わるものです。歴史とはそんなものです。ならば、現実的な政治体制の変位によりポイントを定めるのが現実に即したものなのではないのでしょうか。

それが正しいかどうかは実際を検証してみるしかありません。

例えば日本ですが、第二次世界大戦で一度死に、戦後初の民主主義選挙により再生としての産声をあげました。

以下でその姿を見て行きましょう。




現代日本の誕生を 戦後初の総選挙日を誕生日とした場合 (現代の基盤である民主主義選挙が初めて行われた日)

1946年4月10日

          甲 壬 丙
          寅 辰 戌

102 92 82 72 62 52 42 32 22 12  2
  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
  午  未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯  辰


1958年 12歳 庚寅運 日米安保(1960年) 日韓基本条約(1965年)
1968年 22歳 己丑運 小笠原諸島日本に復帰(1968年)
                     日本万博(1970年)
                     沖縄返還(1972年)
                     ロッキード事件(1976年)
1978年 32歳 戊子運 大平内閣(1978年)東北、上越新幹線(1982年)
1988年 42歳 丁亥運 昭和天皇崩御(1989年)湾岸戦争(1991年)
1993年 47歳 丁亥運 癸酉年 年庚申月 壬戌日 8月9日細川内閣発足 
1995年 49歳 丁亥運 甲戌年 丁丑月 戊申日 乙卯時 阪神大震災1月17日 
                              午前5時46分52秒
1998年 52歳 丙戌運 小渕内閣(1998年)
1999年 53歳 丙戌運 己卯年 癸酉月 乙酉日 9月30日東海村臨界事件
2001年 55歳 丙戌運 辛巳年 丁酉月 丁丑日 9、11アメリカ同時多発テロ
2008年 62歳 乙酉運 戊子年 辛酉月 戊午日 9月15日 リーマンショック 
2009年 63歳 乙酉運 己丑年 癸酉月 甲子日 9月16日 民主党政権発足
2011年 64歳 乙酉運 辛卯年 辛卯月 乙丑日 癸未時 3月11日 東北大震災
2018年 72歳 甲申運  

同門の方達や教室の生徒さんなら、ここに書かれた事がどれだけ現実に即しているかが理解出来ると思います。

戦後の日本人がどれほどのプライドを持ち、家庭に支えられ、そして一生懸命生きてきたかが如実に現れている姿です。どうか昭和の時代を味わってみて下さい。この命式を見ただけで、数年前から始まった危険信号に気付ければ、きっと、日本は、より良い国になれると思います。               

7

連休も終わり、今日から、いつもの日常です。

できるだけ楽に、楽しく暮らしたいものです。

普通の人なら悪い事をせず、出来る努力を最大限して

上手に良い人とおつきあい出来れば運は開きます。

でも、もし

自分は運が悪いと自覚があるとすれば

その人は自分の中に、自分でも嫌になる

こころの「癖」を、おぼろげにでも自覚しています。

そして、孤独に、自虐的に、攻撃的に

自分に自信を持てる生き方を最初から諦めている。

そうなると、その人に、一番大事なことは

そこから飛び出す「勇気」をもつ事になります。

毎日欠かさず眺める鏡に「勇気」と書いてみて下さい。

そして、良い事をすればいい。

良い事?

悪い事の反対のことです。

自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


そうそう、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これはしょうがないことです。

だって運が悪くなる事ばかりをしてきた結果なんですから

その上、

まさか自分が生まれた環境も、その結果だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

ただ、このこと(因果)を自覚し

それを受け入れる事。

受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなした業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じるからです。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は、豊かに、満たされ、巨大に充実して行く。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

まとめ

先日、紬(つむぎ)織りの着物についての番組がありました

もともと紬織りは絹織物の商品としては使えないクズ繭を

農作業や普段着の着物をつくるために利用した布地だそうです

最初はゴワゴワして少し着にくいそうですが

身体に馴れるとともに布地が柔らかくなり

ゆったりとその人の身体に合ったきて

着る者を包み込んでくれるそうです

その理由は紬の糸はクズ繭(手をかけなければ糸としては使えない)

を使うため糸にノリとして唾をつけ、物凄い手間をかけ

糸をよっているので、キツくよったその糸が時間と着る人の動きで

だんだんと緩んできて、柔らかく優しい風合いをだすのだそうです

人も同じなのかもしれません。

最初から一等の絹糸として世に生まれ表の道を歩み続ける

染めの着物もあれば、紬のような織りの着物もあり

おのずと格式がそこに生まれたとしても

時が過ぎれば同じ価値が両者には生まれます

クズ繭をクズだから使えないと言って捨ててしまっていたら

今の紬はあり得ません。

人生と同じです。

神殺について

最近 刑 羊刃等 神殺について教室で

質問される機会が ここのところ続いています

私の流派では 運勢鑑定の判断としては

ほとんど使うことがありませんが 

良い機会なので参考文献を提示しておきます

国会図書館デジタルコレクション四柱推命奥義秘伝録

こちらの46ページに詳細が書かれています

注意点ですが

知識として知っている程度が一番安全であり

実践に使うことはお勧めいたしません。

何度か書いた「運勢の幅」が全く無くなり

確定し変化する可能性のない

宿命的な鑑定しかできなくなり

必ず鑑定に迷いが生じてきます。

人のなす 努力による成長を無駄な努力と捉え

嘲笑うかのような鑑定では 

まったく価値はありません。

再び、運を良くするためには....。

運をよくするための極め付けとして

10の行いを提案しているのですが、

一瞥(いちべつ)で終わっている人が多いと思います。

ちゃんと理由も書かないとダメなのかなと思い

老婆心から書いておきます。

実は、十善業というのは星のながらに生きる

弱肉強食の生き方を選ぶのか、

四苦八苦を受け入れながらも、夢や希望が持てる

暖かい心で生きることができるかの選択の道と

いっても過言ではありません。

善なる行為。

何に対して善なのでしょうか?

一つは、今以上に自分を傷つけないこと。

持って生まれた星の中に、

自分を傷つける星を持って生まれている人の場合ですね。

(神殺星のことではありません。)

その結果、時間とともに自分を傷つけ、

ねじれ、そねみ、僻み、恨み、

現在進行形で運をさらに悪くしている。

次に、運が普通または良いと鑑定された人であっても、

社会生活の中 =「自」と「他」の関係の中で、

(典型的な例は、夫婦、親子、友人、同僚、)

常になんらかの軋轢や「感情」が生まれています。

何も問題がないのなら幸いですが、希ですね。

こちらに他意がなくとも相手から恨まれ、妬まれ、

敵対視される場合、また、同様な感情が

特定の相手に対し無い人はいないでしょう。

それが常態化しているか、時々来るか程度の差です。

ドラマほどでは無い、またはドラマ以上にドロドロとした

現実に直面している人も実際多くいます。



10善の行為、ものすごく単純化して言えば、

身も心も悪いことをしないで良いことしようという意図なのですが、

ここからが問題です。

何に対して良いことをすればいいのか?

前者に対しては自分に対してであり、後者に対しては

「他」に対してとなります。

人は万物の霊長と言われていますが、

何故に万物の霊長なのか?

それは考える力、すなわち知性があるからです。

そして、

どんな行為が善なのかを考えることこそ知性を磨くことなのです。

人は誰にでも本来的に生きようとする力があります。

食べること、眠ること、排泄することが代表ですが、

誰かに愛されたい、孤独は嫌だ、楽しく暮らしたい、

満たされたい、仲間が欲しいという精神的な欲求があります。

誰もが愛されたい。大事にされたいと思っている。

そういう自分があり、そして、

同じ思いの他人がいるわけです。

ただ「大事にされたい。」

これさえ叶えば、たいていの苦労は乗り越えられる。

そして、たいていの苦労は自分が努力し、他人が

力を貸してくれれば解決できるものです。

どうすれば、他から大事にしてもらえるのでしょう。

第一歩は

誰もが「自分が可愛い。」この原則を踏まえ、

他人が敵にならないよう工夫すること。

つまり敵を作らない、減らす努力です。

そのための心と言葉と行為によるコミュニケーションに関する

10のコンパスが10善業なのです。

必ず円満で豊かな人間関係を生まれてくる。

これができれば、

持って生まれた運の良し悪しを灰燼に帰すことができます。

苦労があっても夢や希望を持てる人生になる。

逆に言えば、円満で豊かな人間関係を生むことができないから

運が良くても孤独で惨めなのです。

他人の運を妬むことをしてはいけません。

人が羨むような大学に入り「運」に乗って国会議員になったとしても、

株で大儲けして「その運を分けてちょうだい」と言われようが、

5年、10年経ってみれば、その「運」こそが不幸を呼び込む

神魔である場合が多々あるのです。

与えられて、どん底に突き落とされる。

最近そんな人がめちゃくちゃ報道されています。

反面教師にしなければいけませんね。

目立たず、焦らず、自分の知性を通して、

ここでいう大事な「運」=他との円満な絆を

積み上げることが何よりも大事なのです。




ただ、これはあくまでも個人に関してだけ言えることです。

個人が集団の一員となる時、集団の欲に飲まれることになる。

個人の意思は無になります。

個人が自分の意思を持ち続けること。

できれば他を思いやる意思を持つこと。



これが「和をもって貴(あて)となす」と言うことの真意でしょうね。

「大和」民族の真意もこれであるといいのですが。

大きな和を目指す人々というのはロマンチックはずなのですが.......、

嗚呼。

観音さんの話 3

「空」の話が横道にそれてしまいました。

「空」を悟るとどうなるのか?

それもお経に書いてあります。

悲観と慈観ができるようになります。

簡単に「慈悲」というけれど、この言葉の

深さは、計り知れません。

何故か?何故なら、我々の認識している慈悲と

当時の行者さんたちにとっての「慈悲」は

別物だからです。

慈悲は「空」の修行の結果と書きましたが、

当時は墓場が修行の場でした。

そこで死体を観察しながら12縁起を順逆に観じ、

縁起空を体得するための修行をしていました。

日本にも九相図として伝わっています。

そこから、何が得られるのか?

「真理」と先に書きましたが、「死」というのは

絶対的に平等です。個人の身分にも能力にも関係なく

必ず訪れてくるものです。

万人に平等に働く時の流れとともに

老い、衰え、病に侵され、死が訪れ、

「死」とともに個人は無くなって行く。

そして、「死」の前ではあらゆるものが平等であり、

等しいと、悟れば、「生」とは

なんと愛しくも愛しい、存在なのか。

自分の命だけでは無く、あらゆる命を持つものへの

「命、生」への共感が生まれれば修行の第一段階は

成功したと言えるのでしょうね。

これ、強烈でしょ。

目の前で遺体が崩れて行くわけですから。

五感全てでこれを観じ続けるわけです。

実にえげつない修行ですが、これが当時の標準の修行法です。

普通ではいられないですよね。

でもね、

これで、生きること、生きているものに対する

優しさや、理解が体感として生まれてくるのです。


腹の底から湧いてくる哀れみの心(悲心)

自分もまた死に向かう同じ仲間だという

彼我の共感から生まれる、同僚を暖かく見守り、

手を差し出そうという優しさ(慈心)

(この共感意識が先々、如来蔵と呼ばれる思想に発展していきます。)

この姿って、観音様ご本人ですよね。

どうでしょうか?

死の恐怖の中で震えるような、そして光輝く「生」と

静かに崩れゆく肉体の、「死」の、

当たり前の変異の姿に心動かされ、共感し、

あなたの心にも慈悲心が湧いてきたでしょうか?

頭で考えず、イメージと心で感じることです。



観音さんの話ですから、宗教っぽいのもしょうがないですね。

宗教好きな人が読んでいたら、ちゃんと、

洗心庵さんがこう書いているとことわって引用してくださいね。

ほぼ、こんなこと言っている人いませんから。

無題

単なるボヤキです

世の中 不倫と匂わせ彼女で大賑わいでしたが

武漢肺炎で一掃されるかと思いきや、

なかなかどうして終わる様相がありません

昔なら「芸の肥やし」で終わっていたのに

今は芸能の世界にも倫理が問われる世の中です

芸のためなら女房も泣かすというのが

昔の芸人さんの世界で、実に色々な話が伝わっています。

有名どころでは難波の

初代 桂春団治でしょうか

また歌舞伎役者の婚外子話など山のようにあり

菊池寛は「藤十郎の恋」という作品を残し「芸」を追求すること、

その芸を極めるために他人の命をも犠牲にしてしまう 

役を極めようとする役者の「業」とでもいうべきものを描いています。

彼らに一般庶民の倫理を押し付けるのは野暮だと思うのですが

芸人と称する人達と我々一般人との間隔が極めて

狭くなった故なのでしょう また、それ故に

他人事にもかかわらず我が事のように怒り心頭で

彼らを叩き続けているのでしょう。

そこまで言うならいっそのこと

男女平等に改善した不貞罪(姦通罪)の復活

運動が最も効果的な不倫防止法です。

それでこそ平等と言うものでしょう。


ときに恋は盲目であり、

その先に残酷な結末が待っていることは

ギリシャ時代からのことわりですが、

どこへ逃げても自業自得、自分と自分に関わる人たちが

責めを負わねばなりません。

恋に迷い苦しみ 自分自身の心を操る「心の癖」に気づき

苦しみを「自分自身を知る」きっかけにできれば

新しい自分に生まれ変わる大きなチャンスにもなる。

他人に対しても自分に対しても、おおらかな気持ちを持つことが

大事ですね。

夫婦の事情と言うのは夫婦にしかわからない特別のものです

理屈や常識が効かない場合があり

10対0の交通事故での過失割合がほぼ無いのと同じで、

屁理屈にも聞こえますが、当事者たちには

それなりの理由があるものなのです。

また不倫を繰り返す人の中には性依存症の治療が必要な人もいます

まずは専門医を受診なさることをお勧めいたします

子育て

子育てについて大事な記事を見つけました

脳科学と子育て 東洋経済

子育て中の親達には 警鐘になると思います

なんとなくですが この辺りが 社会が劣化してきた

原因であるとも感じられ 

結局 家庭があらゆる幸運の源泉であることを

思い知らされます

そんな中でも

不幸にも家庭の幸運に浴することが出来なかった

私も含めた多くの人たちは 幸福を求めるならば

この三つ子の魂に刻まれた凸凹を 

忍耐強く直す作業をし続けるという

厄介な課題を与えられて生まれてきているようです

「そんな覚えは無い。失礼だ。」

とも言い切れない「心の闇」が 自分の中には

間違いなく在ります。あなたはどうですか?


だからこそ凸凹心の整地を頑張らねばと思う

今日この頃です

理と情

理と情

私は四柱推命を長年追求し感じるのですが

この学びは「理と情」の学びだと思うのです

命理学と呼ばれることもある推命学ですが

学理を確り学ぶと、そこには

間違いなく、どの器にも運勢の「幅」が

あることが理解されるのです

そして、これが大事な救いになっていて、

理論上は最悪な星の流れの中にいても、

日々変わらずに

生活できている人達も多々いるのです

理由は単純明快で、日常の生活圏を離れない 

冒険をしない 生活習慣をほとんど変えない

等 横道に入らない、本道以外の浮気を憚る

生き方をなさっている

言い方を変えれば 災いの種を撒かない生き方であり 

「災い」につけ込まれない生き方をしているのです

しかし、実際

毎日の生活に喜びがなく、責任を押し付けられたり

好きでもないことを強制されたりすることに

飽き飽きしている大多数の人達は 

ストレスを発散したい欲求に常に晒されています

(この辺りは子供も大人も同じです)

そして目の前に刺激的で魅力的な誘惑が

「偶然」起こった時 大抵の方はそれを

「運命」と表現し簡単に動揺します。

実はこの事態こそが、運勢が起こす

悪神と忌神の現象の一部なのです

どんなに原命式が良い人であっても

条件が揃えば悪神に喰われます。

そんなはずはないと言う方もいると思うのですが

それは流運を無視した鑑定をしている証拠であり

片手落ちの鑑定です。

時の流れは、まさに、この一瞬にも変化し

移り変わっている。 

この点を無視して人の心の移り変わりを測ろうなどとは

笑止千万と悪神に嘲られ、簡単にやられてしまう

このような点が理解できれば

どんなに日常の心掛けが大事か理解できると思います

もちろん、偶然の「運命」は悪神だけとは限りません

福神の巡り合わせもある けれども

大きな流れ、中位の流れ すぐに過ぎてしまう流れには

個々にとっての良し悪しがあり、それを判断するのは

推命学が得意とするところでもあります

そして本題に入りますが、今の私の見解では

理論上は最悪の相性であっても、それをダメとは

言い切れないのです。

なぜかと言えば、そこには、その人が身を以て

学ぶべき人生の学びが隠されている可能性があるからなのです。

実に難しい問題です。

苦しんでいる当人にしてみれば

「馬鹿言うんじゃない」と怒りだすであろう話です。

ただ、因果律という法則をご存知ならば

少し考えてもらえる余裕が生まれるかもしれません

原因のない現象はない。

原因があっての「苦しみ」という「結果」です。

それでは、その苦しみは何の原因になるかというと

苦しみの原因を浄化し 人としての成長を促すものだと

考えています

昔からこのことを「業払い」と称していますが

「苦しみ」には 

このような意味があると今は確信しています

ですから基本的には苦しみから逃げてはいけません。

ですが、ややこしいことに、人の持つ癖というのは

なかなか難しく、自ら苦しみを生み出し、

それにどっぷりと浸かることにより

現実逃避をしてみたり、自己顕示欲を満たしたりと

実に厄介な代物で 単純には判断できない


男女のご縁というのは実に不可思議で

必ず何かしらの「縁(えにし)」がそこにはあり

短時間のものもあれば、何十年というものもあり

逆縁も順縁も、すべて 何某かの積み重ねの上に

肌を合わせているのです これが「情」なのです

果たすべき課題を持ち寄ってこの世で結ばれたというのが

男女の真の姿なのかもしれません

それゆえに理論だけでの判断は時として 

人としての成長を止めてしまうことにも

なりかねないのです

私の場合 男女の相談事に関しては

具体的に暴力が始まったときは逃げてください

命の保全を最優先してください。けれども

それまでは、できるだけの努力をするよう

お話し、お互いの性格の長所 短所を説明し

そこから起きている問題点の原因を見つける等の

具体的な事象についての解説とアドバイスをしています


四柱推命学はそもそもは士大夫の学問でしたが

私は忠孝の道徳や倫理を説くつもありは全くありません

事例に合わない道徳や倫理など 全く意味がないとも思っています

ただ、因果律だけはどうしようもありません

苦の原因を生み出せば苦しみが生じる

喜びの原因を生み出せば喜びが生じます

けれどもそれは自分自身に限られることで

相手の理解を得られなければ喜びの原因は

自分勝手なものとなり 相手にとっての

苦しみの始まりになります

この逆もまた真ですね。

情と理

ある鑑定家から聞いた情と理に関する

面白い話があります

AさんとBさんが共通の友人Cさんから結婚の相談をされ

人情派のAさんは、お相手にベタ惚れのCさんを気遣い

相手の男性の欠点を知りながらも

相性は悪くないので 応援するよと伝え

理知的なBさんは 最初からこの男ダメ、

どうにもならないクズとCさんにはっきりと

伝えました。

その後 Cさんは、Aさんの読み通り

結婚の話まで行ったのですが 

ある日彼の「不誠実」さが露見して

二人の恋は終わってしまったのです

「相性が良い」も「ダメ男」も鑑定としては

大正解です。けれど結果 相談者は傷ついた。

Cさんのダメージは結構なものだったと思います

これが「情」による鑑定の難しいところです

このケースの場合「相性」の良さが

Cさんが「悪神」に付け入られる隙になり

Aさんもそれに飲まれたということになります

情というのは時に毒になる場合がある

情は必要ですが流されれば真実が読めなくなる

鑑定に携わるものは(私自身含めて)

特に自戒すべき事案なのではないでしょうか

教室のご案内2

今日、どんな人を対象に教室を開くつもりですか?

私も学んで良いのですか?とタイムリーな質問を

頂きました。その場でお答えしたことの補足をしておきます。

この教室で教える四柱推命は泰山流でも特別なもので

始めはプロの鑑定士の方、多流の師範のかたに限定して

教授されていたものです(初級教科書の四柱推命実践講座の

あとがきにこの辺りの経緯がかかれています。)

それが機会があって鑑定とは無縁な方に教える機会があり

かえって、プロの方達より大きな成果を出されたところから

一般に公開され始めました。そのくらい価値のある教えで

例をあげれば、一般的に吉星と言われている

官星 財星 印綬などたとえ命式についていても

決して吉星とは見ず、また離婚の原因とか破財と呼ばれている

比肩、劫財も十干の姿により凶の星とはならず

かえって吉の作用をするのです。傷官しかり。

たぶんこれは、四柱推命を統計学と言っている

鑑定士さん達にとっては寝耳に水、目から鱗

だと思います。そのくらい特殊でまた、実践に即しており

確実な鑑定法です。またもう一つの特徴として

確実に運を開くための用神を最初から最後まで一貫して

追求し、それを最重要な判断基準としており

一般におちいりがちな、○○殺があるから何をやっても

ダメなんだとか、この星があるから......。などと

悪い原因を全て星のせいにし動かす事のできない

宿命的なものの考え方に陥るような学びの副作用は

絶対に生じません。これが用神を追求し続ける所以です。

ただし、この教えを受けると、悪いのは星のせいではなく

用神を追求しない自分のせいということになり、

結果的に自分を見つめなおす大きなキッカケになりますが

それを知らぬ時は100パーセントの闇だったものが

自分の運勢を知る事で、その闇により何をやっても無駄だと諦めていた

自分の人生を、変えてもいいんだという確信にかえることができます。

そのくらい苦しみの原因と、苦しみから逃れるための

間違いのない根拠というのは

人に勇気を与え、一歩を踏み出させる力になるのです。

ですから、もちろんご自分の四柱推命に対して満足がいかない

プロの方もそうですし、初めて本格的な占いを学んでみたい方もそうです

人として納得いく人生を歩みたいと思っている方全てに対して門戸を開きます

また、人に対しても自分に対しても、いつでも暖かい心でいられるような余裕のある心を

作っていくことも教室では目指します。

人の運命を知る事は、このくらい人の心に変化を与え、世の中の

見方が変わって来るものです。

とても価値のある教えです。

文字通り奮ってご参加下さい。

易占をご希望の方々へ

易占を希望される方へ

易占は 運勢鑑定と違い答えの幅が極めて狭く 

時として依頼者に取って 厳しい結果をお伝えすることが

多々あります 

もちろんそれが現実に付合するかどうかは

易神の答えに対する私の読解力によるのですが

どこかに書いたように 結果が外れた場合

お代は入りません。お気軽にご相談ください

なお 易占に関しては易の神様がこう言っているとしか

答えようがないので質問は受け付けられません。

あしからずお願い致します。

ただし、不倫 泥棒 寿命についてはお答え致しかねます

易占は斟酌が全くないので 料金くらいは楽しくしておきました。

当たらなければゼロ 当たったら千円〜2万円

支払い希望の方にのみ振込先をお知らせいたします

現金書留でも結構です 洗心庵の住所までお送りください









易占の内容をさらに詳細に検討することをご希望の場合は

運勢鑑定を受けていただくのが最善だと思います

こちらは規定の料金になります 









 

令和の世

ここしばらくの世の流れを見ていると

「忘恩」が一つのキーワードになるようです

様々な事件を眺めていると 

一番世話になった人 物 国 に対し

一方的な期待をし それが果たされない時 

やり場のない怒りに操作され 激烈な形で

恩を仇で返す行為がなされています

親殺しはその際たるもので 

親が命の危険を感じ子を殺す事件も起きてしまいました

忘恩 不義理 不条理 身代わり等々

筋の通らない事柄がここ数年間は頻発するかもしれません

お互い気をつけたいものです

暦では来年の2月の節がわりまでは

己亥年の運気ですが先月あたりより

来年の運気である庚子の運気が周り始めています

庚を白虎 血神と取れば争いが絶えない年となるし

今後の未来を打ち開く夢と希望に満ちた革新的な技術や

製品が生まれるとも取れます

未来は人の心に導かれるものです

明るく 朗らかに足元を見ながら 一つ一つ

前に進む作業を続け

人生「楽なこと」などないと腹を括ってしまえば

そう難しく「自分達」を考えることもありません

自分を縛っている今年あった嫌なことを

とりあえず忘れてしまいましょう

忘れること 捨ててしまうことができれば

新しい何か新鮮なものと御縁ができてくるものです


男性も女性も鉄幹さんが歌ったように「六部の侠気 四部の熱」と人を大事にし裏切らないことを心掛けたいものです

コロナヒステリー 3月26日

SNSは便利なものですが、

ウイルスと同じでヒステリーも伝染します。

一度伝染すると

今度は自分発信でヒステリーを拡散させ始める。

その前に、とりあえず、自分の頭で考えましょう。

テレビのコメンテーターや芸人さんは、刺激的な発言を

お商売にしている方々です。マスコミ諸氏も同様です。

ここ4、5年ずーと書き続けていることですが

時代の流れには逆らえません。

そうなんだと腹を決めて慌てないことです。


いい機会なので「運を作ること」に関して少しまた書いておきます。

運を造るというのは畑仕事に似ていて

良い作物を作りたいのであれば、土を耕すことなのですが

まず、その前にやることがあり、それは畑に埋まっている

余計な障害物、石ころや、切り株、雑草を抜くことから

始めなければなりません。

荒れた土地に種を撒いても芽は出ない。

知ってかしらずか、多くのスピリチュアルの

伝道者の方々は、この準備作業を無視して

彼らが最も好むチャクラ等々の技法を公開しているのですが、

私の見ている限りで言えば

まいた種が一瞬芽吹き速疾に腐り落ちていくのが

関の山で、その理由も明確です。

畑の中の邪魔者が取り除かれていない。

具体的に言えば

モテたい、お金が欲しい等々に欲が偏っている

青壮年の男女が、何某かの行法を真面目に行えば、

力はつきますが男女問題に力を漏らしてしまう。

私が学生の頃からこの手の話は尽きません。

現役バリバリで若いんだから仕方ありません。

話を戻しますが、この場合「性欲」というのが

畑の中の切り株であり、石ころになるのです。

誤解しないで欲しいのですが性欲を無くせと言っているのではなく

「考えろ」と言っているのです。

自分を大事にしているか、後悔しないか、それでいいのか?

そして、このデカイ切り株を引っこ抜いた後、種を撒き、

どんなに素敵な花が咲き実がなるのか、

その可能性を手放すことにはならないか?

耕作を邪魔する石ころには様々な種類のものがあり、恨み石

渇愛石、忘れられない怒り石、出自や学歴へ執着するプライド石、

親子石、子供石等々きりがありません。

客観的、冷静に一つずつ丁寧に拾う作業を続け

それを見ることができるようになれば

今までのような感情に流されなくなります。

全てを思い出として畑の端に端正に並べることができれば

その石ころが人生の肥やしになるし、

苦しみを繰り返さないための指標にもなってくれる

忍耐の必要な、繰り返しの作業をしなければなりませんが

感情に振り回される自分自身はいなくなっていると思います。

結婚したい人へ

昨夜、久しぶりに風邪をひいたらしく熱が出て、

寝込んだ。

あまりにも久しぶりだったので弱気になったのか。

昔のことを思い出す。

そういえば、結婚しようと思い立ったのも、こんな時だった。

当時、仲の良かった友達同士が結婚し、

よくご飯を食べさせてもらったりしていたのだが、

二人を見るたびに、結婚も悪くないと思ったものである。

その流れから、自分もそろそろと思い立ち、

熱にうなされるたびに、絶対結婚すると決心し、

元に戻ると、めんどさいと悪態をつき、その

繰り返しから数年が経ち、ご縁があった方となんとか

一緒になったのだが、当時の鑑定力は「占い」方面の腕は

結構あったのだが、運勢鑑定についてはレベルに達しておらず、

今の力で考えると縁とは恐ろしいものだと感じている。

もちろん結婚も占ったのだが、彼女を主にして占うと、

過去、現在、未来、全てが大吉であり、それまでの占い人生の中で

最も特異な卦を得、今度は自分を主として見た場合、

凶と大凶が重なる形で、わりと一般的な卦が出たのである。

それでも、大吉の卦の人生を見てみたいという

好奇心と、そろそろ結婚しないと、子供の成人式

ヤバイなという、年齢的な圧力から結婚に踏み切ったのだが、

やはり、人生は紙飛行機、風のまにまに、

泣いたり、泣かしたりの繰り返しで、

鑑定の腕が上がる度に、「こういうことなんだ」と納得し、

嘆息しつつ諦め、諦観と共に過ごしてきた時間の記憶が

糊になり二人をいまだに繋ぎ止めている。

こんな道楽者の自分と一緒にいてくれるのだから

実にありがたいことだと感謝している。

だからかもしれないが、

「根性のある女性」をとても尊敬している自分がいる。

もし、自分の幸せを求めて結婚していたとしたら、

とっくに別れていたとも思う。

やはり人は「誰かのために生きる」ことが、

忍耐力でも、突破力でも、それを支える底力として

働くようにできているのだと思う。もう一つ、

自分の人生を笑っちゃえる俯瞰感覚も大切かもしれない。


プロとして働いている生徒さんの話を聞くと

「結婚したい」お嬢さんの相談が一番多いとのこと、

一年を通じてこればかりは変わらないそうである。

もし私のところで相談されれば

結婚に耐える根性があなたにはありますかと、

まずは問うと思う。ましてや連れ子がいるならば、

命をかけて、その子を守れますかと問う。

結婚で幸せになれる人は、正直、今の世では

少ないと思う。

なぜかというと、やはり、自分が幸せになるために

相手を選ぶからだ。高学歴な人ほどその傾向がある。

結婚の動機が「利己心」からではどうにもならないと

言う意味でである。

男性の価値を「スペック」と表現している限り、

無理だと思う。

標準的な良い夫婦などないのだが、

男性側が素朴にその人を好きになり、

生活を共にしたいと願う単純明快なあり方が

一番長く持つように思う。

女性側が、ああでもないこうでもないと言っている場合、

結婚できる確率は極めて低い。


結婚相手に対し、なにがしかの情報を求めるのであれば、

鑑定士を訪ねるのが一番早い。

「お付き合い」なんてのは

長くなればなるほど鮮度が落ちていくものである。




出会いの場がないという人も多いそうだが、

世の中に参加しなければ、出会いなんてないに決まっている。

露骨なお見合いパーティーも悪くはないが、

よっぽど自身があるか、直接的な異性を求める男性以外は、

まず、参加しない。

婚活パーティーや合コンで成立しているカップルは、

大抵、代打で参加しているか、友達に誘われて

不本意ながらのメンバーになってしまった人達である。

「下心のない人たち」と言い換えればいいだろうか。

釣りの話で恐縮だが、釣り堀で試して欲しいのだが

釣る気満々の人の針には絶対魚は掛からない。

じゃあ、どうすればいいのかといえば、

日頃の生き方です。

男性は、結局は、そうゆうところを見ているのです。

男性もまた、相手に裏切られないか、信用できる人か、

金遣いは荒くないか、家庭を保つだけの根性があるか。

健康か、時には、長生きするか、まで考えるものです。

これはそれぞれ、その人が、

それまでの人生で失ってきたものであったり、

心の底から求めているものを提供してくれる人という意味です。

親がヒステリーで嫌な思いをしたら、

ヒステリーな女性は最初から問題外です。

そう考えてもらえば、相手を知ることがどれだけ大事かが

わかるかもしれません。本気で結婚を望むなら、

より本質的に相手を知ること、そして逃げずにやり遂げる決心です。

だから、利己心を優先させた「自分は結婚して幸せになりたい。」という考えは

相手にしてみれば受け入れ難い条件であり、

「結婚」とは一番遠い位置にあるのです。

もし、この辺りの事情が理解できれば、すでに相手がいたり、

条件が整っているのなら、すぐに結果は出てきます。

「あなたのために、結婚したい。」と言えるかどうかです。

早い人で2週間ぐらいでしょうか。

結婚を望むのであれば、女性に一番大切なのは根性です。

心の中の仏

ブログに載せたものの再掲載です。


誰の心の中にも仏様がいます。

これは私が言っているのではなく

仏教の教えの中にあるもので、

如来蔵と言う思想に由来します

大乗仏教の二本柱のひとつで、もう一つが空の思想です

(お釈迦様は縁起の法則しか説いていない、それ以外は

嘘っぱちだと唱える学者先生がたも日本にはいますが

問題になりません)

それぞれを説明するのは専門書が何万冊とあるので

興味のある方はそちらに当たって下さい。

我々にとっての問題は、心の中に仏があるのに、

なんで自分は人にやさしくなれないんだ?

このへんでしょうか。

でも、その前に確認することがありますね。

「人にやさしくなれない」と言う時、その人は、どの人?誰?

これを確認しましょうね。

大抵の人は、特定な、ある人物に対して優しくなれないだけで

それ以外の普通の関係の人に対しては、常識的な態度だし、

特に自分の仲間に対しては素直だし、

友人のためには、自分を投げ出す事さえします。実は、

特定の人物を、その他の人と同じに見ることが

出来ないのが、このような言葉を言ってしまう原因です。

その人と、それ以外の人がミソクソ一緒になってしまっていて

必要の無い自己嫌悪の元になっている。

理想を持って生きている人達が時々落ちてしまう落とし穴です。

「特定の人物」これには色々あります。

自分を傷つける人、敵に見える人ですね

日常を平和に過ごすために、仏の心を持っていきたい。

これは、すばらしい理想です。

けれども、間違って欲しくないのは、

弱肉強食の世界で生きている人は

逃げて、自分の居場所が無くなるのであれば

戦う必要がある、守るものがあるのなら、

戦わなければなりません。

仏の世界と違うのがこの世界です

それならば、

そこから離れた時(一日の仕事を終えた時の意味です。誤解しないように)

自分の中の仏を磨くことです。

そして、この切り替えがとても難しい。

我々の心の中の「仏の心」の上を厚く自己防衛本能が覆い、

こんな奴には、やさしい言葉など意地でもかけてたまるか!と

身を堅くし、警戒する習い性になっているのが

われわれの日常の姿です。習い性になっているものだから、

相手かまわず、身構えてしまう。いつの間にか

何が原因なのかも忘れてしまい緊張が解かれるときがありません。

原因さえ解らないストレスの固まりです。

だから、先ず心の底を厚く覆ったこの日常と、

心の中にある本来の優しさを区別することが

最初にするべきことです。

今の、この瞬間は、緊張する必要はありません。

おだやかで、やさしい、本来の自分の姿を思い出して下さい。

仏教では誰に対しても(命あるもの全てに対し)

平等に見ることができる知慧を

「平等性智」といい仏の五智の一つに数えています。

仏道修行の一つの到達点です。

このくらい自他を平等に見ることは難しい。

ですから、仏様のような心で過ごす事を諦めることはないし

そう思うこと自体が仏の心の現れです。心の底でその心が

強く、顕現する事を願っている証です。

推命は平等性智慧を学ぶ切っ掛けにするには

とても良い学問だと私は思っています。

夫婦

親と子も難しいですが、夫婦も難しい。

一般的には夫が悪、妻が善という構造です。

この先入観を捨てきれずに鑑定している方が、

多々ある。なかなか治りません。

夫婦の星の両方を見ていても、この先入観が邪魔して、

大事なことを見落としてしまう。

(夫婦問題は片方の命式だけで判断すれば必ず片手落ちになります。)

もちろん、暴力を振るう等、夫からの実質的な被害が

あるのならば、問題外ですが、

「亭主の〇〇が気に食わない。」ではお話になりません。

大抵は、亭主が自分の言うことを聞かない、

別な言い方をすれば、

自分が夫を「実質的に支配できない。」ことに

気づいたあたりから難癖をつけ始めます。

自分の意見を支持してくれない。話したいときに家にいなかった等々

難癖以外になんと呼んだらいいのかわかりません。

この癖が持って生まれた星に起因する場合は

なかなか結婚を相手から望まれません。

また大運の影響やパートナーとの相性でそうなる場合もあり

運の巡りで手のひら返しが起き

亭主にすれば「なんで?」となります。

一般的な推命書に書いてあるような

妻財と印綬の現象も起きることがあります。

そのような状況に陥った時それに対し男の方にも

抵抗パターンがあり、(女性側からすれば、

すべての自分を受け入れてとなるのですが......。)

「逃げる」こと「戦う」ことですね。

面白いもので、女性側がこのことを誰かに相談する場合

大抵、悪いのは奴であり自分ではないというのが

大方の姿です。

10年、20年の長期戦をしている場合は、元々の原因が

自分が反抗された時のショックにすり替わり、

本質的な原因がわからなくなっていることさえある。

どちらにしても、

自分の悪さを自覚し、全てを相手のせいにせず、

小さな会話から縺れた糸を解く作業を始めれば、

それなりになんとかなります。

運勢というのは面白いもので、気づかなければ、

おおかた、その通りになっている。

ですから、それぞれの本質的な癖や、

忘れてしまった過去については

割と明確に指摘できるものなのです。

過去のもつれた糸を解くというのも

我々の仕事の一つなのですが..........。


教室でも説明しているのですが、持って生まれた

星の構造が理解できるようになると、

あらゆる夫婦は、間違いなく「縁(えにし)」によって

夫婦になっているとの確信が芽生えてきます。

そこには例外はありません。

縁があるというのは意味があるということですね。

少なくともそれが理解できるくらい星を読み込める立場に

いる先生ならば、ご縁を結んだ意味を知り、

その課題を果たした上での別れを勧めるべきだと思うのですが

いかがでしょうか。


是非さらに精進してください。

エンパス

お医者様はどうしてこうも、いろいろな病名を生み出すのか

不思議でならない。特にアメリカ発の心理系、精神家系の

先生方やスピリチュアル系の治療師に多い。

既存の言葉では説明がつかないわけではなく、

新しい言葉を使ったほうが「ウケがいいから」というのが

本当のところだろうと私の偏見が言っている。

お金儲け好きがレッテルを張り替えて、

また、蠢き始めた感がある。

「エンパス」という言葉を見つけた。

かつては過敏症と言われた人達をより病理的な観点を

強調する医学系の方達とスピリチュアル系(その昔は電波系と言われた)の方達の

体験的主張を織り混ぜた「エンパス」があるようだ。

ストレスクリニックのコラムに詳しいのだが

様々なサイトが取り扱っている。

正直、この手のサイトは好きでは無い。

依存型の自己憐憫が目立つことと

ほぼ誰にでもある心の反応を大袈裟に言いすぎるからだ

生物として獲得した自分の命を守るための自己防衛システムである

危機に瀕して分泌される神経伝達物質が、「環境(他人)」により

必要以上に分泌し反応するというのが一般的なうつ病の解釈だが

神経質だから生きにくい、鬱になりやすいというのは違うと思う

うつ病はこれを誘発するスイッチが千変万化し、

原因究明の決定打が不詳という理由で

ちょうど良い薬が当たれば一発で効果は出るが、

外れれば、それなりのボヤけた効果しか得られない。

うつ病治療の難しいところである。

エンパスに話を戻すが、

これで悩んでいる人は幸せである。

問題は、その身についた特質、共感性をどう活かすかを

教える人がいないということである

何が幸せかというと、世の中には特別な訓練をしてでも、

これを身に付けたいと思っている人々がいて

仏家にとっては最も大事な修行法として

行われている。

ダライ・ラマ猊下の法話などを聞いていると

トンレンという言葉がよく出てくるが

調べてみてください。


他人の苦しみを自分が感じるのであれば、

それ以上の愛情を養うことを心がけ

相手の苦しみの原因はどうすれば消えるのかを

考えることだ。直接相手に話しかける必要は無く

ただ、心だけ寄り添えば良い。その人の苦しみが

軽くなるように祈る。

偽善そのものとも言える。しかし

このくらいの心の活動は誰にでもできるはずだが、

まずもってできない。したくない。

なぜか。それは他人の痛みは自分にとっては

迷惑以外の何者でもないからだ。

この性状を持つ人にとっては

他人の痛みを強要されている感は否めないだろう。

慈悲心を養うこと。これがこの性状を持って生まれた人が

果たすべき課題であるとプラスに考えてください。

否定し続ければ、持って生まれた愛情が乾くことになるからです。

慈悲を養えば、豊で魅力的な人になれると仏様は言っています。

誰にも言わず、知られず、自分一人でできる作業です。


医者が言えば「エンパス」は病気に分類され

スピリチャル系の者が言えばセミナーの好材料にされ

マスコミが言えば流行り物になってしまう。

全てが飯のタネである。



持って生まれた星の言葉を聞き、彼らの求めを受入れ、

上手に彼らとダンスを踊り続けること。

私のような者が言えば「エンパス」はこういうことになるのです

持って生まれた星の特性を利用し、

より良く生きるための友達にしてしまう事

悪神も忌神もまた友達になり得る者達なのです。

これが私の得た推命学の極意です。

愛の形 1

愛には色々な形があります

人を傷つける愛もあります

この愛はギリシャ語でエロスと言われ苦しみを伴う愛

として認識されていました。ラテン語ではキューピッットとなり

ともに神格化され、行動にその本質的な性格が現れています

エロースは嘲笑された腹いせに、笑った神に金の矢を射り

目の前にいた女神に恋をさせました

そして、その女神には鉛の矢を射り彼からの恋慕を

嫌悪させるようにしました。酷い話ですね。

アポロンとダプネーの物語ですが

最後に彼女は父に頼み自分を月桂樹に変えてもらったそうです

木に身をおとしてもアポロンの愛を拒否したということでしょう

恋愛の神に翻弄された恋愛の一つの形です。

(恋愛の神を二人の運勢と言い換えたいところです。)

大事な法則

どんな人にでも良い面(長所)と悪い面(短所)があります。

それでは、運が良い人には短所がないのでしょうか?

無い訳がありませんね。

ただ、人より、自分の長所をアピールし続ける事ができ

短所を人前に出さないようにしているだけです。

起きている現象は単純なものですが

この事に費やす努力と時間の力積によって、

とんでもない格差世界が生まれています。

信用と実力の格差であり、人間関係であり、棲み分けです。

「引き寄せの法則」と言うのがありますが、考えてみれば、とても当たり前の法則です

フジテレビを見たいと強く願っても、NHKではフジテレビは見られません

NHKにフジテレビの番組を流してくれと抗議しても、意味のないことです。

なぜなら、本人だけがチャンネルのリモコンを持っているからです。

事故や先天的な苦労に代表される前世や先祖などの、

理由の分からないものが起因している事象意外のことは

自分の心を陶冶する事で必ず変える事が出来ます。

もし、今苦境にいるのに自分のチャンネルを変える気がないのなら、

変える事に意地を張っていませんか?根性焼きをし続けていませんか?

先ず、自分にあてた、タバコの火を身体から離すことです。

最初の一歩を踏み出して下さい。

そして、自分の良い所を見つけ、それを伸ばす事です

諦めなければ道は開けるようになっているのが

この世の大事な法則の一つです。
































4月28日 陰陽

推命学は陰陽五行思想から生まれてきたものです。

陰陽とはなんなのでしょうか?

コインの裏と表、人の長所と短所などの相対するもの

言葉で言えば反対語に当たるものを連想すれば

理解しやすいかもしれません。

ただ、ここで忘れてはならないのが、

裏と表と言うとき、そこには二つに分け難いコインという

一つの物体があり、長所短所で言えば、間違いなく1個人が

そこにいるのです。

陰陽を、相反する二面性を「1体」とする一つのものと

するならば、その顕在面にも潜在面にも陰陽があり、

さらに、そのそれぞれにも陰陽があると考えるのが理屈です。

これが太極→両儀→八卦の考え方です。

コインの表が見えている時は裏は見えませんが

コインとしては1つであり、これほど小さな面にも

視点によって無数の相対的な意味づけと解釈をすることが

できるのです。

このようにして陰陽はあらゆるものに存在し、

それによって万物は成立していると易では説きます。

周易はこの陰陽の力量の変化を根拠に

天地の事象を解釈し解説したものです

陰陽を表と裏のイメージで考えるのは表層的な考え方で

個々の物質の力を表す力量にもまた陰陽があり、

人の性格もまた、然りということなのです。

人の一面だけを捉えても、その視点でしか見ていないことに

気づかなければ、その全体が見えません。

例えば、苦しみを手放せないという人がいます。

苦しみの原因は相手への憎しみと本人は言うことが多い。

けれども、陰陽で言えば、これは本質の「陽」の部分だけで

「陰」の部分が足りていない。もしも、

本人自身が自分の苦しみの全体の本質を見つけたとき、

苦しみは解(ほど)かれます。けれども現状では

本人が弱ければ苦しみに怯え逃げ続けなければならない。

強ければ同じことを繰り返し続けます。

意識に現れていない陰の部分を検証することができれば

苦しみの記憶は思い出に変わり現在に影響することはなくなり

過去が完了します。

難しい作業にはなりますが、不可能ではありません。

人の恋路を邪魔する奴は

「人の恋路を邪魔する奴は犬に喰われて死ぬがいい」

三遊亭圓朝全集にある、都々逸です。

真景累ヶ淵の作者、犬に喰われちまえとは、

狂犬病もある時代、真に迫っている。

この真景累ヶ淵にも逸話があり、歌丸さんか志ん朝さんの

話(はなし)の「枕」での聞きかじりですが明治初めの不安な時代 

神経病みが流行り、神経と真景をかけて

この怪談話を作ったのだそうです。


文明開花のご時世に

お化けなんて気の迷いだ、迷信だ、非科学的だと

「頭でっかち」が始まった時代、これでもかと因縁因果を

重ねに重ね、一話に5、6時間もかかる大作を作り上げました。

落語家の文明批判は粋ですね。



話を戻しますが、立場のある親にとって娘の恋愛は

初手の対処をしくじると、子供を失うことになります。


ただ、本人も自分が特別な立場にいることを

自覚するべきなのですが、親がそのことを

教育しなかったというのが一番の原因だと言わざる得ない。

親の自覚の足らなさです。

けれども一番の問題は天皇制のあり方で

国の象徴としての「個人」というのは、あまりにも

重く、皇族に繋がる個々のプライベートの公表を

タブーにするしか守ることが出来ないのかもしれません。

「開かれた皇室」というのは、大多数の国民が天皇家に敬意を

持っていたときの話で、ここまで株が下がれば、何を言っても

裏目に出てしまう。

今の天皇は象徴としての立場から国民の代表としての

立場を取ろうとしているように思われます。

敬愛すべきお二人です。

晩餐会などの派手な姿しか我々には見えませんが、

日々、国政と祭事の激務をこなし、働いている。

まさに国民の代表です。


誰も犬に喰われるべきではありません。

どうすれば娘が幸福になれるかを考えることが親の務めで、

辛くなったら、離婚して戻って来い。と、

普通の親と同じように言えばいいだけです。

それができれば簡単だと、言うかもしれませんが、

「できない」ということ自体が問題だと思うのですが.......。

業の現れ方

因果の法則と呼ばれるものがあり、その中で

「業」という言葉がよく出てきます。

業というのはその人の成した行為とその結果と

考えて貰えばいいのですが、「結果」をAとしたとき

この「A」もまた変化しながら形を変えつつ時間軸の中で

動き続けると唯識思想では考えます。

その過程を「薫習」とか「異熟」とか呼び、燻製品と同じように

熟し、様々な味と姿に変じていく。面白い考え方です。

AだったものがAB,AG, Ahなどと元の姿と違う形で現れてくる

短ければ人生80年たらずの人生の中でそれが起きますが

どうも我々は、皆が皆、この業を背負って

この世に生まれてきているようなのです。

生まれ持った星という形でそれが観察でき、ある程度の

予想もできる。時々100%運命は決まっているという人もいますが

それは間違いで、我々には物を考え、行動する能力が備わっていて、

この瞬間にも自分の行為や心情が「新しい業」を

生み出し続けていることを自覚すれば、全く違った

人生になる可能性はあるのです。問題は、

そうは考えても、慣れ親しんだ今までの人生の過ごし方を

動かすことは難儀なことで、心の恒常性=現状維持を

強烈に支持する自分が間違いなくいるのです。

しかし、まあ、理屈はそうなっている。

業の現れ方というのは、とてつもなく不思議なもので、

例えば「苦しみ」をテーマに連想していくと

数限りない苦しみを想像できますが、その数限りない

連想の一つ一つが現実として世の中には起きている。

人の心の中に無いものは世の中にはありません。

そして、間違いなく、それとま反対の現象も存在していると

考えるのが「陰、陽」の考えなのです。どちらを選ぶのも

自分次第、良き業を積めば、良き現れが生じる。

これが「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず餘殃」ありと

易経の時代から言われ続けていることなのです。

残念ですがこの言葉を否定できた人は私の知る限りいません。

良いことが起きて欲しけりゃ、良いことをすりゃーいいんです。

毎日、オコリンボで、舌打ちして、あいつ使えねー、内心で怒りちらし

隣の親父、気にくわねー、早く死ねとか、心の中の景色が

殺伐としている人には幸せの青い鳥は、心の中であっても

怖くて近寄ってこないでしょ。

「良いこと」とは、先ずは

自分の心の景色を常に晴々とさせておくことです。

どうすれば晴れ晴れとなるか。怒りが治まるのか。

日々これ研究です。



関係性が希薄で自分に必要ないならば静かに離れていくのが

一番早いかもしれません。

5月12日 十二運

書くのを、どうしようかなと迷っていたのですが

書いた方が楽なので書いてしまおう。

私は今の流派を学び始めたとき内心に大きな疑問が生じていました。

それは旺相十二運を使っての鑑定法がないことです。

長い間の疑問でした。

この十二運は一般的な四柱推命では星の力量を測る

大変重要な因子で、この十二運を「基運」と称し

鑑定の要にしている流派もあります。

天干支と地支の一柱の「干支」に十二運をつけて分類分けし

鑑定します。

「新推命学」の著者である増永篤彦先生によるものなのですが

このご著書は先生が京都大学出身の心理学の先生であり

統計学に基づく四柱推命の解釈として多くの先生方に

影響を与え、「四柱推命なんて統計学でしょ」と

昔の方術系の先生方は馬鹿にしたものです。

京都大学心理学出身のネームバリューは実に大きく

誰もそれを検証しようとはしない所が面白い。

(大抵の書籍は一読すると売ってしまうのですが

私も権威に負けて、この本だけは手放しませんでした。)

世間が自粛の中、時間があるので手元の「新推命学」を

読み返し、とても有難いことに大袈裟に言えば

ここ1000年ほどの推命学のそもそもの間違いが見えてきたのです。

それが「十二運」です。

表現の仕方は様々ですが十二運には

五行十二運と納支十二運(天干からのもの)というのがあり

春夏秋冬の四季ごとの五行の盛衰を十二段階に

表したものです。大抵の四柱推命の本には

通変星表と同様、図表として最初から付いています。

増永先生はこれを五行思想が四行に土を加え五行説に

至る過程で作られた理論だと解説しています。

(興味のある方は詳細を原本をお読みください)

よく解説されていると思いますが、

この十二運論を全肯定した上での批評であり

理論上の不備については気づかれていません。

納支12運は「五行の季節毎」の盛衰と「五行内の陰陽論」を

混同したことによる誤用があり陰干支のうち半分の力量に

問題が生じているのです。

半分は当たるので採用され続けたのでしょう。

私はこの辺りを修正するために格局法が生まれてきたのでは

ないかとまで今は思っています。

実はこの力量に関する問題は松本義亮先生の四柱推命書を

拝読したとき「身旺身弱」の解説の例文を読んだ時から気づいていて

その根拠が理解できなかったのですが、ここに問題があったのだと

納得がいきました。


十二運に不備があるなどとは聞いたことのないことです

このような意味で実に大それたことを書いてしまいましたが

もし、これが真実なら、基礎理論に不備のある四柱推命学が

1000年近く、大手を振ってまかり通っていたことになります。

士大夫の大学者達の言うことに間違いがあるわけがないとの権威主義が原因かもしれません。

日本の権威である帝国大学(京都大学)の先生の論文が謎解きの、きっかけとなったことに

何かしらの不思議を感じます。

初級終了後について

洗心庵の初級教室を終了した生徒さんは

緒方先生の中級教室に参加することができます。

中級教室は毎月土曜、週2回のコースになります。

泰山流の資格も取れるコースです。

泰山流四柱推命学会とは別になりますが、

洗心庵では初級を終了し中級への日程が合わない方達には

研究科を設け、実力養成を主にした指導もしております。

テキストは生徒さんが持ってくる命式の解説を主にしておりましたが、

現時点で256の命式の解析が終わり、これを

テキストとして使うことにいたします。

全てネットに掲載され、ある程度の人と成りが分かっている

人たちで関係者を含めると3倍の数になります。

従来通り、命式を持って来ていただいてもよし、

テキストを使ってもよしといたします。

これからさらに資料の数を増やし、科目ごとに

整理したいとも思いますが現状でも、それなりに充実したものと

なっております。

安心してご参加ください。

相談を受ける人へのアドバイス

人はどうすれば幸せになれるのでしょうか?

難しい問題です。しかし、その

理由がわからないというわけでもありません。

幸せになりたいと口では言うのですが、

その言葉の裏に隠れているものは

多種多様で、最低でも10種類の

基本的な欲望が隠されています。

これを見切ることが鑑定家としての第一歩になるのですが、

この点に気づけず、いたずらに常識を持ち出し、

相談者をいじめるエセ鑑定士になってはいけません。

教室では人の行動原理は

一概に幸福を求めているものではないことを

最初から教えているのですが、鑑定の現場では、

どうしても依頼者のストーリを優先させてしまいます。

これは一般的なコミュニケーションの問題になります。

これはこれで良いのですが、問題は、

相手の命式をしっかりと読み込んだ上での

依頼者との言葉のやりとりなのか、

素人と変わらない鸚鵡返し的な言葉なのか

しっかりと自覚していなければなりません。

その如何によっては、通常の会話が最上の鑑定となり

会話が終わった時には依頼者が落ち着き

問題解決の糸口が明確になる場合もあるのです。

しっかりと学び、

依頼者が語るストーリーに飲まれないこと。

現状に満足し楽をしていては一流にはなれません。












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大極論より

大極論を別枠に書いているのですが、少し、違う角度から

みていきます。

まず太極 両義、四象、八卦、万象と

先には解説しましたがわかりましたか?

太極はおおもと、両義は陰陽、

太極がわからなくても陰陽はわかると思います。

具体的には(五行で言えば)

   陰は金水 金を源とする水が象徴です

   陽は木火 木を源とする火が象徴です

(そしてそれぞれに陰陽がある。それを、それぞれの十干の陰陽と考えていただければ良いと思います。)

ところが、火と水では、爆発して、ものの体をなさない。

そこで考えられたものが、それぞれの「器」となるべき要素である

土の概念です。

水と火の活動を停止させるものと考えると

解りやすいと思います。

先天八卦は天の理 後天八卦は地の理と言いますが

後天八卦の盤をよく見て欲しいのですが、

数字で言えば九紫火星、四緑木星、三碧木星の木火の

グループと七赤金星、六白金星、一白水星の金水の

間に二黒土星、五黄土星、八白土星が大きな関として存在しています。

九星では土を知ることが奥義と言いますが

土の本来の意味はここにあります。

また十干と十二支の差についても、ここにそれを解釈する

大きなヒントが隠されており、簡単に言うなら

人の心は十干の在り方をし、

体は十二支の在り方をしている。

つまり人の体は土塊(無機質や有機質や水分)たる器に

十干の精神が宿った生物であるということです。

そして天干に土の性質がなくても

誰もが、この土の性質を多かれ少なかれ持って

生まれているのです。


欲心は恥ずべきことではありませんが行き過ぎると

多くのものを壊してしまう。

他人の痛みを知り

ただ、慎むべきものなのでしょうね。

他人の痛みを知るという教育が世界中でされていないのかもしれません。




他人の痛みより、自分の痛みを知らしめしたい人達は

インテリは他人の痛みを騙って人を傷つけ、

そうで無い者は自分の痛みのために人を傷つける。

テロの一つの構図です。

天人合一1

少し入門コースで話すことを書いておきます。

我々はこの世に生を受けます。

どのような形で生を受けるかというと、

肉体に原野のような心を隠し生まれてきます。

この原野には最初から何種類かの種子が蒔かれ、

肉体の成長とともに発芽し、花を咲かせていく。

この原野には10年毎の季節と、年毎の気候の変化

月ごとの自然な変化が繰り返され、四季折々の

風景を見せるのですが、これを運気と言います。

しかし如何せん、本人にとって

好ましい季節ばかりとはいきません。

自分の心であるのに、思い通りにはいかない。

なぜでしょうか?

誰にも共通することですが、子供時代があり、

青春時代があり、青年から壮年になり、老いて死を迎えるのですが、

この過程は「絶対的季節」とでも呼ぶべき不動の時の流れです。

これに反し、運気には子供時代から真冬の季節に生まれ育つもの、

青春時代に秋霜の季節を迎えるもの等、本人の心の原野の季節は

様々で、それがそのまま現実の形となって現れてしまう。

真冬の運気であれば孤独、諦観(あきらめ)、無気力、思考停止等、

冷え切った心の状況がそこに生まれます。

天人合一3

ここまで書くと、多分皆が一般的に四柱推命に抱いている

イメージと数段かけ離れているのではないのでしょうか。

そうなんです。違うんです。

同じ看板をあげていても、向かう方向が、全く違う。

「人間の存在そのものを問う学びに舵を切った。」

これが洗心庵の他と区別するところの自負です。

教室の生徒さんはプライドだけじゃしょうがない、

しっかりと実力をあげてください。

まずは当たること。でも直感や霊感で当ててもしょうがない、

その判断の根拠を理解して初めて、次の言葉に継ぐことができます。

「こうすれば、時間がかかるかもしれないが事態は良好に変わります。

ただ、それを実行するか、しないかはあなた次第です。」


最後に誤解のないように書いておきますが、壊れて、砕け散ったものは

元には戻りません。人の心も同じです。

八卦論 7 結び

この人の心の中にある「8つの心」の状態を知るにはどうすればいいのか?

運命や占い、人の心理に興味のある方が一番知りたい事柄だと思います。そもそも、そんなことができるのか?と普通は疑問に思うのですが、そもそも四柱推命とはそのための技術なのです。

周易しか知らない方は、一度の得卦でその人物の一生を計ろうとしますが、それでは易で一番大事な「変易」を捨てることになります。また、断易での長時間に関わることを「断言」してしまえば同じことが言えます。
占術としての易は場面場面で起きている現状と、その先に起きる現状のままであればこうなるという情報を依頼者に提示します。断易などは、さらに内心の秘め事を露骨に卦の上に現わす怖いところがあります。このように易は「今起きていること」に対しての鑑定に使うと最も威力を発揮します。

それに対して四柱推命というのは元命式を出すことにより、持って生まれたその人の心の傾向を分析し、大運による変化と、その積み重ねによる星に現れない経験と実績を踏まえて未来を図る方法なのです。

なんとなく私の教える四柱推命の姿が見えてきたでしょうか?どの専門書や市井に出回っている占いコーナーのそれとも全く違います。心のレベルでは外れることがない推命術です。

つねに教えの門は開いております。

希望者はメールにてお尋ねください。

官と財

官と財の関係について

ご存知の通り日干から見たとき

自身を「尅しにくる」星が官

自身が「尅しにいく」星を財といいます。

よく考えてほしいのですが自分を尅しにくるとは

どういうことでしょうか?

一番わかりやすいのは、官星は加害者 財星は被害者のことです



一般に官星は職業の星、主人の星と位置づけられ

命式にこの星があると出世しやすいとか

良い主人と巡り会えるとか言われています。

しかし、その実際は自分を使役しにくる星、酷使する星となります

これが「尅」の意味ですね。

その使役=命令に対し応える事ができればそれは

名誉の星、出世の星に変わる。

至極当たり前の事です。

しかし、その本質を無視して都合の良い面だけが

普及した事により大きな弊害が生まれています。

特に、見合いの相手の鑑定で「官星が無いから出世しない。

やめときなさい」などと鑑定している輩が多くいることも

事実です。



次に財星についてですが、(日干が尅す星のことですね。)

一般的には財星はお金の星、楽しみの星、

異性の星とされています。その本質は

日干(自分自身)が

「無条件」に使役する、使い回せる星となります。

自分が自由にできるハズのもというところでしょうか。


大部分の人が自由にしたいと望むものとして

お金、異性の星としての意味がこういうところから

生じています。



ここで、さらに考えて欲しいのですが、こんどは官星から

見た日干の通変星の姿は何でしょうか?

官星から見たとき日干は財の星になります。

そして、これがどれだけ危険な事なのかにお気づきでしょうか?

先に書いた

被害者と加害者の関係を思い出してください。

さらに、官星が命式に無くても、社会のなかの関係性としての

官、財の姿があることに気付かなければなりません。

代表的な姿を例示しておきます。

「官」          「財」

上司           部下
  
 親            子

 夫            妻



教室の内容をあまり公開しても仕方の無いことなので

後は想像にお任せいたします。

このように一般に普及しているものとは全く違う推命法

通変星の解釈を学ぶことができる教室です。

さらに緒方先生の泰山流の用神法を学ぶ事により、運勢の

安定と危険回避のノウハウを身につけていきます。




趣味の延長で学ぶには難く、また、ご自分の出世のためだけに

学ぶにも難があるようです。

内容が内容だけに、あまり一般に普及させては

いけないのかもしれません。

10月からの新期推命教室

推命教室には色々な流派があり、ピンからキリまで様々です 

結局は、どの先生につくかはその先生とのご縁になると

私は思います。

私も緒方先生と出会うのに20年かかり、

それから14年の月日が流れて、いまだに

教えを乞うています。

それでも、どんな出会いにも切っ掛けというものがあり

大抵の人は色々な本や、ネットでの評判、派手な宣伝や

テレビ出演。現実的な問題として

講義の値段などや教室の場所の利便性で

決めていますね。

ところが我が洗心庵は流派は正統ですが

(一般の人に正当性を説いてもあまり意味がありません)

有名でもなく本を書いている訳でもなく、

のらりくらりと生きて行ければイイヤ程度の

心がけなので、世の中から忘れられた状態です

ある意味とても心地がよく自由ですが、

教室を開き生徒さんを育ててみると

もうすこし、世の中に貢献出来るかも...

と思い始め一生懸命教え始めています

そこで、ここの教室で学べばどの程度の事が

解るようになるか私が研究用に集めた命式のいくつかを

たまに発表したいと思います。

鑑定法は用神法は泰山流でとりますが、それ以外は

先生の講義にかじりついて自然に身に付いたものや

私が研究の中から見つけ出した方法です それゆえ

間違いについては同門の責任ではなく

私自身の誤解から生まれたものです。

私の実力=流派のそれとはとらないよう

誤解がないようお願いします。


それでは、けっこう集めた私の命稿集から

公開しても大丈夫だと思われる実在の有名人の

人物解析をしていきます

本人解説はwikipediaからのコピー編集です

豊田商事事件 1985年6月18日

永野一男 

15歳のとき、島根県の叔父宅に預けられ、現地の中学校を卒業し、集団就職で日本電装(現・デンソー)に入社したが、2年で退職。その後は転職を繰り返し、商品取引業者の岡地に入社。岡地では高い営業成績を上げていたが、顧客の金を勝手に小豆市場につぎ込んで大穴を開けたことが発覚して解雇されている。豊田商事の現物まがい商法で数千億円もの金を集めるのに成功し、高級乗用車(ランボルギーニ・カウンタック等)を乗り回し、さらには自家用のクルーザーまで保有するなど派手好みではあったが、一方で「顔を知られると殺される」とマスコミを嫌い、社員ならびに役員にも顔をほとんど見せなかった。破産時、売り上げの半分は従業員への給与の支払い(支店長クラスで基本給90〜140万+役職手当90万これに支店の売り上げの0.5%が加算される)会社の運営資金として、残り半分は永野個人の先物取引での損失や会社としての事業の失敗により殆ど消えており、豊田商事には資産といえる資産は皆無だった。永野一男個人も、殺害されたときの所持金はわずか711円だった。

元命式の解釈 欲心の強い身旺 特徴は財星が天干に一つだけあり根がなく辰の蔵干の癸が頼りだが、常に未に焼かれ蒸発し消える予感を持って生まれてきている 財が無くなる事に対する不安がこの人の魂に刻まれた基本的な姿 
しかし皮肉な事にこの人が財を得ると地支の官星である木の官星が生じられ必ず本人を潰しに来る。とても神経質なところがあり、官星からのイジメを常に心の中で感じていた。ここで用神法等色々あるのですが端折って、月の柱の丁と日干は未に通根し未が潰れれば両方が潰れる関係 これが彼の急所になります。 ここまで元命式を読んで次に大運年運との絡みを読めば、彼の人生そのままの姿があらわれてきます。

年干支の壬は丁と干合しているので 金に対する執着、手段を選ばない欲心 辰の財庫が年の柱にあるので、これは他人が集めた金=最初から他人の金に興味がある人 22歳からの戌の運で冲開している 同時に土星大過、欲心が嵩じる 乙丑年 一番大事な未の根が丑に冲され、さらに年干壬に透干する さらに大運は辛亥運に変わり、亥卯未木局し財運が旺じ官星が局を結ぶ。財大過の現象と官の現象が起き、日干を粉々にし、流してしまう。流土。乙木でも己は剋せると教科書にある通りの現象。 
                    
1952年 8月1日  1976年 24歳  庚戌運 丙辰年 3月スリで逮捕 
            1978年 26歳  庚戌運 戊午年 豊田商事の前身
                                 の会社創業 
  己 丁 壬     1985年 33歳  辛亥運 乙丑年 壬午月 戊子日
  卯 未 辰                     6月18日刺殺される

52 42 32 22 12  2      
 壬  辛  庚  己  戊  丁
 子  亥  戌  酉  申  未

わりと単純で解りやすい命式です。教科書として使っている緒方泰州著「四柱推命 実践鑑定講座(基礎編)」を詳細に読んでもらえれば、一般のかたでも理解出来る命式です。

さらに、本人解説と一緒に読んでもらえれば、なぜマスコミに顔がバレる事を避けていたのか等々いろいろ見えてきます。彼の急所が運勢に直接叩かる形で死期まで予言出来る命式ですが、決して誤解しないで欲しい点があります。それは丑の冲は彼のそれまでの生き方が試される時期という意味合いで、必ず死ぬことが決定しているのではありません。もし良く人に尽くし、他人から恨まれるようなことをしていなければ絶対に殺されません。もし、用神を使って生きていれば、事業をしていたばあいでも最悪メインの取引先が倒産し、資金繰りに奔走しなければならなくなる程度です。それでも、まだ、力を貸してくれる人は現れていたと思います。用神法とは人を活かす方法で人の可能性を謳っています。私はとても貴い考え方だと思っています。どんなに今はダメダメでも進む方向を修正し、諦めなければ道は開く。私が学んだ用神の考え方の一つです。

断命する実力がないのではなく、人の可能性を信じるから推命としています。

生徒さんへ

亡くなった方を例題にするなど、とても不遜なことですが、手を合わせてこの方の人生を見せてもらい、星の姿と動きを研究してみて下さい。また、用神を取れる人はどうすればこの人が死に追いやられるような事がない生き方が出来たかを考えて下さい。あなたが彼から相談されたときどう答えるかということです。

よくある「オマエは死ぬ運命だ」と罵声して逃げる事はしないで、粘り強く考えてみて下さい。


教室に興味がある人へ

私の教える推命はご覧のように本人の流れる魂の血の色まで見分けるものです。何人かの生徒さんはこのことを「怖い」と表現していました。でもこれは医学生の解剖の授業と同じで、目的ではなく運命の基礎の理解です。この魂の構造を把握した上で、いかに魂のゆがみを直し、病を治すかが本題です。

四柱推命の古典の典雅さに触れ、古典を学びたい方には、こちらの実践鑑定法は美しい語句も並ばず、ただ、おどろおどろし過ぎて主義に合わないと思います。また、結婚の時期を知りたい、良い相手と結ばれたい、相手の気持ちが知りたいというお嬢さんには、相手の腹の底が見え過ぎて、多分、絶望するでしょう。また、自分の星の現状に悲鳴を上げるかもしれません。暗く落ち込むかもしれませんね。お金を払って落ち込むのは浪費でありマゾです。けれども、生きたいと強く願う意思があるのならば、今度は自由に空を飛べるようになるかもしれません。まったく違う人生を保証します。

恋や結婚が破れたとき

「どうして?」と誰もが問います。

(もちろん明確な理由がある場合は別な話ですが....。)

原因をあれやこれと考え理由を求め苦悩する。

けれども、合理的な理由を求めても

答えが出ない事を悟らなければなりません。

なぜなら、運勢の星に支配された出会いであり

その出会い自体が非合理的なものだからです。

先に書いたビビットの直感などというのは

最たるものです。

恋愛以外ではとても優秀な直感なのですが

こと、自分のことになると効かなくなるのが、

世の常で、霊感関係の占師さんも、よく、

そうおっしゃられています。それを回避するには

自分自身の運勢を知る事が必要なのですが

運勢などというものを意識して人生を過ごす人は、

まず、いません。

心に大きな傷を負い、初めて

自分って「なに?」

これって「なに?」

と問い始めたとき初めて運命とか運勢とかを意識し始め

いわゆる非科学的な占いの世界に理由を求めるのですが,

実は、この世界は非合理でも非科学的でもありません。

例えれば星どうしの化学反応で

それを判っている人と、判っていない人がいるだけです

判っていない人は統計学とうそぶき

教えられた通り、この星があるから

こうなる。お前はダメだと居丈高に紋切り型の答えをし

専門用語で煙にまき、そこに何が起きているのか判らない

運命の一言でかたずけます。

判っている人は普通の言葉で当たり前の話をし、

専門用語は使いませんが、そこに真実があるから

心に響きます。当たった、外れたの話ではなく、

今ある苦を解決するための方法と、

人生を改善するための智慧を提案します。

過去に合理的な答えを求めてもそこに答えは

ありません。けれども思うような未来を作るためには

必ず、合理的な理由が必要です。

運勢に流されるのではなく、たとえ何パーセントでも

自分の思うような人生を作る事が人として価値のある事です

選挙

選挙のことで質問なさる生徒さんがいたので

少し書いて起きます。

(私が時々国会の先生方について書くのは

その発言や行動を観察することにより、

持って生まれた元命式が

どのように「動いてきた」のか「動かしてきた」のかを

知るための格好の対象だからであり、

政治的な意味はありません。)

今回の衆議院選は面白かったですね。

全国的な大雨の日、有権者の約50パーセントが

万難排して何としても投票し、

残りの50パーセントの人々は投票所に行きませんでした。

「日本」の将来と「政治団体」に興味のある人と、

そうでない人の比率が半分半分なんて、面白いですよね。

私はこうゆう数字を見ると、ついつい自分の仕事に

関連させて考えてしまう癖があり、

私の中では「自分」の将来に関心があり

積極的に自分の人生に参加しようという人が

50パーセント。

自分のことだから関心はあるけど、

積極的には考えたくない人が日本国民の中には

50パーセントといると理解されてしまうのです。

だいたい、先の人たちは自らトラブルを起こし、

あとの人たちは知らぬ間にトラブルに巻き込まれる

タイプなのですが、実際見ているところと、ほぼ

同じ比率です。

「政治なんて関係ないよ、俺には」と嘯くのは

勝手ですが、コンビニで買うお弁当一つにも

政治で決められた様々な法律に基づく、義務や

税により、がんじがらめになっているのを知らないだけです。

もしかしたら、何も考えることができないよう

上手に家畜化されているのかもしれません。

「だって、そんなこと知らないもん。」

その通りですね。その仕組みを知れば、

国民(俺)をバカにすんじゃねーと言える。

そして、運勢も、実はこのような仕組みでできていて

毎日、当たり前に思っている「心の動き」が

実は。原名式という、人体の骨格にあたるものに縛られ、

かなり限定された動きしかできないということに

気づけば、もう少し苦しみが減るのですが。

何ともかんともです。

実践鑑定

実践鑑定を教えてくれ。という人がいます。

実践鑑定とは依頼者の相談を聞くことから始まり

解決の糸口を見つけていく作業であるというのが

私の常識です

もし、四柱推命と名乗り相談者に何も聞くことなく

あなたの運勢は〇〇ですよ

こんな癖がありますね

こんな人と出会えますよ。

ということを言ったとしたら

それは鑑定では無く占いに分類されるものだと思うのです

相手の相談の内容に関係ない、未来の可能性の提起であり

とても前向きでファンタジーのある癒しのメッセージですが

私の考える四柱推命とは鑑定の概念がまったく違う。


もし、相手の苦しみをどうにかしてあげたいと思う

気持ちがある人には入門テキストの内容だけで

十分な効果をだせると信じています 必ず本人の誠実さが

それを見つけられると思っています

(実際の現場では、相談者の多くは「なんとなく、運を見て」

「別に悩みなど無い」といいつつ占い師の前に座ることが

多い。そんな場合であっても命式の特徴の一部を告げ、

合っていれば、本音が漏れてくるものです。)



この辺りがとても誤解されやすいところなのだと

再確認しています

かつても生徒さんに、ここで教わることは人の

内臓を見るようなものだ(気持ち悪い)と言われたことが

あるのですが、その内蔵にこそ苦しみの種があるのです


一般的な鑑定は初級を終えれば十分可能なのです 

もう一つ欠かせないことは人の話を真摯に聞くこと。

ただこれも、ときどき問題が生じ、相手を甘やかし 

依存させることに繋がってしまう

(親離れ 子離れも時には必要なのです。)

人は独立自尊であるべきだと私は思っているので

なかなか辛いところがあります。


こんな苦行的な鑑定法は嫌だと思うかもしれませんね

しかし占い的なありかたができないかというと

できるのです。用神法は応用が広く奥も深いのですが

これは基礎の基礎ができた上での話であり

基礎の基礎とは「易」であり「時代の変化」を

知ることですが、ここまで求める必要はありません。


繰り返しますが

実践鑑定は初級で習った命式と相談者の状況とを

併せて、よく相手の話を聞くこと そして、何がそれを

言わせているのか 起きているのかを判断し

あなたの誠意をもって答える これで十分です

さらにラッキーアイテム等々について言いたいというのであれば

その筋の専門家に習うことが最善です


教室の研究科は初級の知識を活かし、

さらに人の奥を探求しようというクラスですが

どうしても初級で学ぶ数学でいう、

この流派独自の公式の習得が必要で既存の知識だけでは解がでません


もうちょっと早く商業主義的な鑑定とは違うとハッキリと

宣言するべきでした 

コラムを読んでいただければ大丈夫だろうと

高を括っていました。 反省しきりです

時代が明確に変わっていることを感じます

自分の価値

健康で元気に毎日を過ごしている人達は、

ほとんど考えないのですが、いろいろなことが重なり

不幸が続いてしまった人の多くは

「自分には価値があるのか?」と問い始めます。

「自分には価値があるのか?」

これは「自分には生きている価値があるのか?」

という問いかけです。

昨日、生徒さんが命式研究の題材として、

ある自死のかたの命式をお持ちになりました。

見かけ上の強さの根拠である星がもともと

潰れかけていたものが、様々条件から

心の混迷を誘い、無き夢を追いかけるような形で、

日にちと時間が重なった日に亡くなっていました。

解説するのが辛い命式です。

過労とパワハラによる神経衰弱が原因とのことですが、

それ以外の因子が明確に命式に現れていました。

なんとも言いようがありません。

お釈迦様のお弟子さんたちは、

人間に生まれることの難しさを滔々と説きます。

魂魄のレベルで言えば、今回は人として生まれても

次回は人以外の生物として生まれていてもおかしくないのです。

前にどこかで書きましたが、肉体が地に還った後も魂は浮遊し、

さらなる、新鮮な肉体を求めて彷徨い、

再び母体に落ちるというのが循環の原理です。

陰陽五行思想というのは突き詰めると

そのように出来上がっています。

それでは自分たちの魂は何処へ行くのか?

となるのですが、結局は亡くなるまでの生き方と

相応の世界(経済、環境、血統、社会的地位)にある

父母とご縁が生じ生まれ落ちると考えるのが自然ではないでしょうか。

ただし、これは人間に生まれるだけの徳を備えていた人の話です。

受胎の過程というのは人も、哺乳類も、昆虫も、魚類も

卵子と精子の結合、受精によって成立しています。

つまり、生に対する強い執念がある場合、

再生の過程が同じであるがゆえに

人間の世界だけが再生の場とは限らないということです。

「日本霊異記」の中にも、牛に生まれ変わった人の話があります。

かのお釈迦様でさえ動物に何度も生まれ変わっているのです。

残念ながら「死んだらおしまい。」ではない。

死は救いにはならない。

じゃあ、どうすればいいのよ、となりますね。

人は自と他の関係性から一歩もでられないというのが

自他の順逆論です。ここから導かれる結論だけを言うと

「他人の目から見た自分自身の価値を求めている限りは、

人は自分の価値なんて見出せないのです。」

だからこそ、

自分で自分に価値をつけて行くことが必要なのです。

どうすれば、そんなことができるのか?と問う人がいるはずですね。

一例を挙げておきます。

ヘアードーネーション

ここにヘアードーネーションというものがあるのですが、

もし、あなたが女性なら子供達のために

あなたの髪の毛を役立てて見ませんか?

自分には価値がないと思っていようと、

あなたの髪の毛は感謝され、価値が生まれてきます。

人生は自分との戦いです。

上手に自分と妥協しながら、少しづつ自分に勝っていけばいい。

粘り強く、戦いを放棄しさえしなければ、

最終戦の頃には、結構いい線まで行っているものです。

自分に負けさえしなければ勝ちと一緒です。

とりあえず弱い臆病な自分に「はいはい、大丈夫よ。」と

告げて挙げてください。

それで大丈夫です。

実践鑑定

緒方泰州全書の13巻の(四柱推命学奥義伝)

第5章実践鑑定各論の138ページの5行目に

実践鑑定においての心得が書かれています。

「実践鑑定において心得なければならないことは

四柱推命はあくまで運勢を計る物差しであり、

運勢を開く者はあくまで、その本人の努力です。

実践鑑定を行う者の目的は、わずか針1本でも

他人の苦を抜くことに務めるべきであり、推命学を面白おかしく当てる

当てものに堕落させることは慎んで頂きたいと思います。」

このようなことを宣言している先生から私はこの推命を習いました。

鑑定免許を頂いて以来、鑑定する際は常に肝に命じて

鑑定してきたつもりです。

教室では他人の苦しみの針を1本抜くことが

自分の苦しみの針を1本抜くことだと教えられてきました。

その通りだと今は実感しています。

教室を受ける方は自分はプロになるつもりはないので

推命なんて学ぶ価値はないと思う方が多いかもしれません。

けれども自分自身の運命に関して何らかの不安や

疑念を持っているのではないでしょうか、また

どうにかしてこれだけは直したいと思っている心の癖が

あるのではないでしょうか?そのような人生の苦悩をもって

私の所を訪ねてこられる方も少なくありません

ただ、私の経験では、こちらが誠心誠意その方の運勢を説明し、

過去の心の動きを手にとるよう指摘し、すべてがその通りで、

驚愕し、私の目の前で震えていても、数日たつと

自分を変えることに抵抗し始める人がいます。その場では納得し、

こちらが用神の指導をしても、今ある問題に揺れ、

もとの自分に戻ってしまう。業が深いといえばそれまでなのですが、

多分、どんなに正確な、その時は胸を打つ情報であっても

他人に言われることは、本人が体験し気付きが生まれる程には

説得力がないのだと思います。

それならば、自分自身で自分の運勢の姿を学ぶことが

最高の気付きの場になるのではないでしょうか

自分の運を乗り切り、運を開く努力を裏付ける根拠としての

推命の価値は計り知れません。

私自身はそうやって自分の苦悩を解決してきました。

将来首相になるよとか、大金持ちになる、スターになれるとか

そんな鑑定法は教えませんが自分はどのように生まれているのか

どうすることが人として価値のある生き方なのかは確実に

理解できるようになります

緒方先生が完成させた特別な運勢鑑定法です。

ご自身の運勢を映す鏡として学んでください。

新年にあたって



「身はたとへ何処の野辺に朽ちぬとも留置まし科学者魂」脳科学者の澤口俊之先生のブログの2011/01/03「恋愛の本質は自己向上努力」がおもしろかったので紹介しておきます。公式サイトの左にあるブログの欄から入って下さい。 

澤口俊之の公式サイト

このブログには澤口先生の考える科学的データーに基づく恋愛の本質論が書かれています。

しかし現実は複雑です。

ここに書かれていることと照らし合わせて見ると

現実で行われている「恋愛」と呼ばれている行為は、

取引だったり、おねだりだったり、妥協だったり、

優柔不断の産物であったり、やるせない依存であったりと複雑です。

先生のブログにあるような本質的な、お互いを高めるという行為が伴えば

本物の恋愛になるのでしょうが、それに気がつくまで、

精神的にも物理的にも、

ただ、相手を貪り、自分を満たすためだけのパートナーのままで、

厭きれば別れることになります。

相手を自分の思い通りにしたいと、狂おしい日々を、

もし、送っているとするなら、少しだけ、自分の人生について

考える時間をもつことをしてみませんか?

自分の価値は若い、今しかないと思うのではなく

自分がおばさんになった時、

貴女はどんな人になっているのか?



若さと言うのは誰もがキャットウオークを

歩いているようなものです

欲しい物が手に入らないと嘆くのではなく

親が悪いと誰かのせいにするのではなく

もし、誰かのせいで自分はこんなに苦しいんだと思う相手がいるのなら

その憎しみに縛られているうちは、その憎い相手が

貴女の人生のキャステイングボードを握っていることになります

自分から手放すしか自由にはなれません


一番美しく力強い今、将来の基盤を作って下さい














結婚出来ない女性 ワースト20

昨日テレビで結婚出来ない女性ワースト20という番組を放送していました

20位 デートで相手におごってしまう人(自分の価値を捨てているのと同じ
                                事だそうです)

19位 結婚しなくてもいいから子供だけ欲しいという人 (9割型不倫をしているとのこと)

18位 バーのカウンター(居酒屋)で一人で飲める人 

17位 結婚相手に普通の年収を求める人  (ちなみに一般的な女性が相手に求める
                            年収は600万だそうです)

16位 なんでもメールで済ましてしまう人

15位 好みのタイプが架空のキャラクター(アニメや漫画のヒーロー)

14位 笑いにうるさい人

13位 困った時に占師に相談する人   (非科学的)

12位 メイク時間が11分以内の人   (なおざりなメーク)

11位 靴が個性的な人         (個性が強過ぎて嫌われる)

10位 将来に備えてマンションを購入する人 (負債が嫌われるそうです)

9位 恋愛より仕事を優先する人      

8位 毎日親に連絡する人

7位 一人暮らしでペットを飼っている人

6位 黒や暗い色を着る人 黒は男性を遠ざける色だそうです (ピンク オフホワイト
                                パープルが恋愛色)

5位 頻繁に女子会を開催している

4位 スケジュール帳が1ヶ月先まで埋まっている人(フラワワーアレンジメント 
                         ワインスクール 語学スクールは
                         男性が興味が無い趣味だそうです)

3位 自称つくす女と言うひと

2位 結婚相手に同じ価値観を求める人   (統計的に稀だそうです それよりも価値観
                      を埋める価値観が同じ人が良いそうです。)

1位 彼にお金を貸してしまう人      (お金にルーズで家庭を管理出来ないと
                                 思われるそうです)


このうち13個以上当て嵌まる芸能人の方の星を調べてみたのですが、その通りかもしれないなと妙に納得させられました。

一番の特徴はどんなに華やかに見える世界で生きていても、自分に自信が無く、相手ができれば、どこか最初から家庭を持つ事も結婚して正式な妻になる事も諦めてる。たぶん何回かはとても良い人から結婚を申し込まれているはずですが、自分から断っているようにも思えます。最終的には正式な妻になることに怖じ気づき、今のままでいいのよと相手に言って、男が去って行ったというのが星から見た生き方です。しかしこのような方は、誰かが側にいて本人が納得するような形で背中を押してあげれば結構よい結婚が出来、それほど深刻に考えなくてもよいものです。

肉食系のハンターと自称していた女優さんも出ていましたが、これは別物です。このような人はいつでもキープ君がいて、誰かにバカにされたり、見下されたとき、結婚して相手を見返すことをし、また、自由になるため離婚する。
先に書いたひととは別世界の生き物です。この方達に出す処方箋は基本的にはありません。唯我独尊ですから、他人がどうのこうの言う必要はありません。




このデーターは全国1万人29歳から49歳までの独身女性の行動を恋愛研究のプロが分析しランク付けしたものでこのプロの方達が正しいかどうかは別の話しですが、ある程度は参考になると思います。

その中で大学の先生が話していたのですが結婚はタイミングが大事で結婚バブル期というのがあり、これは恋愛に熱くなってお互いの悪い所が見えなくなって、とにかく結婚してしまえと思う時期だそうで、酷(ひど)いなーと思いながら見ていたのですが、この時期を逃すとお互いが冷静になり、なかなか先には進めないそうです。


結婚は難しいものですが、とにもかくにも一度は結ばれたご縁を大事にし、お互いが忍耐強く家庭を守って欲しいものですね

推命学と政治

一般の方は政治に関する話題を嫌う傾向にあります

「権力に対し発信することの恐れ」がその理由ですね

ただ我々の業界の者から見ると

(もしかしたら私一人かもしれませんが)

とても興味深く 面白い

個の運勢があり 他人と集うと 集合した運の流れが起き始め

それが更に集まると 法人としての流れ 地方 国家と

だんだん大きな流れとして動いていきます

国家の運を実星と虚星になぞらえ 判断する占法もありますが

「人を見ずに 星を見てもしょうがない」

というのが私の考えです。

もちろん実星により戦や自然災害の兆候を知ることは

意味があると思うのですが 

それはどうにもならないことであり

予言の類でしかありません

中にはそれが起きることを期待する輩や

お商売に利用しようという連中の道具に

されてしまう 

1999年の人類滅亡の大騒がいい実例です

自然災害は尽きるところ

国の仕組みと国民の蓄えた潜在力の大きさが

最終的には物を言うことになります

今回の台風被害は凄まじいものでした

水による災害を「水官の災い」と呼びますが

激甚災害制度という仕組みと自治体 個人の

努力により、元の姿以上に自然災害に強い

町作りがなされ再生されると信じたいところです

話を元に戻しますが

政治というのは実に この辺りの集合した

個々の運勢の流れがぶつかり合い

現象が顕著に起こっている

今の野党のあり方を見ていると 

どうも次の「選挙の票読み」に戦々恐々し

それが原因で「お馬鹿」になっているようで

「支援者」が望む、いわゆるマスコミ受けする

浅薄な問題ばかりを追いかけている。

それならば「支援者」がしっかりとした政策や

日本の未来に対する問題意識を持ち 

議員を突き上げれば野党は変わります


起きている現象がこちらの観察通りならば

(ここが難しいところですね)

解決法は導き出せるものなのです。

推命学が「帝王の学」と言われる

一端がここにあります

運を変えること

現状がどんなに悪く悲惨であっても、

それは変わるものなのです。

こう書くと、じゃあ、変えてみろよ。と

言われるかもしれませんが、なんども書きますが、

自分の人生は自分で描くしかないのです。

他人には変えられない。

苦しみを抱える多くの人達は、子供の頃の親との

関係に問題を抱えています。

そして大人になってからも、その時の時間に縛り付けられ

心の中の一部の時間が停止しています。それは

大抵「恐怖」「自己否定」「諦め」などの言葉で

代表されるものです。

だから自分を認められません。これにより自分には

人生に根を張る価値がないと決めてしまっている人達もいる。

それでも、寂しくて、人になついてみたくなったり、

人恋しくなったりする。ただ安心したい。

人にとっての一番の安心は人の中にいることですものね。

そして、自分と同じ傷を持つ相手に対し異常なほどの親近感と

安心を抱きやすい。波長が合うのだから仕方がありません。

けれど、お互いが安定した生き方がわからない。

だって、

親が最悪の見本であり安定した人生を送っている大人たちと、

まともに出会ったことがないのだから。

そして時間ばかりが過ぎ、年ばかりとっていく。

自分の絶望をわかってくれる人は誰もいない。

最悪の場合、

他人を傷つけて自分の絶望を他人にも味合わせようとする。

もし心の中に閉じた「時間」があるのなら、

ほつれた糸を解くように、そこに光を当て、

目を逸らさずに、ほどく努力を少しづつでも続けることです。

新しいカルマを生み出す努力をすることです。

心が動けば、あなたが信じる「宿命」も動き始めます。

業の話

土地の持つ業

デイリー新潮

土地にまつわる因習の話が書かれています。

教室で聞からた時は「土地に関わる業」の話をしますが、

良い実例だと思います。

「因習」というのは人の魂にまで刻まれるものなのかもしれません。

理由のない不安、絶望感、厭世感、諦めの原因が、

もし、ここにあるのだとしたら、

身に覚えのない過去を完了する必要があります。

そのためには、

自分で自分を縛っているこだわり、思い込み、自分ルールを見直すことです。

固定してしまっている自分のものの考え方や、

自分のかけている色眼鏡の色にまずは気付くことことです。

(色眼鏡、たくさんありますね。〜は〜でなければダメだ。というやつです)

そして、平凡でも幸せな人生を実現するための努力をすることです。

自分の心の何処かにある、時々鎌首をもたげる、

理由のないネガテイブな感情と「幸せに生きたい」と願う

今ある自分の意志を「区別」することから始めることです。

記事には「奴隷」と書かれていますね。

その時代は終わっています奴隷でいる必要はありません。

土地の話2

コラムは重い話ばかりでやんなっちゃいますね。

土地の話など、本当は書きたくないのですが、

公にできる絶好の機会なので書いておきました。

風水的な、どうのこうのは間違いなくあると思うのですが、

現地を見ていないので何とも言えませんが、

風水先生や霊能者の方達は古戦場や、

過去に色々あった場所に住むことを禁忌としています。

私は土地にまつわる様々な現象はその土地に刻まれた記憶の

影響だと思っています。

どの国もそうだと思うのですが農業を主なる生活の糧としてきた

土地では村の掟の上に、皆が共同体として依存し合いながら

助け合うことで人生が成立していました。

(その掟に従えないものには、村八分のルールが適用され共同体から除外され、

時には排除されました。楢山節考にもその表現がありましたね。)

また、農作業に不可欠な「水」の分配のための、文字通りの血で血を洗う

村同士の抗争も歴史として残されています。水争い

農耕民族の、よそ者に対する閉鎖性は自明の理です。

(日本全国例外はないと思います。)

そのような先祖の記憶が刻まれている土地の上で生まれ育って

我々は今、生きているわけですから、

生まれた地域によってに個々に独特の思考の傾向があるのは

仕方のないことです。

まあ、何で、つらつらこんなことを書いているのかというと、

結婚相手にピンとこないという人の、「ピン」の理由が

この辺りにある場合があるからなのです。

また職業の選択なども同様の場合がある。

結局、人はロマンスだけで相手や仕事を選んでいるわけでは

ないということなのです。

縁は異なもの味なものとはよく言ったものなのです。

実に根深いものがあり、特に男性側には母親の育った土地の

傾向で伴侶を選ぶ場合があります。

将(しょう)を射んと欲(ほっ)すれば先(ま)ず馬を射よです。

親子関係が良い男性であれば、その母親を真似る(学ぶ)ことです。

また、自らの出自を嫌い、見栄を張り、

出会うべき、ご縁のある相手を捨てている場合もあるのです。

結婚したいけど、相手と出会わないと言っている人は

この辺りを再検討してみてください。

出会うべきご縁などと書くと、「強いご縁」のように聞こえますが、

そのご縁とは、運命の風に吹かれて目の前に一瞬現れる

一枚の鳥の羽のようなものなのです。

(35億分の1を考えればわかり易いですね。)



ここで言う「強いご縁」というのは、お互いの業の磁力に

引き寄せられた腐れ縁のようなもので、

たいていは苦しめ合う現象が起きています。

それもまた人生であり良し悪しはありません。

ただ、苦楽がだいぶ違うだけです。

仏教

ダライ・ラマという方は、やはり凄い方ですね。

本物の本物はこのようなのでしょうね。

ダライ・ラマ法王 法話

今年の5月、つい先日開かれた広島でのイベントが無料で公開されています。

法話の中では、普通の人は言いにくいことをハッキリとおっしゃっています。

「鈍い知性」

仏教にファンタジーを求めている方には実に厳しい表現です。

分析検討し正しいと認められた時受け入れる。

この辺りは推命も同じですね。

2020年 教室について1

こんなご時世ですが4月から教室の新人さんを

募集したいと思います。

出入りがあるので、今年は3、4人くらいで

締め切りとしたいのですが、

世話になっている占い師さんや鑑定士さんがいる場合は、

その先生方に ことわりを得てから応募してください。



厄介な世の中ですね。

コロナウイルスの感染対策も手洗いとマスクは言いますが

女性の化粧の関係からでしょうか洗顔は推奨していません。

しっかり目を洗い、鼻口周りを流水で流してくださいね

大きいマスクをしているわけですから眉を描く程度で可と

しましょう。身を守ること。余計なものを塗らないことです。


こんな時はイライラして誰かに罵声を浴びせたい気分に

なる人達がいるものです。

お隣の国のマスコミが日本の防疫をけちょんけちょんに

蔑んでいましたが、今は見る影もありません。

何事も暴力的な感情は、ほぼほぼ自分達に返ってくるものです。

全ての人のなす事柄に言えることです。

昔から、心に鬼が生じたら「クワバラ クワバラ」と

唱え払ったものです。試してください。

他人や政治を呪っても、基本的には何も変わりません

心に 「誰か」を大事にする思いを持ち続けることです。

「誰か」なんていないという人は、大判振る舞いで

「生きとし生きる者」とでもしておいてください。

そんなあなたは観音様です。

(^∇^)


ーこちらの教室の四柱推命についてー

占いでお金を稼ぎたい人には

こちらで教えている四柱推命は、

正直ちょっと難しいかもしれません。

私が難しくしてしまった感があるのですが

自分のテーマでもある「真理の探究」が、影に日に

影響し「人とは何か」という重いテーマと

向き合うことになってしまいました。

人の内臓の話を聞いているようだと言って

辞めた生徒さんがいました。

そのくらいリアルに人の心をこの教室では

分析していくのですが、

医者になりたいと言って学びに来て

人体解剖は気持ち悪いから嫌だでは

この学びを身に付けるのは無理な話です。

お金を稼ぎたい方は、大衆受けする

中国5千年の秘法とか、天地の真理は気にあるとか

喧伝している占術の方が向いています。

いくつかの脅しの凶星さえ避ければ、

沢山のハッピーエンドが保証されています。

そのほうがお客さんには喜ばれる。

占術としての九星術もタロットも占いとしては

良く当たります。

気学も相性の勝ち負けで罪作りをせず

凶方位でがんじがらめになって

気学の気が狂気の「気」とならなければ

けっこう楽しいものです。

一般的な四柱推命術も「空亡」で罪作りをしなければ

それなりの人生の杖にはなると思います。

それぞれのご縁を大切にすることが、

最善の選択なのだと今は思っています。

皆様に良いご縁があるといいですね。

2019年の締めくくり

あと数日で2019年も終わります 

実に早く時が過ぎていく

ついこのあいだまで半袖で暮らしていたのに 

今はヒーターがなければ いられません。

運命学は「君子立命の学」だと

私の中では定義しているのですが

未来予測の学びとしても 

他の占いに優っても劣るところはありません

個人から、法人、国家に関するまで 

「人間」が関わる事柄に関しては万能だと思っています

しかし、だからと言って、

「人」のすべてが理解できるわけではないのです

持って生まれた主たる星については

ある程度理解できているつもりですが

人として生まれたことによる苦しみについては

さらに探求しなければならないと思っています

除夜の鐘の騒音問題が話題になっているようなので

煩悩について 少し書いておきます

この煩悩から生じる苦しみを四苦八苦と言います

1 この世に生まれてきてしまったこと

2 衰え劣化していく体

3 心と体が傷つけられる痛み 病     

4 死  ここまでを四苦と称し

5 愛する人との別れ 

6 生理的に好きになれない人 傷つけたくなるほど憎い人との出会い

7 求めても得られない苦しみ

8 五蘊盛苦 

  漢訳では「肉体は苦を守る器」と解説するものが多いのですが
 
  ちょっと難しいのでざっくりと解説を入れると

  人の体に備わる 五感のそれぞれが認識する対象

  視覚ー素敵な 景色 美しいものを見たい 
  臭覚ー ;  香り 匂い 
  聴覚ー :  音を 聞きたい
  味覚ー :  味わいたい
  触覚ー :  手触り 肌触り 肉体の接触による気持ちよさ
  意識ー :  精神的な満足感

日常生活の中に これらを求め得たものを味わい 

さらに良いものがないかと思い求め 心が満たされることなく、

もっともっとと迷い執着し 嫌いなものは拒否し

受け入れないという 

我々の日常のあり方そのものが苦の原因になっていて

人は自分の目の前にあるものには なかなか満足できないし

満足できたと思った途端 もっと満足できるものがあるはずだと

思ってしまう生き物だというのが五蘊盛苦意味合いです

じゃあ、どうすればいいのですか?となると思うのですが 

苦しみを終わらせる方法は教えてあげる、

でも自分でやるしかないんだよと 

言ったのがリアルな仏様の姿です

年末ですのでついでに書いておきますが 

信仰の本来の意味は 仏の生き方を尊重し 敬愛し

彼らに恥じない生き方をしようと自分を戒め

正しい教えを学ぼうとする生き方だと思います

私は徒党を組む事が嫌いなのですが 理由があって、

面白いもので、人は仲間ができると必ずお互いが

「評価」というのをし始め それを始めると

不思議なくらい自然に

「相手を思いやる」気持ちが衰えていく

四苦八苦とはよく言ったものだと思います

できる奴には嫉妬し できない奴を見下す

そして 自分の欠点に執着し敵の欠点を見つけようと

だんだんと内なる世界の「暗いもの」が手放せなくなってくるのです

この「暗いもの」こそが煩悩と言われているものです

夫婦や親子 同僚等々どこででも起きている現象です

妻(夫)の出世が許せない 子供の若さが(自由さ)が許せない等々

親子夫婦は一心同体なんて言葉はすでに死語になっている

家庭が増えている なんとも悲しい世の中になってきています

できれば内にある暗いものを手放す努力をしてもらいと

思うのですが.......。



せめて自分とご縁のある方たちには幸せになってもらいたいと

常日頃から望んでいます。

いろいろあった一年間でしたが

来年は より良い年になるよう精進努力したいものです

今年1年間 拙い文をご愛読いただき ありがとうございました。

2020年の皆様のご多幸を祈念いたしております

怒り

京都アニメーションの加害者がパクられたと

主張する具体的な箇所が報道されています

安売り肉を買うシーン

女芸人の友近さんと近藤陽菜さんのお二人に

「それ、俺が最初にやったの。」というセリフが

繰り返されるコントがありますが、

放火の動機がこれだったとしたら、

被害者も被害者家族もフアン達も誰一人納得できない。

「怒り」というのはここまでのことをさせてしまう。

怒りは誰の心の中にも潜んでいるものですが

多くは自我の強さに比例し、発動するもので、

怒り自体は自負心や自尊心が自他の関係で一瞬起きた

出来事に対し反応しているだけなのですが

それを繰り返し思い出し、ネチネチと恥をかかされた騙されたとか

あれやこれやと、その時の「怒り」を忘れないために時間を

費やし続けると怒りの熱が自我の強さと反応し熱核融合が始まり

内側から壊れていきます。

この事件の犯人から学べる唯一の点かもしれません。

現実を知れば知るほど言葉が失せ、ため息が漏れ

この憂さを晴らしたくなる。こんな時は

ワイワイガヤガヤしている場所で賑やかに

ビールでも飲みたいものです。

本日緊急事態宣言が出され、それにも関わらず

株式が最高値をつけたとの報道が(8日)ありました

世界恐慌の前夜のような様相です。

嫌な時代です。

他人を変える事

よく自分の彼氏や、家族に「変わって欲しい」と言う人がいます

本人達も関係が悪くなる前は直接相手の欠点を

指摘したり批判したりし、努力をするのですが

結果的に関係を悪化させ、どうにもならなくなっている方が

とても多い。さらに、中には宗教やスピリチュアルなセミナーに参加し

なんとか相手を自分に好ましい状態に改善しようとする。

中にはそれを成功させた人もいるかもしれません。

しかし、そのほとんどは元の木阿弥なのではないでしょうか?

どうしてでしょう?

基本的に人は自分が楽な事しかしません

特に関係性に緊張感がなくなってしまえば、露骨に自分を出し始めます

相手に変わって欲しいと言う人も

良く話を聞けば、自分も変わった方が良いのは解っているが

相手が変わらなければ自分は変われないと言っている人が

ほとんどです。

より多くを望むのなら、自分が、先に変わるしかありません。

でも、本当は今のままで十分なのに、

それ以上の何かを、誰かと比べて求めているのかもしれません

その辺の考察は大事です。

次ぎに増上果です

漢字からのイメージだと、なにかがさらに増していくような

イメージですが、実は、その人の「環境」に結実した業の結果で

その人の生まれる器としての環境のことです。

たとえば、メチャクチャ厳しい家族のもとに生まれる等、

ラジオの周波数のように

積み重ねた業と同期する環境の中に生まれ、

そこで生きることを言います。

親を選んで生まれる事はできないと言いますが

「それは違うよ。あなたの積んだ業にふさわしい

親を選んで生まれてきているんだよ。」

これが仏様の説明です。

誰のせいでもない、自分のせい。

「ぜったい違う。自分は悪くない。そんなこと憶えていません!」

ならば、自分の心の癖を十不善に照らし合わせて冷静に

検討してみて下さい。



どうにも変える事が出来ない人生、苦しいままか!クソ死ね!

こんなアクタイをついてもしかたありません。

もう少し、冷静に仏さん達の話しを聞いて下さい。

業の種類とその結果としての姿について書いてきましたが。

大事な事をもう一度おさらいしたいと思います。

それは、業は行為の積み重ねで身体、言葉、精神おのおのの

活動に依ります。つまり。悪であろうが、善であろうが

行為には必ず結果が生じ、その果実は自分で刈り取ることになる。

だから、

一番最初に楽になる10の方法としてそれを書いたのです。

以下は、その善なる業の果の説明になります。


この十善業の等流果は殺生を断じれば長寿で病が少なく

偸盗(ちゅうとう)を断じれば財があり敵や盗難もなく

邪淫を断じれば伴侶が美しく、敵対するものが少なく

妄語(うそをつくこと)を断じれば、皆から軽んじられる事がなく

言う事に威儀が生じ、両舌を断じれば周りのものに敬われ

悪口を断じれば、悪い噂や身に覚えの無いゴシップは無くなり

綺語(おしゃべり)を断じれば言葉に威厳が生じ、

貪欲心を断じれば思いが叶い、害心を断じれば傷害が無くなり

邪見を断じれば仏様に近づく。

十善業の増上果は円満であらゆる事に満ち足りた環境となると

されています。

この国は環境的には十善業の増上果なのですが

個々人は苦しく辛い人がとても多い。

楽になる道を選ばず、苦しみが生じる種ばかりを

播いているからとしか言いようがありません。

なぜか?

それは、因果についての理解が足りないからなのではないでしょうか。

因果が解れば、いまこの瞬間から人は変われます。

どうやって?

10の自分を苦しめる行為を止めて、

楽になる10の行為を積極的にしていけば必ず変わります。

汚れたコップ(器)の水を飲めるようにするためには、

コップを変える事が出来ないのなら清らかな真新しい水を

注ぎ続けるしかありません。

(持って生まれた「人間」という我々の器は変えられません。)

まず、自分の心の癖を自覚する事から初めてください。

そして、焦らずに続ける事です。

吾唯足るを知る

先日、何年かぶりで吾足るを知れりの言葉を推命の教室で

先生から伺いました。ある種の元命式の方に対しての

対処法になるのですが、禅に興味があったときに

よく目にしていた言葉です。その頃は、情けない話しですが

努力しない言い訳として使っていたような思い出があります

京都の龍安寺のつくばいが有名で

真ん中に四角く水を受けるくぼみがあり(口)

四方をそれぞれの吾、唯、足、知の文字の一部が刻まれた

クイズによくある組み合わせ文字です

知足と言う言葉は老子でも仏教でも言われている

ちょっと深い言葉ですが

今の自分に満足することを教えるものですね

知足の反対は不足になるのでしょうが

どうも、私たちは自分に足りないものばかりが気になり

足りているものに関してはまったく無視しているようです

その価値は無くしてからしかわからないのかもしれません

これが普通の人の姿です

我々が流す涙の大半はこのことに原因がありますね

時間は戻らないのだから、なんともしようがありません

それならば、やはり現在の自分を見つめ直す事が

よけいな涙を流さないための最善策かもしれません

菅総理

2021年 1月11日

菅総理の第一課題は多分、これだったのだと思います。

読売オンラインで報道されたということは内容的には決定されたということでしょう。

今度はコロナ対策に本腰が入ればいいのですが。

空路まで変更し、外国からのインバウンドを狙った

経済人と、それに乗った政治家にとっては全てが

裏目に出た感があります。大金持ちのアドバイザーの

尻馬に乗った結果だと、そろそろ気付いてもいいと思うのですが。

10年先100年先の日本人を育てることを二の次にして

とりあえず外人さんに頼ろうでは国は滅びます。

辛辣すぎることは十分承知であり言ってはいけないことですが、

後継がいないのであれば天皇の代わりを、よその王家から

引っ張ってこようというようなものです。

このくらいのことを当面の維持のためと言って

やろうとしていることを政治家の先生方はわからないようです。

外国人労働者も、お役は終わりましたから、お帰りくださいでは

絶対に納得しません。


インバウンド経済等々一度決めた方針転換ができるかどうかが、

今後の政治の見ものです。

それから

ウイルスの専門家の先生方が感染の拡大が「想定外」を言うのは

想定内ですが、丁寧に過去の専門家の発言を見ていけば

どこで圧力がかけられ曲げられ始めたかが見えてくると思います。

ウイズコロナだとか三密だとか小池知事の「ことば」が

全国区になりましたが、この言葉を提供した人達の姿が見えないのも不思議です。

広告会社さんでしょうか?

何ということも無いように見えますが

情報の提供を管理している人達がいて、その方達を全面的に

信用してしまうと、結果的に彼らに支配されることになるものです。

この辺りで一度、この1年のコロナ禍の総括が必要ですね。

マスコミの方達は頑張ってください。もしかしたらマスコミ自体も

情報に操作されていたのかもしれません。1年以上経った今なら

見えてくるものがあるはずです。

総括をしなければ同じことの繰り返しになります。

これは中学生でもわかることです。

この先5年、10年先にも同じようなことが起きるかもしれません。

東日本大地震時のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の

轍を踏む事だけは避けたいものです。

中高年へ

人は生まれたら死ぬもので、これは運が良かろうが悪かろうが共通して起きることです

その死に方は様々ですが、生き方により決まってきます。

問題は生きることです。

若さや運勢のせいで、挫折したり

普通の常識やルールを外れるレールに乗ってしまったとしても

人生は続きます。時には人から後ろ指をさされることもあるかもしれません

けれども、一度、充分に自分を責めたら、

今度はそうゆう自分を受け入れてくれてた人達への

恩返しのための新しい人生を歩んで下さい。これが一番の罪滅ぼしです。

(自分を罰することに逃げてはいけません。自分を罰し続け、落ちたままで、自分を汚し続けていると、それが日常になり、何のために自分が落ちているのかまで曖昧になりわからなくなってきます。人の心はそんな風に出来ています。壊れないために忘却の作用が起きます)

そして、堂々と運勢に立ち向かえば必ず、自分を許すことが出来るようになります。

もし、あなたが一人で、孤独なら

人の心の中にある仏性と呼ばれるものを信じて下さい。

仏教では如来蔵と言われるものですが、

人の痛みを自分の痛みとして感じる心、優しさ、憐れみの心

慈悲の心と呼ばれているものです。良心とも呼ばれるものです

ただ、これは自分にだけ向けると、残念ですが、悪になります

他に向けてこそ善になります。一日のうち

この心の状態を、出来るだけ長く続けるようにすれば心は充実してきます

孤独だと嘆く前にやって見て下さい。実際、こんな知識は抜きにして

ペットを飼ったり、植物を育てたり、自然に人はやっています

何か(誰かの)のやくに立っていることが、人の喜びの源泉です

自分の愛を与える対象を限定し、それにそぐわないものを排除しているというのが

真の孤独の原因です。自らを檻の中に入れ、重い鍵を自ら閉めている。

クリスマスキャロルという映画にもこれが描かれていました。

映画では主人公のスクルージを、共同経営者のマーレイの幽霊と

クリスマスの精霊が、奇跡に導いてくれましたが、

現実は厳しく、自らがそれに気がつき、自ら行動するしかありません。

この一歩を歩みだす勇気を持つこと。

これが中高年になった我々の課題です








善と偽善

なにか良い事をしようとする人を、よく偽善者と揶揄する人がいます

でも、本当の善なる者は世の中にいるのでしょうか?

私はいないと思います。

なぜか?

それは人は不完全なもので、欠陥があるが故に、

良い事をしてそれを補おうとするからです

そのようにできている。

良い事をしようとする人は、人間の弱さやダメさに気付いている人です

人は弱く、悲しい。だから、励まし合い、笑い合う事で、日々の苦しさを

軽くし、明日生きる力を養っている。

それぞれの年代にそれぞれの苦しみと悲しみがあり、

同じように生きています。それが人間です。

行動する事を偽善というのは、ただの、頭でっかちで利口ぶりたい、

本当は、ただの恥ずかしがりさん達です。自意識過剰やさんですね。

最初に戻りますが、良い事をして自責の念をチャラにしようとした、

世界的に有名な人がいます。それはノーベル賞のノーベルです

ノーベル本人は今で言えば大量破壊兵器の開発製造販売卸の死の商人です

ノーベル平和賞などと言うのは、本来なら

チャンチャラおかしい、偽善者の典型的な賞なのですが

時がたち、平和を意図している人にとっては、本人達には不要な名誉かもしれませんが

象徴として、とても影響力がある大事な賞になっています

この賞はノーベルの遺言によりなされていますが、

富と名声と悪名をはせても、結局最後は、良い人になりたかった。

私にはそう思えます。偽善者を一生続ければ、本物の善者です。

良い行いには偽も真もありません。ただ、行動するだけです。


六道

六道輪廻の話しを書いたので少し補足しておきます。

六道とは地獄 餓鬼 畜生 人間 修羅 天

この六種類の生活する境界があるという仏教的な考えかたです

いわゆる死んだ後どこに生まれ変わるかという話しなのですが

仏教をあまり勉強していない教祖様にかかると

今生きている我々の病気や、職業や苦しみかたで区別し

差別の基準にしています。

とても面白いです。例えば職業で、大学教授は天界

○○病は地獄界 等々です。2、3の新興宗教の教学部発行というものを

読んだことがあるのですが、ほぼ同じです。ネットにもでています。

「うちの信仰をすれば、地獄界の因縁が切れる」というやつですね。

有名な某教団を家族で信仰しているエース格のひとが、

ある病気にかかった途端、自慢げに話していた信者さん達の会話から

そのかたの話題が消失したという

都市伝説のような笑い話があるのですが。推して知るべきことです。

お釈迦さんは初期教典で、人の差別はその人の行為に依ると解かれています。

バラモンが人殺しをすれば、そのバラモンはただの人殺しだという意味です

スードラが人を助ければ、その人は尊敬されるべき菩薩です。

生まれながらに、その人間の貴賎が決まるのではなく

その人の行為に依って尊い人、卑しい人が決まるという意味ですね。

どれだけ、これらの新興宗教が恐るべき間違い犯しているか。

仏教の衣を被った鬼の集団です。だから彼等は脱退者に対して

村八分よりも酷いことをしています。

信者さんはウソをおそわり、その上、鬼にされるのですから。

怖い所です。


それでは六道をどう考えれば良いのかという問題です。

仏典を読むと、地獄界には炎熱地獄が8段階 

寒地獄が8段階 その他に孤地獄、副地獄の計18となっています

地獄に生まれる原因として「怒り」があげられ。主に強い怨恨や欲望から

殺したり、強奪したり、呪ったり、等々、

こりゃ、落ちても当然だと言う行為の

成れの果てとしてここに生まれるとされています。

次ぎに餓鬼界は貪欲により生じ、常に満たされる満足感が無い世界で

飢渇に苛まれる世界をいいます。どんな素晴らしいものを得られても

得た途端に苦しみの炎に変わり身を焼くことになるそうです。

(ブランドものを欲しくて欲しくてたまらなかったのに、手にした瞬間

どうでも良くなり、他のブランドに食指をのばす。一時が万事です。

異性に対しても同様なことが起きていたら、この境涯を疑ってみるべきですね)

畜生界は、ただ貪るために、知慧をすて、自立をすて、目先の

食べ物を貪った故に生まれて来る弱肉強食の世界とされています。

(叩かれても、蹴られても、ときどきおいしいエサを与えられれば
そこから逃げないし、逃げることすら放棄する。)

修羅界は、それなりに力があるのに

嫉妬と妬みに常に苛まれ、人と自分を比べ、闘争に明け暮れる

とされています。

天上界は力もあり、満足し、喜びや快楽にたゆたい、現状満足のまま

向上する気も起きないとされています。

人間界は他の全ての界に対して平等にチャンスが開かれている。

地獄に生まれるチャンスも、天界に生まれるチャンスも、

さらに、この六道を越えるチャンスまである(仏の道)

そう仏教では説いています。

人間にはチャンスがあるゆえに本来は六道の最上階なのですが

たぶん、教祖様が安逸を求めるが故に、天上界を最上と

決めたのでしょう。教祖様の心の声がこんな所から聞こえてきます。

欲しいのは仏教的な成功(輪廻を越えること)ではなく、

世俗での成功者の姿ということなのでしょうね。

(昔は密教の鬼才といわれた先生が、昔は即身成仏を解いていたのですが、最近は、良い境涯に生まれ変わりましょうなどという、完全に宗旨替えの本を出していました。奥様を亡くされてから、良い噂が無かったのですが、結局、彼の人生はなんだったのでしょうか。)



多くのフアンが沢山いる龍でさえ、仏教では畜生の類にあり

ガルーダに食われる苦しみや、熱砂を降らせる苦しみを

享受し、術者に使役される暗愚を指摘されています。

畜生なので、自分で選択することができないらしいとは

私もつい最近まで知りませんでした。


六道輪廻の考え方は、さらに深く先があり、入り口程度を

少しだけ書いておきましたが

世の中の実際に当て嵌めると、

ものすごく理解しやすい考え方です


そして、こんな感じで自分の姿が見えてきた時、

どうすれば、上にイケルのか?

こんどは、これが問題になってきます。

結婚した後、必ず不幸になる法則が有るのをご存知でしょうか

ほんの一部ですが書いておきます。

それは

1、今の主人を誰かと比べる事

2、相手に甘えすぎる事

3、悪いのを相手のせいにする事

4、自分の能力や収入を主人に誇示する事



誠実に謙虚に相手と接する事ができれば必要のない注意事項ですが

相手のこんなはずではなかった場面に何度か遭遇すると

必ず上記の事が首をもたげてきます。

1は特に元カレと比べ始めると、結婚自体を後悔し始め、笑顔が消えて行き、やがて会話が消えて行きます。

2は相手への期待です。もっと話を聞いてくれてもいいのに...。自分の事を肯定してくれていいのに、愛しているって言ったじゃない....。と男性から見れば理由のわからない理屈をこねられて責められ、これが続けばどんなに熱い恋愛をしたとしても愛は冷めて行きます。

3は自分のストレスを相手にぶつけている事に気付かず、さんざん耐えた夫が耐えかねて意見をすると、アナタの一言が私を傷つけたと一気に被害者に自分をしてしまうことです。

4は、この事に気付いている方は少ないのですが、本人にしてみれば普通の会話がご主人のプライドを自然に腐らせ(萎縮させ)て行きます。社会的にも地位が有り、能力の高い女性に見られる事なのですが、いつのまにか御主人が外に自分の癒しの相手を作ってしまいます。「自分じゃなければダメな相手」などに行く場合が多い。

多くの方は事が起きてからこの点に気付くのですが、できれば最初から回避した方が良いし、まだ初期ならばここに書いた事をを改善のヒントにして下さい。

1〜3までは男性にも言える事で、男性の場合ストレスの処理を家庭でする人がいますがこれはダメです。

矛盾

人はどこまで行っても「一人」では生きられない生き物なのかもしれません。

これは、他の人が側にいなければ安心して生きられないと言う意味ではなく

自分の心の中に、何か拠り所となるものがなければ不安で不安で生きられないと言う意味です

私なども学んだ占術と推命術がなければ、不安で不安で生きられない

家族や仕事を拠り所としている人と何ら変わりません

これが、複雑な人間関係の原因です

子孫を残すという根本的な命題を人は持って生まれています

それゆえ、パートナーには安心感と生活力を期待し

より良き父親像、母親像を求めます。

これが男女関係の基本です。

ところが、生活が豊かになり、欲望が満たされる可能性が高まると

より多くを相手に期待し、他人と自分を比べ始め、足りない!が始まります

それが人類の歴史であり人の業です。

生まれ持った星は、明確にこの「欲望」の種類を分類し、

大抵の人がその通りに生きているのですが、その星を意識し

欲をコントロールする事が出来れば、本来の安らかな安心感のある生き方が出来ます

ただし、欲とは本人が心の底から望むものなので、それが満たされないと、

「もの足らない」感覚にしばらくは苛まれます。

(この時期が一番大事な時期です。人によっては元に戻ってしまいます)

どうやって欲をコントロールすればいいのか?

それは、この欲を使いコントロールするのです

どんなものにも必ず表と裏陰陽があり、その一面しか普通の人は見ていません

たとえば、人を愛してやまない人は、その愛を特別な対象に限定せず

誰に対しても惜しみなく与えれば菩薩の愛に変える事が出来ます

問題は対象を限定し、それに拘泥する自我やプライドからの

苦しみです。固執することですね

しかし、これは自尊心と呼ばれるものの力で人として失ってはならないものです

言っている事が矛盾していますね。でもこの現実に折り合いをつけることが

本人が生まれ持った課題です。

もし、今、何か課題を持って悩んでいるのだとしたら、

もっともっと単純に問題を考えて見て下さい

仕事が見つからない人は仕事に選んでもらえるよう、頭を下げなければいけません

恋愛が出来ないと言う人は、先ず、相手に出合わなければいけません。

けれど、安易な出会いは、とても短絡的な惨い事故を呼び込みます。

信用できる出会いの場、紹介者を選ぶことです 

今、恋愛している人は相手の足りない所ばかりを見てはいけません

自分の欲ばかり言ってはいけません、相手の言いなりになってもいけません

お互いを尊重できないのならば妥協点を考える事です。

厳しい言い方ですね。でも本当です。世の中はそんなに理想通りにはいきません。

本当の安心を求めるのなら心のつながりに比重を置きそれ以外は

なんとなくアバウトにしておく事がとても重要です。




















掃除と料理 洗濯

家事が苦手と言う人がいますね、でも、こんな風に思う事により

やる気が出るかもしれません、

料理は明日の自分の生き方をより美しくするため、

掃除は過去の自分の嫌な出来事を掃除するため

洗濯は新鮮な自分に生まれ変わるため

家族のためなら、料理は皆と自分の健康のため

掃除は皆が外から持ち帰った悲しみや悔しさを浄化するため

洗濯は皆の心を浄化し、日々新鮮な家族関係にするため

そう意識する事で、人の心は清まります

家事に気合いを入れることで、自分を浄化し、家族を浄化できます

日常生活が、そのまま癒しにつながる方法です。

心に思う事。そうすれば変われます。試してみて下さい。













落語

ときどき古今亭志ん朝さんの張りのある、明るい声が懐かしくて

落語を聞くのですが、とても元気をもらえる気がします。

落語の登場人物の人間模様は様々で、武士も町人も

お金持ちも、時には死体や死神までが「話」になっています

「そんなのは、しんきっくさくていけねーや!」と暗い話も明るく笑い飛ばす

心意気と、貧乏で懐(ふところ)は寒々しているのに、心の中はあったけー人が多く

陰々滅々した話でも、まっ、しょうがないね。で終わらせてしまう潔さが

素敵なのかもしれません。

人生が豊かです。「無いものをねだらない。」「終わった事をつべこべ言わない。」

「そんなこと、いつまでも、つべこべ言ってたら、世間様に笑われるぜ」

「おてんとさまを見てみろい、昨日は泣いていたって、今日は笑ってるじゃねーか」

「おめーだっておんなじでい」「めそめそしてねーで、顔洗って出直してきな」

これで、人生相談は終わりです。

お金持ちは別にしても、平均寿命が30代とか40代とかの時代で

めそめそしていたら人生が本当に終わってしまう。

世間は不況と言われていますが、心まで不況にしてはいけません

江戸時代の世相も現代とあまり変わりません。

先人達がそんな時代をたのしく生き抜くための知恵を

たくさん残してくれています。

たまにはそんなものに触れるのも良いかもしれませんね。

心が曇ったとき

落語を聞いてみて下さい。古今亭志ん朝さんがお薦めです。








6  

運勢から見た愛の形の話をします

星に依る、文字通り愛情を愛情として感じられる姿です

ある星は、相手から支配されなければ真の愛情と

感じられません。束縛されればされる程、愛が深いと

感じます。それに伴う暴力も愛の表現手段になることがあります

ある星は相手に尽くす事でしか愛を感じられません。

身を削り尽くします

ある星は、自分が相手を支配する事が愛のバロメーターになります

会社の社長のように自分に対する忠誠心を真の愛情と思っています

ある星は、そこに彼がいるのではなく、自分のイメージの

王子様が王子様で居続ける事が自分に対する愛だと本気で思っています

ある星は相手の自分に対する誠実さの一点に命をかけます

等々あるのですが

これが、絶対譲れない愛のラインで、それぞれの星にとって

これが愛の絶対条件になります

恋愛の観点から見た運命の相手です

相手に、これに値するものが無ければ愛情はわきません

けれども実際の世の中は、社会通念として適齢期になれば

結婚するものであるとされているし、

恋愛と結婚は別という思いをなんとなくわかっています

そして妥協して、好きだと言ってくれてるし

別に嫌いじゃないからいいや、と思って結婚している人が

おおぜいいます。一緒に暮らし、同じ時間を過ごす事によって

絆が生まれ、恋愛を越えたパートナーシップが生まれ

良い家庭を作る。これが人の可能性であり、智慧であり

これが本当は一番よい人生の過ごし方です

自分の欲望(愛の形)に呑まれない生き方です




異性運に罠が仕掛けられている人は

時期がくれば、先に書いた運命の相手に出会います

若いときに合っていれば、一生それが尾を引くし

年齢がいってから逢えば、家庭が崩壊します

誰にでも起こる可能性のある問題です


運勢というのは気付かなければ、そのまま

支配される事がとても多いのですが

気付いてしまえば、運勢と押し問答をやっているうちに

違う選択ができるようになってきます

たいていは、痛い目を何度か経験し

もう、こんな人生は嫌だと、傷だらけになってから

人生を変えたいと思うのですが、やはり、早ければ早い程

楽な人生が歩めます。

できれば、もう一度、自分らしい生き方って何?

と自問してください

そしてそれが、ここの書かれているような

運勢に縛られている生き方なのではないのか

を検証する事が大切です。

こんな人生は嫌だで終わらない事が大切ですね。

諦めない事です。

運勢を変える事

何年かの時間をかけて、喧嘩ばかりしているご夫婦の

運勢の改善に取り組んだ事があります

結果としては喧嘩もなくなり、相手の言葉も

自然に受け入れられるようになり、

とても円満な家庭にかわりました。

しかし、クライアントさんは

「なんだか居心地が悪い」とおっしゃっていました

面白いですね。願いが叶って居心地が悪くなるのです。

これはご本人の星に関わる問題で

夫婦縁に障害が出る星を持つ人は

必ず、相手に尽くすことと、見えないライバルと競い、

主人を修正し、改善しようとします。

その結果が夫婦喧嘩なのですが、

この修羅場の状態がその人にとっての自然体です。

運勢にとって、一番居心地の良い、

慣れ親しんだ自然の状態という事です。

同様に、男性運が悪い女性は、悪い男性と

ご縁が出来る事が自然体で、良い男性と

ご縁ができても居心地が悪くなり、

なんやかんや理由を付け自分から別れる方向にもっていきます

これが星の力です。

人は誰でもこの星の影響力下にありその人独自の

フィルターを通し世間を見、知らず知らずのうちに

思考や嗜好を決められ、苦痛に落ちたり

快楽に溺れ、道が見えなくなったりします

そのくらい人は自分が見えないものです。

本当の自分ってなに?

ここから問いを始めれば、もう少し人生に可能性が

見えてくるのではないのでしょうか。

自分に対する問い。ここからですね。



(ちなみに最初のご夫婦ですが、今は円満な家庭になれ、居心地も良くなっているそうです。
実際、人のこころの順応性には限界がありません。)












易について

何かを書こうと思うのだが「物言えば唇寒し秋の風」と

何を書いても面白くない。

生徒さんの中に断易の講義のリクエストが時々あるのだが

前にも書いたが基本は研究科の現役の生徒で、講義中に

本人が得卦したものを解説する形で現在も行なっている。

断易のテキストは

一時に比べると実に多くのテキストが出版され、

一部の流派の内容に首を傾げるものがあるのだが、

その派以外は基本的ルールに違いは少ない。

九鬼流 諸口流がやはり主流だと思う。

九鬼先生のご著書を見ると、この本は読んではいけないとか

この本は嘘ばっかり書いてあると書いてあり京房などには

罵詈雑言を浴びせ、口が悪いなと思っていたのだが

九鬼先生も勧められる

「増刪卜易(ぞうさんぼくえき)」などを読むと

やはり、古人の著作に対する厳しい批評があり

事実にそぐわない嘘や虚構に対する潔癖感が

ある意味気持ちが良いとさえ感じてしまう。

長い歴史をくぐり抜け、多くの人の手を経て

修正され続けられた占術である。能力がつき

応用できれば占いとしては万能に近いものだとも

思う。そこに近づきたいと日々研鑚するのみ。

今年の反省 12月20日

今年もいろいろありましたね。暗い話は気が滅入るのですが、

やはり白虎血神が暴れだし、

ここ、2、3年おとなしかった山の神さんも暴れた年でした。

なぜ、こんな風になったのか?運命だから仕方ない?

いいえ、どんな運命にもそれを動かす原因が必ずあるものです

やはり、ここ10年、人々の心の中に播かれた種により

生まれているように思えます。

人を物として扱い、派遣などの、一見労働者の自由を尊重したような制度を

社会の中心に据え、その実は、極端な弱肉強食の世界で、

体制(会社)に守られる者と守られない者との

棲み分け制度を作ってきました。その弾かれた者たちの怨嗟です。

ネット社会などを見ても、その憂さを晴らすために、

それこそ色々なネタを探し、毒ずき、中小誹謗で、

生きる苦しさを誤摩化しています。

自分の顔がない状態での憂さ晴らしで、

仲間や、家族や人に愛されたいのが本当の自分なのか、

人を誹謗中傷し傷つけるのが本当の自分なのか

自分が誰かがよく解らなくなっているのではないでしょうか?

学校でのネットに依るエンドレスのイジメなど典型的です。

双方、行き着く果ては「今この瞬間地球が無くなってしまえば楽なのに。」

希望をなくした者がたどり着く辛い結論です。

これが、陰なる原因でしょう。それでは陽なる原因は何でしょうか?

勝ち組と言われる人達が、

自分達だけのために生き始めた事ではないでしょうか。

露骨には言いませんが、負けた奴がバカなんだ、騙される奴が悪いんだと、

うぬぼれ、見下し、人として、お粗末になってしまっています。

政治家の先生と相場師に、このタイプが多く、

恥の文化、(畏れの文化とも言えると思うのですが)が消えつつあります。

歴史のある政党程この傾向は強く、選挙で負けたにも関わらず、

未だに改善されていないようです。

何もせずに棚からぼた餅が落ちるのを待つ、

卑しい政党になってしまったのかもしれません。

政党の話をしましたが、個人もまったく同じ事です。

そして、このテの人はよく目立ち、人から注目されます。

自分自身ができていない人は、毎日それを見ている訳だから、

自然にそれをお手本にしてしまう。

他人に優しくできる訳がありません。

妬む者と見下す者、これが人どうし、国どうしのレベルで行われ、

極に達すれば、血が流れます。格差社会が来る所まで来始めたのが原因でしょう。

ただ、こんな時代でも、今年は、自分の足下を固め、時間をかけて

自分の道を歩んでいる人達が、

何人も、ちゃんと結果を出したと報告してくれ、

シンガーソングライターさんからは彼女のオリジナル曲をいただいたり、

嬉しいことがいくつもありました。

まったく受け身で、申し訳ないなのですが、

そのかたの人生の影に、ゆったりと添うことができ、

それぞれの人生の流れの中に喜びを与えられた事に感謝します。

私自身も時代の激流に流されながら、オールをこぎ続け、

もがき続ける毎日ですが、皆様の影の力になれるよう、

来年も確りと生きようと思います。



まだ、クリスマス前ですが、急な仕事に「約束が違う」などと言って、ぶち切れ大事な時間を不快な時間にしないよう、熱いハートとクールな知性のバランスを上手にとり、「こんな時代、仕事が重なったら仕方ないね。少ない時間だけど。できるだけ楽しもう。」と言い合って下さい。その一言で、より、思いで深いクリスマスになると思います。言葉を上手に使って、心をコントロールして下さい。

7 最後に

真の愛は壊れません

なぜならば、自分が相手に与えているものだからです

それは自分の心の中にあり、誰からも、何事からも

影響される事は無いからです

他人の愛の姿を拠り所にしている愛は

すぐに壊れます

なぜならば、人の身体も、心も無常だからです

このへんの事情を昔の人は

たぶん、アガペーとか、仁とか、慈悲とか良心とか

いわゆる「愛」と区別するための単語を

あてはめたのでしょう。

ここまでくると結構楽な人生です

どんなに大事にし、育てた人に裏切られようが

助けたはずの人に背かれようが、見下されようが

あまり関係ありません。禅でいう不動心と変わりません

いつでも平常心でその相手と向き合う事ができてきます

そのためにも、先ず自分の愛の形を分析して下さい

ヒントは書いてあります

そして、愛は他人からもらうものなどと言う

さもしい考えを捨てる事です

自分の中に絶対愛を生み出して下さい

鏡におびえること

「運命」を決定してしまっている、変えられないものと思っている方が結構います。

そのような方を見ていると、多くは人並み以上に努力し自分の義務や責任を果たし、

ある程度の地位も財産もあり、その上で、自分はこんな風に生きるのが運命だったんだ、

いまさら運命に逆らってもしょうがない。こんな感じの方々です。

良い運の方々だと思います。人並みに苦労はあったでしょうが、人生を全うしてきた方々です。

ところが、困るのは、同じ「運命は変えられない」でも、

どうせ、運命通りなんだから何をしても無駄だと言う人達です。

運勢はその人の映し鏡と書いたことがありますが、

文字通りその鏡の前ですくんで、おびえている人達です。

そんな人達に言うのですが運勢が、たとえ決まっていたとしても、

それに抗(あらが)うのが人間たるものの矜持です。医学などはその最たるもので、

どれだけ、死ぬ運命だと諦められていた命を、医学の進歩で救って来たか。

多くの先輩達が、運命だなどと諦めずに頑張って来た結果ではないでしょうか。

誤解しないで欲しいのですが、何でもかんでも

努力して出世しろとか、偉くなれとか、努力しない奴はダメだと言っているのではなく、

なんでも運命のせいにして自分の責任を果たすことを放棄するのは違うよと言っているのです。

それは目の前にストーブを触りそうになっている子供に火傷するのが運命だ

などとバカな事をいっているのと同じことです、じゃ、どうすればいいのさ?

こう問うならば

自分の良心に正直になることです。

大切なのは自分の良心の声を確り聞いてあげることです。

自分はダメだと言うのは簡単ですが、

実はこれは自分の中の良心の声を封じ込める呪文のようなもので

絶対に「力」がでてきません。

この良心の声に従うことがどれだけ強い力を生むかは

阪神淡路の震災の時、どれだけ多くの日本人が心を奮い立たせ

ボランテイアのために神戸に向かったか。まだ新しい記憶です。

人は誰にでもこの沸き立つような力があり、それは良心を源泉としています。

ただ、良心は曇りやすく、傷つきやすく抵抗力が人によって様々です。

多分、運の良い人はこの抵抗力が強いのだと今の私には思えます。

けれども出力の個人差は、あまりありません。

繊細で傷つきやすい人が好きな人のために

身を犠牲にしている姿などを見ていると命がけの力が出ているのがよく解ります。

「その人が好き」この心が良心の傷を治し、力が湧き出ている。

(本当に人を好きになることは凄いことです。)

何も人生に挑戦せず、最初から諦めるのも運命

目標を定めて黙々と努力するのも運命

けれども運命を動かす原動力(良心)を傷つけることさえしなければ、

起きて来る全てを受け入れることが出来るのなら

どちらの運命でも、わりと楽しく暮らせることも事実です。

自分の中のある「良心」を大事にして下さい。







現代の風水墓

現代ビジネス 中国

中国の勢いが止まらない。

「世界経済」の観点から見ればこの通りになると思う

大が小を支配していく構図そのものだ

さらに、

信頼のできる良い商品、画期的な商品を生み出し始めれば

鬼に金棒だとも思う。実際この方向に動いている。

日本のマスコミはあまり言わないが、有人衛星を飛ばし

月の裏側の写真を撮るだけの科学力がある

ただ、この流れは習近平一人で終わる可能性がある

苛烈なボスのもとでは、強烈なストレスが生まれ

いなくなれば、ゆるむのが世の常だ。

その時の荒れ方が不気味だ。若い世代は、心して欲しい。


風水の専門家には彼の父親の墓の研究をお勧めする

皇帝並みの風水墓を持つ彼の人生を見ることで

いろいろなことがわかると思う

独占欲が強いと言うこと

強い女性に多いことなのですが、

(キッカケは相手からでも能動的な恋愛を望む女性についての話です)

一般的に言ってなのですが、とても独占欲が強く

ボーイフレンドができると最初は他の女性がライバルですが、

お相手が誠実で良い人の場合、彼の仕事が忙しくなると、

今度は相手の仕事がライバルになってきます。

そうゆう女性に限って、3日も連絡が無いと大騒ぎし

1週間連絡が無ければ、相手は自分に思いが無いと言い始めます

彼が仕事で疲れ果て家に戻った頃に電話をかけたりメールしたり

電話が繋がると、延々と電話の相手をさせ、

本人は愛されていると安心出来るのですが、

相手は疲れもとれず疲弊し、結局、

男の方から別れ話をされてしまう女性がとても多い。

若くて強い女性が男性から嫌われるパターンです。

彼と会えなくて「さみしい」気持ちが恋愛だし

連絡して何が悪いのよと怒られるかもしれませんが

それは学生さんの恋愛です。

社会人はそれぞれの生きる場所があり、その場所で

多くの人は命を燃やしています。好き嫌いは別にして

それで生活費を稼ぎ、生きています。

もし恋愛が、その生活のリズムを崩すようなら

もう会いたくないと言われても仕方が無いことです

なんで、こうなるのか?

相手への信頼感が無い。得たものを失うのが嫌だ

愛されている自信が無い。相手のペースで恋愛するのが耐えられない(こんな人もいます)

色々理由はあるでしょうが、

「相手が自分の思い通りにならない」というのが

ドライに見た時の正直な所ではないでしょうか

これは「何かのせい」にしているうちは決して見えてこない事実です

そして、これが理解できれば、いくらでも現状を変えることが出来ます

どうするか?

「相手が自分の思い通りには行かない」ことが解ったら、今度は

相手の生き方を尊重することです。子育てもまったく同じですね。

相手に、自分の既成概念や、期待や、常識をかぶせ、自分と同じように

感じ、寂しがり、喜んで欲しいと期待する。

当たり前にように見えますが、そこには目の前にいる人がいません。

自分の描いた自分の分身がいるだけです。

相手は、たまったものではありませんし、必ず期待はずれになります。


自分だけの世界から相手の世界を見つめ直すことです。

大きな大きな変化ですね。当たり前ですが、視点が変われば見える物も変わってきます

相手を尊重することは難しいことではありません。

相手もまた、自分と同じように幻想を世間に抱き、同じように自分だけを愛し

同じように相手に変わって欲しいと思っている

お互いの幻想がぶつかり合い、弾き合いしているのが、恋愛です

長く、その人と共にいたいと願うのなら、この事に気付き

理解したほうが、知恵を使うことです。知恵は良心から湧いてきます

良心は、一時的には自分は苦しいかもしれませが、誰も傷つけず、

喜びが生まれる選択をしようとします。

普段からこの良心を磨くことが本当に大切なことなのです。

恥ずかしがらずに小さな良い事をして下さい。

ちいさな喜びが必ず生まれてきます。

今度はそれが必ず大きな喜びの種になります。






















歓迎 フリーメール鑑定

4月21日

フリーメール鑑定を行なっているのですが

なかなか面白く、

鑑定内容はきちんとしているはずなのですが

鑑定料を払わない人、払う人、リピートする人等々

皆、立派な社会人なのにと胸を痛めながらも

人それぞれだなあーとつくづく感じています。

占いの部分で応じる時期がずれることは

よくあることなので努力を続ければ

縁は生じます、その先は別の話になるので

話が進んだら相談して貰えばと思います。

このような感じで、

多少の報酬があるか、当たらなければ0かの

こちらとしてはヒリヒリとしたメール鑑定です。

どんなものかと気軽に、楽しんでお申し込みください。


フリーメール鑑定希望とご記入の上こちらのメールフォームから

お申し込みください

メールフォーム



一言お願いですが、

競馬や賭け事の予想はその手の専門家のかたにお願いして下さい。

株についても同様です。

昔々、聞いたのですが占いを相場や株に使うと

2、3回大当たりして調子に乗って大勝負に出たとき

根こそぎこけるのが昔からの習わしだそうです。

もう一つ推命学のご質問はご遠慮ください。

文章だけでは誤解が生じやすく、言葉の背景がわからなければ

かえって迷うことになるからです。

良い先生について学ぶことをお勧めします。

4月30日

ここ数日太平洋戦争の指揮官達を調べているのですが

困ったものです。

日米を比べると、どうにもならないくらい

臨機応変が効かない官僚主義的(?)な連中が

負け戦を担っている。特攻隊の発案者しかり。

どうにもなりません。

帝国軍人たるものの玉砕の美学なのでしょう。

自分達のプライドを後方の一般国民にまで押し付けた。

沖縄戦もサイパンのバンザイクリークも同様です。

素直にそれに従い、殉じてしまった方達の

なんと多かったことか。

天皇が第一、国民は二の次だとされた教育が

大日本帝国の時代です。完全な階級制であり

軍人は馬鹿で能無しでも上官に可愛がられれば

年功序列で偉くなれたのです。



今の時代はどうなのでしょうか。

小学生の学級会レベルの正義漢達がウヨウヨいて、

君らは国防婦人会かと突っ込みたくなる。

芸能人を批判する前に政治家を監視し

無策な野党を突き上げるべきであり、

権力に対しもっともっと敏感になることです。

議員たちの票田である地元民がそれをしないで

誰がするというのでしょうか。

公明党の票田が動き一発で変わった事実を

思い出してください(10万円事変)

政治家は決して一人ではなく、票が集まって初めて

偉そうに振る舞えるのです。

クレームを出すべき相手は自分の地元の先生方です。

そのためには一人一人がもうちょっと賢くならなければ

先生方に太刀打ちできません。芸能人でもいじめておけと

嘲笑されます。



コロナ禍がすぎた後は変な時代に入らなければ

いいなと思います。

今回のようにネタ元のWHOが不確か情報を流し

それをまた、自分の頭で考えることなく垂れ流した

誰もその情報の責任を取ることがない。



自らの道徳律で他人の表現の自由を縛るのは

潜在的なファシズムの萌芽です。

このままだと4、5年で日本も危ういですね。

表現の自由とは名ばかりの世の中になるかも知れません。

良心2

人間関係の「いさかい」を考えるとき

最初に考えなければいけないのは

「人は類を以て集まる」と言うことです

世の中は、似た者どうしが集まっているんだという

大前提をはずさないことが大事です。

(自分だけは特別かもしれない...。これはあり得ません。)

当然、同じ種類の人間でなければ集団からはハジカレます

当たり前のことですね。

たとば「売る」という意図に依って結ばれている集団に

コミュニケーションを楽しむために入ったのでは

人と会うことでは同じですが、意図ががまったく違います。

自分の心を入れ替えるか、仕事を変えるかしかありません

また、男女関係に多いのですが、やはり、心に傷を負ったことのある人は

同じように心に傷を負った人に惹かれやすく、一度傷を共有すると

離れられなくなります。このお相手を「運命の人」と言う人も多い。

けれども、残念なことなのですが、お互いの傷が判るからこそ

些細なことで、争いになると、オートマチックに過去の被害者としての経験を

加害者として、相手にぶつけてしまいます。

子供の頃から親にぶたれ続けた人はdvの連鎖が起きるし

孤独に苛まれて来た人は、「無視」と「孤立」を決め込み

慣れ親しんだ孤独に安住します

別れる前に起きる共通した心情です

そして、別れる時が来て,

「運命の人」との別れゆえに、長い間後悔する。

どうすれば良かったのでしょうか?


相手が自分と同じ傷を持つことが判ったとき、お互いがお互いに

もしかしたら、甘え始めていたのかもしれません。

判り合えたのだから、自分のことは、なんでも理解して許してもらえるんだ。

約束を守れないのは過去のせい、

お金にだらしないのは過去のせい、

求められれば誰にでも優しくしてしまうのも過去のせい

チョットしたことで手を挙げるのも親のせい

自分は何も悪くない。君も一緒じゃないか。

もし、こんな会話があったとしたら、どうでしょう?

よく考えて下さい。いったいアナタは誰を愛しているのですか?

自分だけしか愛していなかったのかもしれませんね。

これでは、パートナーは、可哀想な自分に尽くさせるためのメイドか、執事です。


こころの傷は心を支配し、オートマチックに同じ事を繰り返させます

傷を癒すには、良心を鍛えるしかありません。

良心を鍛えれば、自分の心の痛みで全てだった心が

相手のこころの痛みが判り、使う言葉も態度も

変わってきます。ちゃんと人を愛せるようになります

もし、アナタにも似たような所があるのなら

今からでも遅くはありません。

幸せを掴んで下さい。

親子のいさかい

成人しても、過去の、親との関係が気持ちの上で完了できず引きずり

自分自身の人生に暗い影を落としている人を時々見かけます

本人の人生と親の人生が重なって、融合してしまい、

自分と親との区別が出来なくなっているのが原因です

「自分は自分の人生を生きる」ではなく、何が起きても、特に悪いことが起きると

「恋愛がうまくいかないのも、病気になったのも、

家族が自分を理解してくれないのも、あの親のせいだ」こう言う会話を心の中でやり

その親が亡くなっても、同じ事を言い続ける。

これを改善するためには、自分は自分、親は親、過去は過去、今は今

と融合し、癒着してしまった自分の心を、親と切り離す作業をしなければなりません

そのためには信頼とその技術を持つ人を頼るのが一番早いのですが、

それでも時間はかかります。

主客はが変わりますが、

社会問題としてマスゴミでも取り上げられているニートや、

荒れる中高生など自分の子供に対し親が苦悩する姿もまた、

同じことが原因で起きている場合が多い。

子供には子供の運勢と人生があり、学校と言う社会の中で

親と同じようにモマレ、苦しんでいる。

運が弱かったり、悪かったら、周りから誤解されるし、

誰からも理解されない。

本人が耐えきれずに腐れば、類を以て集まる事を始め

理解者が異性であれば、溺れます

酒や競馬やパチンコに憩いを感じている大人と

選ぶストレス発散の方法が違うだけで、根はまったく同じです

それでは、自分の子供がそうなった場合どうすればいいのでしょうか?

原因が外にある場合は、一緒に戦うことも手ですが、

まだ、体格的に大人になっていないときなら、

出来るだけ一緒に遊んであげて下さい

子供に一人遊びをさせないことが大事です

その子がゲーム好きなら、ゲームを教えてもらうことから始めて下さい

親が理性を持って、接し、その子の弱さも強さも、

出来の悪い所も全部受け止めてあげることが大事です

本人に対する批評も、批判はいりません。ただ、人として、一緒にいてあげることです

もう少し大人になった中高校生については

「自分達は世の中のことは全て判っている」と思っている子が大半です。

運の悪い子ほど目先のものしか見えません

「お金と異性」=とりあえずの人生、欲しいものを手に入れるためのもの、

気持ちよくなるためのもの、寂しさをまぎらわす温もり

欲しいものが、これしかありません。

とても短絡的で、不器用です。そして、残念なことに

これを味わってしまうと親に出来ることは、あまりありません。

本人の人生のスイッチが入ってしまい、親がどうのこうの言っても無駄で

人生の痛みや、悲しみや絶望のなかで成長のための様々な試練が始まる。

年齢的には若くても、成人としての人生が開始されます。

やっていることは半人前でも、大人として認め、本人の独立を支援し

手放すことができれば、親の努めは終わりです。ここまでが親の責任です

上手に家から出て行ってもらうことを心がけて下さい

どんなに愛している子供でも、手放さなければ、子供も親も苦しくなります

そのためには子供の器の大きさを知り、器以上の期待をしないこと

自分を子に投影するなどと言う、子供にとっては一番迷惑なことをしないことです

親ならば、冷静でいなければいけません。母親は、身を削ってお腹の中で子を養い

死ぬ程の苦痛の中で子供を産み、睡眠と容色を犠牲にして子供を育て、

子供のできが悪ければ、母親が悪いと罵られ、リスクばかり背負わされます

けれども、おもしろいもので、それ以上の喜びが常に、そこにあります

子供を宿した時の女性としての誇り、優越感、

日々大きくなるお腹のあかちゃんへの、期待と夢

出産した時の達成感、産声を聞いた時の安心

子供を抱いた時の、言葉にならない喜び

初乳のときの一体感 赤ちゃんの香り

悪いことばかりではありません。

上手に育てれば

同性ならば、自分がもう一度幼稚園や、学校で

恋愛をした時のような自分の人生の追体験ができ、

平和な第二の人生を味わえます 親になったことで始めて

自分が大人になったと思う人もいるのではないでしょうか

子供も親もイーブンです。

子供が小さいうちは親の方が力があると言うだけの話です

お互いを上手に活かすためのにこそ、お互いを知ることが大事です

そして、相手に、無いものを求めないことです。

愛情のない親に愛情を求めないこと、勉強の嫌いな子に学歴をもとめないこと

ない袖は振れません、それでも「よこせ」と言うから憎しみが生じる。

当たり前のことです。





ps

ハイハイから始めて立った時の感動も忘れられないと

どなたかの心のつぶやきが聞こえて来ました。

長い人生です。今はハイハイのような生き方をしていても

必ず自分の足で立つ時が来ます。

自分の子供を信じてあげて下さい。

お手本は、その子の親しか見せてあげられません。

子供ばかりに、ガンバレ、成長しろでは説得力はゼロです。

子供と同じように、時間をかけて、ゆっくりと

自分もまた成長することです。



良心について1

ここ何回かで良心について書きましたが

一つやって見て欲しいことがあります

それは、自分の良心に対するケアーです

どれだけ、色々な場面で自分の良心をくだらない理由をつけて

ひん曲げて来たか。子供の頃は他人のイジメを見て見ぬ振りをし

親を比べ、自分を比べ、必要のない劣等感や優越感をおぼえ

大人になってからは、電車に乗れば、年配の方を見ないようにし

仕事でも、恋愛関係でも、責任を相手に押し付け

いつのまにか、厚顔無恥な政治家のようになっている。

なんでも誰かのせいにして、自分の姿を誤摩化してしまう

これが普通の、日常生活を送る普通の人がおかれている姿です。

恋愛にしても家庭にしても、これがベースである限り

なかなか幸せを感じることが出来ません

「自分に正直になれ」という人がいますが、

「じぶんの良心に対し正直になれ」と言うのが本当は正しいことだと

思います。それじゃあ、具体的にどうすれば良いのか?

オポノポノなどの方法論を参考にするのも良いのですが

できれば、一日一つなにか良い事をして下さい

たとえば、すれ違った子供に挨拶するとか、落ちているゴミをひろったり

電車に乗ったら席を譲るとか、他人との関係で何か一つ

ドキドキして嬉しくなるような、良いことをして見て下さい

許されているのなら、職場の机に花を飾ることも良いかもしれません

ほんの些細な行動や言葉が触媒になり

良心が奮い立ち、元気や、やる気が必ず出てきます。

この逆をしていると、やらない言い訳探しばかりで

ますます頭でっかちになり、心が冷え、残酷になっていきます。

頭でっかちではなく、行動することからしか、心は開きません。

頭で考えれば考える程良心にかぶせている蓋は重く、

厚くなることを知っておいて下さい。

誰もが悩んでいます。悩んでいるうちはどうにもなりません

悩むよりも、行動することです。

良心のケアーから始めて下さい
















12月25日 28日(改)

2020年は全ての予定調和が崩れてしまった年でした

(これも神の予定調和だという人がいたら返す言葉がありません。)

当たり前の日常が当たり前では無かったのだと

痛感した方も多かったのではないでしょうか。

当たり前の4年に一度のオリンピック

当たり前の飲み会で人が集まり、賑やかに会話が進み

弾めばはずむほどコロナ感染が広がっている

非肉にも程があるウイルスです。

困難な時代です。

だからこそ自己都合の言い訳をせず信用を第一とし

人と和し生きることが運をつける肝要になります。

今はできなくとも意図し、心がけれることにより人相も、

雰囲気も、間違いなく変わってくるのです。

乱世であればある程、信用(徳と言い換えることもできる)

だけが「良い人と繋がるための糸」となります。


身体や心が強くない者には生きにくい時代です。

ただ、弱いものには弱い者なりの生きる場所があり、

戦い方がある。それこそが知恵を使うことです。

それで、思い出したのですが、知恵の使い方として

占い、特に気学を使う人がいますね。

私の知る限りでは、経営者さんの秘密技として

流行っていた時期がありました。

(新聞が最強のメデイアだった時代、書籍の新聞広告が

発端だったと思います。)

学生時代お世話になっていた下宿の奥さんが、

これが得意で、材木のお商売をなさっていたのですが

接客のソファーの位置から、何から何まで全て

方位で決めていました。

私も、あなたは〇〇星だから、性格はこうで

こうでしょ。吉方位はあれこれよ。と言われ、

靴の揃えかたがどうのこうの。特徴と合っていると言われ、

???と否定もせずに聞いていたのですが、

どうして気学を学んでいるのですかと聞いてみると、

「お商売は勝ち負けだから」と述べられていました。

その後、何言ってやがると、九星気学を研究したのですが

台湾、香港、大陸の先生方のご著書が大量に出版されるようになった

今日(こんにち)日本で秘伝と言われていたものが

一般的知識としてこの先生方により公開されています。

鑑定の「核」にさえ大きな差異があり正直、困惑しています。

その辺りの真偽を確かめるために某風水先生に

教えを請うて習い始めたのですがこちらを調べられ

シャットダウンされました。

失礼はしていないのになんでかなーと今でも思っています。

占術界の黒船騒動とでも言いましょうか、

これも棲み分けしているというのが現状です。

人が集まり組織が生まれ、時を経れば階層ができ

権威が生まれ真理として語られ受け継がれて行く。

こんなものなのです。検証し99外れても1当たれば

真理とされてしまう。不思議な世界です。

(今、台湾系の若い世代の先生方の中には

占術界の章炳麟や譚嗣同のようなかたも現れ

将来が頼もしい限りです。)


中国がなんだ、

日本流気学があっても良いだろうと

言う人がいるかもしれないのですが、

実はこれは吉備真備から連綿と続く陰陽師の系譜として

残っていて、証拠を見せろと言うならばと更級日記の中にも記述があるのですが

方違え(かたたがえ)として国語の教科書にも載っています。

実際いろいろな事象を見ていると(風水も含め)

この「方災」や「方違え」というのは、

人には見えない「霊」との約束事のようなもので、

これを全く知らない人やバチを与えるレベルに至っていない人には

霊は無視しますが、多少なりとも能力や心得がある人が、

これを悪用したり、間違うと当然バチが当てられます。

これは亡くなったその道の大家の先生から聞いた事ですが

大儲けさせてもらった。その後一文無しになった、

一家離散した等々。易を悪用しても、運勢を悪用しても

同じことが起きるようです。

私は生徒さんに「星は生き物だ」とよく言うのですが

実はこういう意味があるのです。

油断すれば星に弄ばれる。そこに落ちれば、

彼らは、よしハマったな、とほくそ笑む。なんで?と

思われるでしょうがこれが彼らの全てなのです。

星には幅があり、最上には慈悲深い神が住み、最下層には

起こり来たる感情のままに他人を傷つけ、支配し、

おもちゃにしようとする鬼が住んでいると私は思っている。

こんなふうに書くとオカルト的に聞こえますが

千変万化する人の心の姿に名をつけたものと

ご理解いただければ誰の中にもあるもので、

神も悪魔も同様な古代からの「歴史的心理学」の技術用語だと思う。

(証拠はありません。)これについては自然エネルギーの法則と

解く説も承知しているのですが、微細な心の残滓(魂魄)もまた、

このエネルギーと等しく、まさに易で言う「類を持って集まる」と

解釈すれば、自然エネルギーと合一した魂魄の存在を

予測しても頷けるのではないでしょうか。

万物に霊が宿ると言う日本神道に通じる考え方です。

方術は善なるものには善がつき、不善なるものには

不善なるものがつく。

自然にこのような縁ができてしまうのです。

悪いものであれば、早めに縁の糸を切るのが良いし

良ければ、なんとしても縁を結び続けることが肝要です。

ちなみに、悪縁の糸は太く、善縁の糸は細く切れやすい。

人生は皮肉でできています。



運命学は

苦を抜き、持って生まれた自然の状態に戻すことに特化して

使えば、とても頼りになる学びです。

しかし、勝ち負けにこれを使えば、力があるものほど

大火傷を負う可能性がある。円満な人生を望むのであれば

運勢の善用をお勧めいたします。

師走

病気で亡くなるのは仕方がないが

経済で死ぬのは許されないというのが為政者の

考え方で二度目の緊急事態宣言というのは難しいかもしれません

年末年始にかけての小売りを中心とする経済界にとっての

最重要繁忙期に待てを言える政治家はいないでしょう。

経済は血液みたいなもので、止まれば淀み、

死の病を引き起こす。

バブル崩壊時、毎日のように経営者の

自殺報道がなされていました。

経済が崩壊すれば自殺者が増えるという

データがあります。

幸い今回はバブル期のような「時代の流れとしての崩壊」とは違い

個々が予防すれば防げるものです。

旅の醍醐味は、日常から非日常へのひと時の変化なのですが

今や、どこに行ってもコロナが蔓延し、毎日報道される

感染地帯やクラスター集団が、近くにいると思って間違いありません。

個々人が、色々なことを試されている時代ですね

日本人の劣化などと過去に何度も書きましたが

経済に目が眩み、自分のことばかりを優先させた挙句の

バブルの崩壊 やっと落ち着いてきた頃に

度重り起きた自然災害、天から強いられるように

生まれた「絆」の言葉、それを頼りに、疲弊している

観光地へ出かける人達。けれど、その賑わいの中の

自分勝手がコロナに狙われている。

自分優先の生き方が徹底的に消えるまでは

コロナが蔓延し続けるのでしょうか。


私にも娘さんや母親が医療従事者として働いている方とのご縁があり

身内のこととして彼女たちが無事であれ、

彼女の仲間たちが無事であれと祈るばかりです。



防疫の専門家の先生方は手洗いを徹底させること述べられています

今一度初心に帰る事ですね。

手を洗いましょう

冬のコロナ対策

無料鑑定

今月も沢山の人が無料鑑定を申し込んで下さっています

一介の、名も無い占師に大事な秘密を託して下さり、感謝にたえません。

それぞれの方の心に刺さった「刺(とげ)」を抜く方法や、運を開く方法を

現状に応じて一生懸命アドバイスしているつもりですが、

中には欲しくない答えが戻って来て

不快に思っている方もいるかもしれませんね。

その方には謝らなければいけません。

ただ、メール鑑定は、最初に読んだ時は、現状の自分の運勢にリンクした

部分しか眼に入らないと思います。なぜなら、鑑定はその方の姿を映す

鏡であり、感情も同時に写すからです。

泣いたり、絶望したり、落ち込んだりすることもある。

けれども、その感情が収まったとき、何度も何度も読み返して下さい

問題を解決するためのヒントが心に沁みてくるはずです。

そのようにできています。

それが、心にしみ入れば、自然に、自然に、その方に相応しい方向に

心も環境も移り変わって行きます。

私の鑑定はそのようにできています。


一期一会です。無料鑑定に手を抜く事はありません。

無料鑑定だからこそ、時間も料金も気にせずに、

自分を偽らず、ご相談下さい。

出来る限り期待に応えていく所存です。







お見合いで伴侶を決める方がいます

とても堅実で良い事だと思います

しかし気をつけて欲しい事があります

一つの実例をあげます参考にして下さい

だいぶ前の話ですが娘さんのお見合い相手を

鑑定して欲しいと、あるお母さんからの依頼を

受けました。お見合いに関しては本人、母親、父親と、

とりあえず同居している方達全員の運勢を調べ

お相手を選択していくのですが

この件に関しては母親と父親の関係に

少し問題がありました

本人もやはりそのような運勢で孤独性で

親からの一方的な愛情に辟易している所もあり

自分の結婚より親の離婚を心配し、そのような

身近な夫婦の姿を見続けているので、自分が、

果たして結婚して幸せになれるか自信が無く

また、異性に対して過度に期待する傾向がありました。

母親としては自分が苦労した分子供には

苦労させたくない。相性が良い人を

選んで欲しいというのが最初の依頼でした

もっともな話ですが、それぞれの候補を鑑定する内に

だんだん、出世する人を、お金に縁が在る人をと

少しずつあらぬ方向に変わり、50代に厳しい運気は

男としてダメなどと始まり、すったもんだの末

相性的にもとても合う、最も良い方を選びました

また、相手の方と娘さんとの運に差がありすぎ

最初から会えない可能性があるので、一時的な

縁結びをかけ(開運トリートメントの延長のようなものです)

幸いにも相手側から会うというお返事をいただきました。

お見合いも済み、お嬢さんはとても彼の事を気に入ったのですが

残念な事に相手の方からは良い返事が得られませんでした

理由は、彼女が自分のことしか視野にないというのが理由でした

後からお母さんにどんな会話をしたのか聞いてもらったのですが

ただただ、ご自分の事を彼女は話し

相手の方も楽しそうに話を聞いてくれていたそうです。

もしかしたら彼女はお見合いをデートと

勘違いしていたのかもしれません

また、相性が良いと聞いていたものだから

相手が文句なく自分の事を愛してくれると

大きな勘違いをしていたのかもしれません

相性は間違いなくあるのですが

その相性にスイッチが入らなければ

好き嫌いの感情は絶対に起きてきません

「相手の方は嫌な顔もせずに自分の話を聞いてくれた」

これで彼女のスイッチは入りました。けれども

自分が彼のスイッチを押し忘れた事に気付きませんでした。

真逆の相性を考えるとよく解ります。

破壊的な相性は目が合っただけで強く惹かれたり

少し肌が触れただけでビビットきます。

すぐにスイッチが入り即効性と短絡的なのが特徴で、

最初時がクライマックスになっている場合が多く

後は落ちて行くだけの場合が多いものです。

その上お互いに執着する相性の場合、

別れた後苦しみが長期化します。


逆に良い相性の場合はスイッチが重く

動くのに時間はかかりますが、心の深い部分から

安心感として顕われてきます。だんだん信頼感が沁みてきます。

それが起きるまでは忍耐と自分も相手に尽くそうとする努力が

必要です。

お見合いを自分に都合の良い相手との出会いの場としているうちは

結局、自分が支配権を握っているつもりになっても

自分自身の星に支配されている場合が多く

それを回避するにはしっかりと自分が家庭を持ったらどうしたいか

自分はどのような努力ができるのかを相手に伝える事です

家族を持つ事の喜びを共有できる相手を捜す事です

その上で、相手の方が誠実にそれを履行する力があるのか

自分はどうなのかを問い、お互いで決めて行くことが大切なことです

運勢というのは乗り越えるためにあるもので

なんの苦労も無く一生を終える人は千人のうち一人か二人です

他人を羨んでもその人にはその人の不幸があり、

自分は不幸だと思っている人も他人が見たら

文句のつけようもない程幸せに見えるかもしれません

幸せになりたければ自分を知り、自分の運勢に負けない事です

これこそが人が勝たなければならない唯一のことです

そして、相性が特別悪くなく、お互い誠実に生きようとするのならば

一緒にいてもドキドキ出来ないなどというオバカなことは言わず

相手を認め、大きな気持ちで生きる事が絆の基盤になって行きます

とても大事な事だと私は思います。

命稿集から

これはある、心中をした女性の命式です。

死亡時は41歳 丁卯大運 乙卯年 庚辰月 戊申日


     日 月 年
     庚 癸 癸     
     子 亥 酉           
                    

72 62 52 42 32 22 12  2
 康  己  戊  丁  丙  乙  甲  癸
 午  巳  辰  卯  寅  丑  子  亥

彼女の価値観は何か?どうして心中を選んだのか?考えて見て下さい。

最近の風景

最近、嫌なことが多いですね。

景気もいいんだか悪いんだか、よくわかりません。

昔のフォークソングなどは、こうゆう時代を

夢も希望もない世界とか、表現していたのですが、

面白いことに、その手の歌詞をほとんど聞きません。

多分、昔は政治や世界の潮流と自分のあり方が、

今よりも強くリンクしていたからだと思います。

それじゃ、今の我々はどうなんでしょうね?

もしかしたら、なんとなくですが、

理想とか未来とかよりも「足元にある楽しみを見つけること」

に向いているのかもしれません。

SNSの端末さえあれば、それができるのですから当たり前と言えば、

当たり前です。(足元ではなく手元に訂正しておいてください。)

私は教室で「楽しみやお金」が増えると「知恵が潰れる」と

言っているのですが、

国会議員を3年ほど務めた方達が、おバカになるのは

このような理由もあると思うのです。

おおよそ2千万円の年収に、さらに先生と言われ、

権力を持てるわけですから、自然に、常識を装うという知恵が消え、

地金が顕れてしまう。

でもこれ、元々が、そうゆう人だったということです。

そして、問題は誰がそいつらを選んだのか?ですね。

選ぶ側は、巧言令色に惑わされてはいけません。

でも、比例代表制がある限り、無理かな。



野党の皆さんは、まずは比例代表制廃止からでしょう。

お馬鹿議員さんがこれだけ活躍しているのだから大義名分にはもってこいだと思うのですが。

イノベーション2

ブログに台風21号の被害は地域により

違うと書いて、そう言えばと思い出したのですが、

「同じ生年月日なのに、どうして人生が違うんですか?」と、

いつだったか生徒さんに聞かれたことがあります。

台風の例を挙げればもっと分かり易かったかもしれませんね。

「地域の違い」は「地形」「環境」の違いの意味になります。

海沿いではコンテナが流れ出し、空港があるところでは

連絡橋にタンカーがぶつかり、山、平地、言うに及ばずです。

同一生年月日で運勢が違うことについて

この無知め、天空の星の位置が違うんじゃい。と、

専門家の方達には怒られるかもしれませんが、

それも、知らないわけではありません。

私が小僧の時であれば、この論を、ある種の信仰として

受け入れたかもしれません。

(神殺についても同様です。)

それでは、どう説明するのか?ということですね。

同じ日に生まれた人の原命式は誰もが同じです。

けれども、皆、親が違う(環境)

さらに同じ環境でも、双子の例がわかりやすいと思うのですが、

親は必ず、お姉ちゃん、またはお兄ちゃん、

弟、妹と差別(区別)します。

さらに、

「名前」を持つことにより明らかに「他の人」とは違う

「独自な特別な個」という自我の種が蒔かれます。

つまり、同じ誕生日でも最初から違うのです。

朝ドラに出ていた双子の女優さんがいましたが、

片方は結婚し、片方は独身です。

婚期は同じはずなのに、どうして?

となると思うのですが、

婚期は同じでも、それまでの生き方により、

種が芽生え花が実を結ぶか、結ばないかが決まります。

簡単にそれまでの生き方と書きましたが、

重要なのはここなのです。

生き方というのは、

実は教育と、本人の意思により決まります。

ここでいう教育というのは学校教育とは意味が違う。

極端な話をしますが、古代ではなく、いまも、

部族や信仰上による教育として、尊厳殺人が

行われており、これが因習、伝統文化と言われている

ここでいう「教育」の意味になります。

何を受け入れ、思い、感じ、他との関係を築くかにより、

その個人の命式の中にある種(星)が暗い目をして

鎌首をもたげたり一生冬眠し続けることになる。

これが人の人生なのです。

それを知らずに、なんとか宮に金持ちになる星があるので

大金持ちになるとか、かんとか。小説の世界ならば、

とても素敵なファンタジーの要素ですが、

(実際、ギリシアの古代より予言や信託は悲喜劇の題材でした。)

目の前に人の苦しみには、あまり役に立ちません。

この方達は、苦しみを終わらせるために、なぜ苦しいのかの、

その原因を知りたいのです。

普通は、なんとか星が悪い作用をしているからでは、

納得いかないでしょう。私なら納得できません。

正統とか古典とか権威とか役に立つのか立たないのか

わからないけれど、なんとなくロマンチックな

余裕のある時代は終わりかけているように思われます。

方術の、その本質である救世済民の原点に戻ることが

必要とされるような、嫌な世の中になりつつあるようです。

イノベーション2

ブログに台風21号の被害は地域により

違うと書いて、そう言えばと思い出したのですが、

「同じ生年月日なのに、どうして人生が違うんですか?」と、

いつだったか生徒さんに聞かれたことがあります。

台風の例を挙げればもっと分かり易かったかもしれませんね。

「地域の違い」は「地形」「環境」の違いの意味になります。

海沿いではコンテナが流れ出し、空港があるところでは

連絡橋にタンカーがぶつかり、山、平地、言うに及ばずです。

同一生年月日で運勢が違うことについて

この無知め、天空の星の位置が違うんじゃい。と、

専門家の方達には怒られるかもしれませんが、

それも、知らないわけではありません。

私が小僧の時であれば、この論を、ある種の信仰として

受け入れたかもしれません。

(神殺についても同様です。)

それでは、どう説明するのか?ということですね。

同じ日に生まれた人の原命式は誰もが同じです。

けれども、皆、親が違う(環境)

さらに同じ環境でも、双子の例がわかりやすいと思うのですが、

親は必ず、お姉ちゃん、またはお兄ちゃん、

弟、妹と差別(区別)します。

さらに、

「名前」を持つことにより明らかに「他の人」とは違う

「独自な特別な個」という自我の種が蒔かれます。

つまり、同じ誕生日でも最初から違うのです。

朝ドラに出ていた双子の女優さんがいましたが、

片方は結婚し、片方は独身です。

婚期は同じはずなのに、どうして?

となると思うのですが、

婚期は同じでも、「それまでの生き方」により、

種が芽生え花が実を結ぶか、結ばないかが決まります。

簡単に「それまでの生き方」と書きましたが、

重要なのはここなのです。

「生き方」というのは、

実は教育と、本人の意思により決まります。

ここでいう教育というのは学校教育とは意味が違う。

極端な話をしますが、古代ではなく、いまも、

支配階級、家や村、信仰による教え(教育)として、

尊厳殺人が行われており、これが因習、伝統文化と言われている

ここでいう「教育」の意味になります。

また、多くの人達は、

何を受け入れ、思い、感じ、他との関係を築くかの

選択権は、他でもない自分自身にあると思うのですが、

実際は星の支配のまま、人生の禍福の流れの中で、

糾(あざな)える縄のごとく生きています。

(外れない鑑定に出会ったことのある人しか、こんなこと信じられないかもしれませんね。)

けれども、この運勢の仕組みと自身の心の中に撒かれている

運勢の種を自覚すれば、人生の選択権は我が物になります。

これこそが人の持つ人生の可能性だと私は思っています。

こういうことを知ってか知らずか、

なんとか宮にお金持ちになる星があるので

将来大金持ちになるとか、なんとか、かんとか。

小説の世界ならば、

とても素敵なファンタジーの要素ですが、

(実際、ギリシアの古代より予言や信託は悲喜劇の題材でした。)

我々の目の前で苦しみを語る人にとっては屁の役にも立ちません。

この方達は、苦しみを終わらせるために、なぜ苦しいのかの、

その原因を知りたいのです。

なんとか星が悪い作用をしているからでは、

納得いかないでしょう。私なら絶対納得できません。


正統とか伝統とか権威とか役に立つのか立たないのか

わからないけれど、それを受け入れる余裕のある

なんとなくロマンチックな時代は終わりかけているように思われます。

我々の世界も、脅したり、スカしたり、

欲望を煽るような鑑定や占いは終わりにし、

長い目で見れば、本人が一番安定し、円満な生き方ができるよう、

人としての理想の姿になれるよう、今できることを提案できるような

鑑定や占いを提案しなければならないと思うのは

私だけでしょうか?






AERA dot.

AERAdot.に掲載された鴻上尚史氏の人生相談です。

大事なことがが書かれています。

10年後、20年後、30年後の自分を想像しながら読んで見てください。

苦しみもまた、時を経て成長してしまうという事実、

人が最も考えることを忌み嫌う問題です。

男性の方へ

コラムを読んで、女性をテーマにかいていると思っている

かたが多いようですが、「恋愛」の相手を異性ではなく

会社の上司、会社自体、同僚と置き換えて読んで下さい

あらゆる人間関係に応用出来るものです。

言われた仕事しかやらない人は、やはり上司次第で楽も

苦も与えられます。こんなに一生懸命会社に尽くし

成績もあげているのに報われない。それは貴方が

一番近くの上司を見下しているからです。

他人のメンツを潰せば、反発され

潰しを受けるのは当たり前です

その辺の自分の姿をもう一度確認して下さい

コミュニケーションがいつの間にか無くなっていれば

会社との別れが秒読みに入っているということです

こじれる前に、取り返しがつくうちに対処して下さい

そうすれば、いくらキツい仕事でも、仲間が息抜きや

手助けをしてくれます。

人には人が一番の財産であるという事を思い出して下さい

初級教室

沢山の時間とお金をかけて人の運命を知ると

いう事には果たしてどんな意味があるので

しょうか?そのことは実力がついてくると解

るのですが自然に自分自身を見る目が変わって

きて、無理無く自分がやるべき行動がとれるよ

うになってきます。どんな啓発セミナーよりも

自然で無理がありません。

教室の中では沢山の人の命式を解析し実際に

起きた事と星との関係を検証をしています。

けれどもそれは、他の人々の運命を知ること

により「自分自身を知る事」そのものなのだ

と私は思っています。

他の人の人生を鏡にし、自分自身の星の姿と比較し

自分自身の可能性を見極めること、そのものです。

そのような意図で常に教室では講義をしています。

敵を知り、おのれ自身を知る事が出来れば、

敵はいなくなるよと孫子は言っていましたね。そして、

一番自分の近くにいる敵は自分自身なのかもしれません。

このホームページを訪ねた事を機会に自分自身を知る旅を

始めて見てはいかがでしょうか。




今野喜心 

推命を学ぶにあたって

すこし推命ができるようになると

不思議なもので、人に対する畏敬というものが

薄れて来る方がいます。相手の方の星に織り込まれている

乗り越えねばならない星や、八方塞がりの星を知ることにより

相手の価値を値踏し始め、人を物のように扱い影で笑っている。

これは愚の骨頂で卑しい人間達のする事です

推命を学んでも人の鑑定をしないと宣言している

流派があると聞いたこともあるのですが、

推命をこのような卑しいものと考えれば

まさにこのような弊害が生まれてきます



私たちの門には運勢の病を解く用神法があります

間違わないで欲しいのですが、鑑定はあくまでも

医者で言う所の診断です。

正しく運勢の病の診断ができて当たり前ですが

そこに止まっていては、鑑定自体が意味の無いものになります

診断の後には治療法があることを忘れないで下さい

それが調候用神十干鑑法の神髄です

治らない病気を指摘される程痛ましい事はありません

鑑定を志す皆様はよくこの事を自分の身に置き換えて

考えて下さい。

男女には基本的に相容れない価値観の相違があります

この部分に気付かず自分流の接し方を通すと

お互いの感情にヒビが入る事があります気をつけて下さい

男性にとって

一番大事にしたいものは社会的には仕事にたいする誇りです

仕事=自分=プライドとしている方がとても多く

逆に言えば、これがない男性はダメです。本当にダメです。

極端な例ですが

恋愛も相手の愛を貪ることしかしません

相手からのアプローチの場合は

相手がどれだけ自分を犠牲にして自分に尽くすかで計り

自分からアプローチする場合

相手に弱みがあればある程それにつけ込み、

相手を支配します。孤独、シングルマザー等

相手の傷に物凄く鼻が利きます

けれどもその実体は

言うまでもなく羊の皮を被った鬼です。


男性の中には家庭を持つ事は社会的な地位を得る事

と考える方が多く

ある会社の2代目さんは、僕は自分のことより

会社のためになる金持ちのお嬢さんとしか結婚しません

と本気で言っていました。色とか恋とかとは関係のない

お金だけの生き方をしている方でした。女性は

彼の人生の中では財産の一部と割り切られており

恋愛に命をかけることは愚の骨頂と映るようでした

自分の仕事、命をかけるものがあるとき

このような発想をする男性が多い事も事実です

「仕事には代わりがないが、嫁の代わりはいくらでもある。」

けれども体力もあり、仕事も順調な時はこれでいけているのですが

病気でどうにも身体が利かなくなり、命が惜しいと感じたとき

こんな男でも、命のいとおしさに気付き始めます。氷のような

冷静な男性が子供の出産に立ち会った時なども同じですね。

もちろん心を閉ざしたままの方もいます。

(自分の世話で手一杯の人の心は開きません。)

もしもそのような彼の仕事姿に惹かれて結婚を決めた人は

やはり、そのままの姿でいさせてあげるのがベストで

そんな彼にやさしい家庭的な男性像を求めても彼の

エネルギーを削るだけです。休みの日も仕事の

お付き合いで出て行くときに、嫌みの一つも

言えば、外に居心地のよい慰安所を作る算段を

始めるのは目に見えていることです。

相手の価値に合わせた生活を続ける事ができなければ

破れます。

自分はそんなつもりで結婚したわけではない、

もっとあたたかい家庭が欲しかっただけで

少しだけ、家族といる時間を考えて欲しかった

ただそれだけなのに,,,。というかたがいますが

それは、残念ですがその彼は貴女には相応しくなかった

というしかありません。選択ミスです。

愛の形 2

男のサガなのでしょうか物事を概念的に捉え

頭で理解し、割り切ろうとするのが男性的な思考だと

言われていますが、実はそうとも限りません

こんな話もあります。

プラトンの饗宴にあるのですが

その昔人間は、男と女と両性具有の3種類あり

その中でも両性具有は力強く傲慢で神々に反乱を企てる

手のつけられない存在で、それに手を焼いたゼウスが

滅ぼすのは簡単だが、貢ぎ物が少なくなると考え

両性具有の種族の身体を真っ二つにすることを

考えました。(両性具有の身体は、4本の手

4本の足、似通った2つの頭で気力充足し

怖れを知りませんでした。)

ゼウスによって身体を二つにされた人間はその後

自分の失われた半身を懐かしみ、探しもとめたことが、

恋愛の起源だとされています。

もともと男女は同じで、大した違いはないという事です。

男らしいとか、女らしいとかは社会秩序の都合で作られた

幻想です。


(いろいろめんどくさい事を言う人もいますが、ソウルメイトとかツインソウルとかというものの大本の出所は
この辺じゃないかと私は思っています。偶然の出会いで求めあったベターハーフが、生まれかわり、何度も出会い、その記憶が心の流れに相続され、なにげない出会いを運命的なものと感じさせてしまうのでしょう。でも、過去は過去としなければ、いつまでたっても過去の一時点の繰り返しです。過去から卒業することも、自分の成長の一つの道です。

こんな考えが大好きな人、ロマンチックだと言う人も多いと思うのですが、もし、これが事実だとしたら、われわれの周りにいる人達は、全て、前世からの繋がりがあり、苦しめるのも、苦しむのも必然ということになります。現在幸せな人は良いのですが、苦しい人には救いが無い事になります。)

少し、生まれ変わりの話をします

これは科学的には何も証明されていない話ですが

「前世の記憶を持つ子供達」等の本などを読むと

やはり、凄いなーと思わず唸るような事例が沢山

のっています。日本でも「日本霊異記」などには

これまた、数々のすさまじい前生譚が載っています

生まれ変わりは、人間に限らず、動物であったり、

魚であったり、生きとし生けるもの全ての命として

何度も生まれ変わるようです。

仏典などにもこのような話があります

赤ちゃんを抱いて庭で食事をしていたお母さんが

犬がよってきたので、石ころを投げて

追っ払ったとき、たまたま側を通りかかったお坊さんが

弟子達に、「見てごらん、彼女が食べている魚は

過去世における父 犬は過去世における母 

赤ちゃんは彼女が過去世で殺害した敵が殺生の因果応報で

子供として生まれ変わったものだよ」

「父の肉を食らい、母に石をぶつけ、殺した敵を膝に乗せ

妻が夫の骨を食らおうとする。」そう言って弟子達に

輪廻の理を説いたそうです。



これは実際に私が聞いた、ある男性の話です。

ちょうど、ハリーポッターの「賢者の石」

がブームになっていた頃のことで

「先生もハリーポッター好きなんですか。

あのボルデモートの話、よくできていますよね、

実は自分にも同じような記憶があるんです。」

何気ない話をしていた流れの中から、その話は始まりました。

その人の話では、彼の場合はネズミではなく、犬と鳥だったそうです

雨を降らせる国家呪術師のような仕事をしていたそうで

どうしても雨を降らせなければならない時は

王様に人質として家族をとられ、失敗したら家族が

生け贄に捧げられるようなシステムだったそうです

(実にリアルの語ってくれました)

あるとき、どうしても雨を降らせる事ができず、

祈祷の最後の期日に、家族を守り、雨を降らせるため、

自分の身を人身御供としてささげるために

祈祷場所の高い断崖絶壁から飛び降りたそうです。

気付いとき一つの心は鳥となって雲を追いかけ、

一つの心は犬となって妻と子供の元にかけつけようとしていたそうです

そのとき雨は降っていたそうです。

それを聞いたとき、感動して、しばらく動けませんでした。

家族と、仕事のためだけに生きていた人なのでしょう

死んでからも、自分の仕事に生き、家族と一緒にいたいと願ったとき

一つの心を二つの身体に別けたのかもしれません。

そのかたは、未だに、雨が降ると心が落ち着き、なごみ

今の家族を思うそうです。

もちろん事実かどうかはわかりません。けれども

それに感動していた自分がいたことは間違いの無い

事実で、その話を信じたいと強く思いました。

この世の中にあるものは全てが変化します

変化しないものはありません

永遠なるものがあるとしたら、それは

「物事は変化し続ける」という法則だけです

そして、それに抵抗し続ける事が「美」とされてきました

永遠のマドンナとか、永遠の愛とか、永遠のetc.etc等々ですね

それを見果てぬ夢と言う人もいます。

そして、これを美徳とし、忠誠や、制度で強制したのが

キリスト教に代表される宗教です。インドではつい最近まで

マハラジャが死ぬとその妻やお妾さん全てが火あぶりにされ

あの世までも連れて行かれました。サテイと呼ばれる殉死の制度です

もともとは腐った行者さんがお供物の女性達に執着し、

死後も自分の物にするため死を強要した事が始まりの制度です。

インドの行者も実はそんなものです。

一切は無常です

人の愛も移り変わり、本来なら、その人にとって

一番ふさわしい形に変わって行くものです

恋愛結婚したものが、時を経て、いつのまにか

ごく自然な、親友になっていったり

男と女ではなく、お父さんと、お母さんにかわっていったり

これが当たり前の変化です

そして、このとき、恋愛に「とらわれ」がある人は

「違う」と叫び始めるのです

エロースに金の矢を射られたアポロンのように愛を追いかけ始める

その先にあるものは苦悩しかありません。苦しい生き方です

5

どこから愛が憎しみに変化するのでしょうか?

生活力の無い、カッコいい、夢に生きる男性と

縁があり、同棲し、夢に向かって頑張ってねと

一生懸命尽くしているうちは、はたから見れば

男に利用されているようにも見えますが

本人は幸せです。

ところが、

相手に何かを求めているわけではないのだけれど

「報われない」と心の中でつぶやいてしまった

瞬間から愛が腐り始めます。

(結婚していても起きる事は同じですが

こんな時は結婚という枠組みだったり

子供が支えになります。)




よくある事ですが

二人の上に嵐が吹けば吹くとき程

絆は強く、関係が安定し、平和になればなるほど、

希薄な人間関係になる事があります

この場合、そこに起きている現象は

変化を好み平和に安住することを嫌い、

刺激的な日常にシフトしたい欲望に

突き動かされる運勢のクセによるもの

なのですが、

本人がこの運勢のからくりに気付かなければ

血の涙の代償を求められます

覆水は本に帰りません。

入門クラス

開講予定

2018年 2月11日、(日曜日)

午後2時から3時までの一時間

(以降の予定も基本的には日曜の午後2時からを予定しています。)


四柱推命を学ぶのが全く初めての方を対象に

もっとも大事な推命学の基礎を学ぶための入門クラスです。

この基礎の習熟度が最終的には鑑定の深浅を

決定づけることになる重要な要素となります。

全4回1コースとし修了者は泰山流初級クラスへの

入門が許されます。

入会金 不要

講義料 4回2万円 (初回一括払い、チケット制 )

1コース4回の予定で行います。

場所 洗心庵

入門クラスの内容 

1、十干、十二支と五行の相生相克と通変星

2、通変星と自他の関係

3、四柱の構成と元命式の求め方

4、大運の求め方


定員4名まで

参加希望のかたはメール鑑定用フォームからメールで

お願いいたします。

なお、参加希望者の方はこちらの教室を選ばれた

理由、動機を100字程度で教えてください。


使用テキスト

こちらで用意したプリント

万年歴(まだお持ちでない方はホームページにある泰山流の万年歴をお勧めいたします。)

恋愛 結婚

結婚を望む人、恋愛をうまく進めたい人

そんな人は推命学を学んで下さい。

本屋さんの占いコーナーにあるものは

残念ですが、血液型占い程度のものです

よく当たりますが表面的であり、例外の判断が難しい

専門家の書いた推命の権威ある専門書でも

その人の姿は年干の通変性を見ると書いてあります

しかし、これはその人が他人に見せてもいいという姿で

本質的な姿とはまるで違います。

1、2年友達付き合いをした人が

すごい、その通りという程度のものです

本来の推命は心の底をさらうもので

ここまで鑑定出来る方法は世間には出ていません

一番大事な心の底の部分をわからずに他人と暮らすリスクを

結婚は常に背負わなければなりません。

また、結婚後の人間関係もしかりですね

相手を知る事。そして自分を知る事です。

星の中にはとても欲張りの星があり、なんでも

自分の思い通りにしなければ我慢出来ない星が

あります。それを持って生まれると、そのことが

当たり前になってしまう。誰もがそうですが

自分が普通と思ってしまう。この「普通」が

トラブルの原因になります。

「普通」=その人の感情が許す許容範囲です

それゆえにこれがぶつかり合うとメンドクサイ感情の

ぶつかり合いに発展して行き落としどころが無くなって来る。

本来の推命はそのあたりのことがとてもよくわかります。

相手を理解する最善の方法です。

ところで、運勢鑑定を誤解しないので欲しいのですが、これは

人の価値を評価し上下のランクをつけるものではなく、

それぞれの星をいかにして活かし、

よりよい人生を送るための学問です。

若い、これから人生を歩もうとする方も

人生の先輩として次の世代を見守る立ち場にいる方も

一生の宝になるものです。

私の教室ではそのような推命を教えています。

地方の方も何人かスカイプで参加しています。

ご希望の方はご遠慮なさらずメールでお尋ね下さい。

お待ちしております。

2018、新年

あけましたおめでとうございます。

皆様にとっても私にとっても良い年になることを

願うのみです。

本当に年をとるのが早く感じる今日この頃。

また年を重ねてしまいました。

でも、年末から年初にかけて色々な気づきがあり、

これもまた、いとおかし、てっな感じです。

(年末の落語のききすぎなのか、お酒の飲みすぎなのか。

ちょこっと変な江戸弁になってます。悪しからず。)

「気づき」この音の響きはとても鈴よかですが。

私の気づきは、ちょと違う。

なんともカントも。

「五行五気が揃う所に魂が宿る」と

ブログの「神様ごと」で書いたのですが、

実は人も全く同じなのです。

魂魄(こんばく)という言葉をご存知でしょうか。

肉体を「魄」と呼び、それに宿る「たましい」を「魂」と名付けています。

中国の古代思想では「人」と限定しているようですが、

もう少し東洋哲学の範囲を広げて見ると、

お釈迦さんが言っていた、「生きとし生けるもの」

その全てに言えることなのだと、最近強く思うように

なってきました。

結局、生き物というのは、肉体という器に宿り、

その器のままに、思い(感情)、考え(思考)、生きる、

生き物なのかもしれないのです。例えば、

犬は、犬としての肉体に魂を宿し、犬としての喜怒哀楽に興じる。

魚だって同じで、私は熱帯魚を飼ったことがあるのですが、

やはり、贔屓にした個体は、それなりに応えてくれていました。

動物には間違いなく感情があります。

感情が個体としての魂の表現とするならば、

もし、人と同じ言語野が

動物の脳に存在し、人と同じレベルの声帯と口蓋があれば、

動物は人と同じ言葉を発すると言うことです。

でも、その内容は動物としての本能を超えるものでは

ありません。

(例えばワンちゃんが電信柱に気づくと匂いを嗅がざるを得ないようなものです。)

それでは人はと言うと、本当に残念なのですが、

持って生まれた星のまま、ほとんどの人が、

そのことに気づかず生きています。

星による運勢のまま、人の心がどれだけ正確に

それを、なぞってしまっているか。

私達(もちろん生徒さんも含めてです)は、

この四柱推命という学問を学び、研鑽し、いまに至っているのですが、

同じ名を冠する門派は数多あれども、「生身の生きた人」を

見つめることにおいて、不愉快になるくらい、リアルにその心の動きと

その姿を言い当ててしまいます。

そして、今、これまでの結論として私は思うのですが、

実に人というのは

「肉体に閉じ込められた囚人なのかもしれない。」

と、なんとも憂鬱な気づきに苛まれています。

多くの方が、このように自分の持って生まれた星のままに

生きている。だから、鑑定が当たってしまう。

なんともかんとも、どうしようもありません。

それではどうすれ自由になれるのか?。

その鍵は、実は、本当に初歩の初歩の推命原理の上に

あるのです。

(これも自分で見つけました。なんか、こう書くこと、恥ずかしいのですが、こうでも書かないと、実は自分が気づいたことだと大声で言う輩もいるので、一応書いておきます。嫌な世の中です。)

洗心庵の入門コースはこの辺りを、余すことなく解説する講座です。

新年2月11日開講です。

皆様のご参加を、お待ちしております。






洗心庵 今野喜心

自分を変えること4

最後に、お前はどうなんだと聞かれる方もいると思います。

お答えしたいと思います。

端的にいうと「心の太極」の位置を変えることだと、

最近気がつきました。

家相、風水を勉強している方は判ると思うのですが、

太極とは家の中心のことをさします。

これを人に当てはめ、その人があらゆることを発想する基盤である

心の芯の部分についての考え方です。

私は四柱推命を学び研究するに連れ、元命式に現れる現象が

そのまま現れてしまっている人と、そうでない人達が

いることを知りました。

最近では幕末に名を残した方達の命式研究でも書いたのですが、

ほとんどの人が、決して運の良い方達ではありません。

特別な功績があろうとなかろうと、命式自体は普通の人です。

こんなことを聞くと愕然とする方もいると思いますが、

命式(運勢の良し悪し)によって歴史に名を残しているわけでは決してありません。

それでは何かというと、一言「志(こころざし)」です。

黒船の到来で、太平の世がひっくり返り、国を思う、

真面目で、優しく、あまり取り柄のない若者が、

最初は故郷(藩)を守るため、やがて日本国自体の将来を憂え、

必死で考え行動した結果が今に語り継がれてきているのです。

ただ、優しく真面目と書きましたが、彼らの最大の取り柄が

武士としての教育を受け、練武に励み、現代の我々には

想像もつかない激しい訓練を積んでいました。

人としての義務感や覚悟、信念の強さには

現代の我々とは雲泥の差があるのです。

これは命式には現れません。

そして、これこそが自分を変える核心部分になるのです。

人の心は複雑で、実に色々な欲によって構成されています。

推命術とは、その欲の色分けをするところから始まるのですが、

(こういうことを初めて聞いた人もいると思うのですが、なんせ、私が初めて言っているのだから気にしないでください。)

普通、我々は、持って生まれた現命式通りの欲に支配され、

人生の選択をしています。

言い換えれば、心の中心にある「現命式」を太極として、

ことごとくの選択をしている人生なのですが、

自身の現命式を分析し、凶の部分に釘を刺し、

吉の部分をさらに育てることが可能なのです。

これは、ある意味「鑑定」するための推命術から

人生を発展させるためへの概念の転換です。

こんなことを書くと、今までそれは無かったのかと

思う人達もいると思うのですが、すでに「用神」という言葉で、

一部の方達は使われています。

それでも、難しいのは、用神は「現命式」を基準としたものであり、

その人自身が造り上げてきた環境に対する対処療法なのです。

それゆえに、用神を使っても、一時的には助かるけれど、

根本的な救いにはならない場合が多々生じてきてしまう。

そこで、用神を使いつつ、自他の環境自体を変化させるための

太極の移動をするのです。

これが私の言う順のサイクルを回し、逆のサイクルを抑えるという

パラダイムシフトの方法になります。

最近の心情

物言えば唇寒し初夏の風と、

虚脱感にかられる今日この頃。

緒方先生の命式研究用のブログを発見して以来、

多分、同門の方達の、これ見よがしの推命理論を

あちこちに散見しているのですが、私が入門した頃は、

講義の内容を漏らすことは厳禁でした。

私は、自分で見つけ、感じたこと以外はコラムにも、

ブログにも書いていません。全てが私のオリジナルです。

また同門の先生方が私と同じ心情かというと、

完璧に違うと思います。

また、「泰山流」について、本当に誤解している一般の方が多く、

あえて言うなら、私は泰山流緒方派の門下です。

正当でも本家でも元祖でもなんでも構わないのですが、

自称泰山流の方達とだけは別物です。

この方達との見分け方は簡単で、

もし、その先生が気学や九星を鑑定や講義の中で

使っていたとしたら、私の知っている泰山流の方とは、

無縁な方達です。同じと思われるのは大変迷惑であり、

質問があるのなら、その派の先生たちにしてください。

私が使用している初級のテキストにもあるのですが、

運勢の鑑定には段階があり、

大きく分けると3つくらいに分けられます。

まず、

占いの範囲で多くの人達に受け入れられ、

アミューズメントとしての価値のあるもの。

次が、

本人も意識しているし、周りの人たちも認める姿を、

さらに暗示的に指し示し、循環のバイオリズムに当てはめるもの。

この手法は、主に九星や干支の単独な組み合わせによる手法です。

一部の四柱推命家の方達もこのような鑑定をなさっています。

宿命、断定型の鑑定で、運勢の幅という概念があまりありません。

決めつけ型のもので、星の優越で勝ち負けを言い、

多くの誤解、曲解と差別を産むものだと私は思っています。

3つ目は

本人も知らずに突き動かされている激しい生命の流れを見つめるものです。

面白いもので、これが理解できると、些細なことですが

例えば進学したい学校の方位までがわかるようになります。

さらに、人の持つ「業」とでも呼ぶべき現象が理解できるようになります。

ただ、知ってしまうと、あまり気分の良いものではありません。

理論は単純明解で理解しやすいのですが、単純すぎるが故に、

疑心が付きまとう難があります。

人の心の「ゆらぎ」の部分が理解できなければ

身に付けることは難しいかもしれません。

本質的な哲学や思想に相通じるものです。


それぞれの道を極めれば行き着くところは同じだと私は思っているのですが、

道半ばで止まってしまっている人たちが多々いることも事実です。

私も、文句ばかり垂れていないで、立ち止まらぬよう精進しなくてはと

自戒の意味もこめて、この場で正直に現在の心情を吐露しておきます。

結婚について1

結婚が決まりましたとの報告を数件頂いているので

まとめてお返事する事に致します

成婚お目出度うございます

頑張ったかいがありましたね。

けれども、この結婚を続けるにはとても努力が必要である事を

覚悟しておいて下さい。甘いものではありません。

なぜかと言うと、

長い年月まったく違う環境で育ち、教育を受け

個としての生き方を確立したもの同士が

ほんの一瞬の何かの縁で

一つ屋根の下で暮らす事になったからです

箸の上げ下げから、食事の嗜好まで、差があるのは

当然です。もちろん、結婚を決める前にすべて

クリアーしてきたはずだと皆言うのですが、残念ですが

人は、「結婚」と言う欲望の前には盲目になりやすく

望みを遂げて初めて、冷静に相手を見つめる事が

できるようになるものです。少し、残念な事ですね。

落ち着けば落ち着く程、相手のあらが見えて来るし

本当に残念なのですが、相手のアラは見えるのに

自分のアラは、相手から見えていない、相手は間違いなく

自分の事を愛していると、客観的に見ればおかしな信念に

多くの人はかかっています。

そして、チョットした意見の行き違いから、「自分は愛されていない.....。」

とメンドクサイ疑念に自らを縛り、もだえる。

本当によくあることです。

原因のスイッチは相手のあら探しを始めた自分にあることを

ぜんぜん気付かない場合がとても多く

男性側も、それに対し、奥さんの心に気付いた時、「お互い様さ!

へへへへ、やっほー。人生を楽しもうぜ!。」

このくらい言えれば愚痴も笑って終わるのですが

残念ですが、男性はメンツで生きています。

このことを特に女性は判っていません。

家に自分の居場所が無ければ(追いつめれば)

収入のある人なら黙って外に自分の居場所を作り始めます。

本当に残念な事なのですが、ここまで

相手を追い込み、その結果を知った時

初めて自分自身の在り方に

気付き、救いを求めるかたが多い。

これが別れの一つのパターンです。

クリスマスイブに

大事な人を大事だと再認識し

自分の心にあるトゲをトゲとして

確認し、今自分の中にある良い心も悪い心も

ちゃんと認めた上で、移り変わる世の中を静かに

感じてみて下さい。

自身の中にあるあらゆる感情も同じように

移り変わるものであると知覚し何らかの体験が生じたとき、

少し、心が晴れて来ます。自分の感情は永遠で

終わる事の無い特別なものではなく、

世の中のあらゆるものとまったく同じように移り変わるもの。

移り変わるのであれば、自分が望む方向に一生懸命

進んでいけば良いだけです。

もちろん一から始めるわけなのだから、楽ではありません

でも、この苦労の中から生き甲斐は生まれてきます。

移り変わるからこそ夢も希望も生まれて来る

大事な大事なものを無くしたとしても、その時がくるまで

命は静かに何も無かったように燃え続けるものです。

後先があるだけで、同じように誰もが移りゆき消えていく

神々にさえも寿命があると仏教では説きます

哀しみの事実は消えませんが、悲しみの感情は

癒されるものです。悲しみもまた移り変わる。

これが普遍的な真実です。

言葉にできないような凄まじい1年でしたが

幸か不幸かまだ、私たちの命の炎は消える事無く

いま、胸の中で燃えています。

ひまわりが太陽をさして花を開くがごとく

希望をさして新しい年を生きなければ

先に行った人達にも後輩達にも

次の世代にも顔向けができません。

とまあ、気負い過ぎてもロクな事が無いので

いつものように、淡々と実力を練りながら

来年も頑張りましょう。

4

殺生についてはまだ色々あるのですが、特質すべきは

殺生を直接しなくても、それに同意したり、

共感するのもまた同じく不善の業を積むとあります。

たとえ敵や憎悪する相手であっても

人の死を喜ぶ事はいけない事だと説かれています


2 偸盗(ちゅうとう)

これは3つに分類され 強盗 泥棒 詐欺とされています 

他人のものを盗む事一般です

3、邪淫(じゃいん)

まあ、言葉から想像して下さい

以上が身体による活動としてダメだよーと言われている事ですが、

たぶん1と2に関しては小学生の低学年でもしっていることですね。

3は、黄昏れはじめる年代になるまで理解出来ないかもしれません。

つぎに言葉による活動として

1、妄語(もうご) これは嘘をつくことです。

2、両舌 これは誰かと誰かを仲違いをさせるため、

積極的に嘘をついたり、デマを飛ばしたりして

人の和を乱す事を言います

3、悪口 文字通り「わるぐち」のことです。相手の弱点を

あげつらうことですね。皮肉なもの言いや、相手を不愉快にする事も

含まれます。

4、綺語(きご) どうでもよい、おしゃべりのことですが、

その底にあるものは自分の怒りや、妬みや、嫉妬などの

欲心が動機になっていると説かれます。


次ぎに心における行為です。

1、貪欲心 これはなかなか、おもしろく

「自分が持っていない、素敵なもの(物、者)を自分のものだったら

どんなに素晴らしいだろう、手に入れるにはどうすればいいんだろう?」

と何度も何度も「もの」への欲を起こすこと全てとあります。

時を越えて、自己啓発系の願望成就法にダメを出しているように

私には思えるのですが......。

2、害心  

一つには他人に対して怒り、こころの中で

「こいつをボコボコにしてやる」「復讐してやる」「刺してやる」

等々相手を傷つける事

もう一つは、実によく、世間を見ていると感心させられるのですが

他人の幸せが憎くて仕方が無いこと、

他人の不幸を喜ぶことと説かれています。


3、邪見

これはほぼ仏教の見解に対する他の教えとの違いを

鮮明にしているもので、興味のある方はご自分で調べて下さい

以上が十不善業の簡単な解説です

次ぎに、この業がどのような形で我々の世界と現れるかを見て行きます

一番楽な生き方

「どうして自分ばかり、苦しいんだろう?」

若いときは、人生なんてこんなものさ、明日は晴れるさ!

そう言ってなんとか、時間がかかっても、

自分の心に踏ん切りをつけ、立ち直るものですが

40を過ぎるあたりから、最初の言葉をつぶやき始めます。

自分の「人生」に向き合う大きなチャンスであり、その後の

人生を決める大きな岐路になります。

自分自身を見て、見えたものに、見て見ぬ振りをするか、

見えたものを、なんとかしようとあがくことをしてみる。

どちらでも良いと思います。

どちらの生き方を選んでも「楽になる方法を」書いておこうと思います


普通の生き方をしていれば、だれでも、絶対に出来る方法です。

1、生き物を殺さないこと  

殺す行為は暴力の最終段階のことです。生き物を傷つけないことが主旨です。ゴキブリでも蚊でも殺せば心が荒みます。「殺す」行為を害虫だからと言って正当化してしまうと、特定の対象に「このゴキブリのような奴め.......」と、人の心はスイッチし、行為を正当化します。DVの男性がよく言う台詞の一つです。ここまで来ると止まりません。

2、他人のものを盗まないこと、 

物だけではなく人間も同じです。 泥棒が悪いのは誰でも知っていますが誰かの伴侶を泥棒することは罪にならないと思っている人が多いようです。逆の立ち場をイメージすれば、よく解ると思うのですが、うだつの上がらない、クソ亭主で、もう離婚しかないと思っていても、そんな亭主をよその女にとられたとなると、妻としての自尊心が砕かれます。「のしを付けてくれてやらー。」とタンカを切っても、その恨みは晴れません。

3、パートナーを大事にする事

夫婦円満の家庭は、トラブルが起きても、必ず解決方法が見つかるものです。3人よれば文殊の知恵というように、協力し合う相手が常に側にいることが、人生の支えあいの基本です。「人」の字の支え合いほ、このことなのでしょうね。しかしお互いを大事に出来なくなった時はどうすればいいのでしょうか?

その時は良い運命鑑定士さんに相談してみて下さい。

4、嘘を言わない事

当たり前のことですが、信用がなくなります

5、他人でも、身内でも悪口を言わない事

悪口は必ず相手の耳に入ります。人間関係がギスギスし、何事も円滑に進まなくなります

6、他人の欠点をあげつらわない事

5番と同じですね、これは恨まれます。

7、つまらないウワサ話しをしないこと

壁に耳あり障子にに目あり。必ずバレます。

8、強すぎる欲心は制御する事

他人のものでも、何でも、あれが欲しい、これが欲しい、
もしあれがあったらと想像したり空想が続くと、持っていない
自分にハラが立ってきたり、それを持っている誰かに
オマエより自分の方が似合うのに...。などと謂れのない嫉妬をし始め、物欲お化けに変わります
(異性の場合はなおさらです)

9、誰かを心の中で傷つける事

心の中でなんだから、ほっといてくれと言われるかもしれませんが
心は必ず表情にあらわれ、顔が険しくなります。それを続ければ
人相でいう険難の相があらわれ怪我、事故の前兆とされます。

こころは現象の種を播く畑であり、言葉が肥料、行動が結果となります。
恨みの種を心に植え、何度も何度も心の中で怨恨の言葉を繰り返し、
結果、行動すると、おまわりさんのお世話になる事になります。

10、因果なんてありゃしない、どうせ死んだら終わりさ、などと言って
   人生を諦めるような考えには惑わされない事

播いた種は必ず芽を出します。悪い種を播けば、悪い芽が、良い種を播けば良い芽がでます。良い芽とは普通の当たり前に食べて行ける、生活できるということで、3億円の宝くじが当たるようなことではありません。

当たり前すぎる事ばかり書いてきましたが、これは仏教で言われる十善業をもとに書いたものです。多くの教典に書かれていて、南伝仏教では十善戒ともいわれています。

なぜこんなことを書くのかは次を読んで頂ければ理解出来ると思います。

ボヘミアンラプソディー2

この映画を観て、フレディ・マーキュリーを

「孤独」という人がいたのですが、

先日、家のものに連れられて映画を観、

家の者も彼を「孤独」と表現していました。

映画の作り手の印象操作に、まんまとハマったなと、

内心では思ったのですが、そんなことを言えば、

めんどくさいことになるので、黙っていたのですが、

幸い、家族はこのホームページを読んでいないので、

本音を書きます。

映画としての出来栄えは、事実に即して20年分を

2時間弱で表現するのですから、手法は弾丸ツアー的で

メインイベントの頭を擦るようなもので、大事なところは、

「フアンなら知っているよね。」的な暗喩の画面で構成され、

若干、物足りません。

無垢な目で見る人達にとっては、

フレデイの生い立ち描写からの、苦悩、成功、苦悩という

典型的なストーリー展開に音楽のインパクトが重ねられ、

歌詞にそれが乗り、最後に完全昇華されていくという、

典型的な描き方です。しかし、音楽は勿論ですが、

図抜けていたのは、この役者さんの演技力で、

動きのコピーのレベルの高さがハンパないのです。

本物を見たこともないので、比べようもないのですが、

よく見るユーチューブの映像とほぼ同じです。

プライベートでの姿も、然もありなんと思わされるぐらいの

完成度。びっくりしました。

映画の話を長々と書いていますが、

ただの映画好きのクイーンのフアンの戯事です。



ここからが本題です。

よく映画でもドラマでも、「苦悩」の原因を家庭環境や

コンプレックスとして描きますが、

それは実に人間の心の中にある諸々の欲望の、ほんの一面です。

「欲望?」変なふうに聞こえると思えますが、

表層的なコンプレックスは欲望が叶わないことから生じます。

例えば、あと3センチ身長が高ければモテるはずなのに、

と言っている男子がいたとします。けれども実際は

女子に声をかける度胸がないことの言い訳である場合がほとんどです。

一事が万事です。

心の中にある一線を超えるには度胸が必要であり、

「コンプレックス」という言い訳をしているうちは

ちょっと難しいかもしれません。

でもね、それで助かっている人たちが山ほどいるんですよ。

本音で生きるとか、自分に嘘をつきたくないとか言って、

多くの人が、刹那的な感情に操られ、

「常識」に守られた世界から奈落の底に落ちています。

コンプレックスは悪い一面だけではないのです。

あらゆるものにはポジティブな面とネガテイブな面があるのです。

ただ、その中でもどうしようもないのが、

嗜好と出自と生まれ持った肉体に関するものです。

これは治せません。

嗜好はギリギリなんとかなるかもしれませんが、

あとの二つは無理です。

しかし、もし必要ならば徹底的に戦うべきです。

そして戦いが終わったならば、難しい作業になりますが、

そのコンプレックスを認め受け入れなければ前に進まないのが人生です。

難しいですね。

それでは彼の場合はどうだったのか?

彼の苦悩は、映画で描かれていた苦悩の原因とは

違うと私には思われる。

「ラウンド・ミッドナイト」という映画をご存知でしょうか。

年老いたテナーサックス奏者の話なのですが、

その台詞の中に

「毎晩 創造することは、出来上がったものは美しくとも、

その作業は死ぬほど苦しい。」

麻薬も酒も、乱痴気騒ぎも、多分これが原因です。

彼のような天才であっても、

モーツアルトのようにはミューズは降りない。

この辺りが、全く描かれていません。

どうしても、誰にでも、わかりやすい人として描くのが

映画の手法です。

彼がどれだけ周りから愛されていたか。

最後のシーンにそれが表現されているのですが、

実際とは違うとの説もあります。

彼の孤独は映画で描かれているような陳腐なものではなく

あるとしたならば、創造者の孤独です。

念頭にあたって

色々な意味で人と人の絆が唯一の救いになるような時代なので

少し書いておきます。

知っている方も多いと思うのですが、わたしのところでは

「復縁」「不倫」「略奪愛」についてのご相談は受け付けていません。

経営的には最悪の選択です。

解決できないのかと問われれば、できないことはない。

先日も生徒さんに講義の中で三角関係の命式の質問を受けたのですが、

なんとも、困ったものでした。

不倫された妻は最悪の運気にあり、夫と不倫相手には縁がないものでした。

何度かこのような関係を見たことがあり、易でもこのような卦が出ます。

最悪のシナリオは捨てられた妻が子供を道連れに心中するというものです。

ある程度年齢が行っている場合であれば、積み上げてきたもの全が

藻屑と消え晩年の孤独死となります。

最善のシナリオは苦しくても現状を維持し、そこに居場所がないのであれば

自立の準備をしながら再起を図るというものです。

(ここまでくると壊れた夫婦関係を戻すことはまず、無理です。)

ですから、別れたいという夫や不倫相手の言葉を、お客だからと

そのまま鵜呑みにすると、結果的に人殺しに加担したことになるのです。

絶対にやってはいけません。

もちろんこれは、残される妻の運勢が最悪だという事例の話で、

妻の方も若く元気一杯で、強い運が巡っているというのであれば、

全く違う話をします。

(その場合不倫の原因は妻にもある場合があるからです。)

夫婦というのは間違いなく、夫婦になる縁があり、

それには順縁と逆縁の二種類があります。

また順縁にも幅があり、一生円満な夫婦もあれば、

努力が必要な夫婦もありこれは時代や環境によって変わってきます。

逆縁の夫婦の場合は先に書いた夫婦が典型的な一例です。

このように書くと怖くて結婚なんてできないわという人が

出てくるかもしれませんが、起きてくる事柄の一つ一つが学びです

夫婦としての口の聞き方、家事、妻への態度、夫への態度、

特に期待と負担は紙一重となります。しかし粘り強く、

忍耐と許容をお互いが学べば、それが自然に智慧に昇華し、

子供の教育にも仕事の上でのコミュニケーションにも

必ず活かせられます。もちろんこれは理想の話ですが、

たった一度の人生です。

強い意志を持って生き抜こうとしてください。

フリーメール鑑定

今年からフリーメール鑑定を始めました。

依頼者に値段をつけてもらう鑑定ですが

やはり、あちこちで占い師さんに虐められている人が多く

こちらの「質問があればしてください」の返信に対して

10人中6人まで返事がありません。

質問は有料というサイトや、私も参考に無料サイトを

試したことがあるのですが、その後のメール責めには辟易しました。

多分この手の後遺症だとも思いますが、

こちらには、この手の意図は全くありません。

鑑定依頼に関しては割と細かく回答しています。

特に年齢の若い方には、こちらの老婆心からご本人が、

まだ気づいていない部分を指摘している場合があり、

隠しておきたい自分を指摘され、的中している場合などは、

なにがしかの恐怖感を持つ方もいます。けれども実は、

そこからが鑑定の核心で、そんなこと言われても「違う。」と

自分自身を見つめ直す機会として欲しい所なのです。

ですから必ず「質問があればしてください」と鑑定の末尾に

必ずつけるようにしている。

騙してお金を加算させようなどとは思ってもいません。

少なくとも洗心庵は、どこかの大手と提携し

鑑定や占いで大きな商売をする気は、全くありません。

まだまだ発展途上ということで、本の出版もお断りしています。

お金に関してはキレイなもので、いつも財布の中はスカスカです。

ですから、うちで学んでお金を稼ぎたいという人には向いていません。

フリー料金で料金表示のないのが怖いという方は

対面鑑定の料金を参考にしてくださればいいでしょう。

持ち合わせがないという方は、手持ちの額で結構ですが

額面がわからなければ振り込み金の特定ができないので

予め振り込みの連絡をメールでいただくように明記しています。

(怖くて真面目すぎる会計がいるので、不明な金額は振り込まれても迷惑にしかなりません。)



鑑定内容の質問については無料であり大抵の場合納得できるまで

質問には答えています。

どこにも、多分、無い料金システムですが活用次第では

皆様のお役に立てることもあると思います

誤解のないよう御利用ください。

WHOとCDC

コロナウイルスに対する情報が錯綜しているようですが

私の見る限りWHOはどうも政治が主導のようです

アメリカのCDCの情報が今のところ一番確実だと思います

コロナウイルス自体の全容が解明されていない現状で

怖がる必要はないということ自体に疑問を呈するのですが

それを垂れ流ししているマスコミを見ていると

震災のときメルトダウンしていないと主張していた

御用学者の顔が浮かんでくるのですが、どんなものでしょうか。

報道をどう捉えるかというのは難しいものです。

ある意味TVショウと観るがわが真実とは別のものと諦め、

彼ら以上に賢くならなければオイルショックの時もそうだったように

一部の便乗商法を助長させるだけです。


布のマスクを自作している方が多いと思います

(我が家でも、ついに自作しました。)

洗濯して再利用だと思うのですが、知人のお医者さんに

お話を伺うと 使用したものは煮沸消毒(熱湯消毒)してから

乾燥させ、ジプロックのような密閉できる袋に入れて

消毒用エタノール等を2回ほど吹き入れてしばらく

置いておいてから使えば完全に近い除菌ができるそうです。


(煮沸時間の時間は沸騰してから5分が一般的だと言われています。)

(消毒用アルコールで20秒ほどで死滅するとのことです)

日本版のCDCについて

防疫に関しても、政治から独立した機関がないゆえの見込みや希望による楽観情報が主流になってしまうのかもしれません なかなかお寒いの現状のようです。

苦しみ 孤独 

今、自分は奈落の底だ、地獄にいる

どうしようもない 不幸だという人がいる

自分には仕事がなく 家族もなく お金も

明日行くところもなく テレビやネットの人達は皆

自分より遥かに幸せだ 恵まれている そして

羨ましい妬ましいお前ら本当の不幸を知らないだろうと 

自分の負の深さに優越感を持ち 独り 世の中の不幸を

背負う

「孤独」であり「自分の居場所」が無い。

違う 自分は被害者だという人もいると思う

しかし 今に至るきっかけになった「できごと」と

その後、どのように時間を過ごしてきたのか

少し考えてみませんか。

縁起讃」というお経があります

正確にはお経というより賛嘆の詩篇なのですが

因果や縁起についての解説書です

この中に「自性」とい言葉が出てきますが

自性」不変の存在であるとか

絶対に変わらないものと解釈すればわかりやすいかもしれません

「永遠の金持ち」とか「永遠に続く不幸」とかは

存在しない 金持ちは金持ちになるための努力と縁と

強い意志をもてたから金持ちになった すなわち

金持ちになるための因(原因)と縁(努力)を成した

結果の姿である さらに ここに時間の概念が生まれ

時間というのは、生物に取って 生まれ成長し成人となり

子孫を残し次の世代が成人するまでの期間 壮健が続き 

それが過ぎると衰え 老い 死を迎える過程です 

人の一生から比べると多少の時間の差はありますが

ネズミもカラスも人間も同じです

日々時間に刻まれ全てが移り変わり転変していく。

水の流れに例えれば時に不幸の激流にハマり 

時に凪いだ緩やかな日常が続き その中で

人と人が出会い 親しみ 結ばれることもあり 

苦しさから自分の世界に逃れることもある

誰もが それぞれの時間に流されている。

その中で 一体なぜ苦しみがあるのか?

お釈迦様は その原因を「無明」だと説いている

移り変わるものを 移り変わらない永遠のものだと思い込むこと

目の前にある不幸を 永遠に変わらない不幸であると思い込み

不幸を終わりにするための原因と努力を放棄してしまうからだと

「縁起」の教えを知らないからだと説いています。

もしかしたら自分ではどうしようもできない状況にいるのかもしれません

臥薪嘗胆の時期です

(有史以来 洋の東西を問わず我慢する意味のことわざのなんと多いことか。)

今 どん底にいるのであれば どん底から這い上がるための準備を

することです 仕事がないのであれば きつい仕事であれば

それなりにあります。体力をつけましょう。

世界は日々変化し続けている 我々も日々一様に

変化している 老いている だから人生を楽しむことです

何を楽しむのか?

人として成長することを楽しむことができればこれ以上の

楽しみはありません。

宮沢賢治 雨ニモマケズ

6月16日

夏目漱石の草枕の冒頭では、山道をのぼりながら

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。青空文庫 夏目漱石 草枕とあります。

住みにくい処を、どれだけ住みやすくするか。

夏目漱石の面白いところは、洒落が聞いていて、

ユーモアがあり、なんとなく人懐っこいところでしょうか。

コロナのせいもありますが、世界も世間も、職場も、家庭も

息苦しく、閉塞感に苛まれています。

そんな折です落語をお勧めします。

古今亭志ん朝さんは名人です。明るくて愛嬌があります。

父親に似ていますが、かなり、おしゃれにした感じで鯔背(いなせ)です。

人情話も滑稽話も怪談も良いと思います。

親父さんの古今亭志ん生さんにも、良い音源があります

三遊亭圓生 とても形がしっかりしている方です。

笑点の歌丸師匠も大したものです。

皆故人ですが、しっかりと名を残した名人達だと思うのです。

落語の登場人物に自分を仮託して夢を見るのも良いものです。

もし単純明快で滑稽で粋で鯔背で洒落ている自分がそこにいたら

ずいぶん楽しいと思います。への役にも立たない自意識や

プライドなんてものは役人の作業服のようなものです。

(ヤボの意味です。)

自分で自分の人生が決められる年齢ならば、

自分のライフスタイルを、できるだ軽快にして、自分をいじめず、

必要な責任を負い、社会の中で生きていくことです。

喜怒哀楽

喜怒哀楽 

人の感情を表したものです。この四つの文字を易的な観点から並べ替えると

       金         喜

    火  土  水   怒     哀

       木         楽

こんな感じになります。

これをどう解釈するかなのですが、五行の関係で言えば相反する性質が対中し、全体のバランスが生まれる。
その内の何かが欠けると、それを補うために動が生じます。具体的に言うと全体を100としたとき、木火金水各々は20で、例えば木が何らかの外因で傷つけられ17になったとき、木を生じる水はそれを助けようと欠けた3を木に与えようとし水は凹み、金がこんどは水を補うために凹み、次に、金を補うために土が、土を補うために火が欠け、その火を補うために今度は木が欠けと延々と補うための動き続ける。八卦図の中心の陰陽の図の意味です。これが陰陽の動の原理です。

この原理から人の心を見たらどうでしょう?

ものごころがついたころをスタートとし、不幸な事にそれが怒りなら怒りは哀しみを生み哀しみは哀しみを補うために楽を求めます。楽が得られたとき喜びが生じ、喜びが続く事を誰もが求めるけれども、それにしがみつけば、味に慣れたグルメのように味わったはずの喜びが醒めて行きます。そうすると、こんどは喪失感にさいなまれ、さらなる喜びを求め、得られなけれ怒り始める。同じ事の繰り返しですね。無くしたものは絶対に戻りません。なぜなら、今ある怒りの原因がその喜びだからです。これが世の姿です。若い方には毒になる考えかもしれませんが。年を経て色々なものを見てきた方には実感出来るのではないでしょうか。本当の事です。そのときに得た喜びの心をどれだけ大事にし、それに感謝し常にその心をリフレッシュ出来るかで喜びの寿命が決まります。

生命は喜びを求めるようにできていて所謂高等動物になるほど精神的な喜びを求めます。もし、この止む事の無い円環が断ち切れるとしたら、この精神的な喜びを高く昇華させ、移り変わらない喜びを持つ事が課題になるのではないでしょうか。移り変わらない喜びってなんでしょう?

洗心庵の四柱推命

洗心庵で推命術を教え始めてから今年で10年になります。

最初期の教室の生徒さんには申し訳ないのですが、

一昨年「自他の関係原理」の発見と整理により

一気に鑑定理論が進化し現在に至っています。

2年ほどかけて検討し熟成させてきましたが、

現状では内容に間違いはないようです。

先達の成し遂げたことに、やっと、

恩返しができたのではないかと思っています。

その結果言えることなのですが、

私の得た推命術は鑑定を受けるよりも、

真剣に自らが学んでいただければ、その方の人生にとって

実に大きな財産になるものだと確信するに至りました。

これは全て、継続して学んでくださっている生徒さんの

おかげです。

皆が皆、人生に向き合い、泣いたり、笑ったりしながら

人生とダンスしてくださっています。

また、身近な人たちの元命式の研究による、起こりうるであろう

未来予測がそのまま、現れ始め、それを既に知ってしまっている、

自分はどうしたらいいのか自問する生徒さんも現れ始めました。

人が人として成長する瞬間に立ち会っています。

実に有難いことです。

私が緒方先生の教室にいるときにも同じことがあり、

自分の中にあるいろいろな卑しいものに直面し、

自己嫌悪に陥り、変われない自分がどうしようもなく、

結局はありのままの自分を認め、そして、ありのままの自分に

若干の善なる部分をプラスする努力をし続け今に至っています。

実に面白いもので、善なるものが増える実感が起き始めると

それに対する抵抗が生じ、その抵抗を無視していると、

嫌なクセが消滅していくのです。

私の体験上、忍耐と努力と知恵と工夫が持つべき道具であり、

さらに自分をどこかにつなぎとめるアンカー(錨)が不可欠です。

私の場合、それが先生の推命教室でした。

毎月2回、休まずに14、5年くらい通い続けました。

人は流れて何処どこ行くのと歌にありますが、

誰もが最終的に流れる先はあの世です。

ただ流されるだけではつまらない。

激流を乗りこなす匠の技を身につけられんことを

衷心よりお勧めいたします。

風水について

風水と言うのはザックリ言うと「器」と「時間」の学問で、

住居、住居区とそれを取り巻く環境からのエネルギー的

影響を断じるものです。

もともとは御先祖さんの骨を環境の良い場所に埋葬し

子孫に良い影響を与えるに違いないとい発想から始まり

埋葬場所による子孫のできの違いを観察した実践経験から

生まれたものが陰宅風水で

それじゃあ、生きてる人間だって影響されているはず........。

と言う所から生まれたものが陽宅風水です。

その原理は易で

「類を以て類は集まる」

「清は上に濁は下に進む」

これに八卦の象意を絡め判断し

上手な風水師は土地を見ていつごろ何が起きたかまで言い当てています

実際、山の手、下町と呼ばれている土地では

この棲み分けが自然に行われており、風水の鑑定において

この点がわりと大きな場を見分けるポイントになっています。

これに人の流れ=人気のある場所と

人になんとなく好まれる場所(主に視覚的な所から光を大事にする)

そして障害物と道の勢いの有無等

これが家相について論じる前段階です

これらの条件が整い始めて家相の話が出るのですが

この住環境の影響が決定的になる場合が多いのも事実です

私の体験では、あるかたの実家にいる妹さんが子供の頃から

身体が弱く、30なん歳で亡くなった。母親も倒れた

自分はよその土地にいるのだが実家に帰ったほうがいいか?

易で見てみると家に対して道路と血の流れる建物の影響があり

易で出た方向に病院かなにか無いかと聞くと

近くに牛の屠殺場があるとのこと

占ったこちらが驚きました

家相そのものはお父さんが大工の棟梁だったので

問題なかったのですが家が収まっていた器に

問題があるケースでした

このような場合、家の中で一番運勢が弱いものから

影響が出、時間をかけて蝕まれていくものです

逆に、運が強いものは自ら家を出るか、

なんだかんだとその場にいられなくなるもので

そのようなことを体験した事のあるかたも多いのでは

ないでしょうか。

風水と言うのはこんなものです。

ワンピース

四柱推命は難しいという人がいます。

そういう人の本音は、実は「いくら勉強しても当たらない」

というところだと思います。当たらないのには

いくつもの理由があるのですが、私が思う一番の理由は、

鑑定に一番大事なピースが欠けていることにあります。

独学で研究している人に多いのですが、

学理を完璧に身につけても、実践では使えないのです。

学理とは、格局法でも調候用神法でも

「急所になる星の力量を正確に測ること。」なのですが、

それができても使えないのです。

こんな、ややこしいことを学ばなくともバシバシ当てている

占い師の先生方は沢山います。

さて、どこが違うのでしょうか?

学究肌の方達は頭を抱えると思います。(自分の方が賢いはずなのにと。)

実は、これ、学理によるものではなく、一つは経験、

一つは観察力によるものなのです。

つまり、人生の経験値が少ない人には見えないものを

彼らや彼女らは判断の根拠にしているのです。

(高い経験値です。まさに統計学としての推命になります。)

つまり欠けているピースというのは、

「ナマの人間を知る」ということなのです。

人の持つ喜怒哀楽、妬み、憎しみ、強欲さ、執着、愛情、

近親憎悪、焦燥感、そして悲しみ.......etc,etc.

あらゆる感情の変化を考え、自分の身をそこに置いて、

判断しなければ、人なんてわかりません。

(学究肌の方達に人間嫌いが多いのも事実ですね。)

「運」は心が作るものです。

正直に言います。

過去の人生が今の「運」を作っているというのが私の考えです。

そして、

自身の過去の結果としての星(人生)を認識できた時、

違う人生の選択ができる。

そう私は思うのです。

だから自殺というのは最悪な選択になるのです。

死に逃げてはいけません。無限ループが始まります。

命の連続性の観点からものを考えると、

仏典にもあるのですが

「命」が人として生まれ変われる可能性は、

地上全てが海によって覆われていたとき、

100年に一度浮かび上がる目の不自由な亀が

風に流される穴の空いたくびきの穴に、

自分の首を入れることぐらいに稀だとのことです。

まさかと思われるかもしれませんね。

でも、「命」の連続性からいうと、

虫も、魚も、鳥も、動物も、細胞を持つあらゆるものを

命として数える時、人類などというのは実に希少種だと思うのですが。

逆に言えば、落ちる先の可能性は限りないということです。

できれば人として生まれて来たいものですね。

今、どんなに苦しくとも、人として生まれた「幸運」の中に

我々は生きています。

幸運のフクロウがいつも右肩に止まっていて時々、

「やめときな。」とか「嫌かもね、でも、行ってごらん。」とか

囁いてくれているのですが、

気づかないんですよね。これに。



今の苦しみは、その原因を手放せば、

時間とともに必ず薄まっていきます。

手放せないのであれば、休むことです。

原因が人であるのならば、人は必ず歳をとり、

老い、弱り、死ぬものです。

憎っくき上司も、ウザイ同僚も後輩も同じです。

親も、子も、ママ友も皆一緒です。

(原因が人でないときは、少し、考えましょうね。)

5月23日

生徒さんから断易について、時々質問されます。

推命学と断易は車の両輪だと私は

習い、研究しています。

研究科の生徒さんの中にも熱心な人が数名いて

最近は易の質問の方が多くなりました。

(ご本人たちが占ったものを研究する形で一緒に学んでいます。)

易に関しては私も誰に習った訳ではなく

自己流です。ただ最初に手にしたテキストが

九鬼盛隆先生の「断易精薀」なので、こちらが

基本になっています。

断易のテキストは玉石混沌で九鬼先生のものは

内容に関する批評は、しようもありませんが

口語ではあるのですが文体が明治期の言葉で書かれていて、

若い方には、かなり難しいと思います。

また、断易を名乗る流派にも色々あり、生徒さんが

持ってきた例題に「発動」を違う形でとっているものがあり

驚かされました。

原典を「卜筮正宗」と限定すれば断易とは別物なのですが

「増刪卜易」には易神は、占う人に合わせて卦を教えている。

極論を言えば、当たればいいんだよ。と書かれており、

それで一派を立てているわけですから

独自の考え方があるのだと納得はしています。


初学者のかたには菅原壮先生の「断易入門」辺りから学ぶのが

わかりやすいかもしれません。基本は網羅されていますが

実例の解釈はこの本にはありません。実践解釈に進むための

実例が書かれ読み易いことを第一に考えれば現代のものであれば

レイモンドロー先生のご著書、近代の例題であれば

藤田善三郎先生の「諸口流奥義 五行易師弟問答」が良いと思います。

ただ、このご著書は一見わかりやすそうに見えますが

易神が易の達人の方達に語った得卦です。

基礎が出来ていて、ある程度占術の実践経験があるかたでなければ、

内容は見えてきません。時々基本を捨てなければ

前に進めなくなる例題も含まれているので素人が手をだすと迷いの森に

陥ります。気をつけてください。

引きこもり

2月4日 朝ドラの続きでNHKを見ていると

女性の引きこもり問題を特集していました

外に出るのが怖い 自分には価値が無い等々

残念ですが、よく聞く言葉です

「怖い」という感情に原因を見つけることは困難です。

 道ゆく知らない人の表情、聞こえる音、

子供たちの叫声、全てが恐怖の原因になるものです

辛いですね。頭の中のどこかでは、

太陽の光を浴びて晴々とした生き方をしたいと

思いはするのですが、身体がすくんで外に出られない。

どうすればいいのか?私にもわかりません。

思いつくことを挙げれば、少年ジャンプの販売日の

月曜は本屋へ出かけるとか、見たい映画があれば

座席予約をして出かけるとか、自分が楽しいことを

イベントにするのが一番手っ取り早いかもしれません。

私が子供の頃は、本屋さんもコンビニもマンガ本は

ビニール紐で括られておらず、立ち読みし放題でした

今時こんなことを言えば不謹慎だ、ルール違反だと

怒られますが、その辺りは今より、だいぶ

おおらかでした。

もし当時、今のようなSNSの状況であれば、

あの店「立ち読み可」店員弱しなどと情報が

垂れ流され本屋さんも漫画家さんも

大変なことになっていたと思います

ビニール紐も自己防衛の現れです。

あらゆる人が時代に沿う生き方を求められてしまう

その波を自然に受け入れられる人と

そうでない人は間違いなくいます。

もしかしたら、今の時代に乗りたくない、

(乗れない)というのが

外に出たくない理由なのかもしれません。

私にもこの傾向があり、これじゃダメだなと思いながらも

篭る時期が時々あります。

実はつい先日、年に一度のお楽しみで箱根の温泉に

行ってきたのですが、箱根神社で御祈祷を受け

おみくじを引いたら

「日にあたれ」と書かれていました。

「...................。」

二の句が告げず、すごいなーと関心し、

神様の命令じゃしょうがないと、散歩を再開しています

外に出るきっかけなんて、こんなもので良いのだと思います。

もっと心の力を抜いて、どうでもいいや、なるようにしか

ならないと、不真面目に生きてもいいのだよと

自分を甘やかしてみるのも一興です。

今日(2020年2月4日)目黒不動の梅の花が綺麗でした。

林試の森公園の河津桜の蕾が膨らみ、ほころびかけていました。

梅の花の見頃です。真っ赤な桜がすぐに咲きます。

自分に価値があろうが無かろうが、

自分と誰かとを比べようが比べまいが、

天地の理(ことわり)は、

生まれ、心と身体を得て、行い、老いて、死に行くものです。

ただ、心のもつれだけが残り、また、

生まれ、生きることが繰り返されるとインド哲学では

説かれています。

だから、今生でやり残したことがあれば、

あまり宿題が多いのも困りますが、

来世の宿題と諦めてしまえば、返って肩の力が抜けて

今生での課題をクリアーできるかもしれません。

長い時間軸を想定して生きるのも馬鹿みたいですが

楽しいものです。

来世は音楽家になる、その準備でもうチョット

楽器を上手くなっておこうとか、

今生では数学がカラキシダメだったから、

少し、勉強しておくかとか、

何でもかんでも中途半端だったから、一つだけでも

芸事をやり通そうかとか、

もっともっと人生を気楽に思うことができれば

引きこもりも、外出も自由自在になるかもしれません。

台風一過

2019年 10月13日

昨日はどうなるものかと思いましたが、

とりあえず無事です。

風がいくらか残り、朝から飛行機の爆音が上空を騒がし

ていますが、よく晴れています。



治水はやはり国のやるべき仕事です。

「想定外」の言い訳は

命を失ったものへの言い訳にはなりません。

一日も早い復旧を祈るばかりです。

中国とアメリカ

現代ビジネス

日本では中国に関するニュースや番組には

鍵がかかっているようで、基本アミューズメント関係の


どうでも良いものと、不正や腐敗を正している的な、

正義のニュースが流れていますが、実際起きていることは

現代ビジネスの内容そのものなんでしょうね。

国家を挙げての産業スパイや金にものを言わせての内政干渉等々、

日本の企業やマスコミ、政治団体の深層部に同じことが

起きていると考えるのが実に自然なことのように思えます。

私も、何人か中国や他国の留学生を知っているのですが、

一般の日本人よりも、はるかに勤勉で、向上心の塊のような

方が多かったように思えます。

ヘイトスピーチのデモをする前に、もうちょっと、

我々日本人も頑張らないといけません。

あるおばさんが言っていたのですが、

「外人が日本人の職業を奪っているのよ、困るのよ。」



「そうかもしれませんけど、日本人に根性がなくなったんで、若い子が、

ちょっと、きつい仕事に就きたがらないんだと思うけど......。」

おばさん。

「そう言われれば、そうね、隣の子も保険の外交がきついって、こないだ辞めたのよ。」と

身近の子を見ているのですから、完全に納得です。



先日、築地市場の移転のニュースを見ていたら、

インタビューに答えていた、若い子が

「築地で働きはじめて5ヶ月ぐらいだけれど、僕らの世代の仕事感は、仕事は仕事、そのあとは自分の趣味とか、プライベートに重点を置く、でも、ここには、昔の日本のように仕事を人生そのものにしている人達で、とても新鮮で、........。」


と言っていました。

これを聞いて愕然とするとともに、色々思い出したのですが、

バブル最盛期、仕事に就かなくても、バイトの方が気楽で

お金も稼げるしと、言っていた連中がたくさんいましたね。

結局、この人たちが多様な働き方政策の原因を作り、

使い捨て労働を法制化させてしまった。

なんともかんともです。これもバブルの功罪です。

「安楽は智恵を砕く」

肝に命じなければなりません。





先に書きましたが、時代こそ「教育そのもの」です。

そして、教育というのは「良い」ことばかり教えるのではなく、

「悪い」ことも教えるのです。



過去の中国人が教えられた「阿片」にも同じことが言えます。

賢いことに、今の中国はその過去を学びにして、

麻薬商売は、ほぼ「死刑」です。

我が国は、あまり、過去や他国から学ぶことを好まないようです。

嗚呼。

推命を学ぶと言う事

これから推命教室の授業が進んで行くと

様々な、その人が持って生まれた姿というのが見えてきます

たとえば、嫌いな奴がいて不倶戴天の敵としか思えなかった相手でも

怨嗟の対象となるまでに、人としての

苦しみと哀しみの営みが延々となされ、

自分との関係を抜きにすれば、そんなに悪い人で

ないのかもしれないと、自分の中に燃え盛る

怒りの炎を別な形に変換する余裕が生まれてきます

同様に厳しい環境で育てられてきた人などは

「親と子」というフィルターを通してしか

見えなかった関係性を推命と言うフィルターを通すことにより

「親」を一人の「人」として見る事ができるようになってきます

たいていの人は自分が、親の立場になり、同じ苦労を身に受けた時

初めて、親の苦しみを理解し、凍りついた関係の雪解けが始まります

でもこれに気付かされる頃は残念ながら遅きに帰する場合が多く

自分の身に受けた傷が化膿している場合が多いのも現実です

往々にして親の姿を、本質は変わらずに、

別のバリエーションで繰り返すのも

このような方の特徴です


教室の生徒さんは推命を学ぶ事により

自分自身の心のわだかまりを、まずはクリアーにすることを

目標にして下さい。自分自身を知るということですね。

次ぎに、自分を知る事ができるとそこで終わってしまう人がいます

けれども、そこで終わってはあまりにも宝の持ち腐れになります

人の役に立つ事ができる技術です。人のお役にたってください。


人の相談にのる時は

大音声に誰それ先生に習った推命だなどと

権威をひけらかすのではなく

相手の星が判っているのだとしたら、静かに

教室で習った言葉を自分の言葉に置き換えて

相手の方とお話をして下さい

おのずと智慧の光が輝き出し

その人に必要な言葉が出てきます

そのためにはやはり、そのかたの用神と日干の理想の姿を

自分の心の中で熟成させる必要があります

時間を味方に付けてしっかり学習を続けて下さい。

2019年   1

2019年 どんな年になるのでしょうか?

いい年になると良いのですが、あまり良い予兆がありませんね。

12月23日天皇誕生日 平成最後の天皇陛下のお言葉がありました。

過去の戦争への贖罪、妻への思い、未来への希望を述べられていました、

大日本帝国時、支那事変以降310万人もの国民の犠牲の上に

現在の我々があることも述べられていました。

正しく後世に伝えて欲しいと仰られていました。

立派な方です。

その戦争の最高責任者とされ、

最終的な決済をなされたのが昭和天皇です。

自分の父親が、何らかの形でその犠牲者たちに対し、

重い責任があると思い、知った時、

その子は何を感じたのでしょうか。

計り知ることすらできません。



来年は代替わりというのが一つのキーワードになるのかもしれません。

うまく代が変われば良いのですが、多分、多くがイチャモンがついての

それだと思われます。


風水的な考えでは下元9運が2023年から始まり、

(大地を流れる大きな気の流れが20年ごとに変化するとの考えです)

今年の年末あたりから、その汽水域に入ったような状態で

来年あたりから、さらにはっきりと現れてくると思います。


潮目が変われば一気に変化します。

今のうちから備えてください。

何に?と問われるかもしれませんね。

それは自身の内にあるマイナス因子を減らすことと、

新しい時代の潮目を見逃さないことです。

順逆のサイクル

教室で説明している順逆のサイクルですが、

少し補足しておきます。

例えば糸車があるとして、

順方向が糸を繰る(糸車に巻き取る)回し方だとしたら

逆は巻き取ったことを無しにしてしまう回し方です。

そうすると、

人が順のサイクルを回し、自他共に満たされた人生を送っていたとしても

もし、逆のサイクルを回せば、

それまで積み上げたものがゼロに変わることになりますね。

恋愛で結婚し、離婚する夫婦にありがちなパターンです。

しかし、逆に、

自分たちが逆のサイクルを回し始めていることに気づいたら、

即座に順のサイクルを回せば、逆のサイクルで現れ始めた、

怒りや、苛立ちや、わがままが消えていきます。

消えていくと言うのは大げさですが、失くすものの価値を

自覚し始めます。

苛立ちは簡単には消えません。

なぜかというと、この苛立ちの原因は、ものごころがつき始めた

子供が駄々をこねるのと全く同じ原因から来ているからです。

「それが「嫌」、自分の思うようにしたい。」

子供なら泣きわめくだけで済みますが、大人はそうはいかない。

何が、その嫌を言わせているのかも、分析することはできるのですが、

それは置いておいて、

冷静に考えれば、そう、大したことではないことからスイッチが入り、

大事(おおごと)に積み上げていき、

リアルな大事を創造していく。

ご本人たちは、なんとなく、そのことを理解しているのですが、

子供の心が、元に戻ることを許しません。

困ったものです。

吉田松陰にこんな言葉があります。

「今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて人と成りにし道を踏めかし。」

今の日本の、どの業界を見ても、他人任せで

嫌なことは全部誰かのせいで、責任を取らない、

幼心が蔓延しています。

都庁のエリート官僚集団が良い例です。

劣化する学校の先生がたの根っ子も同じところに

原因があると私は思っています。

いい年のオヤジやオバさんが幼心の持ち主じゃ、

カッコ悪くて、しょうもないじゃないですか。

せめて、身近な人の前だけ、職場だけでも大人でいましょう。

無理しながらでも順のサイクルを回し続けることです。

日々奮闘努力ですよ。


「フーテンの寅さん」は寅さん以外は

皆大人だったから成立した映画だということを

忘れてはいけません。





最後に、もし夫婦喧嘩をしたら、何かしらのユーモアの

タイミングを見つけて笑ってください。

お互いに気が残っているのなら、一気に緊張がゆるみ、

笑顔が戻ります。しかし、もし、

冗談がまったく効かなくなったら、一人で生きていくことを考え始め、

親がいるのなら相談してください。

結婚の時期

生徒の皆さんが運命学を習っているのと

友人や知人の方にお話される時多分、若い女性の友人からは

一番最初に自分の結婚運を教えてと尋ねられると思います

そのときどう答えるのがベストでしょうか?

一般的な推命では女性の場合官星が旺じるときと

答える事になっています。

(男性に取って官星は仕事を表します)

実例の研究を続けていると、これは1、2割程度です

また、その後離婚しているケースが多いのも事実です

それでは、どう考えていけば良いのでしょうか?

時代の共通意識、常識を知ることから始めなければなりません

結婚が永久就職と言われた時代、○○家に嫁ぎ家事をし

主人と主人の縁戚に尽くし、家の跡継ぎを生む事が

女性に求められているもので

間違いなく、結婚は就職の一環でした

ところが現代は恋愛の延長としての結婚はもちろんですが

子供ができた事による責任婚であったり

男が女性をカネずるにするためのヒモ婚であったり

社会的立場上の仮装婚など様々です

純粋に恋愛に殉じるのであれば結婚など

しない方が良い場合さえあります

少し古い例ですがジョルジュサンドとショパン

サルトルとボーボワールなど、は良い例だと思います。

長々書いてきましたが、それなら何時なんでしょうか?

と言う事ですが、結婚には結婚するだけの条件があり

それは個々で違うと言う事です




もし、自分の結婚は何時ですかと問われた時

そのかたに結婚する準備はできているの?

と問う事が彼女が真剣に結婚を考えているのなら

そのかたの心に自分を見つめる機会を持っていただく

キッカケになります(これなら今の実力でも使えますね)

色々な条件については教室でお話する事にしたいと思います

先ずは基礎力を身につけて下さい。

ブルー・ジャイアント

昨日「ブルージャイアント」を見てきました

なかなか体が震える映画で、純粋さ 一途さ 妥協しない強さ

これが若さだったんだ......。と

そして何よりも感情が音に乗るというのはこういうことかと。

ジャズ関連の映画は昔、ジャズ好きの友人がいて

「ラウンドミッドナイト」と「バード」の2本を見た程度なのですが

最近、推命理論の再整理を始め、脳内環境がそうなっており

そのような頭で映画を整理している自分がいます


ブルージャイアント、これは、生まれんとする生命のほとばしりである

「長生」 疑いようのない純粋さ 強さ 明快さ それに対し

「ラウンドミッドナイト」は登り詰めた人間の

到達したものを失う不安と音楽への愛情が交錯し

苦への耐久力が年齢とともに衰えて 老い 衰え 

死の恐怖に苛まれる自覚 不安 

衰病死墓絶の十二運を想起させるものです

実際のチャーリー・パーカーやビル・エバンスもかなり厳しい晩年です

「ラウンドミッドナイト」の中で

「即興演奏は毎日新しい音を作り出す作業 もう何十年以上も 

それをし続けている その苦しみは計り知れない」 

このようなセリフがあって、トップジャズメンの晩年の悲劇性に

妙に納得したのですが

「長生」の子供達の未来には確実に待ち構える運の流れです




音楽を担当した上原ひろみさんはそれこそ現在 

最盛期(建碌 帝王)の中にいるミュージシャンです 一聴の価値のある

ジャズピアニストです 

運勢鑑定について

教室のご案内1です。

もういい年だし、これから、プロになるつもりはないし、お金も高いしと迷っている方へ


運勢鑑定や、占いや、中には心理療法士のカウンセリングを受けても、

なかなか自分の人生に納得出来ない方がいます。

なぜなら、人は持って生まれた星の力に支配されているからです。

その上、星は、その姿を本人には決して見せません。

その姿を把握しない限り同じ事を別の姿をとって何度も何度も

繰り返します。

所謂、心から喜びが湧いて来る恋というのは

実は、運勢がその人間を征服した喜びである事がとても多い

それを見極めるには、その喜びがどれだけ長く続くかで

決まってきます。激しい恋愛で結婚したはずなのに

あっという間に別れたと言う話を聞いた事がありませんか?

星は本人の感情を操作し星の思うままに、人を自由にします。

本人もそれが頭では違うと判っていても

感情に従ってしまう。だって、そうおもうんだもの、

ビビットきたんだもの.....。自分直感で決めた。等々

これが運勢に関する事で人が選ぶ選択のしかたです

(結婚や就職や、将来に関わるような重要な選択の時に限って

このような気分が出て来るのが運勢の厄介な所ですね。)

これに対処する方法は

強い理性を持つ事意外にありません。

理性と言うのは自分の心の底から納得し、これを

訓練しなければ、なかなか強くなれません

感情を越えるためには、それ以上に説得力のある

明らかな根拠が必要になってきます。

それがこの運勢鑑定の骨子となっています。

起きている現象は自分が生まれ持った種から生じたもので、

目の前にうごめくものは、その種を結実させるための助縁です。

もし、今苦しみの中にいる人は

今ある苦しみは自分を縛っている種を明かすための

縁だと思って下さい。本当の自分の姿を知るための

痛みの伴う声援です。

自分の人生の流れを自分で知る事です。

そうすれば納得のいく人生がそこに待っているはずです。

実践鑑定

現役の生徒さんで半年以上在籍の方は、間違いなく

鑑定ができます。必要十分な知識はすでに提供しています。

自信が無い。自ら原名式をだそうとしない。

他人に好奇心をもたない。まだできないと思い込んでいる。


「なぜ」そのことが起きたのか?

なぜトラブルがおきたのか?

今ある知識でその「何故」を追求することをしてください。

解けないところは教室に持ってきて貰えば解説します。

教室で教えている鑑定法はすべて実践の上で検証し

正しいと判断できたものだけを教えています。

口述されたメモを、しっかり読み返してください。

ネットで色々検索し、情報を得るのも方法ですが

ネットに晒す情報というのは晒す程度の情報です。

また、テキストとは口述のための目次のようなもので

真実は口述とテキストの行間にあるものです

テキスト絶対論は間違いです。

そして、できれば他人(自分以外の人 家族 血縁も含む)の

幸せを願って下さい。ここをなおせば、もっと良くなるのになー。

その程度で良いと思います。

他人を見ることは自分を見ることに必ず通じる。

あらゆる人の人生を他山の石として自分の人生に

役立てること。ここで教える鑑定法は占いとは一線を画すものです

自信を持ってください。


注意点

他人の命式の前に自分自身の命式の分析から始めてください

なぜ、どうして、何がそれを選択させたのか。

自分がわかれば、他人のこともわかるようになります。

自身のこころに直面することは、なかなか厳しいものですが

その分、人にも自分にも優しくなれるものです。

朝ドラ

今朝の朝ドラで(11月18日)

プロ野球選手になるという夢が破れた彼氏に

「諦めないで。きっとまたチャンスは来る」

「あなたのこと信じているし、諦めたくないから」

「私が支えるから、もう一回頑張ろう」

君はいい人だ、だけど僕には重い。ごめん。

と言われて別れた過去の回想シーンがありました。

NHKすごいなーと思うのですが(本当は脚本家さんですね)

思い出すのが、私が学生の頃、5、6歳年上の同級生がいて

彼女は既婚の方だったのですが、魅力的な方でした。

ある時、友達のAが彼女との話を初め、?と驚いたのですが

若気の至りで、他日彼女に?と問うと

だって旦那が夢を諦めたんだもの その夢が好きだったから

結婚したのに........。Aって可愛いでしょ、勉強できるし。

とのこと。

その後どうなったのかは、わかりません。


朝ドラの彼女が彼と結婚し、応援し続け彼がそこから降りた時、

どうなるのか?

自分の期待を裏切った夫=夫を裏切って、おあいこ???

どうなんでしょうか、この辺りは

自立し、強い女性にはできる生き方です。

どこかで書いた、「個人の幸福論」的に言えば

関係者以外には、どうでも良いことで本人次第だと思います。

問題は、これを一般的な規範として主張することの良し悪しで

声の大きい方達や、商業的な損得が絡むと、

それを煽る連中が必ず出てくる。


NHKつながりで。

たまたま見ていたNHKの語学講座で

SNSの出会いサイトでのやりとりをスキットにしていました。

(ちなみにフランス語講座でフランス人はジュ・テームが大事とのこと

もうNHKぶっ飛んでいる。フランスも男が草食化して

出会いの場がないのか?と勘ぐりたくなるのですが、

ラテンの男に、それは無いと、なんとなく確信しています。)

昭和世代の私からすると、愛の形も随分変わっているようです。

某アイドルグループの男子が彼女に浮気されたら、どうする?と

問われた時、浮気される自分に問題があるのかもしれないから

許すと言っていました。

人を愛することに、あまり自分の人生をかけていないのかなとも

思います。クールな人間関係 嫌になったら別れればいい。

次を探せばいい。我々の時代であれば根性無しと

馬鹿にされたものですが、それ以上に他人を信用しないというのが

肝のような気がします。

裏切られ傷つけられ苦しむより、諦め易く浅薄な

ふんわりとした人間関係の方が好まれやすい。

ある種の危険回避なのでしょうが、自分自身の

損得勘定を第一とするインテリの方達の生き方かもしれません。


昭和のおじさんは、裏切られようが、怒りをぶちかまかされようが

とことん人を信用し、アクセクと、歩き続けるしかありません。

これもまた人生です。

育った時代環境が、どれだけ個人に影響を与えるのかを知る

良い実例でもあります。

国民性などと言うのは時代により変わるもので

諸外国が移民を受け入れたことにより、

国民性などという言葉さえも死語になる可能性がある。

これがグローバル化の行き着く先でしょう。

この辺りにいち早く気づき、「国家」の存続のための

愛国教育を行なっているのが多民族国家である「中国」の

現状なのだと思われます。

世界のどこにいても本国(中国)に忠誠を誓わせる姿勢を養う教育。

すごいですね。

国内の他民族に対しての漢語の強制と一部には民族語を教えることを

禁止されているようですが、これは、

「精神的民族浄化」とどう違うのか?



日本もこれからどうなるのでしょうか。

東京から千葉に向かう電車に乗ると、江戸川周辺から

駅ごとに国籍の違う人たちと乗り合わせ、ここはどこの国かと

思わされる。

移民を受け入れているヨーロッパ各国は本当に大変だと思う。

近代の歴史を考えると、間違いなく身から出た錆であり

まさか、こんな形で帳尻を合わせられるとは誰も

想像できなかったと思います。

各国とも移民差別に対しての法制度が整い

イギリスなども差別を理由に待遇改善等の訴訟を起こした場合

ほぼ原告側が勝利するようです。

これから10年先、20年先、日本でも、こういった

複雑な出来事が生じてくるでしょう。


理想家の方達は「地球市民」こそ政治の理想

ジョン・レノンが歌ったように

国境をなくせば争いは消えると言うかもしれませんが

車の追い越しだけで、腹を立て相手を病院送りにするような

個人が絶えることなく出てくる世界です。

新しい争いが起きるだけです。

理想に酔うのは気持ちの良いものですが、足元をすくわれる前に

現実に気付くことです。

このあたりは中国に学ぶ必要があるように思います。

太極

私説太極論を書いたのですが、

まだ誤解している人が多い様なので、もう少し説明します。

極論を言えば、

我々自身は太極そのもので、心も身体も常にダイナミックに運動し、

万象(八卦)を生み出しているということです。

たとえば、「1分間、何も考えずにいてください。」と命令されても

それができる人はいません。そもそも何も考えない状態を我々は知りません。

瞑想の大家であっても、集中する対象があって初めてできる芸当です。

禅の坊主は息と丹田に、ヨガの先生はマントラやチャクラへ集中しています。

さらに言えば集中という慣れ親しんだ心の運動を利用し、

心が止まっているように見えるだけで

集中という「運動」から離れることはできていません。

そのくらいこころは動き続けている。

体はどうか?

「自分は1時間ぐらいなら微動だもせずに居られる」

そう言う人がいるかもしれませんが、あなたの心臓は途切れなく

動き続けていないでしょうか?

細胞一つ一つは新陳代謝という運動をしていないでしょうか?

このように人は自分の中で起きている「運動」に対して

とことん無視しているというのが本当のところです。

なぜかというと、自分という「個」にとって思い通りに

ならないものがあるのは都合が悪いからです。

そのくらい人の本質は傲慢で、リアルな自分自身と向き合うことを

嫌います。

太極をものの中心として捉えるだけであれば、どうにもなりません

個人で言えばその人の世界が生まれる場所で、それは

その人が何を考え、動くかによって自然に成立するのです。

そして、今ある環境自体が、その人の動きによって成立した

結果なのです。ある意味残酷なことですが、事実です。

そして、これを改善するためには、

「改善するための動き」をすることです。

私は円満な人間関係を第一の指針として「改善のための行動」を

提案しているのですが、これを素直に受け入れ、

真面目に行動している人たちは、

例外なく居心地が悪いと言います。

そのかわり、人間関係は飛躍的に良くなりその部分では

とても満足しているとおっしゃっています。

なぜ居心地が悪いのか?

環境が円満になっても、かつてのこころの記憶が

残っているからです。

人によっては凸凹でキザギザな自分が

当たり前の自分で、それ以外はありえないと言います。

しかし、本人が何と言おうが、そこには改善の可能性はあるのです。

それがこの<a href="http://www.c-panel.jp/sb/index.php" target="_blank" title="私説太極論">私説太極論</a>を書いた動機になっているのです。


「太極」とは特別な「何か」ではなく人の生きるその瞬間の姿であり、この刹那にも万象が生まれているのです。

そのことをしっかり理解してください。太極の運動は止まることがありません。

心の不調2

心の病については基本的には

「木」の五行に関する問題として、鑑定していきます。

イメージしてください。

あなたは一本の樹木です。根っこは深いですか?

葉はたくさん茂っていますか?花は咲いていますか?

太陽の日は当たっていますか。水の潤いは足りていますか。

いっぺんに言っても仕方ない。

整理しましょう。

木(心、精神)にとって一番大切なものは、まずは水です。

それでは、心にとっての水って何だと思います?

他人からの愛情や好意などがその人の心を養い、

それが要因となり自分に自身や自尊心を身につけていきます。

つまり、人とのつながりによる喜怒哀楽、泣いたり笑ったり、

不機嫌になったりしながら他人とのおつきあいを学び、

自分の心を整理する方法を学んでいきます。

これが水の役割ですね。

(大事なことは多少の苦しみや、痛みが不可欠ということで、

これを回避してしまうと、結局、心の成長がどこかで止まってしまう。

時より見かけるモンスターペアレントとや猫っ可愛がりをする親が、

結局、我が子の成長を止めてしまったようなケースも

多々見うけられるのは如何ともしがたいです。)




それでは、晴天が長く続き、雨が降らず、水が枯れてくると、

木はどうなるでしょう。実は、

水が枯れる防御策として、葉を棘(トゲ)に変化させ始めるんです。

サボテンが代表です。体の中の水を蒸発させないために、

自らの体を変化させる。

理論が飛躍するように聞こえますが、東洋哲学には

天人合一という考え方があり、ミクロコスモス、

マクロコスモスと言われていて、宇宙と人間は同じ存在だという、

スケールの大きな話が信じられてきました。

私もそう思います。

話を戻します。

人の場合この現象が心を変化させていく。

心に棘が生まれ始める。

その棘は他人を側に寄せないための棘となります。

なぜかというと、他人のために喜怒哀楽なんてやってる

余裕が、すでに無くなっているからですね。

他人のことをかまうことに力を使ってしまうと、

自分の命が危うくなるからです。

実に自然な防衛反応です。

それでも他人(自分以外の人という意味。一番の他人は親かもしれません)

は他人と交われという。しんどいですね。

もう少し現状を分析しましょう。

今度は晴天続きの太陽って何?

なんだと思いますか?

太陽は樹木に照りつけ、強制的に水を蒸発させる。

これは内に貯めておかなければならない水までも

消費させてしまう。いわゆる出血多量の状態です。

現象としては、身の回のあらゆる事柄に対する意識が強制的に

強められているような心の使い方になり、

悪化すると疑心暗鬼、自縄自縛、時には幻聴、幻視のような

ことまでも起きてきます。

また、一度このサイクルができてしまうと、そこから

離脱するのがむずかしくなる。

じゃ、どうすればいいのよ?と、なりますね。

それが前に書いたこと。

出血多量であるならば、輸血すること。

まずは、体力を回復することが先決です。

しかし、ここにも幾つかの鍵がかかっていて、

それは、偏食、過食、拒食、が正常な栄養素の

摂取を阻害することにある。

ストレスがたまると、当たり前ですが、そのストレスを

一瞬でも忘れられるような、味覚や快楽に走ります。

それも全速力で走る。

ここに依存症と言われる現象が起きてくる。

だから、その人の状況に応じた処方箋を考えなければならない。

一つ一つその人に掛けられた運勢の罠の鍵を解錠する必要があるのです。

最後に、一つアドバイスがあります。

幸せそうな人を、妬(ねた)まないこと。

できるだけ、他人を傷つけないこと。

自分を大事にすること。

(自分を大事にすることというのは、先にも書いたように、

回復のための努力を惜しむな。という意味です。

残念ながら、人は一人で生まれ、去る時も一人で行かなければならない。

実に孤独で寂しい存在ですが、

この世に生を受けたもの全てが同じように、

セミも、猫も、犬も、牛も、馬も、カラスも、スズメも、

あなたの目の前にいるすべての命あるものは、同じく、

一人で生まれ、一人で去っていく。

もちろん私も同じです。

「生きている意味」なんてこと、考える必要はありません。

こんなことを考えること自体が、あなたを陥れるための運勢の罠です。

生きてるんだから、命尽きるまで生きればいい。

ただ、それだけですよ。人生は。

夜と霧

リュウチェルさんのsnsへの誹謗中傷を本人達が

一生懸命削除しているとの報道

それなりに自分は可愛いのでしょう。

爆笑問題が所属するタイタン事務者の太田夫妻が出ている番組で

光さんへの誹謗中傷を辿ったところ、小学生などの

子供達ばかりで、なんともできない状況だったと

話していました。王様の耳はロバの耳 裸の王様も

そうですが子供の口は塞げません。


子供がそのまま大人になってしまって運転免許を取れば

ちょっとしたことで(特に仲間や彼女を乗せているとき)

「煽り運転」をしたがるようです。単独ではなかなかやらない

子供達のいじめとよく似た構造ですね。


大人になれない子供達

どれだけ倫理道徳教育が義務教育で行われていても

実際の親や、先生方、国の代表の議員さんたち

芸能人としてテレビや動画で活躍している人たちが

不倫やいじめや、親殺しまで起こしている現代 

子供達が聞く耳を持てないのは当たり前です。

そして、想定していないことが起こり自分が不幸になるまで、

そのことに気付けない 気づければ良い方で、怨嗟の形で

反応し続けてしまう。そうすると負の連鎖が起きてくる。

それを仏家は「苦苦」と呼びます。

(苦しみの発生については2500年前の人類と全く同じということですね。)

「モラトリアム」が当たり前となり、さらに、それを

「個性」という言葉にすり替えてしまっている現代

暑さが身に染みる日々ですが 家に居られる人は

「夜と霧」という本があります 読んでみてください。

「自省録」なども良いでしょう。


「忖度」という言葉は悪い意味で随分メジャーになってきましたが

他人を「思いやる」という言葉は死語になりつつあるようです。

宗教

ブログでオウム事件について触れたので

宗教に関して少し書いておきます

宗教をすれば幸せになれるのか?

心の平和は得られると思うのですが

お金持ちになったり、事故を回避出来たり

健康になったりというのは無理だと思います

もちろん心が原因で生じた病気の場合は例え癌でも

心が調うことにより治ることも実際にあります

けれども、いわゆる運が良くなるとか因縁が切れることは

ありません。とても良い例があります。

キリストの最後もそうですし、

釈迦族の最後も悲惨なものです

釈迦族の最後

手塚治の漫画にあったような無かったような記憶ですが、とにかく

無抵抗のまま殲滅されています。

また10大弟子の筆頭である目連は外道の集団に叩き殺されました

これは彼が地獄に行った時、ある外道の導師が自分が説いた教えでは

地獄に堕ちるから現世の弟子達に仏道に入るよう頼まれ

それを外道の弟子達にしつこく言ったのが原因でぼろぼろにされ

亡くなりました

お釈迦様ご自身もキノコの毒に当たって亡くなっています

後の弟子達は諸行無常を覚らせるために自らが

その道理をあらわしたと述べられています

また、熱心な仏教徒ほど無抵抗に殺戮されています

アフガニスタンやインドではイスラム教徒に殲滅され

最近ではチベットが中共の民族浄化にあってしまい

人口の数割がこの世から消えました。

百万人単位の被害者ということですね。

(一部の暴動を切っ掛けに何度も何度も行なわれた結果です)

どうでしょう?宗教は運命を変えられているでしょうか?

そして、誰かが信じている宗教は仏教や

キリスト教より優れた教えでしょうか?

宗教は心の解放と癒しが眼目であり

現世利益はまやかしでしかありません。

空海さんなどは

四種法(息災 増益 調伏 敬愛の現世利益の修法)は

解脱の方便というのが表向きの言い訳ですが

当時の現世利益と厭世思想にうまくつけ込んで

中央政府に潜り込んだカルトです。

彼や彼の弟子達には法力があり

現世利益の実現力が実際あったので

護国の宗教とされてきたのだとは思うのですが

法力があったとしてもそれは仏教ではありません

(学生時代 友人に宮大工の息子がいて彼の話しではおじいさんが本当に空中浮遊を見たといっていました。大きなお寺の落慶法要のとき、内わだけの場で法力比べをやったときの話しだそうです。)

面白いもので、空海は自分の兄貴だと称していた

ある教祖様は来世に良い世界に皆で生まれようと

言う主旨の本を最近出版しました。これは百パーセント

仏教ではありません。六道輪廻からの解放を諦め、

ましてや、この輪廻世界に残ろうというのですから

さすがに困ったものです。

マトモな宗教も、まともでない宗教もこんなものです。

人は自立しなければ強いものの餌食にされる

宗教だろうと男女関係だろうと雇用関係だろうと

同じです。宗教が心の支えになっている方はもちろん

それを大事にして下さい。しかし、自分の支えが他人にとっても

支えになるかは別の問題です。もしかしたら、もし、教団から

布教をいわれてそうしているとしたら、それは間違いです

教団の営業マンになってはいけません。

どこかに所属して安心を得る星と

所属することが苦しみを生む星が

世の中にはあります。自分を基準に考えるのは

とてもとても間違いと誤解が生じやすい。

人は千差万別です。

同じ時代に共生するためにはこのことを認識することが

男女関係を問わず大切なことです。

まず、お互が違うのだという事を認め合うことです。

(自分だけを相手に認めようとさせるのは大間違いです

だれもがやりがちですね)

オウム事件のようなことが二度と起きないよう

言い過ぎの部分があるかとも思いますが

ちゃんと書いておきます。

今苦しむ人へ

今苦しむ人に

天気がよい時は関東地方なら

たいていの所から富士山を拝む事ができますね

とても美しい姿です。特に冬の富士は神々しく美しい

曇ったり、吹雪いたりして見えなくなると

残念でたまりません

けれども、雲や雪が無ければ

山の雪は太陽にさらされ溶け続け積もる事はありません。

人も同じです。

苦しみがあるから喜びを知り

失うからこそ、大事な物を認識し

その記憶が同じ過ちを繰り返さないための

智慧に変化する。何度でも何度でも

智慧を得るまで繰り返し学ばせてくれる

それが人生です

いいかげんこれでもかという位

悪い事は重なるもので

それまでに積んでこなかった自分達の

徳の至らなさを思い知らされるのですが

それでも生命は己に従順に従い

食欲やその他の欲「生きる喜び」を

求める、ときにはひん曲がって人に迷惑をかけ

時には、なんのはらいせか自分自身まで傷つける。

けれど、そんな自分の内にある命の鼓動を「可愛いと」

思えるようになれば、人にやさしくなれます

他人もまた、その愛おしい命の鼓動に生命力をもらい

自分と同じように、その命を「愛おしい」

と気付こうが気付くまいが持って生きている

洋の東西を問わず、民族を問わず、出自を問わずです

この命以外の部分ではいくらでも絶望して下さい。

なぜなら、それは大した事ではないからです

特別に欲をかかなければ、ちゃんと生きていけます

その「欲」とプライドとどっちが大事?などという

大バカな事を天秤にかけるから、苦しみが生じ、

欲した物が手に入らないと言っては絶望に落ちる。

でも人は温かい人情と、衣食住が足りていれば

わりと、楽しく生きていけます。

既に衣食住が足りているならば後は色恋の欲を出さず

暖かい人間関係を作れば幸せになれます


もし今、人間関係がメチャクチャで被害者の立ち場なら

その人と距離を置きシェルターとでもいうべき友達や

なんとか団体でも結構、世話をやいてくれそうな所へ

逃げて下さい。でも、もしあなたが加害者側なら、

もう一度その人との関係を考え直すことです

その人はあなたにとっての運命の人だったはずです

中には加害者であり被害者でもある人もいます

その人は時間をかけて静かに関係を清算する事です

急げば、互いの傷が深くなり再び出血する可能性がある


苦悩というのは冬の富士山の雪化粧のようなものです

そしてその下にあるものは、どのような人であっても

美しい命の鼓動である事を忘れてはいけません

今苦しい人は冬の富士山の5合目です。

そう自分に信じ込ませて下さい

下手な瞑想よりよほど効果がある

富士の山には木花咲耶姫が祀られています

女性のための神様です。祈って下さい、清々しく

清浄なる風が感じられれば神が感応なされた証拠です

そうしたら、

あなたを受け入れてくれた神様に失礼に当たりますから

必ず、意地でも、一度過去の手放せなかった欲を全て捨て

希望を持たなければなりません。

それができれば神様は常に側で見守ってくれるようになります

但し、過剰な期待をあなたがすれば、汚れと感じて

離れていくので注意して下さい。



神に対する過剰な期待は欲に変わり、

そこにいて下さるだけで救いになっていたものが

いつのまにか神様をお願いを叶えるための使いっ走りのように思い始め

本末転倒になる。

これもまた人の姿です。





注意

絶対に自分の苦悩をテーマにして瞑想しないで下さい

富士のお山を一日3分ひまを見つけて5セットくらいイメージすること

これで充分です。

最近つくづく感じるのですが

「業」という観点から人の運勢を見ていると

運勢学でいう官鬼の星のありかたが

実に、理にかなっているというか

溜め息がでるくらいリアルな星として

現れてきます。

官鬼の星はいわゆる正官、偏官のことなのですが

一般的には職業の星、特に正官は本職

偏官は副業などと、実際とは乖離している

解釈をされています。

女性にとっては夫の星ともされているのですが

現実的には、どれだけ社会から「いじめられる」かを

計る星として鑑定していきます。

この星が強ければほぼサンドバック状態に陥るのですが

なんども書いているように、縁を与えなければ

起動しません。

けれども、ほとんどの人が、この星が発動するスイッチを

子供の頃、ないしは20歳くらいまでに押してしまっている

星のありかたは被害者なのですが、実際は加害者としての

行為により後々の立ち場の兆を起こしています。

たとえば、ペットをいじめる、兄弟がいれば弟妹、

学校では後輩、同級生など自分より立ち場の悪い子を

やっつけてスイッチをいれてしまう。

恋愛がらみが原因になり露骨に異性の好意を拒否し

結構深く相手を傷つけてしまう。

また、親に対して起こしている人もいます。



未来から呼ばれて行う行為は、なかなか本人自身にも

理解出来ません。なぜ、あれほど自分は荒れたのか?

その秘密も推命の中には隠されている。



みなさんも是非このあたりのことを研究してみて下さい。

そしてもし自分の中に思い当たるふしがあるのならば

なんとかそれをほどく努力をしてみて下さい。

人生

所謂3角関係ですが、本人に選択権がある場合は

あまり問題ありませんが、本人に選択権がない場合は

考える事を勧めます。

本人に選択権があるとは運勢が強い人で(良いという意味ではありません)

選択権が無い人とは運勢が弱い人の事です(凶という意味ではありません)

運が弱い人の場合、大抵は相手に従い、被害者的なところから

抜け出すために相手を変えようとし、強い人は自分の気に入らない相手から

気に入る相手にシフトしようとします

職場の去就もこの範疇に入ります。

面白いものではありませんが、これも人に刻まれている運勢の仕業です。

男性の場合仕事にこの浮気癖が現れ

女性の場合は男性が変わりやすくなります

現実的な問題から、潜在的な欲求で終わっている人も多く

誰の心の底にもあり、その基本的な姿は変わりません

現実的な問題とは、自分の次の受け入れ先がないという話しですが

ここが難しい所です。

たとえば、30代40代になって相性の良い職業といっても

最初からその道で、よそ見をせずにやってきた人とは比べ物にはならないし

人間関係も一から始めなければならない。

もし、先の会社等で人間関係が嫌で辞めたというのなら

同じ事を繰り返します。最初からコミュニケーションに問題があるからですね

当たり前の事ですが、この当たり前の事しか人間世界には起きません

「奇跡は自分で起こすもの」そう覚悟する事が大事です

良い結果がでれば、それこそが自分の起こした奇跡です

この「自分」、「我」が在って初めて「自信」が生まれてきます

とても、とても、大事な事です。

小学生の頃、親に書いてもらった作文や夏休みの宿題が優勝賞をもらって

気まずい思いをした人はいないでしょうか?

私にも苦い思い出があります。親がものを書くのが好きな人で

小学校のとき県の作文コンクールで優秀賞を

2度ほどもらってしまいました

小学校の1年生の時の思い出です。

家庭訪問のときの親の晴れ晴れしい顔が

自分の心に暗く沈み込む、なんとも言えない感情を

今も憶えています。作文が書けないと泣いて投げ出した

自分がいた訳ですが、それもまた苦しく、二重の苦が

親が死んだ今でも自分の心の中には記憶としてあります

(暗い感情は幸いにも今はありません)

自信というのは自分でしか身につけられません

他人が褒めてくれても、

そうではない事を自分が一番良く知っているからです

これから人生を謳歌しよういう年代の方は

よくこの事を知っておいて下さい

また、人生をリセットしようとしている方もまた

軽々にリセットするなどと夢みたいな事を言わない事です

人生は厳しく、楽ではない。そしてゲームとも違う。

人生はわりと単純です

好きと嫌いで選択され

好きな事には努力出来るし

嫌いなものには努力出来ない。


そして何かを得ようとすれば

代償を払わなければならないというルールの

世界がこの世です

自身の選択に価値を置き、支払った代償を後悔しない事

そして揺れても、元に戻る努力を怠らない事です

けれども、

全て承知でそれでも先に進む気概があるのなら

2度と自分の選択に愚痴を言わず

勇気をもって前に進み、後ろを振り返らない事です。

それもまた良い人生です。

ストレス

前回、釈迦族のことを書いたのですが、

どこかの新興宗教は、解脱すれば因縁が切れる、

病気の因縁や、事故の因縁、貧乏の因縁が切れる。

いわゆる悪因縁が切れると喧伝しているのですが、

輪廻からの解放と、病気や事故や貧乏は関係ありません。

もちろん多くの病気の原因は心的ストレスだと言われているように

心の癒しの面から見ると、信仰は病気の予防になる場合もあります。

また、事故の場合も同様に考えてよいと思います。

でも、これは信仰のどうのこうのではなく、精神が安定している。

心に余裕があるという条件を満たせば誰にでも当てはまることです。

この社会は管理する側と、される側があり、さらに管理する側も

数字に管理され、何層もの構造で管理社会が成り立っています。

誰もがその中で生きている。

専業主婦や学生は違うだろうという方も

いると思うのですが、管理という言葉を、

「誰かに見られている」「うるさいことを言われてしまう。」

等々、頭を柔らかくしてイメージしてみてください。

オギャーと生まれて以来、親、学校、友達、恋人、上司、主人、

妻、義父、義母、小姑、客、等々

どんな立場の人であれ我々はストレスの中に生きている。

問題はこのストレスに対する耐性で、

人それぞれには持って生まれた耐性能力があり、

これが分かれば、ストレスは消えませんが、それを

楽しみに変えることはできます。

8月10日

研究科では実例の分析をしているのですが、

人の運命を見ることの辛さを感じ始めた人が出てきています。

大変良い傾向だと思います。

普通の人たちの命式の中にある「人としての苦しみ」に

気がつけば、生きること自体が決して楽なことではなく、

喜びの原因であるはずの星が、苦しみを招く

原因子になってしまうことを身に染みて理解し始めた。

宿命と言う言葉を使うなら、これこそが人の持つ宿命です。

生きる為には、

生きるための「努力という苦痛」がどうしても伴ってくる。

だからこそ、我々は楽しみを見つける必要があるのです。

それも安全で楽しく、長く楽しめるものでなければなりません。

「楽」の先により厳しい苦痛のある楽しみでは意味がありません。

人間関係が悪い場合、何をやっても否定されたり、

馬鹿にされるものです。そのためには普段から他人を傷つけない、

悪く言わない、恨みを買わない、妬まれないこと、

周囲との和解と調和を大事にすることです。


長年かけてに身に付けてきた、

がんじがらめな倫理観や、身近な人への妬みなどの心の癖を

横に置き、自分が楽しめることを探してみるのはいかがでしょうか?


何が向いていますか?ではなく、やりたいと思ったことをやってみて、

わりと上手に行ったものを続ければ楽しくなるものです。

自分の星が向いているからと言って不得手を続けても

放り出してしまうのが関の山です。続くものを成すこと。


独習者の中でも昔の本で勉強された方に多いのですが

人の持って生まれた星の美醜や純不純を言う人がいますが

例えば2週間、文化的な生活から離れ洞窟の中で暮らしたとしたら

どれだけ我々は汚く臭い生き物であるかが実感できると思います。

綺麗でいたい、健康でいたいと思うから風呂にも入り

トイレも隔離し、衛生に気を配っているのです。

けれども、もう一つ「心の汚れ」というものがあり、

この心の汚れ自体を認識していない人が多い。

うんこのように漏れる怒り、オナラのように臭う嫉妬

ヨダレを流す犬のように「それ」を狙う欲望

全ては生きるために必要な「力」の基です。

否定する必要はありません。

体を衛生的に保つ習慣をみにつけてきたように、これを管理すれば

心の汚れは浄化できます。そして運勢は心から生じるものなのです。

心の中の「それ」が縁によって生じ、行動として現れ、結果が生じてしまう。

これが「業」の姿です。「それ」の欄の中身は人それぞれで、

私はこれこそが持って生まれた星だと解釈しています。


友達も大事ですね。ワイワイ愚痴を言ったり、聞いたり

相談したり、されたりの気の交流がストレスの発散や浄化に

繋がり、時に生きるための錨にもなるものす。

当たり前の日常から幸せをつかんでください。


そろそろお盆ですね。

1945年、この、たった1年間、東京 沖縄 長崎 広島 日本全国で50万人以上の民間人の方達が亡くなりました。亡くなったと言うより無差別に殺されたという方が正しいかもしれません。人生いつ何が起きるかわかりません。人生に喜びを見つけることを忘れないでください。気持ちの良い人と友達になることです。

エモーショナル

最近ニュースにあがっている事件について、

なんとなくですが「エモーショナル(emotional)」という言葉が

想起されます。明確な動機があまり見つからない。

なんとなく、かわいそうだから、

仕方なしに、してみたかったので、等々。

行動する根拠が曖昧で、「雰囲気的なもの」に流されている。

これ、ダメですね。

流れ(emotion)に喰われている事象です。

国家レベルで言えば、過去に積み上げてきた先人たちの知恵が、

水泡に帰すという意味になります。

毛沢東などは、これを戦術として扱い、

幼気な子供たちの「エモーション」に訴えかけ

「造反有理」のスローガンのもとに権力を奪還しました。

我々のような一般の国民、市民、ネット民と呼ばれる者は、

為政者やマスコミの扇動に、冷徹な目を持ち、

煽りを受け流し、批判する目を持たなければなりません。

本当に難しい世の中になっていきます。

情報の発信元の信用が稀有に近い。

個人と個人の間には、区別も差別もありません。

良い人は良い人。悪い人は悪い人です。

それが、別の括りになった時(国家、出自、民族、宗教、肌の色、等々)

差別や区別が生まれてくる。

この恐ろしさを認識しなければいけない。

検索していたら面白い記事を見つけたので、

貼っておきます。

生まれ育った文化が変われば、風情も変わるということです。

朝日新聞デジタル

この大新聞社にも同じことが言えるのではないでしょうか。

今の時期になるとSMAPの「あの時僕たちは〜」が無性に懐かしくなってくる。

もう、聞けないのが残念でなりません。

冬月というのは過去が無性に思い出され、

もし、あの時とかの、たらればに、

心が遊び、時間ばかりが過ぎて行く。

日々の仕事に追われる人には、とても大事な時間です。

でも、もし、することもなく、自分を追い込むことばかりしている人が

いたとしたら、やめておいたほうがいい。

過去は変わりません。



人の心は止まるということが、ほぼ、ありません。

摩訶止観などの心を止める修行ですら停止するというより、

脱力が極まり、くつろぐ安楽さの中に留まるというのが

体験者のお話です。(意識はあるのです。)

凡人の私などが、行じると呼吸を数えているうちに、

嫌いな奴の顔や、好きだった人の顔が浮かんでくるもので

それこそ煩悩のオンパレードです。(情けない......。)

まあ、それを見つつ、呼吸に意識を置く努力をしつつ、

煩悩のパレードの当事者から、その観察者に移行して行く

というのが第一段階になるとのこと。

自分の心の闇と光を探るのにはもってこいの方法です。

最近はマインドフルネスというらしいのですが、

上手にできるようになり、心が安定してくれば、

自然に表情が変わってくる。そうなれば、

その先に、良い出会いが待っているかもしれません。

推命クラス

いつかこんな日がくるとは思っていたのですが、

ついにきてしまった。

入門クラスに希望者がいないのです。

100文字の希望動機がネックなのかなとは思うのですが、
(そうであって欲しいのですが......。)

もしかしたら10善行などと宗教的なことを言うのを

毛嫌いされているのかとも思うのですが......。

とりあえず誤解については釈明をしなければいけません。

まず100文字の希望動機なのですが、

実は過去に何人か、面白い人を受け入れてしまった

苦い経験があるからなのです。

その内容は察して欲しいのですが、やはり、明確な同期と

推命術に対する好奇心が強くない人には、

こんなもんかで終わってしまうのです。

ですから今後も入門希望の動機の100文字は実施いたします。

次に10善行についてですが、

私がこの業界で最も嫌悪する事柄がありまして、

それはリピーターという名の依存者を作ることなのです。

中には脅し透かして、自分のところにこなければ、

地獄に落ちるぞと、どこかで聞いたことがあるセリフを

決め言葉にしている方もおり、そんな連中と

一緒にされることすら片腹痛い。

生活習慣病で医者に通っている病人のように、

「あれ」と「これ」を辞めさえすれば、

病気はすぐ治るのにと言われても、

「あれ」と「これ」だけは辞められないと言って、

医者通いをしている人がたくさんいるじゃないですか。

あれと同じで、人というのは皆が皆、

持って生まれた星により欲望をプログラムされている

生物なのです。

実はこれが私が推命術から得た結論なのです。

別の言い方をすれば、推命術というのはこのプログラム

(特定の個人のもつ欲)を解析する実に優秀な技術なのです。

「あれ」や「これ」を辞めるとは、このプログラムを書き換える

ことであり、その困難さは、例えるなら、散歩中の犬に塀や

電信柱の匂いを嗅がせることを辞めさせるに等しい。

犬にはできません。

でも、人間にはそれができます。

なぜできるか?

自分のもつ病を把握し、合理的に解決する方法を受け入れ、

回復する意図を持って繰り返し努力し習慣化することができれば、

病は軽減していきます。(完全に治るとはいっていませんよ。)

これこそが知性だと私は思っています。

そして、人の運を生み出している根本的な原動力とは

自分の心であり、他人の心なのです。

誰かに「お前バカだな」と言われれば、

「うるせー、お前こそ馬鹿野郎だ」と

なるでしょ。

今度は立場を変えてみましょう。

やはり、同じ反応ですね。

これがより複雑に絡み合い、

愛執、憎悪、強欲、嫉妬等々の感情の積み重ねが熟成され、

自然に、言葉や態度に表れ、かつての当事者とは関係のない人にまで、

及んでいくのです。

大抵、最も大事にしなければならない人にこれをやり

人間関係が壊れていっている。

このように、人の心は相対的にできています。

自分がいて、他人がいて、その関係性の上から感情が生まれている。

そして、もう、理解できると思いますが、

すぐに他人の心を変えたいならば、自分の態度を変えることから

始めるのが道理なのです。

そのための行動の規範が10善業なのです。

心おだやかな暮らしをするため方法なんです。

あなたには官星があって出世する、すごい職につくよ

財星が強いから大金持ちになるよとか言われるのと、

(ちなみに両方とも通変星の理解が間違っていて運勢鑑定としては下の下の鑑定です。)

円満な人生を送るための運勢の理解、その具体的な方法を知ることと

どちらに価値があるでしょうか?

私は自分が身につけた四柱推命をこのような形で教えているのです。

四柱推命に興味があり、この考えに賛同される方はお尋ねください。

教室の例題解析から

先日教室の例題で事故で亡くなったレーサーの解説をしました。

解説は容易なのですが人が生きる事の難しさを再認識

させられました。

本人を救っていた星が大運と年運により一時的に隠れ

財が官を生じる形に最終的になり、その通りの死が訪れた形です

この場合の財はその人の喜びであり、その喜びの世界に

生きようとする欲です。欲を出し、努力し求めれば求める程

財は官を生じます。官とは名誉や地位、レーサーならば勝利

です。しかし本人に官の力量に耐え、それに応える事が出来なければ

自分をいじめに来る星に変身しイジメ 事故 病気 死神にかわります。

このかたの場合財が強く日干の力量が弱性で官の重みに耐えられるような

姿をしていませんでした。最初から勝負師には向いていません

報道では最初はレースのゲームにはまり

そこからこの世界に入ったそうです

本人の夢が自分の命を奪うなら本望でしょうし

それはそれで後悔のない良い人生だと私などは思います




財が官を生む形のトラブルは、とてもとても世の中に多く

楽を求めれば求める程災難に見舞われる。

この事は何度も何度も言ってきました。また、

人は空白を埋めようとする生き物でもあり

自分の中に空白の部分があれば、何かでそれを補おうとします

そのように人の心はできています。

問題は「何で」埋め合わせをするか?ということです

この選択を間違えない事がとても大事です

一般的に、異性が空白の原因のときは異性で

その埋め合わせをしようとするし、家族の場合は家族

仕事が原因のときは仕事でそれをしようとします。

けれどもどうでしょう、それで埋め合わせはできるでしょうか?

私は出来ないと思います

なぜなら、鑑定士の目で見ると異性運が悪い人は

普通の状態なら悪い異性にしか興味を示しません

仕事にしても結果的に同じ轍を踏みます

なぜでしょうか?

理由は「自分自身の欲」の形がよくわかっていないからです

欲の形は様々で、もちろん個々で違います。

じゃあ、どうすればいいの?ということになりますね

先に書いたように「欲」は「楽しみ」であり「喜び」です

「好み」でありその人の「夢」とも言えます。だから難しいし、

意思が強い人、自分は正しいと思っている人には

このような事を言われることは耐え難い苦痛になり

聞く耳を持ちません。これが普通の人です。

よほど苦しくなり耐えられないようになったとき初めて

聞く耳ができる。皮肉な話しです。

でもこれが人の姿です

我々のような仕事をしていると

時には自分の好みの後押しをして欲しいために

やって来る人もいます。

商売的には、そうですね良いですよと言ってあげれば

本人も納得するし、次ぎに繋がるのですが、私の場合

残念ですがウソは言えない性分で、やんわりと意見をして

嫌われます。

最後は愚痴になってしまいましたが、私を含めて

人は愚かです。愚かであると自覚した所からしか

進みません。愚の轍(わだち)を越えるため

日々人生修行です。

がんばらなければ....ですね。

善と悪

私の教える推命学を学んだおり、最も悩ましくなるのは、

命式の善悪を問わないことだと思います。

もっと具体的に言うなら、

悪い命式、良い命式と決めつけることをしません。

なぜかといえば、あらゆる人が持って生まれた星に

支配されているのに違いはないのですが、

その支配の構造を認識し、星の動きを把握できれば

その星から解放されることができると確信しているからです。

ただ、この作業には結構な忍耐と自分自身を分析し

観察し続ける「知性」が必要になります。

現在、もし、社会規範から見て悪いことをしているならば、

それは間違いなく悪いことです。けれども、それは

命式に関係するのではなく、その人の人生の選択の問題であり、

子供の頃から培ってきた環境と習慣に依るものです。

けれども、本人がそれを恥、慚愧の念を持った時

人生の選択肢は間違いなく変わってきます。

ですから本質的な意味では命式には善悪はありません。

ただ、そちらに傾く傾向が強い人と、そうでない人がいて、

さらに(既にその分析もできているのですが)そちらに傾く

スイッチには「形」があり、それを回避できれば、なんとかなるものなのです。

そして、そのための最も具体的な行動が「他人を傷つけないこと」に尽きるのです。

結局、幸せに生きようと思うならば七佛通解偈に尽きてしまうのです。

そして、ここから導かれる非常に厳しい答えなのですが、

人は「自分の人生」は努力次第で変えることができるが

「他人(肉親であっても自分以外の人)の人生を自分の

思い通りすることはできない」と

何千年も前から仏と呼ばれた最高の智慧者達は

我々凡人に教えていたのです。

ただし、個人が変われば、その周りへの影響は決して少なくなく、

自然に、その人を取り巻く環境が善化していく。

これが私の目指す所でもあるのです。

人は何を選択するかで、あらゆる姿に変わっていきます。

良縁を積めば良果が生じ悪縁を積めば悪果が生じる。

けれども、その「良」「悪」を分析し徹底的に検証する作業も

実に大切なこととなります。

そして、自分の人生の選択を他人任せにしてはいけません。





最後に、こんな難しいことばかり書いて申し訳ないのですが、

ずーと書いてきたことの「まとめ」のようなものです。

入門者募集中です。

命定論

六朝の命定論考察を通じて 愛知大学

面白い論文を見つけたので貼っておきます。

古代中国人の運命に対する態度がわかりやすく書かれていて

同時に足りないものが見えてくると思います。

六朝文化とは

中国における現代に至る文芸、芸術、精神世界の基礎が確立された時代です。

そして、多くの死生観、幸福論もこの時期に確立したと

いって良いと思います。






作者の亀田氏は道教にも詳しく興味のある方は

こちらの論文もどうぞ。

六朝の道教における人間の研究 京都大学

占師

生徒さんからも時々聞くのですが

どこかの占いでこう言われたので、変な暗示をかけられて

困っている。貴方もそう思うか?



どうなのでしょうか?その人にはそれだけのことを言う

根拠があってそう言っているのであれば、

その根拠を相手に問うのが筋です。

四柱推命もそうですが、

占いの世界は同じ名前の占術でも

天国と地獄以上の差があります。

なぜなら、術者が天国の住人なら

天国に昇るための鑑定をするし、

地獄の住人なら地獄に引き込む鑑定をします。

けれども、「類は縁を呼ぶ」だけのことで

相談者と鑑定者の間には、

同じ「質」のものが縁となりそのような方と

ご縁が出来ただけです。

世の中では、このこと以上のことは

あまり起きていません。そんな事言うなら

人の「質」は変わらないのか!

それでは一生そうなのか?と言うと

そうではなく、この理に気付き、変える努力をすれば

この枠を越える事は可能だと思います。

問題は、そうゆう自分に気付く切っ掛けは何か

と言うことですが、これは難しい。

大抵の人は、与えられ奪われた時、

強い苦しみの中でこのことに気付き始めます。

様々な人間関係のなかで、甘えが拒否された時

信用が裏切られた時、自己主張が入れられなかった時等

様々ですが、ほんの些細な事の中で

加害者だったり被害者として自分が現れ、

なんで私ばかりが.........。このように不幸なのか。

こんな会話が心の中で起きたときが、自分に気付く

チャンスになります。人生が揺れる時です。

私には、この現象がとても興味深く思えます。

うがった見方をすれば「幸せ」が続く人には

自分を見つめるチャンスは無いということだからです

前に六道輪廻の話しを書いた事がありますが

天上界の生き物は享楽に耽り輪廻を脱する

道に入ろうとする動機が生じないと言われています

極端な言い方ですが、我々の娑婆世界にも天上界の

ような人々がちゃんと棲み分けているのかもしれません

こんな風に世の中を見ていくと、やはり六道の世界は

あるんだと思いたくなりますね。



運勢鑑定はもちろん仏道ではありません。

善悪の縛りは、なにもありません。

宗教とは、程遠い世界です。たとえば、

悪事をやっている人でも吉運であれば悪事でも

成功します。同様に凶運になった時、

悪事をしていれば司直の手にかかります。

運とはそう言うものです。

だからこそ、それを鑑定し解説する人の

人間性が問われるものなのです。

肚黒い人間がそれを使えば肚黒い業を相談者に与えるし

逆の場合は生きる喜びや希望を持ち帰ってもらえます。

相手の家庭を壊してまでも自分のものにしたい。

こんな依頼者の願いに、マトモな占師なら、

やめときなさいと答えますが、

そうでない先生は、こんな呪いをすれば

かなう、この方位に行ってお水取りをすれば叶う

このパワーストーンが幸運を呼ぶ等々

霊感商法まがいのことをしています

そう言う指導をします。みな同じ穴のムジナです。

開く事の無いループ。姿は人間ですが

野原に鉄の鎖で繋がれた飢えた動物の姿です

つながれた杭の周りを延々と

それぞれの求めるものを求めて巡り続ける。




運勢には善悪はありません。

ただ、その人が何を思い、どう生きるか。

その生まれ持った傾向が、

星の姿として書かれているだけです。

どうしてそのような傾向があるのかと

問う方がいるのですが、私にはわかりません。

ただ、インド哲学などは輪廻という概念から

前世があると言うし、

前世を記憶する子供達からの聞き取り調査や

退行催眠を使いそれを前世療法として治療に使用している

精神科の先生もいるようです。(このての話しには

様々な本がでているのでそちらを読んでみて下さい。)




仏教的な話しをすると前世の行為が因となり

その果として今の世に持ち越したものを

「等流果」といいます。

前世に作った原因と等しい流れの結果と言う意味ですね

前世で生き物を殺すことを日常にしていた人は

この世に生まれてきた時、子供の頃から生き物の

命を奪ったり、なぶりものにすることを好む。

そのようなことが、「因果」の教えの中に

けっこう詳しく解説されています。

(私自身、初めてこれを知った時、自分の子供の頃に照らし合わせたときのショックは計り知れず、自分の、人となりの成り立ちを自覚しました。だから、この因果についての考え方には確信をもっています。)

そして、そのような目で運勢の星の姿を見つめていくと、

おぼろげながらでも、人の業の姿が見えてきます

同時に、そこから逃れる道筋も見えてきます

恋愛成就や不安解消の占いとは、かなり

違う次元の話しのように聞こえるかも知れませんが、

この部分がわからなければ

本当の意味での人の幸せは見えてきません。

運勢の外科手術のようなものです。

人によっては怖い怖い話かもしれませんね。

運命

人の運命は、持って生まれた「(いくつかの)星」と、「運勢(運の流れ)」によって

成立していると言うのが定説となっています。

しかし人は、苦しみ、悩み、後悔することによって、

その原因を理解し、痛みを繰り返さないために、

考え、行動する自由が与えられています。

これは、もし、我々の苦しみが運命の見えない糸(意図)

によって操られているとしても、運命には縛られていない、

領域が誰の心の中にもあり、それによって人は

運勢とは違う行動、考えを選択し、その結果

その運命を変えることができるのだと私は考えます。

そして、もし、それを望むのなら、「運命とは何か?」を

学ぶことが、その最短の近道になると確信しているのです。

それを望む方たちの一助になれれば幸いなのですが.......。

世の中の様変わり

最近、青年誌のような事件が続発していますね。

具体的には京都の学生グループが、

わかっているだけでも260人以上の

女子に体を売らせていた話のことです。

子供の頃から仮想現実のゲームの中で

人やモンスターを競って狩ってきた子たちが

リアルとバーチャルの区別がつきにくくなり

人としての感情を事象(他を傷つけること)に対して

合理的に割り切れるように訓練されてしまっているのでしょうね。

東大生が「彼女は頭が悪いから」と暴行事件を起こしましたが、

相手は自分とは違うと区別(差別)していた彼らの本音でしょう。

(女性の方は気をつけてください、ハイスペック男子は

最初からあなたのことを区別(差別)している可能性があります。

とりあえず安全なのは自分の身の丈にあった相手を選ぶことです。)

でもね、賢いはずの彼らであっても

自分の母、姉、妹、家族が同じことをされたらという想像力が

完全に欠落しています。平和ボケでしょうね。

過去に親の権威で示談にしたとか、どこかのお偉さんだとかで

未成年の時はごまかせても、社会的な責任を問われる

「成人」を認定された瞬間から。

犯罪行為があからさまになれば、違う形ですが、家族や親戚にまで

被害者と同様の苦しみが課せられます。

「天網恢恢疎にして漏らさず」

皮肉なことですが、我々のような一般人にだけは、

間違いなく当てはまってしまう格言です。

大人の恋

恋する相手がいるのは幸せですね。

その人のことを思っていれば、胸が暖かく、

そのことだけで満たされます。


そして、あれから40年.......。と、あまり書くと

「きみまろ漫談」になってしまいますね。


先日某米国ドラマを見ていたのですが、

その中で、不倫を誘う男に所帯持ちの彼女が、

「もう私には子供もいるし、社会的な立場もある。

ロマンスでは動かない。あなたにはプランがあるの?」

と問うていました。

「あなたのことは嫌いじゃない、でも責任取れるの?」

との「返し」です。

なんとも粋な台詞ですね。

相手を焦らす相聞歌のような見事さ。あっぱれです。

大人の恋に悩んでいる女性の方は、このセリフ一度試して見てはいかがでしょうか。



まともな男なら諦めます。

不誠実な男ならノリで責任を取ると言って

思いを遂げてから裏切ります。

大人の恋は相手を見極めることが大切です。

恋愛 不倫

どこかの国の国民が日本叩きをするように

不倫叩きが横行しています。

公金で不倫をし権力を私物化している連中には

知らぬふりをし、

人気商売の弱い立場を徹底的にいじめ抜くのは

かの国のアイドルフアンのようです。

お仲間にはなりたくないものです。

人を愛することは罪なのでしょうか?

「愛」などという、そんな綺麗ごとでは済まないことは

重々承知しておりますが、どの家庭にも、

それぞれの遠因と原因があり、ことが起きているわけで

他人が口を挟むべきことではありません。


10年以上前に「相談項目の欄」に書いたものを再掲載します。

人は一人では生きていけません

生き物のぬくもりが無いと心が凍る。

我々の世界ではこれを寒貧といいます

クリスマスキャロルにでてくるスクルージ老人が

典型的なすがたです。

あなたが幾つであっても恋愛して下さい。

70だろうが80だろうが好きな人の前で

頬を赤らめているお爺ちゃん、お婆ちゃんは

素敵です。第二の人生でも、第三の人生でも

しっかりと社会人としてのケジメを守って

恋愛して下さい。問題さえ起こさなければ良い

と私は思います。

子供が作れる世代は避妊と性病には気をつけて下さい

あなたの恋愛が被害者を作ることになる。

また、特に若い世代は恨みを買わないようにしてください。

覇気のある美人さんに多いのですが人の者を取って後に

一番大事な者を失う事例を沢山見てきました。

是非よい恋愛をしてください。

4月4日

今日も空は青くお日様は暖かく春の名に相応しい。

こんな日なのに、神戸市では対面用の納体袋を用意し始めたとの記事が神戸新聞nextにありました。

残されたものにとって最後のお別れができることが

どれだけ不幸中の幸なのかわからないほど

大事な機会であると身に染みて理解している方たち、

大震災を経験した方達の悔恨からの知恵なのかもしれない。

志村健さんのご遺族のご意見からの動きなのかもしれません。

他の自治体もこれに倣うののでしょうか。


東京では、大量の外国の人達を運搬するために

変更された新空路を今日もジェット機が飛んでいる。

流石に多くはないのだが、今後どうする気なのか?

スペインの現状を女子サッカー選手が伝えていたが

「現実とは絶対認めたくない」との言葉に、

今時の若者の意見が象徴されている。

この通りなのだと思う。

夜な夜な出歩く中高年もビール片手に花見をする

若年層も身近な愛する誰かを失うまでは

大人たちだけが騒いでいる非現実の世界での出来事。

いい大人達は知り合いの死に何度も立ち会いながらも

自分だけは大丈夫だと思っている。

普通の人たちが思っている当たり前のこと。

ただ、我々の知る運勢の陥穽に落ちる方達に共通する

普段の姿でもある。

私も志村さんが入院した際 生徒さんから大丈夫ですかと

質問され、大丈夫だと答えていました。

理由は彼ぐらいのお金も名声のある方であれば

問題なく最高の医療を提供され助かると判断したからです。

訃報が報道され、改めて彼の運勢を見ると

日常会話の流れで物を言ってはいけないことに痛感させられました。

反省しきりです。

天人合一2

人の運気を見ていると、とても面白いのですが、

持って生まれた、それぞれの原野に巻かれている種が

発芽する時期というのが、はっきり予想できます。

一般的にはこれを大運で判断するのですが、

実践を通して見ると、さらに年月の影響による、

季節の変化が大きな要因となっているようです。

その前に、

持って生まれた心に巻かれた種子って何?

どんな種子があるの?

まずこれに答えなければなりませんね。

種子の基盤になっているものは基本的な生存欲です。

生きるための本能とでも言いましょうか。

(この辺りは心理学や脳科学の先生方が詳しく解説しています。

専門書をお読みください。)

その基盤の上に、自他の関係における支配欲、

帰属欲、表現欲、知識欲、自尊心、自負心、があり

自他の関係から逃げるのか、責任を負うのかが

基準になる種子の強さによって決まってくるのです。

(これが種子の大区分で私が「星」と言っているものです。

これがわかれば逃げる男、騙(だま)す女など

実に簡単に区別できるのですが、中には一生騙し続ける者もおり、

その根拠を理解するためには、やはり人を知ることが大事なことですね。)

ここで重要なのは全ての「星」が生存欲に起因しているということで、

この欲心が満たされない場合、本人にとっては自己否定と同じ意味に

なる。有り体に言えば、根深い恨み、怒り、

妬み、執着の原因となりやすいということです。

一発逆転

色々な人の「苦しい」お話を聞いていると、

なんとかして、一発逆転の方法を提案したいと思うのですが、

どうしても、できません。

色々な「道」に首を突っ込んできましたから、

それらしい方法を知らないわけではないのですが、

結果は「絶対に」その人のためにならないのです。

例えると、生活習慣病でダルイ人に、とりあえず、

カンフル剤を注射するようなもので、

一次的には元気になるのですが、

その人が元気になって、何をするのかというと、

元気いっぱいに「暴飲暴食」に再び挑戦するんです。

笑っちゃうでしょ。でも、これ本当なんですよ。

人というのは、そのくらい本能というか、持って生まれた

星の力に支配されている。

さらに悪いことに、カンフル剤に依存性が生じてくる。

そうすると強欲さに対しエンドレスの人生になってしまう。

(もちろん、ここでいう強欲さは他人を傷つけても自分のものにしようという意味のものであり、人の持つ欲望を否定するものではありません。十善の行なんて、よほど欲深くなければ出来ない行いです。)


我々は毎年、年をとって行きます。

思春期を経て大人の体になってからの我々の「心」は、

他人に対して装う姿は上手になっても、ほとんど変化しません。

それまでに培った「傷」や「誇り」をベースにして

その後の人生を過ごして行きます。

結婚して子供ができようがおぼっちゃまはおぼっちゃまだし、

あまり素行の良くなかった人は、いつまでたってもその癖が抜けない。

皆が皆、癖だらけです。

それが私たちの生きている「社会」、「会社」というやつです。

その辺りを受け入れることから人生を見直すと、

もう少し楽に生きられるかもしれません。

ある日の教室での会話

最近クラスの生徒さんと断易について話す機会がありました。

「断易についてどう思ってんの?」

「はい、素晴らしい占いだと思います。」

「本当に? 人の死期まで、知ろうと思えば知ることができる、

術です。その人の人生に責任を持って使えますか?」

こんな会話でした。

世の中、何とも凄まじい話ですが、実践の場にいると

「あいつは、いつ死にますか?」などと言う問いをする

依頼者が山ほどいます。このような問いには答えるなと

私は教えています。また、もし、答えたとしたら、

破門すると宣言しているのですが、

プロとして立っている故、仕方ないといえば、そうなのですが、

困ったものです。

このての人は大抵、死出の準備のためと、

表面上は取り繕いますが、内実は違う。

推命がしっかりできていれば、文字通りその「時」

その人の心に起きていることを読むこともできるのですが、

自信がないとのこと。

私の教えた推命術に自信がないと言うことですね。

どこかで受け入れきれていない。

それでは、外れたことがありますか?と問えば

「ない」との答えです。

すでに、どこかの学校で四柱推命を習ったかたなのですが、

命式の解説をしてもらうと、時々ですが、いらない知識を

ごちゃ混ぜにして鑑定をしている。

これでは純粋な水に、自ら泥を混ぜて飲んでいるようなものです。

自信どころか、鑑定自体が壊れます。

ご本人には、

どんな知識でも、実践で叩いて叩いて、

それが使えるかどうか試してください。

私もそうしてきました。そして、仕えるもののみを

教室では教え解説し、その根拠を示してきました。

自信のどうのこうのというのは迷いのなせる技です。

と(若干脚色して書いてあります。)言ったのですが、

プロとして1000人以上見ているかたであっても、

やはり、学ぶというのは難しいもので、自分の癖が

そこに現れてきます。

先に書いたように、教えを「受け入れない」理由が

実は、ここにあるのです。

それが、いわゆる「我(が)」というやつです。

昔からよく云うように、

満杯のコップに新しい水を入れることはできないのです。

同じように、穴の空いたコップに水を満たすことはできないし、

最初から伏せられたコップにも水を注ぐことは不可能です。

(時には盗人のコップさえも混じることがある。)


本当に、面白いんです。これは推命教室での会話ですが

学びというのは、どれもこれも同じで

皆さんも学生の頃は、こんな感じだったんではないでしょうか。

少なくとも、自分が選んだ科目については、

学び、疑問が生じたら、疑問を晴らす努力をしなければなりません。

自信がないのなら、自信が湧いてくるまで学び追求することです。

他の学問もそうですが、こちらが必死で追求しない限り、

その本質を捕まえることはできません。

本質を得られずに自信など湧いてくるわけがない。



(嗚呼、なんとも厳しい先生に見えてしまう。

どうしよう。また、生徒達が減っていく......。

ここは、お茶とお菓子のグレードを上げてなんとかするか。

でも、今も結構ハイグレードなお茶なんだけど。

しょうがない。

幸せは雲の上だから。上を向いて歩こうか。と)

皆さん、幸せを見つけてくださいね。

自分に自信を持てることが幸せの

門を開ける鍵なのかもしれませんよ。

初級教室

初級教室の最初の講義の一部を載せておきます。教室の雰囲気が少しは伝わるかもしれません。

..........................。

あらゆる人がこの10種類の中のそれぞれ一つの星を中心とし、その周りにはこの中心となる星を攻めたり、守ったり、盗んだり、叩いたり、誘惑したり弾いたりする星と共にこの世に誕生しています。一般的にはこの周りの星にばかり注意が行き、物事の本質である中心の星の働きが疎かにされ、残念ですが人の持って生まれた徳というものが解っていません。この中心の星をいかに活かすかが四柱推命学会の用神法です。(公開ができないものがあり簡略化して書いてあります)

実に様々な方の命式を拝見し研究しておりますが、もし、この時期にこのようなアドバイスをされ、本人もそれに素直に従ったら、世の中からいなくなるような事は無かったのにと残念でならないことが多々あります。ブログやコラムに何度も書いてきたように、持って生まれた周りの星のままに嗜好し(指向)星に仕掛けられた罠に落ちている人がとても多く、もちろん良い運を持って生まれたかたは、それで良いのですが、そうでない方にとって人生で自分の徳分さえ味わう事が出来ない方がいる。(持って生まれたものより悪くなっているという事ですね。)

推命を志す方は是非この点を自覚し、自分の徳分を知り、人にはそれを覚らせ、皆が価値を持って生まれてきていることを知ってもらい、有意義な人生を送れるように鑑定して上げて下さい。そのような鑑定士を目指して下さい。鑑定士になるつもりはない、趣味程度で結構という方は、それはそれで良いと思います。自分の人生に大いに活かして下さい。それだけの価値はあると思います。ただ、生兵法は大怪我の元です。中途半端な言葉で、真実の一部がそこに含まれている場合、大きなダメージを相手に与えるものです。この点は自覚して下さい。これは他流派を学ぶ方にも言える事です。

それぞれの星の解説をしていきたいと思います。

...............。

比肩と劫財

比肩、劫財について、30年くらい前の

推命書には財を潰す星なので凶の星と

分類されていたと思うのですが、

現在はどうなのでしょうか?

今もそのように信じている人がいるとしたら

この比肩と劫材が用神になり運勢を開く

要(かなめ)の星になると言ったら

さぞや驚かれると思います。


さて、教室の中では当たり前の事として

比劫を用神として取用するときの使い方を

教えているのですが、ときどき大きな誤解を

している人がいます。

比劫の象徴する意味の一つとして友人同僚等の

意味があるのですが、この「友人」に対する

理解ができていません。

「運命を開く鍵」としての「友人」を指示しているのですが

その「重み」が理解できていない。

例えば、会社を経営していて、今月中に500万円

都合つけなければ不渡りを出してしまう。

でもこのご時世では金融機関の審査に通る見込みが無い。

親類縁者、友人知人に頼るしかない。

こんな場面でも

大運または命中に比劫があり本人の用神になっている

場合、必ずこの中に救いがあります。

しかし、よく考えてほしいのですが、

日頃から不義理をし、時間や約束を守らず、

やると言っては、やめを繰り返していたのでは、

誰がお金を貸すでしょうか?

信用に足るものが全くありません。

この不義理をするという事が、自らの

用神を傷つけ、生まれ持った徳分を傷つけることに

なるのです。一事が万事です。

たいてい、本人に勢いがあるときは、

他人の世話ごとを嫌い、趣味や享楽など

自分の事だけに興じ、運を開く鍵となるはずの

友人達との絆を深める事を疎かにしてしまう。

さらに、

比劫が用神の場合、他人から世話を焼かれて

当たり前だと勘違いをしている人がいる。

これは困った者です。

友人知人から運が開くはずの人が

本人にとっては友人でも、相手からは世話の焼ける

知人の一人と思われていたら、友人知人は

いない事になります。

理解できますね。



用神というのは、なによりも大切に育む事が

肝要で命式についているからといって、

自ら育てる事を放棄したり傷つければ

運勢が、ただ、衰えていきます。



この因果の道理からだけは誰も逃れられません。

しっかりと生きた星の運用を身につけて下さい。

5月7日

陰陽の話を前回書いたのですが

時代の潮目の見極め方と考えると面白いと思います。

(陰陽の転換の意味になります。)

芸能人や政治家や犯罪者しか(陽)

ニュースの話題に上らなかった時代から

インフルエンサーと呼ばれる一般人が(陰)

「共感力」を原動力に世の中に現れ始めている

(地上波(陽)からネット配信(陰)へ)

ネットの世界の発言は、時に、

多くから共感を得られるであろう

正義感、常識、倫理観を盾にして

「いいね」の数を増やし承認欲求を

満たしているように思える。


一見、彼らの正義は正しいように聞こえますが、

時代の「色」を反映しているだけであり、

また直ぐに姿を変えていくものです。

ただ、それに乗りたがる

「権力のある大人達」がいることも確かで、

言葉狩りを見ていると実にわかりやすく

差別用語などは最たるものです。


SNS騒動の一番の問題は、その人の「人格」そのものを

否定してしまうことです。

ナイナイの岡村さんへ相方の矢部さんが「性格なおせ」と

言いましたが、苦楽を共にし、身近に居続けた人だけが

言える言葉です。本人の何百分の一も知らない者が

言うことではありません。

どれだけ、その人の人生を支配したいのか、

その傲慢さに腹が立ってしょうがない。

同業者にも同じようなことをしてしまう人がいる。

これは罪です。

相手への思いがあるなら、本人にだけ、

誠意を持って伝えればいい。

自分の思う相手の欠点を他人の目に晒すことは

強烈な暴力です。

相手の何がわかっているというのか。


名誉毀損なんて法律もあるくらいですから

他人を揶揄する行為に終わりはありません。

それがSNSによって、

いとも簡単にできるようになってしまった。

自分で違法動画を上げる人がいるほど、

投稿者も中身もピンキリです。

垢のついた正義感よりも良識をもつことが

大事です。

批判すべき相手は自分自身と考えることです。

推命学

やはり推命学に対する自分の考えを述べておかなければ

ならないと思い、一応書いておきます

四柱推命ですが、この学問に関しては色々な人が

沢山の本を書いています。特に専門書になると

理数系のとても頭の良い人が本を書き、中には

どこかの大学の先生が亜流の体系を事細かく

起源をたどって書いているのですが

どうしてこうも役に立たないものをしたり顔で

書いているのかと呆れるときがある

試しに、本に書いてある通り自分の姿を量ってみれば

一目瞭然。ただし、そうあって欲しい自分ではなく

リアルな、一番嫌いな自分が鑑定されているかどうかで判断して下さい。



プロの占師さんの中にも正官の運に10年これから入るので

とても良い運ですよなどと無料サイトの鑑定で

書いているのを見ると、呆れてものが言えなくなるときがある

現在、巡行なら財運で、逆行なら印星で苦しめられている事になるのだが

今どん詰まりの状況だと言っている依頼者に、さらに官星が廻れば

どちらにしても命の危機が起きるのは実践での常識なのに、本当に、

どうにもならない。

腹が立って腹が立って仕方が無いので

見ない事にしているのだが、専門が四柱推命などと標榜しているので

ついつい見てしまう。

しかし、冷静になって考えてみると正官 正財 印綬を

一般的には三貴の星といい吉としているものだから

本に書いてある通り鑑定しているのだから

とても素直な鑑定士だと言えば言えるし

鑑定料が安い事で売っている人が多く

依頼者もその程度と思っているのであろう

また、同時にいくつか洋の東西を問わない他の占術も標榜しているので

当たらない自覚があるのかもしれない

しかし、それにしても現在の運が悪いのをどう解釈しているのか?

現在も三貴の運のはずなのだが。

最初から自分(鑑定士)に都合の悪い事を見ない事にしていると

しか言いようが無い

いつでも教えを乞えば教えてあげるのにと思う

プライドよりも依頼者の安全だと思うのだが。

同学の士のために一つ参考にして頂きたいのだが

通変星主体で見ている方がとてもとても多いのだが

通変星はあくまでも星と星との関係性を表した現象で

星自体の性情を勘案し、力量を見極めなければ

大きな間違いを犯す、また、星は固定化したものではなく

常に内部で変化をしていることを忘れては絶対にならない

それゆえに大運 歳運で本人が何を味わったかで

星全体の判断が変わって来る

具体的に言うならば、その一点で

毒を食らえば毒婦となり、愛を食せば

良妻賢母となる

縁に依って人の姿は変化することを是非知って下さい

プロの方でも初級からの学習をお勧めします。

星を活かす事

皆が幸せを願っているのになぜこれほど不幸が世界に満ちているのか

どうしてでしょうね?

聖者の認定を受けたカトリックのシスターと

最近裁判でマスコミが騒いでいる殺人の罪で

起訴された女性の元命式がよく似ているので

いろいろ考えさせられています

大運が違うという事を考えても差が大きすぎる

なぜでしょうか?

片方はシスターと言う欲望が限定されている

世界に生きた人間

もう片方は、一人で好き勝手に生きられる環境と

甘い汁を一度味わってしまった経験を持つ人間です

色々考えると、本人が「何」を望み味わうかで

その人の人生に莫大な量の差が生まれる

その人が何を味わい、それを「おいしい」と感じるかで、

その後の選択肢が決まる

そう言う意味では運命は何も決まっていないとも

言えるのではないのでしょうか。

それなら、何が運命を決めるかと言うと

生まれてからの教育であり、道徳であり

その人が身に付けた倫理観かもしれません。

先に出した例では一方の彼女はキリスト教的な倫理観の

世界で教育され、その上に自分の判断による

キリスト教以上の倫理観を身に付け、他宗教の信者さんからも

信頼され、世界的な尊敬を勝ち取りました。

もう一方は同じように彼女独特のユニークな判断により

生き、その結果、罪を犯したとして裁判にかけられています

星から見れば発想の源は同じでなのですが、

ただ、その行いに雲泥の差があるだけです

我々は皆、これと同じような状況にいます。

スターウオーズではありませんが

誰もが、いつでもダークサイドに落ちる可能性がある



私は鑑定の時「星の通りの生き方をしてきましたね。」

と言うときがあります。それは鑑定をし、相手の方が

鑑定の内容をほぼ100パーセントあっていると認めた場合

の私の答えかたです。そうであれば、今後も予想した通りになる

その上で、改善方法を伝えるのですが、それを実行出来るかは

本人次第であり、私は常に祈る気持ちでいます。

それが通じるかどうかは解りません。

それもまた相手の方の選択です。

その通りに出来ないのは私に人間的な力が無いのだと

私は思っています。

私の所を訪ねて下さった方は目にしていると思うのですが

玄関には観音様の絵がかけてあり

鑑定室にはお釈迦様の曼荼羅があり

人の業を浄化出来ると信じられている

金剛さったの肖像が飾られています

ご本人の業が浄化され少しでも楽になれるようにとの

願いもあるし、自分自身の業も解けることを

願ってのものでもあります。私自身弱い人間であり

常に仏達の加持の力を求めているし、自分が弱い事を

自覚しています。たぶん、皆さんと同じです。

その上で、自分が何をすれば良いのかを

運命学から学んだ一人です。

ご自分が持って生まれた星の

その才能を良い方に使って欲しい

そのためにも自分自身を知る事が大事になります

そして自分の運命を決めているのは自分自身である事を

あらためて知って欲しいと切に思います

運を壊すもの3

ここ数回のコラムを読んだ方はお気づきと思いますが、

人の心は、怒り、恨み、妬み、執着の毒が生じる温床です。

誰もが自覚していながら直面したくないところですね。

そして誰もが運を良くしたい。もっとお金が欲しい、

幸せになりたいと思っている。

世の中には開運法と称して、この欲を増長する手法が

山ほどあります。その意図するところは、

運を強くするためにパワーを上げる。

これに尽きると思います。

私も若い頃からその類の人たちの姿を見ているのですが、

多くの人たちは結局、心に巣食うこの毒を残したまま、

パワーを上げてしまい、結局、一時の色と金に人生を食われ、

消えて行きました。

「なんだかなあ〜」ですね。

どのような開運法を実践するにも、やはり

この毒を洗い流すところから始めるのが一番安全です。

その方法はまず自分自身を知ることから始めるのが

最善だと私は思っています。

その上で他人を知ることができれば、

毒が増殖する機会を与える、あらゆる人間関係を

俯瞰で見ることができるようになります。

そうすると、なすべきことと、なすべからざることの

判断がつくようになってきます。

そして、よろしくないのは解っていても、

そっちに行きたいのであれば

覚悟を持って行けば良い。それもまた人生の面白みですね。

いい子ちゃんばかりでは世の中は停滞し、衰退していく。

これもまた事実だと私は思っています。

新春にあたり、洗心庵では入門クラスに力を入れていきたいと

思っています。

今年の豆まきは多くの方とご縁ができることを祈念しての豆まきです。

鬼よ去れ、福よ来たれ。

(まずは自分の心の鬼を捨てること。そいつがいる限りはシンクロして、すぐに戻ってきてしまう。どうすればできるのか?簡単です。誰かの幸福を祈ること。その瞬間は福が心を満たしています。その原理は同じです。シンンクロですね。)

通変星

通変星について

通変星には善悪はありません 

このことは肝に命じておいて下さい

その人の元命式の姿によって善にも悪にも作用します

善に作用する時、悪に作用するときの見極めは

ほとんどが日干の力量と用神の有無によります

この元命式の力量バランスが理解出来なければ

本来鑑定は出来ないのですが

簡便な方法として

各通変星を吉凶に区別し、とても単純明快な

通変星占いとして世の中に出回っているのが

一般的な四柱推命です 血液型占い程度で差し障りの

ないレベルなのでわいわい言って楽しむのには向いていて

マスコミ受けするものですが、これを真に受けて引きずると

大変な誤回答をすることになるので気をつけてください

私たちが学んでいるものは、これとは似て非なるものです


すでに教室で実例例題を何題か見ていますが

そこには人の人生が如実に描かれ、その人の

心が星の流れとともに移り行く姿が描かれています

これは、わいわい言って楽しむものではなく

厳粛で冷徹なその人の持って生まれた運命の姿です

そして、そこから逃がすというのが我々の鑑定法です

鑑定

アメリカの有名な女性歌手について

あちこちで鑑定しているサイトがあるものですから

ついつい見てしまって、愕然としている所です。

同じ東洋占星術系のものやナントカ殺系のものも

ついでに見たのですが、ヒドイものです

どこまで行っても通変星から離れられず

偏財があるからショウビジネスに向くとか

ナントカ星が人気の理由だなどなどですね。

現状だけを見ればその通りで、ウエッブでご自分の

鑑定を公開する自信の程が伺えるのですが

あまりにも、あまりにも薄っぺらです。

それなら、

彼女をドラッグに溺れさせ、大学を中退させ

家出をし、身体を売るようなまねをして生活しながらも

戦い続けさせたものは一体なんだったのでしょうか。

その原因が、鑑定の要点となる、物事が起きる原因、

その人の心の起こりがまったく無視されている。

薄っぺら過ぎて、箸にも棒にもかからない鑑定です。



彼女の星を見ると、元々は甘えんぼさんで

好き嫌いがハッキリしていて、YESかNOしかない人です

わりと生きる事に執着が無く、

楽しい事だけをして生きたいというのが本音のかたです。

ところが、親や先祖に最初から大きな重圧を受けて生まれてきています

最初は籠の中の鳥のように育てられ、

「家」であったり、レディーのたしなみや世間的な常識だったりと

目に見えないものに対する束縛が星に現れています

それは彼女の目線で言うと、自分の光を失わせるものであり

理屈を越えた嫌悪感がそこに生じています。

最大の苦痛のポイントがここにあります。

彼女の在り方は、この「常識」からの「解放」

これを只ひたすらに追求してきたものです。

元命式はこのようになっています。

そのような生活の中で彼女が自分を表現するために

選んだものが音楽でした。音楽はウソをつかないから

そして、美しく楽しいからがその理由でしょう。

彼女の「本音」が選ばせたものです。

それでも、17歳くらいまではそれなりに、ルールの中で

頑張れる運勢なのですがこれを過ぎると、なし崩しになる。

キツかったはずです。ちょうど年運と呼応し

家出となり、自分の足で生き始めたのですが

夢を諦めなかった結果として生まれ持った大運が

22歳前後から動き、財の倉が開き

世界的なセールスを記録し今に至る。

もし22歳までの5年間の中で、もし、

歌を諦めていたら、この星の動きは

この間に親が生前の財産分与を彼女にするか

莫大な資金を持つどこかの会社のオーナーの情婦

になっていた、結果はお金が入るという意味で

同じです。それが星の流れというものです。

けれども彼女の生活は荒れていたでしょう。

お金があっても自分を解放するという戦いに

負けた訳ですから幸せにはなれません

結婚で幸せになれる人でもなく

最初は良いのですが、一緒にいると

だんだん、男がうざく感じられ、

一人の人と長くつきあうには努力が必要なかたです

子供を望むのならば、早いうちに考える必要があります

将来的な事を言うと、最悪な自体を前提として

心が壊れなければいいなと思って見ています

ここまでが私の診断です。

(たぶん彼女が書く詩は鑑定した通りの心の姿が表現されている内容だと思います。)

そして

これをもとに運勢の処方箋を書いて行きます

私の鑑定はこのようなものです。

人の心の底の底から原因をさらい、現在を観察し

次を察知し対処する。やはり、このことが鑑定には

一番求められるのではないのでしょうか?

そんな深い事は怖くて知りたくないし、

占いに、夢の後押しを求めている方には

無駄な鑑定力ですが

時には命を救い、地獄の底でのたうち回る人を救う事ができる

鑑定力でもあります。この力を望まれる方には

いつでも学習の場が用意されています。

教室でもこのような鑑定の方法を

隠す事無く講義しています。

4月からも開講するクラスがあります

ご興味のある方はご参加下さい。

お盆

全国的にお盆に入りました。毎年書いていますが、

今年も書きます。

お盆と仏教の関係については実に面白い論文を見つけたので

暇なときに読んでみてください。

駒澤大学「文化」32号


ところで仏教のことばかり書いてきましたが、

神道について少し書いてみます。

一般的な神道は実にわかりやすく、

大祓の祝詞に明確に書かれていますが

神の前での罪穢れの払いによる身と心の清浄さを

とても大切に考えています。また、祖霊のお力を頼む、

過去に想いを馳せるというより

「永久の子孫繁栄の願い」がその祈りの中心になっています。

(個人の幸福を追求する仏教とはベクトルが真逆です。)

お伊勢さんもそうですが、良い神社さんには必ず

御神木と呼ばれる大木があるものです。

千年杉で知られるように樹木には永遠の命が宿るとされ

「枯れることのない常緑樹」を神籬(ひもろぎ)、

常盤木(ときわぎ)とし、祈りの象徴とし、神殿の中にも飾られています。

面白いもので、普通の神社さんにも真榊(まさかき)というものがあり

五色の幟(のぼり)の付いています。

職業柄五色は五行と反応する癖があり、さらに、

これは鹿島神宮で気付いたのですが、

御神木、湧泉、磐座、鏡、これ、木、水、土、金、の

五行に当てはまるのです。残りの火の五行ですが 

その当時は太陽の道だと考えていたのですが。ただ

最近は祈る者の火の出るような努力を伴う

信仰心だと思うようになってきました。

そんな目でお伊勢さんや出雲の神様を見ると

実にわかりやすいのです。

五行がバランスよく調和すれば万事円満であり、

萬事如意ということでしょう。

とこしえの弥栄はこれなくしては成し得ないという

神様の教えなのかもしれません。


火の五行を太陽とみるのも間違いではないと思います。

ただ、これでは「人」の存在する意味が無くなってしまう。

人が神とともに生きることを望むのならば

火は人の持つ「理想」「希望」「夢」「誰かを愛する思い」

「幸福を希求す意思」「まごころ」だと読み解くべきだと思います。



本来の神道は魅力的です。

明治維新でだいぶ汚されましたが、まだ健在です。

山川草木がそれを保っているのだと思います。

岩が割れ、水が干上がり、神木が倒れかけたら

危険信号です。神のお告げは明確なのです。

そして、ここ数年あちこちの有名な八幡さまの御神木が倒れている。

これが問題なのです。

八幡様は皇室の守護神ですね。羽田の新航路のことを知った時

本当に平和ボケだと思ったのですが、

ちょっと外れれば皇居や中央官庁街です、

私などの年代は「機長、逆噴射です」の記憶がまだあり、

飛行機によるテロは3、11以来消えることはありません。

搭載荷物に時限装置をかけられ首都上空でボカンとなったら、

それが生物兵器だったらと、なんせ、絶対安全と数十年も国が

宣言していた原発があの状態です。これを杞憂と言えるのでしょうか。

アメリカでもヨーロッパでも日本でも、

大した理由もなく人を殺したい人が溢れ始めています。

平和の祭典を平和ボケの祭典にだけはしてはいけません。

警備、警察関係者の方達の御苦労は想像もつきません。

頭の下がる思いです。






先日、なんやかんやで羽田に行ってきました。

到着便の滑走路の方だったのですが、この音かと

思う反面、はるか遠くから機影が現れ、少しづつ大きくなる姿に

どれだけの時間を費やし、どんな気持ちで、この国に

降り立とうとしているのかの思いが湧き出してきてしまい、

まずいことになってしまいました。

期待に胸膨らませ飛び立つ人々、この地に足をつける人々、

多少は我慢してもいいかなと我ながら、自分のお人好しに辟易した

飛行場見学の顛末です。問題は飛行ルートです。

米軍が横田防空圏を解かないのには理由があるからで

同様に首都上空も防空圏として守るべきでしょう。




行政にとって運動団体は「1つの個体」です。

人で言えば「一人分の影響力」しかありません。

運動をするのなら数万の個人でやるのが一番行政には効きます。

21世紀の市民運動はリーダーのいない全体の意思の共有が

成否の鍵になります。

(お国の平和ボケに腹が立ってしょうがないので気休めに危ないことを書いていますが、

真に受けないでください。)

あおり運転

茨城のあおり運転の犯人が捕まりましたが、

彼の残した犯罪の映像は、テレビやネットを

通じて日本中に流れてしまいました。

私もそれを見た一人です。

恐怖、それも理不尽な恐怖でしょうか。

京都アニメーション事件にも通じる事ですが、

当人には理由がわからない。

悪い表現ですが、狩猟の対象にされる恐ろしさです。

「狩られる側の心理」といえば、より、

わかりやすいかもしれません。

そして、ここに

狩られる側の恐怖が生み出す行為が生まれてきます。



自己防衛とか正当防衛という行為と当事者は考えますが、

時により残虐な結果が生み出されることは歴史により証明されています。

日本ではかつての関東大震災の時の朝鮮人狩、朝鮮戦争時代の

保導連盟事件

済州島事件

ベトナム戦争時の米軍、韓国軍の異常性もこの辺りから来ていると

私には思われます。特にこの当時の韓国軍はほぼ、大日本帝国の

陸軍と同質です、当時の大統領は朴正煕で彼は日本陸軍大学出身であり

こんな資料を見れば一目瞭然なのですが大韓民国陸軍

ベトナム戦争での彼らの行為は帝国陸軍のコピーであると

考えるのが自然です。

(ナショナリズムを標榜するのなら絶対に自国に対する歴史認識が必要です。)

学生時代、知人の親がジャーナリストでベトナム戦争の取材に

渡越した際、韓国軍の中でだけは安心して眠れたと言っていました。

規律正しく正規軍として立派だったとのこと。

しかし今思うとベトコンも、

彼らの異常な復讐の酷さに攻撃してこなかったのだと思います。

今ある資料から察すると人間のする行為では無かったようです。

恐怖は人を鬼に変えます。

(人は鬼に変わると私に教えてくれたのは帝国陸軍の元少佐の方でした。

彼もまた自分が鬼であったとのこと........。)


平和時の現代,「恐怖の質」は様々な形に姿を変え、

存在し続けています。

「自分が部下にナメらるかもしれない恐怖」であったり、

「家から追い出される恐怖」「結婚できない恐怖」

「計画を邪魔される恐怖」「生活ができなくなる恐怖」

 等々数え切れません。

自分が傷つけられることがなく生命が守られる保証が

あり帰る家のある人とは違うのです。


今回の事件で、ほんの1分にも満たない映像が我々の

「恐怖」を喚起した事実はニュースのコメントを読んでいると、

実にわかりやすく、そこに証明されています。彼らを

「世間から消し去りたい。隔離してほしい。」コメントで溢れている。

人は「恐怖」に対して実に弱い生き物です。

人類はこの恐怖を回避するため法律を作ってきました。

しかし、いろいろな法律が現代には合わなくなっています。

自然に、安心して生きられるルール作り、

犯罪抑止力としての罪と罰を見つめ直すこと。

識者の方々はとっくに取り組んでいるとは思うのですが、

法律だけでは人の心は変わりません。

難しい問題です。

自ら摂取した覚せい剤で起こした殺人も刑法39条の心神喪失、

耗弱による犯罪で片付けてしまう現行の司法体制では、

大事な人を殺された家族も亡くなった方も浮ばれません。

覚せい剤に対する罰、服用時の罰が軽すぎます。

服用時の罪に関しては厳罰であるべきだと思うのですが。

今のままでは国が荒れる。

四柱推命 勉強の仕方

推命術の勉強方法がわからないという質問を

時々受けるのですが、まずは基本を身につけること。

次の段階は、学んだこと、講義の内容が正しいのか

使えるのかを検証することが、とても大切になります。

難解な美辞麗句と詩歌の解釈を講義の主題とし

学んだ方たちも、神殺、通変星それぞれを

四柱八字の天干、地支に付し吉凶を定める

方式を学んだ方たちも、そこで学んだことが正しいのか

正しくないのかを、まずは自分の命式を出し、さらに

ご自分のよく知っている方たちの命式を出し、

検証してみてください。

(自分を視る場合、大抵の方が自分に対する偏見を持っています。現状、苦しい人は、命中の悪いものだけが自分だと思い込みやすく、特に悪くない場合、凶兆については無視しがちなものです。)

多くの方が興味を持つお金持ちの命式などは、

ネットなどを検索すれば、いくらでも

出てきます。是非、研究してみてください。

研究を始めると吉とされる神殺をたくさん持つ

犯罪者、三貴の星を持つ自己破産者

財星を持たない年収1億円以上の経営者等

目を疑いたくなるような事例が山ほどでてきます。

ある人は、良い星と悪い星が打ち消しあって

良い作用が出なかったんだ(出たんだ。)と

訳のわからない理論を振り回した末、

消えて行きました。

皆さんの中にも必ずこのように講義の理論と

矛盾した現実の現象に動揺した経験をお持ちの方が

いると思います。

命式の研究をすればするほど誠実なお人柄であれば、

実践鑑定をせず物書きになるか、四柱推命をサブ占術、

もっと単純でわかりやすいものをメインにし実践家として

生計を立てておられます。

ここで最初に書いた、四柱推命の学び方に戻るのですが、

ぶっちゃけて言ってしまうと

高邁な理論を学び、いくら努力しても、

当たらないので、勉強の仕方がわからない

四柱は難しいと皆さん言われるのです。

しかし、その実は、講義の内容(本の内容)が

現実と乖離しているというのが本当のところです。

10年たっても20年たっても難いと

言い続けなければなりません。

もし、そのまま他人の人生に介入した場合、いつか、

お互いが大怪我をしてしまう。

(どういう意味かわかりますね。)

幸い、私の場合は推命を捨てる前に緒方先生に出会い

目が開き、今に至っているのですが、

このサイトを訪ねられたことがきっかけとなり

占術の王と言われる本物の四柱推命の世界に

もう一度目を向ける機会となれば幸いです。

順逆のサイクル

現在、入門クラスから「順逆のサイクル」の解説をしています。

これは実は、東洋哲学に興味のある方なら

誰でもが知っていることなのですが、

その深淵にある重層的な意味を解説したものは

ありません。

私が編み上げた理論です。

とても大事な理論です。

そして、このことが理解できれば、宗教や

倫理などの建前論はいらなくなります。

幸福を得たければ、ただ、順のサイクルを回し続ければ、

間違いなく幸福を得られます。

別に普通でいいのであれば今のままでいいのです。

また、時々起きるトラブルを回避したり、解決したいのであれば、

逆のサイクルを止めることさえすれば、

トラブルは必ず止まります。けれども、

逆のサイクルを止めずに、場当たりで解決しようとしても

必ずしこりが残り、先々また同じことが起きる。

ただそれだけなのです。

不安

なんでしょうか、世間全体が圧縮され始めているというか

強いストレスが大きな範囲で生じているようです。

これは困ったものです。

原因のわからないストレスが過度に大きくなり始めている人が

増えているのではないでしょうか。

易をたてると経済の先行き不安、店側も客側も

将来に対する疑心暗鬼が12、1月まで続くと出ています。

経済が回り始めるのは年末以降かもしれません。


人の不安は周りの者に伝染するものです

人に話せば、漠然とした不安の原因も見えてくるものだし

もしかしたら、自分自身は金魚鉢の中の魚の視点しか、

今は持っていないのかもしれません。

各自治体にある無料電話相談を活用してください。

こころの健康相談室

腹の中にあるものを出してしまうことです。

怒りの分析3

怒りの分析3

人は生まれながらに不平等です。

間違いない真実だと思う。

まず、生まれる親も環境も選べない。

人種も肌の色も生まれる国も選べません。

やるだけやって、

「あとは野となれ山となれ」というのが我々の日常の生き方でしょう。

それでも、生きることに疲れたり、つまずいたり、悩んでしまう。

なぜかと言うと痛いことや、辛い事が身に起きているからで、

それが消えれば元の日常に戻って行く。

この繰り返しが一般的な人生でしょう。

推命学ではトラブルの種を指摘し、改善する方法を提案することはできます。

円満な人間関係を作る方法の提案もできますが、

残念ながら、それを幸せと感じるかどうかは本人次第という

一見冷たく見えるところがあります。

先日、講義の中で、

「計画通りの犯行を遂行した重罪犯は、それで幸せを感じているのか?」

との質問を受け、かなりのショックを受けました。

世間的に話題になった重罪事件についてはいくつかの症例は

既に研究済みなのですが、裁判でも手記でも反省の「は」の字も

ない犯罪者はいます。

意趣返しを見ず知らずの人に、し返すというのが彼らに共通したもので、

彼らの生い立ちを追うと犯罪行為自体に整合性があるのです。

それゆえ、世間が騒げば騒ぐほど彼らの達成感を煽ることになり

ジャーナリストの面会なんというのは歓喜の極みなはずなのです。


彼らの尋常ならぬ行為の原動力は何か?と問う時

自分より幸せそうな人達全てへの嫉妬であり

自分のように泥水を飲んだこともない人達への怒りであり

他人の死や傷を以て自分の怒りを表現しようとする欲望です。

そして殺される奴が悪いんだという慢心

人の命を粗末にするという、そもそもの無知

きっかけが重なれば、命の大切さを教え込まれるほど

生じた「怒り」にとっては、他人の一番大切なものとして

奪い取るべき対象になっていくのです。

「重罪犯の幸福」というのは

私の知る推命学では判断のしようがありません。

ただ、そこに至る過程で相談をされていたとしたら

違う選択肢を提案することはできたと思います。

また、こうして考えてみると推命学には

これといった幸福論というものはないのだと思うのです。

それゆえ、知らずのうちにお釈迦様の教えに、

その基準を見つけようとしたのかもしれません。

十善の行で書いていますが、人を傷つけることは不幸の入り口です。

殺すことはさらに悪い。文句がある人はお釈迦様に言ってください。

私は彼の言葉を信じています。

諸行は無常です 人の心は一瞬で変わるものです。

犯罪を成功させた、その時、罪悪感ではなく

多幸感、達成感を味わったとしたら、わりと早く平常心に戻り、

達成感が恋しくなってに犯罪を繰り返す。ある種の依存症です。

永遠の幸福などというものは世の中にはありません。

私の学んだ推命学で運を拓くために提案するものの多くは、

本人が歯を食い縛って努力し初めて成るものであり

甘いものではありません。

色々と考えさせられる今日この頃です。

3

十善業といいますが正確には十不善業の解説です。

十種類に分類される苦しみの元になる行為

「業」という言葉の見解にはいろいろあり、一般的には

その人の持って生まれた思考形態、ものごとを考える傾向そのもの、

言葉、心、行動に反映される精神活動全てという意味で良いと思います。

もっと単純に言えば、理由はどうであれ「自分が動いた結果」

「動いた報い」ということでしょう。

そうさせたのが何であれ、最終的には自分が選択したもの

(ここまで言うと救いが無くなってしまうのですが、「誰かのせいで....」

を言っているうちは、自分の業と向き合う事はできません)

そしてこの業は死んだら終わりではなく、延々と「心相続」と言う形で

我々の肉体に宿り、この現象が輪廻と名付けられています。

その、持って生まれた業を固定したものと見るか、業もまた因果律により

浄化すれば善化すると見るかが、仏教と、いわゆる外道との差になり

仏家は因果の法則を「縁起の法」といいます。

そんな、メンドクサイ、抹香臭い

仏教なんてどうでもいいから業を浄化する方法を教えて下さい!

えっ、それもう話したよ。一番楽な生き方で最初に書いたじゃん。

え、ええー。となるので、改めて言うと

それが十善業です。平たく言えば、悪い事はしなさんな、積極的に

良い事をしなさい、それが十不善の業を浄化する事だよ

とお釈迦さんや偉い坊さん達は言っていました。

白隠さんも最澄さんも本の中で書いているし

「七佛通戒偈」を読んだ事のある人なら

誰でも知っています。私も推命の師匠から

「他人様のこころに刺さった刺(とげ)を抜いてあげる事が

自分自身に刺さっている刺(とげ)を抜く事になるから

それができるように、確り学んで良い鑑定士になるんだよ」

と言われ、現在にいたっています。

私は、縁のある人には、鑑定の中でもお伝えしているのですが

私の実力不足で、なかなか相手には伝わりません。

しょうがないので、この言葉の裏側にある膨大な背景を

見せなければ、「風景のような言葉」になってしまうので

できるだけ具体的に、普通の人にもイメージ出来る姿で

解説していきます。業と因果についての解説になります

先ず、

1、殺生

十不善業の中でも最も悪いとされています

前回、動機の問題に触れましたが、

怒りの故に殺す意思を持って殺す事、いわゆる殺人事件

貪りの故に殺す事、角、毛皮、食肉としての屠殺

無知故に殺す事、害虫、害獣など必要だ、良かれと思って殺す事

「無知」とは難しいものです。裁判なら責任能力が無く無罪とされるものでも

その結果はやってくるよというのが業の考え方です

でも、食に関しては難しいですね。

偉いお坊さんは命に感謝して食べることが大事ですと答えますね。

食の学習について世界的にも、チョット前にベルギー映画で

邦題で「いのちの食べ方」原題は「Our Daily Bred」で

屠殺場のベルトコンベアーを流される動物等々なかなかショッキングで

したが、翌日には普段の食欲おう盛な自分に戻り、

今日のご飯は何かな?と考えている自分がいました。

これも「無知」の働きです。見たくない、聞きたくないものは

すぐに抜けて行く。

食欲など身に備わっている欲(業)

のために人は合理的に馬鹿になるものです

物欲、性欲、名誉欲も同じです。

(大義名分があっても同じです。戦争など良い例ですが

ほとんどが大なり小なりPTSDにかかっている)

そして、あとから泣く事になる。

できるだけ殺さない事、食に関してはお坊さんが言うように

感謝して食べる事、たまにはベジタリアンの一日を過ごす事など

命に感謝し、食に敬意をはらい、お線香の一本でもあげて

供養することも、あまのじゃくさんには独りよがりの偽善者で

意味の無い事に聞こえますが、効果はあると仏典には書かれています

対治法の一つとして、「放生」をして善の行為を積むとあるのですが、

これは売るために捕まえた魚や鳥を買ってきて

自然に放すことをいうのですが、特定個体の保存など

タマゾン川(多摩川に熱帯魚が繁殖している)問題など

現実性に欠けます。今すぐ実行出来る一番よい対治法は

殺される側に、もし、自分がいたらとイメージし、じゃ、

どうする?となるのですが、できることで良いと思います。

ちなみに私はお線香タイプです。

祝詞

日本における十干十二支の教えの根本は実は太古の昔よりあるという事の証明かも知れません。どうでもよいことですが日本という国の成り立ちにまで遡ることも、もしかしたら出来るのかもしれません。石上神宮の十種の神宝の大祓の文です。




とくさのおおはらえ

高天原に神留り坐す 皇神等の鋳顕し給ふ 十種瑞宝を以て 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命に授け給ふ事誨へて曰く 汝此瑞宝を以ちて 中津国に天降り 蒼生を鎮納めよ  蒼生及万物の病疾の事あらば 神宝を以て 御倉板に鎮置て 魂魄鎮祭を為て 瑞宝を布留部 其の神祝の詞に曰く 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 一二三四五六七八九十瓊音 布瑠部由良由良 如此祈所為ば 死共更に蘇生なんと誨へ給ふ 天神の御祖御詔を稟給て 天磐船に乗りて 河内国の河上の哮峯に天降座して 大和国排尾の山の麓 白庭の高庭に遷座て 鎮斎奉り給ふ 号て石上大神と申し奉り 代代神宝を以て 万物の為に布留部の神辞を以て司と為し給ふ 故に布留御魂神と尊敬奉り 皇子 大連 大臣 其神武を以て 斎に仕へ奉り給ふ 物部の神社 天下万物聚類化出む大元の神宝は 所謂 瀛都鏡 辺都鏡 八握剣 生玉 死反玉 足玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼 更に十種神 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 一二三四五六七八九十瓊音 布留部由良と由良加之奉る事の由縁を以て 平けく聞食せと 命長遠子孫繁栄と 常磐に堅磐に護り給ひ幸ひ給ひ 加持奉る
神通神妙神力加持

天地二元論 自殺について

また俳優さんが自殺した報道がありました。

好きな女優さんだったので残念です。

自ら死を選ぶことで苦しみから解かれるのか?

解かれることを願い、せめて死後は幸せになって欲しいと

強く思うのですが、一方で色々なことが思い浮かびます。

自ら死を選ぶ人へ私の中の怒りが吹き上げてくるのです。

私は易は宇宙のシステムを解釈する道具だと思っています。

一見すると、取っつきにくく、難解なように見えるのですが

その原理は実に単純で易経の繋辞伝の最初にある

天尊地卑 乾坤定矣 卑高以陳 貴賤位矣 動靜有常 

剛柔斷矣 方以類聚 物以羣分 吉凶生矣

この文言が易の核心だと私は理解しているのです。

これを解釈するには「気」という概念が必要なのですが

純粋な気は天に昇り、重い気は降り地となり

天の気は混じり気のない純粋なものだから「貴」とされ、

重い気は地に降り、重く雑り気が多いので「卑」とされ

貴賎の価値が生まれた。

天尊地卑 乾坤定矣 卑高以陳 貴賤位矣

天地を動く気は動き続け(動靜有常)、その結果 

支配を望む者と従属を赦すものに別れ(剛柔斷矣)、

各々の性情の似たものが引き寄せられ集まり

さらに分化し、仲良しの群が生じ、 

些細な差異で対立し別れ(方以類聚 物以羣分 )

吉と凶(勝ち負け)が生まれる。

ここまでが繫辞伝の意味です。


そこで人間の立ち位置はどこかというと、この天と地の間に生まれた者

天のように自由で純粋な心を生み出す精神の特性を得

肉体は大地から生み出された精神の器と解釈しています。

天人合一の考え方は漢代の董仲舒先生あたりからの流れですが、

東洋医学の基本原理として現代にも生きているものです。

さらに、ここに魂魄という考えが生まれ

肉体は朽ち大地に帰り、心は魂となり天に帰る、または散ずるとあります。

ここからが問題なのです。

もし、自ら命を断つ時、魂が重く濁ったものであれば、

これは雑気であり地に落ちるのです

(当たり前ですが、こんな状態でなければ自殺しません。)

宇宙のシステムから言うと天国に登るのは無理な話なのです。

地に落ち、鬼となり、最終的には同類の気に混ざっていくと

解釈せざるおえないのです。

晴れやかな気持ちで自殺した人の話を聞いたことが

ありません。大義名分を抱え、母親の名を叫びながら

死んでいった特攻兵であっても間違いなく散華したとは

到底思えないのです。自らの命を絶とうと思い立つ時に、

こんな面倒臭い話を聞いても、まったく頭に入らないと思いますが

理屈と実際はこんなものなのです。

自ら選ぶ死には、ろくなことがありません。

逆に言えば、どれだけ現実に期待しているのか。

現実というのは、

最初から苦痛と楽が混在している世界であり

勝ち負けが常にある世界であり、

勝者に見える個人の中でも常に勝ち負けが繰り返され

苦痛も楽も一瞬で移り変わっているのです。

そんな事はないという人がいますが、

楽というのは、苦痛の無い状態のことで

平凡な日常と言い換えれば理解できるでしょう。

人に裏切られたり、思いが叶わないことなど

あってはならない事と決め込むのではなく、

「ここでそうきたか、期待し過ぎたな。」と

自分の気持ちをクールダウンさせてから対策を

立てることです。

別に偽善者でいる必要はありません。

ただ、人の欲にはキリがありませんが、自分は

イワンの兄弟の道を選ぶか、イワンの生き方を選ぶか

どちらも極端ですが、たまに考えるには良い話です。

偽善と言われても、やせ我慢と言われても死ぬまで

それを通し、納得できるのなら自分的には満足できる人生であり

美しく玉と散り、花と散ることができるのではないのでしょうか。

イワンの馬鹿

怒りの分析 2

怒りの分析と言われても........。?

怒っている時は、これは無理です。

怒った後にすればいい。

例えば、

今、この文章を読み 怒っているとしたら、

「なぜ、お前なんかんに、こんなこと

言われなければならないんだ。」

偉そうに何を言っている お前なんかが、チッ、馬鹿野郎と内心で

罵声を浴びせているかもしれません。

前回から読んでいる方は少し冷静になった時 

「お前なんかと言って」相手を見下している

自分自身に気付いてくるはずです。そしてもう一つ 

見えない形で「嫉妬心」が併走していることに

気づくかもしれない。


自分と他人を傷つける「感情」を導き出す

誰の心の中にもある「種(たね)」には代表的なものとして

1「執着(人、物、権威、への強い欲望)」 

2「怒り(誰か 何かを傷つけたい衝動)」 

3「嫉妬(自分に無いもの持っている者への怒り 不平等感)」 

4「慢心(相手を見下している 自分への自負心)」 

5「知性の欠如(道理がわからない わがまま) 
        
       (甘え 忍耐することを放棄してしまうあり方」)

この5種類があり、それぞれが さらに相互依存し

1は2と 3は4と 5は全体と

最終的には怒りに集約されていきます。

だから怒りを分析していくと、この5つのどこかにぶつかるはず

なのです。

これは仏家の言う六界を整理したものですが

実際の事例に沿って見ていくと実に適当な解釈だと思われる。

(この辺りの考え方が私が学び、さらに進化させようとしている推命学の特徴かもしれません。

風水や佑気取りや開運用品に頼らない、運勢を改善するための推命学です。)





(3に続きます。)

不安な世界

相変わらずの不安な世界。

トランプ大統領がコロナにかかり、フランスあたりでは

再びの全面封鎖、それに対して日本では、go toと言われ

素直に出かける、なんとも言えない国民性、入国規制も

そろそろ解除の方向に向かっているようです。

やはり来年予定されているオリンピックの開催に

国の威信をかけているのでしょう。

これまでかけてきたお金が回収できるはずもないのですが、

団子が取れなくとも、せめて花を取ろうする、

誇り高き玉砕の精神文化は変わっていない。

未来の安定と平和を見つめるより、

明日の花見の会の艶やかさを夢想する、

これが「見栄(みえ)」に生きる男社会の現実です。


抗インフルエンザ薬の「アビガン」が抗コロナ薬として

迅速に承認されるようです。アメリカでも、本当に商売人だなと

思うのですがトランプさんが抗エボラ剤の

「レムデシビル」を投与していると

ビデオレターで発表し製薬会社の大宣伝をしていました。

効くのであれば20万人を超える米国内の犠牲者の数は、

貧困により、この薬を打てなかった犠牲者達の数なのでしょうか。


人を恨んだり、妬んだり、侮辱されたと自分の世界の中で

苦悩する人達の、なんと多いことか。

世の中で生きるために、子供の頃から一生懸命に磨いた

知性が利己心に転変し、自己中心的な発想が増え続けている。

クレーマーの言い分であり、煽り運転加害者側の屁理屈も

そうですね。

さらに酷いのは、他人への共感ができない人

忍耐を養うことを学んで来ていない人は

暴力という形で、人間関係や課せられた責任への

ストレスを発散し、最悪は自他の命に危害を加え

さらなる苦しみの淵に落ちている。


人が不安に苛まれる時、どうすれば、そこから逃れられるのか。

理屈をこねれば、不安の原因を解明し対処するのが常道ですが、

でも、めんどくさい。いくら言っても本人は、やりません。

それならば不安に対する対向処置として、

何か楽しいことを見つけることです。

後ろめたい事は、不安を煽るだけなのでいけません。

建設的なことで、他人に迷惑をかけないことが良いですね。

人付き合いが嫌いな人には将棋など、伝統的なものをお勧めします。

手の内で完結できるもの。編み物なども良いと思います。

亡くなった作家の橋本治氏は編み物が趣味でした。

映画の「彼らが本気で編むときは」でも「編み物」に

特別な思いを込めていました。最近の学生さん達は

恋人に編み物を送るということはしないのでしょか。

いきなり送ったら「重いプレゼント」ですが、

関係が親密になった上でのそれは、「思いのプレゼント」に

なると思います。

ある種のファンタジーですが、夢があります。

夢でも見なければ、苦しくて生きていけない時代です。

さらに、

そんな夢を壊して、現実はこうだよと、自分の苦しみを

共有させたがる人達が山ほどいる。酷いものです。



だからこそ、人知れず、自分を磨くことです。

磨いて磨いて、一人、悦にいること、よっぽどの

信頼のおける人以外には見せてはいけません。

「秘すれば花」  この通りです。

幻 2月18日

出会いは一期一会です。

あらゆる出会いは因と縁からなり、時の経過とは縁起そのものです。

我々は業の風に吹かれ、因縁の近いものが吹き寄せられ、

出会い、縁を結び、縁がほどかれれば、再び業の風にふかれ流れる。

そこに、恒常的な実体があると考えることが四苦八苦の源であり、

これを「無明」という。

一切の本質は「空」であり、因が消えない限り縁起し続けるもので、

この一瞬も消え続け再生し続けている。細胞の破壊とDNAによる再生、

やがて再生の力を失い肉体は失われていく。

それにもかかわらず「心は」一切が「ある」と考えてしまう。

「自分」という存在 「他人」という存在 全てが変化せず

常に同じ心で、同じ姿で、同じ関係性が維持されるという

「概念」の中で日常を過ごしている。

実際の知識として(学生時代の科学でも生物でも)学んでいるにも関わらず

知識として「知っている」が「心に落とし込んでいる」人は実に稀です。

量子力学なんてのはその最たるものですね。

この概念を心に落とし込めれば、流転する一切の物、

人への執着は消える。何ものも消えていくと気づけば、

目の前の全てが、残された人生が、

どんなに貴重なものなのかが感じられるでしょう。

(そんな映画がヒットしていましたね。)

しかし、夢も希望もない、現状苦しみに満ちている人にとって、

一瞬でも早く人生が終わることを望む人もいる。

これが人生に意味は無いという「虚無論」になっていく。

どちらも本人の選択次第。自分の人生です。自分で選べば良い。

ただ、だからこそだと思うのですが日本のお坊様たちは慈悲の心を養えと

繰り返し述べられ、行動で示され民衆に学問と教育を寄与されてきた。

(学問は知識 教育は倫理、人間教育の意味です)

これが大乗仏教の骨子なのだと私は思っています。

縁起しているのであれば生きる価値に満たされる人生も

自分の心の選択次第。

選択できないと悩むことも、「悩むことを選択している」

(ここに気づけば、少しは力が溢れてくるかもしれませんね。)

「空」の観点からすれば、たとえ世界は幻であっても、

幻の中で人を大切に思い、慈悲に満たされた数十年を過ごすことができれば

来世など考える必要のない仏菩薩の人生を過ごしたことになります。

意味のない虚無に嘯くよりも、明るく楽しい極楽浄土を幻と知りつつ、

幻の中に人生を過ごす生き方も面白いのではないでしょうか。



時々ですが自分は善人では無い 仏菩薩なんてのは無理と

言う方がいます。

人生40年、50年生きれば、2度や3度や、

思い出せない程、「夜叉」や「鬼」だったこともあるでしょう。

今でも鬼と呼ばれているかもしれません。

あらゆる生物の集団は生きるために他を食らう。

人もまた同様な存在です。綺麗事を言っても仕方ない。

我々は他の命を食(くら)っている「悪人」です。

しかし、他人に対しての後悔があるのであれば、

慚愧の念を持ち、それを繰り返さなければ、

それで良いのではないでしょうか。

善人ズラと言われればそれまでですが

少なくとも仏、菩薩は人間出身です。


心の中に囁かれる欲望は、深くしまっておく限りは

他人を傷つけません。それでいいのだと思います。

心を締め付けすぎれば心は壊れてくる。だから、

締め付けすぎず緩めすぎず心を調教し続けること。

修行などと大袈裟に考えず、静かに、ゆるやかに、

落ち着いた心を日常にすること。

誰でもができるはずのこと。

試してみる価値はあると思います。

怒り

持って生まれた運を最も傷つける行為として

「怒り」があります。

基本、人間関係が壊れるところから、様々な影響が生じ

時には後悔から、怒った自分を自分で傷つけることもある。

皮肉なことですが、運が最初からこの傾向にある人もいる。

人はどんな状況で怒りが湧いてくるのか?

もし、皆さんが怒りの渦中にあるのであれば、

また、自分の中にこの傾向があることを

自覚しているのであれば、一緒にこの「怒り」を

分析してみてください。

1、自分の思い通りにならない時

2、自分が傷つけられ、いじめられた時

3、理不尽な要求をされた時

4、バカにされたと感じた時

5、自分の愛情(善意)が受け入れられなかった時

6、起きたことの事情が理解できず、錯乱、混乱した時

7、期待を裏切られた時

8、自分の存在を脅かすものに対して

9、思いもかけない要求をされた時

10、騙された時

11、プライドが傷つけられた時

12、執着がさらに深くなった時

13、嫉妬がさらに深くなった時

14、傲慢さがさらに深くなった時


これを大別すると、

「自分が相手を支配できない時」

「誰かが自分を支配しに来た時」

「自己愛が極大した時」(12、13、14)

また、その底には普通の状態(本人の中の平和)が乱される

「恐怖感」が存在します。

面白いもので信頼関係のある人の言葉は

結構きついものでも意味あるものとして心は処理しますが

そうでない人の言葉は文字通り受け止めてしまう。

ご夫婦の間で怒りごとが多くなっている方たちは、

この辺りの修復を考えないといけません。

大抵、お相手への期待のしすぎから信頼度が落ちています。

「怒りの分析」などしたことがなかった方たち、特に怒りっぽいと

自覚している方たちは、是非このお怒りの分析を習慣にしてみてください。

生まれながらの短気であっても、必ず、落ち着いてきます。

「今の怒りの出どころはなんだ?」と自分の心に問い続けることです。

そして諦めないこと。

自分自身に絶望しないこと。

自己愛ゆえの絶望です。

自分はもともと、こんなもんだと思っている人は

絶対に絶望しません。

自分はこんなもんだ、だから、ぼちぼちいこうや。

それで、必ず前に進める。

「自分が嫌いだ」は実は正確には「こんな自分は嫌いだ」ですね。

その「こんな」は自分に対する期待の高さを表している。

そこから「降りる」ことです。

今年のキーワードはこれですね。

プライドから降りる。

そして心の安静、安穏、安らぎを手に入れてください。

権力と自由

ブログに書いた権力の続きとして、

もう少し書いておきたいと思います

教育勅語と国家神道の強制力からの反省として

信教の自由が生まれたのですが、宗教と教育と

権力が結びついたとき、すさまじいことが起きる。

そして、そのひな形はいつでも我々の身近にある

思想団体、宗教団体が典型的な存在ですね。

(政党なども同じものです)

信教は自由ですが、「団体」は自由ではありません

ここが怖い所です。団体に個を呑まれ、

個を無くして何が救われるのか?

自由に生きることの辛さに喘いでいるかたが

多い今の世の中です。ある意味共産主義者のように

権利ばかりを振り回し国に、揺りかごから墓場まで

面倒を見てもらいたいと望む人が増えいるのも事実でしょう。

しかし、人には、どんな人にも生まれながらに

星の徳というものが備わっています。

その活かし方を知らず種まきの時期に、それを腐らせたり、

時期を間違ったり、また、触ってはいけない星に触れ、

よけいなものを育ててしまうから

人は不幸になるのです。

星は生き物で、育て方でどのようにでも

変える事が出来る物なのです。

誰の心の中にも明るく輝くことを待ち望んでいる

希望の光がある事を知っておいて下さい。

これは自由な世界つまり「自らが望む事」でしか

輝く事はできません。


楽になることを望ねば、苦しみが伴い

幸せになる事を望めば、楽にはなりませんが

苦しみは無くなります。

くるしみ123

苦しみ1

人生苦しいものです。

苦しみに苛(さいな)まれたとき、

どうすればその苦しみから逃れられるか?

本屋さんでも精神世界の棚にいくと

そのテーマのほとんどがこれですね。

求めるものが手に入らない代償としての

現実逃避の精神世界案内



「欲しいものが手に入らない」のは辛いものです。

この「欲しいもの」が人によって異なるだけです。

異性、お金、地位、人間関係、愛情、

漠然とした幸福、漠然とした安心感

漠然とした生き甲斐 等々

まあ共通して書いてある内容は単純で、求めるものの

イメージをできるだけハッキリと持つこと。

そして、夢の中でもイメージを持ち続けるぐらいになれば

夢は叶う。

私はそれで成功しました

と書かれているのですが、

その成功がどのくらい続いたのかは

書かれていません。

皮肉なことですがプレジデント等の経済誌で

表紙になった何人もの人達が破産し、

潰れていっています。

水泡のごとき成功とでもいえましょうか。

恋愛などはもっと極端で、はやければ10分20分で

夢は叶い、消えていきます。

そして自問します。「これでいいの?」と

占師さんでも恋愛や復縁の相談でこれをやる人が

いるのですが、これでいいのでしょうか?

お客さんのニーズに答えたことにはなりますが

なにも変わっていない。

いろいろ問題はあると思うのですが、

一番の問題は楽をして願いを叶えようとすることと

なぜ、縁が切れたり、縁が生じないかを見ようとしない。

縁があっても、この人じゃない!と、

無い物ねだりをしている贅沢な人もいます。



しかし本当に「縁は異なもの」です。

沢山の既婚者の星を見ていますが、ほとんどが

大変失礼ですが、我々のような者からみると

逆縁です。

だからこそ、相手に対する理解と

それを受け入れるための自分自身の心の幅を広げる

努力が不可欠になります。それが絆(きずな)が生まれる

始まりですね。

「恋人時代では我慢できていたけど、夫婦になったら

我慢できなくなった。」

「結婚したら、責任感も生まれて

きっと変わってくれるだろうと

思っていたけど...........そうではなかった。」

世間ではよくある話です。



苦しみ2


だれでもそうなのですが、トラブルが起きると

心の中がトラブルで満たされてしまいます。

当たり前のことですね。

でも、このあたり前のことに、なかなか気付けない。

その上、大抵の人は、繰り返し苦痛を呼び戻し

さらに心の奥深く闇を浸透させていく。

いつまでたっても苦しい。

これは普通の人です。

ところが、中には同じようなトラブル、同じような苦しい

状況になっても、苦しみを最小限でクリアーしている人達が

いるのです。例えば、長年つきあった男と別れた。

何もしないでいると彼のことばかり考えてしまうので

興味があった外国語の勉強を始めた。

センテンスを暗記する時だけは彼のことを

考えなくて済むことを発見し、夢中になって

暗記に取り組んでいるうちに、語学は上達する

彼のことは忘れられる、一石二鳥で溌剌と

仕事にも恋愛にも向き合えるようになった。

どうでしょう?

苦しい苦しいと言って、過去とダンスしつづけるのも

いいのですが、真剣に何かに取り組む時間を

過ごすことで、過去を浄化させてしまうことも

できるようですよ。

一切は無常です。

あらゆる絆は時とともに薄くなる。

苦もまた同じです。

絆を強める努力をし続ける必要があることも

このことから理解できるのではないのでしょうか?


苦しみ3


なぜ人は苦しむのでしょうか?

それは、その人が持って生まれた「調和」が

乱れるのが原因かもしれません。

めちゃくちゃ「わがまま」に生まれた人は

自分のわがままが通るときが「円満な調和の時」

になります。

「幸せな時」と言い換えてもいいですね。

これが「人の幸せの姿」です。

このまま人生が通ればまったく言うことが無い。

そのわがままが通らなくなった時、

「苦」の始まる時になります。

結構すぐに来るのが世の中で。ほぼ、幸せと背中合わせ?

と私などは思うのですが、いかがでしょうか。


一事が万事で「わがままを通したい」「もてたい」

「お金が欲しい」「名誉が欲しい」「勝ちたい」

(命式には露骨にこのことが書かれています。)

それが叶えば「幸せ」、叶わなければ「苦しみ」

「成功」する「願いを叶える」等々

ほとんどの啓発セミナーでかかげる項目ですが、

もしかしたら、「苦しみ増長セミナー」に

なっていないでしょうか。

欲を否定するのは馬鹿げています。要はバランスです。

偏(かたよ)ると苦が始まる。


世の中はそうなっているようです。

先月今月と年月に強い形で土が重なり、

「何事」かの「大きな動き」が予想されたのですが、

なんとも言いようがありません。

様々な変化の種が暗々裏に撒かれているようです。

あまり、良い方向には向かないようですが、

社会や国に関する全体システムとしての

変化のように思えます。統合や、再編等、

結果的に、しばらくは、あまり強くない者には

キツイ世の中になりそうです。

適職であっても、組織の再編で部署が変わるなど、

思いもかけないことが起きるかもしれませんが、

しっかりと準備をし、次に備えてください。

まずは健康を第一に考え、その次が仕事です。

絶望する前に、とりあえず、一息ついてください。

幕末 幕府

徳川慶喜 1837年9月29日

優しくて、繊細な芸術肌なのですが、官職には向いていません。仕事より趣味、大きな責任は丸投げする方であり、もし、この方が企業のトップであれば、必ず会社は潰れます。「しょうがない。」と何処かでそう言い続けている方です。

   乙 己 丁
   亥 酉 酉

77 67 57 47 37 27 17  7
 壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己
 寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉

1867年11月9日 大政奉還 30歳

(丙午運 丁卯年 辛亥月 癸巳日)

松平春嶽 1828年9月2日

   辛 庚 戊
   酉 申 子

72 62 52 42 32 22 12  2
 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚
 卯  寅  丑  子  亥  戌  酉  申


井伊直弼 1815年10月10日 

    庚 丙 乙
    寅 戌 亥

70 60 50 40 30 20 10
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙
 辰  巳  午  未  申  酉  戌

桜田門外の変 1860年3月24日 44歳

壬午運 庚申年 己卯月 丁卯日



松平容保 1836年2月15日

   癸 庚 丙
   未 寅 申

76 66 56 46 36 26 16  6
 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅

戊辰戦争 1868年(大政奉還の翌年)32歳

勝海舟 1823年3月12日

    庚 乙 癸
    子 卯 未

71 61 51 41 31 21 11  1
 戊  己  庚  辛  壬  癸  甲  乙
 申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯

西郷隆盛と大久保利通

「西郷どん」がいよいよクライマックスです。

田原坂の戦いにしても、西南戦争全体にしても、田舎の山林の片隅でのいざこざのような描き方でしたが、1877年1月から9月29日にかけ官軍西郷軍合わせて1万3000人の戦死者を出した戦いです。


西郷隆盛1828年1月23日   

1877年9月24日 49歳没 戊申運 丁丑年 己酉月 庚子日 

   戊 癸 丁
   寅 丑 亥

75 65 55 45 35 25 15  5
 丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
 午  未  申  酉  戌  亥  子  丑


大久保利通 1830年 9月26日

1878年5月14日 

庚寅運 戊寅年 丁巳月 壬辰日  暗殺 47歳

   乙 乙 庚
   未 酉 寅

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

仏典ではさらに、これらの業が結実した時

異熟果 等流果 増上果、士果の四つの形であらわれるとします。

まず、異熟果は、十不善のどれでも

動機が怒りによる場合は地獄に落ち

貪欲の場合は、餓鬼に生まれ、暗愚、無知の場合は畜生に

生まれるとされています。

「地獄に堕ちるわよ!」少し前にテレビでよく聞いた言葉ですが

一概に否定出来ません。

(寒熱16地獄については結構解説にキツいものがあり、機会があれば解説したいと思います。ちなみに地獄は地獄スポットがある訳ではなく、我々の日常の中にあるもので、どこかにいかなければ知られないようなものではありません。)

次ぎに等流果です

行為の等流と体験の等流があると解説され

行為の等流とは前生で積んだ業をそのまま今も

心の癖として持って生まれることを言います

たとえば、殺生を積んできた人は、この世でも殺す事を楽しむ癖を

もっている。

私事ですが、子供の頃の自分の残酷さについて、かなり

悩んだ時期があります。子供の残酷さとよく言いますが、実は

等流果の姿そのものなのかもしません。同様に欲心の等流果としての

強欲さ、害心、妄語(嘘)など、自我に目覚め

世間に対して損得勘定から自分を隠し始める以前の、

子供の姿を見ていると、個々の業の一部が行為の等流として見えてきます。

前世の自分の姿は「今どのような姿なのかが理解出来れば

前世で自分が何をしていたかが解る。今自分が何をしているかを冷静に

理解出来れば来世、自分はどこに生まれるか知る事が出来る」

お釈迦さんが言った有名な言葉です。

前世療法等で前世の自分の名前を思い出す人がいますが

自分の苦しみの本質(なぜ、苦しみが生じたのか?)

を思い出す人はあまりいません。

人は誰もが身分制度の天と地の中でもがき、

さらに地獄に入ったり出たりの六道輪廻の中で

今、人として生まれてきています。この幸運を

真剣に考えることはとても大事な事だと思います。


(どうして人に生まれる事が幸運なのでしょうか?

考えてみて下さい。)


(とりあえず悪い事ばかり書きますが、人を喜ばす事、助ける事に無類の喜びを感じる子供がいることも忘れてはいけません。業は平等で、良い業は良い果として熟します。)

実践鑑定2

四柱推命学を経済活動 エンタメだ 占いだと

考えている方が世の中には多いのですが、

この学問は自分の人生を豊かにする学問でもあるのです

本屋さんでは占いコーナーに置かれていますが

本来は自己啓発のコーナーに置かれるのが筋だと

私は思っています 

自分の大切な人の悩みを聞き 推命学で学んだ

知識と態度で接することができれば日常が変わってきます

態度と書きましたが、おわかりでしょうか? 

推命学の理論が理解できれば身近な人を、自分自身さえも

もっともっと豊かに認めることができるのです

自己否定の癖を持つ人のなんと多いことか。

そして誰もが強い自我を持ち、自分にかかわる事を

指摘されるのを大変に嫌う。この当たり前の事を知っている

はずなのに、感情で会話をし、大切な人との関係を

みずから破綻させていく。

これが運が傾いている人の日常の態度です

人を理解するということは、事実の観察と命式の分析を

積み重ねることから始まるのです

特に子供の頃の運勢が悪く心に傷を負った子は、

その傷が人生の基礎になってしまい、いつのまにか、

その出来事を記憶の奥底にしまい込み、理由無く

なにかの言葉に反応し暴れ始める 

親の悪さはどうしようもありません 本当に必要なのは

子を持つ親の教育だとつくづく感じます

どこかで人生を諦め、冷め、刹那的な生き方を選択してしまう

つい先日起きた川崎の強盗犯や 覚醒剤で捕まった犯人の

なんと若いことか。最近のニュースを見ていると

本当に日本の未来に希望をもてません 


一般的には運を開く鍵を「用神」と呼びますが

私の教室では、この用神を取る時、なによりも先に

自分の頭で考え、自分の責任を果たすことだと教えています

しかし「もちろん」というのも変ですが、受け入れられないと

消えていく生徒さんもいます。そういう時代なのです。

本当に、自分の人生を大事にしてください。

流派名について 2024年 2月9日

最近、鑑定を頼まれる機会が多く、

どこで習ったのですか何流ですかと問われることが

多いとの報告を研究科の生徒さんから受けました。

私も実力を認める方なのでプロとして立ってください。

報酬を頂いてもいいですよとお伝えしました。流派に関しては

「洗心庵の先生」ですよと答えていただければ良いと思います。

「ホームページも公開してますよ。」で済むと思います。

さらに問う方には「泰山流の先生です」とお答えください。

同業の方が問う場合や流派の事情を知る方には、

泰山流の緒方先生のお弟子さんですと伝えてくださって結構です。

系譜に関しては私が責任を負います。しかし注意点があります。

「泰山流」の名称は商標登録されていて、本部の許可なしには使えません。

法律違反であり、勝手に使えば詐欺です。

虎の威を借る狐ではしょうがない。下衆の所業です。


流派を名乗るのであれば独自の名称が必要になります。

色々と考えたのですが、「泰山流」を名乗れない

実力のある生徒さん達への洗心庵の緊急避難処置として

洗心庵の四柱推命教室の専修科(従来の研究科)に

3年以上在籍し実力を認められた方達には

「洗心庵大心流」略して「大心流」と名乗ることを提案いたします。

免許料等々は一才いただきません。ご安心ください。

「泰山流」を名乗りたい方は従来通り中級教室に通い、

本部から許可を得て名乗ってください。

分派の意思は全くありませんのでご了承ください。


誰も知らない、誰に言っても意味の無い流派名で

本当に申し訳ないのですが、私の理想を名称にしたものです。

道玄禅師の「三心」に由来する言葉です。

私は喜心を名乗っていますが「大心」が到達点です。

皆さんも大心を目指してください。

人の幸せを願い 慈父悲母の心を持ち 平等に精一杯の

努力を惜しまない心 これが三心です。

これで洗心庵の推命学をご理解いただけたでしょうか。

占い

先日、占いを依頼され、外しました。

腕が鈍っていることを痛感しています。

私の主義として、占いは当たらなければ、

料金はいただきません。

(ちなみに占いの料金はホームページには乗せていません。)

もうちょっと、ちゃんとしなければいけませんね。

実は

恋愛や人間関係を占いで見た場合、実に人の心は動きやすく、

占う前と後では、出る卦が違ってくるものなのです。

占いを受ける前、何かに憑依されているような方でも、

こちらとの対話の中で胸の内を吐露し、

心が洗われた状態になったとき、実に綺麗な、

本来の人の顔に戻る場合があり、その瞬間は

運(心)が安定しています。

占いというのは、依頼者の心を基準として、その先を

それぞれの術の主なるものが判断して行く。

易ならば、易神が、タロットなら、カードのスピリットが

と、やや神秘的なことを書きますが、実際はそんなものです。

もうちょっと書くと、人の心は、流れやすく、濁りやすく、

時がたてば、また、澄んできます。

だから、その刹那の感情を基準にするような占いでは、

あまり役に立たないのです。

本質的な、その人の心を構成している星と、その流れをよく読む技術がすなわち、

運勢鑑定となるのです。

それゆえ人の心を占いで測るのはあまり、好みません。



問題は判じ物です。運勢とは別の話で、これは占いでしかわかりません。

箱の中身はなんですか?というやつで、

専門用語では「射覆」(せきふ )と言います。

これは難しい。

周易、断易、また梅花心易のように

外応をキッカケにする占術があるのですが、

これは基本、四六時中易占の世界にいる人たちに

できる技です。

残念ながら私はそこには至っていません。

そこで、もうちょっと修行しないとと思い、

しばらくの間、

無くしたもの、見つからないもの、いわゆる

「失せ物」に限り、無料で見たいと思います。

無くした状況、そのものの価値を記載していただき、

結果をおしらせくださる方は、メール鑑定フォームより

ご依頼ください。

ここ数日の講義の中で、土の動きについての

質問があり、実はとても喜んでいます。

みなさん、とてもよく知っているかたの命式についての

質問でした。ご本人のナマの姿を実際に見ているわけですから、

理論上のそれに当てはまらなければ、疑問に感じて当たり前です。

「土」えっ?「土」は「土」でしょ。

三合局とか、方合とかで変化するあれ?

まあ、その通りなんですが、このような

すでにテキストに記載されている事がら以上に

深い奥があるのです。ただし、

これは実力が付かなければ、返って危ういものになるので

基本、教えていません。

(合や冲の現象は明確で、学習の検証としては最適なので、すぐに教えています。)

一通りテキストが終わり鑑定に自信がついた人は教室の中で聞いてください。

こういう課題を持ちながら、勉強するのも、大切です。





頑張ってください。

健闘を祈ります。


教室選びについて

無題

本当にこの国はこれからどうなるのか

心配で心配でたまりません。

今更と言われるかもしれませんが、

本日2月18日の夕方のニュース版組を

見ていたら、あるイベント主催者が

「イベントを中止するべきか開催するべきか、

明確な指針がないと判断できない」と言っていました。

街の声にも同様な意見があり、

本当にこいつら.........。と思わず唸ってしまいました。

イベントの「全責任」は主催者にあり、

責任を負えないのならば計画するなということです。

同様に町の声は感染騒動の責任は

国にあり明確な基準を決めないのが悪いんだと

言いたいのでしょう。

(そんな声を選んで放送していたのです)

天皇誕生日の一般参賀が中止され、

東京マラソンの一般参加が中止された。

これは公共機関が出した明確な規範です。

彼らはこの事実をどう受け止めるのでしょうか。

それとも、こんな時のマニュアルがないので

どうしていいか分からない判断できないなどと、

お子ちゃまのようなことを思っているのでしょうか。

自分達が主催する催しの全責任は自分たちにあることが

なぜわからないのでしょう。

これから起きるであろうこと、良いことも悪いことも

全てを自分たちは負わなければならないし、

誰も代わりになってくれないのです。

「責任」の所在を知らない大人たちが、これから

この国を背負うのです。

そんな言葉を選んで報道しているテレビ局の

偉い人たちもまた幼稚なのでしょう。

スポーツなら決め事がなければ何も始まりませんが

それを人生に当てはめれば、実に無味乾燥です。

責任というのはルールではなく、「自分の意思で決断し行動し」

それが果たされた時は「やり遂げた」大きな喜びが生まれるものです。

国や地方の代表とされる先生方が、ここ十数年来流行らせきた

責任回避というより責任逃避体質が次の世代に

明確に影を落としている。

嗚呼

夫婦

あるご夫婦の命式です。

1940年 10月9日 男性

          1968年 28歳 戊子運 戊申年 丁巳月5月より同棲を始める

          1969年 28歳 戊子運 己酉年 丁卯月3月挙式

          1980年 40歳 庚寅運 庚申年 戊子月 乙卯日 
                        銃弾に倒れる12月8日死亡 

   日 月 年
   乙 丙 康
   酉 戌 辰

70 60 50 40 30 20 10
 壬  辛  康  己  戊  丁  丙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌

1933年 2月18日 女性

          1968年 35歳 戊午運 戊申年 丁巳月 5月より同棲を始める

          1969年 36歳 戊午運 戊申年 丁卯月 3月挙式

          1980年 47歳 己未運 庚申年 戊子月 乙卯日 夫を亡くす。

    日 月 年
    乙 甲 癸
    卯 寅 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 辛  康  己  戊  丁  丙  乙  甲
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅


ある夫婦と書きましたが、ジョンレノンとオノヨーコ夫妻の命式です。

教室の生徒さんに質問された夫婦の相性、運についての典型的な実例になります。研究してみて下さい。

夫婦

あるご夫婦の命式です。

1940年 10月9日 男性

          1968年 28歳 戊子運 戊申年 丁巳月5月より同棲を始める

          1969年 28歳 戊子運 己酉年 丁卯月3月挙式

          1980年 40歳 庚寅運 庚申年 戊子月 乙卯日 
                        銃弾に倒れる12月8日死亡 

   日 月 年
   乙 丙 康
   酉 戌 辰

70 60 50 40 30 20 10
 壬  辛  康  己  戊  丁  丙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌

1933年 2月18日 女性

          1968年 35歳 戊午運 戊申年 丁巳月 5月より同棲を始める

          1969年 36歳 戊午運 戊申年 丁卯月 3月挙式

          1980年 47歳 己未運 庚申年 戊子月 乙卯日 夫を亡くす。

    日 月 年
    乙 甲 癸
    卯 寅 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 辛  康  己  戊  丁  丙  乙  甲
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅


ある夫婦と書きましたが、ジョンレノンとオノヨーコ夫妻の命式です。

教室の生徒さんに質問された夫婦の相性、運についての典型的な実例になります。研究してみて下さい。

怒りの分析4

怒りの分析の一例です

どうしても怒りを手放すことができない。

分析などと言われても、そのことを考えるたびに感情が昂り

頭に来る。そのような方が多いと思います。

感情が分析の邪魔をするのなら客観的な視点が必要になってくる。

その場合、誰かに話を聞いてもらう事が一番です

けれど、それをしないのであれば答えは簡単です。

一つは話す相手がいない。または話す相手がいても、

話の内容が憚(はばか)られるということでしょう。

(話すことすらバカバカしいと思える方はすでに怒りから解放されています。)

「話す相手がいない、孤立している」 

「他人に聞かせられない理不尽な感情だと心の底では理解している」

このように自分の現状が見えてくると、少しだけ怒りと距離が保てます

孤立しているのであれば、孤立の原因から辿る必要がある

なぜ人と交わらないのか?

他人と交わる煩わしさを原因とするのなら自尊心の

強さが原因です。「自分にふさわしい相手がいない。」

(「他人と交わるのが怖い」というのは別の機会に書きます)


怒りには具体的な理不尽さから来る正当な怒りもあり

その場合は戦うことです。

ところが賢い人は、自己正当化のために

この大義名分をこねくり回し、怒りが増すごとに

人間が汚くなっていく。

怒りなどの強力な感情は前進力として使えれば

とても効果的ですが、相手を叩き潰して鬱気を晴らすことの

成功体験を得ると、いじめや破壊の快楽に溺れることになる。

しかし、面白いもので、このような人を見ていると

良心の葛藤に苛まれている人が多い。人相に現れています。

どんな人にも良心はあるのだなと変なところで思い知らされます。

モンスタークレーマーと言われる方も、煽り運転の加害者達も

この手の人なのでしょう。

自分ルールに従わない者への怒り。

自分が常に正しいと思い込んでいることが原因です。

事実だから言ってもいいじゃん、悪いことしたんだから

晒して罰を与えるのは当然など自分ルールからの判断です。

自己都合で、約束相手に譲歩を迫るのもこれです。

些末なことですが、デートの時間に遅れる人は

なんとも言えない言い訳をしますね。

残念ですが、遅刻が常習の彼氏彼女は結局

自分本意な生き方を選ぶ人で、お相手を孤独にしてしまいます。

人生のパートナーとしてはお勧めできません。

相手よりも優位で、相手を支配していると自負する

そのプライドが、自らの不幸を招く引き金になっていることに

気づける人は、あまりに少ないものです。

無料相談

お坊さんや 政治家や 大衆に なんとかセイヤとばかり言っていても

始まらないので、私も出来ることをしようと思います。

鑑定でご飯を食べているので無料と いきたくないのですが

メール鑑定に限り 一回に限りますが「人生相談」を受けたいと思います。

従来と変わらず秘密保持、非公開なので安心してお申し込みください。

一回のチャンスが有効にあなたの人生に働くことを祈ります。

縁切り

元交際相手等々 男女の逆縁による不幸の報道が

続く昨今 警察は民事不介入の原則を遵守し

死体が上がらなければ出番がありません。

婚姻等の法的な結びつきが証明される方は緊急の場合

空きがある時はDVシェルターに避難できるそうです。

身に迫るようであれば直ぐにお近くの警察等 

公共機関に相談してください。

ただ、一時的な交際相手に関しては避難の

対象とされないようです。難しい限りです。


私が相談された場合、どうにも出口が見えない場合は

神霊にお願いしてみてはいかがでしょうと答えています。

縁切神社

ネットを探せばたくさん出てくると思うのですが、

気休めでなく、実際、お陰をいただいている方も多く、

お勧めしても良いと思い、ここに書きました。

ただし、神社に行ってお賽銭をあげてお願いしますではいけません。

必ず社務所(神社の事務所)に行って縁切りの御祈祷をお願いしてください。

5千円が高いなどとケチなことを心の中で愚痴れば

だからストーカーするような奴と付き合うことになったんだよ。

またおいで、反省するまで願いは叶えないよと

神様に笑われて願いは叶わないかもしれませんので

注意してください。

(この人の心の中は 「縁切り」<「5千円」なのだと

証明されたことになりますね。このような話を聞けば

縁結びにもまったく同じことが言えることが理解できると思います。

神様は人間の使いパシリではありません。

頼るものを助けてあげたいと心を残されている魂です。

自分さえ良ければいいと言う卑しい心を嫌われます。) 

神の前では清浄潔斎を理想としますが、

素直に、自分自身を見つめることがその始まりです。


縁切りは女性側からのものとは限りません

男性から別れを望む場合もやはり多いものです。

多くは女性側からの独占欲と支配欲がその理由になり

男女の心根は異性に関しては差がないようです。

命令に従順でなければ男女とも暴力で従わせようとする

小さな物を投げ始め、最終的には一番相手の心に刺さる

ことがらをやり 従わせようとする。

英知を駆使してこれをやる。

多くの人が認めたくない、こじれた男女の現実の姿です。

だんだんとエスカレートしていく。

男性側は単純に暴力で対抗するので明確なDVとして

加害者として警察に認定されますが、実際の話は

よく調査しなければわかりません。

別れが必要だと思うのであれば別れることですが、

そんな強い人ばかりで無いのも事実です。

体と心の傷ばかり増えても、よくわからないという人もいる

それならば神霊に問うことで自分の未来を決めてみてはいかがでしょうか。

普通に笑って日を過ごせるようになれることを第一に願い、思うことです。

休校について

小学校の休校について

親の負担が大騒ぎになっているようですが

子供と日々の家事を一緒に考える最大のチャンスです

電子レンジの使い方を子供に教えていない

親の姿がテレビの画面にありました。

家事の手伝いをしたことのない子供

家事の手伝いをさせない親、これは親が悪い。

家庭の一員としての責任を子に求め自覚させる

良い機会です。家事を子供に依頼してください。

社会(家庭)の一員としての責任、他の人(家族)との

協力、争い、和解、等々 社会に出てから必要な全てが

家族から学べます。

親は教育者でなければなりません。

お米を炊くなど、本当に簡単な作業なのですが

それをさせる親の話を聞いたことがありません

自分が炊いたお米を食べる喜びを子供に是非

教えてあげてください。そして

男子でも女子でも、お前の炊いたご飯は美味しいねと

褒めてあげてください。

家族に貢献し褒められた子供は絶対に悪い子にはなりません。








3月2日23時16分 追記

専門家でさえ正体を掴みかねている状況で、その大親分のWHOの

言うことを鵜呑みにし、下船させ感染を増長してしまったのに

その専門家の意見を聞かない政府は間違っているというのは

いかがなものでしょう。

専門家といえど万能ではなく、ましてや特効薬さえ

できていない。

専門家絶対主義は自分の思考を停止させてしまう安易な

事なかれ主義です。何度も学んでいるはずなのに。

平気で思考停止情報を流すお昼の情報番組に対し

BPOは無反応です。

不確定情報を流し続けているのにもかかわらずです。

さらに子供から大人への感染は報告されていないと真顔で言っていた

ジャーナリストがいたとのこと

子供は人ではないのでしょうか?

大人だけを狙うウイルスなど聞いたことがない。

子供と大人の人口比率 罹患者の家族構成 

何もかも不明の都市でのデーターを丸呑みして

意見し、おかしいと言う。

政府に敵対したい気持ちは分からなくはないのですが、

今はその時では無い。

はっきりと敵(ウイルス)の正体が見え

具体的な対策の可否に対して意見するのが順番だと

思うのですが。



漢方の考え方に営気 衛気という考え方があって

栄気は栄養を体に送る気 衛気は細菌やウイルス等の邪気から

身を守る「気」とされていて気を体内に封じている子供は

この気が強く健康だとされています。

この意味では子供は感染しても発症しにくい事には納得できるのですが

子供にも個々に陰陽、強弱があり元々の気が弱い子は

この類ではありません。

この理屈から言うと元気な青少年達こそ

知らずに感染源となっている場合もあると言えるのですが、

どうなることやら

占いと運勢鑑定

「占い」と「運勢鑑定」について書いておこうと思います。

同じ四柱推命を名乗っていても、

「貴方は何人兄弟の何番目で、何年何月に結婚し、

子供は3人で、夫と死に別れている。」

「来年新しい男と結婚する事になっている。」

「先生その通りです。どんな人と出合うのでしょうか?」

「○○の関係の既に知り合っている人だ。」

「先生有り難うございます。」

評判の良い、よく当たる占師さんの一例です。

実際、実に見事に、本人しか知らない事を言い当てます。

(霊感占師さんでも腕の良い人になると、こんな感じです。)

では、私が学んだ運勢鑑定としての四柱推命と、

どう違うのでしょうか?

先ず、我々は、その人の元命式を見せて頂き、

最初に何を見るかというと、

その人の持って生まれた徳を見ます。

どのような環境に、その人があり、

その徳を潰しに来る敵が多いのか?味方が多いのか?

どんな人生の罠をこの人は持って生まれているのか?

そして、その徳を活かすためにはどのような努力が必要か

その上で、いつ、人生の攻めに出る時期か

守りに入る時期なのかを判断していきます。

言い換えれば、心の中にある、あらゆる未来を生み出す

「原動力の姿」を把握していきます。

その上で、相談者に

「どうしましたか?」と問い、会話が進められ、普通の会話が

すべて鑑定につながっていきます。

私の鑑定を受けた方は皆体験していることです。

どうでしょうか?

同じ四柱推命を名乗っていても、その「ありかた」に

これほどの開きがあります。

自分に合った学びをするのが一番ですが、

その違いを確りと知っておかなければ

あとあと悲惨なことになるものです。

良い鑑定士を目指す方にはいつでも門戸は開かれております

教室を選ぶ参考にして頂ければと思います。

運の動き

運を良くするには他人を思いやることだと

なんども書いてはきたのですが、なんともかんとも、

自分を思いやることを優先させてしまうのが我々人間です。

なんてったって利己的な遺伝子が組み込まれているのだから。

当たり前といえば当たり前なんですが。

結局、弱肉強食の世界になってしまう。

企業にお勤めの方も自営の方も、日々このような世界に生きている。

最前線で仕事をしている人にとっては毎日が

食うか食われるかの戦いです。

一番は身内、次がライバル会社、

その次くらいがクレーマーでしょうか。

さらに家族、友人、知人、実家ときりがありません。

「運」を良くしたいという人の本音はこの辺りが肝(きも)で、

自分に意見するやつの口を塞ぎたい、

ライバル会社を蹴倒したい、

文句を言う奴をなくしたい、

もっと自由に仕事をしたい。

もっとたくさんお金を稼ぎたい。

「運」さえ良くなれば、絶対にうまくいくはずだ。

誰もが生活の中でめんどくさいトラブルにぶち当たった時

一度や二度は考えることことです。

こんな時、持って生まれた運の良い人はどう

考えるかと言うと、「運」は二の次にして

対外の場合でも対内の場合でも、

トラブルの原因追求とその対処法の模索

人間関係の場合は当事者間のコミニュケーションによる

感情のコントロールを機械的に行い、

相手に対する好き嫌いの感情を排除していきます。

感情的な結びつきを手放せれば、お互いの責任を担保にした

信頼関係を築き、人間関係が円滑に回り始めます。

(これは夫婦関係にも当てはまることです。)

この辺りが出世する人の特徴です。

責任という代償を払いながら、

自由と財産を手にすることができる。


面白いですよね。運の良い人は運勢には興味を持ちません。

しかし、そのような人達であっても、時に大崩れする時があります。

大抵、大崩れの原因は日頃の素行から生じています。

運が強いが故に、おごり、努力をできない人達を見下し、

叱咤した恨みが積もり積もったり、

目立ちすぎたために生じた妬みや嫉妬、

それが遠因となり「出会い」が生まれます。

一見すると運の強さに引き寄せられたり、引き寄せたりと

持って生まれた「気」の相性で結ばれてしまう関係など様々ですが、

不倫からの離婚その結果の家庭崩壊等々。その背後から

「ザマアミロ」の声が聞こえてくるようではありませんか。

2、3歩、運勢鑑定から外れているように見えますが

私に見えている運の動きというのはこのようなものなのです。

だからこその身を守るための「戒め」としての「十戒」なのです。

1月3日 2024年

新年早々の投稿が、こんなことになるとは思いませんでした。

元日の地震

それでも。被害にあった帰省中の方達は本当に気の毒ですが

帰省中ゆえ家族を守れた方達も沢山いたに違いありません。

本当に、糾える縄の如しです。

いついかなる時、自分の身にそれが降りかかるのか、

自然災害に関しては全くの無力です。

二日 羽田の事故

日々の緊急事態の備えにより日航の乗員スタッフや

羽田空港会社は最悪の事態を回避できました。すごいことです。

現場は平和ボケなどしていなかった。ありがたいことです。

事故に遭われた保安庁の職員の方々のご冥福を心より

お祈りいたします。


今も、これからも、地震の被害に遭われた北陸一帯の皆様

数年間にわたり、どれだけ沢山の公務員さん達が必死で仕事を

なされるのでしょうか。想像すらできません。

嫌になったら辞めればいいのにも関わらず、阪神淡路の時も

東北の時もそうであったように、皆さんはやり遂げるのでしょう。

本当に感謝しかありません。しかし、膨大なクレームも予想されます。

職員さんたちの心のケアーの専門家も必要です。


かつて、当時の総理大臣が現場を見ると主張し取り返しのつかない

原発事故が起きてしまいました。

せめて、国会議員の先生方には、くだらない見栄と権力で

平等な復興を邪魔しないで欲しいものです。

今の総理大臣は他国にお金を使い国民には重税を強いる、

外づらが良いだけの経済を知らない人です。

開成ー東大閥のエリート達は国内への関心がない人が多いようです。

元々の能力に恵まれた人達が努力をして今の地位を得たのであれば

外国の、自分達と同じエリートに対抗する意思はあっても

普通の、我々のような庶民を気にかけないのは当然かもしれません。

まさにエリートの世界に生きるエリート達ですね。けれども、

「グローバル化」の呪縛により他国からの圧力に飲み込まれ

負けている。GDPを上げられない。個人のGDPも他国に

抜かれる一方です。

一体全体、誰が自分を不幸にする国を愛せますか。

本当におバカとしか言いようが無い。

自民党内でもう少し内政もできる外交もできる万能型の

人物で身の回りが真っ当な人を次の総理大臣にできないものでしょうか。

公務員さんの「現場」と「本店」の話が生まれてから、

相当な年月が経っていますが、どんな組織も本当にリーダー次第なのです。


救世主はこの世にはいませんが神や仏を自分の心に宿すことはできる。

これを「信念」とか「覚悟」とか昔の人は言っていました。

我々は「備えること」と「手放すこと」を日頃から意識していれば

間違いなく誰にでもできます。具体的に言えば

「仕事でも、なんでも生きる努力を惜しまない。」これが「備えること」

「自分の器に無いものを、ねだらない。」これが「手放すこと」

ともに「自立する」と同じ意味で私は使っています。

自立することは他人にとやかく言われることではありませんが、

間違いなく自分を知る生き方であり、他人を知ることになる生き方です。

相手を支配することをやりたがる男女を時々見かけますが、

どちらかが壊れていくのは事実です。



何があっても慌ててパニックを起こさないこと。

しかしこれは、

我々日本人の肚(はら)の中には既に根付いているものです。

だから大丈夫です。

良き年となるよう、それぞれの神社にお参りに行きましょう。

神恩感謝からですね。

運勢

人は、特別な環境を得ない場合

持って生まれた星に、その選択行動を

8割がた支配されています。

わかりやすく言うと、浮気の星(星の組み合わせ)

をもっていればほぼ8割浮気に走る。

(ここで言うのは所謂、世間で言うような、

神殺星がついているからという意味ではなく、

星の組み合わせです。)

しかし、その組み合わせが理解出来れば、その解き方が

わかってきます。
ここが本当に大事な所なのですが

残念ながら、一般には「運命」「因縁」だから.......。

で諦め、それでも苦しくて、もがき、傷が深くなり過ぎて

治しようがない場合が多々ある。

本当の鑑定は病気の治療と同じです。

病の原因を解明し、悪さをしている原因を

取り除き、傷んだ病巣を癒し、健康な姿に戻す。

ここが一番難しいのですが、これを依頼者本人が

自分でやらなければ意味が無く、他人を頼っているかぎり

救いがありません。

これも例をあげると

ある女性が寂しさが原因で苦しんでいました

それを相談されたある占師が、寂しいの?そう、じゃ

私についておいでといって、男を拾いにいっしょにでかけ

その女性にあてがいました。

(かなりボカしてありますが驚くべき事に、実例です。)

また、精神科の医者と患者でよく起きる「転移」「逆転移」

と呼ばれる恋愛関係を占師と呼ばれる人達が時々やっています。

敢えて言いますが、これは「げすの極み」です。

自助努力、または自力更生以外に運勢の罠から逃れる術はありません

それを意識し、自らの足で立ち上がる、始めの一歩を踏み出せれば

意味の無い苦悩の半分は消えます。

あとは努力の苦しみだけです。

そして、中途で挫折したとしても

記憶の中に、己を知り、前を向こうという遺伝子が残っていれば

運が廻って来た時、必ず、もう一度立ち上がろうという勇気が

湧いて来ます。運とはそう言うものです。

「教室はじめの一歩」に書いたように

運は巡るもので、誰にとっても

1年間はその1年の運が平等に周ってきます。

同様に月の運も日の運も巡って来る

そして自分自身を知る事さえ出来れば

必ず、ふっと身体が軽くなる時に気付きます。

そのときが立つ時です。

この世の中は、あらゆるものが、生まれ、流れ、姿を変え、消えて行く。

当たり前の事ですが、播かない種は実らないし、

まかれた種は縁を与えなければ花を咲かせません

どんな花を咲かせるかは自由ですが

10なる善業を積めば良き実がなるよと

仏さん達は、おっしゃっています。

(よく考えて下さい。悪い種も同様に、縁を与えなければ

花は咲かない。悪の花が咲くような縁ばかりを心の中で積めば

おのずと花は開く。数学の公式のようなものです。)

ある夫婦2

相性について世間で言われている相性と実際の相性との格段の違いを見るには良い例です



主人 
       辛 壬 丁
       酉 寅 亥

77 67 57 47 37 27 17  7
 乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
 未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅

妻 
        丁 戊 癸
        巳 午 未 

73 63 53 43 33 23 13  3
 乙  甲  癸  壬  辛  康  己  戊
 丑  子  亥  戌  酉  申  未  午


ある国のトップになったご夫婦の命式です。妻とは掠奪婚の関係で、世話になったかたから奪った形での結婚でした。

教室

この教室で教える運命学の特徴は大きく分

けて二つあります。

一つは鑑定の実力が付き始めて初めてわか

ることなのですが、どんな啓発セミナーよ

りも無理なく人としての成長のための必要

な気付きが生じ始めます。

大抵のかたは、トラブルが発生し見たくも

ない自分を見せつけられたとき、(うまくいけば)

この「気付き」が起きるのですが、

この教室では運勢を学ぶことでこれを身につけることができます。

もう一つは我々の学ぶ推命学は「抜苦与楽」を理想とし、

人の苦しみを解き、『あたり前の楽』に至る道を指し示すことにあります。

「あたり前の楽」とは、円満な家族があり、定職があり、

莫大なお金には恵まれなくとも食べるのには困らず、

人生に波風が起きても逃げる事無く立ち向かえる知恵を練ることです。

少し前までは平凡な当たり前の人生と言われていた生き方ですが、

最近は失われはじめているように思われてしかたありません。


世の中には人の「欲」を煽(あお)る占いや鑑定が多々あるのですが、

それとは違うものでありたいと思っています。

プロスポーツと原命式

運動と運勢についての質問があり、面白いなと思い書いておきます

天才は運勢には現れません。

時間と本人の努力の力積が天才を生み出し、

彼らにとって努力は苦痛ではなく喜びなのです。

学ぶことが楽しくて楽しくてしょうがない。

鍛錬の苦痛というのが喜びそのものに繋がっているのです。



それでは「運勢なんて何よ、」となるのですが、

運勢は個人の持つ能力と社会性を支配する基盤のようなものであり

固定されたものでもありません。

条件によって一瞬一瞬変化するのです。


持って生まれた星の中にはお金や出世に関する星もあるのですが

集団の中で他人と円満な社会生活を送れる能力の有無により

それが吉として自分の財産になる人もいれば、

執着や凶暴性の現象を起こす引き金になることもあるのです。

いじめや暴行などというのもこの現象の現れです。

命式の全体を見ずに、一点の星だけを見つるめることの危うさを

知らなければいけません。


我々が他の人達と相互依存して社会が成り立っているように

運勢の星というのも相互依存しているのです。

最近は相互依存していることを忘れ、自己主張というより

その場のノリで他人を傷つけたり

騙したりする人が増えていますが

結局 自分の内にある闇を深めることになってしまう。

自分が一番されたくないことを他人にすれば、

自分の中には間違いなく、その記憶が残る。

心が濁るのです。

人の記憶はなかなか消せません。何かの折りに吹き出て来る。

それが一生続くのであれば、やらないに越したことはない。

尽きることのない闇です。

一番楽な生き方 2

寝覚めの悪い方がいるようなので

十善業を解説します。

行為について   殺生 偸盗(ちゅうとう)邪淫

言葉について   妄語(もうご) 両舌(りょうぜつ) 悪口(あっく) 綺語(きご)

こころについて  貪欲 害心 邪見(じゃけん)

この10の行為を言うのですが、実は、驚くなかれ、

これが業のもとになっていると仏教では言うのです

つまり、この行為により地獄のような世界生まれたり、

餓鬼のような世界に生まれたりすると仏家はいいます。

まさか、こんなことで?

本当に「こんなこと」程度なのか検証しましょうね。

実は、この10の行為自体も問題なのですが、

この行為におよぶ動機がまた問題で、怒りによる動機、

欲望から来る動機、なんも意識せずに、

ただ、してしまったという動機(これを無知と言います)

それぞれにより、死んだあとの行き先が違うというのです。

怒りは地獄に、欲望は餓鬼の世界に、無知は動物の世界に流れる。

またそれぞれの動機が激しい場合は地獄に、中くらいの場合は餓鬼に

軽い場合は畜生に生まれるそうです。その動機が軽いか重いかは

死んでみればわかるということです。

なんとも皮肉な言いようですが、そうとしか言えないようです。



これから、それぞれの行為とそれがどのような結果をもたらすのかを

もう少し詳しく解説して行きます。

9月26日

ヒーローが現れると紙媒体が売れるようですね。

藤井二冠のおかげで、関係書籍(雑誌)が

飛ぶように売れているそうです。

私も本屋で見ましたが、写真がよく撮れていて

この子、勝負しだなとつくづく感じます。

A4サイズ(?)の雑誌は持つのにも手応えがあり

パソコンの画面では得られない迫力がありますね。

雑誌を手に持つ楽しみを思いだせました。

心が疲れたら、自分が何歳であっても、子供の頃や

青春時代に夢中で読んだファッション雑誌や、

似かよったものを、もう一度購入して眺めてください。

過去の思い出にリンクできれば、強烈に脳疲労が癒されます。

お洒落や、夢や、大事な思い出は、こういう時のための

一生の宝なのです。

好きだった漫画や雑誌を手に取って見てください。

語り合い、共感できる人がいるのであれば、さらに効果的です。

しばらく過去の懐かしさと幸福感に浸り心を癒し、

休憩することです。

ロボットでさえ油をささなければ部品が摩耗し壊れていきます。

人のこころもまた同じです。摩耗した心には癒しが必要です。

癒しというのは、生命力自体や自分自身の過去の記憶と

繋がることが大事なことなのです。

2021年にむけて

このような時代になって、ちゃんと言わなければならないと思い

書くのだが、

この世界はすでに棲み分けが済んでいる。

子供の頃から真面目に生きてきた人には、

それに見合う世界があり、つまづいてしまった人も同様である

それぞれの世界にもまた、格差があり、階層があり

人は平等であるというのは権利義務の世界の話だけである

けれども、どの世界でも、コツコツ真面目に生き、

周りの者から信用されれば大事にされる。

たとえ前科があっても、心からの更生を認められれば

周りの人間が守ってくれるから、その世界で生きていけるものだ。

しかし、一時的な誠心誠意では人は承知しない

何度も何度も試され、忍耐の修行を強いられてしまう。

信用を得るためには忍耐が必要なのです。

そして必ず許される時が来るものです。

誰に?

それはあなたの身近にいる人が、「頑張ってるね」の

一言をかけてくれたり、笑顔で缶コーヒーを奢ってくれたり

あなたを知っている人達が特別な目で見ることをやめ

平凡な日常に戻り始めた時、胸が熱くなり、

自分の犯した過去に、自分が謝れることができた時です。



どこかに書いたが個人の持つ幸福論というのは

人それぞれで、忍耐するのが嫌だというのなら、

もっと楽な方法もある。

それは「お金」で信用を買うことだ。

忍耐もいらない、誠心誠意もいらない。

「銭で買う」ということだ。

バブル時代、多くの人が、これをやり、しっぺ返しを

自分の子供達にやられていた。札束で人の頬を殴る親を

誰が信用するのか。

どう考えても、お金がなくなれば、従う人も

信用も今まで謳歌していた自由も消えていく

この世の人の7割方はすでに棲み分けを終えている

残りの3割は子供のことで、自らの意思で選択できる子は

さらに少ないかもしれない。

個々が住み分けし、その人だけが見える景色と

人間関係がある。

誰かに変わってもらうことなどできやしない。

だからこそ、ここで学んだ推命学は、あなたの世界で

初めて生きた推命学になるのだ。

「力」のある推命学だと思っています。

物事の解決はできないが、解決に至る道筋は

つけることができると思う。

皆さんが求められる年に来年はなるかもしれない。

頑張ってください。

将棋界

藤井聡太二冠誕生で、なんとなく世間は

盛り上がっているようです。

明るい話題がない中18歳の少年が

「鬼の将棋差し」達の冠を二つも取ったのだから

もっともですね。

私もamebatvの実況をひねもす見ていたのですが

解説もそうなのですが、おもしろかったですね。

盤上で、負けたものが勝ったものに頭を下げる。

その繰り返しを20年 30年この人たちは

やり続けているのです。

負けることでどれだけプライドが傷つくものか。

藤井さんも、子供の頃将棋に負けた時は

盤にかじりついて泣いていたそうです。


渡辺新名人の話です、

ある人が名人に、奨励会の三段から四段(プロと認定される)へ

上がる時、何か特別な思いがあったのですかとの質問に、

みんなそうだと思うけれど、

上がれる人は何にも考えずに上がっているんだよね。

だから、そうゆうの無いよと答えていました。

だから棋士のプロというのは特別な人達の世界です。

たかが将棋、されど将棋の世界です。

生身の人間が自分の存在をかけて魂からぶつかり合う

凄まじい世界です。

18歳の少年にタイトルをとられ他の者が奮起しないわけがありません。

虎視淡々と狙っています。

将棋観戦という実におもしろい趣味を見つけました。

コロナ禍

大阪の十三(じゅうそう)市民病院の医療体制が崩壊しかけているとのこと。

「go to」に巨大な予算を当てられても、

医療は自前でというのが政府の方針のようです。

経産省と厚生省の勢力の違いがまざまざと見え、

政府は、国民の命よりも、経済を優先したいということでしょか。

このように緊急の事態が起きた時こそ

国の姿勢がよくわかるのものです。

いろいろな現場の話を聞くのですが、医療に限らず、

結局、組織が至らぬ現場は、個人のマンパワー頼りに尽きるようです。


コロナの第二波はどう考えても「go toキャンペーン」が引き金です。

政治家お得意の因果関係不明説は、このさいどうでもいいので

今回のような特別な場合に対しての医療関係者に対する

手厚い手当てを偉い人たちには考えて欲しいものです。


今月あたりから諸外国ではワクチン接種が始まり

一時的には落ち着いてくると思いますが

「コロナウイルスはどこにでもいるよ」の時代

ウイルスお得意の変態しながら宿主に隠れる戦術で、

いったん消えてもチャンスが整えば再び現れることの繰り返しが

今後のあり方でしょう。

試練の時はしばらく続くようです。

(ちなみに、試練のあとには必ず美しい花が咲くものです。どのような花が咲くのか実に楽しみです。)

8月9日

昨日久しぶりに明治神宮を散歩してきました。

山手線も驚くほど人が乗っていないのには

驚いたのですが、それよりも、神宮の杜で

ツクツクボウシの鳴き声を聞いたことに驚いた。

家の近所では一昨日ミンミンゼミが泣き始めたというのに

ここではツクツクボウシ。

私の中では夏が3日で終わろうとしている。

セミの泣き声から察すると、あと2週間も過ぎれば

この暑さも落ち着くはずですが、無理かもしれません。

コロナウイルスは東京型に変化したとの報道があります。

毒性が弱い、風邪程度の物に変わってくれていたら

嬉しいのですが、そう、都合よくは行かないかもしれません。

ずいぶん昔から、世界は混沌に向かっていると誰かが

言っていた気がするのですが、

ウイグル問題をどこかの番組でやっていましたが

反抗した途端、足元から大地に飲み込まれ、

何もなかったかのように装われ、

時間をかけた静かで徹底的な民族浄化が起きているようです。

50年、100年の計で純粋なウイグル人は消されていくのでしょう。

伝統を持つ年寄りたちの死ぬのを待ち、子供たちには中華教育を施し、

大人たちを隔離し民族文化の継承をゼロにしてしまう。

族誅という言葉が

今でも生きているのが、この国の本当の姿です。

中華皇帝の時代と何ら変わりありません。

食と色と銭が保証される代わりに忠誠を義務づけられ

思想信条の自由を放棄させられた中国人。

我々の中にも平和で経済が回れば、どこの国でも

いいんじゃない。監視カメラで見張られていても

悪いことしなければいいんでしょう。と嘯く人たち。

けれども、すでに我々の持つ携帯端末には

全て紐が付けられているし、アプリにしても同様です。

便利さの向こうにある管理者の姿。

便利さを追求すればするほど社会が複雑になっていく。

法律の専門家の方たちも社会学者の先生方も政治家も

一国主義を主張する国家を含めて、全く新しい世界構造と

ルールを考えるべき時代に入っています。

若者に託さられた未来は明るいのか暗いのか。

結構重要なことですが、こんな問題でも

気付かぬふりをしていれば、頭の上を過ぎていきます。

魯迅や老舎の描く市井の人々の姿です。

誰も悪くはありません。ただの時代の流れです。

原命式

原命式について

原命式を考えるとき 

しっかりと心得ておかなければならないことがあります

それは、生まれた子供は真っ白な状態で生まれているということです。

逆に言えば、真っ白でないものは人として

この世には生まれて来れない。

相変わらず地獄の業火で焼かれ叫び続けているか 

極寒地獄でワナワナと震えながら痛みに耐えているかなのです。

地獄自体も個々の心が作るものだと唯識では説きますが

罪の意識を本人の中で完了するまで責めが続く

自分が犯した行為に対し、自分で自分に罰を与え続け、

痛みと苦しみを代償に、許しを乞うている姿こそが地獄の姿だと

私は思っています。

(前にも死者の在り方を書いたことがありますね)

肉体がある内に行動し罪を償うことができるのであれば

これに越したことはないのです。

その段階が終わり転生という形で人としての肉体を持ち

自由に行動できる能力を得て人はこの世に生まれている。

このチャンスを大事にしないといけないですね。

話がそれましたが、このように生まれた時は無垢なのですが

それが持って生まれた運勢(前世からの余気 種)と

環境による影響(縁)で、どのように育つかを予想するのが

推命学なのです。



人の成長に資する鑑定ができなければ鑑定士としても

占い師としても失格です。

安倍首相の退陣

昨日8月28日 安倍首相の退陣速報。

お疲れ様としか言いようがありません。

1万円を割っていた株を2万円代まで伸ばし

為替を正常化させた業績、度重なる自然災害への対応等々

本当にお疲れ様でした。

ただ、愚弄とも思われる国会議員も与党を中心に

ゴキブリの如く増大し 長期政権の負の遺産そのものです。

この責任は重い。

野党もマスコミも馬鹿の一つ覚えのように安倍降ろしを

叫びましたが、叫び疲れて抜け殻のようになり大衆にすら

そっぽを向かれ逆に右傾向化を促進してしまったようにも

感じられる。反マスコミはカッコイイとの理屈です。


安倍さんの側近たちの戦略でしょうね強権に対する対抗勢力の自滅を

誘った罪は重い。マスコミもいい加減に反日 親韓中に見える態度を

改めてくれると、もう少し社会が回ってくると思うのですが、

無理な話でしょうか。

一から国造りができる腹の据わった、骨のある議員さんがトップにつくことを

心底期待したいと思います。

道案内

先人達の推命研究に命稿集というのがあります

実際に生きた方達の生年月日の解説です

特に名の知れた歴史上の人物、作家や研究者

宗教家や政治家などを実例としてあげているものです

私も何冊か持っているのですが、

推命に関する解説についてのコメントはさておき

どうしても気になるのが、作者が対象の人物の

偉い所探しに終止し、通変星や各局などを

その方向からしか見ていない先入観からの鑑定で、

こんなんでいいのかな?と

心底、冷え冷えとしてまいまいます。

元命式は人の魂に刻印された過去からの

メッセージそのものだと私は思っているのですが

残念ながら人の魂はほとんどが

パンドラの箱そのもので、その中で

もがき、苦しみ、人生の目標を定ることができ

努力を積み上げ、その結果時代に添ったものは

時代の寵児となり、我が道を行ったものは

時を経て評価されるというのが、実際の

世の中ではないのでしょうか。

もがき苦しみ、それでも前を向き歩き続けた人々を

くだらない運命至上(絶対)主義で人の努力を

ないがしろにするような解説にはほとほと

嫌気がさします。星を見て人を見ていない。

パンドラの箱の中に我々は誰でもいる。

だからこそ闇に慣れ親しんでしまった人にとって

光は無くてもかまわないものになりやすく

自分の姿がぼんやりとしか見えない。だから、

餓鬼のように、満たされることがありません

そして、時が過ぎ、当たり前のものとして

得られたものが得られなくなった時

始めてその当たり前が、実は特別だったことに

気付きます。でも、そのときは遅い。

人の運勢とは困ったもので、

それまでの生き方の果として

最初から運勢に刻まれた未来に待っている

凶の運が強い場合いまなすべき

一番大事なアドバイスが耳から落ちていく。


人を活かすのも倒すのも推命の多様性の一つです

教室の生徒さんは是が非でも希望の光を見つけるための

道案内人になって下さい。

両義

(話はすべて太極論が基盤と成っています。)

相性について、いろいろと悩んでいる方が多いのですが、

どこかで占ってもらうよりも確実に正確な相性判断方法があります。

お付き合いを始め、より親密な関係になったとき、

そこにはお互いが両義となり、太極が生じます。

するとその太極から万象が生じてきます。

万象って?

万象というのは、良いことも、悪いことも、そうでないことも

生じるという意味です。お付き合いを始めてからの

お互いの環境の変化をよく観察してみてください。

観察して何が見えてきたでしょうか?

とりあえず順調に動いていれば、それは順のご縁です。

問題が生じてきたとしたら、それは逆のご縁です。

たとえば、本当の意味での友人や、子供の頃から親身になって

話を聞いてくれた叔母さんなどが反対し始めたり、

(これは解りやすいので、いいのですが)

親の仕事がうまくいかなくなったり、家庭内がもめ始めたら

その原因の一端はあなたにあるということです。

バタフライ効果と、呼ぶ人達もいますが、

新しい両義が結ばれれば、太極が生じ

さまざまな影響を既にある世界に及ぼし始めます。

考えてみれば当たり前のことですね。

そう考えると、あらゆる人は日々、刻々、

何かと縁を結び、強い結びつきであれば

そこに、自分対人、思想、もの、風景等々あらゆる情報との

両義が生じ、太極が生まれる。

そして幾重にもその層は重なっている。

(年齢とともに、好奇心とともに日々、生じつづけ、消え続けています)

それが、その人の人生を形作っていくのです。

さらに、その太極は恒常ではなく、両義の縁が

弱くなったり、強くなったりすることによって

ほどかれたり、結ばれたりを繰り返し世界が変化していきます。

卑近な例に例えると、付き合う男によって、化粧が変わったり

出入りの飲み屋が変わったり、他人の目線が変わるということです。

すなわち、自分が悪いことをすれば、自分と悪が両義を結び

太極がうまれ、悪事が生じる、それは悪事だけにとどまらず、

本人の親にも、子供にも、大事な人たちにも、その影響が

必ず生じてくるということです。

因果応報などというものではなく、生きる世界そのものに

変化を及ぼしてしまう。

これが私の易の行き着いたところです。


両義、太極 四象 万象というシステムは不変であるー不易

両義の結びつきは常に変化し、重層にも重なり、

人は、あらゆるものと太極を結ぶこができ

ほどくことも、結ぶこともできる         ー変易

太極を良いものにすれば、良い世界が生じる

太極を悪いものにすれば悪い世界が生じる、

このように単純明快な世界です。         ー簡易


私は易の三義をこのように解釈することにしました。


生きるということは、この太極というシステム

そのものです。

じゃあ、どうすれば、しあわせになれるのよ?

答えは、単純に考えることです。

不幸の原因と太極を結ばなければ、不幸は生じません。

理屈でいうとこうなります。間違ってはいません。

けれども、ほとんどの人が、それなりの事象とご縁を結んで

この世に生まれてきている。

(私自身が推命術を研究して得られた結果です)

良いご縁であれば、それを順運として伸ばせばいいのですが

生まれながらに何かで苦しまなければならないような逆縁と

両義をむすぶ命式もあります。

十人十色です。

しかし、もし、あなたが成人であるなら、

幸せになりたければ、まずは不幸の原因と手を切ることです。

短気が原因であれば、短気を、

押しに弱ければ、抵抗するだけの胆力を

仕事ができなければ、仕事のスキルをあげる努力です

また、仕事というのは向き不向きがあります。

たとえば本人の気が優しければ、それに見合った

仕事を探せば円満な両義が生じ、太極となり

円満な世界が生じます。本人も満足出来る人生になる。

競争心が強い人であれば、営業成績がものをいう世界に

入れば、やる気も結果もでるでしょう。それなりに

満たされた世界です。

持って生まれた気質がプライドの高い人であれば

そのプライドに見合う、技術なり資格なりを

身につけ、他から頼られれば満足でしょう。

etc、etc

この太極、両義の考え方は、こらんのように

あらゆる場面に当てはまるものです。

信仰や思想信条なども同じです

縁は似た者としか結ばれません。

強欲な人は強欲な信仰と結ばれ

支配欲の強い人は絶対権力を目指す思想信条を選び

自分の世界を生み出していく。

わかってしまえば単純明快なことです。

人が生き物であるように、運勢もまた有機的にできているのです。

1月24日

イノベーション 1

8月28日月曜、曇り、昨日に比べれば過ごし易い気温です。

過ごし易いは良いのですが、こうなると夏の疲れが、

一気に出始めるので要注意ですね。

ところで、イノベーション

という言葉をご存知でしょうか?

最近の経済誌等で頻繁に使われる単語です。



私はデイリー新潮のこの記事で

ふーん、そうゆうことなんだと、疑問に思っていたいろいろなことが一気に納得できたのです。

それは、この書評の冒頭のこの部分です。

「泳ぐのを止めたら死んでしまうのはマグロだけではない。企業も同じだ。現状に安住し、足を止めたら、いずれ命脈は尽きてしまう。日本企業が海外勢に押し負けるようになった大きな理由も、まさにそこにある。成功体験に縛られ、官僚化した組織では、自らを作り変え、新たな命を吹き込むようなイノベーションが生まれにくくなるからだ。」(デイリー新潮より一部転載)

面白いでしょ、新発想、技術革新、新しい視点からの行動をイノベーションの意味で捉えると、

「官僚主義」という言葉の意味が実に鮮明に見えてきます。

そして、それは組織と個人の「保身」の一言で片付いてしまう。

時間は前に向かっているのに、

変えることができない後ろばかりを見ながら、

前に流されている姿です。

後ろばかりというのには語弊があるかもしれませんね。

過去のルールを遵守しつつ、いまを生きていると

書けば、これに乗っかっている人からの抵抗は少ないかもしれません。



問題は、実は我々も同じように、

なにがしかのルールに縛られたままでいるということです。

そして、

当然、

運勢(命)研究のサイトなので社会規範の話ではありません。

心の中にある、

自分自身の中にある思考と嗜好のルールについての

話になります。

(皮肉なことですがネガテイブな面もポジティブな面も「保身」の穴蔵の中で同居しているのです。)



昨日の講義での話しですが

ご婦人からの相談を受けた生徒さんが

主人がうるさいので別れたいがどうか?

という、ありていの相談をされ

実にしっかりと鑑定もでき、指導もされていたのですが、

「なぜ、ご主人がうるさいかの理由はわかりますか?」

の問いには沈黙されていました。

もし私だったら腹のなかで、

それがわかれば、こんなところに通わないぜ。と悪態を

ついていたかもしれません。

(でもこれ、ある程度のレベルにある生徒さんには

次の段階への大事な階梯なのです。)

口うるさいオヤジに対する一般的な「なぜ」の理由は

たくさんあると思います。

しかし、その理由が明確に命式の中に書かれている

場合もあるのです。

そして、それを見落としてしまうと

残念ですが本質的な解決に至りません。

別れる、別れないは本人達次第ですが、

彼らがその理由を理解し、その上で、

ともに時間を過ごすことにより、

今までとは全く違うお互いの理解が得られ、

過去の姿が誤解の集積物として崩れ落ち、ただ、

大事に思えるようになれたという事例が

実際、たくさんあるのです。

基本、人というのは、自分をわかっているつもりでも、

だいたい6割わかっていれば御の字で、

ましてや他人のことなど

表面的なことしかわかりません。

結構時間をかけて夫婦になっても、

ほぼ、無理なのです。

天地人

天地人

十干、天にありて対すれば合し円満を望む、

地に落ちては対し相背き、天の倉となり

図らずも天徳を汚す。

天地の間に人生まれ、その徳に従い天地の徳を得。

個の徳、系譜の徳と同期し、その家に生まれ、試練を受ける。

その目的は何ぞや?答える術無し。

ただ人生あるのみ。

7月27日

東北地方に災害級の大雨との情報が出ています。

犠牲者が出ないといいのですが。

コロナ禍が重なり、もしもの場合の避難所での対応を

地元の方たちも苦慮しているのではないでしょうか。

知恵を絞っての避難計画だと思われます。

九州地方の自治体との情報交換とかはされているのでしょうか?

情報での助け合いがされているといいのですが。



それにしてもテレビの報道は、コロナの罹患者が増え

どうしていいのか分からないなどと、

ふざけたことを言っていますが、マスコミは

政府の犬ではないのですから、先ずは、遊びに出かけるな。

たむろするな、自粛しろ、さびしんぼうはリモートを利用しろとハッキリ

言うべきです。

感染のリスクを下げることだけが我々個人にできることです。

各国では今凌ぎを削ってワクチン開発に取り組んでいるはずです。

何やら、ワクチンもできていないのに何億個買い占めただの

産業スパイが国家規模で行われているのだのとホントか嘘かわからない

情報もあるようですが、有効なワクチンはできると思います。

それまでは辛抱することです。


経済が回らなくなると、組織が閉塞し腐れが現れるというのも

事実です。もし徹底的に話し合う機会があるのであれば、

逃げ場を塞いで話し合うことが腐れには一番効きます。

膿を出す作業を遅らせると全体に腐れの毒が周り

本体が死ぬことになる。残酷なように見えますが、

必要な治療です。躊躇する必要はありません。

切られる悪性新生物を可哀想という人はいません。

(いや、コロナは人類の為だと言っていた人がいたので、そうゆう人もいるかもしれません。)


明けぬ梅雨は無いと言いますが、それにしても長い雨です。

適度な脱力と緊張のバランスを維持することが

日々を安全に過ごす鍵になるかもしれません。


強い人であれば問題ないのですが、

恋愛に悩む人は、悩むこと自体が心を重くする原因になる。

告白するなり、思いを形にしてしまった方が楽になれます。

仕事に悩む人は、これから2、3年のコロナ禍による社会の

変化を見てから動くかどうかを決めてください。

今辞めれば路頭に迷うばかりです。

羽田空港

やるとは聞いていたのですが、本格的に羽田の新ルートが

始まるようです。2分に1便とのこと。

今は静かですが、この辺りも騒音に悩まされそうです。

訳もなくイラつく刹那的な怒りの心に、

引っ切り無しに頭の上から油を注がれるわけですから、

しばらくは嫌なことが起きやすいかもしれません。


その昔、伊丹空港付近を何日か歩いたことがあるのですが、

そりゃ、ひどいもんでした。今も変わらないと思います。

当時訪ねた知り合いは騒音でノイローゼを起こしていました。

努力しても、どうにもならない騒音が、

個人のストレスと混ざってしまうと

心が壊れて行きます。騒音には慣れるという人もいますが、

どんなものでしょうか。結構な時間がかかると思うのですが。

基地の町、沖縄の苦しみのほんの一端をこの辺りの住民は

身にしみて感じなければならないのかもしれません。

令和の時代の、刹那的な犯罪の要因がまた一つ揃いそうです。




日韓問題も結局は、

金正恩さんに徳川慶喜公になっていただくのが

もっとも平和的な解決方だと思うのですが.......。

安全な亡命先と一族の衣食住と命の保証を引き換えに

国の経営を世界に委ねてしまう。

高麗連合よりはるかに現実的です。

高麗維新とでも後の世に呼ばれるかもしれません。

親たちを凌ぐ本物の英雄になれると思うのですが。

いかがでしょうか。

日本政府も、この線で動いたとしたら、

大したものです。50数年間止まったいた

極東の時間は動き始めると思います。

そのように易神の語る物を解釈しているのですが

時に占いは人智を超えて不自然に面白いものです。

6月25日

都内での感染が増えてきました。

あるお医者さん曰く、診断には関係ないのですが

今年の秋冬はインフルエンザとノロウイルスとコロナ肺炎が

同時に来るのでその前に健康診断等は済ませてください。

とのこと。

今年あたりから、

健康診断にコロナの抗体検査が入るかもしれませんね。

全体的なPCR検査も罹患者や医療関係者に対する

差別を見ていると無理でしょう。

(各テレビ局が毎日医療関係者に対して毎日感謝を語っていますが、

実に変な気分にさせられます。

無意識の差別のように感じられるのですが。私だけでしょうか?)

差別をすれば、結局、全部自分に戻ってきて

自分の首を閉めてしまうことに気づけない。

我々の視点が少しだけでも俯瞰的になれば、

日々の苦しみも少しだけ減ってくると思います。

こんなことばかり言っていると、それって意識高い系?

説教臭い。とか言われ毛嫌いされるのですが。しかたありません。

これも「気付き」の一面です。

「気づき」といえば先日、生徒さんと落語の話をしていて、

立川談志一門は人を見下していて鼻につくとかetc,

etcと悪口を言ってしまい、その後、

何故この人名人と言われるのだろうか?と疑問に思い

鼠穴を聞いたのですが

志ん朝さんに等しい名人というより

才気溢れる名優でした。

多分、若い頃の録音だと思うのですが、

政治や権力なんかに色気を出さず「芸」の器の中で生きれば

誰からも愛される昭和の名人になれたはずです。

人に嫌われれば、その分、芸の真価も削がれるものです。

晩年の彼の芸は今でも嫌いですが、

若い頃の談志さんの音源に期待を膨らませ始めた

自分が現れてきました。

ワクワクとした感覚で楽しい。

視点が変わるだけでこうなるとは。人の心とは面白いもんですね。

極性化

8月2日 テレビをつけるとコメンテーターの女性が

韓国の日本製品不買運動に対し、コメントの中で

「極性化」という単語を使っていました。

社会心理学の言葉らしいのですが、調べてみると

すでに定説として認識されている学説のようです。

集団極性化現象

けれども理論が実証されているとしても、それをどう応用し

社会に生かすかがわからなければ、

なんちゃって占い師さんと大して変わりません。



本来であれば現政権から独立しているはずの

第三の権力と言われるマスコミが、

客観的に状況を解説し、この理論を広く一般に知らせ、

大衆を落ち着かせるのがその用法でしょうが、

現状は、国民を煽る側に回っているようです。

自ら首を国家に差し出す愛国報道は、国を滅ぼします。


この点日本のマスコミは、大衆に迎合することなく、脇目も振らず、

自己正義を振りかざし続けている分、わかりやすく、

まだ、健康なのかもしれません。

正論バカ

世界中にSNSが張り巡らされ、

ニュースサイトのコメント欄は大にぎわいです。

最近気付いたのですが、コメントの内容を見ていると

結構50代から60台のかたの書き込みが多いようです。

(同年代ゆえコメントの背景の景色が大体読めるのです)

荒れる中高年はネットの世界でも荒らしているようです。

(ちなみに私は臆病なので他人のサイトに書き込みをしたことはありません。)

その内容は自己主張、罵声、思った通りだ等の賑やかしの内容から、

現場に近い人のような具体的な記述まで玉石混沌です。

物言えば、腹ふくるる想いをしなくて済みますから、

良い時代ではあります。

しかし、一歩間違えると、やりすぎて、退けなくなります。

自分の意見が「盗人にも三分の理」と言われないか自問することです。


闇雲に突っ込むと正論バカと言われます。

以下の記事を参考にしてください。

正論バカ 現代ビジネス

2014年の記事ですが、今も状況は変わりません。





今更ですが、クレーム処理は総合的な人間力が問われます

一番優秀なかたを担当させてください。

7月18日 度重なる自殺の報道に接して

占いフアン及び、ご縁のある方達へ

自殺の訃報が度重なり気鬱になりかけている方もいると思います。

しかし、他の方達の命式もしっかり見て欲しいのですが、

彼らよりはるかに弱く、凶運が廻り、トラブルに見舞われていても、

歯を食いしばって生きることを選んでいる方達が山程いる。

運勢鑑定を少しでも学んでいれば理解できることです。

凶運も苦しみも、間違いなく、どんなに激しくても、

「変化し続け、うつろい、軽く、薄くなり、消えていく。」

(悲しいことに愛情も似たようなものなのです。)

そして、生きていればこその喜びであり、悲しみであり、

流れる涙も悲しい時にだけ流れるものでは無く、

表現しようのない喜びや感動に包まれても流れるものです。

その可能性を自ら消してしまう。

「自分の命を軽んじることの愚かさ」も理解できるでしょう。

生きていることを十分に利用して、ただ生きることです。

そして、もし、夢を達成した、思い残すことはないと

嘯いているのなら他人のために生きる苦労を背負ってください。

世話になった社会や人に恩を返すことを課題として生きるのです。



人の持つ苦しみの原因は起きてしまった「苦しみの記憶」を

手放せないことにあり、10人中10人、忘れかけた頃に

それが湧き上がり、そうすると、なぜか鮮明になるまで

思い出す努力をし記憶を磨き直し、それができると安心し、

やっと他のことをやり始め、しばらく経つと

何かの折にまた同じ心に囚われてしまう。

みなさん、そうじゃありませんか?

人の悲しみというのは、「苦しみそのもの」を理解できれば、

なんとかなるものなのです。この場合であれば、

自分がやっている過去の記憶を磨く作業に気づくことです。

悲しみに自分を縛り、自分と相手に罰を与え続ける。

そこから、自由になることです。

人(自分)の持つ力を信じてください。

必ず、なんとかなりますよ。

8月5日

この辺りでも一昨日あたりからセミの泣き声が、聞こえはじめました。

コロナマスクのおかげで暑苦しさは、ずっと感じていたのですが、

すっかり、季節感がなくなっていました。

夏だったのですね。

暦の上では、今は晩夏にあたり、二日も経てば立秋になります。

人の視覚の範囲は120度と自動車の教習所で教わった気がするのですが、

心が一つのことに縛られている時、心の視界はさらにさらに狭くなってしまう。

目玉は顔の前についているので、しょうがない。でも、

心は360度全方向が見えていると思いたいのですが、

そうはなりません。何故なのでしょうか。

心の中には、その視界を阻む壁が幾重にも構成されていて

それが、人の心の自由さを奪っているのだと私は思うのです。

心の中にある曲輪を解析し

抜け道を見つけ、より自由な視界を広げることができれば、

人生に悩む必要は、かなり軽減されます。

過去の悔やまれる事案が起きた理由、現在の状況、

未来に対する不安、

その理由(なぜ? どうして?)を探して人は苦しんでいる。

心の視界が閉じられている故の不安です。

最近は「当てること」に特化した推命が現れ、

面白いなと思って研究しているのですが、

「運を変える」ことに関しては無関心のようです。

運を変えるには努力が必要であり、緩やかな川の流れの方向を

少しづつ変える治水の技術とそれを学ぶ忍耐が必要となります。

難しい事です。

しかし、「一刀を、万刀に通じさせる力」を

手に入れることができるかもしれません。

やりがいはあると思います。

7月17日

緊急事態宣言が解除されたら、コロナの感染も一気に

世の中に解放されてしまったようです。

インフルエンザのような季節の流行ものと考えた人が

多かったのでしょう。残念ですが、そうではなかった。

今年の1月に占った易では早ければ8月の半ばから9月あたりに

ワクチンが作られると出ていたのですが、どうなることやら。

まだまだ本当のところのこのウイルスの正体がわかっていません。

敵は大きく捉え、準備を怠らないことです。

推命学と同じですね。

ところで、暇に任せてYouTubeを見ていて

ダライラマ法王のビデオを見つけ何本か見たのですが

80歳を超えているとは思えないほどの活力です。

「ナーランダ僧院の輝かしい伝統をそのままの形で

今に伝える」という形で説法をなさっています。

大阪で4年前に公演された「入菩薩行論 一日目」などは

わかりやすくて面白いと思います。

テキストもPDFテキスト ダウンロードこちらからダウンロードできます。


個人的には実に感慨深いものがあり、

私の不徳のせいなのですが、猊下とはこれまでご縁がありませんでした。

オウム事件以後、宗教やスピリチュアル系の人達で

徒党を組む輩に対し嫌悪感が私の中に生まれてしまい、

今だにあまり好きではありません。そして、

このての方達はダライラマ猊下のフアンの人が多いのです。

(権威好きや高感度をあげたい人達も似たり寄ったりで

集まっているようです。)

こんなわけで、ご縁が生じてこなかったのは当たり前といえば

当たり前なのです。

ところが今回法話を拝聴して驚いたのですが。

どの法話でも、仏にすがってもダメだよ。すがる信仰は

知性の鈍い人たちのもので、苦しみを解くためには学び、

修行しなければ無理だよ。苦しみを解くノウハウは教えられるけど、

貴方の苦しみを代わってやることはできない。

自分の苦しみは自分で解くしか無い。

その方法は教えてあげられる。

また、経典を丸呑みにしてはいけない、自分の知性を持って

徹底的に検討し、信じて良いのかどうか分析し

正しいと納得したのなら信じてくださいと何度も何度も説くのです。

おねだり新人は無明であり仏教とは違うものだとも

ハッキリとおっしゃているのです。

なんて誠実な方なのだと驚き、

今までの自分の心得違いに慚愧の念を覚え、

ちゃんとしている仏教の師というのは、こうゆう人なのだなと

初めて知りました。

そんなわけで最近書庫に眠っていた仏書の埃を払い

何年ぶりかで読み始めています。

コロナについては絶対的な対処法が見つかるまでは油断してはいけませんね。

お互い油断なく日々を過ごしていきましょう。


感染が拡大しています。教室の生徒さんでリモートを

希望する方は遠慮なくお申し出下さい。

アスリート

アスリートには特別な命式はないと書きましたが

どうして彼らはアスリートになれたのでしょう?

一番の理由は「それが好きだったから」になります

そして、それを支える環境の有無です

このことはアスリートに限らず、その道のプロと言われる人、

全てに共通で 時間を費やし、疲れることはあっても

飽きることがありません。なぜかと言うと

それぞれの種目を選ぶ動機は大抵が身近な大人達の

熱狂や趣味に、子供達が好奇心を持ったことから始まっていて

自分の喜びと、その大人たちの記憶が心の中で

リンクし、彼らと喜びが共有されるからだと思うのです。

うまくいけば、やったよーと心の中の誰かに叫べるし

うまくいかない時は、記憶の中の笑顔に奮起してもらえる

孤独のようで孤独でない。

大袈裟に言えば 神との対話が心の中でできているのです

宗教者の言うそれと同じだと私は思っています。

(宗教家が特別だとは私には思えません。)

人の心の構造は変わりません。

子供にとって最強で最高の守護者は「まともな時代」であれば

親であり、子供の心の中で一生彼を、親友として親として勇気付け 

守り続ける。

勢いに任せ 闇に落ちても、この守護者がいる人たちは戻れると

確信しています。




誤解している人が多いようですが

運勢が全て、その人間を支配するというのは間違いなのです。

努力の結果を運勢のせいにしたり

トラブルの理由を運勢のせいにしてはいけません

(運のせいにするのが一番安易で皆が納得する理由ではありますが、なあなあでいる限りトラブルの原因は見つけられず、より努力している人々に抜かれることを肝に命ずべきです。

差別だ 不平等だと いつの間にか競争社会であることを忘れかけている現代の風潮ですが 現実は勝たなければ負けるのです。それが国家レベルとなれば 一瞬で我々の住む器の色が変わってしまうのです。実に危うい時代に入っている 本当は政治家の先生方が一番 肌身で感じていなければならないはずですが お金に目が眩んでいる平和ボケ議員の多いことが実になんともかんともです。)


昔から「運命」を恋の道具に使う不届き物がいますが

男女の出会いで「運命」の単語を使う人たちは

言葉で相手を縛ろうとする人達です。

男が使っても女が使っても 最悪は「ストーカー」に化けることを

知っておいてください。

四柱推命

中級へすすむ生徒さんが出てきたので

久しぶりに緒方先生のホームページを

拝見していたら、ブログが更新されていました。

泰州の雑感

十干の解説について書かれているのですが

しっかりと読み込む事ができれば各局法は

いかに誤った解釈の元にできあがっているのかが

見えてきます。

伝統を重んじる方達にとっては忸怩たるものが

あると思います。

運命学の最高峰とあがめられても

実践で役立たなければ歴史的価値しかありません

それゆえに、「あんなもの」とか「こんなもの」の

理論を借り、それらしく名付けた神殺を思う存分

増やし、これみよがしに数学の知識を振り回して

月率分野を計算してみたりと、本質とは随分違った

形になってしまっていたのが、しばらく前までの

四柱推命の世界です。

それじゃ、本物の四柱推命てなによ?

そう思われるかたは緒方先生のブログを読んでください。



私自身はこの術は「魂」に刻まれている心の動きを

読み解く術と考えています。

ここで言う「魂」とは当人を操っている

有無を言わせぬ力のことで、それを知る事で

初めて自分の魂と向き合い、対話する事が

できるようになります。ここまでくれば

次は自分の魂と和解する算段として

用神を使い人生を変えていくことが

できるようになります。

もちろん、そんな簡単なことではりませんが

しっかりとした指導者がいれば、それは可能です。


暑くもなく寒くもなく食欲の秋、勉強の秋です

10月より新規の個人授業の希望者をつのります。

ご連絡はホームページのメール鑑定フォームをご利用ください。

ちなみに「断易」を習いたい人はいますか?

希望者が多ければ教室を開いてもいいかなと思っています。

全く始めての人のコース(初級) 

基本をもう一度やり直したい人(中級)

とりあえず基礎知識はあるので卦の読み方を知りたい人(鑑定研究コース)

希望するかたはメールいただければ少々先になると思いますが

詳細が決まった時点でご連絡さし上げます。

空亡 天中殺

空亡について

マスコミの影響力は恐ろしいなと思うのですが

いまだに天中殺=空亡について暗い暗示にかかっている人を

見受けます。推命では関係ないんですよと聞かされても

恐怖心につけこまれ、「刷り込まれ」「洗脳」されている人にとっては

ここから離脱するのは難題です。


まず、しっかりと、その本当の姿を見ることが

その洗脳を解くことにつながります。

それをしましょうね。

暦は天干「甲」、地支「子」を最初期として

甲子から始まり60回目にまた甲子にもどるように

できています。ただし

天干は10の干、地支は12の支からできていて

この二つの組み合わせでは必ず地支が二つあまり

それを空亡と言います。


甲子の干支が起点の場合  

  甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
  子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

この場合戌以が空亡にあたります。

順繰りにいくと次が

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
戌亥子丑寅卯辰巳午未申酉

こんどは申酉が空亡にあたります

次は

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
申酉戌亥子丑寅卯辰巳午未

午未が空亡です

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
午未申酉戌亥子丑寅卯辰巳

辰巳が空亡です

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
辰巳午未申酉戌亥子丑寅卯

寅卯が空亡です

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑

子丑が空亡です

そして最初の
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

戌亥空亡にもどります

(このように60回目にもとの干支にもどることが

いわゆる還暦のお祝いの由縁です)


この理論は多くの占術に使われているのですが

その意味合いは

甲から亥までを一つの時間の流れとして(一旬)

あまった2つの支はその流れにのっていないもの

なので、形はあっても中身は空っぽの意味として

活動力はなく、実を結ばないもの、何をしても

成果が出ない、努力のしがいが無いと考えます。

特に断易では重要な鑑定因子として重用しています。

これは断易が占うその一瞬に起きていることを

映す鏡のような占術ゆえに、干支のずれである空亡の

理論がそのまま当てはまると私は考えています。

ここからは、あまり突飛なことを

言って師匠に迷惑がかからないよう、あくまでも

私自身が考える私説だとおことわりしておきます。


四柱推命における十干十二支の組み合わせについては

断易と同じく暦を使うものなのですが、

易の瞬間性に比べると、その本質は

時間軸が遥かに長く、さらに人の意思が介在する余地が

多く残っていることにその特性があると私は考えています

気付かずに運勢に乗ったままならば、その通りの現象が

起きてしまうが、気付けば必ず回避の方法がある。

であるがゆえに、鑑定が当たることは実は流れてきただけと

言っていいのかもしれません。

話を戻します。

十干に対しての十二支なのですが

この十二支についてはよく考えなければなりません

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥


これを季節で分けると

亥子丑が冬 寅卯辰が春 巳午未が夏 申酉戌が秋

暦を見てほしいのですが、亥子丑は11月12月1月

            寅卯辰は 2月3月4月

            巳午未は 5月6月7月

            申酉戌は 8月9月10月

に固定されています。

さらに五行で分けると(蔵干の中心となるもの)

            寅卯は木の五行
            巳午は火の五行
            申酉は金の五行
            子丑は水の五行

            丑辰は土の五行(水を含む土)
            未戌は土の五行(火を含む土)

これを陰陽にわけ十干と対応させると

           寅は甲
           卯は乙
           巳は丁
           午は丙
           申は庚
           酉は辛
           亥は癸
           子は壬
ここからがポイントです

           丑辰は己 (原典では湿土と明記されている)
           未戌は戊 ( 乾土 燥土と明記されている)
           

どうでしょう地支は12支に見えますがその本質は10支に集約できるのではないのでしょうか?

どうしてそうなるの?

それを解く鍵は土の十二支はすべて

季節の変わり目としての役割をなし一旦季節が地に戻り

新しい季節へと衣替えする役目を担っているからだと考えるのが

妥当だと私は考えます。

つまり、次に移るインターバルがあるということです

けっして自然は、決まりきったがんじがらめにはできていない

ということです。

同時にこれは運勢にも当てはまるのだと私は思っています。

1旬のはみ出しものとしての空亡は、その瞬間を切り取る

占術にはとても有効ですが、それをそのまま推命術に応用してもあまり

効果はないというのが結論になります。

いままで見てきたように、そもそも十干と12支は役割が違うだけで

本質は同じものであり、さらに時間軸を変えてみると、そこには、

生き物としての星の動きが現れてきます。

それは「前を向いて生きよう」とすれば必ず前を向くことができるし

「もういいや」と思えばそのまま動かない。因果の法則そのものです。

苦しみを放棄した生き方は同時に喜びを放棄することになります。

喜びを求める生き方は同時にそれを得るための努力と、それを失う恐怖を

持つことになります。

でも呼吸をし、食事をしていれば、人生は運に乗って前に進んでいきます。

考えすぎても辛いだけです。

だから、空亡だ天中殺だ、五黄殺だ暗剣殺だを気にするよりも、

今日のご飯のおかずを考える方が

よっぽど建設的な生き方ですよ。





         

推命学 2

四柱推命という学問は本当に多岐にわたるのですが

大きく分けると4種類の鑑定法があると思います

1 「個人の持つ統計的なデーター」を使うもの。

2 「様々なテキストからのデーター」により占うもの

3 「流派の伝統」に則って鑑定するもの

4 「流派の伝統をさらに進めるあり方」によるもの


1の個人の持つデーターというのは、年に千以上の鑑定に

携わるベテランさんにのみ許されるものです。

最近、教室の生徒さんがこの域に達しました。

(本当に喜ばしいことです。)

2の様々なデーターに関しては、プロの方よりも一般の方達に多く

 中にはプロ裸足の知識をお持ちの方がいるのですが、

  知識の使い方がよくわからない。 

3 流派の伝統はそのままの解釈です

4 これもそのままで良いと思います 但し、

実に一面的な革新で、多少歴史的な文献や原典の解説に

終始し私的には魅力が湧きません。残念ですがいずれも

閉じている。「閉じている」の意味を解説します。


四柱推命学の解説によく天地人のはなしが出てきますが

干支の天干を天 干支の地支を地 地支蔵干を人。

これを人元と解釈し天から与えられた俸禄と考え

通変により意味付けをしていきます。

この辺りはご存知の通りで命式を出す時一番手間がかかる

作業ですね。

六親との関係が

ここに現れ、12運で強弱を見、吉凶を見ていくというのが

一番簡単な占い方です。本当に簡単で、そこそこ当たります。

多くの流派がこれを原点に派生し進化を遂げ、さらに壁にぶつかり

格局法を代表とする様々な手法が生み出されてきました。

(歴史的な根拠はありませんが、私の体験としての感想です。)



どんな壁かというと、命式の「中心」がわからない。

中心とは何か?これは実は東洋医学との関係を

知れば簡単なことなのですが、易の六爻にならって、

柱の位置を体に例えることも工夫の一つで、その部分の

相剋による症状まではわかる。けれども運勢の病気の症状は

わかるが治療法がわからない。運の悪さを治せない。

この病の「核」を「用神」と名付けたのです。

鑑定をする上で要石の役割を担う。

そして、

ここまでくると占いの領域とは異なってしまう。

その理由は「人生の全責任」は自分自身にあることが嫌でも

理解できてしまうからなのです。目の前にある現実は

過去の選択肢のすべてにおいての自分が成したもの以外の

なにものでもない事に気づかされてしまう。苛烈です。

(「それを選ばなかった」という選択も含まれる。)

命式が読めるようになると本当に申し訳ないのですが、

あらゆる意味が自己責任であると言わざるおえない。

本当に辛いのです。

しかし、当然ながら今この瞬間からその選択を自主的に

行えば必ず回天する。その先の未来は必ず変化するのです。

運勢の改善法は間違いなく存在する。そして、

それは、とくだん神秘的でもなく、一番嫌がっていた

普通の行為を継続し続けることなのです。

射倖心とは、かけ離れた地味で普通の行為を

諦めず粘り強く続けることで、自然に、当たり前のように

自分も周りも変わっていく。

これが用神を「善用」した時の作用なのです。

「占い」と「鑑定」(少なくとも洗心庵の鑑定)の

違いは理解していtだけたと思うのですが、

我々はこの「用神」取用法をさらに自他の関係の上から

見直しています。そうすると、六親の富貴を追うことに

閉じていた命式が天元に通じ、財や地位があっても、

なんやかんやと苦しんでいる人でも、それなりに

日々を円満に過ごすことのお手伝いができるようになる。

どんなに歴史や事績で華やかに装っても

閉じた鑑定はいわゆる宿命論であり、決めつけです。

そのような鑑定ができないわけではありませんが、

それでは人生に意味が無いと私は考えるのみです。

同学の一助にしていただければ幸いです。

相性

相性について

相性について考えるとき、自分の住む家(部屋)と

自分との相性を考えてみると分かりやすいと思います。

綺麗に整理整頓され塵一つない清潔な部屋を理想とした

場合、なんとなく居心地が悪い、住んでいる気がしない、

色も家具も自分風にアレンジしてみたい、

清潔なのが良いのは解っているけど、汚れていないと

落ち着かない等々の感想を持つ人、いますよね。

ご本人のもつ「気」と部屋の持つ「気」が合えば、

心地よく、合わなければ落ち着かないという

当たり前の現象です。

ここで注意して欲しいのは、

「汚れてなければ落ち着かない」ということです。

世間の常識=本人にとっては必ずしも正しいということではありません。

生まれ持った星というのはこの「気」の本質のことです。

逆に、

せっかく綺麗なんだから、このまま綺麗に使おう、

とても気持ちが良い。住みやすく落ち着く。

と思う人達もいると思います。

このことは、そのまま人間関係に言えることで、

どんなにお金があり、生活力があり、人格が優れている

相手であっても「気」が合わなければ出会う縁は生じても

長く一緒にいるという縁が生じません。

なんで出会う縁は生じるのか?と疑問を持つ方もいますが、

答えは簡単です。運は巡っているから。

悪い運が巡っている時は、悪い縁の人と出会うし

良い運が巡っている時は良い運の人と出会えます。

ただ運は巡るものなので、ほんの一瞬でそれが終わることもあるし、

長く続く場合もある。ただそれだけです。

巡ってきた運による吉の出会いがあっても

持って生まれた星の中に吉の星がなければ

その吉運が過ぎれば縁は切れます。

運は流れ、盛衰を繰り返すことを多くの人は知りません。

持って生まれた星は限定されていますが、

運は吉凶を繰り返し常に巡っています。

人にとっての相性というのは、まさにこの部分が影響していて

理想の夫婦と言われたカップルが、運が変わってくると

犬猿の夫婦に変わり、仕方なく結婚したお相手が

とても魅力的な素敵な人に映るようになるという

嘘のような話を耳にした方もいるのではないのでしょうか。

星の相性を「気」の波長に例えましたが、

特に結婚に関してはこの傾向が強く、個人の気の

波長に合わせて、さらに家系の持つ波長がここに加わります。




(嫁ぎ先で悩んでいる方にとって結婚に良いことなど一つも無かったと言われる方がいるのですが、残酷な言い方で大変申し訳ないのですが「結婚できたこと」の代償に、地獄の生活を引き受けた。と言わざるおえません。これはどこかの誰かのことではなく実際、みな80歳近い方たちですが、よく知っている私の叔母のうちの3人はそのような形になっておりました。皆、それぞれその土地の名家に嫁ぎましたが、ドラマでも描けないような修羅場をくぐり抜けて今に至っています。)

政治

占い好きの方達の多くは(占い師さん達も)

政治や社会に対し、興味のある人が

わりあい少ないのではないでしょうか?

自分の事で精一杯というのが本音でしょう。

でもね、我々は時代の空気を呼吸し

人生の血肉にしています。

バブル盛んなおり、なんでも、かんでも金次第で

「恥」を金で売り買いすることまでしていた。

今思えば下司の極みですが

それになれてしまうと、流れに流される事に

何の抵抗も感じなくなってしまう。

実は、このことが本当は怖い事なのです。

悪いのは「時代」で自分は流されてきただけ

だから自分には責任は無い!

苦しい言い訳です。

じゃあ、その行為をなしたのは誰?

僕だけど、僕じゃない!

?????????

保証しますが、これでは人生は変わりません。

少なくとも、もうすこしマシな人生を

望むのであれば、自分自身に直面する事が必要です。

さらに自分の魂にまでぶち当たる事ができれば、

それを再構築することができるようになります。

私の理想とする運勢学はそのようなものです

そのためには、より広くその人が生きた時代を

知り、その時代の本質を見抜く事です

(それには政治はとてもいい情報を提示してくれます。)


占い師さんは別として運勢鑑定をする者は

常に中立でなければなりません。

(中立でなければ鏡が曇るからです)

もし鑑定士さんが世の中の流れに飲み込ま

れていたとしたら、時代にゆがめられた

鏡しかもっていない安っぽい正義を振りかざす

普通の説教師に成り下がってしまいます。

鑑定法に執着するだけではなく

しっかりと時代を見る目も養ってください。

7月9日

本当に嫌になるのですが人というのはどうして

愛情を担保に、自らを不幸にしたがるのか?

愛しているのだからと相手に無理を言い、

愛しているのだから、約束を守れと相手を縛り

自分をどれだけ愛しているのかと、何かと比べたがり

結婚しても不安で不安で、四六時中つながっていようとする。

これをメンヘラと呼ぶ人もいるのですが、多くの場合、

通常の状態が不安な状態で、物事が安定し始めると、

さらに不安が増してくる方達です。繰り返し言いますが、

安定し始めると、さらに不安が増してくるのです。

離れて暮らしている時は、それなりに安定し、

一緒の時を過ごし始めると、この現象が始まる。

程度の差こそあれ身に覚えのある人もいると思います。

こればかりは、どうにもならないと

諦めている人もいると思いますが

そうゆう自分を自覚することから解決が始まります。

これが自分自身を自覚する「知恵」を磨く作業になります

関係が安定し、不安が起きたら、ああ、例のやつだと

自覚することです。そのように自分の心を見つめてください。

2、3年居心地が悪い時間が過ぎると、慣れてきます。

そして、知恵が磨かれれば、いろいろなことが見えてくる。

人は「心の環境の変化」にも対応できる生物なのです。

このことを知ることが実は推命学の最も重要な要素で

宿命にしても持って生まれた星にしても、このことが、

「改善」が可能であることの根拠になっているのです。


「結婚相手はいつ現れるか?」の次くらいに、

占い師の方達の恋愛相談の多くはこの手の相談だと思います。

このような方達には大丈夫だと寄り添い、

不安を聞いてあげることが重要であり

その他のことは言う必要はありません。

ただ、支えになることです。

ここからは鑑定の腕の良し悪しは全く関係なく、

総合的な人間力が試されることになる。

千、万の鑑定の経歴があろうが、名家のお弟子さんであろうが、

近所のおばちゃんの方が遥かに高い救済力をお持ちである場合があるのです。

そしてもう一つ自覚するべきことは、

自分の鑑定は正しいのかと常に自問し、三省することです。

実践鑑定というのは正直なもので、自力の弱いものが

紛い物の占術を使っていると異常に疲れるもので、依頼者と、

まともに向き合うことができなくなり結局、

自分も沈むことになってしまう。

また、素人さんが使うと、大抵は加害者に成り下がってしまう。

占いマニアの方も占い師の方達も気をつけてください。

被害者を作ってはいけません。

7月8日

「いじめ」という言葉を使いはじめた教育評論家がいます。

ああ、いじめか、よくあることだよね。と皆が思う。

でも、起きていることは「犯罪」に近い場合も多いのが現状です。

「いじめ」と「犯罪」の線引きを曖昧にした張本人です。

「いじめ」と言って学校側を守ろうとしていることに、ご本人が

気付いていない(犯罪現場であることを誤魔化してしまっている)。

学校で起きていることは社会でも起きている。

「いじめ」と「差別」は同義語に近い。

被害者は絶望と無気力を教えられ社会に出されてしまう。

学校は社会の縮図です。

どうすればいいのか?

楽になれるのか?

まずは自分の居場所を見つけることです。

このとき頭の硬い発想は絶対にしてはいけません。

仕事ととは「〇〇であるべきだ」などというのが一番の毒です。

それが見つかれば人生の課題の半分は終わります。

次は、できるだけ、そこにいられるように努力することです。

それができれば、その世界の中で普通の人生が歩める。

女性には申し訳ありませんが結婚で幸せになろうとしてはいけません。

夫に期待する生き方は(たとえ、それが愛する人であっても)

夫婦が運命共同体であった戦国時代ならまだしも

今の世の中では難しい。

(選択肢が多岐に渡るため夫婦とも戦国の世の人ほどの忍耐力も覚悟がなくても生きていけるのです。)

他人に甘えない。他人のせいにしない。守るものは守る。

愚痴ったり、バカを言える自分と同じ目線の仲間がいる。

単純ですが、これが一番生きる力が安定する生き方です。

いつか楽しく笑って生きられるよう人生が安定するまでは、

死に物狂いで生きてください。

7月2日

お昼のニュースを見て、しばらくしからテレビをつけると

東京都内での感染者が100人を超える見込みだとの

速報が流れていました。

非常事態宣言が解除されてから数日過ぎ、

夜中の1時過ぎあたりから、複数の若者の騒ぎ声が

裏のマンションの道端から聞こえてきて、

また始まったなと、ため息をついていたのですが、

昨日は、うとうとしているとさらに「ドーン」という

爆発音が聞こえ飛び降りか?交通事故かと目が覚め

しばらくじっとして様子を伺っていたのですが、

今朝のニュースでは「火球」だったとのこと。

火のイメージは突然の火事や戦乱です。

大疫の暗示もあります。

中共も半島も様子がおかしい。

国内の犯罪も増えるているように思えます。

知性があるはずの人間が原因になって争いごとを

起こすのだけは避けて欲しいものです。

感情の暴発を制御できるのは利他心と

それを支える知性だけです。

ただ、これは個人の場合だけで、大集団になると

そこに「利」があれば浸潤し破壊し支配する

癌細胞のあり方になってしまいます。

国家レベルであれば、そこに面子などという

さらに、めんどくさいものが加わり始末がおけません。

(香港における中共の姿そのものです)

だからこその外交と「法の遵守」なのですが、

法よりも感情を優先させる国を隣国としている不幸を

自覚し我々の国もそうならないよう祈るだけです。


マスコミの皆様も、書く記事に飽きた頃だとは思うのですが

医療現場の人材は充分確保されているとか、機材もPCR検査も

しっかり準備できているとか、実際の安心材料をもっと

取材して、感染しても大丈夫、だから経済を頑張って回しましょう的な

番組なり記事なりを報道するのが現状での筋だと思うのですが、

(現実と乖離していないことを祈ります)

今の状況では来年のオリンピックなんて夢のまた夢です。

医療現場の現状を世界が納得する形で公にしなければ

誰も安心してこの国へは来ないでしょう。

国の信用問題です。

四柱推命

四柱推命術をお金儲けとか、出世とか、結婚とか、

自分にはどんな才能があるかとか、適職等々

俗世間的な願望成就の方法として使いこなすのも

一つの方法ですが、全く別の使い道があることも

知っておかなければなりません。

それは「心の使い方を学ぶ方法」としての使い方で、

意図し、実行すれば、より円満な自分を取り巻く

全ての環境との良好な関係性を築いて行くことができます。

世の中には莫大な財産を持ちながらも

不幸のため息をついている人達、世間が羨むような出世をし、

国を動かすような地位を得ても苦悶している人や、

夢見たお相手との結婚が成立したのに

別れる夫婦、ボロ雑巾のようになるまで傷つけ合う恋人達、等々。

一瞬間、人の羨むような夢を得ても、その「福」が「福」として

長続きしない人がとても多い。

願いは叶った方がいいに決まっていますが、

長いこと持ちこたえることができない。

なぜでしょうか?

従来の推命の考え方では「運勢により与えら、奪われた」となるのですが、

でも「運否天賦(うんぷてんぷ)を言ってもしょうがない。

お先が明るければいいけど、真っ暗だったら、まっぴらだ。

そんなもの知りたくもない。(でも、ちょっと興味あるな......。)」

多くの方がこう思うのではないのでしょうか。

(実はこれは普通の、そこそこ運のいい人たちの会話です。)

現状、激しい苦しみに苛まれている人は、

「どうして自分だけ苦しいんだろう、なぜ?、明日はどうなるのかしら。」

恋人の気持ちが知りたい、不安で不安でしょうがない。

(最近、ネット広告、この関連ものが多いですね。ここであえて言っておきますが、私の考えは、基本、人生は「人は自分の足で立つ」しかなく、誰かに頼っても、すがっても、「誰かにすがる意志」が残っているうちは、時が過ぎ、いろいろなものが移り変わり、時と共に苦しみの記憶が薄れ、心が癒された時、また同じことを繰り返す。この自分の心の癖を自覚し、その心を調教(すごい言葉ですね)し直さねば根治は無理です。


「苦しい...........。」

「どうして?自分だけが?」

この問いを自分に問い始めた時、これこそ天佑神助のチャンスだと

今の私は思っています。

そうなんです、今の自分ではこの環境の中では生きていけない。

そうなると選択肢は二つ。

出て行くか?、環境に順応するために自分を変えるか?

あまり気づかないことですが、

生命60億年の歴史そのものである

「環境に適応できたもののみが生き残れる仕組み」が

再演し続けられている。

自分もまた、その最前線にある。

こう考えるだけで、少し落ち着いてきませんか?あなたこそが生命の最前線の主役なのです。

あなたの人生は、紛れもなく、あなた自身が主役なのです。

もし、今いる環境がすでに息苦しいのであれば、

息苦しくなる種をすでに育ててきてしまったということです。

あっという間に改善することは実際には無理な話です。

何よりも大事な環境なら、倍の時間をかけて

ゆっくりと直(なお)しをかけること。

まずは、どんな人にも共通して言えることですが、

感情的なものの言い方、感じ方をやめ、

(これが大事です、居心地が悪いのなら疑心暗鬼がそろそろ始まっている頃でしょう)

ゆったりと落ち着かせ、なすべきことをなし、

しくじりを減らし(これも大事です。とりあえず信用から回復です)

約束を守ること。

その上で、個々の持つ心の癖の方向を変えることですね。


最後に、どのようにすれば円満な生き方ができるのかですが、

あらゆる「人」の心を動かす「星」を理解すること、

さらに自他の関係に対する、しっかりとした理論を身につけ、

同時に自分自身の長短を知ることでしょう。

多分ですが、ここに関してだけは私の教室がベストだと思います。

(しばらく入門編ができないので、日程の組みやすい個人講義の本科クラスのみになりますが、講義内容は入門編の内容も合わせて行いますのでご安心ください。講義を希望する方は簡単で結構ですので入門の動機を100字程度でおしらせください。)

イントロダクション

人生を修行ととらえるか?、楽しむためのものと捉えるか?

人それぞれですが、苦しい時は

誰かに助けを求めたくなるものです

ある作家さんが主人公の座右の銘に

「ねだるな、勝ち取れ、さらば与えられん」

という言葉を与えていました

マタイの福音書の「求めよさらば与えられん」が種もと

でしょう。

でも、この二つには雲泥の差がありますね。

神にねだるとき、神が許せば許されてしまうのですが、

人生では、どんなに「ねだって」も「力」がなければ

与えられません。

それを「人間力」と言う人もいれば、「運」と言う人もいます

この「力」を養う事がとても大事な事なのですが、同時に

自分の「運」を見極める事もときには必要かもしれません。

心境の変化

最近心境の変化がいろいろあり、人生そんなに

肩肘はって生きていても仕方ないと思うようになりました。

頑張っても自分の器量の範囲で暴れるているだけと

言いましょうか、孫悟空がお釈迦さんと勝負して

意気揚々と勝ち誇っても、結局お釈迦さんの手の平の上で

もて遊ばれていたというのが西遊記にあります。

ご存知の方も多いでしょうが、五本の指は五行をあらわします。

(中野美代子先生の本にその辺りの事は詳しく出ております)

事実この五行五気で編まれている元命式の示す運勢を

超える事はなかなか難しい。

こちらを信頼し、素直に、多少の苦痛に忍耐できる人達だけに

その門は開かれているようです。






人の可能性について私はいままで限度は無いと思っていたので

すが、個体差はあるんだと最近思い切りました。

そうすると、肩の力が抜け「断易」など見せたくないものも

見せてもかまわんと思えるようになったのです。

風水についても同じです。









悩みのある方は悩んで下さい。

けれども、そんな自分を嫌わないで下さい。

自分を罰っしても過去は消えません


あなたが何であれ、命はあなたの中で輝いてます

もし誰かを傷つけてしまったことに悩んでいるのなら

ただ一つ、相手の中にも同じ命の輝きがあり、

あなたと同じように喜びや幸せを望んでいることを

見て見ぬ振りをせずに、しっかりと見つめて下さい。

こたえは自然に出てきます。

そして自分を、何度でも励まし、勇気を振り絞り

行動する事です。それが正しい答えだと私は思います。








また私にすがりたい方はそれでも結構です

ただ、私はすがってくる相手は大嫌いです

なぜなら、自分の中にある加害者としての自分を

見ぬ事にしているからです。たいては思いが叶わない事に

ノイローゼを起こしている。

自分を曲げずに相手に曲がれと言っているかたがほとんどです。

(ちなみに、これを私は隠れ頑固と習いました。)

そして相手の悪口を繰り返し、相手の風向きが変わると

ひょいともとの鞘に納まる。

さらに、お金がない。できれば無料にしてくれとねだってきます。

一事が万事です。(これが鑑定料を値上げした理由です)

ここにこそ苦しみの原因があることに

本人は気付いていません。是非気付いて下さい。

自分の足でたつ事しか、このての苦しみからは逃れらません。

わかりますね。







このホームページには実は運を開くためのヒントがあちこちに

書かれています。読みにくい、しつこい、難解な文章の

その底にヒントが隠れている。

高い鑑定料を取る、お高くとまっている鑑定士の

評価でもかまわないのですが、

鑑定料を払いきれない(払いたくない)人たちにも

講義料は払いたくないけれども推命には興味があるかた

たちにも常に扉を開けていることをご了承ください。

歴史教育

贖罪について面白い記事を見つけたので貼っておきます

GHQに埋め込まれた贖罪意識

この記事にある中国帰還兵の方達の何人かを私も

知っているのですが、そうだったのかと、なんとも言えぬ気持ちです

洗脳ですね。彼らの平和反戦の趣旨は日中の恒久平和

平和の架け橋になろうということでしが、市民団体は

結局市民団体です。経済も技術も蹂躙され今や見る影もありません

お人好しをやっているうちに韓国にまでたくさんの物を盗まれました

かつて、日本がアメリカから盗んだのと変わりません。

技術も化学もそうゆうものです。

戦争の加害者と言われ怯んでいるうちは、ただ食われるだけです。

日教組の立ち位置もここですね。

1900年代世界に吹き荒れる西欧列強の帝国主義に

果敢に立ち向かい、数知れぬ犠牲のもとに今の日本があるのだと

胸を張って子供達に教え、その過程で起こした戦争の加害の事実を

しっかりと教えることが本当の平和教育だと思います。

戦争責任にしても、天皇が国土を欲しいと言って満洲や韓国を

併合したわけではありません。そこに至る事実を明確にすべきです。

あまりにも全体を隠蔽し一方的な事実を教え込む歴史教育が

行われ続けられています。

しかし、かつては、それを言えば右翼だと叩かれましたが

時代は変わりました。

彼らもまた極端な歴史教育を先輩や先生と称する人たちから受け

視点が偏っているように思えます。

大変失礼な言い方かもしれませんが歴史的な事実と神話を融合した

明治以来の皇国史観を盲信しているとしたらかなりの問題点です。

教育勅語なども明治天皇謹製とされていますが

実際は井上毅・元田永孚起草だとされています

(古事記なども後半はなかの修羅場ですが、これを言う人も

あまりいませんね。)

最初から諦めて、自分の国を大国に委ねようとすることなく、

考えが違うと逃げることなく、家族を守るために命をかけた

誇り高き先祖達が間違いなく我々とつながっているのです

今の環境が最悪だとしても彼らの子孫であることを

自分自身の支えにしても良いのではないでしょうか。

腐らず、どうすればいいのか考えることを諦めないことです。

グローバル化が言われて大分時が経ちましたが

芯のないフニャけた歴史教育では他国と五分の

競い合いはできません。

自尊心の無い、金に尻尾を振る無垢な学者さん達がこれからも

多々出てくるでしょう。嫌な世の中です。



日本の学者さんは戦争に関係する科学技術を研究していないので、何が戦争に役立つのかを知らなさすぎるのかもしれません。その点中国はあらゆる技術を利用応用し軍事技術に転換しているようです。相手を知らずに、自分の研究は軍事技術とは関係ないとはよく言えたものです。学者バカとはこのことですね。それに話をかける野党の先生方も本当に情けない。

子供の心 親の心

ハフポスト

子供にとっての「親」の意味は自分の全存在に理由をつけるための

とても重要な働きを占めています。

例えば、自分が悪いのは親が悪いからだと

本人的には明確な理由づけができ、この言い訳が効く時は

必ず、次に進む何らかの手段が見つかるものです。しかし、

その親が誰だかわからない時、よっぽど強い心を

本人が持てない限りは疑心暗鬼に陥りやすい。

物凄い無力感が襲ってくる。人生の支えが欠如してしまう。

ましてや父親の姿が想像もつかない「虚無」であれば尚更です。

それでも我々は日常を過ごすために、日々働き、泣いたり笑ったりを

繰り返していますが時々、なんとも言えない虚脱感が襲ってくる。


自分の体験なのですが、

親が亡くなった後、叔母たちから母親の恋愛の話を聞き

私も知っている叔父の一人が、相手だったと知り

自分の父親は誰?と真面目に悩んだ時期がありました。

(彼は母のすぐ上の姉と二股をかけていたようです。)

ダンスホールのどうのこうの、自転車の後ろに妹を載せて

会いに行っていたとか、長女(私の母は三女です)の長男の

誕生日は計算が合わないとか、当時としてはなかなか発展的な姉妹たちで、

子供心に母が、何かの流行歌を歌いながら懐かしそうな目をしていたのを思い出し、

彼女の結婚前の話であるのにもかかわらず、

俺は誰の子? 今までの人生は全部嘘?と

足元の地面に穴が空いたような今までの自分の人生を母に騙され、

父は知っていたのか?親父、おじさんと仲よかったっけ。えっ?

親父は知ってたの?といろいろなものが、思ってたのと違うのか?と

混乱し実に嫌な気分を味わったものです。

尋ねるべき両親はこの世には無く、伯父の職場と親の住まいを考えると、

あまりにも遠く、そこまで根性あるのかと考えると母親ならある。

叔父には無理か。でも男なんて5分もあれば十分だしな。

などと馬鹿なことを考えている内に、そんなもんだよ、男と女はと

可笑しくなってきて笑い始めたら、正常な思考に戻れたのです。

親子の関係というのは繊細で微妙です。

今ある人生を大事にすればいいだけだと言われようが、

そんなこと頭では完全に理解している、けれど許せないし、

受け入れられない。母が亡くなったのは20年以上も前のことですが、

いまだに、その時の気分は忘れられません。

この記事の女性のような境遇であれば、どれだけ苦しいか

想像に難くありません。

私の中では笑いにかき消えた暗黒の「虚無」が

今も続いているとするならば、それぞれが納得のいく

法制度の整備が切に望まれます。



運勢は、なんてことない日常に虚無を呼び込んでしまう時があります。

原因を作らないことが最大の防御ですが、出自に関しては

自分では、どうにもなりません。大人たちは

この事実を認識し、自分もまた子供たちに

未来を託していることに気付いてください。

親による虚無に苦しむ人達、不幸なことかもしれませんが

同じ境遇の人達は少なからずいます。

一人ぼっちかもしれませんが、一人ではありません。

目の前にある喜びを大切にし、命の花を咲かせることです。

親を許す必要はありません。無駄な努力です。

ただ、その感情に身を任せるのはやめた方がいい。

初級教室

初級教室の内容を若干変えました。

当面は入門クラス推しでいきたいと思います。

以下の文は3年前くらいに書いたもので消すのも勿体無いので

こちらに引っ越ししておきます。





多少の推命学の知識のある方は本科クラスから

勉強を始めるのが良いかもしれません。

結構たくさん専門書も読んで、干合や冲、

三合、方合は覚えた。でも意味がわからない。

どこから見たらその人の性質が見えてくるのか?

等々。

四柱推命はわかる情報が少ないので西洋占星術や

紫微の方が上だとか。とか。とか。

多分そう言ってしまうのも本格的な四柱推命に

出会ったことがないからかもしれません。

私の教える推命術は80パーセントまでは

当たりますが、ただそれは、その人が自分の

人生に疑問を持たず、星のなすがままに生きてきた人に限ります。

お分かりでしょうか。

プロとして活躍している生徒さんは、ほとんど

星の解釈に関しては問題なく、ただ、

その伝え方に、かなりの努力を費やしています。

だいたい3年間、個人授業で月に2回

しっかりと続けることができれば

どの鑑定所で働いても、人気は別にして、

トップの実力者として評価してもらえるようです。

プロを目指さない方にとっては、古代から延々と続く

陰陽五行と易の思想が人生にどのように関わるのか、

その深遠な世界が目の前に開かれるかもしれません。

そのように教えているつもりです。


ここまでが8月9日に書いた本科講座へのお誘いです。

私のごく最近の心境で書きました。

プロとして第一線で現役の生徒さんが活躍してくれています。

それも、人気と実力を兼ね備えた占い師さんとして

仲間の占い師さんから相談されるほど、人間的にも

実力的にも、信用されているそうです。

実に嬉しくありがたいことです。

「人の棘を抜くことが自分の棘を抜くことだよ。」と

先生が教えられた通りです。

(後半の文章にも出てきます。しつこいですが悪しからず)

ご縁のある方は、一緒に推命学を我が物としましょう。

メールにてお問い合わせください。

(メール鑑定用フォームでかまいません)


以下の文章は、ものすごくもがいていた頃のものです。

それでも、内容は頑張っているので参考になれば参考にしてください。

「いろいろ、大変だったんで。」と他人事のように書いておきます。














同じ泰山流を名乗る先生方は多いのですが、同門であっても、その人物の考え方,生き方により技術の使い方が大きく違ってきています。
私はこの推命術を人が成長するための手段と考えています。

人としての成長とは何か?誰もが持って生まれた答えの出にくい命題ですね。

かつて、戦いに勝つ為に、この推命術と断易を使い、それを成し遂げた者が中国にいました。朱元璋の軍師を務め、元帝国を打ち破った中心的な人物で名を劉基、字を伯温と言います。四柱推命の最も権威のある原典とされる「滴天髄」を著し断易の真髄と言われる「卜筮正宗」に納められた「黄金策」を記したとされる人物で、三国志演義に描かれた諸葛亮孔明のモデルと言われていいます。しかし、その晩年は朱元璋に疎まれ、毒杯を煽ることを強いられました。これが四柱推命を戦いに使った先達の最後の風景です。

どんな英雄であっても因果律からは逃れられない。身を以ってこれを実証してくださった偉大な先達です。

この推命術は医術に類似するもので、それをよく身につければ活殺自在のものとなり、善にも悪にも応用がきく。(実際、東洋医学の原典と言われる「黄帝内経」と全く同じ理論の延長線上にあるものです。)
それゆえに教える者、使い方により、どれだけの違いが生まれるか。想像に難くありません。先人の踏んだ轍を決して繰り返してはなりません。そのために先人は毒をあおって亡くなってくれたのだと、我々は自戒するべきなのです。

私は一番最初に受けた緒方先生の講義で、他人のトゲを抜くことが自分に刺さったトゲを抜くことであると教わりました。今でも座右の銘としています。時々、「私の人生に口出しするな」と怒られるのですが、それでも抜けるものなら、そのトゲを抜いてあげたい気持ちに変わりはありません。それこそが自分自身の成長につながると認識しております。

多くの同志とご縁ができると嬉しいのですが........。



鑑定技術に関しても決して妥協することなく追求してまいりました。クラスは初級となっていますがレベルはかなり高く、何人かの生徒さんは実力のあるプロとして既に活躍しております。







ここの教室では本科を終えた方達は緒方先生の中級講座へ上がっていただくことになっています。

しかし、時間の都合で、どうしても中級講座へ上がれない方達のために

研究科を設けています。

生徒さんがよく知っている方の命式をもってきてもらい、

その場で鑑定を行い我々の鑑定法が使えるのかを検証しながら

私のオリジナルの鑑定法を伝授しています。

古典を踏襲するだけの推命術では博物館の展示品と

何らかわりません。歴史的価値は大いにありますが

実証性のない古典主義は迷信を生み出す温床であり

他人を恫喝し支配する道具に成り下がってはいけません。

また、そんなものに脅され、言うことに従うのは愚の骨頂です。


正しく自分を見つめるためには鏡に曇りがあってはなりません

常に磨き続ける努力が必要なのです。

警鐘が必要なら警鐘を鳴らし、より良くなれよと助言をし、

そして、最後に、どうするかは自分で決めれば良いのです。

そして、

「苦難を避けよ」と手を合わせること。

ただこれだけが我々にできることなのです。





このような事情で、占いや運勢鑑定で人生一発逆転を目指す方は、

残念ですが、他の先生をお探しください。












注意  

プロの占師さんで四柱推命をさらに学びたい方は、まずご自分の占術でこの教室に参加して良いのか悪いのかを占った上でご参加をお申しで下さい。

当たり前のことですが、許可無く教室の内容を公表することも禁じます。

遠方の方はスカイプでの個人指導となります。授業料等はお問い合わせください。

世界の中心

太極論について書いてきていますが、

結局は「自分が今いる世界を生み出したんだ。」ということです。

誰かと縁があるのも自分が生み出したものです。

ただ、縁には幅があり、

その人の良い部分と縁があったのか悪い部分と縁があったのかは、

時間を経なければわかりません。

また、就職できた会社に対しても同様なことが言えます。

問題は、その中で、自分はどうなりたいのか?を

自分に問い続けることです。

なぜならば、会社の環境や人事がどうであれ

自分が腐るのも、前を向くのも自分次第だからです。

他人に変われと言っても、それは不可能なことで、

自分が変わった時、その結果として周りの人の態度が

変わってくる。ただ、それだけのことなのです。

単純明解なはずですが、これが実行できない。

そこに人の持つ業とでも呼ぶべき心理構造が邪魔をする。

そこを突破するには勇気がいります。

ある程度の歳を重ね、次世代を想う気持ちが生じ始めた時

我々は先ず、このことを

彼らや、彼女たちに教えてあげなければいけません。

それが人として少し先に生まれ、悩み、笑い、血と涙と汗を

流してきた我々の務めです。どうか、決して、

くだらない占い師にはならないでください。

断易

緒方先生の「泰州の雑感」の中に断易に関する

記述があります。私も教室で、このお話をうかがい

自分の推命術のために独自に断易を研究しました。

関西断易に関しては無知なので、

なんとも言えないのですが

九鬼先生も諸口先生も特別な師匠はおらず、

独自の研究により一派をたてた方達です。

興味のあるかたは是非、研究してみてください。

私の経験では、最初は当たりません。

しかし諦めず、徹底的に突き詰めたとき

得卦に、色鮮やかに、その占断の風景が

現れ、驚くような占断が出来るようになってきます。

また、その卦の中に救いの星が現れている

場合があり、この有無がその人の積んできた

「徳」であると私は解釈しています。

最初から決まっているとされる推命の運命論に対し

そのかたの生き様の良し悪しによる事の推移の

結果としての断易の占例を研究していくと

やはり、

「今、その人が、何をしているのか。」

この事が何よりも重要な鑑定のポイントになると

私は理解し、実践の鑑定に応用しております。

「現在の自分が」明日の自分であり、

10年後の自分は「現状」の延長なのです。

運がよいと思っている人は、その上げ潮に

乗ればいい。そうではないのなら、

必死でパドリングしなければ、

そうでない流れに流されたままになってしまう。

上げ潮に乗っている人も、引き潮に

備える事さえしておけば、人生は、

わりと満足出来るものになるのではないのでしょうか。

「川の流れのように」流れに流れるのも人生です。

しかし、その「流れる川」を自ら選ぶことが出来るのも

人なのです。

強い運勢の人へ

強い運勢を生まれながらにお持ちの方を

多くの人は羨ましいと思います。

人一倍努力ができ、人一倍責任感があり、

身内や仲間を大事にし、友達も多く、

何度も、課せられた目標を達成してきた。

素晴らしい人生です。

さて、ここからが問題なのですが、

いったいそのために何を捨てて、

何を得てきたのでしょう?

多くの場合、男女共、家庭を捨てて仕事を取り、

成功によって得られた達成感は強い自尊心を生み、

結構身近な他人(友人や同級生、親戚縁者等々)と

自分を比べ優越感に浸ります。

「比べる」と書きましたが、実を言うと、人生が始まった、

最初から、弱い奴、努力ができない奴、失敗を繰り返す奴に対して

見下す癖が育まれていきます。

日本人はこの辺りを割と曖昧にするのですが、

内心は変わりません。

多かれ少なかれ成功者と呼ばれている人の心のあり方です。

ところが人は老い、時とともに自分を支えてくれていた

運勢が流れ、傷ついたとき、自分が見下していた人たちと

同じ境遇に必ず落ちてしまう。

特に晩年でこの現象が起きると「孤独」が

そこに待機しています。

あらゆる人はこの人生に「課題」を抱えて生まれてきています。

例えば「目先の快楽に溺れないこと」「自立すること」

「後先を考えた生き方をする」「他人の伴侶を盗まない」

「短気を起こさないこと」等々、数え上げればきりがありません。

(そのうち整理しようと思っています。)

人は命が潰えるまで、他人の中で生きなければなりません。

自他は不即不離なのです。

(この辺りは大極論、八卦論ですでに書いています)

その上で、自分だけが優秀と思い込むことは、どれだけ

無意味なことかが理解できるのではないのでしょうか?

人生、最後まで円満な人間関係の中であの世に行けたものが

やはり一番の成功者なのかもしれません。

身に覚えのある方は、「大きなお世話よ」ではなく

今からでも良いお友達を他人や家族の中に作ってみては

いかがでしょうか。

是非とも孤独な晩年を回避してください。

(あまり知られていませんが「家族」が一番の敵という方も大勢いるんですよ。)

7月1日

研究科の資料として作ったものです。

ベトナム戦争についての年賦になります。

登場人物の命式は別建て「テーマ別」の欄に記載しておきました。

一般の方は登場人物の生年月日は皆公開されていますので

各自で調べてください。

内容に誤りがある場合はご指摘いただければ幸いです。


帝国主義によるフランスの植民地 日本による支配 日本の敗戦により独立の機運 再びフランスの干渉。

その後の動きになります。


1945年 乙酉年 

      日本の敗戦 ベトナム8月革命 バオ・ダイ帝の退位 

      米国トルーマンがフランスのインドシナ領を承認
      
      フランス軍が占領を開始

1945年9月2日 乙酉年 甲申月 甲戌日

       ベトナム民主共和国を宣言 ホー・チ・ミン 国家主席兼首相に就任

       9月末にフランス サイゴンの支配権を奪取

1946年11月20日 丙戌年 己亥月 戊戌日

      第一次インドシナ戦争勃発 

      同12月20日 丙戌年 庚子月 戊辰日

      ホーチミン「全国抗戦声明」

1948年 戊子年 

      フランスは「ベトナム臨時中央政府」をサイゴンに発足 
      
1949年3月 己丑年

      フランス「ベトナム国」樹立

1950年1月14日 己丑年 丁丑月 己酉日

       ホーチミンによる「ベトナム民主共和国」承認を求める声明 

      同18日毛沢東より承認される。癸丑日

1950年4月 庚寅年 庚辰月

      借款と中国より2万人分の兵士の装備提供を受ける

1950年 5月25日 庚寅年 辛巳月 庚申日

      米国トルーマン大統領 フランス軍支援を決める

1950年 6月25日 庚寅年 壬午月 辛卯日 朝鮮戦争勃発   

1953年 アイゼンハワー大統領就任 (軍人)癸巳年

1954年5月7日 甲午年 己巳月 癸亥日 

(4月26日からジュネーブ会議が始まっていた。)

      デイエンビエンフーの戦いでフランス軍敗北 和平の決定打となる

      フランス軍 クリスティアン・カストリ司令官

      ベトミン軍 ヴォー・グエン・ザップ司令官

1954年 7月7日 甲午年 庚午月 甲子日

      米国の根回しでゴ・ディン・ジエム(呉廷琰)政権樹立 

(1955年ベトナム共和国初代首相 反共 反政府分子の徹底的弾圧を行う)

1954年 7月21日 和平成立 甲午年 辛未月 戊寅日

      ジュネーブ協定 ベトナム民主共和国の独立承認 

      北緯17度線での南北分断と統一普通選挙の実施を約束
    
 (フランス領インドシナを北ベトナム ラオス カンボジアとして独立させる。)


1955年 10月26日 乙未年 丙戌月 庚申日

      ベトナム共和国樹立(南ベトナム)米国の全面援助を受け始める。
    
      弟のゴ・ディン・ヌーを大統領顧問に任命 秘密警察を使い大弾圧、

      虐殺、反勢力の掃討作戦 (マダムヌーは妻)
      

1959年1月13日 戊戌年 乙丑月 乙未日

       ホーチミン第15号決議で武力解放決議 5月ホーチミンルートの建設開始

1960年 12月20日 庚子年 戊子月 壬午日

       南ベトナム解放民族戦戦結成

1961年 1月20日 庚子年 己丑月 癸丑日

      ジョンF ケネディ 大統領に就任 ベトナム派兵拡大 

1963年 11月2日 癸卯年 壬戌月 己酉日

      軍事クーデター ジエム大統領殺害 

      11月22日12時30分 癸亥月 己亥日 庚午時

      ダラスでケネディ暗殺 ジョンソン大統領誕生

1964年 8月2、4日 甲辰年 辛未月 癸未(2日)乙酉(4日)

     トンキン湾事件(米国の自演) 米国の本格参戦始まる 泥沼化

1964年 ソ連 軍事顧問団派遣 全面的援助 重火器 戦車 飛行機を供給し始める

1965年 2月より北爆開始

1965年5月 乙巳年 辛巳月 中国 軍事顧問団派遣

1968年 1月29日 丁未年 癸丑月 戊戌日

      テト攻勢 サイゴンのアメリカ大使館を一時占拠

  戊申年 2月25日 甲寅月 乙丑日 ハミの虐殺(韓国軍)  

      3月16日 乙卯月 乙酉日 ソンミ村虐殺(米軍) 

      4月 4日 乙卯月 甲辰日 キング牧師暗殺 

      6月 5日 丁巳月 丙午日 戊子時

           ロバート・ケネディ(弟)暗殺 0時15分

1969年 己酉年 辛未月 7月

    ニクソン大統領当選 ニクソンドクトリン発表
   
              地上軍を撤退させ始める

      9月2日 壬申月 庚辰日 ホー・チ・ミン死去 心臓発作

1973年 1月27日 壬子年 癸丑月 癸亥年 パリ和平協定調印

      同年3月 米軍ベトナムより撤退

6月19日

日々、時間と仕事に追われ、悩み、苦しみ自分を責め続けたり

このままでいいのかと未来に迷い、思い悩むことが続くと、

人の心もオーバーヒートし、ものが考えられなくなり、

知らぬうちに沈み、表情が無くなってきて、

他人のアドバイスは右から左に流れ、その言葉が

逆に自分を否定しているように聞こえてくるものです。

これが更に嵩じると、眉間にシワがより険が現れてくる。

鏡を見る回数が極端に減ってきます。


これは完全に「脳疲労」の状態で、一番良いのは

名人の「落語」を聞くか、わかりやすいマンガを読むことです。

処方された薬や、カンセリングよりもよく効く場合もある。

毎度バカバカしいお話を聞くことで

「つきもの」が落ちることがあるのです。

脳疲労の時というのは、困ったもので、

他人を、やたらと攻撃したくなり、人を傷つけ

憂さ晴らしをしようとしてしまう。

大抵は心の中で悪態を吐いているのですが、ほんの些細な拍子に

言葉や態度に出てしまい取り返しが付かなくなる。

日頃の心づもりが結局はものを言ってしまう。

ガス抜きはとても大事なことなのです。

そして、できれば人にやさしくしてください。


時間は無常の船で、そこにあるものは全て移り変わり

変化しないものはありません。

苦しみも、幸せもこの船の上にあり、

白い花でも黒い花でもタネを撒き、粘り強く手入れをし、

忍耐強く、腐らずに時を待てば、花は咲くものなのです。




推命学というのは面白い学問で、挫折という考え方が

ありません。

正確に言えば生命が必ず通過する一過性のものとして挫折を捉えています。

これは12運について書いているのですが、

いろいろうまく行かなくなり(衰)、どうにもならなくなり(病)、

挫折し(死)、第一線から引き(墓) 世の中から消えても(絶)

雌伏し(胎)、力を養い(養) 再び生まれ(長生)、

人生の表舞台に現れる(沐浴、冠帯、建禄、帝旺、)けれども

盛者必衰、再び、衰、病、死、墓.......と永遠に繰り返す。

仏教などにも通じる東洋哲学の命の循環論です。

善いも悪いもかかわらず、あらゆる局面は変化の一過程であり、

次の段階への移行の始まりなだけなのですが、

自分が他人に対して培ってきた、劣等、侮蔑、無能、等々の

「挫折」のイメージに、今度は自分が、

がんじがらめに縛られ自尊心がそれを手放せなくしてしまう。

これが負の循環の始まりであり変化を拒否する理由です。

他人を責めてきた言葉が、そのまま自分に帰ってくる。

因果の法則そのものです。だから、

日頃から豊かな心を涵養してくださいと書いてきたのです。


とりあえず、落語を聞いて、自分を責めるのを一時停止し、

他人を責めるのもやめ、次の扉を開く準備をし、

腐らずに、粘り強く、細くとも行動し続けていれば

大丈夫。なんとかなります。

八卦論 5

人の心は誰でも例外なく、この8つの心によって出来上がっています。8つの音階でできている音楽のようなものです。

そのときの主旋律が乾卦のものは威張りたがりで、支配欲が強く、その他の7つの音が社会とのバランスを取っています。たとえば、道の真ん中でおしゃべりを続けるママさん軍団は間違いなくこの乾卦の音階の中で楽しんでいます。その実はものすごく排他的で他を寄せ付けないのですが、車やバイクが近寄ってくると、無視しつつも、なんとなく避けて道を譲り、なんとなく自分達のバツの悪さを感じて、解散していくのですが、とりあえず交通ルールに「従う」=坤卦によって無事を得ます。ところが、さらに乾卦の強い連中が集まると、いわゆる暴走族となります。従うことを捨ててしまえば社会生活は成り立ちません。ママチャリ軍団と暴走族は似ても似つかぬものですが、心の中はオラオラオラあたしたちの邪魔すんじゃねー。と同じことを言っています。

もう一つ。
夫婦や恋人の関係の中でこの乾卦が暴れ出すと、男性の場合、暴君、DV、女性の隷属を求めるとなるのですが、女性側にはそれがないのかと問われれば、間違いなくあります。男性以上かどうかは個別の問題ですが、誰にでも必ずある。単純な男性の場合には「暴力」による支配が中心になりますが、女性の場合そのバリエーションは複雑です。女性の場合も単純な人は暴力に暴力で返す人が多いのですが、多くは無言の抵抗とガン無視が基本戦略になっているようです。相手が折れるのをじっと待つ戦略ですが、たいていは自分も腐っていきます。救いがありません。

本当に賢い方は人生を自分の思い通りにしたいと思った時、その野望に対する努力を絶対に忘れません。快活さと誠実さで、相手とその両親にも気を使い、さらに愛嬌と多少の色気で相手が愛さずにいられない存在になることに日々努力しています。さらに言うと、それに応えられる相手を我が者にしています。シーザーとクレオパトラなどがいい例ですが、理屈は単純明快で自分の自我を折る覚悟さえあれば誰でもできます。(クレオパトラは国の命運を保つために自我を折りそれをなしました。)しかし、普通の人には無理かもしれませんね。でも実はこれ、バランスのとれた運を持つ女性たちは皆、自然にやっていることなのですよ。

この場合乾卦の音階ではなく、兌卦の姿になります。兌卦の図を思い出してください一番上の陰爻が下の陽爻を支配する形です。上爻がクレオパトラ、下の陽卦(太陽)がシーザになります。これが兌の意味になります。色気で男を虜にする形、または、理想や概念、この世にないこと、空想や幻影、に支配されている人々の姿、それがこの兌の姿です。理想に支配されるという意味では宗教などもこの範疇です。兌卦を「お金」「財」「喜びごと」と解釈する方たちが多いのですが、私には到底そんなものには見えません。

八卦論 追捕

どうでしょうか、最後まで読まれましたか?

読んだかたは気づくと思うのですが、

八卦論の中には善悪がありません。

この事実に驚きませんか?

私は初めてこの理論を読み解いた時驚きました。

人の性善説、性悪説については結構研究していて

人の持って生まれた性は善か悪か?と

一生懸命考えたのですが、

皮肉なことに万物の霊長とされる人間について

いろいろ見ていくと、結局、根本は動物そのもので

強い相手の遺伝子を残そうとする、種の保存の属性から

離れていません。これに関しては動物となんら変わりません。

脳の構造がそうなっているからで、ただそれだけです。

そこから八卦に現れる卦を解読していくと

八卦自体は実に明確に支配と彼支配の構造のみで

できています。二元論そのもの、自と他ですね。

坎卦などは良い例で寄らば大樹の陰をしながら

従順なふりをして、内心、いつか自分が取って代わってやる。

をそのまま爻の形で表しています。

支配、彼支配の過程として離卦と坎卦まで

卦として表されている。本当に面白い。

周易では味わえない面白みです。

周易は妙に吉凶に善悪を絡めるところがあるのですが

(元亨利貞 などが典型的な例です)

実際は何を思い行動するかが最も重要なのです

それを動機というのですが、他人を思い他の利益を

望み行動すれば、善となり、自分の利益のみを考え

行動し、他を傷つけるのを厭わなければそれは悪になる。

なぜか?

あらゆる人は両義が結ばれ太極をなした時、そこに

同じレベルでの「いのち」が生じるからです。

同じシステムの上から生じる以上、そこから生まれるものは

あらゆる意味でリンク(つながっています)しています。

他人を傷つけた時の罪悪感の正体がこれです。

自分にもその痛みが同期してしまう。

つい先日生徒さんにも話したのですが、他人を傷つけることは

自分を傷つけることと同じなのです。

ほんとうに世界は単純にできている。

人に愛されたければ他人を大事にし、いたわってください。

ほとんどの人は愛されたい。

世の中、自分の思い通りになってほしい。と心の中で思っています。

そうではなく、他人に寛容で忍耐強く、優しく常識があれば

必ず人の目に止まる存在になります。



とりあえず、善にもなるし悪にもなる一度限りの人生です。

大事にしてください。

温故知新

先日生徒さんと話したのですが、やはり昨年一昨年と

年運で凶に入った人達が、今年凶が明け

飛躍するべき時期ににコロナが重なり

パニックに落ちている人のなんと多いことか。

また、今年から凶の年運に入る人達も同様コロナ禍が

重なり運勢自体が迷走し始めています。

友人も衣食住も足りているにも関わらず、

突発的なパワハラやら、誤解や期待が招いた失望やらで

不満と不安が募り暴走する形です。

このスイッチが入るキッカケが先に書いた

自負心と自尊心なのですが、ご本人の心の問題なので、

相談されない限りはどうにもなりません。

ただ、絶望も失望も、裏切りなんてものも

信頼だ、愛だなんだかんだもまた、

昔からあり、皆、そこから立ち上がってきたのです。



朝ドラで戦争の一部が描かれています。

いい機会かも知れません。

日本人全ての自負心と自尊心が粉々に砕けた先の敗戦ですが 

敗戦を公にし、焼け野原のどん底にいた国民に呼びかけた

最高責任者の言葉が残されています。

玉音放送

下段に読みやすい書き下し文があるので読んでみてください。

玉音放送をめぐるドラマは多々ありますが、その内容は

天皇の戦争責任、政治的な影響などの見地からマスコミが

なかなか深く触れようとしないものです。

現代の日本は、まさにこの「言の葉」から始まりました。

Wear a maskの時代 経営に携わる者は足元を見つめ

神風を追い風にする準備をすることです。

野心のあるものは、刻苦勉励 なすべきことを

なし忍耐強く飛躍の時に備えることです。

我々庶民は、自分だけは特別だ、などと言う おごりを捨て、

人生に根を張る努力を怠らず謙虚に生きることでしょう。

人生は苦しいものです。時々楽しいことで憂さを晴らし、

衣食住さえ足りていれば、それで良しとすることです。

変な色気にさえ惑わされなければ、なんとかなります。

プライドは自分を支えるために、どうしても必要なものですが、

それを振り回せば自分も他人も傷つけるものです。

「秘すれば花」をお忘れなく。

神仏

私は宗教的な締め付けが大嫌いです。

彼らは神仏の名のもとに心を縛ろうとする。

大きい組織では、軍隊以上の階級制度で組織を固め縛る

しかし、

だからと言って神仏を信じていないわけでもなく

神様も仏様も実在すると思っています。

おおらかな日本人的信仰とでも言いましょうか

いくつか好きな神社さんもあり

都内では浅草の観音様や目黒のお不動さまにも 

たまにお参りし手を合わせています。

死生観というのは結局その人の生き方を決めるもので

あくせく働く意味も 正しいとされている生き方を貫くのも

道を逸れてヤクザな生き方をするのも結局最後の一瞬に

その人生を受け入れられるかにより人生の勝敗が決まるのだと思います

努力し超エリートとなり官僚として名をなしても

子供の命を奪ってしまえば 悔恨が残るでしょう。

ヤクザであっても子分を可愛がり、表稼業で凌ぎを削り

家族に優しい良いお父さんであれば学歴も経歴も関係なく

自分を褒めて死ぬことができるでしょう。 


幽霊と言ったら申し訳ないのですが

震災後 東方地方の被災地で語られている

亡くなった方達の魂との交流について

地元の方達や学生さんたちが収集し本を出されています。

もっともっと「報道する者の良心」として

取り上げて欲しいのですが、無理でしょうか。


自殺という手段により自分の人生に終止符を打つ若者や

高齢者の方達 苦悩など重いものを抱えている限り

死んでも心は「そこ」に残るのです。

「事故物件」が映画になるのなら 

東北の人々が紡いできたストーリーも映画という形で残して欲しいものです。





秋の気配が急に強まり、そんな気がする今日この頃です。

鑑定

もういつ頃からかわかりませんが、

推命術が身につきはじめた頃だと思うのですが、

「人って本当に皆同じなんだ」とつくづく驚いたことことがありました。

自分の運勢を知らずに生きれば、ほぼ、そのまんまの価値観を持ち、

選択を繰り返し運勢の流れのままに人生を過ごしてしまう。

世界に名を轟かせている人も、誰にも知られず、ひっそりと

暮らしている人もこの運勢というシステムの中の共通の

存在です。

生まれ、運勢のまま流れ、死を迎え、成した行為が運を作りまた生まれ......。

口角泡飛ばし、運が良いの悪いの言うこと自体

実に馬鹿らしいことのように思われてきます。

その反面、ありのままの自分の姿に気づき、

改善しようと努力する人たちに、ものすごい親近感を

最近は感じ始めています。

「運勢」は誰かに教えてもらわなければ

知ることができないわけではありません。

大抵の人は「痛み」からその姿を学んでいます。

何故自分の身にこんなことが起きたのか?と涙を流しながら

人知れず我が身の不幸を嘆いた経験を持たない人は、

いないのではないでしょうか?

親、恋人、友人との別れ、いじめ、事故、怪我等々

人生は気付きの機会だらけです。

私の場合はこの「機会」が路傍の石ころよりも多かった。

(なんとも情けない話ですが、おかげで人の痛みは人一倍分かるつもりです。)

運勢にいじめられると人は物凄く疑い深くなります。

しかし、それで自分自身が心から納得出来る本物の

四柱推命を選べたのだと思っています。


(誤解のないように言いますが、私が学んだクラスの人全員が私のような苦しみに悶える人間か?というとそうではありません。普通の生活をしている真っ当な方達が殆どです。師匠とのご縁がストレートに結ばれているわけですから運の良い方達だと私は思っています。)


四柱推命は昔からだと思うのですが、依頼者の注文に応えるためのものと、

運勢を改善するための基盤としてのものがあります。

前者は良い意味で希望をもたらすものです。貴星、三貴など依頼者を

喜ばせ、楽しませることにより安心と期待を持たせるものです。

「私にはこんなにいい星がついている、きっと素晴らしいことが起きるにちがいない。」

とても素敵な鑑定で、夢と希望と幸運を約束されている。

運の良い方はこれで良いのだと思います。

しかし現実が、なかなか動かない人たちにとっては、貴星は

絵空事でしかありません。

その場合後者の立場をとる四柱推命術が必要になってきます。

しかし、この術はあまりにも現実とリンクし、使い方によっては

さらに人を傷つけるものとなります。また、運は積み上げ、

作り上げるものと解釈し、努力することが前提となっており

その具体的な努力の提案と自分を見る(相手を見る)客観的な視点を

提供し、運勢の改善を施すことを方法としています。

私の持つ推命術は残念ながら後者のほうで

大衆受けするものではありません。

人に媚びず、奢らず、あるがままの人間を見つめるもの。

そのようなものです。

大阪地震

6月18日

先ほど泰山流(緒方派)の事務局と連絡が取れました。

大阪の箕面に本部があるのですが、

昨日の情報では箕面は震度6弱とのこと

ちょっと慌てたのですが、昨日の昨日では迷惑と思い、

本日連絡を入れたところ、皆無事だとのことです。

箕面市でも高槻市に近い側は壁が壊れたりと

被害が大きかったそうですが、幸いにも

お茶碗が一つ二つ壊れた程度で済んだそうです。

今回の地震は阪神大震災の時の横揺れとは違い、

ドーンと大きな縦揺れが来てから横揺れになる、

震源地が足元にあるような気味悪さだそうです。

昨夜の余震もゴーという音がしてから

グラグラと揺れたとのことです。

1日も早く平穏な日々が戻るよう祈るばかりです。

ご心配をいただいた方々への報告をかねて

今日のコラムとさせていただきます。

3月20日 2020年

先日東出さんの会見をテレビで見てしまいましたが、

なんとも言えません。

関係者もよっぽど腹に据えかねているのでしょう、

誰からも守られていない感がヒシヒシと伝わってきました。

色事が芸の肥やしになる人とそうでない人がいます。

ただ、色事が芸の肥やしとされていた時代というのは

相手もまたプロの方達で、妻を泣かすと言っても

妻側もプロだったら仕方ないと、お互いに逃げ道のある

遊び方でした。だから浮気ですんでいたのですが

妻と同業の相手では浮気ではなく「本気」の関係で

許すも許さないもありません。裏切りです。

人を裏切ってはいけない人が人を裏切ると目もあてられない。

彼が誰からも許されない理由です。


不倫の後始末は大変です。

男女問わず、かなりの確率で運勢に傷をつけます。

そんなことわかる訳ないという人もいるでしょう。

根拠を示せという人もいるでしょう。

それを証明するのはわりと簡単で、

恋愛で傷つき、複雑な不倫や男女関係に苦しむ人がいたら

そのご先祖さんの中に(実の親も入ります)、

大抵、女への執着、男への執着で亡くなった方がいます。

「執着」の意味を誤解しないでください。

「愛が叶わない故の執着」と

ロマンチックな人達は考えますが

「その存在が許せない」のも執着です。

(同性、肉親に関する場合は特に酷く昔からある

女系一族の男子などは典型です。実は、

これは私の実体験からの結論で事実です。)

生死にかかわらず人の思いは残るものなのです。

これは過去のお身内の方のツケを負う形ですが、

現代のこの瞬間、ややこしい人情のもつれを抱えているとしたら、

その「晴れぬ思い」は本人か

未来の誰かが負うことになりかねません。

負の連鎖は隔世でも様々な形で現れ、そう簡単には消えません。


孔子は怪力乱心を語らずとあるのですが

彼がドップリハマったのが易です。

いろいろ時の権力にすり寄りながらも

彼の名がいまだに残っているのは「」の思想を解いたからではないかと

私は思っています。

人を思いやり、自分が欲しないことを人に行わず

自分を恕するように人を恕しなさいとのこと。

為政者は時に鬼になる必要もあるとは思うのですが、

我々のような庶民は、

これが人生を安定させる最善の道だと孔子様は

おっしゃっているのだと考えれば、刺激の少ない

毎日をいつものように生きるのも、そう悪くはありません。

コロナ禍のなか、社会全体の基盤がぐらつき始めています

社会に余裕が無くなれば、あらゆる意味で甘えは許されなくなってくる。

おごらず、注意深く過ごし墓穴を掘らないようにしましょう。

無題

3年ほど前に世界が内向きになってきていると

書いた覚えがあるのですが、今回のコロナウイルスの感染拡大に

伴い、世界の隅々にまで勢いが加速してきているようです。

平和時であれば、表面的な外面(そとづら)を保てていたものが

追い詰められた時、本音が現れてくる。

当たり前といえば当たり前ですが、醜いものです。

そんなこと承知で排除したり、拒否したりとするわけですが

緊急時に綺麗事は通じません。


「平家を滅ぼすは平家」と

自業自得の意味のことわざがありますが

残念ながら「日本を滅ぼすのは日本人」だと正直思います。

3.11の東日本大震災のとき、阪神淡路大震災のときも

熊本地震の際にもあった。

マスコミが黙殺してきた不都合な真実が表に出始めています。

美談に事実を隠すジャーナリズムは

結局、国を滅ぼす大きな要因になります。

思想に偏った政党は結局、彼らの思想を入れないものを

排除してしまう。与党、野党関係ありません。

ここで「思想に偏る政党」と書いていますが、

「その現場での権力を持ったもの」と理解してください。

避難所、更生施設、学校、あらゆる人の集まるグループでの

力関係を言っています。

権力に対しての個々の力は弱すぎる。

子供などは言うまでもありません。

大衆世論を味方にし権力を正すことが

ジャーナリズムの本来の役割であるのですが、

個人情報保護法にがんじがらめにされ、

人権保護の名のもとに、加害者本人の人権を守る仕組みがある

司法の「自縄自縛」はいつまで続くのでしょうか。

6月5日

研究科の生徒さんが持ってきた例題がきっかけで

昨日から中国近代史の研究を始めたのですが

とても興味深く面白い。

命式を眺めながら、これ違うよなと掘っていくと

いろいろ掘り出し物が見つかり、そこで見つけた論文の一つを

共有したいと思います。

これは、毛沢東が文革に至る原因を探索中

彼の跡取り候補の息子が1950年彭徳懐の軍営で戦死しており

中国人にとって跡取りの男児が絶えることは

先祖へ愧じることになるとの聞き覚えからヒットしました。

Osaka University Knowledge Archive : OUKA

風水に関しての論文でもあり興味深い記述があります。

これに関連し、現在の国家主席の父親の墓が、

2007年に皇帝陵なみの規模で建設され、

担当者が大出世したとの報道もあり現在の彼の活躍を見ると、

何がしかの影響を考えざる終えません。陰宅風水だと確信します。

墓を作った男の大出世 産経ニュース

まあまあ中国とは凄い国です。

ただ、これも書いておかなければならないのですが

風水は時に大きな代償を払わされるものです。

気の世界には善悪の基準がありません。

お金が欲しいと必死に願えば予想もしないところからお

金が入ってくることがあるのですが、

それが身内の保険金なんてこともあるのです

国家規模の場合、多くは国民に犠牲が強いられる。

(韓国の青瓦台が典型です。)

結婚にしても、異性とのご縁はできるのですが、

相手の将来性とか人格とかは別物です。

幻想に惑わされてはいけませんし、

気の技術を誤解してもいけません。

コツコツ自分の努力を積み上げることが肝心です。



週刊ポスト 外国人は立ち入らせない

デザイン

現状がどんなに苦しくとも、過去を誰かのせい、

努力しなかった自分のせい、

親のせい、いじめた同級生や先輩や先生のせい、

裏切った彼氏や彼女や友達のせい、

会社の上司のせい、嫌いな同僚のせいにせず、

過去は過去、今は今だと自分に言い聞かせ、

過去の自分と今の自分を区別し、時々、

湧いてくる悪夢や、お前なんかやってもダメさ

と言う、心の中で時々起きる自分の中にある

陰険な自分自身のつぶやきに対し、

「過去は過去、未来は未来、今の生き方が未来を変えるのさ。」

と応答し、さあ、コーヒーでも飲んで

リッラックスして、またやるか。と心の罵声をスルーし、

未来の夢や計画を出来るだけ可能な範囲で夢想しながら、

それについての情報を集め、少しづつ実行していく。

それが楽しくなった頃には、

心の滓(おり かす=濁り)は、かなり落ち着いているはずです。

もし、自分が嫌いだ、好きになりたいと思うのであれば、

とやかく言い訳をせず、過去からの流れを手放し、

たった「今」から、どんな行動をするのかを

考えれば、どうにかなります。これが因果の法則というやつです。

自分の未来はデザインできるのです。

頑張れ。



我々の実社会には

捨てられないもの、切れない縁、自由を許されない環境

があること、すべて承知した上で、こういうことを書いています。

どんな「縛り」でも、時とともに緩み、

「時間」を味方につけ、諦めなければ、叶います。

これもまた因果の法則です。

法話

大きなお世話かもしれませんが

「釈迦族の最後」は

精神世界ファンの方への警鐘の意味で書いたものです。

(貼ったものですというのが正しいですね。)

真理とか、なんとかとか、信仰とかも大事ですが、

本当のことを知ると知らないとでは大違いです。

お釈迦様の偉大さに隠れた、彼の一族の姿の末路の隔絶の大きさに

気づくことが現実世界と信仰世界のバランスを測る

良いバロメーターだと私などは思うのですが如何でしょうか。



ここ数回の締めくくりにちょうど良いサイトを見つけたので

例によって貼っていきます。

ダライ・ラマ法王講義テキスト

ダライ・ラマ猊下の法話のテキストです。

youtubeに大体の講義のビデオがアップされているので,

最高の先生による最高の無料仏教講座になると思います。

本物の先生の講義です。

自性と縁起

洗心庵ではどのように推命学を解釈しているのかを

書いておきたいと思います。

実は私の推命学の解釈は「縁起 空」が基礎になっており、

「自性」に対する否定、相互依存における変化、

「縁起」が核心になっています。

生まれ持った星を自性とするとき、

生(産まれる)、住(時とともに生きる)、

異(時とともに老いる)、滅(老い衰え死に至る)の

誰も逃れられない変化の中で、生まれもった星もまた、

変化するという考え方です。

(本来の推命では、その変化を大運年運月運で捉え

運勢は変化すると解釈すべきところですが、現命式に拘泥し

断見に落ちているかたが多いのも事実です)



これを真面目に突き詰めていくと

それじゃ「自分」て無いじゃん。となるのですが、

その人の持つ今ある「肉体、感覚、意識」の

他一切に対する執着が「自分」というものを成立させているというのが

「縁起空」の考え方です。

どこかに書きましたが、それが相互依存というもので、

目の前にいる親の子としての自分。

教室の中にいる集団の中の自分。等々。

「他」との関係性によって善人なのか悪人なのか、

自分てっ何?を多くの人は決めています。

これがいわゆる社会の在り方なのですが、

どこまで言っても「他」との関係性から見た「自」であり

(自分が評価している自分、他と比較しての自分についても

同じことが言えるのです。)

自にとっての「他」も同様なあり方をしています。

このことから、「自」が変化すれば

「他」との関係に変化が現れるのは自明の理ですね。

そして、幸いなことに我々は常に「時間」の中に在り、

変化を許容されている生き物です。別な言い方をすれば、

時間という「縁」を利用すれば少しづつでも変化は可能なのです。

かわろうとする意思を起こせさえすればなんとかなる理屈です。

そして、この、自分に変化を起こそうとする時

「自性」である、持って生まれた星が必ず影響してくる。

時には既存の知識(特に心理学と哲学宗教)で

重武装して抵抗する場合もあり実に厄介です。

自分で自分を枠に嵌め込み、閉じこもってしまう.........。

たとえ苦しくとも変化を好まない人も、間違いなくいるのです。

しかし刺さったトゲは抜こうとしなければ抜けません。

(心理学の先生方はその時の状況を心理的に再現し

過去と現在を区別させ、完了させることを療法としていますが、

受ける側が「縁起」の考え方を受け入れることができれば

より大きな効果が得られるかもしれません。)



五行思想というのは循環とそれに伴う質の変化と、

その相対性についての哲学で、実に深いものがあり、

他思想の解釈を拒むようことはありません。そして、

円満な人間関係、納得できる自分自身に至る鍵がここにあるのです。

「縁起」と言われているものは実に誰にでも利用できる、

すでに当たり前に利用している法則で、

現代風に言えば究極の時間の有効活用法ということになるのです。

ここまで読んだ方であれば概念はわかった、

どう使おう?となると思うのですが。

円満な人間関係を気づきたいのであれば、

心の使い方から始めるのが常道です。

心の会話で悪態をつかない。相手の心中を斟酌する。

できれば同情し、誰に対しても優しい心を起こす努力をする。

他人を利用しない。バカにしない。等々、

(詳細は十善行で解説しています。)


結果として、

多少かもしれませんが優しい言葉、態度、同情を

相手に示せるかもしれません。0,001の変化もしれませんが

時の流れが自然に形にしてくれ、早ければ2、3ヶ月で

あの人変わったねと言ってもらえるようになります。

最後に誤解のないよう書いておきますが、

DV夫婦が子供を死に至らしめる報道が後を絶ちません。

このように世の中にはどうにもならない人も

間違いなくいます。相手を選ぶことも大事なことです。

自性と縁起2

なんで、小難しいことを性懲りも無くなんども書くのか?

その理由は単純です。

「悪夢から目覚めたい。」

ただこれだけです。

我々日本人は、四季のある国に生まれ、

春の次に夏がきて秋がきて冬が必ずくることを

誰に教えられるわけでもなく身に沁みています。

さらに小学校でお米は八十八回の世話をして

我々の食卓に上るのです。

大事にしましょうね。と教育され、

蒔いた種がお米になるんだと、なんとなく縁起や因果の法則を

肌で感じトラブルが起きれば自業自得だと罵られ、

その苦しみが積み重なると「どうせやっても無駄」とか

「自分には無理」とかの諦観が育っていく。

そして、四季が巡ってくるように、トラブルも必ず

巡ってくると、どこかで確信し、負の轍に

はまり抜けられなくなっていく。

これが多かれ少なかれ災難が多い人の心の構造です。

そして、その対抗反応とでもいいましょうか。

各地の占い館は盛況で、お悩み相談の列が絶えません。

「今度こそ目の前の幸せを逃したくない。」

「幸せになりたい。」「普通に生きたい」。

苦しみのルーティンから抜け出す意思を立ち上げ、

勇気を奮い立たせている人もいる。

けれども、

多くの方が、その原因が自分にあることを

表面的には認めても、心の底では認めていません。

絶対に認めたくない。もちろん前にも書いたように

社会は相互依存で成り立っているので、相手にも

責任があるのは間違いないのですが、

それに乗っかっている自分の姿が見えていません。

プライドの高い人ほど、自分の非を認めない。

自尊心が許さないし、認めれば、

作り上げてきた自分の存在意義さえ疑わしくなる。

禅の言葉に脚下照顧という言葉がありますが

もちろん自分で気づき、改善することができれば、

最上の解決につながるのですが、その根拠となり

自分の背中を押してくれるものがあれば、

さらに行動しやすくなるはずです。

そのための理屈を「仏さんの教え」として

前回述べたのです。

悪夢もまた「空」なのですよ。

良くしたけれど、良い縁を積み続ければ良果と成り、

悪夢から覚めたければ、その「種」を潰す努力を

すればいいだけです。

さらに真言宗などでは行動には3種の形があり

心、言葉、身体に分類されるとされています。

その中でも大事なのは心の行動となり、前回

こころの中での会話と表現しましたが、自分自身との

対話から見直すこと。習慣となっているワードを

点検してみること。そこから始めてみてください。

必ず、解決のヒントがその会話の中にあります。

5月19日

占いについて

先日教室の生徒さんから断易の質問で

地震が起きるかとの質問をされ、

得卦の分析をし答えはしたのですが、

四国で地震とのテレビのテロップを見て

黄金策を読み返しています。

地震についての記述は藤田善三郎先生の

「卜筮正宗」の213ページの最終行にあります。

この記載のある「年時の章」は通年の占いに関するもので

今回のような疫病の流行の判断法も記載されています。

後学の皆様のために記しておきます。

5月9日

5月9日 ミュージックステーションを見て。

手を洗おう ゴスペラーズ

医療従事者の皆様へ「あなた」

お米を買いに久しぶりに表に出たのですが

結構人が出ています。

阿佐谷姉妹よりちょっと若く見える

お二人が、パン屋さんの前で

マスクもせずにお喋りしながら、口も覆わず

大きなクシャミをしている現場に出くわし、

この人達、100%コロナは自分たちには

関係ないと思っている.......。

クワバラクワバラ。


先日読んだ記事に某宗教団体の方たちは

教祖様の法力で感染しないと大宣伝していて

そこの人達か?とも思ったのですが、

重篤化する被害者にはならなくとも加害者には

なり得るのになと。彼女たちは

二人だけの世界しか見えていないのかもしれません。



宗教をやっている方の中には

とても好ましい素敵な信者さんもいるのですが

教条主義のヘビーな信者さんは大嫌いです

自分達が「絶対」だと思い込んでいて

自分達さえ良ければいいと考えている方が多い。

コロナ禍に良い所などないのですが、一点、

世界中に感染が国境を超え拡がり民族を超え

一律に被害を及ぼしているという意味で

人類は共同体であり、自分達さえ良ければいいというのは

幻想だということに気付かされたことです。

これは核戦争による終末思想が喧伝されていた時代以来の

とうに忘れ去られた共通認識です。

新しい時代が始まるのかもしれません。

まずは、自分たちだけは大丈夫という愚かな考えは

どこかにしまっておいて、

共存共栄を目指すことを模索することですね。


イタリアでは50人以上の司祭が終油の秘蹟の儀式に立ち会い感染し殉教なされています。ただただ胸を打たれる。日本ではこの立場に医療関係者の方達がいる。仕事に殉じることをバカだという人もいますが、他者を生かすために生きること以上に尊い仕事はないのではないでしょうか。そこに多くの方達が関わり、この瞬間も踏ん張っている。

宗教をなさっている方は、この信仰の重みを重く、重く、受け止めなければなりません。他者のために自分の命をかけられるようになることが正しい信仰の形だと私は思います。

時代

今年もあと十日ばかり

今日、明日、明後日と土星と木星のグレートコンジャンクションとのこと

西洋占星術の先生方は大変お忙しいのではないかと思います

ここまで近くに見えるのは397年ぶりの超天体ショーとのこと

私見になりますが、大きな時代の変わり目というのは

旅の途中、ちょっと違う、かすかな匂いがどこからか香り、

知らぬ間に、群れをなして皆がそちらに向かって歩き始めるようなものです。

木星 土星 ライブ映像

良い時代になるといいですね。

時代を追いかけるのも、傍観者として生きるのも

良いものかと。

FLY ME TO THE MOON

5月6日

生徒さん、元生徒さん、コラムの読者さん

皆さんご無事でしょうか。私は相変わらずです。

研究科の資料を十干の順に並べる作業をしていて

昨日終了したのですが、いろいろ考えさせられています。

コロナ感染者の数がとりあえず減っていますが

お互いに用心しましょう。




生徒さん、元生徒さん、ご縁のあった方達、

暇なのでメールをいただければ返信いたします。

安否も兼ねてご連絡ください。

子供のスマホ

東洋経済オンラインに、

子供を持っている親御さんには空恐ろしい記事がありましたので

貼っておきます。

人間が余る時代

人間が余る時代

なかなか衝撃のある内容ですが事実だと思います。

大きな世界の流れが変わろうとしている今の時代

コロナ禍によって加速される人間が余る時代

社会派と呼ばれるジャーナリスト達は

その流れから疎外される人々の苦痛を書き立て、

社会的な救済を声高に叫び続けるだけで

解決策を提示しません。野党の先生方と同じです。

生きていくのは楽ではありません。

一時的に夢が叶うことはありますが、それが長続きするかは

恋愛と同じで一旦は叶っても一方が冷めれば終わるものです。

無いものを追いかければ執着とかストーカーと言われてしまう。

切り替えることです。


時々嫌になることがあるのですが

仕事が無いわけではないのに、仕事が無いという人達がいる

汚い、きつい、かっこ悪いと文句ばかり言って

カッコ良くて、お金が高くて、楽な仕事を探し、

仕事が無いと言っている。そんなもの、あるわけがありません。

バブル時代の影を未だに追っている平和ボケの姿です

親の姿を見てそう言っているのでしょう。

親の時代とは違うんだということを理解できていない。

仕事を見栄えで選べる人達は、ほんのごく一部です

それを得られたからといって幸せかと言うと

得られた人にしか理解できない不幸というのがある。

しかし、それは、どこにでもある不幸と何も変わりません。

どこにいても、どんな仕事を選んでもキツいし、苦しいし、

不条理なものです。なぜかと言えば自分一人の世界ではないからですね。

自分と会社、自分と同僚、自分と他人自分以外の人という意味では

家族が一番初めに出会う他人です、そして一番、口出しをしてくる。

何かやりたいことがあるのであれば強い意志が必要です。


「棲み分け」とだいぶ前から書いていますが

他人と比べて自分を諦める必要はありません。

現実は厳しいですが、冷たいだけではありません

こちらが誠意を持って生きれば、世の中には結構優しい人たちが

多いものです。本当に人は人を見ている。

一生懸命生きている人は大事にされ、必ず優しくしてもらえる。

しかし、それに甘えて不義理をすれば、虐められ無視されます。

現実の厳しさは、このようなところから始まるものです。

人に甘えないこと。自立すること。大事なことです。

霊性の震災学

前に霊性の震災学の話を書きましたが著者の金菱先生の記事が

朝日新聞のGLOB +にありました。

「幽霊の出ない街」の解釈がとても興味深い。

もしこの仮説が正しいとしたら、死に対する我々の覚悟が

どれだけ大切なのか。また、亡くなった人を思うことは

お互いの心を豊かにすることだと感じさせられます。

極楽があるのであれば、霊となり迷える人達が皆

人生を完了し極楽に行けることを祈るのみです。

ASKA

テレビの話題で恐縮ですが、テレ東の音楽祭に

ASKAさんが戻ってきましたね。

それ誰?と

若い方の中には知らない人がいるかもしれませんが

6年前に覚醒剤で逮捕されたミュージシャンです。

去年でしょうか、剣道の地方大会で優勝したとの報道が

あり、それ以来です。

昨年から本格的に活動を再開したようで、

昨晩、彼の姿を見、歌を聞いて、過ごした時間の

厳しさと、歌への思いがヒシヒシと感じられました。

昨日の「嵐」へのファンレターではありませんが、

歌手もまた、歌に導かれ、ステージに立ち、たくさんの

声援から大きな生命を与えらる存在なのだと感じます。

相互依存などというとヤボですが、そうなのでしょう。

本当に自分を大事にして欲しいと思います。

自分は一人きりだと孤独に嘯くのは間違いで、

少なくとも社会生活を送っているものには、

繋がりがあり相互依存しています。

自分を愛するように、他人を愛せるのが理想ですが、

少なくとも自分を傷つけることは無しにしましょう。

他人を傷つける時の人の気持ちは荒(すさ)み、

偉そうに言うなと、怒り、見下し、嫉妬して、

足を引っ張りたくなるものです。でもこれは、自分の

心の基本的なあり方を汚していることでもあるのです。

悪口を言って「スッとする」人もいると思うのですが

実は、それ以外のところにストレスの原因があり

悪口で、それを晴らしているだけなのです。

原因の解決をはからなければ繰り返すだけで

繰り返せば、癖になり、面相に現れ、他人からも、

その心の形が見えるようになってしまう。

そういう表情の人が近くにいませんか?

40過ぎたら自分の顔に責任を持てと、

昔はよく言われたものです。

美しく、というより、嫌われない人になりたいのなら

自分の中にある攻撃的な癖を分析し、多分、

自分とは全く関係ない芸能人のどうのこうのや、

有名人の噂話に反応するのをやめ、

できれば誰かの幸福を祈ることです。

(人が嫌いだという人もいますが、何故嫌いなのかを徹底的に分析してみてください。)

これは無料で、お金は全くかかりません。

心を安定させるには、これ以上のhow toはありません。

ASKAさんの今後の活躍を祈ります。

4月22日

生徒さんの中に医療関係の方がいて

今朝ほどメールを頂きました。

東京在住の方達には自覚を持ってもらいたいとのことです。

実際、大きく報道されることはありませんが

近所の武蔵小山商店街では串カツ田中さんの

従業員のかたが感染されたことを誠実に公表されています。

風評被害の前に「黙っていたこと」への後悔の念

後からバレた時の店の信用を考えれば、ここは目先の利益よりも

信用を大事にするべきだと私などは思うのですが、

各地の商店街の方達も、もし、感染が発生していたとしたら

誠実に公表し店の暖簾を守るのが得策だと思います。

東京は緑地が多く絵画のような美しい景色が

大規模な公園では見られます。

長閑で安心できる場所なのですが、しかし現状では

笑顔で駆け回る子供たちやランナー達の姿を見ると

濃厚接触や飛沫感染の度を遥かに超えています。

毎日感染者を数字で公表し隠し事はないはずですが

感染者は初期段階のクルーズ船や帰国者たちと

その家族群から、いよいよ一般人へ広がり始めていると

感染年代の推移を見ての感想です。

いつものような散歩道が感染ルートになりかねない。

感染地域の狭い範囲まで、ある程度は公表し少なくとも

危(あやうき)には近寄らせない対策が必要なのではないでしょうか。

東京は第二次世界大戦の東京大空襲以来ほぼ完璧に

自然災害からは逃れてきました。その備えをし続けてきたからの

成果だと思います。それゆえ防災施設に恵まれた分

住人の甘い考えから人災として感染が拡大し、

大規模災害と等しい悲惨な悲劇が起きるのかもしれません。

日々医療従事者が感染し、医療体制の脆弱化が進んでいます。

マスコミの方は政府の監視は必要ですが

都民に必要な情報提供者としての役目を果たし、

商店街は感染を隠さず公表し次の100年間の信用を

考えることが大事です。


医療現場は戦場と化し恐怖に溢れているそうです。

できれば、多くのかたが過度の緊張に曝されている

現場で、自分の身内が働いているとしたらと思い描き

心の中で彼らに声援を送ったください。

人の気持ちというのは聞こえなくとも届くものです。



みなさん無事でいてください。

4月23日 推命学の勉強の仕方

推命学の勉強の仕方は、まず基礎を学び

鑑定に必要な知識を得、使えるようになるまで

その知識を復習し身につけ、基本的な冲や合、会局、

通変星を図表を見ずとも判断できるようになるのが

初級の段階です。

次に用神を正しく決めることができれば中級、

その具体的な使い方を個々人に応用することができれば

中級以上の実力と考えていいと思います。

中級以上の実力を身につけるためには具体的な実例や例題を

先生と一緒に学ぶことが最善の方法です。

信頼のおける命稿集や先人の残した子弟問答なども良いと思います

注意して欲しいのですが、これは初級段階の方にはお勧めできません。

実践鑑定は基礎知識が何重にも重なって構築されているもので、

基礎の部品に欠陥があると理解不能となり、結局脱落していきます。


書籍を読むときは、その作者がどこを視点にして書いているかを

正確に捉えるところから始めなければいけません。

2、3ページ読めば実践家か学者かはすぐわかるものです。

推命学の正しい歴史と系譜を主眼に書いている先生方

鑑定の正確さを矜恃として独自の理論を世に問う先生方

経済活動として書いている方達等、様々です。

実践家の書物を読むときは、やはり最低3回は読み込み

実例解説は、あれ、ここ見落としてると見えてくるまで

突き詰めること。例題を一つ一つ書き出して

眺め続けるのも面白いものです。

ここまで来るにはだいぶ時間はかかりますが

間違いなく実力は身につきます。

秘伝だ口伝だと情報に溺れ、あちこち食い荒らし

何も身につかない愚を重ねることなく真っ直ぐに進んでください。

そんなものは実力が身につけば、自ずと見えてくるものです。

6月10日

研究科の生徒さんとの話の中で気付いたのですが

初級、入門段階で教えている「自他の関係論」を

泰山流の理論と誤解されている方がいるようです。

かつて私が推命学を習っていたとき、

緒方先生ご自身が、推命学を学び、実践した中で

足りないものを自ら工夫し、より現実に即した

現在の泰山流推命学へ全てを編み直したと述べられていました。

その恩恵を我々は継承しています。

私も後塵を拝するものとして日々の切磋琢磨を欠かさず

その経験則と「ある意図」を以て実践に則し編み出した

鑑定理論の根幹にあたるものがこの「自他の関係論」です。

実に単純明快ですが深淵で、生徒たちにも困ったときは

ここに立ち帰れと教えています。実際、ほとんどの問題は

ここから見えてきます。

しかし、私の権威のなさと不徳のせいなのですが、

(見た目も普通の、優しそうなおじさんだとはよく言われます。)

いつの間にか、この理論と私から受ける印象のギャップから

この論の起源が緒方先生にすり替わり、虎の威を借る者が

少々、出始めているようなのです。

他の者に誇れる程、依頼者から感謝され鑑定に

自信が持てるのはとても素晴らしいことなのですが、

もし多流派を見くびり先生の元に苦情が行けば

大変な迷惑を、おかけすることになりますので

あらためて、ここに記載させていただきます。

私の奢りが生徒に伝わったもので慚愧に耐えません。

古い方で実践に従事されているかたほどこの傾向があります。

自戒して下さい。

矜恃が高いのは結構ですが「真理は野にあり」を胸に秘め

切に慢心を戒めなければなりません。

もし慢心が起きたら自分自身の中にあるその種を

探してみてください。必ず具体的にそれは存在しています。

それが推命家としての正しい態度です。

自分自身の心を掘り続けることが即ち鑑定力をあげる努力なのです。

ただ、考えるに、この辺りが泰山流の真骨頂かなとも思え、

正統な系譜を見ていると、専門書店さんでも見たことのない

世に知られぬ先達の方々の名が連なり、各々が工夫し

進化させた術が安倍泰山先生の権威と名のもとに収斂し

今に至るのだとつくづく思うのです。

多流派の方々も事情は同じ。

誇り高い方達が多いことを忘れてはいけません。

4月16日

ついに戸越銀座が槍玉に上がってしまいました。

ここは地元民にとってオオゼキや文化堂の

大型スーパーのある生活用品供給商店街なのですが

感染を考えると難しいところです。

世の中の正義漢が「不公平」とのたまってくださったようです。


ウイルスですが、どうも感染力が増しているらしく

外は安全などと甘い考えでいるとまずいことになりそうです。

ウイルスの正体はいまだ全容解明に至っていません。

出てくる情報は「予想の範囲」のものです。

外着と内着を区別するなど必要以上の予防が必要です。

気をつけましょう。


お隣の国の総選挙で与党が圧勝とのこと。

中国ではウイグル地区で秘密裏に低出力核実験を行っていたとの

報道がされています。フェイクニュースだといいのですが

コロナ禍が終息しても、内憂外患の状況は変わらないようです。

世界にも日本にも良き人材が現れることを切に願います。

4月16日

AERA朝日新聞の政治記事は嫌いですが

文化系には刮目するべきものが時々ある。

ここに書かれていることは間違いなく正論だと思います。

本当に日本のマスコミはどうにかしている。

政治がスムーズに進まないのも、この個人の権利に配慮し

やむおえない緊急事態が起きるまでは、

無理を言えないことを日本の政治家はよく知っていて

どこかの国とは違い遵法精神が守られている。

腹の座ったリーダーがいないという意味では

情けないところもありますが、

これも戦後民主主義教育の賜物です。

しかし、個人の権利を守るべくあるはずのマスコミは

本当に情けない。

韓国が感染拡大を阻止したと喧伝しているのも

国が個人を携帯端末によって半端なく管理している

証拠なのです。台湾もしかり。

両国とも徴兵制度のある国であり、

国民同士で本当に多くの血を流している歴史があり

戦争が起きることを前提に政治が行われているし、

両国とも30代以上の男子は誰もが銃も機関銃も

当たり前のように扱えるのです。

我々には想像もできない世界です。

嫌韓を言うのは簡単ですが、戦闘が起きれば

一方的に蹂躙されるのが関の山です。

腕力では勝てません。

養うべきは情報と経済と人間力です。

「自分の頭で考える習慣」を身につけてください。


若者たちよ

多くの文句垂れは50台以上の世代です。

結局彼らは自分の言葉に責任を取ることはない。

彼らの口車に乗って、知恵の備わらない

蛮勇を振るう日本国民になってはいけません。

選挙で煽りに乗っかる、どこかの国民と変わりません。

4月17日

今日も良い天気です。

近所の子供が明るい陽気な声でバイバイと

親御さんを見送る声が聞こえてきました。

このような時期に触れる陽気というのは良いものです。

面白いもので、世の中がいつもの日常であれば

気にも留めない事なのですが、自分の心の中にも

陰の気が侵食しつつあるようです。

多分、元気になれとか頑張れ系の歌をテレビで

聞いてしまい、頑張れって、言われてもと、

天邪鬼が騒いでいるのでしょう。困ったものです。

世の中が暗いときは、マズロー的にも受け入れることから

始めないといけません。戦うのではなく受け入れること

妬むのではなく受け入れること。とりあえず

消えてしまった何事かを諦めることです。

我が家もlive from hand to mouth だよなと

中学校で習った英語を今思い出し、しょうがないと

受け入れることにしました。

うちの場合は前の家の姉弟が今日も元気にはしゃいでいます。

多少うるさいですが、悪くありません。



陽気と陰気、陰と陽の違いは重要な鑑定要素で

見ていくと面白いものがあります。

陰陽は風水のような長時間安定させたい鑑定対象について

重要視され、断易など直近の占いについては性別、

性質、性情を測る根拠として使います。


風水ならば基本的に陰と陽の組み合わせを

「正(正しい、本来のあり方)」とし正ならば

安定した気が満ち、健康で豊かな家、土地、等々と判断していきます。

そうでない場合「偏(偏っている、不完全、欠点がある)」と考え、

そこが災難の起きる根拠と考えます。

易であれば、

例えば対象女性が陽と出たならば男勝りのしっかりした人

男性が陰ならば優しいけど生活力の無い人などと見ます。

隠の男のどこが悪いと怒られそうですが、あらゆる状況には

それが成立するだけの条件があり、その条件を精査し

判断できるまでには時間がかかります。

そしてこの辺りに色々な問題が生じやすく

短期の占術には実に有効な因子が長期のものには

当てはまらず、長期の占術には重要なものであっても

変化する対象には無力な鑑定法則があることを

知っておくことが非常に大事なのです。

残念ですが、いまだにそれが混在している状況です

変化を見極める法則と安定を志す法則は全く同じな

はずがありません。

自ら変化できる可能性のあるものに、不動の因子を使い

鑑定するのは問題があると思うのは私だけでしょうか。


難しい時代です。

生徒に頼まれて易を見たことがあるのですが

職場が翌年閉まる可能性があると答えたのですが

その年は閉まらず、今年になって閉まりました。

運勢の変化には幅がありキッカリとはいきませんが

大きな運の流れというのは変わらないようです。

特に現在のような時代の大きな渦の中では的が動き、

渦全体を捉えることはできますが

渦の中で起きている動きを追い切ることは難しいようです。

家にいるのであれば勉強するのが一番いいかもしれません。

受験生

明日からセンター試験が始まります

なんとも不安な時代に入学試験を受ける受験生

禍福は糾える縄の如し

体も心もエネルギーが溢れ、行き先が見えず

暴走し、あちらこちらに頭をぶつけ、血を流しながら

大人になる人もいれば、初めから夢を目標にし

自然に努力を重ね想いを遂げる人もいる

人生は不公平です。

いくら机にかじりついて勉強しても頭に入らない人もいれば

ぺらぺらと教科書をめくるだけで完全に記憶できてしまう

そんな人もいるのです。私が学生の頃もこういう奴がいました。

羨ましい限りです。自分の頭の悪さを嘆き嫉妬したことを

憶えています。

面白いものでインテリの方達は彼らなりのコンプレックスがあり

某一流私大に入っても、その上のレベルの大学に劣等感を持ち

地方の一流大学に受かっても東京の大学の方が良かったと言い

なかなか自分の立ち位置を受け入れることができない。

これは入学1年目くらいの話で、仲間ができ、

周りがヤンヤ言ってくれるうちに忘れてしまうものです。

人生は得られた立場をいかに使い切るかです。

大学生なら学び、遊び、課題をこなすストレスとその解放法を

上手に身につけることです。

社会人なら、その立場でできるだけのことをし

その日の命をその日に燃やし尽くすことです。

私はそのような人を尊敬しています。

自分ができないことだからかもしれません。

(その分、不満や怒りの分析は上手になりました。)

人生は何がその人を助けるかわからないものです。

遊びそのものだったり、そこで出会った人脈であったり

お父さんやおばあちゃんの言葉だったり、何気ない出会いを

大切にすることです。人と人の出会いもそうですが

本を介するもの、今の時代でいえばユーチューブであったり

映像でしょうか。SNSはあまり良い印象がありませんが

これも出会いの一つですね。

なんであれ自分が成長することを意図していれば

情報は全て働きます。人生は自分次第です。

試験を受ける学生さん、昔昔学生出会った人たち

上を向いて歩きましょう。




5Gの端末を使っていると手が痛いという方がいました

安全性を検証せず便利さの夢を追いかけると

ろくなことにならない。

今回は政治的な意味合いが強いのですが

5Gネットワーク、どうなることやらです。

3年、7年先健康問題が声高に叫ばれ始めたとき

医学的因果関係はないと言い張り、想定外と言い張るのでしょうね。

想定外は想定内。いつものことです。



どこかに書きましたが人の霊性を疑う方には参考になると思います。

霊性の震災学

今なら少し冷静に読めるかもしれません。

幸福論

絶対的幸福と相対的幸福

ざっくりと考えてみてください。

絶対的な幸福って、いわゆる精神世界で言うところの

意識の段階のことで、(「意識のスペクトル」という有名な本があります。)

精神の成長の過程、時には肉体が滅びても、

その境地の住人として意思を持ち続ける境地、例えば、

菩薩や、聖人や、ブッダと名付けられた人たちの境地。

その道を歩み、うまくいけば、そこに達することができるかもしれない。

完結は見えにくいが、夢のある生き方です。

次に、

相対的幸福、

社会の一員として、地に足をつけ、自分の居場所があり、

個人としてなすべきことをなし、すべからざることをせず、

一緒に泣いたり笑ったりできる仲間がいて、家族がいて、

臨終の時に、何の後悔もなく、満足できる人生だったと言えるかどうか。

そんなこと簡単だという人もいると思うのですが、

これは、血縁も含めて自分以外の「他」の人との関係性の上で決まるものです。

親も子供も配偶者も自他の関係で言えば「他」にあたります。

この自他の関係に後悔がなく、自責の念もなく、良心の呵責もない、

言うは易く行うは難し。こう書くと至難の技ですが、

実は結構、普通に我々が行っていることです。

言い方を変えれば、真面目に生きている人。

気づいていないかもしれませんが、我々は。

実はこんなに難しいことをこなして毎日を生きています。

そして、時々、しくじって、傷ついたり、傷つけたりして、

泣いたり、笑ったりして、リカバーしている。

すごいことです。



スピリチュアルな人生に興味を持つ方の多くは

絶対的な幸福を求める方たちでしょう。

もちろん不思議大好きさんもいると思うし、

単なる好奇心という方もいると思います。

さあここで問題です。壊れやすい、

危うい幸福はどっちでしょうか?

簡単ですね。

絶対的な幸福の方です。

基本、絶対的幸福を証明した人はいません。

もちろん伝説ではいます。

また、暗示でそんな感じになる人もいます。

でも、それが長続きしないのはなぜでしょうか?

なんとかかんとか、なんとかかんとかと言っている

その道の代表者の多くがドロドロの人間関係で薄汚れ、

その人がいなくなると、これも見事なまでの跡目争い、

権力闘争をしでかしている。

彼らの唱える究極の幸福論と似ても似つかない。

強力な個性とカリスマ性、本人の堅固すぎる信心を

シェアーし他人を巻き込み、幻想を与え共有し扇動する。

「こっちにおいで、幸せにしてあげる。」

こんな感じでしょうか。

ただ、ここでキツイことを言わねばならないのですが、

一つには彼らに、すがりつくことで幸せを得ようと考える

人達がいること。

また、この人たちの多くが、相対的な幸福を得ることが

苦手だということです。人と生きるのが苦手。苦手なんです。

だから、似た者同士が集まる、そんな感じのところは居心地がいいんです。

人の価値観の問題です。

幸福論自体にも棲み分けと区別が必要ということでしょう。

占いと運勢鑑定

「占い」と「運勢鑑定」は別物です。

どう違うのでしょうか。

(注意 あくまでも私の使用しているものとご理解ください。)

占いは(私は断易を使用しています。)

「ある事柄の原因と現状、場合によってはその結果」

が示されます。

「運勢鑑定」は、その人の人生においての

嗜好、性質、価値観、岐路に立ったときの選択等、

いわゆるその人の魂に刻まれた心のDNAを解析し

その心の推移を鑑定していきます。

さらに、ここに因果律をあてはめ、

「心」の動きに重点をおいた鑑定となります。

人間を理解するという意味では最上のものだと

自負しているのですが、生徒さんのお話を聞くと

これがなかなか.......難しいらしい。

難しいのには理由があって、一つには

強い欲が原因でトラブルが起きている場合

その欲をコントロールすることが厄介で

「ありのまま」をやり、鼻っ柱を折られることを

繰り返してしまう。本人にとっては

「不都合な真実」だけが残される。

鑑定は正確無比だが、どうやれば相手を改善できるのかで

悩んでしまう。いつも言うのですが、

「それに気づいた人しか自分の人生を改善することは

できないよ。あなたが自分の人生に気づいたのなら、

自分を改善することから始めてみてください。

自分の星が理解できてきたでしょ。頑張ってやってごらん。」

実際、

素直にそれに従った人は、まったく違う人生を歩んでいます。

人も環境も変わらないけど、別次元にシフトしたような

不思議な安楽さと気づきが生まれ、人が変わっていきます。

自分で自分の星を理解し、納得確信し、講義の中で

教わった改善方法を粘り強く実行した結果です。

先達たちが開発したシステムとしての改善法です、

私の力ではありません。



太極論、八卦論で何度も書いていますが、

あなた自身があなたの宇宙の中心なのです。

だから、もし、その宇宙が、あまり好ましくないのなら

その中心にいる、あなたが変わることです。





いつでも門戸は開かれています。

入門クラスからご参加ください。

参加資格はここで学んだことを悪用しないこと。

ただそれだけです。

4月14日

暇に任せてYouTubeでBGMを探していたらベットミトラーの

The Roseを見つけました。

好きな歌です。

曲も歌詞も素敵です

この歌を聴いていると身も世もなく人を愛することの

力強さを思います。

誰かを愛する機会がないと多くの人がいいますが

どこか、頭で判別してしまってチャンスを失っている人が

多いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。


結婚相手を選ぶときの大事な基準は、

親子関係が円満な相手を選ぶべきです。

(円満の意味を間違えないでください。溺愛親子の意味ではありません。)

それさえクリアーできていれば、大丈夫です。

プライベートもちゃんと常識を保てる人です。

それができていなければ、どんなに金持ちで

権威があるご家族であったとしても

最初から苦労を背負い込むことになる。

払う代償は大きいですよ。

相手の学歴や職にダメを出し恋愛の対象から外している人もいますが

自分の思いに相手が応えてくれるほど嬉しいことはありません。

そういう相手を探すことです。

相手を見分けることができれば出会いの手段は、

極端な言い方ですが、どうでもいいのです。

良い相手と出会い、身を焦がすような恋愛をし、社会に、

充実した自分自身を還元することができれば

信用もお金も自然に集まってくるものです。

せっかく声をかけてくれた人が本命でないからと言って

断っていたら山吹の花の如しです。

コロナ禍の中、思う人がいるのであれば消える命かもしれません、

思い切ることです。

内なる自分と戦ってください。


健闘を祈ります。

祈り

自死のニュースが繰り返され、本当に

嫌になってしまう。

苦しみが消えますように。

怒りが鎮まりますように。

執着の鎖から解かれますように。

絶望の淵に光が射しますように。

強い者が人に優しくなれますように。

皆が皆、生きる希望を見つけることができますように。

弱くても喜びを噛み締めることができますように。

喜びが長く続きますように。

人に優しくなれますように。

誰かが誰かを攻撃することがなくなりますように。

重たい人間関係が気にならなくなりますように。






祈りの言葉しか出てきません。

幸せになりたいと思っている人へ

「成功したい」「幸せをつかみたい。」

開運グッズや開運旅行、お部屋の模様替えなど

趣味と実益を兼ねて、楽しみながら幸せになる

ことはできないかしら?

今年のラッキーカラーは何色なの?等々

巷には、「楽しい」開運関連の話題が多々あるのですが、

私が運勢の話をすると、どうしても、暗く、

聞きたくない、嫌な話になりやすい。

でも、こればかりはしょうがない。

医者が生活習慣病の患者さんに、

好きなだけお酒も甘いものも構いませんと

良い顔をすれば結局、その人の寿命を縮めることになります。

でもまあ、自分の欠点は見たくないというのは人情です。

そこで、開運、願望成就の心得を考えてみたいと思います。

要訣は3つ。

1、野心(目標)

2、根気(執念)

3、徳 (人の助け)


1、 野心ですが、希望、目標をもつ意味で、

  まずは「野心」を持つことです。

  「少年よ大志を抱け」でもいいのですが、荒々しく、

  激しい情熱が伴う「野心」という言葉の方が良いでしょう。

   
   

2、根気

   自分は根気さえあれば、今頃は違う人生を歩んでいたはずなのに.....。

   根気がなければ、幸せを持ち上げることができない。

   そうなんです。幸福には形と重さがあるのです。 

   大きな幸せが欲しければ、それを持ち上げる

   大きな力が必要なのです。 

   根気強く、力を練磨する忍耐力が大切ですね。

   
3、徳

   目標を持ち、ものすごい努力家でも、嫌味な奴で、

   怒りっぽく、傲慢で、嫉妬深く、頑固で

   嘘つきで他人を見下す奴は、嫌われます。

   いったい誰がその人に協力するでしょうか?

   目標を持ち、努力家で、腰が低く、他人を大事にし、

   義理堅く、約束を守る。それを続ければその人に

   賛同する人達が必ず集まってきます。

   これが人徳です。



実践し、ぜひ成功してください。




  
  

元命式の研究 戊戌の政変より 

今年の年運干支は戊戌年となり、かつて中国では「戊戌(ぼじゅつ)の政変」と

呼ばれる西太后によるクーデターが起きた年です。

その時、処刑された若い国士達の供養を込めて

命式を出して見ました。

「元命式の研究」は個人情報のなんとやらで

普段は部外者には鍵をかけているのですが、

この時代の方ならばと公開します。


戊戌の政変 1898年9月20日袁世凱の密告により

翌日21日より粛清が始まる

戊戌年 辛酉月 丁亥日(21日)


西太后 1835年 11月29日  62歳

   乙 丁 乙
   丑 亥 未

73 63 53 43 33 23 13  3
 甲  癸  壬  辛  庚  己  戊  丁
 午  巳  辰  卯  寅  丑  子  亥

年運の戌、月運の酉、大運の巳により 三合金局と西方合が成立し、
月の天干に辛が現れているので身内からの大きな裏切りが予想される月廻りになります。

この命式の方は、とても気がきく可愛い女性です、少々危なっかしいところもあるのですが彼女にするなら良いと思います。結婚を望むのであればプライドが高く扱いをぞんざいにされると切れやすく、問題が起こると、ご実家も出てくるので注意が必要です。
もしも彼女が職場の上司だとしたら、これは大問題ですね。猜疑心が強く神経質で、その上仕事を部下に丸投げし、できないと切れるタイプの方です。


光緒帝 1875年 2月25日  1898年 24歳

    戊 戊 乙
    午 寅 亥

76 66 56 46 36 26 16  6
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 未  申  酉  戌  亥  子  丑  寅

年運戊戌により地支に三合火局が成立しているのですが、
大運丙子の子水が日支馬と激冲の作用が起きています。
このような場合、話が9割がたまとまると激冲のスイッチが入ります。

本来は自分を押し通し、反対されることを嫌うワンマン社長タイプの方なのですが、大運の弱さが素直で真面目で絵に描いたような良い子にさせています。それが、年運天干の比肩戊により同志が、地支戌による火局が成立し、一瞬、強運に代わり本性が現れ、9割がた準備が整ったところに激冲の現象として裏切りが起きたと考えられます。星の流れと元命式の動きについての見落としてはならない大事な理論です。



庚有為 1958年 3月19日  40歳

    辛 乙 戊
    亥 卯 午

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 戌  酉  申  未  午  巳  辰  卯

歴史に名を残すことと、英雄であることとは別物であるという
良い例の方です。根は潔癖な方ですが、お弟子さんたちに担がれてというのが本当のところでしょう。

年運戌により火局半会、またこの戌が月令の卯と支合し、さらに大運未、日支亥と三合会局しています。木生火の形で官鬼が大旺しているのですが辛酉月の酉が局心の卯を冲することにより、命は救われました。


譚嗣同 1865年 3月10日 ー1898年 9月28日 33歳

    己 己 乙
    卯 卯 丑

71 61 51 41 31 21 11  1
 壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己
 申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯


この方の命式はかなりきつい命式で、常に死に場所を探していたような方です。
最後はプライドを満たして亡くなっています。
逃げようと思えば逃げられたのに、なぜ逃げなかったか?
プライドを満たしたとはどうゆう意味か?

ご自分で考えてみてください。

鑑定について

だいぶ昔の話ですが、

「四柱推命は難しいだけで、運命の内容なんて分からない、

それより紫微斗数の方が財運や、仕事運や、異性運が具体的にわかるのよ。」と

言っていた人がいました。(確か、こんな感じだったと思います。)

紫微斗数は門外漢なのでコメントのしようがないのですが、

私の教える四柱推命は、あるレベルに達すると、

その人の心の中が読めるようになります。

心が読めると言っても、超能力の類ではなく、

推命理論のもと、星の姿と、流れを推し量った結果が

一致しているだけで、我々にしてみれば当たり前の結果なのです。

何人かの元命式の解説を前回書きましたが、

いくつか私が見つけた理論についても書きました。

たったこれだけの情報でも、これを基に、

彼等の人生を想像していけば、その行動と言動に

納得されるのではないでしょうか。

戊戌の政変2 袁世凱 

袁世凱 1859年 9月16日ー1916年 6月6日

譚嗣同を裏切り西太后に密告した人物で、のちに中華皇帝にまで上り詰めた人です。

     丁 癸 己
     巳 酉 未

 73 63 53 43 33 23 13  3
  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
  寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉

1898年 (39歳)9月20日 譚嗣同に説得され一時は了承するも密告。

己巳運 戊戌年 辛酉月 丙戌日

(彼が39歳の時の事件だったんですね。私のイメージではもっと歳をとった老獪な爺さんだと思ってたのですが。)

戊戌の政変とは、改革抵抗派の親玉である西太后を暗殺し、一気に改革を進めようとするクーデターが頓挫した事件でした。
改革派の親玉である光緒帝にすれば親殺しとなります。(命式から勘案すれば彼ならやります。)

袁世凱はこのクーデターの武力的な後ろ盾として選ばれたわけですが、いかんせん命式を読むと、悶々と巨大な夢を見ている状態で、多分ですが、譚嗣同らの話では、クーデターが成功しても自分は彼らのパシリとしての役割を担わされると感じたのだと思われます。さらに、光緒帝とも譚嗣同とも相性が悪い。嫌いだったと思います。面従腹背、即刻の裏切りです。

4月10日

暇なもので自分の書いたものを2編ほど読み返したら

誤字、脱字を多々発見、嫌になってきます。

直すのもだんだんめんどくさくなってきました。

会社の書類では許されないことですね。

年々目が利かなくなってきています。

ご容赦を。



今野喜心

運を壊すもの まとめ

持って生まれた運を最も傷つける行為として



「怒り」があります。



基本、人間関係が壊れるところから、様々な影響が生じ



時には後悔から、怒った自分を自分で傷つけることもある。



皮肉なことですが、運が最初からこの傾向にある人もいる。



人はどんな状況で怒りが湧いてくるのでしょうか?



分析してみてください。



1、自分の思い通りにならない時



2、自分が傷つけられ、いじめられた時



3、理不尽な要求をされた時



4、バカにされたと感じた時



5、自分の愛情(善意)が受け入れられなかった時



6、起きたことの事情が理解できず、錯乱、混乱した時



7、期待を裏切られた時



8、自分の存在を脅かすものに対して



9、思いもかけない要求をされた時



10、騙された時



11、プライドが傷つけられた時



12、執着がさらに深くなった時



13、嫉妬がさらに深くなった時



14、傲慢さがさらに深くなった時





これを大別すると、



「自分が相手を支配できない時」

(このことを、ほとんどの方は自覚していません。)



「誰かが自分を支配しに来た時」



「自己愛が極大した時」(12、13、14)



また、その底には普通の状態(本人の中の平和)が乱される



「恐怖感」が存在します。



面白いもので信頼関係のある人の言葉は



結構きついものでも意味あるものとして心は処理しますが



そうでない人の言葉は文字通り受け止めてしまう。



ご夫婦の間で怒りごとが多くなっている方たちは、



この辺りの修復を考えないといけません。



大抵、お相手への期待のしすぎから信頼度が落ちています。



「怒りの分析」などしたことがなかった方たち、特に怒りっぽいと



自覚している方たちは、是非このお怒りの分析を習慣にしてみてください。



生まれながらの短気であっても、必ず、落ち着いてきます。



「今の怒りの出どころはなんだ?」と自分の心に問い続けることです。



そして諦めないこと。



自分自身に絶望しないこと。



自己愛ゆえの絶望です。



自分はもともと、こんなもんだと思っている人は



絶対に絶望しません。



自分はこんなもんだ、だから、ぼちぼちいこうや。



それで、必ず前に進める。



「自分が嫌いだ」正確には「こんな自分は嫌いだ」ですね。



その「こんな」は自己愛と自分に対する期待値の高さを表している。



そこから「降りる」ことか大切です。









怒りを野放しにしておくと、どうなるでしょう?



幾つかの現象が生じてきます。



1、



怒る自分と、そうでない他人を比べ始める。



(他人というのは自分以外の人達の意味です。)



「あなたは幸せそうでいいわよね。」



どこかで聞いた言葉ですね。そして、



怒りが「嫉妬」「妬み」に変化していく。



2、慢心



怒った相手が、萎縮し、怯える姿を見て



怒りながらも、支配欲と、自尊心がくすぐられ、



傲慢、慢心が生じ、他人を見下す心が生まれてきます。



同時に怒りの「うまみ」に気付き始める。



(モンスター)クレイマーが降臨してしまう。



3、執着



欲しいものが手に入らない。このように、



何かを得られなかったことに原因がある場合



得られなかったものに対する強い執着が生じてきます。



恋愛や博打などで大いにあることです。



4、



多くの場合最終的には孤立し、怒り散らした自分自身に



その怒りの矛先を向けることになります。



怒って何が悪い、傲慢で何が悪い。



憎らしい。妬ましい。欲しい。欲しい。ぶち壊したい。



すべて壊れて仕舞えばいい。



何やらこんなセリフが聞こえてきますね。



思春期に多くの方が経験した会話だと思います。



私もそうでした。でも、大人になってからも、



これじゃ、まずいですよね。



どこかで人としての成長が止まってしまっている姿です。









子供の頃から、いじめにさらされている人、



最初は親、次に同級生、同僚等、常に対人関係に



理不尽な問題の起きやすい人が少なからずいます。



「怒り」、そして「救い」を求め、いつの間にか



救いを求めることを諦めてしまい、ただ怒りだけが残る。



怒りが恒常的になると自然に他人に対する愛情が失われていく。



救いを求めても求められないものと刷り込まれ、求めることすら



諦め、ただ自分の目線より弱いものに、自分がされたことをやり、



憂さを晴らし心の平静を保っている。仁愛の感情を失ってしまう。



夫婦問題でも怒りが恒常的になった時点で愛は消えています。



ただ、一度甘美な愛情を経験し味わったしまった人たちは、



別の「愛」を求めることに執着し始めます。





怒りにより傲慢さが生じると書きましたが



慢心は自分の優位性におごった姿であり、



他を見下し、自分が優れていると誇る姿です。



歪(いびつ)な優越感とでもいいましょうか。



私の記憶に深く刻みつけられているのですが、



「日本の大震災をお祝いします」というメッセージを掲げた



サッカーのサポーターがお隣の国にいました。



この時ぞとばかりの姿に、ただ、ひでー国だと



憤りとともに、その国の底知れぬ闇の深さに震撼させられました。



他人の心がどれだけ傷んでいるのかわからない。



傲慢さというのは、わかりにくい感情ですが



一時の優位性故に自分だけ良ければ(安全であれば)いいんだという



利己心人から他の人達への親近感が欠落してしまい、



他人の痛みをあざ笑うようなことをしでかします。



あいつ、また失敗したと、笑った経験をお持ちの方も



多いのではないのでしょうか。





3の執着について



何かに執着し始めると、



必ず起きることがあります。それは、



執着する対象以外を楽しめなくなることです。



恋愛小説風に言えば、彼のことを考えると



どんな美味しいものを食べても、味がしないの......。



昨日までの景色がセピア色に見える。



ただ彼だけが輝いて見えるの。



三文小説よりも酷い表現ですが、事象の証明には



なっていると思います。



この極端な例がストーカーですね。



時には自分の命までかけ執念深く追いかける。



その代償として日常の多くの「喜び」を失うことになります。





1の嫉妬について



嫉妬も同じようなものです。



対象に嫉妬している間は、自分の中の劣等感から



絶対に逃れられない。



中学生の時の親友が、進路の選択から妬みの対象に見えてしまう。



就職、結婚、マンション、出世、あらゆる比較対象の中で



それが生まれています。関係が親しければ親しいほど



それが生じやすく、嫉妬の癖が身についてしまうと、



今度は自分が優越感を持てる相手が現れた時



本人の傲慢さに火がつきます。









これらのことは誰の心の中にも起きている日常の風景です。



ただ、運が良い人達は、それぞれの感情が生まれても



そこから降りることが割と素早くできる。



それに比べ「運の強い人」は、ドップリ、これにはまりやすく、



「運が弱い人」はさらに自己否定に陥りやすい。



なぜでしょうか?



最近入門された生徒さんには、この「なぜ」を



話しているのですが、これらのことを



私は推命の原理の研究と実践から気付かされました。



単純に言ってしまえば、



怒りは、さらに変化し、負の連鎖が体験として蓄積され、



人としてのコミュニケーション能力を著しく阻害していきます。



(このことに気づく時期が早ければ早いほど、上手に



これらの感情を放棄することができるようになります。



大人になってからでも、もちろん可能ですが、これらのことを



自覚できる方にだけ可能な話であり、時間はかかります。)





時とともに積み上げられたこれらの負の感情は、



その切っ掛けの出来事は忘れ去られても、



その人の性格の一部として付け足され、



その結果、極端な場合、愛情が欠落し、思いやりが欠落し、



共に楽しみ喜ぶ心が欠落し、公明正大さが消えていきます。



溢れるような喜びの街にいたとしても、心の荒みは癒されず、



その日1日をしのぐためだけに生きるような「孤独」に



苛まれることになりかねません。







人の心は、怒り、恨み、妬み、執着の毒が生じる温床です。



誰もが自覚していながら直面したくないところです。



そして誰もが運を良くしたい、もっとお金が欲しい、



幸せになりたいと思っている。



世の中には開運法と称して、この欲を増長する手法が



山ほどあります。その意図するところは、



運を強くするためにパワーを上げる。



これに尽きると思います。



私も若い頃からその類の人たちの姿を見ているのですが、



多くの人たちは結局、心に巣食うこの毒を残したまま、



パワーを上げてしまい、結局、一時の色と金に人生を食われ、



消えて行きました。



「なんだかなあ〜」ですね。



どのような開運法を実践するにも、やはり



この毒を洗い流すところから始めるのが一番安全です。



その方法は自分自身を知ること。これに尽きます。



その上で他人を知ることができれば、



毒が増殖する機会を与える、あらゆる人間関係を



俯瞰で見ることができるようになります。



そうすると、なすべきことと、なすべからざることの



判断がつくようになってきます。



そして、よろしくないのは解っていても、



そっちに行きたいのであれば



覚悟を持って行けば良い。それもまた人生の面白みですね。



いい子ちゃんばかりでは世の中は停滞し、衰退していく。



これもまた事実だと私は思っています。



怒りは、時に新鮮な驚きと「気づき」を我々れに与えてくれることもある。



怒りが生じたら、それに翻弄される前に、是非これを分析してください。



「毒」が生じれば運は腐り始め、「気づき」が生じれば運はスパイラル状に向上していく。

4月9日

東の空から太陽は登り、日々好日と思ってしまう

今日の天気です。

テレワークや輪番出勤、自宅待機等々社会は大きく

動いている、悪いことにテレビの中の景色までもが

変わり始め、あまり気分の良いものではありません。

テレビの中の誰かに毎日、がんばりましょうと

繰り返され、コメンテーター達は国の政策に文句ばかりを言い

その上、ネットではお隣の国のマスコミが日本崩壊と

煽り続けている。根っから卑しい国だと

つくづく思ってしまうのですが大統領支持率がいまだ高いとのこと。

かの国の選挙の行方は目に見えているようです。

現状はコロナヒステリーからコロナ鬱への

移行期かもしれません。

嫌な事件が起きなければいいのですが。

こんな時は、ちょっとしたお喋りと、声かけ、

人の温もりが一番の薬になるのですが、

人との直接の接触がリスクという厄介な事態です。

ここは、しょうがない、映画を見て暮らしましょう。

良い映画はいっぱいあります。

そんなことを思っていたら

全国のミニシアターが危険な状態にあるとのこと。

ミニシアターを救え

関西のミニシアターを救え

ミニシアターエイド基金

私ごとで恐縮ですが、青春時代と言われる時期

映画に何度も救われてきました。

作品にというより、暗黒の空間に沈み

一日という時間を消化しきれない自分にとって

映画館だけが自分の居場所でした。

そんな時期が私にもあったのです。

青春の蹉跌と言えば聞こえはいいのですが、

なかなかどうしてキツイ時期でした。

映画はたくさんの人達が「自分の存在」を映像に

残し、生き生きと語りかけてくれます。

そしてフィルムがあるかぎり、その時の姿で永遠に生き続ける。

青春スターと呼ばれていた人たちが年齢のままの老人を演じ、

かつてのヤクザ映画のヒロインが、そのたたずまいだけで

台詞もなしに見ているものの胸を打つ。

齢を積み重ね一流と呼ばれている俳優さん達は本当に凄いものです。

過去の作品を知っているからこその感動が湧いてくる。

日本映画に限らず息の長い名優達の姿をスクリーンで見る

贅沢な文化を是非残したいものです。


「映画に人生を教わった」とでも言えればカッコ良いのですが

如何せん映画館が自分の避難所であった自分としては

「映画館」という建物がないと困るのです。

なんとなく同じ臭いのする若者がいまだ、いるように思える。

自分の後輩達よ、

もがき、苦しみ何度泣いても自分の仕事を見つけてください。

人の中に自分の居場所を見つけることです。

汚い、キツイ、危険なんてのは見え方が違うだけで

背広組も同じです。心が削られる分、肉体労働の方が楽かもしれない。


どんな職場にも、その道の達人がいるもので、

それを目指すことを目標とし、努力をすれば

人生は安定してきます。


沈む時は沈み、その苦(にが)さを身に染みるまで味わい、

腹を決めたら浮いてくればいい。その苦みに勝る良薬はありません。

この世の中は、自分によく似た人ばかりと

縁ができるようになっています。

男でも女でも握り締めた過去を良薬にかえることができれば

もしかしたら、いつか、誰かの役に立てるかもしれない。



新社会人へのyellも兼ねて。



追記

医療現場で働く人たち、その親御さん、家族達。

怖くて、心配で、心配で夜も眠れないかもしれません。

感染しないように、職責が果たせるように、

皆の気力が充実し勇気が衰えないように、

敬意とともに、

祈ります。

幸福

最近教室の生徒さんによく話すのですが、

幸せになるのは簡単です。(これは前にも書きましたね)

ただ、利他心で、あらゆる人とお付き合いすればいいのです。

(これを無償の愛と、どこかの宗教では言っていたと思うのですが)

でも、残念ながら、あらゆる人は心の中で、

必ずその見返りを求めてしまい、その見返りがあったとしても、

それを他人の見返りと比べて苦しむようにできている。

そのような生き物のようですね我々は。

見返りを意識した時点で幸福は手の中からこぼれ落ちてしまう。

それでは幸せな人など世の中に、いないではないのかとなるのですが、

元命式の良い人とはこれを自分が前進するためのエネルギーに

変え、普通の命式の人は相手を責めるエネルギーに変えている。

そして、無くした幸福を探し続け、同じことの繰り返しを

延々と成しているというのが現実に隠された私たちの姿の一部です。


過去は変えられないと皆言いますが、「未来」は今を変えなければ

変わらない。それでは過去は何によって生じてきたかというと

持って生まれた運勢に操られた選択の結果の積み重ねによって

この瞬間も生じ続け、未来を縛っている。

「過去に縛られ続ける未来」

これも、見たくもない現実の姿の一部ですね。

知的な人たちは、このことを自覚し、

「人生に目標を持つ」ことで、過去からの縛りを

未来からの縛りに変えて、運勢を打破してきました。

つまり、運勢というのは絶対的なものではなく、その縛りを

解いてしまえば、変えられるものなのです。

ただ、尋常ならざる努力が必要になってくる。

遊んで暮らして偉人になった人が皆無であることは

誰もが知っていることですね。


凡人である我々にとって運勢を変える方法は

自分の運勢を自覚し、過去の縛りからくる癖を

少しづつ直していくことが最も安易な方法です。

それでも努力は伴います。

感情の起伏の激しい人には厳しいことかもしれません。

それでもお釈迦様が言っているように

船をはしけに繋ぐ藤で編んだ太い舫綱(もやいつな)も

時とともに切れていくものです。恒常なものはありません。

恒常を望むならば、しっかりと手入れをし直しをかけ、

大事にすることです。

人間関係も同じですね。

怒りの分析5

「プライド」というのは推命学から見ると、

力量によるものを別にすると

大きく分けて二種類に分類できます。

一つは他人から与えられた他動的理由により薫陶されたもの

勉強好きで、知的好奇心旺盛で、目上から好感をもたれ、

大人達から大事に育てられ、自分は大切にされるべき

特別な人だと腹の底で自負している「自負心」

もう一つは、誰よりも正直で、理想を持ち、

夢を実現するために頑張る自分、誰にも縛られず

自由に、隠し事のない理想の生き方に殉じようとする

心、これを「自尊心」と言います。

けれども、

反面 「自負心」の方たちは、自己都合で

約束を破り易く責任逃れの言い訳が上手い。

一方自尊心の方達は、善悪や損得よりも、その時の

感情に任せ後先を考えずに行動しやすい傾向があります。

自己分析の参考にしてください。

そして、できれば自分の怒りが、このどちらかを

原因とするのであれば、自分なんて、大したことないと

人前では話している自分を見つめ、どれだけ

プライドに執着しているのかを確認し。

怒りから降りることです。

大事な自分を怒りで汚してはいけません。

洗心庵の生徒さん達へ(4月7日)

本日4月7日 日本国政府より緊急事態宣言が出されました。

教室の講義をスカイプに変更される方、

予約の変更を希望される方キャンセルを希望される方

それぞれに対応いたします。メールでお知らせ下さい。

予定通りの方は連絡は結構です。


4月14日 都からの自粛要請では

「▼オンライン授業、▼家庭教師は休業の対象に含まれていません。」とのことです。



4月21日

コロナウイルスは「感染者が増えなければ撲滅できる」とお医者さんは言っています。

用がなければ外に出るな。うつすな、うつるな。こんな単純なことなのに

公園の賑わいは平和ボケの象徴なのかもしれません。

この人達は、まるで違う次元で生きている。

感染は減りませんね。

脱炭素経済

パフェット銘柄 脱炭素

これからの経済指針なのかもしれません。

ここ数年のイーロン・マスクの大躍進しかり

世界経済が大きく脱炭素側に舵を切り始めています。

記事を読むと保険会社が火力発電所の保険を引き受けない、

投資をしないとのこと。経済人の良心と取るべきか、

何か新しい経済システムが構築され、それに乗ろうとしているのか?

皮肉に捉えれば、電力マフィアなどの言葉もあったように

彼らの中での移行体制がついに出来上がったのかもしれません。

既得権の移譲なのか、強欲メンバーが引退したのか。

原発誘致時の政治家の動きを考えればなんとなく

察しがつくと言うものです。



パフェットさんは長い時間をかけ調査観察した結果

会社を選ぶそうです。

どのような未来を日本の経済人は描いているのか。

トヨタは富士山麓にトヨタ未来型都市「WovenCity(ウーブン・シティ)

2021年から造り始めるそうです。

期を同じくしてエンタメ業界の雄アミューズ富士山麓移転計画が報道され、

富士山麓と言えば富士急ハイランド、自民党の堀内代議士と役者は揃っています。

ちなみに富士吉田市の市長は堀内茂さんで

一度は富士急行にと務めたことのある方だそうです。

AIによる便利なだけで人の少ない街ではなく

安全で豊かな、人が人として喜びを味わえる未来都市が生まれると

楽しいですね。


渋谷が再開発され、妙なモニュメントとどぎつい色で

街自体がうるさく主張するおもちゃの街のようになりつつあります。

人の持つ悲しさや、苦しみや、溢れるような力強い若さが

街のあちこちで、ひっそりと漂う、ただ我々を受け入れてくれていた

静かな器としての街角が懐かしく感じられてしまう。

歳をとったせいでしょうか。

自己主張の強いおもちゃの街は一度見ればたくさんです。

不寛容の時代

最近「不寛容の時代」という言葉をよく耳にします。

アメリカでのトランプ氏の発言を機にし、

日本のマスコミも言い始めているようですが、

不寛容の意味を考えると、実に、ナルホドと思えるのです。

「不寛容」は別な言葉に言い換えれば「強烈な自己主張」と

なるのではないでしょうか。

自分だけ、または自分達、仲間達だけ良けりゃいいのさ。

仲間以外のことは知らない。

これが不寛容の正体です。

これは実に根が深く、あまり気づかれていない。

なぜ根が深いかというと、学校教育でこの「自己主張」を、

強烈に刷り込まれているからです。

皆さんにも身に覚えがあるでしょう。

中学生あたりでは、この自己主張ができない子達は、

評価点が下げられてしまう。

そうゆう教育を受け、環境が悪ければ、

大人になるにつけ、ゴネて他人を支配する「ゴネドク」を学びます。

実に困ったことです。

ここでこんなことを書いていいのかと思うのですが、

お隣の国は風水で今の場所を大統領官邸としたそうです。

(高麗時代から)

風水の力は国中の材と権力を集めますが、その財と権力は

国中の人々のエネルギーを奪いとり、あの場所に集めることになる。

私が風水や家相が嫌いな理由はここにあります。

必ず副作用として力のバランスの調整が働くのです。

集まった「力」に近親者、仲間達がねだり、すがりつき、

じきに人々の妬みと怨嗟の対象になってしまう。

李氏朝鮮のそれぞれの王朝も日本の朝鮮総督府もそうでした、

現行の政府などはすでに国家の体をなしていません。

日本も私の若い頃は「和を以って貴とする」と、なんとなく

皆が信じていたような時代でした。なんとも昭和レトロの感がありますが、

今や聖徳太子の存在さえ抹殺されようとしている世の中です。

たとえ実在の人でなくとも、人が幸せに生きるための、理想を

謳った空想の人物として、大事にしてほしいなと切に思うのは

私だけでしょうか。

今、生活に困っていないのであれば、是非、人が調和して生きる術を

日々の課題として模索してください。

ついでに書いて起きますが、

同じ考え、思想を持つものが集まり、それを主張した瞬間に、

不寛容が始まることを腹の底に入れておいてください。

その代表が宗教団体と政治団体です。

誤解しないで欲しいのですが、信仰を否定しているわけではなく、

徒党を組み善人を装っている人が、あまり好きではないだけです。



自分の足で立つ意志を持ってください。

円満な人間関係

今朝フランスのテロのニュースが飛び込んできました。

事実かどうかはわかりませんが、バタクラン劇場の現場近くで、

フランスを非難する移民のグループがいたとのこと。

平和ボケなのでしょうか私にはこの気持ちがわかりません。

世界のニュースを見ていると、インドでの女性のレイプ被害や、

因習に縛られた名誉殺人

この因習は日本にもあり、沖縄の組踊の「手水の縁」では実に美しく、切ない、

物語として残されています。

人が他人と円満に暮らすには努力が要ります。

さらに、さらに、忍耐が不可欠であり、それを支えるのが

相手に対する期待ですね。(多くの場合、幻想といった方が

適当かもしれません。)

期待が裏切られた時、何かが壊れていきます。

悪いもの(幻想)が壊れれば、万事円満なのですが、

そうでない場合、もう一つ下の苦界に落ちるようです。

身近な環境に傷つけあいがないのなら、それは、もしかしたら、

天国なのかもしれません。本当に大事にしなけばいけない。

しかし、その逆ならば、戦うしかありません。

ご存知の方もいるかもしれませんが、お釈迦さんの出身の

釈迦族は、実はお釈迦様の在世時に滅ぼされています。

それも釈迦の教えを守り、無抵抗で殺されているのです。

仏教の教えというのを極めると実はこのようになります。

私は戦うことをお勧めします。

最近、現場に立っている複数のベテランの生徒さんから

土の五行に対する質問がありました。

これは実に真摯に鑑定に取り組んでいる証拠です。

ご本人たちには、説明したのですが、

他流派の先生方にも興味深い事案だと思うので

ヒントだけ開示しておきます。

ただし、これは泰山流の解釈ではなく、

私が気づいたものなので同門の先生方とは

一切関係ないものとご了解ください。

「人の心の中では、なぜ、良いことはすぐに消え、

苦しいことばかりが長く心に残るのか?

怒り、執着、嫉妬、傲慢、嫌悪、強欲、等々。」

是非、冷静に検討してみてください。

人の本質に迫る命題でもあります。

2月19日 2020年

昨日の今日で申し訳ないのですが、

自分に課されている責任の重さとその

結果における影響について、ほぼ平和ボケしているのが

この国の現状なのかもしれません

ハフポスト・ダイヤモンドプリンセス号内についてのリポート

易卦の読みが甘かったようです。

今回の空亡は症状の出ない感染(不顕性感染)と

解釈するのが正しいようです

空亡は必ず出空します。

無題

先日、近場の本屋へ行ったのですが、やはり本屋さんは

世相をわかりやすく映し出してくれます

平積みの一番目につく場所に「バシャール」が

積まれ、その隣に「広告収入」に関する諸々の

有名人の本が積まれていました。

流行りの「ユーチューバー」だけではなく

クラウドファンデイングなど、お金を集める

ノウハウが書かれたものも多く、時代が変わったと

つくづく思わされました。

ちょっと前まではお金を集めるには、

担保を用意し信用調査が入る等々の

何某かの実績がなければお金は集まらない時代だったのですが

これもネットの恩恵で、ちょっと面白そうという

ノリでお金を出す人が世の中に現れ始めている。

投資の意味もあるのでしょが、

お商売にはとても面白い時代になっているようです

アイデアとネットワークで鼠講のようなことをしなくとも

お金が集められ、起業のチャンスが生まれている。

自分の能力に自信がある方は、是非起業してください。

実力に見合う商品を世に問うことです。

事と次第によれば

中小企業にも大きなチャンスがあるということです

道路が舗装されていない地域に住もうが

ネットワークにさえ繋がっていれば商売は成り立ちます

在宅で仕事ができる時代に片足ぐらいは

入り始めているようです。

あとは、それがこなせる個人のスキルの問題です。

ここに第一関門がありますね。

でも、この手のお商売は、たった一度の失敗が

リセットに繋がるので注意してください。

7月10日 

愛は残酷ですね。

会いたくて、会いたくて、楽しみたくて、会いに行って

濃厚接触をし感染を広げてしまう。

愛の喜びのために子供を餓死させてしまった母親。

愛の表現手段を知らず暴行を繰り返す男達。

社会は相互依存で成り立っていますが、「時」を

見失えば、それまでの生活が完全に消失してしまう。

全ては移ろいゆくものです。苦しみも、愛も、

喜びも、お金も、名誉も「時」が存在する限り

移ろい行き、変化し、手当てしなけれ必ず劣化していく。

けれども、二度と手に入らない幸せと思い込み、

自分を追い込んでみても、経験者ならわかると思いますが、

そんな心は長続きしません。

「自分には無理であった」ことを認めてしまえば楽なのでしょうが

プライドが許さない。そのために嘘をついたり他人を巻き込み

合理的に見える理由を後から、どんどん付け足していく。

苦しみに苦しみを重ね、一体どんな徳があるかというと

ただ、自分のせいにはしたくない。自分は悪くない。との

自己擁護(弁護)です。

見たくも聞きたくもない言葉ばかり書くと思う人もいると思います。

しかし「心は変化できる」ものなのです。

ただ、変化することを拒否する因子が心の中にはあり

時にそれがプライドであったり、我執であったり、

快楽であったり、権威であったり、恐怖や嫉妬である場合もある。

そのためには、心の中にある「要の因子」を的確に把握し

(これがわかれば変化を拒否する理由が明確にわかるのです)

生まれ持った思考のパターンを把握する所から

始めることが一番の近道です。

推命学自体は実際は玉石混沌としています、

しかし、中にはこれを知る明確な方法があるのです。

向上心があるのであれば、未来を諦める必要はありません。

肺炎

ついに都内でも感染者が現れたとのこと。

最悪のことに花粉症の季節、

どうしても手で目を掻いてしまいます。

エボラに罹患した看護師さんの記事を読んだことがあるのですが

滴り落ちる汗を、つい手袋を外して拭ったのが

感染の原因だったと記憶しています。

手洗いは手荒いで今の季節大変ですが、外出時は

まめに手洗いだけはしましょうね。

オリンピックを契機に外国から人と金を集める政策は

やめときなさいよとの神様の啓示かもしれません。

シンガポールのように華僑を中心とした

代々の貿易商達のセンスを持った政治家が

国政をになっているわけではありません。

なんとも言えない二代目3代目の方たちが

コバンザメのように虎の威を借り、

困ったことに、そんな大人たちの代表を見て

日本を諦めている人達が多くいるのも事実です。

人気取りの政策にお金を配るのも必要かもしれませんが

ダイエー商法でめったうちにされても

生き残っている家業を継ぐ意思のある魚屋さんとか

小売業者の跡取りさんへ助成し、

国内経済を土台から再構築し、学校嫌いな子供達も

夢を見ることのできる社会を目指すべきだとも

思うのですが。

経済活動の幅が狭まることが一番の心配です。

不安障害

運動不足と不安障害 

ああ、やはりなと思わせられる記事です

同業の方達がコロナ禍で、だいぶ まいっているとの情報

私も似たようなもの。運動しようかなと思い立ち

昔習った太極拳でも始めようかと。簡化ならまだ大丈夫か?

と動いてみたのですが。翌翌日あたりから足腰が張り

筋肉リリース用のローラーを買いコロコロしています。

体と心の関係は整体法に詳しいのですが 

自分でできることは自分でやりたいものです。

ストレスは肩甲骨の間に溜まると言われています

この辺りをほぐす肩甲骨剥がしの方法が

YouTubeにたくさん上がっています。

自分にもできそうかな。というものを選んで

無理のないように挑戦してみてください。

整体、身体意識に関してはそれなりに学んできましたが

若い頃友人に野口整体の道場に通っていた友人がいて、

良い本だからと何冊か本を読ませてもらいました。

野口晴哉著作集自分も道場に通っていれば、

もうちょっと素直になっていたと思うのですが後の祭りです。

でも、今の洗心庵は無かったかのかなとも思います。

縁は異なものです。






亀屋万年堂が山梨のシャトレーゼに全面買収され

子会社になったとの報道がありました。

ルノーが日産を連結子会社にして以来の驚きです。

やはり世界は強いものに飲み込まれて行く。

古き名は新しき器の中に移され 新たな価値を再生する

そうなると良いですね。そうありたいものです。

足利学校

最近生徒さんから質問されたことに関する記事があったので貼っておきます


足利学校

民間 陰陽師

確か開高健の小説だと思うのですがベトナム戦争時 

北ベトナムの将校が星占いで作戦を立てることに

アメリカの軍事顧問が腹をたてていたという箇所があり

代々の軍人一家の一子相伝の秘法か?

ここの軍人ある意味すごいなと感嘆した覚えがあるのですが、

古代の人対人の戦いでは、もしかしたら占星術の秘法は

それなりに効果があったのかもしれません。しかし

大量破壊兵器の時代 迷信を廃する合理的な共産主義者には

この類のものは無力だと歴史が証明してしまいました。

無題

週刊ポストにこんな記事を見つけたので貼っておきます。

結果が出るまでは自分の主張の先が

見えないというのが世の常です。

日常でもよくあることで大抵の夫婦別れの遠因が

この辺りにあります。

「遠因」です。原因とは言っていません。

ボデーブローのように徐々に効いてくるもので、

その場は繕えるのですが、これが続くと困ったことになります。

もし、パートナーがあなたを避けるようになったら

危険信号です。(もちろん逆もあります)

身に覚えがあるのならば、少しづつでも改善してみてください。

どう改善するのかというと、

相手に対して「やさい気持ちを」持つこと

それだけです。

人は人前で見せている姿ほどは強くはありません。

自分もまたそうだからこそ、一番身近にいて信頼できる

パートナーに、あれこれ言って、受け入れてもらおうとする。

ただそれだけなのに、戻ってくる答えが気に食わない。

さらにイライラしてしまう。

そんなものなんですよ。

でも、もし相手に優しい気持ちを持てれば、

自分の不安や不満をぶつけることをしなくなるかもしれません。

また、不安や不満に対しても違う見方ができるように

なるかもしれません。

人を大事にしようとすることは智慧を磨くこと

そのものです。

学歴やキャリアとは無関係なものです。


人を愛したら愛を愛着や執着や渇愛にするのではなく

社会と共存共栄し幸せに生きるための

「智慧の源」とすることです。

「愛」の「力」だけは無限です。

本当の愛にはお金もかかりません。

自分達だけがよければ良いというのは一瞬で消える

泡沫の虚像です。



「愛とは何か?」

難しく考えるから自ら動くことができなくなり

それに怯え、偶像を代替物として崇めるようになる。

単純に

「自分が大事にされたいように自分以外の人を大事にする」

と定義するのが安全安心で最善です。

愛を哲学的に頭で考察することほど無駄なことはありません。

「やさしくされたい。」「やさしくしたい。」

この感情が人を円満な人生に導く動力源だと私は思っています。

そして、求めれば逃げ、求めずに内に秘め維持し続ければ

おのずと道を開いてくれる不思議なものです。

雑感

寒さが続きますが 今日あたりは暖かく

日向を歩くと汗が出るくらいの天気でした。

ただ、その日向からビルの日陰に入ると

底冷えのする寒気が厳然とあり 真冬なのに

暖かいなどと言って油断していると熱で体が緩んだ分 

心臓麻痺が起きと思えるほどの寒暖差がありました。



ふと ここの所いろいろなところで聞く格差の話を

連想してしまい これからの時代どうなるのかと

思わずにはいられません。

健常者の中に税金で弱者保護をするのは差別だと

切り出すものが出始め

マイナリテイの自己主張を声がデカイと蔑み始め

働きたい者にも 働くなと制限のかかる時代です

また どんなカラクリなのか わからないのですが

電子マネーでの精算やマイナンバー等 どこかの誰かに

自分の個人情報を丸ごと知られる 気持ち悪さ。

普通に刑事ドラマなどでやっていますが

自分の財布の中身まで他人に知られているし

ネット通販では個人の嗜好までも把握されている

実に気持ちの悪い世界になってきています

さらにAIの社会進出が進めば人同士の交渉ごとは

今以上に減ることになると思います

私は子供の頃から漠然と思っていたのですが

手塚治虫の漫画の描く未来世界には

人間があまり出てこないのです 

人の世界はどうなっていくのでしょうか。

ロボットが人の代わりをし 人はその分余暇を楽しむ 

夢のような素晴らしい世界

でもそれは 

その経営に携わる人たちの係累に限られたことで

仕事のない者は 生きるために何かをせざるおえません。

お金のあり方にしても 

いま盛んに端末精算システムが導入されていますが

現金を持ち歩かなくて済む代わりに どこかにお金と

自分の信用を預けることになるのでしょう。

便利さを追求し そのシステムを構築し

システム内の平和で世の中を満たそうとする。

人の価値も何もかも数値化され評価される

価値のないと評価された者はどうなるのでしょうか

その兆候がここ数年現れている

怖い時代が来ようとしています。

厚生省

世間の矛先がついに厚生省に向かい始めましたが

現場にはマニュアルがないこと、

実質的な指揮者である課長級が上からの命令を待っていること

(トップダウンの早い地方では早速感染対応が始まっています。)

その上の人たちは、これは国民が悪いのですが、

政治主導の官僚組織にしてしまい、能力があり

英断できる官僚がいても指揮系統を無視することを

できなくしてしまったからです。

突き詰めれば政治家の無能となるのですが

厚生大臣でさえ内閣全体の統一意見が出なければ

動けないというのがそもそもの政治主導官僚体制の

構造的な欠陥です。緊急時に現場現場で対処できない仕組みになっている。

それを決定的にしたのが鳩山内閣です

民主党政権の根本的な失策で、都合よくそれに乗ったのが現政権でもあり

大志のある優秀な学生は馬鹿な政治家に使える官僚になることが

バカらしくなり年々志望者が減っているとのこと

日本の未来は暗い。

正常化には時間はかかると思います。

厚生省の職員さん非正規雇用の人たち、

現場の人たちは使命感を持って国民を守るために

不眠不休で働いています。

罵声を浴びせるべき相手は違うのではないでしょうか。

感染と人権を同じに見てしまう偽左巻きの人権主義者と

大手マスコミあたりだと私は思います。

今日も(3月4日)某大新聞がWHOの発表を、なんの疑問を抱くことなく

そのまま報道しています。

(ジャーナリストが権威の言うままを疑わずに代弁するなど考えられません。)

左の人達に本当に多い権威主義がよく現れている。

彼らの類(たぐい)に権威を持たせると必ずこうなります。

スターリン主義も毛沢東主義も宗教原理主義も

主義に隷属し、自分の意見を見失ってしまう。

賢い人ほどそれをやる愚かしさ。どれだけ人の血を流せば

人類は思想に隷属する恐ろしさを学ぶのでしょうか。


とりあえずは、どんなことでも自分の頭で考えて可否を判断し

マスコミの言うことを、おうむ返しに他人に伝えるのだけはやめましょう。



トイレットペーパー不足に関してネタ元が特定されているようです。

単なる人伝のデマから始まった騒動ですが最悪な場合、日本の法律には「騒乱罪」というのがあり、1年以上10年以下の罰金が科せられます。法律は執行者によりどうとでも解釈され、デマを流して大衆を煽っただけでも罪に問われます。ノリでは済まされません。

2021年 1月1日

新年あけましておめでとうございます。

(推命家のくせに新年は2月の節入りからだとか固いことを言わないでくださいね。)

良い年になるといいですね。

世界中が同じ水槽の中で喘いでいるのが現状です。

自分だけが苦しいわけではありません。

一人で悩むのではなく仲間と悩んでください。

仲間のいない人は、SNSでもなんでも誰かと繋がって

危険のない範囲で相談し合うことです。

不安や焦燥感は辛いですね。

胸が潰れそうになるものです。

そのための心療内科です。受診してください。

ただ、この症状は諦めてしまうことも大事なことです。

こんなもんだ、また来たか。そうそうこれこれと客観的に

自分に起きていることを受け入れ、ちょっと時間がかかるかな

程度に考え、自ら不安を煽るようなことをしなければ

それ以上のパニックは起きにくくなると思います。


そばに心の温かい人がいるといいですね。

見つけておきましょう。


いよいよ「人間力」が試される時代が到来したようです。

自分の器の大きさが問われる時代です

忍耐と慈愛と果敢な勇気 まずは忍耐が最優先かもしれません。

小さな心ない言葉を気にしないことです。

心ない言葉をかけられるようなことをしないことも大事です。

こちらの方が重要かな。


世界は自分の心の顕現(あらわれ)だという人がいます。

自分と自分に関する世界に関しては真理だと思います。

しかし戦争や貧困や疫病については長い時間をかけて生まれた

人類という大きな集団が持つ業なのかもしれません。


気が遠くなるような未来ですが、できることをやるだけです。

来年の話

先日生徒さんから、来年はどんな年になるのでしょうかと

質問され、丙申の話をしたのですが、大事なことを

伝えるのを忘れていました。それは、

1月1日生まれの40歳にとって来年元旦は

40年と1日めの結果がそこに現れてくる

それだけのことです。

そこに、家族がいるのか、孤独なのか、

迷っているのか、絶望しているのか。

良いことが転がり込んでくるような何かをなしてきたのか?

ものすごく単純明快な因果律の結果としての未来予想です。



現状が、生きるのに困っていないのなら、それを壊す必要は

ありません。積み上げてきた、それらを捨ててまで取る

価値のあるものなどないのです。

それに満足いかなかったとしても

それが自分の今までの人生そのものなのだから、

それを捨てることは、自分を否定すること。

自己愛の強い人ほど、この理屈がわからず、

自壊の方向に進んでいます。

今ある自分の感情を優先させることが、その人にとっての

自己愛の発露だからです。

理屈よりも自分の気持ちに正直になることが正しいと

錯覚している。

(さらに正当に聞こえる理由をそこに付け、行為を正当化をしていく。)



来年を良い年にしたいのであれば、

健康を望む人であれば、今日から軽い運動や

必要なサプリメントを摂ってください。

誰かに愛されたいのであれば今すぐに、

忍耐を養い、怒りを捨て、他人を見下さず、

良い人であることを心がけてください。

商売で成功したいのであれば、時流を読み、

サービスと商品を点検し、共存共栄を心がけてください。

蹴落とし商法で勢いのある方たちは是非ダイエー商法の歴史を学び

教訓としてください。

結局、1日1日の積み重ねが運勢の構造の基盤ということです。

来年を良い年にしたいのであれば、良くなるような種をまくこと。

これに尽きます。

執着

執着を解くにはと質問されたので少し、

考察したいと思います。

これは私の中では、鑑定論の中の

解放とその方便の論として研究している理論です。

いかにすれば執着から逃れられるか?

まず、その方がなぜ執着するに至ったのかを

検討しなければなりません。

ご本人とご家族の命式がわかる場合はわりと簡単にその

原因は解明でき、現命式の状態によるものならば、

それを応用、展開させてしまえば、改善していきます。

(もちろん本人が納得し素直に、こちらの提案に従うことができればの話です。)


「何かに執着をしている」

多くの場合、足りないものの代償として物や人に執着しているのですが

相手がいる場合、その方の現命式の急所に釘を刺す人物が

現れる。これは後々苦労を伴う結婚、仕事などと同じ原理が

働いていて、よく見ていると、結婚生活や、職場で

トラブルが起きるときと、ほぼ同じ心の癖により

釘が刺さってくる。

つまり、足りないものを補うために得ようとしたもので、

その動機となったことと同じことを繰り返し、また、

足りなくなる。無限ループという言葉があるらしいのですが

よく似ています。

どこに行っても、相手が誰であっても同じなのです。

なんせ同じ個人なのですから。


執着の対象には大きく分けて、物と人があります。

物の代表がお金。人の代表が恋愛。

相手または執着する対象が明確な場合はまだいいのですが、

これらが昂じると依存症になってきます。

昂じるとは具体的にそれを味わってしまった場合のことです。

その「モノ」がないといられない。

株の儲けに執着して大損した人たちも実は同類の症状だと

私は理解しています。

ここまでくると難しい。壊れてしまうまでわからない。

大事なものに気づかないと言った方がいいのかもしれません。

絶対私は大丈夫という人ほど、落ちます。

強い意志を持てば持つほど自分の欲望に正直に生きたいと

願い、一線を越えると雪崩をうつことになる。

どうやって止めるか?

壊れる前、毒の蜜の味を味わう前であれば、先に書いた方法で

なんとかなります。それでも、なんともならない場合は

客観的に自分の位置が見えるまで引き上げなければなりません。

それでも、気づかない場合、正気に戻すために方便を使います。

自我偈をホームページに載せていますが、狂った息子を

正気に戻すため所謂ショック療法を使ったことが書かれています。

私も時々やります。

それでもダメな場合は手をあわせることしかできません。

まあ、それでも、ここまでやることは稀で、大抵、

怒気にかられて我に帰り、執着していた相手よりも

怒らせた私を恨み、呪ってやると嘯かれる。

怒りの炎は敵も焼きますが、己の中の執着心も焼く。

是非、私を恨み、その苦しみをもまた焼き尽くしてください。

ここまで施術した人が今まで4、5人いましたが、

大差あれ、人の悩みの原因はここにあります。

推命学的に言えば、現命式の弱点。これに尽きます。

来年度は平日に入門クラスを開講いたします。

今のところ夜のクラスですが、

人の業そのものを理解するに至る特別な推命学の入門編です。

どなたでも心意気のある方は歓迎いたします。

気功教室開講

本日より気功教室を開講いたしました。

記念に長年温めていたのものを、ご縁のある方には

知っていただきたいと思います。

祝詞

多くの場合十干は省かれて紹介されているのですが、これが本来の姿だと

私は思っています。

怒りの次に来るもの

怒りを野放しにしておくと、どうなるでしょう?

幾つかの現象が生じてきます。

1、

怒る自分と、そうでない他人を比べ始める。

(他人というのは自分以外の人達の意味です。)

「あなたは幸せそうでいいわよね。」

どこかで聞いた言葉ですね。

怒りが「嫉妬」「妬み」に変化していく。

2、

怒った相手が、萎縮し、怯える姿を見て

怒りながらも、支配欲と、自尊心がくすぐられ、

傲慢、慢心が生じ、他人を見下す心が生まれてきます。

同時に怒りの「うまみ」に気付き始める。

(モンスター)クレイマーが降臨してしまう。

3、

怒りの原因が、何かを得られなかった場合

得られなかったものに対する強い執着が生じてきます。

4、

多くの場合最終的には孤立し、怒り散らした自分自身に

その怒りの矛先を向けることになります。



「大義名分」のたつ正当な怒りは絶対に必要ですが、その「大義名分」は、これらの大きなリスクを伴う「怒り」に本当に相当するものなのかは検討する必要があるのではないのでしょうか

たいていは「私ルール違反」が大義名分になってい方が多いように私には思えます。

推命学を学んでいる皆様へ

推命学を学んでいる皆様へ

学ぶ動機は色々だと思うのですが

自分を助けるために学ぶことが

何よりも大切です

占い全般に言えることなのですが

肝腎要の自分のことを理解できなければ

全く意味がないと私は思っています


もし強情で他人を傷つけてしまう人がいたとしたら

そこには間違いなく 

そうさせてしまう星の影響があり

そんな自分を少しでも変えたいと望むのであれば

その星は絶対ではなく変化するものであることを

知って欲しいのです 

物の陰陽はこのようなところにあり

使い方がわからないだけなのです

神殺や空亡を使えば苦境の解説は簡単なのですが

空亡では最長20年間苦境のままであり

常識的に考えれば

20年間 苦境が続けば大抵の人は腐ります

救いのない鑑定です 何度も書きますが

空亡は 短期の占術には有効ですが

長期のものには、全く意味がないというのが

我々の説です。

また、神殺については その本質を知れば

恐れることは無く

悪神と決められているものであっても 

変わるのです

強欲であれば 足りることを知ること 

同様に嫉妬深さにも傲慢さにも対処法があり

良薬は術中に間違いなく用意されいる。

それは用神と呼ばれるものですが

その使い方が分からない人が多い

中には用神を五行の物質と理解し

木刀を抱いたり 貴金属を身につけたりしていますが

用神の本質は「心」を使うことにあります

人の心は「狂った象」のようなものだと

仏家は説きます 

その通りだと私も思うのですが

この象を調教する作業が用神を使うことなのです

具体的な調教の仕方があるのです

生徒さんにはその使い方を教えています

だから苦境に陥ったら 思い出してください

そして

今ある状況に合わせた解釈と解決法を探究し

実行し 結果を検討し さらに工夫する

この学問を身につける最短の道になります

統計学などと当て物程度に言われないよう

机上の学問の謗りを受けないよう

個々の努力を望みます。

教えたように一番大事な基本は五行の通変です

(ここで言う通変の意味は「流れる」「変化する」という文字通りの意味での使い方です)

推命術というのはこのような学問なのです

その2

どうでしょうか?

結局、運を悪くしているのは自分自身だと、

なんとなく思い始めることができてきたでしょうか?

誰もが、持って生まれた星のもと、その人特有の

「運」を持って生まれています。

そして、あまり知られていない、とても重要な事実があります。

それは「運」は育てることが可能だということなのです。

考えてみてください、今不運に見舞われていると思っている人は

必ず、不運になる選択をしているはずです。

特にそれは好き嫌いに現れ、自分に都合の良い方を選んで

ドツボに落ちているのではないのでしょうか?

それでは、どうすれば、今ある運を育てられるのか?

それには先ず、運を壊さないことから始めるしかありません。

三途の川の石積みでは、どうしようもない。

どこかに書いた覚えがあるのですが、

自分に悪さをする最悪の生霊は自分自身であり、

それが、積んできた石を崩してしまう。

このことを確りと認識することが、自分を見つめる

第一歩になります。

これができれば運勢鑑定を受ける必要はありません。

心の中にいる鬼はどうしましょう?

(鬼とは運を壊す生霊、すなわち自分自身の内にある怒り、嫉妬、傲慢、執着等々のことですね。)

それには、その対象の相手を

認めてあげて、できれば、さらに敬意を抱くこと。

「相手が、そうしたら、自分もそうする。」

これが普通の会話でしょうが、絶対に、そんなことは起きません。

運の正体に気づいたものが先にするしかない。

そのための忍耐、そして努力です。



私の知人に面白い人がいて、ついこの間も、ある温泉の懸賞くじで1等と3等の「くじ」に当たったそうです。景品は19型の最新テレビと、高級電気毛布だったそうです。私が見るところ彼の口癖は、問題のある人に出会うと「あの人悪い人じゃないんだけどね....。」といつもつぶやいています。また、同僚たちが誰かの皮肉や悪口を言いはじめると、すぐに側を離れるとのことです。どうして?と聞くと、自分はボートと競輪が好きで(どちらも公営ギャンブルです)どうも他人の悪口を言った時は負け、そうでない時は元は戻ってくるような気がすると言っていました。面白いですね。これは屁理屈ではなく経験則です。皆さんも誰かに腹が立った時は、とりあえず「きっと元々はは悪い人ではないんだけど、なんかで、ひねちゃったんだよね。」で止めてみてください。彼のようにツキが戻ってくるかもしれません。


それと、言い忘れましたが、かく言う私も嫉妬深く、すぐ怒り、暗く物事を受け取る、やな奴でした。今もその傾向は残っています。ただ、この仕事をすると決めてから、共に喜ぶ心を養おうと、喜心の雅号にいたしました。私の覚悟のようなものです。そして、無銭飲食のお客さんにも忍耐し、それが解っていても頑張れと励まし(鑑定料を払うか払わないのかくらいはわかるのです)、
奈落に落ちるのを止めるため方便を使えば返って怒号を浴び(それも織り込み済みなのですが、正直きつい仕事です。)、それでも、時々は感謝され、なんとなく人に貢献できてるなと自己満足の酒に酔い、毎日がこれの繰り返しです(お酒を切らさないための口実なのかもしれませんが....。)。それでも、流した涙と血と汗のおかげで皮肉や愚痴や、他人や自分をいじめる人生は終わったと確信しています。もし今、苦しみに喘いでいるのなら、時間はかかりますが、その苦しみを捨て去る道を求めるのなら、試しに、私どもの推命術と気功術を学ぶのも、その一法かもしれません。

万年暦

又聞きの情報ですが

来年の秋ぐらいに泰山流四柱推命学会の

新しい万年暦が出来上がるそうです

とりあえず お知らせいたしておきます。

青春 恋愛3

なぜ恋愛をするのか?

そんなことを考えたことはありますか?

答えは見つからないでしょう。

まあ、若者であれば、子孫を残すための動物としての本能、

種の保存のためだと、とってつけた答えを出すでしょう。

でもね、

誰かに「好きだよ、愛しているよ」と言われ時

それは自分を支える言葉に変わるんです。

「自分でもいいんだ」と誰かに認められる

そんな瞬間でもあるんです。

だから、傷のある子が大人になって、

それを言われると、その人が、かけがいのない

とても大事な人に思えてしまう。


どんなにダメなやつかとわかっていても

心は、そいつの元に転がり落ちます。


ここが難しい。

もし、大人の方で、何度もこれを繰り返していたとしたら、

先ずは、あなたを承認してくれる大人を探すことです。

本当の意味で心の渇きが癒されれば、悪い恋愛癖は

消えていくでしょう。

四柱推命の学び方

去るものは日々に疎く、来たるものは日々に親しむ。

人の出会いの機微ですね。


さて、松本先生のご著書読まれましたか?

少しビューアーが使いづらいかもしれませんが、

左上にある目次・巻号で読みたいページを決めて

右上にある「フルスクリーン」にすれば結構読みやすいて思います。

正直、読むのは大変だと思います。

特に初めての方は最初は憶えることばかりで、

嫌になってくるのではないでしょうか。

それでも自分の元命式が出せるようになると、なんとなく

あ、この星ある、この星もある。と楽しくなってくるものです。

ここまで諦めずに来られたなら、推命を身につける才能があるということですね。

頑張ってください。

注意ですが、この本が全部わかったからといって

決して他人を直接鑑定してはいけません。

他人というのは親族を含めての意味です。

研究として元命式を出し、星をつけるのは構いませんが、

実在の人物と元命式の人物は別物です。

貴人の星がたくさんついていても、どうにもならない人がいたり、

悪神がついていても、しっかりと社会で頑張っている人がいるのです。

初心の人がよく陥りやすいのが、貴人の星がついているから

自分は偉いんだと、他人と自分を比べることです。

逆の場合もしかりですね。

えー。それじゃ四柱推命って当たらないの?となるのですが、

星の羅列だけを判断しても当たりません。。

じゃ、格局法が使えるようになれば当たるの?と

思われるかもしれませんが、最近、外国の先生方の

伝統的な各局法の本が出ているので読んで貰えばわかるのですが、

その方法による用神は取れるようになりますが、

どのようにその人の人格に、それが影響するのかの

解釈の解説はありません。

その命式(人物の価値観、性格、運勢の傾向)を

どう読むかということを解説している本は稀です。

鑑定する星の順番のようなものを書いている先生もいるのですが、

その人物そのものを鑑定しているとは言えません。

正直にいうと伝統的な四柱推命と言われるものは

完全に形骸化し、森(人物その人)を見ずに

木(命式に連なる星)をみる手法に終始しています。

どの辺りからかと思うのですが、私は断易研究中、

九鬼盛隆先生の著書に京房という方の名が出てくるのですが

断易を乱した真犯人と断じ蛇蝎のごとく嫌っています。

その名が、時々外国の先生方の推命術の本の中に散見されるのです。

また、「星平会海」という占術があるのですが、

(その昔、この本を訪ね大阪の中之島図書館で原本らしきものを見たことがあるのですが、当時は星図と漢語にちんぷんかんぷんで、すぐに返納にいき、司書さんに呆れられたことがあります。若気の至りです。今は台湾本でも翻訳でも書店に並んでいます。)

伝統的な四柱推命の中にとても多くの神殺が

この本から引用されていることに驚かされるのですが、

西洋占星術と中華占星術の合本だとのこと。

(どちらの星ががどちらに流れたというのは専門の学者の先生方の研究を待たなければなりません。)

ただ、誰も、この神殺の事の真偽を正したものがいません。

いないというのは大げさで、ある先生は天徳貴人、月徳貴人星を

取り上げ、ある先生は羊刃殺を取り上げ一派をなした方達もおります。

この先生方は実例を挙げて、この星があるから助かったんだ、荒れたんだ、

との説を立てられているのですが、私の見るところ、再現性に関しては

少々疑問が残ります。

現役で現在世界的に活躍している中華の先生方のうちのお一人は

神殺は3つほどしか使わないと述べられています。

空亡もお使いになりません。

私もこの説に賛成で、実例を見ていると特にそのうちの一つは

否定し得ないところがあるのです。

多くの方が気になる、自分の婚期や才能、適職、

将来の姿を推命術に託すのであれば、しっかりと学ばなければなりません。

(まず、神殺を多く使う先生はダメです。あとは個人的にですが「空亡」を強く主張する先生方にも気をつけた方が良いですね。何をしてもダメと必ず始まります。)



最後に、松本先生の、このご著書について、

日本の現状の四柱推命界の母体のような存在です。

この本をマスターすれば、従来の四柱推命を学んだことになり

膨大な知識を得ることができます。自慢できると思います。

ただし、人の鑑定はできません。

私的には博物館の展示品としての価値の方が高いというのが

正直な評価ですが現状の四柱推命界を見渡すと、

やはり旧態然とこの本がバイブルとなって発展してきたように

思えてなりません。


僭越ながら、もう一点だけ先生の名誉のために書いておきます。

膨大な資料ですがその中に2行ほど、人を見ることをしてきた

実践家でなければ書けないセンテンスがあります。

松本先生の中には実践家としての血が流れていたのだと思います。

亡羊の嘆

通変を説いてその善悪を知らず

格局を説いてその軽重の意味を知らず

星を他人事(ひとごと)として弄ぶ。

嗚呼、嘆かざるかな。

再び楼蘭の塔頭のごとく消えゆくか。

推命学学習の進捗状況の目安

推命学を学ぶ時 学習の進捗を測る目安があると

便利だと思い 注意点も含めて書いておきます。

まずは自分自身を理解すること。

自分を構成する星の理解が深まれば そのまま

他人にも当て嵌めて考えることができるはずなのですが

それができない人が多くいます。

人の持つ自尊心というのは恐ろしい程自分勝手で

10人中9人までは「自分だけは違う」と

思い込んでいます。

時々人の悩み事を仕事にしている先生方からの

相談を受けるのですが 皆が皆 異口同音に

「自分のことは分からない」と述べられています

理の部分では分析できても情の部分で受け入れ難いというのが

実情だと思われます 

それゆえに自分に対する改善策が提案できず

ストレス発散が唯一の解決法で

喪が明けた頃にまた同じ苦しみの原因を作り 

同じ陥穽に落ちてしまう

繰り返しです。

自分を知るということは良くも悪くも

自分自身に 文字通り直面することになり、

腹の中のドス黒い部分も 光輝く面も見え初めてしまい

辛い作業になる場合もあ流のですが

ここを避けては通れません

この作業が終わる頃に、学習内容に 

やっと自信を持てるようになり 

それなりの鑑定ができるようになります

とりあえず 真っ当な鑑定士の仲間入りということでしょうか。

これが何よりも大事な鑑定士としての「基礎」です

次に大事なのは 「世の中」を知っていることです

働く者 生活する者の苦しさも知らずに 

生き苦しさを知らずに人の相談には乗れません

社会人としての経験を積んでください

世馴れているという言葉がありますが大事なことです

この術に長けている人をよく見かけますが

それはそれで大事なことです それだけに甘んじず

本物の基礎を積み上げれば良い鑑定士さんになれるとも

思うのですが.......。

そして

「人」を知ること 人生を知ることと言い換えても

良いかと思います

人は誰もが思い通りに生きたいと思っている

甘えたままで生きていきたい 威張って生きていきたい

快楽を追って生きていきたい等々様々です

この世は個々の欲の上に社会ルールという重石が乗って

普通の生き方という社会規範が出来上がっていますが

その社会的な姿の 心の底に蠢く欲望が

あらゆる苦悩の原因になっています

一例を挙げれば

男と女の関係でも 会社の人間関係でも

相手を自分の前に「ひれ伏せたい」

「自分の言うことを通したい」

それが思い通りにならないから苦しいと

要約できます。

どうすればこの苦悩から逃れられるのか?

ここからが 鑑定士各々の人間性によって

答える答えが違ってきます。

模範解答はありません。

貴方なら どう考えるでしょうか。

それぞれが 依頼者の人生をどう考えるかで

言い換えれば、鑑定士自身の人生観によって

使う言葉が違ってくるのです

推命学を志す方は是非とも

世の中に必要とされる鑑定士になってください



最後に

運命学の到達点は誰かに評価されるものではなく

自分自身が決めねばならないものなのです

「道」そのものなのかもしれません。

自殺について

自殺について私の考えを書いておきます。

人は死んでも、その人でしかありません。

死ねば何か特別な能力や喜びが得られると

誤解している人もいるようですが

自然死の場合であれば49日肉体から解放され、

心だけの存在として親族の側にいるとされています。

納得のいく説明です。この時期、心を成長させるための

講義を聞くことができれば極楽へもいけるでしょう。

悟りを開いたお坊さんにお経をあげてもらうという

「教育」による所謂、成仏です。

そうでないお坊さんの場合、悪さはしませんが、

生前の好物を親族にねだるようなことをし始めます。

よく霊能者さんたちの会話に出てくるものです。

死というのは結局死んでも生前の姿と変わらない。

結局、我々は生きている間に学び、心を成長させ、

死と向かい合い克服するしかないのです。

日々の後悔の無い生き方こそが最善策となるのです。

それでは絶望して死を選んだ人たちはどうかというと、

絶望して無くなれば、その絶望がそのまま残るというのが

自明の理です。

よく考えて欲しいのですが、人の心というのは交錯していて

死を考えるとき間違いなく生が、そこにはあります。

生が辛くないのなら死を選ばない。

それでは一体その辛さはどこから来るのでしょうか?

「生きていること」から来ている。

生きていれば、嫌なことも、許せないことも

裏切られることも山ほどあります。我々の人生は

正直に言えば、生き死に紙一重の世界です。

絶望などというのは希望や期待を膨らませられる人の

それが萎んだ時に呟く、贅沢な言葉です。

夢や希望や可能性は無限大などと子供をダマそうとするのは

教育評論家の先生方くらいで、子供達の方が、いじめや

大人達との現実の中でたくましく生きている。

死を否定してもしょうがない。肯定することです。

死の恐怖を肯定し、生を選ぶ生き方をすることです。

死を受け入れることは、自分も自分以外の人の中にも、

死の恐怖があることを認め合うことです。

それでお互いを大事にし合うことができれば

他人を思いやる人生が成立します。







もう一つ

人の死を弄ぶ方達に言っておきます。

どこかの高校生が東尋坊で飛び降り自殺を強要したとの報道が

ありましたね。

彼等の人生はこれからが今以上に大変です。

人の恨みは消えません。加害者側が改心したとしても、

亡くなった被害者の心は恨んだままです。

さらに被害者の家族の恨みも背負って生きることになる

その子一代で終わればいいのですが、そうはいかずに、

当人の縁者が、そのような「縁」に絡まれ負の連鎖が続く。

地域に根差している古いお寺さんに聞けば、〇〇さんの所は

等々の実話を話してくれるかもしれません。

人の心は世界を生み出す力があるのです。

世界は縁によって成熟し実をなす。

三界唯心と華厳経にある通りです。

5月14日

占いと運勢鑑定

占いと鑑定の違いについて何度か書いてきたのですが

端的に言うと「占い」は予言です。

易も易神からの予言、警告と考えて良いと思います

運勢鑑定とは持って生まれた運勢の因子が大運として

位置付けられた時間の流れの中での大まかな

進行ルートの中をどのように変化していくかを

予想するものです。

私は運勢の因子は変化すると考えます。

それゆえ特定個人の「現状」を知ることで

持って生まれた因子のどの点が流れの中で増幅され、

どの部分が凍結していたのかを知ることができ

本人のそれまでの生き方を把握し現状の延長としての

未来の姿をかなり正確に描くことができるのです。

実は、これは現状の条件を変えることができれば

おのずと未来の結果は変化することの理屈でもあるのです。


推命学を学ぶとき、

多くのかたが呑まれてしまうのですが

例えば、偏財を父親とし、この星に対する

型が悪いと父親の運気を傷つけるとされ、

戦国の昔であれば、生まれた時から

もらい子に出されるか、殺されています。

この類を追求したのが従来の推命学です。

(ただし理論上から言っても力量の点が全く無視され迷信に近いというのが私の見解です)

しかし、人はそんなものは求めていない。

ただ、幸せになりたい。これは私も全く同じです。

そのために推命学をどう使うのか?

何度も言ってきましたが使う術者によって

切れるメスは人を生かしもするし、殺しもする。

私はこの流派を学び、人の幸せは結局は

他の人と触れ合い円満な人間関係が築けることに

あると結論づけています。

お金持ちでも心が貧乏な人が星の数ほどいるし

仕事ができても嫌われ孤立し恨まれている人。

誰かを恨み孤立している人。

人の恨みを買ったり、他人を妬むことがどれだけ

自分や自分の大事な人たちの運を削っているのかを

現世利益を宣う方達は知りません。

ずいぶん痛い目を見ているはずですが運の強さが

その痛みの意味に気づかせないのです。

運勢鑑定とは自分を知ることであり、知った自分の将来を、

さらに自分の思うように描く技術だと定義したいのですが.....。

そうであって欲しいと切に願う今日この頃です

心の不調

仕事柄、心の病の悩みを聞くことがあります。

事情や、症状はそれぞれであり、原因がはっきりしている場合は

それに準じた助言をするのですが、

共通のアドバイスがあります。

1、食事。偏食を少なくする献立。

2、呼吸法。

呼吸法については独自のものがあるのですが、普通のものでも代用可です。

要点は1から9まで数をゆっくり数えながら、

吐く息と、吸う息のリズムを長くしていくことにあります。

注意として、普段の生活自体がそうなっていると思うのですが、

心が緊張の連続にさらされると、必ず背中の

肩甲骨の間に大きなハリが生じ、

時間が経つほど「怒りの感情」として

肉体にそれが現れます。ここをほぐすことから

始めてください。できれば、身内の方に事情を話して、

ふわふわになるまでマッサージをしてもらうこと。

拒食症が伴い、骨と皮になっていたとしても

見えない形でここに懲(こ)りができています。

ゴリゴリせずに優しく手を当ててもらい、時々

(手のぬくもりを懲りに通すイメージです。)

マッサージをするようにしてみてください。

(女性の場合はこれに仙骨の手当て(背中と同じです。)を加えてください。)

このマッサージの目安は、本人の息がゆっくりと深くなり、

なんとなく安心感が生じるようになること。

食事がおいしく食べられるようになること。

おしゃれや運動をしてみたくなること。

これを1セットとし、少しづつ数を増やしていってください。

心が安定してきたら、次の段階のアドバイスに移ります。

案ずるより産むが易し。

実行してみてください。

自分をいじめるのをやめて、さんざん頑張ってきたのだから、

とりあえず元気が戻るまで、頑張るのを休止する。

そんな時期があっていいと私は思います。

四柱推命

2016年4月現在の推命術に対する私の感想です。


四柱推命術は一般的には「占い」に分類されています。

しかしあまり言いたくないのですが、その汎用性は高く

人の成す様々な心理、感情、情動、行動の原因を解明し

同時にその解法を展開することができるものなのです。

循環と対立という無始の昔より変わらぬ

「生命の求める動き」と

因果律という定理の上に繰り返される現象

その実は、ものすごく単純なのですが、

この単純さが複雑に絡み合い人の心に喜怒哀楽を

生み出している。

「当てる」ための推命の究理がそのまま「生きる」ための究理として

応用できることをご理解ください。


これが本来の推命術なのかどうかは私の知るところではありませんが、

これを学ぶことが、人生に多大な資糧を与えてくれることに

間違いはないようです。

結婚を望む人へ

 
結婚で幸せになりたい

よく聞く言葉なのですが

社会的な地位のある お金持ちで

頼り甲斐のある男性を もし 

その対象としているのであれば

少し 考えた方がいいかもしれません

それは 彼らが抱えている「リスク」の

大きさです

所謂 一流企業であればあるほど、競争は苛烈で

そのストレスは家庭に持ち込まれます

温かい家庭 休みの日には公園デートなんていうのは

相性が良い夫婦にはリフレッシュになりますが

そうでない場合 彼らにとっては

妻や家族のための強制労働になります

(ひどいことを書いてごめんなさいね。)

知性的な夫ほど頭ではわかっているので

頑張りますが、仕事のきつさに比例して

キレ始めます 

だんだんと家に帰ってこなくなり 

家族と顔を合わせる時間を避け

外に逃げるのです。

一般的に言えば

夫の置かれた環境を理解できているかた達は 

賢い女性であればあるほど

相手を「いたわる」ことをしています

(一見矛盾するように見えますが 

温かい温もりを保ちながら 干渉しない 

彼だけの時間を保証する 

日常の必要な世話以外は臨機応変に対応し 

夫への相談事は極力 必要以外は避け 

自分で決済しています。)

それが できない、したくない、甘えたい

なんでも相談して二人で決めたい

優しい言葉が欲しい それが愛だ

と言うのであれば よく考えて欲しいのですが

それは彼が望んでいることではなく 

自分が望んでいることなのではないのでしょうか

疲れ果てたその人は今のあなたと同じことを

望んでいるのかどうか考えてみてください

どこかで恋愛気分を捨てないと結婚は暗礁に乗り上げます

(男性側にも女性側にも同じことが言えます。)

私は思うのですが、お金も地位も学歴も

多少劣っていても 気楽に付き合える、

自分の身の丈にあう相手が一番楽だと思うのです

相手を「いたわる生き方」を自然にできる人は

それが自分の「身の丈」に合っているということです


人それぞれ 自分に合っている生き方をすれば良い

好きな相手と一緒になれたら

時々は優しくしてあげて、時々噛み付き

泣いたり笑ったりし しがみついたり

しがみつかれたりし 

裏切ってしまったら もし それを後悔するなら

口を閉ざし墓場まで持っていけばいい

そして 「いつか」

親友のように信頼し合える関係になれれば

いいのではないでしょうか

元々が生まれも育ちも違う他人です

けれど間違いなく「宿縁」によって

結ばれた間柄です 多少の忍耐さえ養えば、

よそ見さえしなければ最後までいける

但し 命の危険を感じた時は逃げることです

「逆縁」もまた「宿縁」の一つなのです


 

暴動へ向かう香港

香港

香港で市民のデモが暴動の様相を呈し始めているようです

権力側に 徹底的に叩く口実を与えているようにしか見えません

中国最大の風水文化圏と言われている地ですが

住人に与えるパワーも強力ということでしょうか

その点 我が日本国は 大学入試を「売り物」にし

この国の未来を担うべき子供たちで銭勘定をした

文科省の大臣 官僚 天下り先の 企業に対しても

当人も関係者たちも 大人しく 梨の礫です

流れに抗う強さや 権力に対する反骨心というのは

見られません 

国家を一つの肉体に例えれば 免疫機能が低下している

明らかな証拠です 

「仕方ないね」の時代が来てしまうのかもしれません

残念ですが かつて大陸にあった「支那」が

この国の未来の姿になるかもしれません

本当に危ない 

大人たちが真剣に未来を考え 備えなければ

飢えて 渇えて 「生きるために奪う」人々の「活力」は

理屈や 議論の枠を超えています

幕末 思想家1

佐久間象山 1811年3月22日ー1864年8月12日 54歳

   丁 辛 辛
   未 卯 未

75 65 55 45 35 25 15  5
 甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛
 申  酉  戌  亥  子  丑  寅  卯

強く激しい方ですね。今のところ、これまで見てきた幕末の国士の中で、この方の意志力が最も強く、多くの志士たちの思想的な支柱であったことが窺えます。弟子に吉田松陰、河井継之助、勝海舟、坂本龍馬等々、この人に比べると吉田松陰さんは優しくて人を育てるのが上手なとても優秀な学校の先生と言わざるおえません。





吉田松陰 1830年9月20日ー1859年11月21日29歳

    己 乙 庚
    丑 酉 寅

77 67 57 47 37 27 17  7
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

生きる覚悟

生きる覚悟

近代日本の黎明と言われている明治維新に活躍した人達を

調べて感じるのですが いわゆる貴格や、

良命式はほとんどありません

時間までわかる 絶対に間違いないと

生徒さんが持ってきた、憧れの維新の英雄には

忌べき星がついていました。

今であれば世情をにぎわす方達に

時々見かけられる星です

元勲と呼ばれる方達も似たり寄ったりです

我々と何が違うのかといえば、一つは時代

そして彼等が持った「覚悟」なのだと思います

あの時代に強いられた「危機感」が

覚悟を揺るがすことを許さなかった

西洋列強によって国が滅ぶかもしれないという

危機感の上での覚悟

目的のために払うであろう努力を受け入れる覚悟

そうゆう時代でしたね

「緩(ぬるい)危機感」のままの生き方には

「覚悟」は必要ありません。

実はこれが 持って生まれた運勢のままの生き方

になります

しかし運勢のママならいいのですが、社会に出、

揉まれたとき、持って生まれた星は変化するのです。

(運勢の勉強をしている人には初耳でしょうね。)

既婚者の恋愛

パートナー以外との恋愛話のブログが

たまたま目につき

ちょろっと覗いてみたのですが

既婚者が恋愛して何が悪い とか

彼の体が大好き とか 

亭主とレスだから とか

その理由を一生懸命書き綴り 

なんとなくの罪の意識が行間ににじみ出ていて

セルフルポタージュとして興味深いものがありました

自称〇〇カウンセラー兼占い師さんのサイトと

抱き合わせで掲載されていて、サクラかなとも思うのですが

延々とか書かれているので そうでもないようです

彼女達にとっては必然で 当たり前の欲求を満たすのに 

文句があるのかとも読める肉声ですね

自分に正直でありたいという真摯な気持ちが

それを書かせている動機なのでしょう

自分が与える喜びに素直に応えてくれるお相手 

ただ、快楽と反応に癒されているはずなのに

暗いものが文章を覆い尽くし

罪の意識が行間から溢れ出している 

だから自分の物語を世間に知らせているのかもしれません

もしかしたら、救いを求めるサインなのかも知れません


彼女たちの心情に共感する作業はこのくらいにして

もし 身近な知人にこのような方がいたとしたら

まず相談すべきは心療内科で「性依存症」の疑いを

相談するよう勧めてください 結構 これが多いのです

夫婦生活に関してもここに問題がある場合があり

自分を罰したり 相手を罵ったりと理由のない

諍いの元にもなっている

多くは、現状の意識では消されている過去の

何らかの性的な体験の記憶に起因していている

(これ以上は医者の領分ですね)

自分の物語を綴ることを少し休んで

ちゃんとした お医者さんに相談してみるよう

勧めてください。

もしかしたら現状のその人は本来の自分とは

違うのかもしれません

依存症

薬物依存

ゲーム依存

依存症というのは難しい病気で

死に至る病だと私は思っています

脳で快楽物質を分泌され始めてしまうと

自分でブレーキをかけることができなくなってしまう

初手の処置がどれだけ想像に難くありません

ここまでくると 占い師や 鑑定士の守備範囲を超えています

もし、これを標榜する、この類の方がいたら

罪つくりなことになります 

お金のために誠意を捨ててはいけません

自分を戒めることです

近藤等則

木蘭の涙

近藤等則氏の訃報を聞き、若かりし頃読んだ

「ラッパ一本玉手箱」が思い出され、当時憧れた大人達が

次々に亡くなっていくのが実に寂しい気がします。

それでもまだポール・マッカートニーも

ステイングも存命のはず、

しっかりしなければと思います。

そんな中 YouTubeで近藤さんの映像があるかと思い

探していると最近お気に入りの上白石萌音さんの

「木蓮の涙を」見つけ聞き流しているうち、

オリジナルは誰なのかと探すと

「スターダストレビュー」で1993年7月

シングルカットされた曲だそうです。

オリジナル曲のコメント欄を読んでいると

本当に人生は「糾える縄の如し」だと思い知らされます。

多くの方が悲しみを超えて、今生きている。

今は幸せであって欲しいと読んだ人それぞれが

思っているに違いない。

自分自身を重ねるコメントが涙を誘う。祈りの言葉のようです。

秋霜秋雨 

タイミング良く 初代高橋竹山の津軽三味線が

YouTubeから流れ始め、吹雪が舞い始めました。

つくづく音楽の力というのはすごいですね。

刹那的な犯罪

刹那的な犯罪が増えていますね

困ったものです

自分の将来が目先の欲望に汚れてしまうことに

気付けない人が多くなっている

最後の歯止めが効かない。

大丈夫と耳元で何かが囁くのかもしれませんね。


70過ぎの大学教授がストーカーになる時代です

心が乾いてしまっているのかもしれません

老も若きも男女問わず犯罪に傾いている

他人を利用しようとする連中

騙される方が悪いんだとシラを切る連中

「すみません」の一言がないばかりに争いが起きる

世の中です 最低の礼儀は他人に尽くしましょう。

でも、相手には求めないこと。

公権力はとりあえず大人しいので他国と比べれば

住みやすいですが、個々の犯罪が増えれば

きっと動き出すことになります。

嫌な時代になってきました。

ゲーム

うちの子はゲームばかりで困ってしまう。

よく聞く話です。

柔道 高藤選手のコメントを上手に子供さんに教えてあげてください。

どんな世界でも視点を変えれば、そこからの学びがあり、

これに気づけば、どんな遊びも人生の糧になります。

問題は、どのように子供さんに話せば彼らの耳に入るのか。

親の力量が問われるところですね。

棲み分け

どこかの高校の先生が1年生の女子に校内でキスをしたとの報道があり、

あ、そうなのかと合点した事があります。

それは、この人が課せられた職責を二の次にして

彼女の未来や自分の未来よりも欲求を満たすことを

優先させたということです。

「その先の自分」への関心がない。

この辺りが最近の痛ましい犯罪の傾向かもしれません。


鑑定の現場に居ると

結局、誰もが幸せになりたいと思いながらも、

他人に傷つけられ、自分も傷つけ、お互いの傷の痛みを

相手や、他の誰かになすりつけあい、

傷が深いほど、似たような傷を持つ人たちと波長が合い、

出会ってしまう。

吉運が巡ってきても、一時的に開いた明るい扉を

自ら閉めてしまう人たちもいる。



それなら、今いる世界をいかに快適にするかなのですが、

まずは、

「自分たちには未来がある」ことを思い出すことです。

未来は今が基盤になりますが、取り返しがつくものと

つかないものがあることを真っ直ぐに見て

その上で、次に、居心地の良い居場所を見つけることです

好きな仕事、やってみたかった仕事、続けてみたい何か。

自分が好きだったことを思い出してみてください。

(ただ、もし「人」が好きと心が呟いた時は自分の中の何かを誤魔化している証です。大抵は、こんな素敵な自分を大事にして頂戴という願望で、新人政治家先生方の言い草です。他人を支配したいだけ、楽をしたいだけ。キツイ言い方ですが事実だと思います。)

次に、他人との関係に関するストレスを減らすことです。

自分の傷を一旦離れて夢中になって仕事をすることです。

他人に指摘されるような下手を打たない努力をすること。

これしかありません。

学歴も時頭の良さも心療内科の先生方がつけてくださる

素晴らしい病名とも関係がありません。

生きる場所を棲み分け、生きること。

他人や誰かと自分を比べさえしなければ、

心が安定し良い人生が始まります。

先祖供養

某占い所で霊の障りだ先祖供養をしろと言われた、

どうすればいいのかとの質問があったとき、

それはお坊さんに相談するのが一番ですと答えています。

我々の仕事の範疇ではありません。

それでも「自我偈」をホームページにあげてあるのは

頼りのおぼう様が非道の方で、法外な

金品を請求された場合の緊急避難としての提案です。

運の落ちている時は、良いお坊さんとも

出会えないことが多い。

あがくだけ傷口が広がってしまう。

私にお経の話を教えてくださった先生は

亡者が原因の場合「自我偈」を推奨してくださいました。

生きている誰かを助けたいのであれば

私は「観音経」を推薦します。

知り合いの霊能者は少し徳の高い霊は「般若心経」を

聞きたがるとも言っていました。そうなのかもしれません。

合わせて勤行するのが良いと思います。

推命学では「霊」に関しては「論語」にある孔子の

「怪力乱心を語らず」が基本的な態度です。

根拠もなく霊の障りを言ってはいけません。

神戸東須磨小学校 教師いじめ事件について

デイリー新潮

私が教えている運勢鑑定の基本に通じる記事です。

星が読めてもそれをどう活かすかは千差万別で、

先生方の個性によりそれが決まります。

この辺りが当たる当たらないの「占い」とは

カテゴリーを異にする点だと言えます。

あぶり出し

韓国も日本も、時が経つにつれて

色々な隠れていたものが現れ、色分けがされてきたようです。

これは「あぶり出し」ですね。

追い詰めらえるとその人の本当の心情が現れてくる。

わかりやすい話です。

韓国は学生運動上がりの親北セクトが権力を

握り、それに同調する一部の国民が同じデザインのプラカードで

気勢を揚げ嬉々として反日運動に勤しむ反面

その多少は報道されていませんが水面下で反親北、

現状維持を望む人たちが動き始めている。

そんな彩に分かれ始めているようです。

朝鮮戦争で北朝鮮に親族を殺されたもの、

大韓航空機墜落で身内を殺されたもの、

拉致されたもの等々。個人の恨みというのは

南北統一の大義があろうが、絶対に忘れられません。

少しづつ反撃に移ると思われます。そんな記事も

現れ始めましたね。ここ2、3ヶ月が見ものです。


一方我々日本人は、

愛国心を強要するなと大声で言っていた、

自由平等が大好きな国民気質が

ムラムラと愛国心的な方向に目覚めかけ、自戒をかねて、

これ以上俺たちを刺激するなと思い始めています。

さすがのマスコミも一時に比べると擁護の口が重くなり

彼の国の理解しがたい精神性と頑なさに辟易し始めているようです。

それでも安倍憎し、韓国可哀想、日本が妥協するべきだとの

論調を変える気がない人達もいる。本当の意味での多様性と

許容力が育ったんだなと感慨深いものがあります。


彼の国は儒者の国、彼らの一番重んじるものは「メンツ」です。

「儒学」なんてのは、生まれながらに、この世の

上下関係は天に決められていて頂上(王)にあるものを

下の者が支えることこそ天の意思である正しい道だとするものです。

そこに「天」から与えられた身分という誇りとメンツさらに

見栄が生まれてくる。

家の「格」とかなんとかも、こんなところから来ています。

王がどんな酷い奴でも、この自然の法則に従えというのが

基本的な考え方です。





天地自然の法則を根拠とし、どんなに、その正当性を主張しても

天地自然の法則と、人間の持つ本質的な性質には大きな違いがあり

その違いとは人の持つ「欲=自由意志」だと私は思っています。

環境に順応することも、夢や希望のために努力することも、

また、自らが望まない「社会全体」からの強制に対しても、

断固として戦い、挑むこともできる。

これが人の持つ自由意志の力です。






個人的な見解を言えば、

メンツのために嘘をつく人達とのおつきあいは

行くべきところまで行き、白黒をつけなければ、

永遠に同じことを繰り返します。

おごり

中国アリババソフトバンクグループ取締役

ジャック.マー氏 1964年9月10日 

続きは元命式の研究で。

幕末 グラバー

大事な人を忘れていました

トーマス ブレーク グラバー

1838年6月6日ー1911年12月16日 東京にて73歳没

     乙 丁 戊
     酉 巳 戌

80 70 60 50 40 30 20 10
 甲  癸  壬  辛  庚  己  戊  丁
 子  亥  戌  酉  申  未  午  巳

1870年 グラバー商会破産 32歳 庚申運 庚午年


坂本龍馬 1835年1月3日ー1867年12月10日 31歳没

   庚 戊 乙
   子 子 未

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 巳  午  未  申  酉  戌  亥  子


五代友厚 1836年2月12日ー1885年9月25日 49歳没

(NHKの朝ドラでディーン・フジオカが演じていた「五代様」のモデルになった方です。)

    庚 庚 丙
    辰 寅 申

77 67 57 47 37 27 17  7
 丁  丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚
 酉  申  未  午  巳  辰  卯  寅


1861年の夏頃、五代さんが藩命で蒸気船購入のためにグラバーに会いにきたのが志士達との関係の始まりのようです。

ドラマなのでは、グラバーさんは龍馬達に比べて、かなりの年上風なのですが、1861年当時 坂本龍馬は26歳 五代さんは25歳 グラバーさんは23歳です。相性ですが龍馬から見るとグラバーさんは目指すべき目標(アイドル的な)だったようです。(相性にちょっとふわふわしたところがあります。)五代さんから見ると、この人は乗り越えるための通過点のような立ち位置です。

実に面白いですね。

新年度に考えること

「人はなぜ苦しむのか?」

その原因を無常、原罪、業等、宗教的な教理に原因を求めると

結局、その宗教的な教理を理解し、苦しみと救いの定義を学び

救いの定義に沿う生き方をすることでしか救いは得られません。

さらに言えば、現代の宗教原理主義者や

カトリックの生え抜きの神父たちの現状を見ると

教理に沿って生きているはずのその生き方が

本質的な救いの道であるのかでさえ疑問です。

仏教も然り、お釈迦様在世の時代から、

最高の阿羅漢果を得たとされる人々が、おだてられ、

地に落ちている。

(ご存知ない方が多いと思うのですが「ブッダの悟り」でさえ

無常であり、これが「一切皆空」の思想です。)

宗教は「信仰の程度」によって毒にも薬にもなる、

拘束具のようなもので必要な人には不可欠で

不要な人には全く意味のない現代天文学の

観測データのようなもです。

それじゃ、あなたの言う「苦しみ」って何?

と問われると思うのですが、それは簡単い言えば、

「頭の中から離れない、イヤなこと。いつまでも追いかけてくる悩み。」

のことです。

教育程度の高い人であればあるほど、この悩みの程度が詳細で、

訓練し続けてきた頭脳を、これを生み出すために駆使し

実に合理的に多方面に渡り自分をいじめています。

時には宗教的な教理をそこに被せ、さらに悪いことに、

「あなたの国には原罪がある。あなたが救世主様のお使いになるのよ」

とたぶらかす連中までいる。

(「たぶらかす」と書きましたが、申し訳ありません。先に謝ります。その勧誘を受け入れ教団に搾り取られた人達の自己責任かもしれません。ですが、意図的に洗脳したとしたら、相手の自由意志を強制するわけですから、それは罪だと私は考えます。)

「悩み」は尽きません。

家族の悩み、学校、進学、就職から始まり

結婚、育児、子供の教育、親たち等々が

性欲、物欲、名誉欲とごちゃ混ぜに絡まり合い、

社会生活が安定してくると、自分に足りなかったものを

探し始め、「愛」が欲しいとか、「若さ」とか、

見果てぬ夢で悩み始めます。

「愛燦燦」という歌がありますが、歌詞の中に

「人は可愛いものですね」とありますが、

可愛いとしか、表現のしようがないほど、

人は常識や安全を、時に逸脱してしまう。

頭ではわかっていても心が「イヤだ、あっちに行きたい。」

と主張し、頭(知性、常識、倫理)と心(夢=欲望)が綱引きをする。

そして、心が勝った時、実に清々しく満足し、満たされる。

これの繰り返しが人生です。

人の満足度は頭(知性、常識)よりも心(夢、欲望)の方がはるかに優っている。

これは否定し難い事実ですが、多くの人が見逃している。

けれど、ご承知のように、無理なことをすれば

大きな代償を払わせるように、この世の中はなっていて、

実際の法律もそのようにできています。

世の中はゆるい相互依存で成立しています。しかし、

その前提が「自立した者同士」であることを忘れてはなりません。

他人に頼る生き方をすれば見捨てられるか、

自ら集団から退くことになります。

苦しみは、一生続きます。

まずは集団の中に自分の居場所を探すこと、

次に根を張ること。そして自立している仲間を見つけることです。

ここまで出来れば(安定した衣食住を確保すること)

人生の苦しみの半分は自然消滅していきます。

さらにパートナーがその「仲間」であれば、ラッキーな人生と

言えるかもしれません。

苦しみを解決する方法は必ずあります。

「時が来るのを待つ」のもその方法です。

「宿命」の言葉に甘んじ、

運を変える=悩みを解決する努力を放棄さえしなければ、

自分の器に相応しい、満足が得られるように

人生はなっているようです。



最後に

自分を責める人の特徴として、

「できない自分がダメなんだ」「他人に甘えちゃダメなんだ」

と、事あるごとに自分に言い聞かせている人がいます。

相談することと、他人に甘えることは違います。区別してください。

多分、自分を守る最後の砦は自尊心でだと私などは思います。

でも、それが邪魔することも多々ある。前に進みたいのならば

プライド=恥ずかしさを捨てて、自分のどこがどうなのかを

他人に聞くことからしか始まりません。

自分でわかっていれば、とっくに直せているはずです.......。

怖いことですよ。これは。勇気が必要です。

そして忍耐強く粘りつよく仕事を覚え、やり抜くこと。

自分を奮い立たせてください。

一番苦手な課題かもしれませんが、

やらない限りは「空(から)」のまんまです。



「私は仕事ができるのに、受け入れられない」

「バカばっかり」男女問わず、こう言う人も多々います。

これはこれでいいのではないでしょうか。

このような方には、とやかく言う必要はありません。

上手に世の中を渡っていきます。

ただ、

特定の人から、心の底から愛されたい場合

本人の人間力が問題になります。

人間力とは総合的な、その人の評価のようなものです。

ビジネスの世界であれば、社内であっても、ある程度の

緊張空間なので皆が皆、潜在的には個々の人の良し悪しに

気づいています。社内の人間関係の悩みも、

実はこうゆうところからくるものなのです。

高学歴で頭が良いのに、幸せになれない人の、なんと多いことか。

高い知性は人としての自分を見えなくしてしまう場合もあるようです。

あったかい人情、愛情を忘れてはいけませんね。

プライド

人の悩みは多種多様です。

お金がないとか、仕事がないとか、

現実的な悩みについては、努力の如何で、

なんとかなる場合もあります。

しかし、

苦しみの原因がご自身の

「不器用さと併存しているプライド」

にある場合、これは如何ともし難い。

特に若い世代への諫言だと思ってください。

他人からエリートと言われると、

イヤイヤ、そんなことありません。

と、満更でもない表情で答えるけれど、他人から、

ダメな奴とかデキナイ奴とか言われると、

お前らなんかと違うんだ、この仕事だって、

好きでやってるわけじゃない。と内心で呟き始める。

このような人をハタから見ていると、一つは、

自分は諸先輩より「できる人」という、

確信をお持ちの方が実に多い。

自分が一番賢いと刷り込まれいて、

上司はバカ、会社もバカ、誰も自分の価値をわかってくれない。

それが態度や、言葉に現れて、

結局相手にされなくなり自分の居場所かなくなってしまう。

もう一つは、

自由平等思想の間違った教育のせいだと思われるのですが、

いつまでも学生気分が抜けず、社会に出ても、

なんでも、かんでも人間関係を対等にしようとし、

しくじり、はぶかれる。

世の中まだまだタテ社会であり。完全な男女平等でもありません。

さらに、

権利は平等であっても、負っている責務(義務)によって

自ずとそこに差が生じるのは道理であり、

根拠のないプライドとは別次元の話です。

自信を無くし頑な心の傾向を持つ者は、追い詰められると、

自分以外は「劣悪」「劣等」と思い込みたがるものです。

覚えておいてください。

プライドというのは下手をすると「差別」を生みだしてしまう。

かつてヒトラーがゲルマン民族を煽った手法であり、

最近、世界中で流行りつつあるものです。

ぜひ、融通性と臨機応変を学んでください。

そのためには、それが上手な諸先輩に頭を下げて、

教えを請うことです。

目的がはっきりしていれば、プライドは傷つきません。





就職戦線もそろそろ大詰めですね。

がんばれ。

キナ臭さ

なんとも、朝鮮半島からキナ臭い匂いが漂ってきています。

次は脅しでは済まなくなるのかもしれません。

多分、日本はオリンピックを控え、19、20年は

待ってくれと同盟国に伝えていると思うのですが、

この合意も..、始まれば止まりません。

六合卦の六冲卦はそのあたりの事情かもしれません。

(2月27日のブログに得卦をのせてあります)

外れることを祈ります。



万葉集に「やまとは言霊の幸(さき)はふ国」とあります。

(万葉集894 神代より 言ひ伝(つ)て来らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめがみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり。言の葉のタネより引用)


もうちょっとわかりやすく書くと

「神代よりの言い伝えでは、空の果てまで広がるこの国は、

神威優れ言霊に加護された国であると語り継がれてきました。」

ヤマトタケルも奢った言挙げをし、致命傷を負いました。

何に対しても粛々と準備を進めることです。

そして、ものは言いようです。

日頃から日本の神様のご加護を受けられるような言葉を使わないとですね。

四柱推命

四柱推命の構造は簡単に説明すると

原命式の変化を表す縦軸と時間を表す横軸による

チャート(海図)のようなものです。

一般的には原命式は変化のない固定された

絶対的なものとの概念がありますが、私の経験では

それは間違っています。

十干は成長したり、劣化したりする生き物であり

その本質は変わりませんが、確実に変化するものなのです。

「横軸である時間軸」というと難しく聞こえますが、

これは、その人が人生の中で得る喜怒哀楽の体験であり、

知らずに演じている悲喜劇の記憶なのです。

そしてこの経験を意識し、そこから学ぶことができれば

おのずと、次の場面での選択肢が変わってきます。

これが「気づき」です。このことを

「経験から学んだた知恵」という方もいるでしょう。

私は、このことこそが万物の霊長と言われている人間の最も

尊い特性だと思うのですが、

時に、推命学を学んでいる方の中にさえ

運勢は確定していると思い込んでいる人がいるのが

残念でなりません。

そして、この縦軸としての原命式の変化を見切ることこそが

運勢鑑定の重要なポイントになるのです。

6月1日 転職、離職について

6月1日から多くの企業は通常業務に戻るようです。

ウイルスが消えたわけでも無く、ワクチンや特効薬が

開発されたわけでもなく、

ただ、感染が減ったという理由ですから

感染を増やさない注意を怠ることができません。

それにも関わらず、マスクをしない人たちが増え

通勤電車の中でさえ、このての方が散見されているようです。

感染の最盛期に感染しなかったのだから、

感染者が少なくなった昨今、もう必要ないだろうという神経でしょう。

実に面白い人たちです。


ところで、

在宅勤務を休暇と考えてしまっている方達もいるようですが

明らかに仕事の形態が変化しつつあります。

ここ数年のネットの進化で、この傾向への動きが

時折指摘されてきましたが、いよいよ現実味が増してきました。

ただ、ノーマスクの方達が増えたのを見ても

喉元を過ぎてしまえば熱さを忘れてしまう人達が多いように

頭の硬い企業は、以前のような仕事の形態に戻ろうとするでしょう。

しかし犠牲者が日本の比ではなく、個人が優先する

諸外国ではテレワークが確立していくと思います。

グローバル化と口では唱えても依存型の社会と

個人主義型の社会はその人たちの拠り所の違いに気づかなければ

肝心な所での共存共栄は為し難いと思います。

このような所からも、今、仕事に対する意識改革を

迫られている人達が多いのではないでしょうか。


鑑定の立場から最近の傾向を見ていると

やはり「適職」の判断を問われることが多い気がします。

特に若い世代からの相談には慎重にならざるを得ません。

持って生まれた星の性情からの判断を、就業以前ならば、

優先してくださいと伝えることができるのですが、

就職し、数年のキャリアを積んでいる方には違う話を

しなければなりません。

何が理由で転職を望んでいるのか?ここから見極めていきます。

お分かりでしょうか?

「向いてない仕事よ、〇〇が向いているわ。」では

本人が抱える根本的な苦しみは解決しません。

また、今の仕事こそが適職である場合もあるのです。



一般的に仕事を辞める理由の大半は人間関係です。

就業時間が長く、ブラックだと言う人もいますが、

それを聞いてくれる上司や、そうよねーと愚痴を一緒にこぼす

同僚、たまに仕事を手伝ってくれるお人好しさんが職場にいたとしたら、

それでも頑張ろうとなります。当たり前ですが、

利益を追求するのが企業です。その非人間的な部分との軋轢は

結局は人間関係でしか晴らせません。

問題は、いろいろなことが積み重なって、孤立し、自分は

誰からも認めてもらえない。何処かに自分が認められる

場所があるはずだ、もっと自分に合う仕事があるかもしれないと

考えてしまうことです。


どうでしょう、もし、今、離職を望む方達がいるのなら

自分自身の転職理由をもう少し分析してみてはいかがでしょうか。

もし、ここで言う人間関係が理由ならば、憂さ晴らしのできる

良い仲間を見つけることです。

(ちなみに悪さをして憂さ晴らしをすると、人生が潰れるので、してはいけません。)

もし、仕事の能力が理由なら、先輩から教えを請うことです。

(仲には教えてくださいと言いながらメモも取らない人もいます。これはダメです。)

仕事ができない場合、本人の傲慢さ、甘え、責任回避、

言われたことしかできない等の能力的な理由もありますが、

腰を低く、頭をさげ、謙虚に、一つ一つ求められていることを

クリアーしていく地道な努力ができれば、どんな職場でも

なんとかなるものです。石の上にも三年です。

最初から不本意な職場に妥協して就職した場合でも

同じ職場に三年いれば、それなりの人間関係が生まれ

少なくとも、仕事の右、左は見えてくるものです。

(誰に指図を仰げばいいのか、とか、取引先の人間関係とかがわかってくると

それなりに楽しみが生まれてくるものです。)

人とは面白いもので、職種のどうのこうのよりも、人との出会いに

喜びを感じるもので、いい人たちが、側にいれば、

何となくでも長続きするものなのです。

ただ、これも書いておかなければならないのですが、

嫌われることを、自分の個性だと思い込んでしまっている人達もいて

どこに行っても嫌われています。一から自分を見つめ直すことが

根本的な解決策かもしれません。

最後に、これは、今までの話と別枠ですが、能力も学歴も

誰よりも優れていると自負している方達。

この方達は社会を自己実現の場として考えることが大事です。

つまらない人間関係に悩む必要はありません、

脇目も触れず前に進んでください。



追記

持って生まれた星の性情を趣味に生かすことができれば

とても有効な憂さ晴らしに繋がります。

仕事は生活であり、理想と現実の違いは、我々の日常そのものです

趣味を喜びとする人生もまた、価値ある貴女の人生です。

自立さえしていれば誰かの顔色を伺う必要はありません。


誰かに大事にされたいなら、誰かを大事にすることです。

誰かにトゲを刺したら、何倍にもなって自分に帰ってくるものです。

釈迦族

仏教的な話を書いたので、本当のことを書かなければと思い

書いておきます。

釈迦族というのは、いうまでもなく、お釈迦様の出身部族です。

そして、お釈迦様が生きて活躍されていた同時期に

滅んでいます。詳しくはこちらを読んでください。

釈迦族の最後

驚く方もいると思いますが、深くブッダの教えに帰依し、

他人を傷つけることを恐れ、

戦うべき時に戦うことを放棄し、自衛することを諦めた結末です。

なぜ、こんなことを書くのかというと、

目の前に起きてくる全てをカルマのせいにし、

それを回避すること、戦うこと(努力すること)を放棄している方、

そのカルマを受け入れる教えを垂れる方々を時々見かけるからなのです。

カルマは自身を移す鏡ではありますが、

鏡とは、自身を映し、鑑みるためのものです。

もし、鏡を見て顔に汚れがついていたら、貴方ならどうしますか?

「カルマだ。しょうがない」といってそのままにしますか?

もし、そうなら、

貴方の未来は「過去」から来る「未来」でしかありません。

万物の霊長の名が泣きます。



お経にある因果応報ストーリーに惑わされず、

起きた事実をだけを拾っていけば、現代に通じる

あまりにも悲惨な出来事が起きていたのかが

見えてくると思います。








現代の仏教国ブータンの事例です。

考えさせられるものがあります。

ブータン 2003年 アッサムゲリラとの戦い

般若心教

ことのついでに般若心経についての解説書を紹介しておきます。

戦後すぐに書かれたもので若々しく希望に溢れている文体が

読むだけで元気にしてくれる名分であり、

ウイットに満ち安易にして実に内容の深い解説です。

一読してみてはいかがでしょうか。

般若心経講義

木を見て森を見ず2

滅多に「推命なんかやめちまえ」と叫ぶことはないのですが、

少し、言い足りなかったので補足しておきます。

「木を見て森を見ず」

私的に言うならば、

「命式を見て人物を見ず」となります。

(私の言う命式は大運を含めたものです)

たまに、教科書通りの吉星が揃った命式の

人を見かけることがあるのですが、中には、

とんでもないのがいる。

理由は簡単、運の良さが生み出した「慢心」によるもので、

本人は楽しくてしょうがない。

これが「素晴らしい運」といわれる運勢の実際の一面です。

何よりも、今ある本人の姿を見極めることが

鑑定ための大事なポイントとなります。

キツイことも言いますが良い鑑定士になるために

また、本当の自分自身を知るために

是非とも日々精進してください。

調和のための方法

調和がこれからの世界を開く鍵になると書いたのですが、

調和のための方法については既に書いています。

長くなりますが、再掲載しておきます。

「どうして自分ばかり、苦しいんだろう?」

若いとき

「人生なんてこんなものさ、次でキメてやる。」

そう言って自分の心に踏ん切りをつけ、立ち直るものですが

40を過ぎるあたりから、最初の言葉をつぶやき始めます。

自分の人生に漠然とした不安を感じ始めた時こそ、

「人生」に向き合う大きなチャンスであり、その後の

人生を決める大きな岐路になります。

自分自身を見て、見えたものに、見て見ぬ振りをするか、

見えたものをなんとかしようと、あがいてみるか、

どちらでも良いと思います。

どちらの生き方を選んでも「楽になる方法を」書いておこうと思います


普通の生き方をしていれば、だれでも、絶対に出来る方法です。

1、生き物を殺さないこと  

生き物を殺さなくなると病気が減るそうです。


2、他人のものを盗まないこと、 

物だけではなく人間も同じです。泥棒が悪いのは誰でも知っていますが誰かの伴侶を泥棒することは罪にならないと思っている人が多いようです。逆の立ち場が想像できれば、よく解ると思うのですが、うだつの上がらない、クソ亭主で、もう離婚しかないと思っていても、そんな亭主をよその女にとられたとなると、妻としての自尊心が砕かれます。「のしを付けてくれてやらー。」とタンカを切っても、その恨みは晴れません。

他人のものを盗まぬ業を積むと財産に恵まれ、敵や盗難に逢わなくなるそうです。

3、パートナーを大事にする事

夫婦円満の家庭は、なんらかのトラブルが身内に起きたとしても、必ず解決方法が見つかるものです。3人よれば文殊の知恵というように、協力し合う相手が常に側にいることが、人生の支えあいの基本になるのです。「人」の字の支え合いは、このことなのでしょうね。しかし、お互いを大事に出来なくなった時はどうすればいいのでしょうか?

その時は良い運命鑑定士さんに相談してみて下さい。

邪淫を捨てる業を積むと敵がいなくなり、パートナーが美しくなるそうです。

4、嘘を言わない事

当たり前のことですが、信用がなくなります

嘘を言わない業を積むと、言葉に説得力がでるそうです。

5、他人でも、身内でも悪口を言わない事 

悪口は必ず相手の耳に入ります。

人間関係がギスギスし、何事も円滑に進まなくなります

悪口を言わない業を積むと良い噂しか広まらないそうです

6、他人の欠点をあげつらわない事

5番と同じですね、これは恨まれます。

7、つまらないウワサ話しをしないこと

壁に耳あり障子にに目あり。必ずバレます。

8、強すぎる欲心は制御する事

他人のものでも、何でも、あれが欲しい、これが欲しい、もしあれがあったらと想像したり空想が続くと、持っていない自分にハラが立ってきたり、それを持っている誰かにオマエより自分の方が似合うのに...。などと謂れのない嫉妬をし始め、物欲お化けに変わります。

欲心を断じる業を積むと願いが叶いやすくなるそうです

9、誰かを心の中で傷つける事

他人の心の内の中なんだから、ほっといてくれと言われるかもしれませんが心は必ず表情にあらわれ、顔が険しくなります。それを続ければ人相でいう険難の相があらわれ怪我、事故の前兆とされます。

こころは現象の種を播く畑であり、言葉が肥料、行動が結果となります。恨みの種を心に植え、何度も何度も心の中で怨恨の言葉を繰り返し、その結果として行動すると、おまわりさんのお世話になる事になります。

害心を断じる業を積むとあらゆる怪我、傷害が減るそうです。

10、因果なんてありゃしない、どうせ死んだら終わりさ、などと言って人生を諦めるような考えには惑わされない事

播いた種は必ず芽を出します。悪い種を播けば、悪い芽が、良い種を播けば良い芽がでます。良い芽とは普通の当たり前に食べて行ける、生活できるということで、3億円の宝くじが当たるようなことではありません。


当たり前すぎる事ばかり書いてきましたが、これは仏教で言われる十善業をもとに書いたものです。多くの教典に書かれていて、南伝仏教では十善戒ともいわれています。




十善業を解説します。

行為について   殺生 偸盗(ちゅうとう)邪淫

言葉について   妄語(もうご) 両舌(りょうぜつ) 悪口(あっく) 綺語(きご)

こころについて  貪欲 害心 邪見(じゃけん)

この10の行為を言うのですが、実は、驚くなかれ、これが悪業のもとになっていると仏教では言うのです。つまり、この行為により地獄のような世界生まれたり、餓鬼のような世界に生まれたりすると仏家はいいます。

まさか、こんなことで?

本当に「こんなこと」程度なのか検証しましょうね。

実は、この10の行為自体も問題なのですが、この行為におよぶ動機がまた問題で、怒りによる動機、欲望から来る動機、なんも意識せずに、ただ、してしまった。これを無知、または暗愚と言い動機の一つに数えます。

それぞれの動機により、死んだあとの行き先が違うと説かれ怒りは地獄に、欲望は餓鬼の世界に、無知は動物の世界に流れる。またそれぞれの動機が激しい場合は地獄に、中くらいの場合は餓鬼に軽い場合は畜生に生まれるそうです。その動機が軽いか重いかは死んでみればわかるということです。

なんとも皮肉な言いようですが、そうとしか言えないようです。

(十善業といいますが正確には十不善業の解説です。十種類に分類される苦しみの元になる行為「業」という言葉の見解にはいろいろあり、一般的にはその人の持って生まれた思考形態、ものごとを考える傾向そのもの、言葉、心、行動に反映される精神活動全てという意味で良いと思います。もっと単純に言えば、理由はどうであれ「自分が動いた結果」「動いた報い」ということでしょう。)

そうさせたのが何であれ、最終的には自分が選択した行為ですね。そして、この業は死んだら終わりではなく、延々と「心相続」と言う形で我々の肉体に宿り生死を繰り返す、この現象が輪廻と名付けられています。その、持って生まれた業を固定したものと見るか、業もまた因果律により浄化すれば善化すると見るかが、仏教と、いわゆる外道との差になり仏家は因果の法則を「縁起の法」といい、固定されていないもの。浄化の因を作れば浄化されると説きます。その方法が十善業で十不善の真逆の行為のことで平たく言えば、

悪い事はしなさんな、積極的に、良い事をしなさい、それが業を浄化するよとお釈迦さんは説かれ、白隠さんも最澄さんも明恵さんも偉い坊さん達は、このことが書かれた七仏通解説偈をとても大事にされました。

私も推命の師匠から、仏典とは違う形ですが、

「他人様のこころに刺さった刺(とげ)を抜いてあげる事が自分自身に刺さっている刺(とげ)を抜く事になるからそれができるように、確り学んで良い鑑定士になるんだよ」と言われ、現在にいたっています。

私は、縁のある人には、鑑定の中でもお伝えしているのですが私の実力不足で、なかなか相手には伝わりません。しょうがないので、この言葉の裏側にある膨大な背景を見せなければ、「風景のような言葉」になってしまうのでできるだけ具体的に、普通の人にもイメージ出来る形で解説していきます。

業と因果についての解説になります

先ず、

1、殺生

十不善業の中でも最も悪いとされています

前回、動機の問題に触れましたが、

怒りの故に殺す意思を持って殺す事、いわゆる殺人事件

貪りの故に殺す事、角、毛皮、食肉としての屠殺

無知故に殺す事、害虫、害獣などを良かれと思って殺す事

「無知」とは難しいものです。裁判なら責任能力が無く無罪とされるものでも

その結果はやってくるよというのが業の考え方です

でも、食に関しては難しいですね。

偉いお坊さんは命に感謝して食べることが大事ですと答えますね。

食の学習について世界的にも、すこし前にベルギー映画で

邦題で「いのちの食べ方」原題は「Our Daily Bred」で

屠殺場のベルトコンベアーを流される生きた動物の姿が

なかなかショッキングでしたが、しばらくすると

今日のご飯は何かな?と考えている自分がいました。

これも「無知」の働きです。見たくない、聞きたくないものは

すぐに抜けて行く。

食欲など身に備わっている欲(業)のために人は合理的に

馬鹿になるもので、物欲、性欲、名誉欲も同じです。

できるだけ殺さない事、食に関してはお坊さんが言うように

感謝して食べる事、たまにはベジタリアンの一日を過ごす事など

命に感謝し、食に敬意をはらい、お線香の一本でもあげて

供養することも、あまのじゃくさんには独りよがりの偽善者で

意味の無い事に聞こえますが、効果はあると仏典には書かれています。

対治法の一つとして、「放生」をして善の行為を積むとあるのですが、

これは売るために捕まえた魚や鳥を買ってきて

自然に放すことをいうのですが、特定個体の保存など

タマゾン川(多摩川に熱帯魚が繁殖している)問題など

現実性に欠けます。今すぐ実行出来る一番よい対治法は

もし殺される側に自分がいたらとイメージし、じゃ、

どうする?となるのですが、できることで良いと思います。

ちなみに私はお線香タイプです。


殺生についてはまだ色々あるのですが、特質すべきは

殺生を直接しなくても、それに同意したり、

共感するのもまた同じく不善の業を積むとあります。

たとえ敵や憎悪する相手であっても

人の死を喜ぶ事はいけない事だと説かれています

その真逆は、生命を愛おしみ、死を悼み、

命を大事にすることです。


2 偸盗(ちゅうとう)

これは3つに分類され 強盗 泥棒 詐欺とされています 

他人のものを盗む事一般です。


3、邪淫(じゃいん)

まあ、言葉から想像して下さい。

以上が身体による活動としてダメだよーと言われている事ですが、

たぶん1と2に関しては小学生の低学年でもしっていることですね。

3は、黄昏れはじめる年代になるまで理解出来ないかもしれません。

つぎに言葉による活動として

1、妄語(もうご) これは嘘をつくことです。

対治法は正直に嘘の無い言葉を述べる事になりますが、

それが、他人を傷つけたり、トラブルを増やす事になるのならば

沈黙こそが金言となります。

2、両舌 これは誰かと誰かを仲違いをさせるため、

積極的に嘘をついたり、デマを飛ばしたりして

人の和を乱す事を言います。



3、悪口 文字通り「わるぐち」のことです。相手の弱点を

あげつらうことですね。皮肉なもの言いや、相手を不愉快にする事も

含まれます。

出来るだけ長所を見つけてあげて下さい。

4、綺語(きご) どうでもよい、おしゃべりのことですが、

その底にあるものは自分の怒りや、妬みや、嫉妬などの

欲心が動機になっていると説かれます。

口は災いの元です。


次ぎに心における行為です。

1、貪欲心 これはなかなか、おもしろく

「自分が持っていない、素敵なもの(物、者)を自分のものだったら

どんなに素晴らしいだろう、手に入れるにはどうすればいいんだろう?」

と何度も何度も「もの」への欲を起こすこと全てとあります。

時を越えて、自己啓発系の願望成就法にダメ出ししているように

私には思えるのですが......。

この対治法は自分の持っているものでも能力でも他人に

与える事だそうです。

2、害心  

一つには他人に対して怒り、こころの中で

「こいつをボコボコにしてやる」「復讐してやる」「刺してやる」

等々相手を傷つける事

もう一つは、実によく、世間を見ていると感心させられるのですが

他人の幸せが憎くて仕方が無いこと、

他人の不幸を喜ぶことと説かれています。

意識的に他人の幸せを喜ぶ事をしましょうね。


3、邪見

これはほぼ仏教の見解に対する他の教えとの違いを

鮮明にしているもので、興味のある方はご自分で調べて下さい

以上が十不善業の簡単な解説と10の善業の具体的な姿です

「噂話は嫌いだからしないでいられるが、他人の幸せを

喜ぶ事は、すぐにはキツいかなー。」

たぶん皆が思っている事です。ご安心を。




次ぎに、この業がどのような形で現実の世界に現れるかを解説しています。

これらの業は異熟果 等流果 増上果、士(じゅう)果の

四つの形であらわれるとします。

まず、異熟果は、十不善のどれでも動機が怒りによる場合は

地獄に落ち、貪欲の場合は、餓鬼に生まれ、暗愚、無知の場合は畜生に

生まれるとされています。

「地獄に堕ちるわよ!」少し前にテレビでよく聞いた言葉ですが

一概に否定出来ません。

(寒熱16地獄さらに余地獄をいれて18地獄については結構解説にキツいものがあり、機会があれば解説したいと思います。ちなみに地獄は地獄スポットがある訳ではなく、我々の日常の中にあるもので、どこかにいかなければ知られないようなものではありません。)



等流果には十不善のそれぞれに

行為の等流と体験の等流があると解説され

行為の等流とは前生で積んだ業をそのまま今も心の癖として

持って生まれることを言います。たとえば、殺生を積んできた人は、

この世でも殺す事を楽しむ癖をもっている。

私事ですが、子供の頃の自分の残酷さについて、かなり

悩んだ時期があります。子供の残酷さとよく言いますが、実は

等流果の姿そのものなのかもしません。同様に欲心の等流果としての

強欲さ、害心、妄語(嘘)など、自我に目覚め

世間に対して損得勘定から自分を隠し始める以前の、

子供の姿を見ていると、個々の業の一部が行為の等流として見えてきます。

前世の自分の姿は「今どのような姿なのかが理解出来れば

前世で自分が何をしていたかが解る。今自分が何をしているかを冷静に

理解出来れば来世、自分はどこに生まれるか知る事が出来る」

お釈迦さんが言った有名な言葉です。

前世療法等で前世の自分の名前を思い出す人がいますが

自分の苦しみの本質(なぜ、苦しみが生じたのか?)

を思い出す人はあまりいません。

人は誰もが身分制度の天と地の中でもがき、

さらに地獄に入ったり出たりの六道輪廻の中で

今、人として生まれてきています。この幸運を

真剣に考えることはとても大事な事だと思います。


(とりあえず悪い事ばかり書きますが、人を喜ばす事、助ける事に無類の喜びを感じる子供がいることも忘れてはいけません。業は平等で、良い業は良い果として熟します。)


次ぎに増上果です

漢字からのイメージだと、なにかがさらに増していくような

イメージですが、実は、その人の「環境」に結実した業の結果で

その人の生まれる器としての環境のことです。

たとえば、メチャクチャ厳しい家族のもとに生まれる等、

ラジオの周波数のように積み重ねた業と同期する環境の中に生まれ、

そこで生きることを言います。

親を選んで生まれる事はできないと言いますが

「それは違うよ。あなたの積んだ業にふさわしい

親を選んで生まれてきているんだよ。」

これが仏様の説明です。誰のせいでもない、自分のせい。

「ぜったい違う。自分は悪くない。そんなこと憶えていません!」

ならば、自分の心の癖を十不善に照らし合わせて冷静に

検討してみて下さい。




大事な事をもう一度おさらいしたいと思います。

それは、業は行為の積み重ねで身体、言葉、精神おのおのの

活動に依ります。つまり。悪であろうが、善であろうが

行為には必ず結果が生じ、その果実は自分で刈り取ることになる。

だから、

一番最初に楽になる10の方法としてそれを書いたのです。

では善なる業の果はどんなの?

それも説明されています。

この十善業の等流果は殺生を断じれば長寿で病が少なく

偸盗(ちゅうとう)を断じれば財があり敵や盗難もなく

邪淫を断じれば伴侶が美しく、敵対するものが少なく

妄語(うそをつくこと)を断じれば、皆から軽んじられる事がなく

言う事に威儀が生じ、両舌を断じれば周りのものに敬われ

悪口を断じれば、悪い噂や身に覚えの無いゴシップは無くなり

綺語(おしゃべり)を断じれば言葉に威厳が生じ、

貪欲心を断じれば思いが叶い、害心を断じれば傷害が無くなり

邪見を断じれば仏様に近づく。

十善業の増上果は円満であらゆる事に満ち足りた環境となると

されています。

この国は環境的には十善業の増上果なのですが

個々人は苦しく辛い人がとても多い。

楽になる道を選ばず、苦しみが生じる種ばかりを

播いているからとしか言いようがありません。

なぜか?

それは、因果についての理解が足りないからなのではないでしょうか。

因果が解れば、いまこの瞬間から人は変われます。

10の自分を苦しめる行為を止めて、

楽になる10の行為を積極的にしていけば必ず変わります。

汚れたコップ(器)の水を飲めるようにするためには、

コップを変える事が出来ないのなら清らかな真新しい水を

注ぎ続けるしかありません。

幸せになりたいと泣き続けながら、

苦い水を飲み続けている人がいます

開き直ってもなにも始まりません。

まず、自分の心の癖を自覚する事から初めてください。

そして、焦らずに続ける事です。




自分は運が悪いと自覚があるとすれば

その人は自分を客観的に見る事が出来る人で

こころの「癖」を、おぼろげにでも自覚しています。

そして、自分に自信を持てる生き方を諦めている人が多い。

そうなると、その人に、一番大事なことは

そこから飛び出す「勇気」をもつ事になります。

毎日欠かさず眺める鏡に「勇気」と書いてみて下さい。

そして、良い業を積んで下さい。


自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これは、しょうがないことです。

今は記憶の切れ端も無いけれど、こころに刻まれている、

まぎれも無い過去の行為の証(あかし)なんですから、

自分が生まれた環境もまた「その結果」だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

まず、このこと(因果)を自覚しそれを受け入れる事。

そして、受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなしてきた業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じてしまう。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は意図すれば瞬時に、豊かに、満たされ、巨大に

充実し、さらに時により熟成されることができます。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

十善業より抜粋

自分は運が悪いと自覚があるとすれば

その人は自分を客観的に見る事が出来る人で

こころの「癖」を、おぼろげにでも自覚しています。

そして、自分に自信を持てる生き方を諦めている人が多い。

そうなると、その人に、一番大事なことは

そこから飛び出す「勇気」をもつ事になります。

毎日欠かさず眺める鏡に「勇気」と書いてみて下さい。

そして、良い業を積んで下さい。


自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これは、しょうがないことです。

かつて、今は記憶の切れ端も無いけれども

こころに刻まれている、まぎれも無い

過去の行為の証(あかし)なんですから、

自分が生まれた環境もまた「その結果」だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

まず、このこと(因果)を自覚しそれを受け入れる事。

そして、受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなした業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じるからです。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は意図すれば瞬時に、豊かに、満たされ、巨大に

充実し、さらに時により熟成されることができます。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

通変星論より

先回通変星についての解釈を書きましたが、

いくつか気付いて欲しいことがあります。

その中の一つに、五行の相克のみで判断をすると

大火傷を負うということなのです。

実例でいうと、これは気学の初学者の話です。

ご主人が会社を経営し、奥さんも役員で割と

安定した経営をしていたのですが、

この奥さんがどこかで気学を習い始めて、

止せばいいのに、従業員とご主人との関係を

本命星の勝ち負け、つまりご主人の星が勝てるか

負けるかで人事に口を出し、

会社自体が大混乱し優秀な社員さんが

何人も辞めていったとのことです。

生兵法は大怪我のもと。どうにもなりません。

五行の廻りというのは、星に勝ち負けがあるゆえに、

それを「結び、調和」させる星があるのです。

それが通変星の大事な概念の一つとなります。

五行の相性相克は単純ですが、その深奥にあるものを

手に入れなければ、役に立たないばかりでなく、

他人を傷つける毒になることを肝に銘じてください。

五行の毒を知り、毒を薬にする方法を得、

それを使えるようになることです。

健闘を祈ります。

通変星大論2 抜粋

通変星大論2

通編成の多重構造について

木生火 火生土 土生金 金生水 水生木 これが五行の相生のパターンです

木剋土 土剋水 水剋火 火剋金 金剋木 これが五行の相剋のパターンです

さらに「基準になる五行」を決めた時、その五行が生じる五行を「傷官、食神」と名付け

さらに「食神、傷官」が生じるものを「妻財、偏財」と名付け、これが生じるものを

「正官、偏官」と呼び、これが生じる通変星を「印綬、偏印」と呼び、それが生じるものを

「比肩、劫財」と呼びます。

実はこの「比肩、劫財」が基準点として決めた最初の五行を示すものとなります。つまりこれは

五行の相生のパターンを別の言葉で表現したものに過ぎず、

同一五行の陰陽それぞれに個別の名称をつけたもので合計の10の単語となったものです。

同様なことが相剋のパターンにも言うことができ、

「比肩 劫財」は「正財、偏財」を剋し、「傷官、食神」は「正官、偏官」を剋し、

「正官、偏官」は「比肩、劫財」を剋し、「印綬、偏印」は「食神、傷官」を剋します。

この通変星はどの五行を基準としても同様のパターンを繰り返します。

ここまでは基本中の基本とし、どのレベルの本にも書かれいます。


次に、それぞれの意味について考えます。

四柱推命ではその基準を日干としますので、これを我身日干と呼びます。

(例えば生まれ日が甲ならば、甲がその人自身の基盤(基準)になる星となります。時折このことを無視して、基準となる星をあちこちに設定し、訳のわからなくなっている方が見受けられます。)


比肩、劫財は基準となる五行と同じ五行となり、人物で言えば肉親、同僚となります。私が教室で教えている時は自分と目線が同じ人達と説明しています。
次に傷官 食神ですが、自分自身が生み出す星と書いてきましたが、実はこれは自分自身を表現するときに漏れるエネルギーのことで所謂「気」を漏らすという意味で「漏気の星」と称します。一般的には自分を表現するので芸術家の星などと言われていますが、芸術のなんたるかを問わない軽薄な言い回しだと私には思われます。

自分のエネルギーを漏らす(活動する)という意味に解釈すると日常のあらゆることがこの星によって表現できます。原命式にこの星が現れようが無かろうが、人は活動し、それこそが表現そのものとなるのです。それでは原命式についている時、どのような意味があるのか?と思われると思います。それは実は原命式というのは、そのかたの持って生まれた情報が年月日時の五行と同期した時、書き込まれたものなのです。言い方を変えれば、その人の持つ情報と同期できる日にしかこの世に生まれてこられないということなのです。それゆえに最初から原命式の中にこの星があるということは、その人の特徴として、この星の傾向が強く現れるという意味となります。
この星を持たずに生まれてきた人よりも自己アピールが強い傾向がある。また、短絡的にこの星を利用しやすいということなのです。(星を使うという概念は一般的にはありませんが、実はこのことがとても大事で、人は自分では知らずのうちに、自分の持って生まれた星を使っているのです。)

次に妻財

傷官 食神が生み出す星ですが、先に書いた観点から言えば人が世間に出て働いて得た結果が妻財となるわけであり、実に当たり前のことなのではないのでしょうか。
.....................................................







どこかに我が物顔で自分が考えた理論のように、こちらのオリジナルを写している輩がいるようで、さらに、それをネタに他の推命家を攻撃しているとの話があり、公開していいものか、どうか迷ったのですが、待っている人達が居るようなので一部だけ公開しておきます。

知的財産でも偸盗は偸盗です。播いた種は必ず自分で刈り取ることになる。怖くて嫌な話ですが、捩れた情報はかえって人を傷つけてしまう。心当たりのある方はご注意ください。

「実るほど こうべを垂れる稲穂かな」との諺もあります。他流派の方で泰山流の推命に興味のある方は緒方先生も現役で教えていらっしゃいます。さらに今まで学んできた推命術に磨きがかかるはずです。是非、そちらをお尋ねください。

怒りの分析 3

怒りの分析をしていると実に不快な気分になるものだ

そして怒りが続くと 「渇き」が生じることに気付いた。

人の情に対する渇き。自尊心 自負心が心細くなり

人恋しくなり、優しさや、温もりに過敏となり 

何かにすがりたくなり、依存したくなる。

怒りの資源は人としての情動であり誰かを愛おしく思う愛情であると

理解すれば、起きてくる現象の全てが解けてくる

怒りとは持って生まれた愛情を燃料にして存在し続け

怒りとともに愛情は渇き続け、やがて燃料は底を突き、

結果、心が閉じていく

何度か見たことのある現象で原命式が壊れる姿の一つと

解釈するのが自然だ。

ここまで極端なことは滅多に起きないが

能力が高く出来すぎる人には現れやすい。

子供の場合でも起きうる現象だと思われる


副作用として現れる、心の渇きに、早めに気づき

補いつつ、怒りの原因を削除していくことが対処法であり

自分自身の現状に気づくことが何よりも大切だと思う

怒りのタネは誰の心の中にもあるものです。

早め早めに対処してください。

(自尊心や自負心が事態をより複雑化させているというのが一般的です。)

きれいごと

「きれいごと」という言葉が最近私の周りで踊っています。

そもそものキッカケは

A,「なんであんなこと言ったの?」との

セリフが都内某所でコーヒーを飲んでいた私の耳に飛び込み、

振り返ると「女子旅」最中らしき学生の集団が食事をしていて

そこから発せられたものでした。

B,「だって、倫社なんて所詮、綺麗事でしょ。」と。

私, [倫社か〜、そうかもしれんな〜。]と

自分の学生時代の倫社の先生を思い出し妙に

納得してしまったのが事の始まりです。



実は、私も「用神の使い方」の説明をするとき、

生徒さん側から見ると綺麗事を言ってもね〜。

という顔をする生徒さんがいることに気づいていて、

そんな表情が見えた時は必ず、

「言うは易く行うは難しで理論上は、

このように使えば必ず運を拓くことができるのですが、

実際の話は、それを実行に移し、やり続けられるかが

最も難しい課題です。」と、さらに解説します。

頭ではわかっていても実行できない。

最近は、この辺りのことを自己啓発セミナーなどで

脳科学が教える習慣の身につけ方等々の謳い文句で

ダイエット、英語習得の効果絶大なノウハウとして

喧伝しています。

(変なセミナーに引っかからないでくださいね。)




人の心の底にある

「気分」の動きというのは常識では計り知れません。

自分でも、どうしようもない部分が多々あります。

極端な例ですが、頭の中ではわかっていたし、

起きるであろうことも想像できていたにも関わらず、

それがまだ起きていないので、子供の世話より、

男との逢瀬を選び悲惨な事件を起こしてしまった母親...等々

人の持つ「気分」というのは「感情」を優先さえ「常識」

を破綻させてしまうほどの力があるのです。

一時が万事。

だから「きれいごと」が必要なのです。

「綺麗事」を「理想」と

言い換えるとわかりやすいかもしれません。

「人は美しいものだ」と誰かが言った。

「そんなの綺麗事よ。他人を踏みつけて面白がり、

私がいじめにあったとき誰も助けてくれなかった。」

「それじゃ、今のあなたはどうなの?」

「人は残酷なもの、弱い相手からはむしり取り。強い相手にはへつらう。

自分は絶対そうなりたくない。」

「でも、それも綺麗事じゃないの?」と。

我々の世界は普段は見えませんが間違いなく「権力」の

支配の中にあり、大きな括りでは国、会社、家族、友人、ママ友

クラスメート等々個々の力関係のハザマの中にあり、揺られています。

どこであっても人が集まれば小さな権力闘争が行なわれている。

そして、

「きれいごと」がグループの潤滑剤になっていく。

「みんな仲良くしようよ。」とか、

「子供のことを最優先に考えましょ。」とか、

「世界平和」なんてのもこの類です。


どこかで我々は自分たち人間は「動物」とは違うと

思っているかもしれませんが、肉体に備わった生物としての欲求は

一般の動物となんら変わりません。

綺麗事を無くしてしまえば弱肉強食の世界になってしまう。

生徒さんに望むこと

私が生徒さんに望むことはただ一つ。

あなたの身近な人達を理解し、承認し、

受け入れ、大事にして欲しいということです。

まずは、あなたの家族、親、兄弟、妻、夫、子供。

運勢の上に生じているどうにもならない長所や欠点も、

それはただ、運勢の上にあるものであり、

それを本人が自覚するまでは動きません。

変われと言っても、ありのままの自分(運勢どおりの自分)

がどう変わって良いのかわからないのは当たり前です。

だから、無理です。

しかしその前に、まずやるべきことは、

自分自身の長所ばかりでなく

どうにもならない自身の短所を自覚し、

自身の実に愚かな姿に直面して欲しい。

そこからしか始まらない。

自分が変わらずに、相手に変われと言ってもね,,,,,,,。

これは本当に難しいことです。

世間を騒がせた元議員のTさんは、

マスコミに自分の姿が晒されて、初めて自分の

醜さが理解できたようですが、もう、戻れません。

戻れないのです。失ってからでは。

覆水は盆に返りません。

リアルに戻る場所がなくなるんですよ。

現役生徒さんも、元生徒さんも、一時的な生徒さんも、

まずは自分自身に立ち戻り、

己(おのれ)自身を知ってください。

ソクラテス以来の哲学の命題ですが、そのヒントはすでに、

あなた方に、ほぼ完全な知識として教えています。

知識を机上の論にしてはいけません。

自身の血肉にして欲しい。

それでなければ、私が教える意味が全くありません。

キリストのように敵を愛せとは言いません。

誰かを憎むのは自分を傷つけることであり、

その結果は自分を醜く変え運を落とします。

(醜くというのは比喩ではなく、実際、面相が醜く変わるという意味です。男性も女性も一緒です。)

多分相手は生きている間は自平気でしょう。

(死んでからは定かではありませんが、昔から人を呪えば穴二つという格言があります。)

しかし、もし、それができ始めれば、愚鈍で意味のない

偽善的な優しさではない、本質的に相手を思いやる心が

生まれてくるはずです。

そして、それこそが、より良い運を開く最善の道となります。

表面的な口ばかりの優しさは、ただのたわごとです。

特にプロとして活躍している生徒さんにはここで

釘を刺しておきます。

あなた方の目の前に座る人たちには、

たとえ、それが自己愛の、いびつな姿であったとしても

たった一つの本人の人生なのです。

忍耐強く向き合ってください。

心境の変化

ここ数日、次の世代へのメッセージを残さなければと

思い立ち、少々、ぶっ飛びながら文章を書いています。

未来のある若い子たちのことを考えながら書くのは楽しいですね。

文体はめちゃくちゃですが学生の頃に戻った気分で書いています。

まあ、そうゆうことなのでご容赦ください。

青春 恋愛2

「愛してるなら言うこと聞いて。」

なかなか良いフレーズです。

もう一丁。

「俺、夢があるんだ。」

さあ。きたぞーと経験豊富な女性なら、

腹を抱えて笑い始めると思うのですが、

なんとなく信じてみたい女子も多いのでは。

それじゃ、アンタ、それを実現するための努力してるんかい?

となるのですが、いかんせん、ころっと、彼氏に同期してしまう。

これね、推命では「傷官」の星と言って、

「心の中にあるものをしまっておけない星」なんです。

特に現実から逃げたい人は、

「夢」と言って現実逃避の根拠にするんですよ。

本人は「俺は他人と違うんだ、俺には夢があるんだ」と

プライドだけは人一倍強い。

「でも、そんな奴でも好きになったんだから、

仕方ないじゃない。」

その通り。

「愛」はお互いに譲るものだと先に書きましたが、

どうしましょ。

まあ、焦らずに、

もし、彼が生活力がない夢追い人なら

生活を支える必要がありますね。

重い、重い、そんな男はいらんわい。と思えるなら

それでお話は終わります。

まあ、そうゆう男は、生活力のあるお姉様がたに

お任せするのが一番です。

ギブアンドテイクの良い関係になる場合もある。

それでも別れられないというのなら、

あなたが強くなるしかない。

持って生まれたものが強い場合は

頑張れと応援しますが、

それほどの強さを持っていない時は

もって3年です。

なんで?と思われるかもしれないが、

人は、どうしても生きることに関しては自己本位で

強い人はパートナーを、身内と認識して頑張れるのですが

弱い人は自分以外は他人という認識になるのです

そこに多少の快楽なり、喜びがあっても足りず、

結局逃げます。男女とも同じですね。

男性の場合は仕事と家庭から逃げます。

ひえ〜。どうすればいいのよ。この私。

まずは最初からでしょう。

くっつく相手を選ぶこと。

男運の悪い女子の一番の特徴は

何やらご自分に、必要のないコンプレックスを抱え込み

なぜか、感情の起伏の激しい相手に自分を写し込み

自分勝手の共感を相手にしてしまう。

身近に、そんな人、いませんか?

まず、必要のないコンプレックスと書きましたが、

コンプレックのない人間はいないんです。

それが自分の親のことであっても、

親は親、自分は自分と区別すること。

あなたの頭は、親の頭ではない。

自分で考え、自分で行動できる肉体を

持っている。でも、親と暮らしてきた

生活習慣や、ものの考え方に癖があるのは

確かです。

そんなもの変えりゃ、いいんですよ。

自分を見つめる時間を作ることから始めましょうよ。

かっこよく言うと、毎日「瞑想の時間」を作ることです。

「あたし、最近瞑想のはまっててさ、」なんて言うと、

まさか、変な宗教にはまったんとちゃう?

と言われるでしょう。傷官の星を持っていても

自分のことは内緒にしてください。

運が悪いということは、良いことをしようとすると

必ず妨害が入るから。それが理由です。

良くなろうとすると、妨害される。

子供の時からの癖になっているはずです。

例えば、

一番楽しみにしていたお祭りの前日に風邪をひいた。

親と約束して買ってもらえるはずだった、

すごいプレゼントの日の直前、親と大喧嘩してダメになった。

等々

ここぞという時にトラブルが起きる。

受験の前日に高熱なんてこともよくあることです。

いいですか、運というのは自分で作り出すものですが

それは自分を客観的に見ることができる人が

一番上手にそれをやっているんですよ。

彼らは日常の細かい修正が上手なんです。

修正って何を修正するの。ちゃんと書かなきゃわかんないわよ。

その通り。

まず、心の中で会話していますよね。

「どうせ私なんか」とか、「何で私ばかり」とか

「すげー筋肉、ハグされて〜」とかその他いろいろ。

まあ、結構、えげつないことを言っているはずです。

「ジジイ、ハゲ、デブ、クソ、ババア、死ね」と

学校の先生や親に心の中でつぶやいていませか?

(あっ、親には口に出して言ってるか。これは失礼。)

すると、その心の言葉は態度に自然に現れてしまう。

その期間が長ければ今度は表情に表れる。

これが人相の根拠になっている。(手相なんてのも同じです。)

口角が下がり口がいつの間にかへの字になってくると

これはなかなかの代物です。ここで朗報です。

賢い方は既に気付いていると思いますが、逆に、

日常の心の会話がプラス思考だと、

結局美人さんになれるということなんです。

持って生まれた顔のパーツはそれぞれですが

そこから湧き出る印象は、とてつもない美人さんです。

パーツが美形でも、印象の悪い人、いますよね。

腹の中がグッチョグチョということです。

人はそれを隠せません。

じゃどうすればいいのよと思う方は

我が家のホームページに「十善行」と

あるところを読んでください。

言っておきますが、

おじさん(私のことね)宗教は研究しても

宗教には関心ないので。

言い方悪いね、

神仏は尊べど近寄らず。 by宮本武蔵  

そうそう

「僕にも夢があるんだ。」と

我々のようなジジイやババアが言っていたとしたら

50を半ば過ぎて夢のどうのこういうのは馬鹿げている。

なすべきことをなし、道半ばであっても、もう下がらないという確信が持てれば

夢を叶えたということです。

あ、また言葉が足りない。

「旅行でパリに行くのが夢よ」

なんていうのはここで言っている夢とは違いますからね。

人生の目標というか、こうありたいという野望のようなもののことです。

地に足をつけて目標に向かって歩むこと。その方向のことと言えばいいかな。

家庭を持ち、子供を育て、一人前にして、かわいいおばあちゃんになって

おじいちゃんと手をつないでお散歩するんだ。

これを叶えるための時間と努力を考えると。本当に壮大で、実に立派な夢だと思うのは

私だけでしょうか。

頑張れ、若者。

青春 3

なぜ恋愛をするのか?

そんなことを考えたことはありますか?

答えは見つからないでしょう。

まあ、若者であれば、子孫を残すための動物としての本能、

種の保存のためだと、とってつけた答えを出すでしょう。

でもね、

誰かに「好きだよ、愛しているよ」と言われ時

それは自分を支える言葉に変わるんです。

「自分は自分でいいんだ」と初めて他人から認められる

そんな瞬間でもあるんです。

だから、傷のある子が大人になって、

それを言われると、その人が、かけがいのない

とても大事な人に思えてしまう。

親からも認められなかった自分を初めて認めてくれた最初の人。

なんてことになったら、そいつが、

どんなにダメなやつかとわかっていても、

心は、そいつの元に転がり落ちます。

そして、それを悪用する奴が後を絶たない。

スピリチュアル 

本当によく見かけるのですが、本屋さんなんかでも、

自分に一番合っているスピリチュアルな方法は何かしら?

迷っているなら、一番お金のかからない方法から、

やってみることです。かたっぱしからやってみること。

その中でも一番やりやすいのは「言霊」改善。

自分が普段使っているネガティヴワードを、まずはチェック。

自分の心の中にいる「つぶやきくん」に、

コンニチハ、ご機嫌いかが(*゚ェ゚*)と

問いかけてみること。

基本、お金のかかるセミナー、

これ主催者にとっては、お商売です。

結局、やるやらないは自己責任となる。

色々と見ているのですが、参加者の方にも問題があり、

セミナーの主催者にすがりつく、

呪文を唱えれば幸せがやってくる的な発想、

この人を信じれば幸せになれる。

きっとこの人が幸せにしてくれるに違いない等の

「他力本願タイプ」

これが自分の人生に対する基本的な態度になっていて、

本筋の努力を拒否している人が、たまにいます。

人生、そんなに甘くないですよねー。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、恨んだりしながら、

コツコツを毎日を積み重ねているというのが、

我々人間です。自分の足で、立って、前に進む。

勇気をくれる人や、背中を支えてくれる人もまた

自分で見つけるしかありません。

もし、最初から不幸の中に生まれていたとしたら、

もがいて、傷ついて、それでも、もがいた時

うまくいけば扉が開かれる。その時得たものを大事にできれば、

今度は光が現れる。

ただ、これも「希望」を持つことができた人にだけ

起きる現象です。

なぜかというと、希望がなければ扉が開いても、

そこに何が起きているかが理解できないので、

その扉をくぐることができません。

絶望の淵にいる人に希望を持てということほど、

残酷なことはありません。

だからこそ「希望」を持つことが本当は一番、難しい。

でも、持ってください。

自分で持つのは嫌だけど、

お前に言われたなら、しょうがない、持ってみるかと

開き直ってくれると嬉しいんですが。

業祓い

「業ばらい」という言葉をご存知でしょうか。

よく宗教家の先生方が使う言葉で、

本人が前世から積んできた業が、洗い出されて、

本人の業が浄化される現象だ。と、これと似たようなことを

述べられております。

ごもっとも。

それじゃ、その人の業とは何よ?と

質問してみると、なかなか納得いく答えは

帰ってきません。

大抵は、主にインド哲学から回答を引き出してきます。

なんせカースト制なんてのはこの辺りが根拠になっていて、

どの職業の親に生まれるかによって、その親の職業の社会的な

階級が、そこに生まれた人物の人品だと

断定する考え方になります。

ということは、子供は親を選んで生まれてくることになりませんか?

その家に生まれる業を持っているから、その家に生まれたんだ。

と言われてしまう。

救いがありません。

そして、そこにお釈迦様が登場し、この理論を一気に打ち砕きます。

「人は生まれによって尊いのではなく、行いによって貴賎は決まるのだ。」と

当時の世界観からいうと、超革命的な物言いなのですが、

よく読んでください。彼は「業」を否定は、していない。

生まれは変えられないが、生まれた後の人生は生まれた家のレッテルとは

別物だと、宣言なされているのです。

実際はこの通りなのですが、社会構造自体がこれを受け入れない限り、

絵空事です。現代のインド、古い伝統のある国々から届く

悲惨な尊厳殺人やレイプなども、根は同じところにあるのでしょう。

しかし、幸いにもこの国は、国の根幹の法律である

憲法で平等が保障されています。

自らの行動により自らの貴賎を決めることができるはずですね。

そして、問題は、この貴賎の基準がわからない。

なぜ業が生じるのかわからない。

どうしたら業から解放されるのかがわからない。

もっと言うと、どうすれば幸せになれるのかがわからない。

このことを少しづつ考えていきましょう。

人生楽に生きるには

人生楽に生きるには

人生楽に生きるにはどうすればいいのでしょうか?

どう転んでも人生は辛い。

満点の解決策が思いつかないので

妥協案を提案します。

それは

「誰かを」「何かを」大切だと思うことです。

こんな、あまりにも単純な事柄ですが、

「自分は誰かを愛しているだろうか?」と

理由もなく不安になって、こう呟くことが私にはあります。

そのくらい日常に慣れてしまっている。

失ってしか気づけない大事なものがあることを、

災害が起きるたびに何度も何度も我々は思い出すのですが、

日々の安定とともに、また忘れてしまう。



話を戻しますが、他人を大事に思うことを、

「他人に尽くして生きた人」と言えば

近づきにくい人のように聞こえますが

子供のため、会社のため、一家のため、

一生懸命誰かのために生きるという意味です。

人生は誰にとっても辛いものです。

傷つかない人はいません。

自分が傷つくことで他人の痛みを知り、

忍耐を学び、親しい人の苦痛を、見て見ぬふりをせず、

どうすれば苦しみが消えるのか一生懸命考えることから

知恵が生まれ、優しく賢い人に変わっていきます。

このような人は「自分限定」ということがなく、

自分が苦しい時でも、他人のことを思い、

それを思っている間は自分の苦しみが止まります。

すると「苦しみ」というのは、一度止まると、

少しづつ薄れて行くものなのです。

もちろん記憶には残りますが、他人への思いが、

自分の苦しみを客観視するキッカケとなり、

その結果、様々な人生の苦しみを

受けとめる器量が増し次のステップに移るための

人生の知恵が自然に生まれてくる。

「情けは人のためならず」という言葉には

こんな意味もあると思うのです。




一方、この辺りがそうでもない人というのは、

どこまでも、自分が主役なので、どんなに親しくとも

利害で動き、誰かのためにという行動には

普段から消極的です。

一見賢い生き方に見えますが、誰にでも起き得る

時々の不幸や事故にあった時、

他人の痛みに関心を示さなかった分、

痛みに対しての耐性が弱く、さらに

自分だけが唯一の被害者として現れてくる。

こんな人は利害のあることに対しては、

実に粘り強く忍耐しますが、それ以外には

感情的で、キレやすく、相手は傷つけられて当然だと

合理的な理論に身を固め、他人を攻撃し、

他人の痛みを拒否します。

だから、なんでもしてしまう。

中には、争い事の多い環境の中で過ごし他人に対する

共感力を自ら削り自分を守ることだけで精一杯だった

人達もいますが、それはそれ、これはこれです。

自分を磨くことは、この一瞬からでも始められます。

よりよい人生を望むのであれば、それは、

他の人を思うこと。

この一点です。



(より良い人生と書いたのには訳があり、「自立している」

という条件があることをお断りしておきます。人生は甘くありません、

まず自分の人生に根を持つことから始めるしかありません。

他人頼りの人生は孤立の入り口でしかないように私には思えます。)

7月21日 肥後猛婦

命式の研究資料から

矢嶋 楫子(やじま かじこ)

熊本には、とてつもなく素敵な女性がいたようです。

今も脈々とその血脈は流れ続け、

肥後モッコス、肥後猛婦の方達が災害と戦っている。

我々も不満ばかり垂れていないで頑張らないとと彼女に思い知らされました。

人生は糾える縄の如し

人生山あり谷あり、糾える縄の如しという諺を

私はよく使います。

良いことだけが起こって欲しいと思うのが人情ですが

如何せん、世の中というのは、「運」が廻り巡って

成り立っています。「運」を時の流れと言えば詩的でいいのですが

そんなファンタジステイックなものではなく万年暦にあるように

先々の計算もできる実に現実的なモノなのです。

時というのは万人に共通の運の流れで善悪も良し悪しもありません。

それが、個人の持って生まれた星に対し

影響し始めると千変万化の現象が現れてくる。

言い方を変えれば巡ってくる「運」は誰に対しても

平等で等しいけれど現れる現象は、その人の持って生まれた

要因に依るものだということです。家庭も国も世界も

全て人の成した業(わざ)なのです。

そして世界は、個人の集まりでできていて、皆が

普通に生きようとするならば、衣食住を得るために

何かをしなければなりません。これは大変なことです。

あったこともない他人と出会い働かなければならない。

自立、自活と言うことですが。動物の世界で言えば

「巣立ち」ですね。鳥は力強く羽ばたけるようになる頃

親鳥は餌を子に運ばなくなり巣立ちを促し、

獣は狩りの仕方を子供に教え始め、

その時期を過ぎると群れから追い出す。

多分獣や鳥の遺伝子に刻まれた郡選択の行動はここで

終わっているのでしょう。人の世界も根本は同じだと思う。

巣立ちを時を忘れてしまった時どうすればいいのか。

難しい問題です。

もつれた糸を少しずつ解きほぐしていくしかありません。

諦めて放ってしまう事だけやめてほしいと思います。

業払い(祓い)2

人にはそれぞれ生まれながらに持って生まれた星があります。

これは洋の東西を問わず言われていることで、

その持って生まれた星がその人の価値観を決め

人生の選択肢を決定する重要な要素となります。

また、同時にその星はそのひとの環境とも同期し(同じ波長の環境を選ぶこと)

人間関係にも影響を与えているのです。

この持って生まれた星に季節の流れから導き出される大運、

その年に巡ってくる歳運、その月に巡る月の運が刺激を与え、

化学変化を起こし、その人の心が蠢(うごめ)く。

それが私が得た四柱推命による人と人の持つ運命の解釈です。

そのような目から、人の生き様を見ていくと、

本人は無意識ですが、

その人を動かしている価値観のパターンが見出されてくるのです。

いくつか紹介すると、

他人に対しての

支配型、依存型、快楽型、権威型、競争型、逃避型、夢見型、知性型、

破滅型、等々

があります。

例えば、逃避型の人は、仕事や学習がうまくいっているうちはいいのですが、

ちょっとした障害や、理解ができない問題に当たると、頑張っているフリを

するのですが、すぐに諦めて辞めててしまう。これに知性型が混じると、

「逃げ」のための実に合理的な理由をつける人もいます。

また、破滅型が混じると、すぐに絶望します。

進学、就職、職責、結婚等それぞれの人生の転換時期に、この運が巡ると

第一志望に受かったが、勉強の意欲がわかない。

希望の企業に就職できたが、苦手な部署に回された、

昇進したのだが、責任が重くなり、転職をする。

お付き合いの長い相手はいるのだが、結婚はしたくない。

このように他人から見ると、なんて贅沢な環境だと思われるのですが、

そこから逃げたい。が優先してしまい、実際逃げてしまう人が多い。

もちろん、必ずなるとは言いません。個体差が必ずあります。

その理由もわかっているのですが、ここでは述べません。

それぞれのパターンには正と負の面がありそれを決定する因子があります。

このように運勢というのは、自分の意思とは関係なく

パターン化された持って生まれた星の影響下での作用なのです。

そして、(ここからが大変重要なことです。)

人というのは他人と暮らさなければならない社会的な生き物だということです。

政治と風水

朝鮮日報 風水

もし、政治家が政策の失敗を人力以外の「運」のせいにしたならば、

これはもう、リーダーとしてはダメな人であり、

「人事を尽くして天命を待つ」ことを放棄した

受動的な運命論者です。

陽宅、陰宅等の環境エネルギーが、

人に影響を与えることは間違いないと私は思っています。

伝統風水を学び、様々な個人の事例に合わせると、

居住者に起きるトラブルと、家相を鑑定し予想される事象が

一致する場合が多々あるのです。

居住者の運勢の波長と同調する、時には増幅させる家を

無意識に選んで入居している場合も多々あるようです。

(引っ越してから更に悪くなった、なんてのはこの類です)

しかし、もし、国家が政治のしくじりをそのせいにしたとしたなら

これはもうお話になりません。

理由は、国家権力を使えば、環境などと言うのは

あっという間に変えられるからです。

極端な言い方を御許しいただければ、

一晩で山を崩し、大河の流れをかえ、

龍も山も自在に造作できるのが国家の持つ力です。

この国の大学には風水を研究する学部があるように書かれています。

それならば、その研究成果を提示し、

議論の場を設け、迷信の誹りを晴らし、

新しい大統領府なり、なんなりのデザインを提案し、

作り直せばいいことです。

風水が悪いのどうのごちゃごちゃ言うなら

ダメなら改善したら、本当に、バカじゃない?と思ってしまうのは私だけでしょうか。

(それをさせないのも「風水」のせいと言われたら、二の句がつげなくなりますが。)

しかし、敢えて言います、

人は自分が生まれ持つ星や環境の影響を

無意識に受けていることを自覚し、その詳細を知った時、

必ずそれに対する対抗処置をとることができるのです。

諦めるほど愚かなことはありません。

業払い 3

人は他人と暮らさなければならない。

それを社会と言うのですが、人にとっての最初の社会は

家庭(親)となります。

そして、社会との軋轢という洗礼を受けることになる。

そんなバカなと思われる方もいると思いますが、

生まれた子供には子供のパターン(形)があり、

親には親のパターン(形)があり、

それを意識して生きている人はほぼいません。

皆が皆、自分は当たり前の人間だと思って生きている。

ある程度の年齢まで子供の成長は皆同じです。それが、

推命で言うところの立運の年齢に達し始めると

(これは本人にとっての自他の区別、自分を意識し始める時)

自我が目覚め、個性というパターンが生じ始める。


時々道端で、子供に「なんでわかってくれないの」と

大声で罵っている若いお母さんがいますが、

子供には母親の言ってることはわかりません。

子供にしてみれば、ただ、したいことをしたいだけです。

そして、苛立ち(いらだち)と軋轢の芽生えとなります。

怒りの芽生えと言い換えても構わないと思います。

あれもダメ、これもダメ、親によっては、逆に、

何をしようが、無視をする者もいる。

三つ子の魂百までということわざがある通り、

この初年の環境、教育(躾)がその人の一生を左右していきます。

運勢の吉凶はこんなところから始まっているのです。

(なんども、あちこちで書いているのですが、運の吉凶と

運の強弱は別物です。

ここで言う「運が強い」とは「我が強い」と言う意味で、

我が強ければ、自分の意思を押し通し、自分の言葉を曲げません。

その反面、自分の意思に沿わない相手を怒鳴り蹴散らし、支配力

権勢欲の塊となります。

この型の人にとって社会のルールは自分自身であり、

自分に命令できるのは自分だけだと思い、かつ、そう言う自分は

正しいと思っている。社会性さえ学べば大物になる可能性があるのですが、

大抵の人は理想を追うことよりも人生を享楽的に生きることを優先している。

支配型の典型的な例です。

そして、こんな人にも、子供の時があり、社会との軋轢に苦しんだ時期が

必ずあるのです。

まず、親からは怪獣扱いされ、学校の先生からは除け者にされ、

学生時代は先輩と摩擦を起こし、そして仲間とつるみ始め、

腕力がつくと、今までの社会との関係が逆転していく。

身の回りへの支配が始まる。

これは実は女性も同じなのです。

クソ度胸の良さが大人としての背伸びを助長し、

様々な現象を起こしてしまう。

女性の場合、腕力で支配する人は割と少数派で、

腕力よりも色気と罵声で支配します。

これは、それぞれが持つ「型、パターン」の一例ですが、

このように人生が始まり、この流れ(パターン)の中で、

それぞれの人生が営まれていくのです。

業払い4

家庭の次の環境は学校となるのですが、

この時期は本人の肉体的な成長とともに

持って生まれた星の成長の過程でもあるのです。

ここが大事な点で、

一般的に、星というのは持って生まれた時点からの変化はないと

考えられています。



(多くの占い師さんが陥る、最も罪作りな点で、運勢を決して変えることができない定まったものとして、ご本人達も信じているし、相談者にも信じさせている。不吉な鑑定をされた人たちには救いがないことになる。素直な、そして反骨精神のない人は、そのままの暗示にかかり、凶兆が生じるたびに、その占い師さんのところにでかけ、愚痴を聞いてもらうことになる。彼等に依存してしまう。
これは私が一番嫌う形です。
なぜかというと、他人に依存する限り、自立は難しく、自分の人生の可能性を放棄することとなるからです。私の思っている「人」というのは、誰かの食い物になっていいような、そんな安いものではありません。誰もが誇り高く生きるべきものです。)



しかし、人の行動、つまり、その人が持って生まれたパターン(型)

を拠り所とする心の動き、感情のゆらぎ、そこから生じる行動、言葉の選択が

他人との関係において、相手から喜ばれたり、嫌われたりすることにより

相手との関係性が決まるのが社会なのです。

必要な相手、例えば会社なら上司、自営業なら

お客さんからの評価が高ければ出世もするし、お商売も

繁盛します。逆に、自分勝手な行動や口の聞き方をしたら、

マイナスの評価を与えられる。つまり、相手からの評価によって

社会的な立ち位置が決まるということなのです。

高い評価が欲しいのなら、相手からの評価を得られるような

努力をすればいい。「ただ、それだけ」なのですが、

これを運の良し悪しにすり替えているというのが、

合理的な思考法を持つ、破滅型の人たちの特徴なのです。

絶望するということばの裏には、努力しても無駄という、

逃げがあるのです。努力しないでいいんだもの楽でしょう。

しかし、自分に与えられた義務を放棄すると、残念ながら、

それを達成するまで、形を変えてその「義務」は追っかけてくるのです。

まともな推命を学んでいる人には、その原理が理解できるのですが、

あまり、このことを知っている人はいません。けれども、皆が皆、

自分の体験として、このことを知っているのではないのでしょうか?

特に女性は男性の件で、男性は職業の件で、いわゆる、

どこに行っても(違う相手でも)嫌なことが続くという現象です。

問題は、その「ただ、それだけが」何故できないかということです。

その要因としては肉体的なものと精神的なものがあり、

長年の精神的な緊張がある場合、例えば、自己保存のための

戦いが不可欠だった人には怒り癖がついています。

(体には顕著にこの癖が現れます。)

全身の緊張状態が常態化している。

ちょっとした言葉、相手の態度に、

怒りという形で激しく反応する。

異性との情交に逃げ場を見つけても、結局、

人と人の関係に戻ると怒りから、別れにつながり元の姿に

戻ってしまう。身も心も焼け焦げたあり方です。

今までの生き方の堆積したもの。自分の過去の積み重ね。

でも、そのような環境で生きてきたのだから仕方ありません。

過去は変えられません。でも、5分先、10分先、20分先は

自分で決められます。

え?

でも、同じパターンで思考し決断し行動していたのでは、何も変わりません。

5分先も、1時間先も、今までと同じ自分です。

7月13日

「因果」をしっかり理解しようと思うと、なかなか骨の折れるものです。

仏家ではこれを縁起とよび、物事が相互依存し、

その結果として物事が一時的に現れると考えます。

どんなトラブルも幸運も、それ自体が突発的に発生することは無い。

固定されたり、決定しているものなど無い。

この考え方が「空」と呼ばれるもので、色即是空

空即是色で有名な般若系の思想体系になっています。

さらにこの体系を進め恒常論と虚無論の両極端を否定した

ものを中観思想と呼び龍樹菩薩の「中論」で決定づけられたと

言われています。紀元150年あたりの生まれと言われていますから、

この思想は1800年の風雪にびくともしなかったと言って良いと思います。



命式を見て、絶対こいつは悪いとか、絶対こいつはいい人だとか

運が良いとか悪いとか。嫌な星を持っているとか。

時々、そうゆう占い好きの方がいるし、この「絶対」を

売り物にして「空亡」や「天中殺」でお商売をしている方たちを

時々見かけます。

絶対というのは恒常論で未来永劫それは動かない、変化しない

の意味になります。でも、そんなものあるのでしょうか。



とりあえず、自分の心の動きを見てください。

心を一点に留め続けることができる人は皆無です。

止めようと一点に集中すればするほど次から次へと

想念があふれ、それを言葉で捉えようとし、

止めようとする意識と、溢れてくる言葉の戦いが、

心が疲れ眠りに落ちるまで続き、眠りの中では

脈絡のない夢として想念が溢れ続ける。

プロの方やベテランの方には止められるという人もいるのですが

大抵は呼吸や自分を客観視することで

自分を観察し続け想念の言語化の作業は停止させていますが

想念がなくなっているわけではありません。

つまり、心は止まらないのです。


絶対などというものはありゃしないのです。

因習に近い固定観念は排除するべきだと思うのです。

宿命も運命の人もロマンスや幻想小説の中では最強の言葉ですが

実践鑑定の中では捨てる必要があるのです。



「徳」を積むとはどうゆうことかと聞かれることがあるのですが

自分以外の誰かに感謝されることが徳だと私は考えます。

「徳」をこのように定義すれば「不徳」の意味合いも

わかりやすい。

「他人から嫌われたり、嫌がられたり、嫉妬されたり、怒りや

恨みをかうこと」が不徳を積む意味になります。

この中に「嫉妬」が入っていることを訝る人もいると思うのですが

同門の方であれば、ああ、あのことかと理解できると思います。

昔の人は、物事を自慢すると嫌われるよと言ったものですが、

今の世の中はどうなのでしょうか?

snsなども上手に利用しないと不徳を積むことになりかねません。

気をつけてください。

物事は移り行く。

どんなに不幸でも、今は、絶望意外考えられなくとも、

それもまた、移りゆくものです。そして、苦しくとも

悲しくとも、お腹は減るし、眠くもなるし、トイレにも

行きたくなるし、風呂に入ればサッパリするし。

美味しいものを食べれば、美味しいのです。

今は子供でも、生きていれば成人として認められ

自分の意思で生きる選択ができるようになる。

我々の世界は一度この社会からはみ出てしまうと

元の社会に戻るのに、かなりの努力が必要になる。

しかし、どんな社会も、中身は大して変わりません。

やる気と努力と技術力を上げ自力をつけて、

人から信頼されることができれば、

生きがいのある人生を過ごせるものです。


全ては移ろいゆく。

時の流れが止まらない限り人の心も移ろい続ける。

進む方向を迷わないために我々は人と繋がり、

人を見て自分を見つめ軌道修正しているのです。

人と繋がる意味はこんなところにもあるのです。

そばにいる人たちを大事にしてください。

世の中

最近、戦争をしたがる若い政治家がいるようです。

元々が官僚出身なので、知ってはいると思うのですが

国連憲章に敵国条項というのがあり、

第二次世界大戦の敗戦国である日本は

もし戦争を仕掛けるようなことをした場合、

安保理の許可なく戦勝国であるソ連、中国等は

日本を攻撃して良いことになっているのです。

ロシアのクリミア攻撃以来戦争の形が大きく変わり

日本なども多分2日ほどのミサイル攻撃で主要な設備と

機能は崩壊すると思います。

その上で休戦協定を結び彼らの意に沿う政治家を選び

直接統治せず自治権を保証し、賠償金を請求してくるのが

これからの戦争です。

それに、戦争は本当に簡単に起こせるのです。

例えば戦勝国Aが本気で戦争を仕掛けようと考えたなら、

戦闘機でも偵察機でも防空圏ギリギリで飛び、

スクランブルで接近した自衛隊機の目の前で

自爆したら、必ず自分たちは被害者だと主張し、

問答無用で戦争は始まります。

最近これに近いことを隣国がやりましたね。

「戦争のできる国」なんて言っている共産党も

なんちゃら政党も、お隣の国も

日本が戦争を仕掛ける国家であるかのような印象を国民に

植え付けようとしていますが、絶対にできません。

万が一でもやったら終わるのです。

知ってかしらずか。

それに乗っている一部の日本人も、左の人たちも

いったい何と戦っているのでしょうか。

平和ボケの極みにしか見えません。


ただ、米国が許可する戦争と、米国の後ろ盾がある

自衛のための戦いはできる。

しかし、これは国の体裁を保つための便宜上の

権利でしかありません。

この意味では北朝鮮が言うように

日本は自主独立した国家ではありません。

「平和憲法」にはこのような意味があり、

その代償として戦後経済の復興発展の果実を

得ました。

これは綺麗事ですが、それで良かったのだと思います。

少なくとも、隣国達のように軍隊が国民に銃を向けることは

戦後一度もありませんでした。

これからもそうであって欲しいものです。

業払い5

正直に言います。

持って生まれた星は変わりません。

「え〜。.............。」

塩はどこまでいっても塩であり、塩辛いもの、

砂糖はどこまでいっても甘い砂糖です。

砂糖が塩辛くなったら、それは塩となります。

「私」は「私」、「貴方」は「貴方」以外の誰にもなれません。

持って生まれた自然の姿そのものです。例えるなら、

思考回路の青や黄色や黒や白のパターンは変えようがない。

でも、考えてみてください。

人は自分のパターンに直面するのは苦手ですが、

(特に人に見せたくない部分を、無視しているか、正当化しているか、隠蔽している)

他人のパターンを読むのはとても上手ですね。

つまり、「思考のパターン」を認識する「知性」が備わっている。

それであればこそ我々人類が「自然」と付き合ってきたように、

お付き合いすればいいのです。これこそが万物の霊長たる所以です。

曲がりくねって、毎年氾濫する河川に対しては堤防を築き、

超え難い山道にトンネルを穿ち、荒地を開墾し、作物を植える。

つまり、よりよく生きる意志を持つことです。

でも、間違ってはいけません。この自然を開拓してきた人たちは

個人のために、それをやった人は皆無であり、多くの人たちは

次の世代のため、愛する誰かのための動機を持ち、

やり遂げてきました。

誤解しないでください。愛や倫理道徳や宗教的な訓示ではなく、

残念ながら、絶望している人は「自分のための動機」では長続きしないのです。

自分に絶望しているのだから、自分をさらに惨めにすることが彼らのパターンとなります。

だから、何か、すがるものが必要なのです。

ほんの些細な、誰かの笑顔や、感謝の言葉や、優しい眼差し。

それだけでもいいのです。

大げさな、人類兄弟のためとかではなく、何か、小さな、

暖かい心を注げるものを見つけることから始めてください。

つまり

自分自身の開拓、開墾事業。

絶望の底に見え隠れする生きる望みを叶える生き方をです。

社会的にはうまくいっている人の場合

男女共、割と「簡単」に円満な人生を築くことができます。

なぜなら、収入が安定し、その上、

社会人としての訓練を終えているからですね。

問題は立派な社会人として外では装えても、家の中では暴君や

無責任さんに戻ってしまう。自分以外の家族に対しての甘えと、

家族を一人の個人として扱っていない、理解しようとしていないことが

苦しみの原因になっていることが実に多い。

私的な生き方にも社会人としての責任を負うことを自覚すれば

苦難は、それで終わります。同僚に接するように家族に接すれば、

会社でうまくいっているように、家内もうまくいくでしょう。

でも、それがどれだけシンドイことか、理解できるでしょうか?

多分、荒地を開墾する方が楽かもしれません。

なんせ、大地はものを言いませんから。

一にも二にも忍耐を養い、勇気を振るうこと。

何十年もの荒地(荒れた家族関係)を拓くのであれば、尚更です。

なんども、それまでの、ひずみや、歪みが、形になって現れてきます。

切り株や、大岩や、石ころや、毒虫とぶち当たったと考えてみてください。

実は、それこそが、あなたが家族に対してしてきた仕打ちなのです。

なかなか、なかなか、びっくりポンでしょ。

そこから逃げたら、また、一からやり直しです。

つまり、これが「業払い」と言われる現象なのです。




これが「簡単」な方ですかと問われれば、その通りと

言わなければなりません。

なぜなら、基本的に食べるのには困っていないからです。

大人になること

しつこく書いておきます。

10善業は

他人から「良い人」と思ってもらう偽善者になることや、

他人を助けてあげるんだ、などという

奢(おご)った行為を推奨しているのでは無く、

ただひたすら、人知れず、「自分の心を育てる。」

そのための方法です。他人に宣言する必要も、

これ見よがしに、いい人をやる必要はありません。

自分の内面と10のアイテムを使って対話をし続けることです。

心が育てば、自然に視界が広く、高くなってきます。

視界が変われば、行動が変わってくる。

これが、文字通りの

「大人」になるということです。

視界が狭く、低い人は「子供」と呼ばれる。

(自動車教習所で、免許のある人は習いましたね、「子供と老人は視界が狭い」と。同じことです。)

もしあなたが今、「子供」ならば、まだまだ伸び代(しろ)があるということです。

実に頼もしい未来がある。

(いいなー若者は。成長する時間が山ほどある。それに比べ私など、トホホホホです。)

易経より

易経の中にこのような言葉があります

「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり」

運を作るには相手を「思いやる心」

運を壊すには自分以外の人(血縁も含む)を傷つけること

しつこく何度も書いてきたのですが、

別に倫理や道徳を押し付けるために言ってきた訳ではないことを

理解してもらえるでしょうか?

しかし、そんなこと言っても、アイツは人を食らって出世したし、

何人も泣かせて財産を作った。

真面目に生きるのなんて馬鹿馬鹿しい。

これに大同小異な意見をお持ちの方も多いと思います。

それでは実際はどうなのかというと、

あらゆる人は、運勢が安定し、強い時

成功者としての立場から、そうでない他人に対して

不用心に接するものなのです。
(相手を傷つける意)

特に命式が偏っている人はこの傾向が強く、

徹底的にこれをやり、最悪の場合、

自分を支えていた運が落ちた途端立場が逆転する。

こんな風に書くと、自分とは関係ないと思う人も多いと思うのだけれど、

卑近な例を挙げれば親子関係に顕著に現れます。

一例を上げたいのですが、やめときますねー

特定の人間に抑圧し続けられた個人は狂うか、反逆するか。

この辺りは「剋」の推命原則そのままが当てはまります。

あらゆるものは移り変わる。時と共に、人と共にです。

もう一つ、この易経の言葉には、深い意味があり、

それは「家」をテーマにしている点です。

私は心理学の言葉を使うのが嫌いで、集合意識とか書きたくないのですが、

その家独特な波長があり、その波長が善なる波長で他人から好かれるものか

嫌われるものなのかも、全て、そこに生きてきた人たちの行動の

結果によるのだということでしょう。

(その波長に合った子供達しか生まれてこれないということでしょうか。)

易の世界も仏家の世界も因果律を真理としているようです。

原因があって結果がある。

今、不遇だとするならば、そこには必ず、その原因がある。

ただそれだけです。

いいですか、間違えないでくださいね。

漠然と不遇と書いていますが、具体的に書けば、

もし恋が破れて自分は不幸だと思っているならば、必ず、そこには恋が破れる原因があり、もう、恋愛時代には戻れないということです。その人のことは諦めること。諦めることができれば、破局の原因を三省し、次の恋を成功させるための種を蒔き、育て、我が物とし、出会いのチャンスを求めればいい。(ただしこれには、皆さんの嫌いな努力が必要になってきますね。)過去は過去として完了することが何よりも大事なことです。過去にしがみついたままでは未来は過去の繰り返しですよ。

今の不遇を猛省し、次のチャンスを見つける努力をしさえすれば、人生なんとかなるものです。「未来はそれほど悪くない」秋元氏の詩そのものだと私も思います。

魂魄

魂魄について前回書きましたが、

器と器の中身のことです。

白川静先生の「字統」でこの文字を調べると

「魂」の偏は雲を表し、旁(つくり)の鬼は「人の帰する所」

死人の意味だそうです。つまり、死して雲のごとく登り

浮遊するものとの解釈です。

「魄」については偏の白は生気を失った頭骨とされています。

土に還る物質的な肉体のことですね。

また、人の帰す鬼に対し、自然としての霊気を神とし、

神は雷光の象を神格したもの、合わせて鬼神というとあります。

魂魄という言葉は、古代、肉体を失った後も、

なにがしかの形で人は、この世に残ると考えていた証拠です。

そして、これが東洋哲学の基盤であると考えると、実に

循環の原理が自然に理解できるのではないでしょうか。

生兵法

相変わらず、きついことを書きます。

運命学や占いを学んでいる方に起こるトラブルの原因についてです。

内緒で相手の生年月日を調べ鑑定し本人に告げる方達がいます。

気学なども、本命卦がすぐわかるので、これに陥りやすい。

バカとしか言いようがありません。

笑える程度のものであればいいのですが、

離婚の星だ、色情の星だと人の尊厳を貶める

さも宿命のように告げる方たちがいる。

本命卦(生まれ年の九星)にしても、

まともな風水や遁甲を学んでいる人に

言わせれば、男性と女性の本命卦はそもそも違うのです。

男性の九星が一白であっても女性の九星は違う。

この基本情報が違うということが九星を使う伝統派の

情報が多数出版されたおかげで白日のもとに晒されています。

多くの方は良かれと思い相手に何がしを告げるのですが、

誰が、自分以外の者に自分の運命を指摘されたいと思いますか。

相手は、なんの権利があって自分の運命を

他人に言われなければならないのか。

さらに、なんで、そんなことがわかるんだ、

その根拠を言ってみろと言われたら、答えられますか?

身内や子供だったら余計怒り出すか、落ち込むでしょう。

これは宗教をやっている人にも共通することですが、

自分は素晴らしい神仏の教えを知っている、

教祖さんを知っている。団体と出会った。だから、

知らない人には教えてあげなきゃという

使命感と、その時は思っているのでしょうが、

その底には相手に対する優越感が間違いなくあります。

はっきり書いておきますが、本質的な宗教の救済は、

真剣にそれ求める「個人」にしか効果はありません。

聞く耳を持たない人には無力です。

この辺りは仏教もキリスト教も同じで

使徒たちは、大衆の前で信仰のために自らの命を賭し、

その強さと気高さを示し、重ねて、何人もの殉教者によって

初めて人々に聞く耳を持たせてきたのです。

ご存知ないかもしれませんが、大乗仏教の行者さん達も

疑う者の目の前で自ら死んで自分の信仰を証明してるのです。


現代、多くの方はその宗教を信仰すれば、人間関係が楽になる、

夫が優しくなる、お金が儲かる、子供が素直になる

等々の謳い文句の上に、苦しみを共有する場を提供されることにより

苦しみの緩和効果という「おかげ」を教団からいただいています。

一種のコミューン(価値観を共有する団体)としてのあり方です。

しかし、その価値観を共有できない者たちにとっては自分とは異質の

集団となることも事実です。それに対し嫌悪感が伴う場合も多々ある。

そして、我々の世界も同様なのです。これを絶対に忘れてはいけません。

「秘すれば花」の言葉があるでしょ。秘することです。

じゃあ、いつ使うの?

その前に使う実力があるかを自らに問うことですね。

たとえば、

あなたは、一般的に言われている離婚の星を、

自分の大事な人に見つけた時なんと説明しますか?

「離婚の星があるよ、気をつけな。」でしょうか?

10人中9人までがこれをやります。

(プロの先生方も同様です)

相手はどう思いますか、あなたが言われたらどうでしょう?

占いや、鑑定法を実践で使うためには

まずは、

自分が学んだことが正しいのか違うのかを

精査することから始めなければなりません。

その段階を経れば、自分の言葉で星の解説ができるようになります。

次に、他人のお話を聞く態度を学ぶことです。

その上で、他人に寄り添いながら普通の生活をし、

もしも、知り合いの誰かの表情に苦しみをを見つけてしまった時、

どうしたの?と声をかけることから始めてください。




ちなみに、占いでモテたいとか、稼ぎたい、偉くなりたいとかいう人は

そうゆう方達とご縁を結ぶことをお勧めいたします。

色々な先生方がいます。世の中は住み分けです。

それぞれがそれぞれの生きやすいい場所で、学び、

生きればいいだけです。


もし先生についたならば

師匠の言葉を鵜呑みにしてはいけません。

自分で検証し確かめることです。

再現性のない理論は迷信です。迷信に迷わされないでください。

そして、他人を傷つけないでください。

長い目で見れば、必ず自分に返ってきます。

自分だけならいいですが、大切な人ができた時に

その人でやられることがあるのです。だから、

たとえ、そこに正義があったとしても、一時の怒りで

他人を傷つけてはいけません。

vucaの時代

研究科の生徒さんの課題を調べているとき

VUCAの時代」との単語が出てきました。

チャットGPTによる論文偽装しかり、AIの進化により、

AIへの依存が、どこまで進むのか想像することさえ

難しい時代です。課題にとりあげた人物は

「人間にしかできないことを考えろ、もっと情緒を磨け」と

語られていました。

占い師さんのホームページの中にはコンピューターによる

無料占いコーナーをお持ちの方が多々おられます。

昔のものに比べて割と的中率は高いようです、

とてもありがたいことですね。その上で、

「人間にしかできないこと」

いったいそれは何か?と考えさせられています。

新料金体系

2017年8月6日 

色々反省を込めて、より講義を受けやすくするために

本科の料金体系を改善します。

泰山流四柱推命学会(緒方泰州派)初級教室

四柱推命泰山流の基礎と用神取用方

及び鑑定法

完全予約制(個人講義)2つのコースから選べます。

入会金 3万円

料金  90分 月1回コースの方 1万5千円 

    90分 月2回コースの方 2万3千円 


注意

月2回コースの方が1回お休みするときは月1回コースの料金となります(1万5千円です)
どちらにしても月1回なら1万5千円、2回なら2万3千円となります。翌月の予約をする時に決めてください。

[学べること]

1 その人物の持つ本質と価値観等一切が

  理解できるようになります。

2 相性の本質

3 造命法としての四柱推命の用い方

4 順逆のルールの理解と応用法

教科書「四柱推命実践講座」の他に

テーマ毎にプリントを用意いたします。

火と水

22日の夜から23日にかけての雨風は酷かったですね、

真冬なのに春先か梅雨時を想わせる、生温い風でした。

低気圧だから当たり前だ、科学的知識の不足と

なじられるかもしれませんが、それはそれです。

世界の気温世界的に気温が上昇し続けています。

やはり、異常です。

「天人合一」の思想から見ると火勢が旺じ続けている、この現象が、

「人」にどのような影響を与えるのかを考える時、

火の本質的な属性である「熱」と「光」

そこから生じる「寒暖の差」と「闇の深さ」。

一言で言うと、こうなるのですが、その意味するところを

特に教室の生徒さんは考えてみてください。

「火」は何を表すのかがわかれば、時代の流れに納得がいくと思います。

来年の年運も予想できるので、よく考えてみてください。

12月24日

クリスマスイブということなので何かプレゼントをと思うのですが、

しがない在野の推命家なので、私の体験を後学の方達への

贈り物とさせていただきます。


四柱推命は難しい学(まな)びです。

推命学を占いの一種だと思われている方も多いのですが、

実は緻密な理論の上になりたち、当たるも八卦、

当たらぬも八卦の世界とは、最もかけ離れている学問なのです。

最近は、台湾や香港、大陸の先生方の著書が翻訳され、

かつてのような12運、神殺を中心とした、

他の占術から取ってつけた理論や、ほぼ根拠のない、

いわゆる「統計学」的なものは淘汰されて来ましたが、

それでも、推命学にとって「肝(きも)」となる

用神取用法である「格局法」の混沌とした迷路に落ち、

あがいている方達が実に多く見受けられるようです。

特に学究肌の方達がこれにはまりやすい。

(私もそうでした。)

私もかなりの額のお金をつぎ込んで有名な先生方のご著書を

買いためたのですが、緒方先生の「四柱推命実践鑑定講座」を

手にしてからは、他の本は全て手放し入門のための資金に充てました。

そのくらい目から鱗の内容が書かれており、

自分の中にあった四柱推命に対する迷いが氷解したのです。

さらに教室に参加し、この本の内容を理解し始めると、

正直、いわゆる「泰山流」とは別物であり、

さらに言えば、人間自体の構成と心の動き、そして

その結果としての人生が一目瞭然、目の前に現れ始め、

見えて来たものは、現命式と流運による動きが、

まるで、その人の魂に刻まれたプログラムのように

人生に展開される喜怒哀楽の姿でした。

さらにいえば普遍的であり的確で、鑑定を受ける

本人さえ知らぬものを再認識させるものでした。

(あらゆる人は「装っている」と、どこかで書いています。)

その事象の積み重ねが、現在の私の鑑定法の基盤になっており、

このことがコラムやブログに書いている内容そのものなのです。

四柱推命の範疇を超えた哲学思想だと内心自負しているのですが

いかんせん野で庵を結ぶ頓狂なじじいです。

諸々の後輩諸賢の方々が緒方先生のご著書で

私が目覚めたように目覚め、真の人生哲学について学ぶ機会が生まれるように

切に願うクリスマスイブです。

やはり、時の流れの、質の変化が、こんなことを言わせるのでしょうか。

それとも昨日見た「君の名は」のせいなのか、

まあ、これも「むすびの」一つです。

私も結構、そっち方面に詳しいのですが、

ロマンチックないい映画でした。

内向きな世界

来年の年運は?との問いに、

さらにセクト主義が勝るだろうと答えてきたのですが、

それに抗うべき方法を模索しなければなりません。

なぜ抗うのかといえば、結局セクト主義でお互いの主張をぶつけ合えば、

宗教戦争と同じく「主義に同調するかあるいは死か」の選択を求められてしまう。

正しいことを言ったとしても聞く耳を持たぬ人々には届かない。

オバマ大統領のホノルルでの演説

この演説の中で特に

この地こそ、憎しみが最も激しく燃え盛るときや、同朋意識の力が最も強いときでさえも、我々は内向きになる衝動に抗わなければならないことを思い出す場所です。我々は、自分たちと異なる人たちを悪者扱いする衝動に立ち向かわなければなりません。この場所で払われた犠牲、戦争がもたらした苦悩は、人類全てに共通の神聖な輝きを求めなければならないことを我々に気づかせてくれます。そして、日本人の友人が言う「お互いのための」存在となるよう努力するよう求めています。


これからは人類の叡智が求められる時代です。

それは何か。

「調和」すなわちお互いを認め合うということでしょう。

自分以上に可愛いものはいないと自分が思っているように、

相手もまた、自分以上に自分を可愛いと思っていることを

お互いが認め合うことです。

そうすれば日々の摩擦は、だいぶ減るはずなのですが。

物事が起こる原因を知ること。これこそが、

多くの苦悩を減らすことにつながる。

より多くの苦悩が消え、幸い多い年であることを、

来年の歳運に託したいと思います。

皆さま、よいお年をお迎えください。

元気を出して

時々応答がなしのつぶてのメールがあります。

それはそれで、その人の人生です。

それでも自分を大事にしてほしい。

私も若い頃は約束が守れず何度も落ち込み自分を責めました。

そんなものです。

お金がなければ、働くしかありません。

自分にできる仕事を選べばいいのです。

でも、遅刻や、病欠を繰り返せば職場の皆の顔色が変わってくる。

これはこれで当たり前のことです。

甘えていると言われます。

我々のような凡人は頑張るしかないんですよ。



エールを送ります。

Superfly「Gifts 」

頑張れ。

赤ちゃん

羽田空港のトイレで子供を産んでしまった就活中の女性の

事件が最近ありました。何かに夢中になりすぎて、

大きな何かを、どこかに忘れてきてしまったようです。

今の苦しみの原因は過去にあり、その時は、そのことに夢中で

将来のことなど考えることもなく、今を貪り続けますが

そこに不都合があるときは、必ず危険を知らせる小さなサインが

何度か出るものなのです。

それに気づいていても気付かぬふりをし、周りにそうしてきたように

自分を騙し続け、機が熟したときは、

気持ちも環境もどうにもならなくなっている。

今 特別養子縁組制度というものがあります。

お腹の子供の未来に不安があるのであれば連絡してみてください。

風水

新空路につい調べていて、ふと思ったのですが、

風水の先生方はどうお感じなんだろう?と

調べたのですが、あまり見当たりませんでした。

しょうがないので自分で見てみることにしました。

しっかりと皇居の上は外れているのですが、

都内皇居を中心としたみた場合

北西からの北に抜けています。

易卦で言えば乾から坎に抜けるルートです。

皇居の真上を通って南に抜けていれば

坎から離と動く、

大袈裟な表現をすれば暗黒から光り輝く太陽と

考えられるのですが、西北からのルートでは

争いが(乾)、別れと(離)、炎上に繋がるとなります。

陰陽道 天門

乾には王の意味合いもあり、今の世ではギャングのボスと

考えるのが妥当です。外国からの賓客とも考えられますが、

そうであることを願います。


入管の人材不足はだいぶ前から言われていることだし、

24時間空港の管理、維持が現状の労働者でまかなえるのか、

本当に大丈夫でしょうか。管理者は現場に圧をかけるだけで、

結局マンパワーに限界がきて、人材が消えていくというのが、

多くの現場の実際の姿です。真面目な人ほど壊れていきます。

働き方改革は人が育たなければ左翼の「夢」と同じこと。

エリート官僚の方々であれば、もっと良い案をお持ちだと

思うのですが。

現状の政治家指導体制では無理かもしれません。

愚かな政治家を国の中枢に送ることだけは

避けなければなりません。

でも、個人への意趣返しをパフォーマンスとして堂々とやる

政治家がいるわけだから、これからの日本はどうなることやら。





代々木公園や明治神宮、新宿御苑の静寂が消えていきます。

寂しい話です。

大阪曽根の緒方先生 初級教室開講

緒方先生が大阪の曽根にて断易と

四柱推命の初級教室を開かれます。

緒方先生ブログ

関西方面の方に限らず、とても良い機会だと思います。

推命に関しては私のような師範は多々おりますが、

断易に関してその真意を伝授できる方は稀です。

私も、流行りのものを研究したことがあるのですが、

原型を変化させる根拠が全くわかりませんでした。

基本の基本の段階で、私の目から見ると間違っています。

(間違っているというより私の学んだものと違います。)


断易に関して少々コメントすると

実に変な話になりますが、

断易は易神からの許可がないと

正しい易卦は出ないようです。

正しい卦とは何かというと、占題を、実に新鮮に、

その時点での状況を、裏に隠されているものを含めて、

完全に、切り取れるか、取れないかということです。

(野球の試合の勝ち負けを占う程度で使うのは、もったいないなと思うのですが。)

それじゃ、

その許可はどのようにして得るのかが問題となりますね。

私はその答えには2通りあると思っています。

一つは力のある先生について教わること。

何事でも、先生から教わるということは、

その先生ご本人の能力と才能を少しずつ

分けてもらうということですね。

すでに易神から許可が下りている先生ですから

誠実に先生につけば、自然に許可が下りてきます。

もう一つは、易神を動かすほどに精神誠意を尽くし、

学ぶことです。

近代の断易中興の祖といわれる先生方は皆、そのように

なされました。どれほどの苦労があったのか知る由もありません。




今は、良い師が「教えてあげてもいいよ」と言ってくれています。

千載一遇のチャンスです。


最近は九鬼先生や藤田善三郎さんの著書など、

幻の名著といわれていたものが、かなり安価に揃えられます。

時代は変わりました。

「安価」が修練の「安易」さに変わらなければいいのですが。

幸運にも学ぶ機会を得た方達は

学び、そして、ただひたすら研鑽してください。

援助希求

援助希求という言葉をご存知でしょうか。

私は知りませんでした。

今朝読んだ記事にあった言葉です。

デイリー新潮

なんとも言えない記事です。

この記事とは直接の関係はないかもしれませんが、

都市型の家族関係が結局、心の病を

増産させているようにも感じられます。

孤立している親との相性が悪ければ、子供達は

どこで母性や、父性を学べばいいのでしょうか。

誰もが必ず通らなければならない思春期、

異性への「愛」の形がド・ストレートになるか、

2.5次元に逃げるか、拒否するか、同性に向かうか。

本人もどうしていいのかわからない。

「愛」を表現するためのお手本として安心できる基準がないのです。

そして世の中は安易に手に入る情報がネットの中に

溢れています。結局、軽薄で粗悪な代替品に頼ってしまう。



戦後、家族のめんどくささ、不条理さばかりが文学でも

映像の世界でも取りざたされてきましたが、

上手に利用し合えば「サザエさん」一家にもなれることを

誰も言ってきませんでした。

あらゆるものには二面性があり、善悪では判じられません。

使いようで吉にも凶にもなるのです。

ニューファミリーとか核家族とか、欧米型とか

言っても、所詮、我々は伝統ある農耕民族であり、

平和を何よりも愛する縄文人の血とも

混在しているのです。聞こえは良くありませんが、

人肌の温もりがなければ、寂しくて泣いてしまうのが

我々の宿命です。

この我々の「本性」の部分がかけ始めると苦しくなる。

そんなもんなんです。

「仲良きことは美しきかな」と武者小路先生は書いています。

最近は「おもしろきことは良きことなり」とのこと。

(残念ですが森見先生の本は手に取ることはするのですが、

読み進めません。不思議な話です。)






「頭でっかち。」こんな言葉も最近死語になってきていますね。

情報社会がここまでくると「頭でっかち」が我々の

「常態」になっている証拠なのかもしれません。

京都アニメーション事件

7月30日

今日の講義で生徒さんから京都アニメーションの事件についての

質問がありました。

私の気持ちも生徒さんと同様モヤモヤしている状態であり、

自分の気持ちを整理する意味でも、とても良い機会を

与えてもらったと感謝しています。



この事件を思うとき、被害にあった方々とそのご家族、

京都アニメーションのファンの方達の無念の思いと

巨大な喪失感が伝わってくるようで、私の中では

未だ狂おしいままです。







衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。


 洗心庵 今野喜心







犯人の命式は元命式の研究(生徒専用の非公開サイト)に

載せてあります。

志村けんさん

本日(3月30日)志村けんさんが亡くなったとの報道あり

ご冥福をお祈りいたします。








今日はどのチャンネルを見ても悲しみと喪失感が満ちています。芸能界における志村さんの存在の大きさが窺われます。このかたの笑いに救われた方も多いと思います。辛いですね。

4月19日

推命学を時々誤解している人がいて

これは生徒さんに聞いた話なのですが

自分の前に座り、ご相談事は?と

問うと、占い師さんのあなたが私に話すことですと

述べたそうです。

相手の方は外国の方だったらしいのですが

そのかたの国では占いを神の「予言」や「お告げ」として

捉えているようです。

この辺りが、やはり「占い」なのだと思います。

私は占いに対して運勢鑑定という言い方をしているのですが

四柱推命は元末、明初の官僚である劉基

四柱推命の原典とされる「滴天髄」を記し、

多くの先人がこれを叩き台にして手を加え

実践の上に改良、改善、再編され今に至っています。

そして、全てとは言いませんが、

これを良く学ぶと人生の構造が

実にわかりやすく理解できるようになるのです。

そして、ここからが大問題で、使う人間が、

運勢は決定しまっていると見るか、

そうでないと見るかで使用法が

火と水ほども違ってくるのです。

より価値のある使い方を選択されたく思います。



最後に、

四柱推命を独学で学ぶ方にアドバイスです。

大量に知識を本で身につけ部分部分の知識はあるのですが

些末に拘泥し本筋を見失う方が多く、用語に飲まれている人を

多く見受けられます。推命の用語というのは

山の頂にはためく旗のようなもので、

その用語を理解するためには山全体を把握する必要があり

一言で解説できるようなものではありません。

残念な話ですが、

命式全体の構造を解説しているテキストが少なく、

あっても不備が多く、部分部分の組み立てと

具体的な使用法が書かれているものは稀であり、

蘊蓄学者や批評家にはなれると思いますが

実践では使い物になりません。



まずは実践経験が豊富な良い先生につくことをお勧めいたします。

自由

凄惨なニュースがあちこちで続き、

京都の事件がきっかけなのでしょうか、今までは、

よそ事だった外国の事件にまで共感し始めている自分を

昨日あたりから感じています。

大事なものを突然喪失する恐怖、亡くした人達への共感、

それで納得できても胸が苦しくなります。

この感覚は、多分、日本中の大勢の方達も感じ始めているものだと

思うのですが、

ある意味での平和についての大きな運動が

日本から生まれる、きっかけになるかもしれません。

たくさんの人が目覚めるといいですね。

学生時代から人権団体、政党関係の人達にご縁があり、

近くで彼らを見てきましたが、

「運動」を起こすんだといって事務局を構え、専従の職員を

置くような市民団体形式では、結局、群がるハイエナに

食われ、利用されていくのがオチです。

有象無象が自然に寄ってきます。

平和運動、非暴力というのは実に難しく、

イベントを打って拡声器でスローガンを叫んでも

無理なのです。

自分自身と他人との本質的な対話の中からしか

これは生まれません。

そして、人は自分流の自由を求める生き物で、

それに干渉された時自分の感情を暴力で表現することに

慣れてしまっている人がいるのも事実なのです。

彼等をどう制圧するかを考えた時非暴力の選択は

困難を伴います。

隔離や疎外なども暴力の一種だと思っていますが

説得と教育を持って更生できるのは、

それを受け入れるだけの器がある人達だけです。

人の器は、持って生まれた本人だけしか

手をつけられない実に貴重で、価値あるものであるが故に、

子供の頃からそれを自覚させ、自省の習慣と

誰もが生まれながらに必ず持つ父性と母性を育てることが

倫理観の確立につながります。



ゲームに多くの時間を費やす方達が多いとのことですが、

社会というのはゲームと同じで人生のステージを段階を追って

クリアーしていくとポイントが上がるシステムなのです。

人生とは、そうゆうものなのです。

夏休みの学生さんも多いと思います、暇なときにでも

深く深くダイブしてみてください。

政治家にも我々にも、精神的な支柱としての哲学が必要な時代です。


最大多数の最大幸福

ジュレミ・ベンサム

ミル


自分勝手で甘い香りのする思想ですが、キッカケにはなると思います。




極性化した大衆というのは面白いもので

魯迅などはこの手の小説ばかりを書いていました。

魯迅がどんな人かというと

溺れる犬は石もて打て」と言っていた人です。

自分の頭で考え、行動することです。

どこかのデモのように、どこから金が出ているのかもわからない

お揃いの(結構、趣味の良いデザインの)反対ポスターを掲げるような、

正体の見えないものに先導される愚を侵してはいけません。


国内のヘイトも同じで、「気に入らない」感情の

何が自分の「気」に触れたのかを精査することです。

自分たちより優遇されているからなのか、

自分たちに、いちゃもんをつける国の人だからか。

それとも、もしかしたら、誰かを見下すことで

満足感が欲しいのか、大衆を扇動してみたい欲求からか、

それがどこから来ているのかをよく考えることです。

木を見て森を見ず3

昨日書いたものを読んでいて思うのですが、

これ、恋愛も一緒ですね。

それも若い時の恋愛に似ている。

我々の青春時代は、背の高い男子がモテる条件でした。

顔も学力も運動神経も関係なくとにかくデカイやつが持てていました。

クラスメートの某女子に、なんであんな奴と

仲良いのと問うと「だって、彼、背が高いんだもの」

と答えていました。何故か、いまだに覚えています。

彼女の中の素敵な恋人の条件の

「自分より背が高く175センチ以上」で

ヒットした相手ということなんでしょう。

当時は三高が女性目線からの恋人の条件で、

それに嵌ったお相手と言うだけですが、

今も昔もこの辺りの事情は変わりません。

恋愛がファンタジーだと気づくまでは誰にでも

起きる現象です。

間違いなく恋人選びはそれでいいと思う。

夢見る時代に幻想を追うことを誰が咎められるのでしょうか。

皆が通ってきた道です。

いつぞや、

「恋愛は酒の要らない酔である」

と書いたことがありますが

他人がとやかく言うことではありません。

楽しめばいいのです。

問題はその先で、酔いは覚めるものであり、

男女は恋愛だけでは終われないのです。

笑顔が素敵な彼でも、彼女でも、やがて、

無表情な素っ気のない、夢みの時代には

想像すらできなかった姿に変わってしまうこともある。

それを回避するためには、やはりお互いの努力が必要なのです。

恋愛から安定した結婚に進めれば、これ以上なことはありません。

ただ、安定した結婚に関してはやや難が起きやすい。それは

お互いの生活力と信用力に関して選択要綱になかったことが

原因かもしれません。

(夫婦、恋人関係のトラブルの主なる原因がここにあります。)

笑顔だけでは生活はできません。

お相手の美醜や肩書きのスペックを見て、その人を判断をするようなこと

をしているうちは子供の恋愛で、ほぼ確実に夢は破れます。

この点、女性は現実主義ですから少ないと思うのですが、

男性は一時の情にほだされて一生を棒に振る可能性が女子よりも

はるかに「大」です。気をつけてください。

この辺りの事情に怯え結婚できない男性が増えているようにも思える。

女性を信用できない男性のなんと多いことか。

とても難しい問題です。

ナショナリズム

何をもって日本人というか?

某国の言いがかりに腹の虫が治らない多くの日本人がいるのは事実だし、

私も、間違いなくその一人です。

けれど、

ナショナリズムはナショナリズムで良いと思うのですが、

ちょっと変なナショナリズムになりかけている人達も

いるようです。

大和民族との呼称を使う人たちについてなのですが、

大和民族とは、大陸系弥生人と縄文系の先住民との混血により

(弥生人を中国江南地方の部族と考える方たちもいます。)

今に至る我々のことですが、もう一度書きますが、

我々一般の日本人は混血種です。

もし、その民族性を誇るのであるならば、

四季の移ろいの中に、ものの「あわれ」を感じ

「自然」への畏敬の念を「神」とし精神性と、

代々それを培ってきた美意識の伝統だと私は考えます。

(これが本居宣長の考える大和心(やまとごころ)

大和魂(やまとだましい)だと私は思うのです。)

その繊細さと精神性が技術大国と言われている今を

支え、生み出してきた精神構造だと思うのですが、

如何せん、物の哀れよりも銭勘定を至上とする昨今、

この国の大和魂は年々減退しているように感じられてしまう。

昨今の短絡的な犯罪傾向を見ても、

血統は日本人でも、卑しい外道(げどう)の類です。

この国に生まれたことを誇りたいのなら、

日本人の血統を誇るのではなく、

日本人としての行き方を誇るべきです。

共同体の一人として共に生きる相手への

敬意と優しさを持ち、人であることの哀しみと

喜びを素直に受け入れる生き方こそ、大和心でしょ。

(ちなみに、これは私が自分で勝手に決めたものです。)

面白くないことに暴力で反応しているようでは

「心はガキ、体だけは立派な大人」の類のものです。

(これを盾に人権派の方達は戦っていますが、

罪は罪、罰は罰としなければ、法の意味が無くなります。)

もし、この手の人々がナショナリズを言うのであれば、

目くそが鼻くそを笑う類のものであり、

それこそ、その他の国から見ると双子同士の争いと

揶揄される、似た者同士の醜い姿です。

自分たちの独自性を磨くことこそ、

ナショナリズムの理想を体現する近道です。

日頃の不満の腹いせに、他民族を卑下するのは

大和魂を持つもののすることではありません。



ナショナリズムの名の下に血の純潔を望む人たちが

世界中にいますが、よろしくございません。

一つには同血統内での婚姻の繰り返しは遺伝学的に

生物としての基本的な能力が劣化していくことが証明されている。

もう一つは、

ナショナリズムはある種の宗教と、とても似ています。

教団に逆らうものは、排除され、皆が嬉々として魔女狩りをし始める。

今の、お隣の国みたいなものです。

彼の国の新聞の見出しを見てごらんなさい。

「○旗」や「○教新聞」の記事の見出しにそっくりです。

気持ち悪くて怖気が走る。






日々の生活の中から、物の哀れを育み、静寂の中に自分を見つけ、

生き方を考える時間を、もう少し持つことが必要かもしれません。

もう少し涼しくなったら、ゲームのコントローラーと携帯を置いて

ぶらっと外に出て、消えかけている、何気ない「自然」を

見つけに出歩くのも悪くありません。

老婆心ながら、ちょっとした注意で申し訳ないのですが、

何も、自然というのは樹木だけを言うのではなく、

手を繋ぐ親子の会話、お年寄りの笑顔、

孤独にヒリヒリこわばっている道ゆく人、

無表情な高級車の運転手。日陰に佇む猫。

ゼーゼー舌を出し、散歩に連れ回されるワンちゃん。

これもまた自然の姿です。

どんな喧騒がそこにあっても、

静かに彼等をみつめることができれば音は自然に消え、

なにがしかの感覚が湧いてくるものです。

「旅」によく似ています。

教室ノート

どの世界でもそうだと思うのですが

特にこの世界は基礎が固まらなければ

ほとんど役に立ちません。

このことを昔から「砂上の楼閣」「蜃気楼の宮殿」

「うどの大木」と呼んでいます

多くの推命学を学ぶ人たちの悩みどころが

実はここにあり、秘伝奥伝と言われる教えを

与えられても実践で使いこなせません。

(間違った形で使っているという意味です)

その理由は基礎の芯の部分ができていないからで

逆に言えば基礎ができている人には

占い好きなら誰もが知っている

五行の相生相克でさえも究極の極意として

現れ、蔵干にしても同様これを解釈する基礎を学ばずに

無闇に地支に収蔵される干支に通変星をつけてしまうと

目も当てられないことになってしまう

(四柱推命の学び方として100冊中99冊までに書かれている方法です)

真面目で「感」の良い人が10年20年学び続け

なんとか全体の内容がおぼろげに見え始めた時

なんとなく一本の道が見え始め、これはすごい教えだ

となるのですが、推命学の学識は超一流、

でも鑑定はできないとなってしまう

人間の研究をしていない人には鑑定は無理です

当たる、外れるで結局は終わってしまい

人の成長を促す何らの可能性も提示できません

責任回避の方法 努力せずに金持ちなる方法 

自分の思い通りに他人を操る方法 呪詛等は

私の知る推命学の知る所ではありません

残念ですが推命学の学識を広げるお手伝いも私にはできません

ただ、推命学を通しての「人間」そのものと

自分と他人との関係性に関する研究は得意とする分野です

その成果の肝心な部分は入門の段階から生徒さんには伝えています


最後に門人の方へ

向学心からいろいろな知識に興味を持つのは大事ですが

必ず迷い始めると思います。

迷ったら最初に戻ることをお勧めします。

そして初心を思い出してください。

無題

人はなかなか幸せになれないもんだねーと

改めて、最近思っています。

時代の潮目が変わりつつあるようですが

それらの出来事を覆い隠すように

若い俳優さんの不倫話で、世の中 賑わっていますね

奥さん側に立つ人は、絶対許せるものではないし

亭主側に立つ人は、そのくらいで許してやれよと

大体の人は思っていると思います。

私的には、しょうがないよな。と、

どっちもどっちの感想なのですが、

一点だけ注目して見ています。

世界が注目している武漢の肺炎は

易を立てると、国内では

それほどですが、

中国では長期化する様子が見られ

今回のものは空亡に入り出空する形で

快癒しながらも再発を繰り返すか

全国的に一旦収まったものが

その時期に再びぶり返すのかもしれません

外れることを祈ります。

アメリカの大統領選でトランプが転び

ヨーロッパの最大のパトロンである中国がコケれば

再びの世界恐慌です。

コロナウイルス然り、世界経済しかり

NHKの「いだてん」がコケた如く、

東京オリンピックが幻になる可能性もなくはありません。

平和世界が綱渡りを始めたような

そんな時代になりつつあるようです。

自分の側にいる人達を大事にして下さい。




この記事は2020年1月27日に書いたものなのですが

本日2020年2月21日以下のような記事が掲載されていました

2020年2月21日の報道です。

アメーバニュース


以下は2020年2月26日の記事です 

得卦はやはり間違いなかったようです

 新型コロナウイルスによる肺炎について、中国・広東省の衛生当局は25日、肺炎の治療後に退院した患者の14%から、再び陽性反応が出たことを明らかにしました。

 広東省の衛生当局は25日、会見を行い、新型コロナウイルスによる肺炎の治療を受け、その後、退院した患者の14%から再びウイルスの陽性反応が出たとの分析結果を明らかにしました。衛生当局は、理由について、現時点では研究段階で科学的な結論は出せないとした上で、個人の体質や病状によってウイルスが体内に残り完全に治癒できていない可能性があると指摘しています。

 衛生当局は、陽性反応となった退院患者との濃厚接触者の感染は確認されていないと説明していて、引き続き、経過を観察するとしています。(25日21:21)
最終更新:2/26(水) 0:58
TBS系(JNN)

幕末 篤姫

篤姫(天璋院)1836年2月5日ー1883年11月20日47歳没

    癸 己 乙
    酉 丑 未

80 70 60 50 40 30 20 10
 丙  乙  甲  癸  壬  辛  庚  己
 申  未  午  巳  辰  卯  寅  丑

1856年11月徳川家定の正室となる20歳(1年9ヶ月後家定死去)

辛卯運 丙辰年 己亥月

癸巳運 癸未年 癸亥月 戊辰日 脳溢血にて死没

徳川家定 1824年 5月6日

    辛 己 甲
    丑 巳 申

70 60 50 40 30 20 10
 乙  甲  癸  壬  辛  庚  己
 亥  戌  酉  申  未  午  巳

1858年8月14日 死没 35歳

 壬申運 戊午年 庚申月 己卯日

幕末 皇女和宮

私がこの方の命式を知ったのは京都書院から出版された西澤宥綜先生の四柱推命「命譜春秋」という御著書で今から20年以上も前のことになります。(その内容に関してはコメントは避けます。)改めて元命式を出してみて思うのですが、当たり前といえば当たり前なのですが、京の陰陽寮、またはその配下に、とても優れた、人の運命を見ることができる方がいて、徳川家茂の能力を計り、その上で和宮を嫁がせたと思えるのです。最近の通説通りなら徳川家康が豊臣秀頼の優秀さが邪魔になり滅ぼしたと言われていますが、同じことが300年の時間を経てこの時代に起きたのかもしれません。



和宮 1846年7月3日ー1877年9月2日

    甲 甲 丙
    午 午 午

79 69 59 49 39 29 19  9
 丁  戊  己  庚  辛  壬  癸  甲
 亥  子  丑  寅  卯  辰  巳  午

徳川家茂 1846年7月17日ー1866年 8月29日 没年満20歳

    戊 乙 丙
    申 未 午
  
77 67 57 47 37 27 17  7
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 寅  丑  子  亥  戌  酉  申  未


死没日 1866年8月29日

丁酉運 丙寅年 丙申月 丙子日

時代に取り残される日本

重ねて起きた台風の残した傷は深刻です。

海面温度が1度上昇したことが巨大台風の原因になるならば

来年以降も同じ規模の台風と災害が起きるというのが自明の理なのですが.....。

現代ビジネス

私は基本的に環境団体も、怒りをあらわにする人間も嫌いです。

しかし、世界の金融界が彼女の恫喝で動き始めたことは

この記事を読むと事実のようです。

この動きを軽く見ていると、マスコミも政府も、

特に野党はこれを取り上げなければ無能の謗りを免れないでしょう。

せっかくラグビーWCで上がった「日本人」の株も

一気に落ちる可能性があるように思われるのです。

難しい問題です。実体経済とは違い、

金融経済は雰囲気で動くもので言い方を変えれば

投資家の「心のおもむくまま」数字(金)が動く。

環境問題に努力もしない国に、お金注ぎ込んでもねー。

こんなところでしょうか。

それを言うならPM2.5の中国はどうかといえば、

そりゃ酷いけど、もうしばらくは儲かる投資先だ。

ということで彼らには絶対悪も絶対善もないのです。

(断種までして民族弾圧をしいる政府は絶対悪だと思うのですが

関係はない。お金に善悪はないということですね。)

それもどうなることかわかりません。

猛スピードで時代が変化し、最先端だとされた技術が

数える間に過去のものになっていっている。

さらに混沌とした時代に令和はなりそうです。

言葉

言葉の大事さを意識している人は幸せのタネを

大事にしている人です。なんでかというと

「言葉は心をリードするから」ですね。

心が動き、行動が始まる。

一般的には、この順番を考えるとき、心が言葉をリードし

その次に行動に移ると考えられていますが、

心が言葉を喚起した瞬間は、心は言葉を観察している状態で、

行動自体を規定する力はありません。

実際はそのとき生み出された言葉に対し、

そうだ、その通りだと自分の心を再確認した後から、

行動が開始されます。

つまり、もし、この時点で、「そのまま行動するとマズイな。」と

初発の自分の心を客観視し、損得が判断できれば

自ずと行動は変わってくる。

あまりにも当たり前のことを書いていますが、逆に言えば

これが「自分に正直に生きること」の危うさであり、

同時にそこから解放されるヒントでもあるのです。

このことを「自制心」と呼びますが、

自制心は、こんなカラクリからでできているんだと

知ると知らぬとでは大きな違いがあるのです。

意識すれば自制心は間違いなく動くのです。


積年の恨みから誰かを傷つけるしかないと、決心した時、

そこには別の選択肢がないわけではないことを知って欲しいのです。

前にも書きましたが人は、その時の気分で動く動物です。

そして、大抵、その気分というのは持って生まれた星を

拠り所とし、本質的な自分の利害とは別のところにある。

そこに気付ければ世の中の犯罪は半分以上は無くなる。

だから、

自分にはそうするしかないと決めつけるのは絶対に間違いです。

一歩退いて考えることを諦めないでください。



ついでに書いておきますが、人が本質的に求めているものは

誰かを大事にしたいと思い、その相手に、受け入れられ、

相手からも大事にされ、それが実感でき、誰かに傷つけられることなく、

安全で、衣食住が足り、出来るだけ楽をして健康に毎日を過ごせること。

こんなところでしょう。

このことは、「家族」という単位にこだわらなくとも実現できるのです。

世の中には幸福論が山ほどありますが、その基盤になっているものは

やはりこの範疇を出ないと思います。

その上での名誉であり、財だと思うのですが、いかがでしょうか。



多くの人が幸せになりたいと口では言い、結局は違う選択をしてしまう。

その理由は、どうしても、持って生まれた本人の「気分の傾向」が

ああでもない、こうでもないと心の中で囁いているからであり、

それに気づくことが、

終わりのない旅の終着点に気づく事なのかもしれません。

人生は辛いものです。

「狂った象」の調教について

元農水次官の裁判記録が記事になっています

なかなか凄まじいものです

持つものの不幸とでも言いましょうか

子供は親の勝手な都合で自分を産んだと

主張しますが 親にしてみれば

なんで お前みたいのがこの家に生まれたのか

と嘆くところです。

親子でも夫婦でも人の出会いの逆縁 順縁は

「徳」の問題に終始すると考えられるのですが

徳を積めば積んだで 嫉妬されることが多々あり

徳は陰徳(人に知られずに積む徳)であるべきだとも思います

人の感情というのは 面白いもので

物事がうまく進まない時 常に他人は幸せで自分は不幸である 

その原因は誰かにあると考えやすいもので さらに

運命学の知識のあるものに至っては 持って生まれた星のせいで

自分は不幸なんだと そこから一歩も出ようとしません

運命学というのは 

自分自身の心の傾向と時間の流れとの関係性を記す

設計図のようなもので 過去は変えようがありませんが

未来に関しては変更が効くものなのです

その方向性と払うべき代償を提案するのが本来の目的だと

思うのですが 難しいのは 「払うべき代償」が

大抵は自分にとって一番慣れ親しんでいる心の癖になるのです

他人と自分を比較すること 他人を見下す癖

身近な人に対してでも嫉妬する癖 短気 傲慢 わがまま

なんでも中途で投げ出してしまう癖 恋愛癖 

いつも怒る材料を探して暴れている人 等々

皆が皆 無くしたいと思っている苦悩の

原因そのものかもしれません

これが前にも書いた心に住む「狂った象」の姿です

瞋恚 驕慢 嫉妬 強欲等 いわゆる煩悩そのものです

(これらを全部ひっくるめて無明と表されます)

これらの個々の心の癖に対して

瞋恚(怒り 憎しみ 怨み)に対しては愛を

驕慢(他人を見下すこと)に対しては 平等心

嫉妬に対しては無情を

強欲に対しては既にあるものに対して満足することを

対処療法として提示しているのが仏家の教えになります

その根底には無常ー全てのものは一時的に目の前に

現れているものであり 全てが衰え 消えていく

これが本当か嘘かを追求することを「道」とするのが仏家の

修行だと思うのですが........。

これが「狂った象」の調教法です

自分自身の人権を侵害されているのであれば

怒るのは相当な態度ですが 怒りのきっかけは

相手だけなのか?怒りほどエネルギーを浪費する真剣な

行為はないのですが 

相手にはそれほどの価値があるのか?

今 目の前にいない相手に怒っている 

この時間は無駄なのではないのか

そこになぜ 自分は執着しているのか

相手への執着は自分へのこだわりなのではないのか

それは自尊心 プライド?それとも損得感情

相手との優劣が決まらないもどかしさ?

ああくだらない。と怒りを手放すことができるように

なるまで心を訓練し続けることです

これは一朝一夕ではできない芸当ですが

妙なマジナイやグッズよりも確実に結果は出ます

せっかく得た人の体です ご自分を大事に扱ってください。



最後に 

子供への愛情を金銭に換算して与えることは

子供を腐らせるだけです やってはいけません。

子供に必要以外のお金を見せてはいけません

親の愛情をお金で測るようになる子が

間違いなくいるのです。

子供にお金で見栄を張ることを教えてはいけません

金で愛が買えると勘違いします

これは親の生き方にも通じることです

心の貧しい人になります


男も女も子供も大人も同じです 

自分が相手のことが解るように

相手もまた貴方のことが分かるのです

幕末 謎

大久保利通の命式を出したら坂本龍馬の命式を思い出し、桂小五郎の命式を出してみたら、この命式、大久保利通さんと良く似ているなと.....。

坂本龍馬とお二人の日干の干合についての感想なのですが、起きた現象は真反対で、桂さんは坂本さんを絶対的に信頼し、大久保さんは龍馬暗殺の影の首謀者とまで後世で言われることになりました。

近江屋事件 龍馬暗殺

1867年12月10日 龍馬31歳 乙酉運 丁卯年 壬子月 甲子日


坂本龍馬 1835年1月3日

   庚 戊 乙
   子 子 未

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 巳  午  未  申  酉  戌  亥  子


木戸孝充(桂小五郎)    34歳

1833年 8月11日

   乙 庚 癸
   丑 申 巳

71 61 51 41 31 21 11  1
 癸  甲  乙  丙  丁  戊  己  庚
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申

大久保利通 1830年 9月26日    37歳

   乙 乙 庚
   未 酉 寅

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

幕末 思想家2

幕末の歴史にはほとんど出てきませんが

孝明天皇、明治天皇の信頼が厚かった儒学者の方であり、

尊王攘夷の精神的支柱となった方です。

佐久間象山と比べてみてください。


中沼了三1819年9月6日−1896年6月7日

     丁 壬 己
     丑 申 卯
 
89 79 69 59 49 39 29 19  9
 甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
 子  牛  寅  卯  辰  巳  午  未  申

推命学の行き着くところ

「四柱推命」をある程度極めてくると、

生命の摂理のようなものが見えてきます。

その姿は単純に言えば生命の循環。

別の角度から見ると、苦しみの因果関係となります。

五行五気など実に非科学的なのですが、

その理論を実証実験すると確実に再現性があるのです。

ただ、この五行五気を表面的に解釈をしているうちは

どうにもなりません。例えば、自分に必要な五行が

「金」に属する場合、金属製品を身近に置いたり、

身につければ良いのだ等の稚拙な発想です。

どんな人でも確実に冷えからくる病の原因を自ら生み出すことになるし、

中には味覚で言うと「金」に属する五味は「辛いもの」だから

唐辛子をいつも、食べています。という、なんとも、

可愛い人たちも多々います。

(私の知人は、このことを「易凝り」(えきこり)と言って、散々バカにしていました。でも、仕方ありません。ほとんどが独習者または初学で奥の勉強をしていない人たちですから。)

話を元に戻します。

五行五気の理論でいうと人はそもそも五行全てが完備している存在です。

例えると、あらゆる人が万華鏡を持っていて、

その中に5種類の「いろがみ」が同じように入っているのだけれど、

光の加減と、振動で千変万化する彩(いろどり)の変化を

人生において見させられているようなものなのです。

この意味で人は実に平等なのですが、

残念ながら、光源と万華鏡自体の耐性により、

見える景色が著しく違ってくる。

この意味では運命はある程度決定していると言って良いと思います。

ただし、私の見る限り、「運命の縛り」というのは、

実は、それほどキツくないのです。

ただ、このカラクリに気づくことが何よりも難しい。

そして、なんと言っても、人の運命は、

その本人だけしか変えようがないのです。

昔も、今も、子を思う親、夫を思う妻等大事な人のためならと、

宗教団体に入って、一生懸命神頼みをする人達がいます。

良い行者さんは、信者さんの業を一生懸命浄化するために、

お名前の書かれた、襷をかけて滝行をしたり、

祈念を込めたお札を前に勤行していらっしゃいます。

それで良いのだと思うのですが、多くの信者さんが

その「おかげ」をもらえずに落としている。

なぜかというと、

お金で業を浄化できると勘違いしているからです。

学びも一緒なのですが、「法」を買っていると思った瞬間、

全てが水泡に消えていく。

運を変えることもこれに似ている。

結局、その人に真心(まごころ)がないと、何も変わらない。

実に、これが真理なのです。

教室の生徒さん達には説明しているのですが、

このことの根拠になっているのが「順逆のサイクル」なのです。

いろいろなところで十善業について書いていますが、

簡単です。

常識の範疇で、できるだけ良いことをしなさい、

自分がして欲しくないことを、他人にしなさんな。

ただこれだけです。

逆のサイクルを回し続ければ、人も国家も

崩壊します。

逆のサイクルとは他(人)に敬意を払わない姿

順のサイクルとは他(人)に敬意を払う姿。

(「敬意」の単語を使っていますがオブラートに包んだ言い方だとご理解ください。)

誰かを憎む教育は結局、それが国の方針であれば、

その国が滅びます。

お隣の国など崩壊の道を一目散に目指しています。

国内でも最近、そのような幼稚園が話題になり、そして滅びました。

日本が神国ならば、その精神は「和を持って貴しとなす。」です。

これは絶対です。

「美しい国日本」ではなく、「美しい国にしていきましょう。我々の手で。」

これでなければいけないと私は思うのですが..........。

あまり過激なことを書くと、生徒さんから、

「最近更新がないけれど、脅されたんですか?」と、

また心配されてしまうので、このくらいにしておきます。



「美しい国日本」のスローガンには過去を美化する意図がぬぐいきれません。正直、明治維新以降、天皇制を国体とするための国家神道政策は愚にもつかぬ愚業でした。寺社への資金を断ち、仏像を破壊し神木を叩き売り、銭ゲバを奨励し、また、国家主導で財閥は大陸でアヘンを売買し、列強に対し、悪には悪で対抗する仕方で渡り合った。その結果の支那事変であり、太平洋戦争です。

幕末 朝廷

テレビドラマでは軽くしか出てこない、なんとも言えない所が、やはりあるんですね。上級のお公家さん達と、徳川さんや有力大名さんたちの婚姻関係は当たり前だったようですね。


関白 鷹司政道1789年8月22日−1868年11月29日

この方の正室の徳川清子の弟が水戸藩主徳川斉昭で、その息子が15代将軍徳川慶喜です。

    丙 壬 己
    戌 申 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 乙  丙  丁  戊  己  庚  辛  壬
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申
  



岩倉具視1825年10月26日−1883年7月20日

このかたは、なんともかんとも曲者です。

    己 丙 乙
    亥 戌 酉

76 66 56 46 36 26 16  6
 己  庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙
 卯  辰  巳  午  未  申  酉  戌


孝明天皇1831年7月22日ー1867年1月30日36歳

この天皇を新政府側が扱いきれず謀殺した等々、その死に諸説が噂された方です。

性格的には、曲がったことを嫌い、不正義には激しく抗する方ですが、取り巻きに苦労ばかりかけられるような姿です。組織の長としては清濁併せ呑む度量はありません。

    甲 乙 辛
    午 未 卯

75 65 55 45 35 25 15  5
 戊  己  庚  辛  壬  癸  甲  乙
 子  丑  寅  卯  辰  巳  午  未

夫婦

プレジデントオンライン

こんな記事を読むと家庭を持つより、

一人の方がどんなにマシかとなりますね。

その通りだと思います。

「妻」を「夫」と置き換えても、ありうる話です。

どうしてこうなってしまったのでしょうか?

生徒さんは考えてみてください。占いでも、運勢鑑定でも

この方達の例のように壊れてしまってからでは元には直りません。

人の不幸は気持ちのいいものではない。

知り合いに同じような状況の人がいたらアドバイスしてあげてください。

1、そこに至るまで、必ず予兆があったと思います。

その予兆から、相手は何に不満を持っているのか?を判断することです。

この事例のような場合、多くは「亭主」が頼りないというのがその理由になり、

特に、優しい夫の場合「頼りない」が憎悪に変わり、

見るのも嫌となってきます。

この例では、ご主人の「優しさ」が最大の原因です。

対応策ですが、初期段階の場合であれば、

威厳を持って「お前、ちょっと待て、少し話ししようと」

子供のいない所へ連れて行き、ストレスの原因の話をさせ

妻のガス抜きをすることです。

ただこれは、まだ、話ができる間の対処法で、

初手でしか使えません。

もし、話さえダメまで進んでいたとしたら、

早めに離婚の話をすることです。

この事例の場合は一番の問題は子供に対するネグレクトですね。

早期であれば、お腹を痛めた子供達です。

母親としての母性が目を覚ますかもしれません。

彼女の職責のストレスと母性の戦いになるとも言えるのですが、

これは目覚めさせるキッカケ作りとしての賭けです。

父親が賭けから逃げれば、子供達の苦しみは永続します。

それでもダメなら、子供中心の離婚調停をしてください。


日本は男社会と言いますが、逆に言えば、

男はそれなりのリスクを背負うべき存在と女性側からは

見られているのです。

言葉通りの「雄々しいもの」を期待されているのです

男性はそのことを自覚しなければなりません。

女性の求める期待に応える努力をしなければいけません。


この夫婦の場合であれば、課長に昇進し、

仕事で落ち込んでいる時、仕事のことはわからないけど、

大丈夫かと強く抱きしめ、妻が子供に切れた時、

(幼い男の子です、怪獣です。時々切れるのは当たり前です。)

夫が子供をしっかり叱っていれば、だいぶ違う夫婦になっていたはずです。

結婚というのは、深い深い縁によっています。

順縁だろうが逆援だろうが人生の学びの場です。

そこで起きる出来事の原因から目を逸らしてはいけません。

なぜなら、それこそが自分が他の人に一番見せたくない所だからです。

3月16日 2020年 無題

マスコミの善意が世の中というか、世界中のストレスを

加速させているようです。その一つかもしれませんが、

こんな記事も出始めました。ビタミンC点滴の実力

ビタミンCの療法についてはノーベル賞を

2回受賞しているポーリング博士が有名ですが

彼は93歳で前立腺癌で亡くなっています。

絶対ではありません。くれぐれも過信せず

予防のために試すのも一法です。

年の瀬

年の瀬も押し迫り、そろそろ

色々今年の反省をしなければなりません。

まず、

今年一番の反省はやはり「失せ物」を外したことです。

的が小さい分、難しいところがあります。

そこで断易占いに関しては、

的中した場合にのみ料金を発生させることにしました。

次に、

私は対面鑑定を「一期一会」の機会と考え、出来るだけの

情報と改善策を述べていたのですが、それを消化するためには

かなりの時間の経過と労力が必要なようです。

今年の中頃からそれに気づき、

「自分を知るための入門講座」という形で、

お伝えする「こちらの言葉の根拠」を自分自身で学んでもらい、

人生の迷いを解消し、

自分の目の前にある選択肢を確信を持ってを選ぶことができるよう

講座を開講したのです。結果は間違っていなかったようです。

そこで考えたのですが、対面鑑定について、初回は現状の料金とし、

2回目以降は、それぞれの半額とし経済的な負担を軽減し、

状況に応じた二の手、三の手を打てるようにしたいと考えています。

もちろん、電話鑑定やメール鑑定にてご連絡くださっても結構です。

(ただし、恋愛の「復縁」に関するものは、こちらの消耗も激しいため除外いたします。)

色々書きましたが、洗心庵の一番のオススメは

「自分を知るための入門講座」です。

ご自身の問題を述べる必要はありません。

ただ、ご自身の生まれ持った星の

(四柱推命の視点から見た)正確な構成と解釈を理解できれば

現状で起きている事柄への理解が深まります。


そして、

この現状への理解というのが最も大事なキモになる部分なのです。

それは、現在起きていることの本質的な理由が見つからない限り、

人の心というのは、迷い「自分だけが世界で一番不幸だ」となるのです。

しかし、その原因が理解でき、起きている事態の必然性がわかれば、

迷いはなくなります。

「なぜ自分だけが?」ではなくて、

そうなんだから、しょうがない。それじゃ、どうしよう?と

過去を一旦、完了できる可能性が生まれてくるのです。

どこかで書いたように、これが、

「生まれ持った星に操作されない人生の可能性」ということになります。

「自分自身を知る」最善の方法だと思うのですが、

如何に。


ついでに書いておきます。

セミナーや、なんとか講座の先生方は、結構ヨイショして、褒めながら生徒のやる気を出すのに、先生は人の内臓ばかりを見ているようだと、生徒さんに言われたことがあるのですが、こちらは、できれば良医でありたいと願い、講義を行なっております。悪しからずご了承ください。

大林宣彦監督

この記事を見るまで大林監督が

ガンであることを知りませんでした。

文春オンライン

この監督の作品には思い出があり、

当時の友人に吉祥寺の小さな映画館に連れて行かれ

「廃市」とい作品を見た記憶があるのです。

青春の1ページです。

そんなご縁で記事を読んだのですが、

死と向き合うこと。生を見つめること。達観すること。

なかなかできることではありません。

日本人の二人に一人が癌にかかり三人に一人が癌で亡くなる時代。

人生悔いなく50を過ぎたならば元気な時間を

大事に使わなければいけませんね。

天人合一3

持って生まれた星の中の「競い合う星「が

強く作用する場合、実に面白い現象が起きます。

その一つが、子供の頃から勝ち負けにこだわり、

大人になっても、それをやります。

基本的なコミュニケーションの取り方が「争い型」となり、

負けず嫌いが向上心に化ければ言うことがないのですが、

特に問題になりやすいのは夫婦関係に関してで

妻にこの星があると、

自覚することなく夫や子供は自分の持ち物で、

他の奥さんと競い合うためのアイテムの一つになります。

「他」と書きましたが、自分の兄弟や親戚、身内を含め

全ての自分以外の人たちとの比較という意味で、

いわゆる夫自慢、子供自慢となり、

他人の子供や夫の情報が上のように感じ始めると、

途端に、うちの連中は情けない、頼りないとなり、

心に秋風が吹き始める。

(このように運勢にスイッチが入るキッカケが必ずあるものです。)

これが長く続き、いつまでも心の中の秋霜秋雨が晴れなければ、

家庭崩壊につながります。

DV

家庭内暴力による痛ましい事件がまた起きてしまいました。

今回は恫喝に怯えた大人たちの責任です。

子供を守るよりも自分を守ることを優先させてしまった。

どこの自治体も、組織も、基本、恫喝には弱いものです。

例外は恫喝慣れしている厚生省関係と警察、

検察関係くらいのものでしょうか。

恐怖というのは個人ではどうにもできません。

制度として言葉の暴力と戦わないと、多分これからも勝てないでしょう。

我々は平和慣れ(ボケ)してしまっているのです。

この公務への「恫喝」に対するマニュアルを至急作らなければ、

同じことがまた繰り返されます。

この子達が将来の日本を背負っていくのです。

大人が逃げていては子供は、まともに育ちません。

子供の自殺についても同じです。

誰かが、そこに踏み込まないと、どうにもなりません。

多分多くの先生方が、日々、取り組んでいるのだと思います。

しかし、全てが成功するわけではありません。

子供の安全を完璧なものにするために、さらに大人達は

考えなければなりません。

さらに、言えば、その大人達の絶対数が足りていないというのも

現実の話です。労力の不足をマンパワーで補うというのがコストを

管理する偉い人たちの言い草です。

個人の負担が限界にきている。本当によく聞く話です。



議員さん達は、国政に無駄な弾を打つのではなく、

こちらを狙ってください。必ず株が上がります。

ちょっと、軽く、秘密を漏らす。自分で見つけたんだからいっか。

何ともかんとも、10善業なんて、いちいち覚えるのは

「めんどくせー」という人も多いでしょう。

でもね、一言で言ってしまうと

「他人に対する思いやり」ということなんです。

いつかどこかで教わったことですね。

ただ、「どうして、他人のことを思わなければならないの?」

「思いやりって、何?」と問われて答えられる人は

少ないかもしれません。

「思いやり」って、最近流行の言葉で言うと

「忖度」となります。「そんたく」ですよ。

野党の先生方は悪い意味でしか使い方を知らないようですが、

相手の心を考える、相手の心の痛みに同情すること。

相手の立場になって考えること。

他人の心の痛み、苦しみ、悲しみ、どうしようもない状況に

何とかならないかと、心だけでも一緒にもがくこと。

同情、慈悲、哀れみ、愛、

(だんだん宗教がかってくるのでこの辺でやめましょう。)

最初の質問に対する答えは、

「他人を思いやることによりコミュニケーション能力を

高めるため。」です。

(どうでしょうか、お坊さん達が説く10善業とはだいぶ違う解釈ですが納得できますか?)

他人を思いやることのできない人は、どんなにインテリさんであっても

必ず孤立していく。

あなたのそばにも必ずこのような人がいると思います。

思いやりのない人=自分を最優先する人達ですが、

基本、この人たちは自分に対して忖度がないと

怒り始めます。怒りやすい人からは自然に人は退いていきます。

さらにこれが常態になると同じような人とのご縁が結ばれてきます。

(生来、怒りの星がなくとも、その感情が常態になれば、怒りの星を自分で育てたことになり、同じ現象が起きてきます。すなわち、怒りのスイッチが入りやすい環境が自ずと生み出され、対象になる相手、または集団、組織等と密接につながった「界」が生まれます。)

ご本人は他人を忖度することができないので実に自然に

対象を罵倒し時には暴力を振るう。

もし、話題になった女性の議員さんが秘書さんに思いやりの心を

持てていたら、全く違った姿になっていたと思いませんか?

つまりですね、思いやりの心というのは運を崩す感情を停止させる、

いえいえ、さらに怒りの感情を変容させ、さらに善化する特効薬であり、

「忌神」に対しての唯一の薬なのです。

ただ、万能かというと、時間をかけて練り上げねば忌神の毒には対処できません。

わかりましたか。時間をかけ練り上げる努力が必要なのです。

(嗚呼、ついに、みんなが嫌いな努力が出てきちゃいました。子供の頃から習慣として身につけてしまうのが一番楽なのですが、如何せん、他人と比べて優位か下位かが自尊心の基準として教育されてきた教育制度の上に我々は育ってきたのだから、思いやりなんて無いのが当たり前です。60代70代のジジババをみてください。自分さえ良ければの、業突く張りばかりです。だから、残念ですが、意図して積み上げる努力をしなければ身につかないのです。)

運を良くするために、あれやこれを学んで右往左往するのも人生の勉強です。

この「他人を思いやる心」を肝に命じて行えば、

どのような方術であれ、スピリチュアルな何であれ、

成果は出ると思います。




今年の流行語大賞になったら面白いですね。

この「そんたく」。

精神世界

厳しい苦しみや不幸、トラブルに見舞われたことが切っ掛けで

自分を変えたい、変わりたいと精神世界に興味を持ち

纏わりつくような「漠然とした苦しみ」を癒してくれる

「何か」を探し始める人達がたくさんいます。

それでは、そちらの方向に舵を切った人たちが

幸せになれたかと言うと、ちょっと疑問符が打たれますね。

なぜかというと、

運勢上の不運以外は、たいていの場合

その人の精神性とは関係ないところに原因があります。

仕事のトラブルの多くは準備不足や職能が未熟だったことが

原因であり、夫婦間のトラブルは一緒に暮らし始めたら、

お互い、または一方が、

敬意を持てない相手であったことに気づいてしまったこと。

また、専業主婦の場合であればプロ主婦としての

職能についての問題です。

解決法は、仕事であれば、最低でも3年間、忍耐強く仕事を覚え、

お客を覚え、仲間を作る。そして3年目、それでも仕事が面白く無いのなら

転職を考えることです

夫婦であれば、時間を切ってお腹にためたことを全て話し合い、

その上でお互いが自立するのか、努力し合うのか結論を出せば一旦は

お互いの人生は完了します。



ところがある種の人たちは様々な問題が起きた時、

問題の本質を解決する努力を二の次にし、

精神世界に行ってしまう。「自分を変える」と仰る。

これは皮肉です。(私自身の自虐でもあります)

なぜ、こんなキツイことを書くのかというと、

このての宗教や啓蒙セミナーの食い物にされている

人たちをたくさん見ているからなのです。

人生は食べなければ終わる。生きるために働き

食べるために代価を得ているのです。

だから優先順位で言えば、生きる努力を第一とし、

良い人になる努力は第二で十分です。

是非、この辺りの区別をしてください。

目の前のなすべきこと、日常の義務と努力を放棄してはいけません。

それが生きることであり一人前の大人になることです。

その努力こそが結局は自分の精神性を向上させることにつながる。


もっというなら、

そのてのお商売をしている方に怒られるかもしれませんが、

あなたの心の中に、すでに、神も仏も住んでいる。

目先の困難から逃げているから、それに気づけないだけです。

信じられませんか?

具体的な現象で説明します。

与えられた仕事をやり通してください。それが成された時、

自分の内側から、時には、そばにいる誰かが、「やり遂げた。」

「頑張ったね」と声をかけてくれるはずです。

すると、なぜだか、

胸の中に暖かく、優しい気持ち、感謝の気持ちが湧き出してくる。

こんな体験をした人は多いと思うのですが。

それが、あなたの中にある仏さんの心です。

私はそう信じています。

(屁理屈が好きな皮肉屋の人は長期の緊張が解ける事による

ホルモン物質の如何の斯うのと説明をつけるかもしれません。

これは恋愛を科学で解釈しようとするモテない人のヤボです。)

でも、こう考えてみてください。

いたるところに仏や神がいるのであれば、

この世の中も捨てたものではないと。


平成の世、未曾有の災害がなんどもこの国を襲いましたが、

その度に災害ボランティアの人たちが立ち上がってくれました。

現地の人にとっては彼等は神であり、仏の救いだったはずです。

(仏の使いとか神の使いとか言っていません、

まさに神であり仏そのものと言っているのです)

宗派仏教の方達は仏を超能力者のように定義していますが、

この点をオウムのような連中が超能力で射幸心を煽り、

本来の仏教を汚し、濁らせてしまった。そうゆう意味では

私の言う仏さんは、もしかしたら、知性的な人には

「偽善者」として見えるかもしれません。

これにも一理あり、もし、その行為を自分宣伝に使ったとしたら

唾棄すべき偽善者です。しかし、多くの人は、

ただ、助けたい、力になりたい一心で活動していました。

それをできる可能性を我々の誰もが持っています。

それを「仏心」と名ずけたら専門のお坊さんに

怒られるかもしれませんが、それでいいのだと思います。

是非、現実から逃避せずに自分の中にある仏心を見つけてください。





これから社会人として巣立つ学生さん達、

世の中は甘くありません。

学歴や、容姿の良し悪しでは評価してもらえません。

仕事ができなければ、「使えないやつ。」としか言われない。

かえって学歴や容姿がいじめのネタにさえされてしまう。

まずは戦うべき相手は甘えることに慣れた自分自身になります。

満身創痍になるまで戦い疲れ果てた時は洗心庵をお訪ねください。

歓迎いたします。

心の形

最近生徒さんにはよく、こういうことを言っています。

「人の思考というのは最初からある程度プログラムされていて、

環境と教育でそれに幅が生じ、

その幅こそが人の持つ「自由度」であり、

命式には表れない家の「徳」です。」と

「思考は実現する」と一度は誰もが聞いたことがありますね。

「引き寄せの法則」にしても、内容は全く同じです。

多くの人が恋愛成就お金儲けや願望実現の方法だと思っていますが、

これ、勘違いですよ。

思考が実現するというの間違いありません。

だから怖いんです。

思考は実現する。

「思考」というのは「心の動き、形」のことですね。

心の形が「現実化」「顕在化」するということですね。

それでは、自分の心の中にマイナスの思考が

芽生えている場合はどうなのか?

どうなんでしょう?

理論通りならば、「それ」が現実化します。

実はこれが生まれ持った「運」があまり良くない人の

思考パターンなのです。そしてほとんどの人は、

本人にしか分からない、不平等、差別感や疎外感による

怒り、悲しみ、妬み、恨みと誰もが持つ感情ですが、

この「傷」が時間を経ると言い知れぬ劣等感として

変化し、大事な時に鎌首をもたげる。

恋愛の相手を選ぶ時など典型的で、

自分の中にこの傷があると、それに似た傷を

持つものを自然に求めてしまう。

同病相憐むのことわざ通りに、

自分の心を理解できるのは同じ傷がある君だけだよねと

心の深い部分(傷の部分)で惹かれ、

結果は、苦しみの掛け算として終わることが多い。

(心の奥深くある劣等感が似たものしか選ばせない。)

同じような恋愛で、何度も傷ついている方達の一つの心の形です。

じゃあ、どうすればいいのか。少しづつ考えていきましょう。

恋愛するならどんな人がいいですか?

一緒にいると安心できる人、楽しい人、ドキドキする人、

尽くしてくれる人、リードしてくれる人、尊敬できる人、

可愛くて尽くしたくなる人、自分を輝かしてくれる人。等々

運勢の相性で見ると結ばれる男女の仲は本当に不可思議です。

占術家の中でも言わない人が多いのですが、

相性の良さと運の吉凶は全く別ものなのです。

けれども中には、努力を伴えば、お互いの運を

補い合える運勢同士の方達もいる。

だから、まずは今パートナーがいるのであれば、

その人を大事にし、これから探すのであれば、

自分のビジョンを明確にし、マイナスの心の使い方を

極力避けることです。

運の良い人の生き方を真似るというのも一つの方法です。

この方達はマイナスの感情の処理がとても上手なのです。

だから、すぐに「次」の行動が取れる。

人の心は、使い方次第でかなり大きな仕事がこなせます。

そのためには自分を捉えて離さないプログラミングされ、

パターン化した心の動きから自分を解放し、幅を広げることが

一番の早道です。




先月の22日から日運で専旺干支が10日間巡り、

今日から年が変わり、月運で専旺干支が巡っています。

世の中というより、ご自分の身の回りの身近な人の変化と

ご自分の中の心の変化をよく観察してください。

自分を捉えている運勢のなにがしかに対する気づきが生じやすい

運の回りになっています。

歴史

陰陽五行説が中華の歴史に初めて登場するのはいつ頃からかと

調べていたのですが、陰陽思想は三皇五帝時代の伏犧、

五行思想は夏王朝の禹からというのが

定説のようです。それはいつかと問われれば、

今から4000年前とも、

もっと前とも言われています。

夏王朝の痕跡はあるらしいのですが、

紀元前21世紀から紀元前16世紀に成立していた王朝とされ、

それ以前が三皇五帝となります。

その次からが我々にもなじみが深い殷王朝となります。

有名な甲骨文字ですね。

そしてこの甲骨文字こそ卜占を記録したものなのです。

上野の古代中国展で実物を見たことがあるのですが、

内容は狩に行く、獲物は取れるか?的なものだったと記憶しています。

当時の占いは神に真意を伺うという意味で、

極めて厳かな儀式の元に執り行われていたはずですが、

内容はこんなものです。

今の世とあまり変わりませんね。

それでは四柱推命はというと、

殷が滅びた年代から数えても二千年後の1100年代

南宋の徐子平により現在に至る形が編纂されたと

言われています。

(もともと四柱推命という呼び方は日本で作られたもので、松本義亮先生によるものです。国会図書館のデータベースはもう紹介済みですね。)

これを完成させたのが1368年元朝を滅ぼした朱元璋の軍師であった

劉基(劉伯温)であり『滴天髄』(てきてんずい)を著し、

最も権威のある推命書の原典とされています。

このように現在「四柱推命」と呼ばれるものは

陰陽五行説が生まれてから2200年かかって完成され、

650年の月日を経て今に至るというところです。

しかしその内容はというと、

流転する時代と、それを解釈する先生方の人物により、

実に様々な姿に変化し、時に名称を変えらてきたのですが、

陰陽五行、十干十二支の基礎理論を変えるほどの人は

現れませんでした。

この辺りが実に面白いと私は思うのです。

式神

昨日、面白い体験談を聞いたので書いておきます。

昔からの友人なのですが、ある先生について方術を

学び始めたとのこと。最初はいい感じだったのですが、

急に音信不通になり、気がついたら、

羅盤の針が動かなくなっていて、

どうしたものかと易をたてたら、どうも式神を放たれたらしい。

どうしよう。という相談でした。

何か起きた?と聞いたら、実は家族に病人が出て、

身近な人にもトラブルが........。とのこと。

私にも、かつてある方の相談を受けていた時

方位磁石の針が目の前で、ゆっくり、くるーっと回った経験があり

例のアレかと合点がいったのですが、

彼が持ってきた羅盤をバコンと叩くと、

小さな白い雲のようなものがヒュッと現れ、消えて行きました。

彼にも見えていたので、気のせいではないと思います。

すると、面白いもので羅盤の針は元に戻ったのです。

その先生に何かしたの?と聞くと思い当たる事はないとのこと。

式神は?と彼が聞くものですから、そんなもの無いと

とりあえずは言ったのですが、困ったものです。

この類の呪詛は放った人に戻る。観音教にある通りです。

何かを誤解されたか、

こちらにはわからない「失礼」があったのだと思います。

本当の実力者は表の世界には現れません。

まして私のようにおしゃべりでもありません。

そして、その力は想像を超えるものがあります。

彼には縁を切られたのだから、おとなしくしていたらと

答えておきました。

方術の世界は怖い世界だと改めて思いました。

(方術の世界と書きましたが、そんなものを使わなくとも、人の意識は意図せず対象に届くもので、理性では割り切れない人の感情をより複雑にする要因になっています。ダースベーダーになってはいけませんね。)



私も昨年暮れから風水の研究を始めたのですが、

学んで良かったと思います。(これも方術の部類ですね。)

河図落書の実際の使い方を知ることができました。

まだまだ表面的かもしれませんが、その内容が深淵で

かつ単純であることだけは理解できます。

そして伝統的な推命術の多くが、やはり同じ原理で

解釈されていることにも当然ですが、行き当たり、

実に新鮮な思いです。五術の先生方の考え方がよくわかります。

そして同時に正しくない情報の元に生まれてしまったものに

対する、なんとも言えない思いを持ちました。

まあ、昔から実際にこの手の占術を使う罰当たりな

人達をたくさん見てきていて、

まっすぐなものを、自分流にひん曲げたのか、

理解できない部分を捨てたのかどうかわかりませんが、

今の世の中、実績を積んだ海外の権威と呼ばれている人たちの情報が

たくさん出版されています。素直に現実を受け入れ

切磋琢磨する気概を持つことが大事なのではないでしょうか。

四柱推命

四柱推命奥義秘伝録

私の知る限りでは日本の四柱推命の歴史はこの本から始まっています。

桜田虎門先生等々ありますが、やはりこの本ほど一般に

影響を与えたものはなく、

出版年月日は明治39年4月 西暦1906年となります。

阿部泰山先生のものを探すと1913年矢島誠進堂書店から

四柱推命学大奥極秘伝とあります。

京都書院から出版されている阿部泰山全集は古いもので1954年となり、

松本先生の秘伝録が阿部先生の研究対象資料の一部であったことは想像に難くありません。

(泰山全集との差異に関しては各自で当たってください。)

ただ、ここで言わねばならないのは、

残念ながら松本先生の秘伝録4巻冒頭にある

「財、官無き者は格によって吉神を見出す」等、

「財、官、印」を吉星と確定したことが、

その後の推命家を目指す方たちの呪縛となっています。

現代の正統な泰山流諸派は基本的には適天随に

記された星の力量判断が鑑定の基礎となっており

格局法は使いません。神殺もほとんど使いません。

最近は大陸の先生方にも格局を使わない流派が現れ

的中率の高さが謳われているそうです。

どのような流派とご縁があるかは、やはりご本人の

考え方、生き方と響き合うものです。

人生に迷える方たちが良き師と出会えることを切に願ってやみません。







共に国会図書館の一次資料をリンクしてあげてありますので各自自分の目で確認してください。

3月14日 2023年

昨年暮れから訃報が重なり、今年に入ってからも

訃報が重なり、生老病死の苦しみと残された者としての

意味を考えさせられる最近です。

しかし「意味」なんてないのでしょう。

順番に、時にイレギュラーに鬼籍に流され、

循環のサイクルの中で似たようなことを繰り返す。

時々慰霊の花を生けるのですが、それもまた数日で

枯れて行きます。

そうであっても昨日よりは「できること」を増やし、

自分に「やり遂げました。」の花丸をつけられるように

したいですね。


以前として戦争が終わる気配はありませんが

日々春めき、花冷えが繰り返され、暑い熱い夏がまた来ます。

人生に備えましょう。

ボヘミアンラプソディー

今日「ボヘミアンラプソディー」を観てきました。

私の中では未だに、ビートルズとクイーンを超えるバンドはいません。

「命式研究」にメンバーの命式をあげておいたので、

生徒さんは、しっかり研究してください。

映画のストーリーに流されないよう鑑定してください。

個々の立ち位置と彼の持つ「孤独」の意味がよく理解できると思います。

観音さんの話 1

最近、観音さんの話を聞く機会が何度かあり

やや、困っています。

何を困っているかというと、

観音さんを信仰し、お経もあげているのですが、

他力本願のどが過ぎる。

このお経を作られた行者さん達の

「真意」はどこにあったのでしょうか?

なんともかんともですが、

観音経に書かれている功徳の凄さに、

「我欲」が先走り、一番大事な語句が見えているけど、

見えないのかもしれません。

(毎日読経していてもです。)

そして、それをはっきりという方も、

あまりいらっしゃいません。

しょうがないので、ちゃんと書いておきます。

普門品第二十五偈のこの部分です。

神通力であらゆる苦難を救う場面が描写され

種々諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅と

どんな境涯にいる、生きとし生けるものの、

根本的な苦しみの原因である生老病死の苦しみが

悉く消えていく。と仏教の核心部分が説かれ、

さらに、

眞觀清淨觀 廣大智慧觀 悲觀及慈觀  常願常瞻仰

と続きます。

多くの訳では観音さんが清浄な心で、広大な知恵の心で、

慈悲の心で衆生を見守っているとされていますが、

それだと、

「常願常瞻仰」は誰が誰に対して仰ぎ見るのかの

意味が不明になります。そう思いませんか?

しかし、もし、

この句が信者さん達への観音さんからのメッセージだと

解釈した場合、

信者さん達に対して、

常に清浄なる心を持って日常を過ごし、

仏の広大なる知恵を保った生き方をし(教えを学び、守り)

慈心と悲心を以って隣人を含めた生きとし生けるもの

全てに接し、常に私(観音)を信仰すれば.........。

それまでに説かれた功徳全てが成就するだろう。

となります。

どうでしょうか。

神仏からの一方的な御加護を求める信仰も信仰ですが、

信じる菩薩さんや神さんに自分を近づけようとする

ことも信仰です。この辺りが見えてくると

他力本願と自力本願が見事に融合したお経ということ

になります。


観音さんのメッセージ、

届くといいのですが.......。



ちなみに、仏、菩薩の説かれた教えの根幹は

根幹の教えとなります。

占い愛好家の皆様へ

前から気づいていたのですが、やはり注意喚起が必要なようです。

素人の方が友人知人に独学で学んだ占いなり鑑定法を

使う場合、決してネガテイブな事柄を伝えてはいけません。

ネガテイブな記憶のある人にとっては100パーセント

強い暗示として作用します。

星の持つ二面性の理解なく一概に凶と判断した場合、

その時点で順運が回ってきていたとしても、

暗示の作用で自らマイナスの作用の方に傾いていきます。

(人の心の持つ力というのは巡ってくる吉運を跳ね返すほど強く、

他人のたった一言で崩壊するほど弱いものなのです。)

そして、もし、実際マイナス現象が起きた場合

必ず、その結果はそれを言った本人に戻ってくることを肝に命じてください。

プロの世界でも、いわゆる、なんちゃって占い師の方がこれをやり、

(確立した理論も技術もなく、なんとなく「当たる」ところから占いの世界に入った方達のことです)

積もり積もって心を病んでしまった方達が何人もいるのです。

だから、やってはいけません。

こんな素晴らしい星を持ってるじゃない。

あなたの中には、こんな可能性があるよ、

苦しい運も動いているんだから、いつかは終わるよ。等々

誰かに勇気を与えたり、元気付けるためだけに使うのは構いません。

是非喜んでもらってください。

良い使い方をしてください。

(ただ、占った結果には責任が伴うこともお忘れなく。)

教室

新しい生徒さんが入門始めの頃

「四柱推命はどのように勉強すればいいのですか?」と

よく質問されるのですが、

推命学は、実は、わかってしまえば、とても単純明快で

簡単なのです。

中心となる星を、その人自身として捉え、

その周りの環境と時間軸の変化を慌てず、

冷静に解明して行けば、その人の心の動きと

運の動きが明確になります。

こう書くと、まさか、と思われる方がいると思うのですが、

前にも書いたように、人が持って生まれた星というのは、

年月日時という形で固定され動かしようがありません。

(運が悪いので自分の誕生日を変えてくれと言っても無理なのです。)

例えると、一人一人それぞれが、

凸凹の甲板や船底を持つ船で、

「時」という大河を流れているようなものなのです。

そして、この「時」には時代という共通の時と

大運、年運、月運、日運、時運という

個々人(の現命式)に作用する「時」があるのです。

これが時間軸の考え方です。

そして、ここからが重要です。

最近私の中で整理され始めたことなのですが、

「人間」の本質的な有様を知ることこそ、推命学の底の底に

通じるもっとも大事な部分なのではないかということです。

そして、この部分が欠けていると、いつまで立っても

私の教える推命術が理解できない。

具体的にいうと、人間の本質などと偉そうに言いましたが、

実は自分自身を客観的に、見ることができるかということなのです。

自分という人間はどのような人間か?

生物としての人間の姿はどうなのか?

自分の中にある弱さ、強さ、欲深く嫉妬深く、醜い自分。

また清廉潔白で正義感にあふれ慈悲深く、優しい、思いやりのある

自分自身。自分の中にある清と濁。

そして、他の人の中にも自分と同じように

苦しみや悲しみや、恐れや、孤独や、愛情があることを

認めることなのです。

そんなの当たり前と思う方が多いと思うのですが、

それでは、あなたは、あなたの一番身近な人の「悲しみ」を

ご存知でしょうか。

子は親の悲しみを知らず、親は子の悲しみがわからない。



ここで現命式の話に戻ります。

ある人の現命式を目の前にした時

もし、自分自身がこの大運の時期に、

年運でこんなに厳しい星が巡ってきたとしたら、

どうなるだろう。これに耐えるだけの力量があるのだろうか?

傷は大きいのか?この傷が癒されることがあるのか?

さらに先に巡ってくる運勢を詳細に見て判断をして行くのです。

多くの人は人を見ているようで人を見ていません。

だから平気で他人を傷つける。

けれども

この痛みが蓄積した結果が運命の種となり時を経て熟成され、

「結果」としての事象が起きてくる。前に書いた通りです。

このように、私の教える推命術は「心の動き」を中心軸としており、

機械的な「官」の現象、「財」の現象等の通変星に固定、

限定された鑑定法ではありません。

多分、この辺りが、

「どう勉強すればいいのかわからない」という

人たちが理解できないところだと思います。

中心の星の心情を理解し、自分に起きることとして、

親身に星を精査すれば、自ずと答えは現れます。

是非とも同学の皆さんは、

自分を大事にするように、他を大事にしてください。

帰属欲

今日は8月15日 終戦記念日です。

「大日本帝国」が終わった日です。

マスコミも国も終戦記念日としています。

なんとなく、戦争が終わった日となっていますが、

万世一系の天皇の国家である「大日本帝国」が

終焉を迎えた日ということを忘れてはいけません。

「お国のために=天皇陛下の御ため」という公式のもと

全てがなされていた時代が終わったということなのです。

「天人合一」の題でコラムにも書いてきたのですが、

私が思うに、命式に現れる星というのは人の持つ属性としての

意識が何代もの時を経て凝り、はっきりと星の形で現れたものが

その人の心を操作してくる。

いわゆる無意識での選択を決定させる因子です。

具体的に言うと、

「好き」「嫌い」を決める心の因子ということです。

主に感情を支配し、知性での強制力が生じなければ

回避し難いものです。

(知性で回避できると断言していることを忘れないでください。)

逆にこの知性を利用し、強い強制力のもと時間を経れば、

どんな星でも造ることができる。

それをやったのが明治政府であり、天皇制の刷り込み教育です。

教育勅語など典型的なものです。

帰属欲の星を植え付け国に従属するよう洗脳したということです。

本当に良い反面教師としての教育制度なのですが、

うちの母なども昭和7年の生まれでしたが、

神武以来の天皇の名前を全て暗記したのを自慢していました。

今の小学生が掛け算の九九を暗記させられるように、

全ての小学生が暗記させられていたそうです。

なんとも、すごい話です。

でもね、私、思うのですが、これって実は

「国民総武士化」の方策だと思うのです、

主人のためには命も惜しまず事を遂行する

「もののふ」を創り出そうという国策そのものだと思うのです。

実際、当時の政府は軍人と元武家が商人とともに国の中枢を担っていた。

(麻薬にまつわる何かの話で前に書いたことがあります。関東軍と麻薬王関係でしたか。)

兵士は彼らにしてみれば一番都合のいい物言わぬ、「サムライ」という事です。

(余計な話ですが、サムライブルーとか言っているうちは日本代表のサッカーチームは監督の言う通りにしか動けない超一流のポンコツ集団のままで、自由な発想から生まれるファンタジスタの集団にはなれないと思っています。)


戦後72年 企業風に言えば、

多くの従業員は命を落とし、経営陣は処罰され、

オーナーはお咎めなしで72年経ったら、

疲れたから引退させろと言い始めた今日この頃、

英霊たちは、多分、怒っていると思います。

恨まれた家系というのには例外がありません。

どこかで回天が必要ですね。

本来の推命術の形

緒方先生のブログを読んでいる方にはわかると思うのですが、

私の思う本来の推命術というのは劇薬です。

その個人の持つ心の癖、

強欲さや弱さをあからさまにするものであり、

ある意味、社会人としての装いを、ひっぺがし

その人のナマの姿を見ようとするものです。

特に学習の場では手加減がありません。

それゆえ劇薬に見えます。

しかし、問題は、それを使う者にあり、それゆえ、

これを使う者には人としての責任が求められるのです。

私が常に口を酸っぱくして言っていることですね。

劇薬だからこそ、さじ加減一つで最高の良薬となります。

まずは良薬を調合するだけの鑑定力を身につけること、

次に、

それを相手が受け入れ飲んでもらえるよう信用を養うことです。

実はこちらの方が難しい。未だ私にとっての課題でもあります。



(注意、推命術と一般的な書き方をしていますが、ここで言っている推命術と他門(同門の名を冠しているものでも)の推命術、特に神殺と空亡(天中殺)を重く見る流派とは明らかに別物です。例えばブログにある例題に出されていた犯罪者の命式に神殺をつけてみると、私の手元にある携帯のアプリでは年の柱に金輿、学堂があり、月の柱には華蓋。日には天徳合、月徳合、がついています。同様に月には白虎、血刃、日には血刃、五鬼がついています。こんなに吉とされる星がついているのに、凶の星がついているから事件を起こすのか?と思ってしまう。

実はこれが、この種の推命術の落とし所で、ことの起きた理由を凶星のせいにし、本人の日頃の生き方を全く考慮しません。裏を返せば、何をやっても凶星があるから、こんな羽目に落ちるんだ、ダメなんだと決定してしまう。結果、宿命論となり、向上心の欠ける人には最高の逃げ道になります。空亡などはさらに酷い。トラブルは全て空亡のせいとしてしまう。本当にヒドイ。人の持つ力も努力も一顧だにしない。

中にはここに出ている凶星が犯行の原因なのではないですかと問う方がいるかもしれませんが、同じような凶星があるのに何事もなく過ごしている人も山ほどいます。

これを読んでいるあなた自身にも多分、何がしらかの凶星がついていると思いますが、皮肉なことですが、この彼のように吉星と凶星が混ざるように神殺は作られています。しかし、これも、あらゆる人には良い面と悪い面があるという先人のメッセージとして捉えれば納得できなくはありません。自分の命式の中にある神殺に怯えている人が、もし、いたとしたら、怯える必要はありません。日頃の素行こそが運命を作る土台となる。当たり前のことです。)

不倫

最近、生徒さんと人の持つ力の強さのなんたることかを

話したのですが、人は自分の力をネガティヴに使うことには

ものすごく慣れていますが、ポジテブに使うことには

抵抗があるようです。

具体的に言うと、人を恨むこと、妬むことなのですが、

大抵の人はマックス100パーセントまで人を恨むことができます。
(自分自身に対しても)

それに比べ、自分の課題を達成することに関しては、

ああでもない、こうでもない、こんなの自分の課題じゃないと

半分も自分の力を出しません。なぜでしょうか?

答えは簡単で、

課題とは「いま」の自分のレベルを

「上」に挙げることにつながるけれど、

妬みや瞋恚は自分を退げること、そのものだからです。

下降するのに努力はいりません。

上がるには、労力が不可欠。

ニュートン力学っぽいですね。

科学的にものを考える方達には笑われてしまいますが、

「心」もまた万有引力に支配されている良い証拠だと私は思っています。

(この辺りが人の心の謎をとく「鍵」なんでしょう。でも、努力の嫌いな人は、これを言い訳にしてはいけませんよ。)

人の心は落ちやすい。本当に簡単に落ちる。

「嫉妬」なんてのは、その大小の大きさを抜きにすれば、

ほぼ、毎日、誰かと、何かを比べ、無意識にやっています。

「あなた、若くていいわねー。」なんてのもその一つですよ。

落ちる先は何処?

多分、そこを地獄と昔の人たちは名付けたのでしょうね。

何度か地獄のことは書いたのですが、

最近、不倫の話題が頻繁に聞こえてきますが、

実は、このような方達が落ちる地獄も用意されているのです。

倶舎論によるものですが衆合地獄と呼ばれるもので、

小高い山の上に愛人の姿が見て取れて、必死に、その人を求めイバラの道を痛みに耐えて登っていって、やっと愛する人と抱擁できると思って近づき、その肌に触れようとした途端、その愛人は鉄の棘がついた人型に変わり、その人を激しく傷つけると言うもので、延々と業が尽きるまで、これを繰り返すそうです。(諸説あります)

どうでしょうか?私には実にリアルな話に思えるのです。

いつバレるのかわからない、罪の意識と、愛する人を思う、

恋情の念が凝った情景であり、恋愛に迷う男女に共通して起きる

想念だと私には思える。純粋な(不倫の)恋愛関係です。

(でも、これは遊びで割り切って不倫している人には当てはまらない。そうゆう人には、もうちょっと激しい、別の場所が用意されています。)

実際、これに似た夢を見た体験のある人もいるのではないのでしょうか。

私は何度も耳にしています。現実では、

「人型の棘」と仏典には書かれていますが、

その棘のバリエーションは様々で、直接の痛みを起こすもの、

社会的な痛みを起こすもの、一番大切なものを打ち壊されるもの等々

繰り返し源発を同じくする様々な種類の激痛に襲われています。

つい最近離党した代議士先生もこのような生き地獄を今、

味わっているかもしれません。

(言い忘れましたが、地獄には死んでから行くものとは限りません。)

沸騰した感情から生じる怒り、強欲、妬み、その強さに応じて

熱地獄があり、

孤立した、寂しさ、悲しさ、受け入れられない孤立感。

絶望、焦燥から寒地獄が生じます。心が凍えて寒い。

その情景は凍えた心象風景から凍傷が生じ身が崩れて行く姿に例えられています。

そして、全てに、この結果を生じてしまった原因があり、

過程があるわけです。でもね、

とりあえず、悪いことをしなければ落ちることないから安心してください。

さらに十善行を行えば、完璧です。

上がることに使う労力を惜しまないことです。

用神

昨日生徒さんに運勢の改善法についての質問をされました。

用神の具体的な使い方についての質問です。

流派の白眉を「正確な用神を見つける方法」とするなら、

用神の使い方は、個々が研鑽し身に付けるものであると

私は考えています。なぜでしょうか?

結局、それは「「運勢そのもの」を

どう解釈するかによって変わってくるからです。

例えば、用神が「木」の五行だと言われた場合

自分には木が必要なんだと、鉢植えをたくさん集めたり、室内の

木造製品を増やしたり、極端な場合は毎晩木製の何がしか

寝床に入れて添い寝することを用神の使い方だと

誤解する人が出てきます。

もちろん効果は、ないことはないと思います。

用神を使っているという暗示による安心感は運を上げるための

大事な要素であることには違いありません。

けれども、もうすこし、

本質的なことを考える余地があるのではないでしょうか?

それは、なぜ、自分は苦しんでいたのか?

その解決策として「木」の五行が推命術から運を開くための

用神として導き出された。なんで?ということです。

もし、人間関係の悩みが毎晩木製バットを抱いて寝たら

解決したとの話があったとしたら、なんて素晴らしいのでしょう。

でも、残念ながら私は寡聞にして聞いたことがありません。

それじゃ、どうするの?となりますね。

一年の締めくくりですから、すこし書いておきます。

(ほんのちょっとですが、すみません。)

まず、用神が「木」の五行の場合、その根幹は仁愛」になります。

そして、粘りつよく、折れずに、根を張り、成長し続けるというのが

その性情です。

用神が「木」だというのであれば、耳が痛い話になりますが、

実は、本人は知らずのうちに普段からこれが欠けやすい人で、

それが、あらゆるトラブルの原因になっているということです。

(愛情が欠けているというより気づかないうちに自分流の愛情を

優先しているといことです。なんとも、一番言われたくないことですが、

用神が取れるようになれば、一目でそれがわかってしまうのです。)

じゃあ、どうすればいいの?ですよね。ここからが用神の使いかたです。

誰彼、好き嫌いを言わず平等に接し、仕事でも、

家庭でも、粘りつよく愛情を持って過ごすことです。

(当たり前のことのように聞こえますが、確実にこれができていないというのが現実です。)

時間をかけてでも、これができるようになれば、

問題は間違いなく薄まっていきます。

自分が変わることで、環境も自然に、無理なく

変わってくるのが正しい用神を使った場合の現象になります。

どこかで書いたように、最初のうちはとても、

そんな自分に居心地が悪いのですが、自然に自分自身も落ち着いてきます。

ただ、これは自分が主なる原因の場合であり、

誰かの悪運に巻き込まれている場合は別法を講じなければなりません。




運勢が物のように扱えるのなら、

足りないものを足せば改善できるのが筋ですが、

残念ながら運勢は心の動きを支配しているものです。

とても大事なことを書きました。

各自、研鑽されることを切に望みます。  




今野喜心 拝。

nコン

なんやかんやと文句を言いながらも

今年も延々と3時間、テレビの前に座り

録画したNHK合唱コンクールを3日間聞きました。

問題多々ありの中学の課題曲、

なんだかなと思って聞いていたのですが、

コンクールが終わり審査時間の合間にSuperflyさんご本人と

生徒達との合奏があり、彼女の声が私の耳に届いた瞬間、

愛おしく、嬉しく、懐かしい、そして誰かに、

やっと理解してもらえたような、安心感に包まれる

衝撃を受けたのです。


この曲、学生が歌った時は、なんのこっちゃ、

わからなかったのですが、

ご本人が、子供達の前で歌った時、歌の命が完成し、

聴くものに伝わってきたのかもしれません。

(ちなみに家の者は途切れることなく号泣していました。)

彼女が子供達のために書いた歌ですが、

それが完成した時、子供達への言葉と共に、

それを生み出す彼女の心も伝わってきた。

本当に、純粋に、子供達の未来を思って作った歌なんですね。

親から子へ、人生の先輩から後輩へ、温かく、静かに

いつも見守ってくれているような、

優しい優しい心と、言の葉に紡ぎ出された詩です。

これが良い意味での「母性」とか「アガペー」とか

言われるものなのかもしれません。

いくら頑張っても、子供の立場で理解するのは、

ちょっと難しいかもしれません。


「下弦の月」もいつか必ず望月になり、

照らす景色は違って見えてくる。



感動して泣いた親はたくさんいたと思います。

どの合唱部も作者の「詩」を理解し、その感情を

表現しようと指導されているのですが、

大人にならなければ、理解できない言葉、時間を経なければ

どうにも腑に落ちない言葉が、間違いなくあるということです。

逆に言えば、大人達は、自分の言葉は、思うほど、他人や

子供達に理解されていないことを肝に命じなければなりません。

(国も男女もトランスジェンダーも同じですね。)

我々の仕事もまた同じか。..........................嗚呼。

gifts

入門講座2

前回のものを読み返して思ったのですが、

こんなに怖がらせて、どうすんの?と

まどろっこしい表現じゃわからないかもしれませんね。

さらに本音で言うと、

ここで学んだ生徒さんの中には

一家心中を止めたり、プロとして認められ

沢山のリピーターさん達に毎日のように

感謝されている方達がいるのです。

また、自分を知ることをきっかけに、

少しづつ、より良い方向へ軌道修正をしている方たちも

いる。

その方達を私は、ものすごく誇りに思い尊敬しています。

実に勇敢に自分の人生に立ち向かっている。

そんな貴重な技術を教えているんだもの、

怖がった人には、ごめんなさいですが、

理由を知れば、多少は許されるでしょ。

たまには厳しいことも言わなきゃね。




基礎の基礎から推命術は教える先生の個性で決まります。

同門でもご本人が命定論(宿命論)をお持ちの方であれば、

教え方も最初から固定された、がんじがらめの五行論に

なるし、造命論(運を創造する)であるなら五行を

循環し条件によって変化するものと捉えるのです。

宿命だ、運命だ、運勢だなんて考えても意味がない、

教わったことを教わったように教え、

それで人気がでなけりゃ新名称で売り出す

真実の追求より生活の安定優先という経営第一主義者。

五術の世界は、なんだかんだ、なんだかんだの

玉石混沌の世界です。本当に色々な先生方がいます。

よく、その先生の書いたものを読み、

ご自分の好みの考え方の先生を選ベば、それでいいのではないでしょうか。

先生につくというのは実はこうゆうことで、

その先生の色を学ぶということなのです。

四柱推命は難しい、よくわからないというのも

実は、この辺りに原因があります。

つまり、使う道具は大体皆同じですが、使い方が全く違う。

道具の説明はどの先生方も似たりよったりで、

秘伝、奥殿と謳っている書籍のほとんどが実は

この道具の説明だけなのです。

だから、道具の説明だけならば市販の本で十分なのですよ。

そして、本だけで学ぶというのは実に難解な道程なのです。

良い先生について学ぶのがいちばんの早道です。

ぶっちゃけて書きますが、基礎=その先生が練り上げた秘伝です。

その秘伝がネットを何日かけて探しても見つからないのは

当然です。

「考えるヒント」


「愛」とは厄介なものです。

自分を愛するように他を愛せれば、

世界は平和になるはずなのに........。

とかいう人もいます。

その通りなのかもしれません。

それでは、あなたは、どのように、自分を愛していますか?

難しい質問ですね。

実は、四柱推命というのは、この辺りを明確にできる

学問なのです。

びっくりしましたか?

聞いたことないでしょ。

当てごととしてしか学んでいない人には

見えてこない部分ですね。


時々、このように推命術の応用を学ぶ課題を出したいと思います。

「禅」の「公案」みたいなものです。

四柱推命学の汎用性をもって運命学の中の

帝王の学とするか、幼子の娯楽の一興とするかは

学ぶ者の気概によります。

業について

時間の都合で中級の教室に進めない生徒さんには、

研究クラスとして私の使用している鑑定法を学ぶ

場を提供させていただいています。

このクラスでの話ですが今年に入ってから続けて

「業」としか呼べないような命式が例題として

出されました。

あらゆる人に言えることなのですが、

命式を見ていると、夫婦や家族というのは

面白いもので、必ず、何らかの縁で繋がっています。

その中でも、「業」と私が呼ぶ縁は

終わりの始まりという意味となり、悪い意味になります。

目の前で暗い顔をしている生徒さんに

「生まれながらにそんな運を持っているのだとしたら、

どうすればいいんですか?」と

今日も聞かれたのですが、

「まずは自分にかけられている運勢の罠を知ること。

あとは十善業をすればいいんですよ。」と答えました。

(実は何年も前から書いてきたことです。)

死んだ人たちの怨念が形になったものが命式に現れているのであれば、

相手は死人ですから、「念」だけの存在であり、

肉体を持つ生きている人間の方が10倍ぐらい強いのです。

ただ、怨恨の念はこちらが認識しないうちは、

あまりにも自然に心の中に忍び寄るものであり、

大抵は、その人の「好み」として

現れるものなのです。

例えれば、新鮮なケーキと中身の腐ったケーキが

目の前にある場合、マイナスの念は中身の腐ったケーキの方が

美味しいよ、好みだよと、心の中で囁くのです。

運があまり良く無いと自覚している人の中には

これに似た体験をした人が結構いると思います。

これを回避しようとする場合、

しっかりと製造年月日を確認すれば、お腹を壊すことは

無いわけです。同様なことが人生のいたるところで起きていて、

特に人生の大事な節目としての選択を迫られた時、

心のささやきを精査し、気づくことが、持って生まれた

悪い方の運勢を回避する最善の方法になります。

これが、なんども書いてきたように自分自身を知るということですね。

そして、悪縁を切るための善い縁のタネとなる十善業を、

他人に知られないように、地味に実践することで、

ほんのちょっとづつ心を豊かにし、

生まれながらに「念」とリンクしてしまっている、

自分の中の恨みや怒りや特定のものに対する執着を

変化させていくことです。

(消せなんて言っていませんよ。不正や正しいことをするためには時に怒りも必要です。怒りも、恨みも人の持つエネルギーの一つの表れです。否定する必要はありません。できれば自分以外の他人に対する優しさや、思いやりに変化できれば、今度は自分の周りが暖かくなりより円満な人間関係が生まれて来ます。)


今日も生徒さんが、先生、十善業を完璧にやろうとしたら、

難しいですよーと言われたのですが、やろうとしているだけ、

結構なことだと私は思うのですが、

徳は積むものです。積むというのは崩れることもあるという

のが前提です。崩れたら、また積むこと。

諦めずに、

積んでいる時の気持ち良さと、晴れやかさを思い出し、

また積むこと。

吉運に生まれたものは人生に奢り、

足元をすくわれないよう心がけ、

自分は運が悪いと思うのならば、十善の行を人知れず

積むことです。

それができれば、人生それほど悪いものにはなりません。

新入門コース

「自分を知ることが大事なことです。」と

あちこちで書いているのですが、

どうやれば自分を知ることができるのか?

「信用の置ける運勢鑑定を受けること」

でも、この「信用」というのも問題で、

人は、どうしても、「評判」を優先させるところがあり、

さらに、運があまり良くない人は、

あまり良くない人を選びやすいのです。

また、運勢鑑定を受ける機会にしても、

んーん.......。

この「機会」というのがなかなか難しく厄介で、

大抵は思いがけないトラブル、不運、

縁の破局など、よほどのことが無ければ

自分と向き合い、さらに誰かに相談しようなどとは

思いません。

「転ばぬ先の杖」とはよく言いますが、

こんな風に転ばないと、機会が生まれないのでは

ショウガナイですよね。

ずっと考えていたんですが、現在開いている入門コース、

応募があっても一人か二人なので、

この際、「入門コース」を

「自分を知るための四柱推命入門講座」に

変更したいと思います。

「自分を知ること」をメインテーマした講座です。

全4回の講義になり従来通り基礎理論から

大運の出し方まで学んでもらい、

鑑定の根拠を明らかにし、自分自身で

自分の運勢を理解できるようになろうというものです。

料金も全て一緒です。

修了者は引き続き「本科生」として、

さらに他の人の理解のための、それぞれの、

星の特性と鑑定の要点を学ぶことができます。

いつから始めるかは希望者次第であり、

ホームページ、メール鑑定フォームからお問い合わせてください。

(もちろん以前通りの「入門コース」も受け付けておりますので、ご希望の方は怖がらないでお尋ねください。)

犀の角のようにただ一人歩め

犀の角のようにただ一人歩め

本当にただ一人歩むのは孤独です。

人(自分以外の人達)に理解してもらうというのは実に

難しいものです。

生存中のお釈迦様の言葉を収録した経典は

実にわかりやすくて魅力的です。

どんな新興宗教より、伝統仏教(祖師仏教)よりも理解しやすく

単純明快です。

私の座右の書です。

それを、読まずに流して聞けるのだから、

なんて贅沢な時代なのでしょうか。

注意ですが、これを聞いて「お釈迦さん良いかも。」となったとしても、絶対に仏教の勉強会とか、なんとかとかには参加しないでくださいね。オウムなんかもそうですが、本当に怪しげな自称仏教研究会が横行しています。仏教にかぎらずキリスト教系であれば、聖書研究とか、伝統仏教でも有名なお祖師さんの研究会とかは、とりあえず眉に唾をつけるべきです。この類のことに免疫の薄い新入生の方達。大学のサークルで勧誘されたら、とりあえず逃げてくださいね。一生を棒に降る可能性がありますよ。クソ真面目に生きてきた女性の方達は特に注意してください、第一の標的にされています。

幕末

幕末の登場人物を調べてみると、

現代に伝えられているロマンチックな英雄伝とは

若干の違いがあるようです。典型的なのは

坂本龍馬さんで熱烈なフアンの方が多いので

あまり書くのを憚るのですが、

このかたは忠孝の基盤の上に立つ武士ではなく、

利害を第一の価値基準とする商人であり、

それを薩長に提案し、

(乗った薩長も薩長なのですが、)

結果的に時代を変えました。

なぜ武士が忠孝を捨て利害に傾いたかは、

外圧による絶対的な危急存亡の危機感が

それをさせたのでしょう。



今となっては闇の中の闇のお話です。。

つれずれなるままに

つれずれなるままに

「戊戌の変」をきっかけに近現代史の登場人物を調べていて

驚いたのですが、Wikipediaのおかげで

彼らの生年月日が公開されているのです。

なんとも研究し放題ではないですか。

個人的に面白かったので、続きをやりたいと思います。


抗いきれない時(歴史)の流れの中、

その時代、その環境にに生まれてしまった人々が集い、

どんな気持ちで生きていたのかとその群像に想いを馳せると

ロマンチックですね。

もちろん、実際の誕生日がその日なのかどうかは分からない。

(うちの母親の時代でも生まれた日と届出の日の誕生日が違い、母が亡くなったとき、私が母から聞いていた誕生日と戸籍上の誕生日が違うと火葬許可のなんたらで姉と、すったもんだをした憶えがあります。)

そうゆうわけで、この時代の人たちの元命式の鑑定は、

フィクションとなります。

本当の誕生日なのか、偽物なのか?鑑定と符合するのか?

よく知られた人物たち、歴史の表舞台には現れない人々

その痕跡を探していきたいと思います。

篤姫さん、皇女和宮様、今年の大河ドラマの主役の西郷さんにも

登場していただいています。

幕末 薩摩

斉彬、久光、西郷さん、大久保利通、その上司にあたる小松氏の命式を出して見たのですが、驚くべきことに時代を動かすようなリーダーがいません。他の藩も見なければならないのですが、皆が皆、漠然とした恐怖に戦々恐々とし、その恐怖と必死に戦っているような姿です。占術の世界ではよく言うのですが、大店(おおだな)が傾きかけた時、徳のある店には、とても優れた番頭が現れ店を立て直す。小松清廉はその類の人物です(ただし34歳、過労死の形です)。




西郷隆盛 1828年1月23日   

大河ドラマの鈴木亮平さんとは真逆の方です。

「熱さ」とは真逆のクールさと懐の深さが魅力の人です。

   戊 癸 丁
   寅 丑 亥

75 65 55 45 35 25 15  5
 丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
 午  未  申  酉  戌  亥  子  丑


島津斉彬 1809年 4月28日

    甲 戊 己
    戌 辰 巳

77 67 57 47 37 27 17  7
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 酉  戌  亥  子  丑  寅  卯  辰

島津久光 1817年 12月2日

   甲 辛 丁
   午 亥 丑

78 68 58 48 38 28 18  8
 甲  乙  丙  丁  戊  己  庚  辛
 辰  巳  午  未  申  酉  戌  亥

小松清廉 1835年 12月3日

    己 丁 乙
    巳 亥 未

79 69 59 49 39 29 19  9
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁
 辰  巳  午  未  申  酉  戌  亥

没年月 1870年8月16日  甲申運 庚午年 甲申月 甲申日 34歳


大久保利通 1830年 9月26日

   乙 乙 庚
   未 酉 寅

75 65 55 45 35 25 15  5
 壬  辛  庚  己  戊  丁  丙  乙
 辰  卯  寅  丑  子  亥  戌  酉

長州藩

高杉晋作 1839年 9月27日ー1867年5月17日 27歳

     癸 癸 己
     未 酉 亥

76 66 56 46 36 26 16  6
 丙  丁  戊  己  庚  辛  壬  癸
 寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉


木戸孝充(桂小五郎)   

1833年 8月11日 1877年5月26日 没43歳

   乙 庚 癸
   丑 申 巳

71 61 51 41 31 21 11  1
 癸  甲  乙  丙  丁  戊  己  庚
 丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申


井上馨 1836年1月16日ー1915年9月1日79歳

    癸 己 乙
    丑 丑 未

73 63 53 43 33 23 13  3
 壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊  己
 午  未  申  酉  戌  亥  子  丑



伊藤博文 1841年10月16日ー1909年10月26日68歳

     戊 丁 辛
     戌 酉 丑

78 68 58 48 38 28 18  8
 庚  辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁
 寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉


山縣有朋1836年6月14日−1922年2月1日83歳

    癸 甲 丙
    未 午 申

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  庚  己  戊  丁  丙  乙  甲
 丑  子  亥  戌  申  酉  未  午

訴訟

教員の体罰による生徒側からの訴訟の報道が

多発しています。

学校側からすれば、生徒指導となりますが、

生徒側からすれば暴力、監禁、強要のPTSDに悩まされていると

主張し、医師にの診断書をつけ弁護士を雇えば訴訟を

起こせます。

多発している教師の性暴力、神戸での先生間の

いじめ事件を思えば、人間のクズのような先生方は

間違いなくいる。

けれども、それに輪をかけて人生に翻弄され、

自制心や利他心が発達していない子供達も、

決して少なくありません。難しい問題です。

要は、他人を大事に思う気持ちを育てることなのですが

自分のそばにいる人に自分自身が大切に思われているという

体験がないと、自我の確立時、大きく揺れてしまう。

なぜかと言うと、自分を大切にする根拠が見当たらないからです。

「親が離婚したのは自分のせい」

「虐められるのは自分が悪いから」

「家族が不幸なのは自分が原因だ」

「こんな自分は幸せになっていいのか?」

「自分は長生きする気は無かった。」

「私でいいの?」

ほとんどが子供心に自分に責任を感じ、

誰にも平等に巡ってくる幸福のチャンスを得る時期

自分の人生に踏ん張りが効かない。

どこかで、過去を払拭する必要が起きてくる。

過去は変えられませんが、こびり付いたホコリや汚れを

洗い流し整理することはできます。

大人になった自分と、子供の時の自分を区別することから初め、

良い流れなら維持し、このままでは、ちょっとまずいなと

思うようであれば、ここからが大変ですが、

違う流れに乗るための努力をすることです。

最近の流行だと思うのですが、啓発ノウハウの本を手に取ると

恒常性 についての心理学的なアプローチがされ始めています。

内容的には理解しやすく納得いくものですが

「自分を変える」具体的な方法論は従来の啓発物と変わりがありません。

かつては「潜在意識」と呼ばれていたものが「セーフティーゾーン」等々の

新しい名称に置き換わったものと理解して良いと思います。

サイトは沢山あるので興味のある方はご覧ください。

元々はストレスコントロールの研究から発せられたものらしいのですが

誰が言い出したのかはわかりません。

「自分を変える」

慣れ親しんだ環境や物の考え方が、そう簡単に

変わるわけがありません。過去からの流れというのは

(ここが最悪な点なのですが)自分自身が全く気づいていない。

また人によっては「宿命」などとふざけたことを言っていますが

「変わる手段があるわけがない」と言う人智を馬鹿にした

無知のなせるわざです。


焦らずに時間をかけ

反作用が出ないよう無理をせず、小さな行動から始め、

繰り返し、積み上げていくこと。

決して大きな期待をしてはいけません。

入れ込み過ぎると、現在の自分までもを否定し始め

本末転倒となります。

ただ平凡に、忍耐強く行動し続けることです。


今まで積んできた、というより、積んでしまった過去と

その記憶。これが常に纏付き、肝心な時に顔を出してくる。

なんて情けないんだろうと自分を責めても、

いかんせん、どうにもならない。

辛い人生を背負ったものには人生は辛いものです。

幸せそうな奴を見ると他人が妬ましくてどうしようもなくなる。

けれども、その人もまた、人に言えぬ苦しみを背負っている。

これが世の中です。そういうものを背負った同士が

お互いに、傷つけあったり、出て行けと睨んだり、

自尊心を傷つけた、傷つけられたと恨みを起こしたり。

これが我々の生きている人間界です。

せめて宮沢賢治が「雨ニモマケズ」で詩ったように

喧嘩や訴訟があれば、

ツマラナイカラヤメロというしかありません。

棚まく人

最近思うのですが、というより、

ずっと思ってきたことですが、

人は自分以外を変えることって、できないんだと思うのです。

たくさんの人たちが、

自分以外の誰かに(妻に、夫に、上司に、親に、恋人に、etc.)

変わって欲しいと願いはするのですが、

本人が聞く耳を持たない限り、絶対に、その声は届きません。

神さんにも、仏さんにも無理だと思います。

でも、時々、大病を患ったり、事故で何かを失った時、

その声が届くことがあります。

本当に因果な話ですが、こんなことでもなければ、

人は自分自身と向き合うことをしません。

厳しい現実ですね。

これって、「今勉強しないと将来ダメよ。」

と言われている子供と同じなんです。

「今」に夢中になっている子には

基本、その声は雑音でしかありません。

推命術というのは親が子の将来を見通すように、

その人の将来について、ある程度の、

確実なビジョンを見せることができます。

それ故に、そのための準備を提案することができるのです。

でも、それを受け入れるかどうかは、当人次第なんです。

私はその「準備」が将来の花を咲かせるための「種」だと

思っています。

私自身が、誰かを幸せにすることなど、

恐れ多くてできません。

でも、その方の将来ために、

「種」を巻くことはできると信じています。

もし、その人の心に蒔かれた種が根を張れば、

やがて花は咲くとを信じて仕事をしています。

難しい世の中ですが、諦めず、忍耐強く、

「種蒔く人」であり、種を育てる人でありたいものです。

土佐藩

武市半平太

久坂玄瑞によると西郷より人物は上と称されたかたです。

是非とも西郷さんと比べて見てください。

1829年10月24日−1865年7月3日 34歳没

    戊 甲 己
    午 戌 丑

75 64 55 45 35 25 15  5
 丁  戊  己  庚  辛  壬  癸  甲
 卯  辰  巳  午  未  申  酉  戌


坂本龍馬 1835年1月3日ー1867年12月10日 31歳没

   庚 戊 乙
   子 子 未

78 68 58 48 38 28 18  8
 辛  壬  癸  甲  乙  丙  丁  戊
 巳  午  未  申  酉  戌  亥  子


中岡慎太郎 1838年5月6日ー1867年12月12日 29歳

   甲 丙 戊
   寅 辰 戌

70 60 50 40 30 20 10 
 癸  壬  辛  庚  己  戊  丁  丙
 亥  戌  酉  申  未  午  巳  辰

1867年 12月12日

  丙 壬 丁
  寅 子 卯

後藤象二郎 1838年4月13日

   辛 丙 戊
   卯 辰 戌

77 67 57 47 37 27 17  7
 癸  壬  辛  庚  己  戊  丁  丙
 亥  戌  酉  申  未  午  巳  辰

一人大事な人を忘れていました。

板垣退助

1837年5月21日

     甲 乙 丁
     子 巳 酉

75 65 55 45 35 25 15  5
 戊  己  庚  辛  壬  癸  甲  乙
 戌  亥  子  丑  寅  卯  辰  巳

エポックメイカー

エポックメイカー(新しい価値観、時代を生み出したキッカケになった人たち)

として近現代に記憶される、いわゆる偉人の方達の

命式をあげていますが、

なぜかというと、その理由は、

実は、その多くの方達が

忌神を命式の中に抱えているのです。

泰山流緒方派の方であれば、

一目で理解できると思うのですが、

そのような方が多い。

私がそれに気づいたのは、ある生徒さんから

新時代を築いた、とても有名な方の命式の解釈を

質問されたことがキッカケとなり、さらに、

これを切り口にして、いろいろな方の

命式を分析した結果、やはり、その通りなのです。

爛熟し腐りかけた時代に革命を巻き起こす新風とでも言いましょか。

全く、既成概念に囚われない発想がその方達の

真骨頂なのですが、平常時なら、ただの変わり者の、

変人です。

新しい時代を創造するためには、既成概念や、

過去からの因習にとらわれることのない、

そして、それを当たり前の立ち位置として、

自立し、主張することができることが

必須雨条件になるようです。

そのような人が、これからの世界には必要なようです

若者よ、他人の評判は二の次にして、大志を抱くことです。

それが自分を生かす道です。

自分を変えること3

自分を変えるための何某を1、2と書きましたが、

基本、抹香臭いものです。

仏教的なといえば語弊がありますが、

悪い意味ばかりに使われる「因果応報」の因果律を

逆手に使うというのが、その原理です。

雲谷禅師が具体的な行動規範を書かれています。

簡単なところから頑張って実践して見てください。

ところで、これ以外にはないのか?と

問われる人がいると思いますが

そんなことはありません。

江戸時代の有名なものに淘宮術(とうきゅうじゅつ)というものがあり

明治初から昭和にかけてかなり流行ったようで、

私も竹内師水先生のご著書を原書房で見つけ1冊だけ持っています。

現在は社団法人日本淘道会という形で存続しており、

全くの部外者なので内容に関するコメントは控えさせていただきます。

もう一つ、人相研究の基本中の基本書に

水野南北先生の「南北相法」があるのですが、

この中にそれがあります。

幸い「南北相法極意秘伝集」は国会図書館デジタルコレクションにあり

下記に貼っておきます。(無料というのは研究者にはありがたいのですが、初心者は、これを安く見てしまい、結局勉強しない。そんな風に感じる今日この頃です。)

南北相法極意秘伝集

一言で内容を言ってしまえば、

人は誰にでも天から与えられた禄(福分)があり、

多くの人は食事でそれを消費している。

食の多少によって、その人の生涯の吉凶が定まると

いうものです。詰まる所

質素倹約にして勤勉努力することが大事ということですが、

詳細は本文に当たってください。

鑑定上の最も大事なこと

緒方先生 命式研究

鑑定時の最大の注意点を先生が、とてもわかりやすく

文章にしてくださっています。

多くの先生方がなさっているように元命式を推命理論に従って

断定し、その優越を以て命式の上下を格付けするのが

一般的な運勢鑑定の手法なのですが、

これは人間の一面を実によく、表していますが、

あまりにも人についての浅薄(せんぱく)な理解と判断です。

「己の努力により、運勢の幅を広げ、命式に書き込まれた

暗示を解放し、生きることもできる。」

というのが万物の霊長たる「人間」の最たる所だと

私は師より教わってきました。


鑑定とは、その人の可能性を最大限に引き出す方法なのです。

そのためには、まず、自分にとっての自然な生き方が、

実は、元命式の暗示の上にあるものだということを

自覚しなければなりません。

例を挙げれば、

元命式が夢見がちな人であれば、まさに、夢と現実の

間(はざま)に、見果てぬ夢を見、

わざわざ出口のない苦しみに飛び込むような

人生の選択をしてしまっているのです。

これが運勢の持つ暗示の力なのです。

最近の傾向からいうと、

もっとわかりやすく書かかなければダメですね、

つまり、

ダメだとわかっているのに、うまくいくと信じてやってみて、

やっぱりダメだけど、また、やってみて、それを何度か繰り返し、

いつの間にか、(自分の持つ長所までも一緒くたにして)

どうせ自分は何をやってもダメなんだと、

出口のない悪夢に落ちてしまう。

「悪夢」も「希望に満ちた夢」も、

命式に現れた、同じ「夢」を見る星の力によって生じます。

解決のためには夢から覚めることから始めなければなりません。

(覚めるというのは自分自身を知るということですよ。)

自分自身

なんともカントも。

皆が皆、幸せになりたいと望むのですが、

「幸せを望む」ことと、「幸せになる」こととは

まったく違うということが、

なぜ、わからないのでしょうか?

たとえれば、デイズニーランドに行きたいと願うことと、

デイズニーランドに行くこととの違いのようなものです。

前者は、行きたいと思うだけで、

いつ行くかの予定も立てていない、アクセスする方法も

調べていない、なんの下調べもしていない、

ただ漠然と、行って見たいなと思っているだけの状態です。

後者は、休みの日どりに合わせ、出かける日を決め、

「舞浜」に着く電車の時間を調べ、財布に入れる予算を決め、

相棒に連絡し、待ち合わせ、切符を買い電車に乗ることを言います。

思うことと、そのために行動することとは、これほどの

違いがあるのです。

結婚を望む人にも、全く同じことが言えるのです。

(男女とも同じですよ。)

家事はしたくない。イクメンなんてなおさら嫌だ、

PTAなんて、ママ友なんて.......。

「家庭」なんていうのは重荷だ。

今のままでいたい。でも...........結婚したい。

困ったものです。無理でしょ。

しかし本気でそれを望むなら、起きてくるであろうことを

ただ、受け入れることです。受け入れて一つ一つ対処することです。

あーこんなことが起きたら嫌だとかの悪夢を自ら作り出さないこと。

一つ一つやっていけば、なんとかなるものです。

でもね、もし、どうしても、

家庭を持つことなんて荷が重すぎると思う人がいるなら、

より充実した人生を過ごすための、趣味や、

一生の友を見つけること、晩年のためにシッカリした

資金を稼ぐ方法を講じることが大事になりますね。



ハッキリと言わねばわかってもらえないような時代ですから、

ハッキリと言います。人には年齢という努力しても、

どうにもならないものがあるのです。それゆえに

下手な夢を見てしまうと、何もかもが間に合わなくなる。

夢にうつつを抜かし、大事なものをみずから、

ぶち壊してしまった人を山ほど見てきました。

文科省の指導か何かわかりませんが、夢は無限大なんていうのは

罪深い虚偽です。

しかし、もし、現実と己の能力に適した

努力の上での目標を「夢」とするのであれば、

それは必ず叶うと思います。

根拠のない「夢」は夢想による現実逃避と自慰になっても、

苦しみしか生みだしません。

バカヤロー、何言ってやがんだという人がいるならば、

是非、その「夢」のために行動してください。

それをし始めた時、まさにこの時から「幸せになる」ことを

始めたということです。




現実の自分に向き合うことが、このことに気づくことなのかもしれませんね。

自分に直面することって本当にキツイ、苦しいことです。

自分を変えること2

それでは、どう変えるのかという方法論ですが、

今も昔も「陰騭録」(いんしつろく)がその原典になっています。

(私の手元にあるものは明徳出版社の中国古典新書で当時は1800円だったのですが、最近、新装されて2700円になっていました。)

私が、ごちゃごちゃいうより読んで見てください。

(その人の現状によって響く言葉に違いがあり、全く響かない場合もあるのが厄介なところでしょうか。)

「徳を積む」とはどういうことががわかると思います。

一日一回良いことをしたぐらいでは、

おおもと(自然)の自分なんて変わらないんですよ。

しないよりは、はるかにマシではじめの一歩につながりますが、

かえって、自分は、こんな良いことをしているんだという慢心が起こり、

他人を見下すような羽目に落ちてしまう。(本当に、すぐ落ちます。)

本末転倒も良いところです。

だからこそ「陰徳」なのです。

自分の行いを他人に喋ってはいけません。

謙虚であって初めて徳としての価値が生じます。

(易経の「謙」卦を彖伝から引用し、この本では説いています。)

徳を積むというのは

普段の生活の一瞬一瞬の質を徐々に善化させる訓練であり、

一日24時間全てをその訓練に当てることが理想だということでしょうね。

(そんなもん、できやしねーぜ。と、ため息が聞こえるようですが、でもね、

自分にとって危急存亡の時にそう言っていられる人は、

まだまだ幸せな人たちだと私なんかは思うんですよ.........。)

来日拒否の国が現れたことについて

2020年2月23日

南アフリカの23歳以下のサッカー代表が

コロナウイルスを理由に来日を拒否しているとのこと

日本側は大丈夫だ 万全に対処すると言っても 

相手国はその言葉に、まったく根拠がないことが

よくわかっています。

鍛錬の成果を示し国と自分の名誉のために

メダルを目指すことと、これ以上の感染を避け

人々の命を守ることとは別物です。

できるだけ早いうちに勇気を持った撤退を

視野に入れ今後のスケジュールを検討するのが

妥当かと思うのですが。

決断を逡巡する知事や委員会に対し

今こそ政治的な判断が必要なのかもしれません。

本物の政治家なのかが問われる土壇場です 

英断の時であり、きつい選択です。

中止における損得勘定を捨てられるかが第一関門です。

(商業主義から脱却するという意味では良いことかもしれません。でもお金がなくては運営できないことも事実です。)

金(かね)よりも人命を尊重する気概を世界に示すことのできる

腹の据わった方達が、まだまだいる所を

是非見せて欲しいものです。


効果のあるワクチンができるかどうかが

開催の鍵になると思うのですが、

まなじりを凝らして、それを見守っているのが現状です。

ただ祈るのみ。

自分を変えること1

自分を変えることはできるよと書いたのですが、

普通はできません。

なぜって、人は自分自身を知らないからです。

たとえば、あなたが学生だった頃、

友達が自分よりも良い成績をとったとき、

その人に対し、どんな感情を持ったでしょうか?

あなたの心の中の声を思い出してみてください。

最初は「すごいね。」から始まって、次に出てくる言葉は、

「嫉妬」系の言葉ですか?

それとも、さらに「賞賛」系の言葉ですか?

それとも、「自分は自分さ。」と、

我関せずを決め込んでいたでしょうか。

「賞賛」系の言葉の後には大抵、よし、自分も頑張ろうという

自己肯定的な向上心が生じてきますが、

「嫉妬(ねたみ)」系の後からは、「もう、友達じゃない。敵だわ。」

なんていう、よくわからない言葉が生じやすいですね。でも、

それが自分「独自」の思考パターンだとは誰も気づいていません。

だって、それが自然に、自分の心から湧いて来た言葉だもの。

自然に湧いてくる心の言葉に一体、誰が疑問を持つでしょう。?

そして、この「自然」な心の流れのままに人は行動し、

泣いたり、笑ったりしているのです。

ですから、「今(自然)のままではちょっとまずいな。」

なんて思う時というのは、本当に、

当人にとっては危急存亡の時だけなんです。

これが自分は自分を知らない、気づけないという理由です。

現命式の研究について

ここのところコラムの欄に本来であれば

「現命式の研究」に書くべきことを

書いているのですが、その理由は、

一つには推命学の過去に育まれた迷信を潰すこと。

命式に貴賎があるのではなく、

本人が選んだ生き方にこそ貴賎が生じる。

「自分」こそが自分の人生の主人であることに

確信を持って欲しい。

一つには、我々と天才と言われる人たちに、

ある分野に関して以外は、特別な「差」は

ほとんどないということです。

人としては、ほとんど我々と、

変わりが無い。そして、

どちらかというと、変人に属します。

それも、執念深い、ヤバイ種類に属します。

そしてもう一つの理由は、本科のテキストを

終了した推命講座の生徒さんたちのための、

講義資料としてのサンプルです。

本来は、テキストが終了した折に緒方先生の

中級に進んでいただくのですが日程の都合により、

講義日を動かせない方達のために研究科があり、

生徒さん個々の親密、または興味ある個人の命式の

鑑定と解説を私が解説しています。

しかし、どうしても、その人数に限度が生じやすく

ネタ切れになりやすいものですから、

資料を提供しようと、実は、私も頑張っているのです。



最近、「東京クラフト」というサントリーから出されている

クラフトビールにはまり(香りが素敵なビールです)

我が家の経済を考慮しつつ

定番の「麦とホップ」500ミリを共に賞味したのちに

書いております。

なんで愚痴りながら書くのかが、私ににもわからないのですが、

サッカーワールドカップでのクロアチアの誰も逃げない

敢闘精神に嫉妬したせいでしょうか。

誰かに遠慮したり、しくじってもヘラヘラ笑っていては

勝利の神は決して微笑みません。

しばらく、ここで書いた後に、近代の命式研究として

明治維新の方達と共に以下にまとめました。

まだまだ不完全ですが、時間をかけて増やして行きます。

近代のエポックメイカー

入門講座

入門コースについてのお問い合わせがあるのですが、

教室の欄をこちらで少し補足しておきます。

基礎を学びたい。他の教室とどこが違うか?との問いについてです。

入門編は他の教室とは、まったくの別物になります。

一般的な基礎編は洗心庵のホームページの「四柱推命教室選び」の

欄の後半にある「初めの一歩」「二歩」を終了し

万年歴で原命式が出せ、大運を出すところまでが入門編となります。

しかし、この入門の段階から各先生方によって、

それぞれの四柱の解釈、通変星の解釈が異なり、

例えば、A先生が吉とする星も私などが解釈すると

凶の原因になる場合が多々あり、その理由は、

星の性状の理解度の深浅と大運を含めた全体からの

解釈があまいのが一番の理由だと思います。

解説では吉のはずの星が、ご本人が持っているにも関わらず

実情にそぐわないでは話になりません。

生徒さんにしてみれば、

入門で教わった解釈と実情が合わないけど

きっと中級で本当のことを教えてもらえるに違いない、

中級の時は上級になったらわかるはずだ、そして

奥義に入っても同じ星の解釈だったと笑い話のような

ことが実際にあるのです。

このように基礎の基礎の段階からの、幾つもの次元から見た

星の解釈の積み重ねこそ正しい鑑定の判断に繋がるのです。

そして、こちらの教室では最初から

四柱推命の奥義とされる「力量」の解釈、

原命式の構造、通変星について解説し、

入門編が終了した段階で自分自身の持つ基本的な情報が理解でき、

持って生まれた運勢上の自分と直面するという、

類稀なことを目指して学んでいただいています。

このような意味で一般的な教室とはかなり内容の重みが違っており、

怖いと言う感想を漏らされた方もいらっしゃいます。

(運勢の上での自分であっても、見たくない自分が見えるのは嫌なものです。

この意味では、全く遊びの要素はありません。)

要約するなら、入門段階で自分自身(人の本質)に迫る

四柱推命を学べる、リアルな人間研究の手段としては、

かなりのレベルだと自負していますが、

趣味やレクレーションとしての推命術をお望みならば、

まったく相応しくない教室かもしれません。



さらに言うなら、

こちらで学んだものは、絶対に趣味やレクレーションで使ってはいけません。

自分を知るための入門講座

人生は修行だという人がいます。

私も時々同じ言葉を使います。

でも修行というからには、目標や目的があると思うのですが、

いかがでしょうか?

四柱推命を生業として、だいぶ年数が立ちます。

そして思うのですが、人生は星に支配されてはいるが、

その動きを自覚した時、人は星とは違う選択をすることが

できるようになるということです。

もちろん、こう言い切るには根拠があります。

それは、すべての存在に陰陽があるように

あらゆる星にもまた引用の二面性があり、

推命で用いられる代表的な星としての

通変星にもまた陰陽があるのです。

わかりやすく言えば、

星には長所と短所があるという意味です。

例えば「財星」であれば、一般的な推命書にあるように

お金、不動産、等のポジティブな面だけではなく、

これに気づいている人は少ないのですが、

不注意、甘え、破産、耽溺、女苦労等のネガテイブな面があります。

もしかしたら、これを読んでる占い好きの女性の中には、

あなたの命式には財星」がついているので、

とてもお金と縁があるわよと言われた方がいるかもしれません。

しかし、実際は、男性、または主人のことで、

かなり苦労しているのではないでしょうか?

そのあたりの事情を説明するのが、

「自分を知るための四柱推命入門講座」になります。

最初から最後まで個人講座になります。

秘密厳守です安心してご参加ください。







2018年 9月より

「自分を知るための四柱推命入門講座」の

昼間部を開設いたします。

午前10時から1時間、

午後2時からの1時間

計4回 詳細は入門講座の欄をご覧ください。

自分の顔に責任を持つこと

秋霜の気が日々に増し、

ここ一年の時の流れの速さに呆れる今日この頃です。

色々考えさせられますね。

「運をよくする10個の決め事」やってますか?

やっている人からは、結構良い報告を受けています。

どうです、やってますか?

なかなか意識して行うのは難しいかもしれませんね。

それなら、普段の行為のバランスシートとして、

チェックしてみるというのも、一法ですね。

(安岡正篤先生も「易と人生哲学」の著書の中で紹介されていた、

袁了凡の「陰騭録」より、はるかに基準点が絞られています。)



10善業というのをさらに見ていくと、これは三つの行為に対する、

対処法であることが見えてきます。


一つは、怒りを起因とする行為(瞋恚(しんに) 自分の思い通りにならないことによる怒り)

一つは 強欲を起因とする行為( 無理のある執着)

一つは 嫉妬を起因とする行為(対抗心からの妬み)


「悪口」はどうすればいいんだ、とか「噂話」大好きだし、

これってストレスの解放(解消)には不可欠という方もいるでしょう。

その時は上の三つに照らし合わせてください。

(特に「嫉妬」については、ほとんどの人が気づかずにやっています。)

その結果ですが、バランスが悪い方に傾くと、いずれも

人前から離れた時、

素(す)の表情が、淀んで醜(みにく)くなります。

手相と同じように、人相に積もり積もった心の表情が出てくるんですよ。

嫌なこと書くな〜と言われるかもしれませんが、

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と

リンカーンは言ったそうです。

お互いに頑張りましょうね。


「十善業」より再掲載しておきます。

自分より頭の良い奴はいない、自分の事を理解出来ないのは

みんながバカだからだと思っていて、孤独になっているのなら

その賢い頭を相手の長所をみつけることに使い

新人イジメがたまらなく好きな古参なら、今日からでも

親切な先輩になり、他の悪口や批判や批評をやめれば

後輩から確実に慕われます。


宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩をご存知でしょうか

宮沢賢治は熱心な仏教徒で、私などに言わせると

あの内容は10善業の具体的な姿です

誰かが悲しんでいたり、苦しんでいたら、ただ寄り添ってあげる

それだけでも、大きな力になり、その人を癒す事が出来ます。

自分には何も出来ないなんてことはありません。

あなたがそこにいる事が癒しになります。

人としての温もりや、言葉や、視線で繋がりあうことで

人は救われるものです。そんなときは言葉はいりません。

勇気を出して、良い事をしてみて下さい。

「運が悪い」これは、しょうがないことです。

今は記憶の切れ端も無いけれど、こころに刻まれている、

まぎれも無い過去の行為の証(あかし)なんですから、

自分が生まれた環境もまた「その結果」だなんてことは

誰も知りませんし、言いたがりません。

(業なんて言うのは非科学的だからでしょうね。)

まず、このこと(因果)を自覚しそれを受け入れる事。

そして、受け入れれば、次が始まります。

運が悪いのは親のせい、友達のせい、つきあった男のせい

そうじゃなくて、自分がなしてきた業のせい、そこから生じた縁のせいです。

自然の出会いはすべて業による縁から生じてしまう。

だから良い業を積めば、良い縁が生じて来るんですよ。

そしてまた、本人が自覚さえすれば縁は変える事ができる。

「これ、やばい、いつものパターンだ。」これに気付くことが

大事という事です。

それをより気付きやすくする方法が10の善業だと思って下さい。

良いエネルギーが増えれば増える程、気づきが生まれ

次ぎに、または同時に良い事が起き始めます。

諦めずに、自分の持って生まれた器の毒が澄みきるまで

あきらめず積み続けて下さい。

それが「勇気」ですね。

身体はピークを過ぎると、いつの間にか

ジジイやババアになっていきますが

心は意図すれば瞬時に、豊かに、満たされ、巨大に

充実し、さらに時により熟成されることができます。

それはそれで楽しいものです。

その方法が、10の善の業を積む事です。

東條英機首相

読売新聞

故東條英機首相の開戦前夜のメモが残っていたとのこと。

『すでに勝った」との発言が記載されていたらしいのですが、
「浅薄な勝利」に酔いしれることができた、魔法の時間帯です。

見かけ上の開戦の勝利は予想できても、

本質的な勝利には足りないものが多すぎます。

このかた自身にも、意図を叶える根拠がありません。

一時的な夢で全てが失せてしまう。

純粋で真面目で責務に忠実な方ですが、繊細で折れやすく脆い。

巨大な外圧と戦える人ではありません。すぐ切れます。

(星の構成はまったく違いますが元の小泉首相と似ています。)

軍人よりも検察や警察に向いています。

実際にも憲兵隊(軍隊内の警察)で功績をあげ出世しています。


いつの世も、目前の圧力や数字の上げ下げに慌てふためき

根拠の薄い浅薄なアイデアで、とりあえずやってみよう的な、

現場の社員の生活を無視した、会社優先の

命令を断行する組織が多々あります。

結局、グランドビジョンのない、現場頼りの

場当たり的なお商売は、潰れます。

時代の「時」を知り時流に乗り、

人の「和」=社員の平等性を確保し、

取引先との共存共栄を意図した仕事を

していくのが一番安全なお商売です。

これ以外の方法で出世を望むなら、

それなりの高い代償を払わなければならないようです。

難しいところです。

台風

2018年 9月10日


また台風が来ています。

こちらも夕方から大雨です。

前回の台風で、隣の家のアンテナが折れ、工事になると

挨拶に来られましたが、今回の台風も強烈とのこと。

アンテナ程度で済めばいいのですが........心配です。

大阪の地震に続き、台風、そして北海道地震。

あるテレビ番組でコメンテーターが、

奈良時代の天変地異に似ている、ときの聖武天皇は

「責めは我一人にあり」とおっしゃったと

コメントしていました。

(えっ、天皇家をテレビでデスッテル? 思わず、すげーと思いましたが、他の方は完全にスルーしていました。多分、普通は知らないですよね。易姓革命も、この天皇が奈良の大仏さん建立の発起人なんて。奥さんの光明皇后は悲田院、施薬院を作った人で、このかたの積徳が藤原氏の栄華の礎になっていると、ある方がおっしやっていました。)





エポックメーカの欄に毛沢東さんに続いて二人ほど

追加しておいたのですが、貴格とか、

高命式とは一体、なんなんでしょうか?

いわゆる高命式と言われ、英雄、偉人とされている

諸々の方達の年譜を一生の長さで見たとき、

真面目で不器用だけれども、

お人好しで、友達に愛され、最後には

妻や子供達に看取られた、近所のおじさんの方が、

よっぽど、幸せで素晴らしい人生だと私には思えます。









他人を傷つけた記憶は消えず、

傷つけられた記憶もまた消えません。

時間が経てば、自然に心の奥底に沈み、

水底(みなそこ)の澱(おり)となって、

消えて無くなってしまったように見えますが、

関連する何事かが起きた時、

見事に過去がリンクしてきます。

人は誰もが、潜在的に、過去に怯(おび)えて

生きているのかもしれません。

高命式について

プロを目指し、推命や占いの教室を探してる方が

いるということなので老婆心から書いておきます。

我々の四柱推命の鑑定では、大雑把に言えば、

調候用神十干鑑法を用い十干の性状と

用神の有無、大運の流れの吉凶を見て

性状および運勢の良し悪しを判断するのですが、

流派により日干支の力量を勘案する格局に置き換え、

用神を見つける流派(主に伝統派)、

命式の中の五気周流や、神殺の有無、干支の組み合わせ、

空亡を根拠にして相性や、初年、中年、晩年、さらに

家運までをも判断する、主に四柱推命を

統計学という方達の流派があります。

それぞれがそれぞれで、それに見合った方達に

支持されているわけですから、

すでに棲み分けがなされていると言っていいと思います。

けれども一つだけ言わなければならないのですが、

いわゆる、どんなに素晴らしい運をお持ちの方でも、

社会に出れば(社会は生まれた時から始まっています)

誰もが戦わざるおえないのです。

たとえ運が強く相手に勝利しても傷は必ず残るのです。

戦いは必ず双方に禍根を残す。その傷は、

本人に出なければ、家族の中の一番弱い者に出て来ます。

(さらに怖いのが世代を超えて、誰もが忘れた頃に出る場合があるのです。)

また、運を巧みに利用して大金持ちになったとしても、

今の世の中は次の世代に財を残すのが至難の技となっています。

(現今の相続税は2015年時全資産が6億を超える場合は55%です。また金銭での納付が基本であり、物納は難しい状況とのことです。)

財産があればあったで、愛する子たちが争う姿や、

おこぼれにありつこうとするハイエナの群れを、

あの世から眺めていなければなりません。


占い師さんや鑑定士さんは、

そんなの関係ないというかもしれませんね。

でも、もし、目先の鑑定をしていたとしたら、これは罪作りになりますよ。

それでは何を言えばいいのか?と問われるかもしれませんね。

答えは、

人生に病んでいる人には「自分を大事にしてください」と、

燦々と降る太陽の光の下を歩んでいる人には「他人を大事にしてください」と

こう伝えることに尽きるのです。

そう伝えるための根拠をしっかりと、

各々の占術から導き出すことができれば

どんな占術を使おうが人の役に立つ占い師さん、

鑑定士さんになれると思います。

光陰矢の如し、精一杯、今、学べるときに学んでください。

四柱推命教室 教室選び 1、2、3

おしらせ

コラムの収まりが悪いので四柱推命教室選びは別枠に移しました。


占い 四柱推命 教室選び

仮想通貨

仮想通貨の名称がいつの間にか暗号通貨と呼ばれるようになり

北朝鮮が約600億円相当のピットコインをここ2年ほどで

盗んだと国連で報告されているにも関わらず、今度は

フェイスブックによる暗号通貨(仮想通貨)の「リブラ」が運営されるようです。

世界に20億人の利用者がいると言われる会社です。

普通、動き始めれば止まらない。

10年、20年先には暗号通貨で給与が支払われ、

暗号通貨でしか物が買えなくなるかもしれません。

もうすでに中国あたりは携帯端末でしか物が買えない状況です。

携帯端末に個人情報の全てが保管され、身分証になり、

知らぬ間に端末に管理される社会が普通になるのかもしれません。

マイナンバー制などよりはるかに安易で受け入れられやすい、

国家管理の仕組みです。

ガラケーが自然消滅したあたりから本格的始動でしょうか。

実は携帯端末の利便性に、人としての大事なものを盗られている

とも思うのです。

大人も子供も親も含めた他の人と関係すると、必ず、

何がしかの摩擦が起きるものです。

そのストレスを晴らすために、その感情を

端末に打ち込み文字にしてしまうと、

その一瞬の感情が切り取られ形になって残っていきます。

(時に拡散され収集がつかなくなりますね。)

けれども人の心は時とともにコロコロと変わるものですね。

昔の人は、日記でその作業をし、

書いたものを見返すことによって、

その時の自分を客観化し反省し、改善法を

思案し人間としての成長の糧にしてきたのだと

思うのです。

幾つになっても人は成長できるものです。

魅力的な大人になってください。




川崎事件以降生徒さんと引きこもりの問題を話す機会が

なんどもあり。考えさせられています。

「子離れ」「親離れ」の個人の話で括れば簡単なのでしょうが、

問題は複雑で実際の原因がわからない場合が多いのです。

だから苦しい。

もし、この文章を読んでいる引きこもりの方がいたとしたら、

一つだけアドバイスがあります。

かつて外で体験した「怖かったこと」が、もしかしたら、

今のあなたを、そこに縛り付けている原因かもしれません。

それを見つけてください。

いじめられた経験があるのならば、いじめた奴より、

助けなかった親や友達への憎しみがあったと思うのです。

そして、時間が経つとともにはっきりと状況が理解され、

心底人を憎み始めた時、普通の人は自分が怖くなるものなのです。


もし、考えて、考えて結局、

親が生んだからだと考えついたとき、

親の顔をよく見てください。

あなたと同じくらい苦悩し、老い、衰え、醜いはずです。

それで十分ではないでしょうか。

さっさと自分の人生を探し始めることです。

昔の引きこもりは、暇を持て余し、本を読んだものですが、

今の引きこもりは、ゲームにうつつを抜かしているようですね。

本を読んでみてください。

キンドルや青空文庫等々、図書館に行かなくても

本が読める時代です。


スリッパを引っ掛け、空が青いことを見に行きませんか。

電子音もいいですが、たまには生歌もいいですよ。

肉体を持つものの声でしか感じられないものもあるのではないでしょうか。

オススメの洋楽

観音さんの話2

昨日、観音経について書いたついでに

眞觀清淨觀 廣大智慧觀の解説をしておきます

実はこの内容は般若心経に書かれています。

多くの方がご存知だと思うのですが、

般若心経は

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空......」

から始まる大乗仏教の核心思想である「空」を説くものであり、

観音さまが御修行されたと、ハナから書かれているお経です。

「空」とは何か?

心経を学んでください。

そして「空」を体得すると何が起きるのか?

................................。

「どんなことができるようになるの?』と問うたほうが

我々のような俗人には相応しいかもしれません。

まさか観音経にある神通力が生じるの?

「空」で?

「神通力的なもの?」

神通力って超能力?.......と言って

力(ちから)に目がくらみカルトに落ちた人達の

成れの果ての姿を我々は最近目にしました。

本当に罪深いと私は思います。

だからこそ、どんなに辛くとも、自分の人生を、

誰かや、何かに委(ゆだ)ねるのではなく、

自分自身で学び、確信し、歩むことが必要なのです。

あらゆるものから自立すること。

そのためには、やはり、真理を知ることです。

えっ「真理」って何?と、

どこからともなく声が聞こえてくるようですね。

答えは簡単です。

あなたも、私も、「生まれ、老い、衰え、死に至る」

これ以上の真理、無いじゃ無いですか。

さらに、生まれるものには、必ず、

何かしらの「業(いわく)」がついている。

それを語るのが、私が得た推命術なのですが、嗚呼。

推命について(改)

ここ数日(数年)推命学が正しいのかどうなのか

再検証をしているのですが、少々煮詰まってきました。

確証が得られたものと、そうでないものがあり、困ったものです。

ただ、いろいろな事実を知るにつけ、

五行五気の相生相克理論を見直すと、

あらゆる人間関係について理解ができるようになり

同時に、残念なことですが、

人は、皆が皆いい人ではないということが

再確認できました。

(このことに関しては、多分書いてはダメなことなので、これからも書きません。)

さらに、一考していただきたいのですが

学びとしての推命学について、

教える(学ぶ)順番を間違えてしまうと

極端に判断が安易に流れてしまい、

鑑定が差別や優劣の基準になってしまうことです。

具体的に言えば力量を理解できず通変星の解釈が浅く

実際に合致しない場合、運が悪いのは

空亡だ天中殺だと連呼し、神殺が如何の斯うの、

さらには霊障だ風水が悪いだのと、訳のわからないこと告げ、

この人には悪星が付いているから下の部類、

この人は貴星があるから上の部類、この人は普通の人等々。

さらに大運を読めない(使わない)方達は

運勢を宿命論とし固定したものと捉え、努力など

意味がないと言う運命論者、

厭世主義者を生み出す温床になり下がっている。


私は霊障も家相も怨恨も神殺も否定しません。

実際にその影響はあると思っています。

けれども、やはり持って生まれ持った星の運勢が

その人の価値の基準であり人生の基盤として働いていることは

否定のしようがありません。

そして、この構造を紐解くことができずに、

神殺の有無で判断することは浅薄の極みです。

身なりの良し悪しで病を判断するヤブ医者のようなものです。



何がしかのトラブルの多くは個人の運勢と

その人と共存する他の人との運の相互干渉によって起き、

そこに問題がなければ風水=環境からの影響によって

起きています。

実際は、当たり前のことが起きているだけなのですが、

誰か(何か)のせいにしたがるのが我々の本性です。

責任転嫁とかいろいろな言い方がありますが、

その原因を見ないふりにしているうちは、

なかなか前に進めません。

人は、本当に面白いもので、そんな自分をよく知っていて、

そんな自分を許せず、結局進む力が自然に萎え、

事あるごとに1ポイントづつ勇気が減っていきます。

物心ついた頃から人はこれをやり、人生が積算され、

今に至っているというのが普通の大人たちです。

いつも考えさせられるのですが

人生は自分の足でしか立てないし、

誰かが歩かせてくれるものでもありません。

人生を変えたいのであれば、過去は変えられませんが

変える努力をすれば変わります。

しかし、これには大きな問題があり、それは多くの人が

「変えられない過去を変えようとしている。」と言うことです。

あの時こうすれば、あの時自分が違う選択をしていたら......。

過去は変わらない。諦める勇気を持ってください。

そして「時間」はこの瞬間にも消えていっている。

無常です。



考えていてもしょうがない。決めて、動き、生きる。

新年度

年度始めに新元号も発表され、

社会全体が、なんとなく、新しい時代に向けて

進み出した雰囲気が感じられます。

どんな時代になるのでしょうか。

どの時代でも勝ち負けの勝負があり、本物であろうが、

模造品であろうが、大衆に支持されなければ、

自然消滅していくのがこの世のルールです。

生き難いところがあります。

お盆

今日8月16日 お盆の送り火の日です

去年までは近くの公園の盆踊りで繰り返される「品川音頭」に

げっそりしながら、子供たちのはしゃいだ声に

なんとも言えぬ風情を感じていたものですが、

うだる様に暑く、

昨日と変わらぬ日常の生活音が聞こえるだけで静かです。

お盆は亡くなった方達を思い出す機会であり、

年に一度くらいは己の生き方を反省する機会でもあります

人の恨みを買ってないか。他人を傷つけていないか。

できることから逃げていないか。

亡くなった方達はどうだったのだろう?と。


霊能者さんに言わせると、大抵の体の痛みや不調は

人の恨みだと言い、原因を作った本人だけではなく

家族の中の「気」の弱いものにそれが出るとも言います。

私にはわかりませんが、理屈で言えば

御祓で治る病の類はそれなのでしょう。


多くの人は幸せになりたいのに、苦しみの原因ばかりを

積み上げている。なぜでしょうね?


因果の法則に気づいていないからだと思いたいのですが、

どうやらそれだけではないようです。

ある人から聞いた話ですが、スーパーに買い物に行った時

お菓子売り場で、幼稚園児くらいの子供が鼻くそを

そこら中の菓子の袋につけていたそうです。

様子が気持ち悪くて、見なかったことにしたらしいのですが

多分、家でも外でも手洗い衛生に関してはキツく云われている

はずですが、それを踏まえて、無意識に、

他人を傷つける罠を仕掛けている。無意識にです。

本人にも理由がわからないと思います。


人は、ストレスや、やり場のない怒りや生理的な感情に操作され、

とんでもないことをしでかすものです。

時には正義感に駆られてこれをやる人達もいる。

妬みや、嫉妬に操作されている人たちもいる。

犯罪的な行為をなす理由の半分くらいはこの類でしょう。

このことに気づくことが大切です。

そしてそれに気づいたら、とりあえず、素直に、

自分を傷つけていることを自覚することです。

そして自分自身に謝ることです。

5月27日 四柱推命研究資料

増永先生の「新推命学」のご著書には我々にとって

とても貴重な資料が残されています。

それは先生が収集された命式で、周辺情報の豊富さにあります。

何人兄弟で、どの兄弟がなくなり、親がいつ亡くなったか

同一生年月日の被験者に起きた事柄等々の

実例がかなりの量で記載されています。

解説は六親と基運によるもので流派の違う者には

知らない国の言葉となり難解です。

生年月日は正確ですが年齢の表示が数え年で

現行仕様の満年齢ではありません注意してください。

命式の多くは明治末から昭和初期にかけての近代で

家族構成が書かれています。

「親との縁が薄い命式」という分類があるのですが

当時の社会構成までが明らかにされいて驚かされます。

多くが複数兄弟で、兄弟の中に死者があり、

母親が亡くなると、すぐに後妻を娶るもの

兄弟の中に妾腹と書かれている実例

私の感想ですが、この当時の女性にとっての「結婚」は

「家」を絶やさないため子供を産む役目を社会から

強要され、多くの方達は恋愛とは別の次元で

結婚していたのだと思います。多くは結婚してから

夫との恋愛を楽しんでいたのかもしれません。

恋愛結婚は自由恋愛だ野合だと言われ

蔑されていた時代です。今とは順番が逆ですが、

恋愛の意味が信頼と愛情の積み重ねとなります。

これはこれで良いかもしれません。


男性はろくなもんではありませんね。

「家」を継ぐ長男は嫁にあぶれることなく、

離縁してもすぐに代わりの嫁を娶れたようです。

時に先妻の妹など、なんとも言いようがありません。

結婚が社会制度として強制されていた時代です。

色々と考えさせられます。


( 学生時代、とても面白いおじいちゃんの先輩がいて、

彼曰く、僕の学生時代は吉原から学校に通っていてね、

素人に手を出すときは結婚するという

「暗黙のルール」があったんだよと言っていました。

 今の男性とは覚悟が違います。)



先生の著書は、その時代を知ることもできるし

実例研究にはとても良い資料だと思います。

現代はネットの普及で実例研究の資料には事欠きませんが

時を経ても先達の遺稿の価値は失われてはいません。


本来は自分の師匠の実例集を推薦するべきですが

他流派の方が緒方派の推命の実例集を見て解説を聞いても

難しいのではと思います。

既存の推命学とは視点が違うことが原因だと思います。

先にも書きましたが、従来の推命学は鑑定を受ける者の

「自分の運命にはどんなことが起きるのか?」が

その視点の中心になっていて

財運はあるのか?出世できるか仕事運は良いか?

結婚の相手はどうか?子供との縁は良いか?

そして、いつ頃それが起きるのか?の答えを

命式から導き出そうとします。

相談者には何も喋らせず、黙って座れば全てが当たる

ことを理想としている感があります。

これはこれで素晴らしい力だと思いますが、

だからどうなの?と私は思ってきました。

あなたの言う時期に確かに結婚しました。

子供もできました。でも、毎日家庭は修羅場です。

あなたの言うように出世しました。でも、

毎日仕事が苦しくて苦しくて仕方ありません。

「キミキミ、人生は塞翁が馬だよ、きっといいこともあるよ。」

そう言われてもねー。と私なら思います。

人の運命に起きる事象には興味があっても、人そのものにはあまり

興味を示していないように私には感じられるのです。

もちろん術は使いようで、これを応用し、危険を回避させ

福徳をさらに呼び込むための方法としても使っている先生方が

いるに違いないと確信はしています。




「なぜ、そのことが起きるのか? どうしてこんなことが起きたのか?」

「どうすれば、そのトラブルを回避できるのか?」そこを極めていくのが

私どもの鑑定の目指すところです。

恥について

国会で「野党は恥を知りなさい」との答弁がなされたとのこと。

かの先生方の答弁はどうでもいいのですが、

わたし的には、

これ、恥ずかしくないんだ。と思われるようなことが

堂々とまかり通っている昨今。恥の感覚って何なんでしょう。


散々遊んできた親が子を持つと、子供には自分の

やんちゃ時代の話は、なかなかしません。

この点は男親も、女親も同じです。

この辺りを知り合いに聞いたことがあるのですが、

だって、自分の子が不良になったら困るじゃないですか。と

言っていました。

多少は自分の過去を恥じているのかとも思うのですが.....。

「恥」について面白い論文があったので紹介しておきます。

恥を知れということ

大局的に二極に分かれ一つは自律的なもの、もう一つは他律的なものと

難しく書かれていますが、

A「自分が自分を恥じる事」

B「世間的な目で見ると恥となる」

この二つの意味だと思われます。

その始原の感情を考えると

Aは「自尊心に依拠するもの」

Bは「世間体に依拠するもの」となると思うのですが、

最近、

芸能人はダメだけど、不倫はしょうがない。世間的には

普通にあることと、

うら若き女性が言っていたので驚いたのですが、

昨今の男女の仲は

自分の思いを最優先させて当然、世間は二の次ということなのでしょう。

しかし不倫は愛情問題の前に信用問題だと私などは思うのですが、

もし、それがバレて二人の間に子供がいる場合、

子供は自分が誰の子かわからなくなる。

DNA鑑定をしたとしても感情は複雑です。

母親と関係していた相手との精神的なつながりが

生じる場合があり、自分は本当はこの人の子(実父)

として生まれてくるはずではなかったかと、

自身のアイデンティティが崩壊する場合があるのです。

(子供達の実の父親まで精神的に奪ってしまう場合があるということです。)

自分が大人になって親と同じ立場になって初めて

素直に親を受け入れらる可能性では子が可哀想すぎます。

これを利己主義といってもいいと思うのですが、

ご本人は

「自分らしく生きているだけ。お前に言われる筋合いはない。」

と述べられる思います。他人は関係ないということです。

利己主義の成れの果ての、お手本のような事件が最近あり

彼女は子供に犯罪の手伝いをさせていました。

子供の将来など一顧だにしていません。

利己的な生き方というのは自分の欲のため

また追い詰められれば血を分けた肉親まで

自分のための生贄にしてしまうのです。

(繰り返し報道される痛ましい児童の事件の一因もここにあります。)

家族を裏切るということは、なかなか大変なことなのですよ。

もし揺らいでいるのであれば晩年の孤独、孤立を覚悟することが必要です。



世間体に対し自尊心を恥の依拠とする場合、

時々見かける、引越しや、店じまいする居酒屋さんの軒先に

「自由にお持ちください」と

食器などが置いてあることがありますが、

潔癖症の方は別として、手にさえ取らない人たちがいます。

もっといいものを買うお金がある、

お金がなくとも自分は乞食ではない。

とプライドが許さないのです。

他人から笑われることも、ましては指を指された場合

相手を許しません。

昔から「武士は食わねど高楊枝」「武士の沽券にかかわる」等

己の自尊心、プライドに最大の価値観を置くタイプです。

明治 大正 昭和までは、「家(出自)」や、肩書き、

資産等格付けなどの世間的な評価が、このプライドの

根拠になっていましたが平成の御世、経済と共に、

この自尊心まで崩壊し今に至るというところでしょうか。

肩書きでごちゃごち言われない良い時代とも言えるのでしょうが、

せっかく令和に代替わりしたのですから

恥知らずとおぼしき国会議員の先生方の

顔を見るに耐えない現状は、どうにかならないものでしょうか。

大人になること

誰かと長く 仲良くやりたいのであれば

第一に大事なことは

適度な距離を置くことです

お互い 余計な干渉はしないこと

それが「寂しい」と言うのであれば 「他人」と

長いお付き合いをすることは 難しいかもしれません 

「他人」じゃない「ダーリン」だものと

漫画のようなことを言う人もいるのですが

残念ですが、幼すぎるのが原因で破れるかもしれません

最近は国会議員にさえ 幼い子供のような人がいて

この国の未来が危ぶまれますが 

何もかもが破綻する前に

是非 大人になってくれと願わずにはいられません

他人のこと、未来のこと、次の世代のことを思い

行動すること

「今の言動が将来を生み出す」という認識があれば

自ずと 言葉も態度も変わってくるのではないのでしょうか。

それが出来ないのが「幼い」と言われる所以です



 

不都合な真実

どの世界にも不都合な真実があり、

見たくもないし、聞きたくもないのが

正直なところす。でも、知ると知らぬとでは

大きな違いがある。

運命の構造がわかれば、運を変えることも、

そのまま流れに乗ることも自分の意思で

選択できるようになります。ただ世の中はどう転んでも

運否天賦」を超えることは稀だと

最近、心境が変化してきました。

その理由は、一つには人の「ご縁」を見ていると、そこには

必ず結び付くべくして結びつく理由があり、

それぞれが吉凶の現象を背負っています。

「ご縁」なくして結婚している夫婦はいないのです。

(これも不都合な真実の一つかもしれません。)

親子もまたそうだと言えば、多発している不幸な事件も

必然だという愚劣な運命論者が出てくるかもしれませんが、

それは違い、

親にとっての子供は鏡であり、希望であり、夢であり、

怪獣であり、親たち次第で善悪が決まると誤解されている

厄介な隣人です。

もう一つの理由としては、やはり、持って生まれた心の癖に

変化を与えるためには、

確固とした動機とある程度の覚悟が必要であり、

漠然と良くなりたいでは、よくならないのです。

もしかしたら、そのために「天」は人に大きな苦しみを

与えるのかもしれません。

嗚呼。


余計な話ですが、

年齢的には大人でも精神的には幼い親が山ほどいて、

小中学校の先生方も実際の所、親の教育が先かもしれないと

聞き及んでいます。そのくらい親に社会性が無く、

一般的な常識が欠けている。特にSNSを介した問題は

「個人情報」というややこしい権利の主張により

本当にバカらしいことが事件として親から学校に申告され、

現れなくても良いはずのモンペが増えているとのこと。

大変な教育現場の状況です。

自由 愛

大人への階段

「愛」というのは厄介です。

それを楽しみに毎日を生きるというのも

ロマンチックですが、芽生えた愛を唯一の生きる寄る辺だと

決めてしまったら愛に縛られ自由が消え失せます。


どこかに書きましたが、人の幸福感はあらゆる規定や束縛から

自由であることが基盤にあり、なにがしかの制約が生じると

「苦しい。」と感じ反発し始めます。

(好きな時に食べて、好きな時に寝て、好きなものを食べて、

この「好きな時」というのが、ここで言う「自由」の意味です。)

恋愛が深くなるほど苦しくなる理由はここにあります。

相手を思えば自分が妥協しなければならない場面が

必ずでてくるものです。

人の感情は肉体的なタイミングにも大きく作用され、

もっとわかりやすく言うと「今、会いたい。」

でも、今は会えない。そんな時、

頭ではわかっていても感情が激することがありますね。

人は思っている以上に動物的で肉体は生命力に溢れている。

実に自然なことです。何も否定すべきものではありません。

男女の仲とはこのような理由で、

自己主張ができなければ喜びは生じず、

相手への妥協なくしての関係は成り立ちません。

この辺りのことを理解し自己修養を学ぶというのが

大人になるということですね。

良い大人になってください。

ぴえん

先々日言葉狩りの話を書いたのですが

翌日、三省堂の「今年の新語2020」の発表があり

ぴえん」が大賞とのこと。「リモート」「密」を抜いての

大賞です。

なんだこりゃ?と早速ウイキペディアで調べました。



女子中高生とユーチューバーの発信が

たった数年で世間を席巻した証というところでしょうか。

ここ数年の傾向として、彼女たちの世代を商品開発に

関わらせている企業が多いとのこと。面白い傾向です。

また、学生の起業家さんも多いようです。

国内では、既得利権や利益にうるさい年寄達が

寄ってたかって潰しにかかるかもしれません。

感性の合う人達は国内には少ないかもしれませんが

世界に求めれば、いくらでも現れるでしょう。

それができる時代です。成功できるといいですね。

ところで、反面こんな記事も見つけました

物作り日本の病理

ここに書いてある通りだと思います。

私もだいぶ前に国産技術の集大成「三菱ジェット開発」の記事を読み

ワクワクしたものですが。その後何度かの事故の記事の後

報道の場から消え久しぶりに現れたときは

「凍結」との記事でがっかりしたのが、つい先日の事です。

(10月30日との記載が記事あります)


それでも、このような記事が出てくるということは、それなりの

刺激を世間に与えることができるのではないでしょうか。

先日終わった朝ドラ調で申し訳ないのですが

若い世代の発した言葉が、ここまで世間に影響を及ぼすのであれば

世界を巻き込み踊れよ若人「栄冠は君に輝く」とエールを

送りたくなるのは当然ですね。

組織を守る大人達も可能性の芽があるものであれば、

是非 前向きに育てて欲しいものです。

出光佐三 

エポックメーカーの欄に出光佐三さんの

命式をあげておきました。色々な意味ですごいかたです。

決して運勢だけに乗って名を残した方ではありません。

9部の努力1の運というところです。

その理由は初年に受けた教育の賜物だと思われます。

やはり、教育は命運を超える力があります。

一命、二運、三風水などというのは糞食らえです。

人は目的を持ち、努力し、行い、他人を大事すれば、

運は開ける。そう思って良いと先達達は、

その生き方で示してくれているようです。

温故知新とはこのことですね。

安岡正篤先生

エポックメーカの欄に安岡正篤先生の命式を

あげておきました。

典型的な学者型であり、やはり理想家の命式です。

85歳に亡くなられています。

年譜がハッキリしている方なので、運の流れと

重ねて研究して見てください。

晩節を汚してしまいましたが、これは年運の重なりに

理由があります。




近代のエポックメーカー

メルカリ

今日メルカリについての記事がネットニュースに流れていました。

ITmedia

SNS時代の、時の利に乗った勝ち組の一つです。

ただ、楽天などに代表される、真っ当な事業主ではなく、

信用調査なしの一般素人が個人情報の秘匿を前提に

出品でき、安全に気軽に儲かるという

射幸心を煽ることから始まっているため、

遮二無二にお金が欲しい人たちから、目をつけられてしまいました。

そりゃ、やりますよ。個人情報厳守なんですから。

泥棒も守られる。これも人権です。実に難しい問題です。

会社は取引の場を提供するだけですから、基本、リスクは負いません。

法令上の違反があれば削除する等、

倫理上の責任は問われて当然のはずですが、その程度です。

昔から博打で恒常的に儲かるのは胴元だけとは

よく言ったものです。

そのうち、集団訴訟でも起きた場合、どうするんでしょうか。

腹黒い弁護士さんが世の中に横行しているようです。

法の解釈は年々変わるものです。

人権を優先する「かわいそう」感情がより重いというのが

最近の流れのようです。


企業の皆さんは、

知らぬ存ぜぬでは太刀打ちできなくなります。

リスク管理はしっかりしてください。

人恋ふは悲しきものなり

誰かを大事に思う時、

夫婦であっても、恋人であっても

肉親であってもそうでなくとも、その人を

大事に思う心は暖かく、切ないものです。

でも、そんな時、よくあることなのですが、

相手の幸せを願いながらも、実は、自分の定規の目盛りを

相手に押し付けている場合があるのです。

別の言い方をすると、相手の気にくわないところを、

自分のいう通りに、してちょうだい。と、

一番大事な人が、その人ではなく、

自分に入れ替わっている場合があるのです。

よくある喧嘩の原因がこれですね。

いつの間にか温かい心が冷め、愛しい人から

嫌な奴に移行していく。

もし、喧嘩の原因がここにあるのならば、もう一度、

自分自身の心の中を覗くことから始めてください、

素直にさえなれば、解決の近道になると思います。

生徒募集

「自分を知るための四柱推命講座」 

生徒募集                募集人員

平日 火曜日 午前10時より 11時    1名

       午後 2時より  3時    1名


夜間 木曜  午後 7時より  8時    1名


詳細は「教室」の欄をお読みください。

(曜日の変更は可能です。まずはご相談ください)

十不善(再掲 加筆)

若いときの失敗は、

「人生なんてこんなものさ、次でしっかりキメてやる。」

そう言って自分の心に踏ん切りをつけ、

なんとか立ち直るものですが30から40代を過ぎるあたりから、

しくじりが続くと、

「思い通り行かない。苦しい。」と心のつぶやきが始まります。

(いつからなのか記憶にない、子供の時からそうだったという人もいます。)

親が悪い、あいつが悪い、こいつが悪いと苦しみの原因の犯人探しをし

誰かのせいにするのが普通ですが、

「待てよ、自分が原因か?」と気づいてしまうことが、たまにあります。

自分の「人生」と「自分自身」に直面する瞬間です。

恐る恐るでも、自分の心を覗いた時、

見えたものに、見て見ぬ振りをするか、

見えたものをなんとかしようと、あがいてみるか、

どちらも本人の自由ですが、

どちらの生き方を選んでも「楽になる方法を」書いておこうと思います


普通の生き方をしていれば誰でも出来る方法です。

1、生き物を殺さないこと  

生き物を殺さなくなると病気が減るそうです。


2、他人のものを盗まないこと、 

物だけではなく人間も同じです。泥棒が悪いのは誰でも知っていますが誰かの伴侶を泥棒することは罪にならないと思っている人が多いようです。逆の立ち場が想像できれば、よく解ると思うのですが、うだつの上がらない、クソ亭主で、もう離婚しかないと思っていても、そんな亭主をよその女にとられたとなると、妻としての自尊心が砕かれます。「のしを付けてくれてやらー。」とタンカを切っても、その恨みは晴れません。

他人のものを盗まぬ業を積むと財産に恵まれ、敵や盗難に逢わなくなるそうです。

3、パートナーを大事にする事

結婚でも、恋愛でも、お互いがパートナーだと認め合ったとしたら、

変な話ですが、人の心は自然に「契約成立」と理解し、

なんらかの義務と権利を、そこに見出してしまう。

基本、裏切りは許されません。

いわゆる、邪婬として忌み嫌われる。

邪淫を捨てる業を積むと敵がいなくなり、パートナーが美しくなるそうです。

(逆に言えば、男性も女性も、パートナーに裏切られると、本来の見栄えが劣化するということですね。すぐわかります。裏切った方はどうなるかというと、パートナーに対しては異常に快活を演じますが、だんだん表情が消えて行く。一度は愛した相手です。どうしても、罪の意識(自分)からは逃げられません。)


4、嘘を言わない事

当たり前のことですが、信用がなくなります

嘘を言わない業を積むと、言葉に説得力がでるそうです。


5、他人でも、身内でも、その人達の悪口を言わない事 

悪口は必ず相手の耳に入ります。

人間関係がギスギスし、何事も円滑に進まなくなります

悪口を言わない業を積むと良い噂しか広まらないそうです



6、他人の欠点をあげつらわない事

5番と同じですね、これは恨まれます。



7、つまらないウワサ話しをしないこと

  壁に耳あり障子にに目あり。必ずバレます。



8、強すぎる欲望は制御する事

他人のものでも、何でも、あれが欲しい、これが欲しい、もしあれがあったらと想像したり空想が続くと、持っていない自分にハラが立ってきたり、それを持っている誰かにオマエより自分の方が似合うのに...。などと謂れのない嫉妬をし始め、物欲お化けに変わります。

嫉妬、妬み、対抗心、なかなか怖い感情が、このあたりから生まれて、「苦しみの」大きな原因の一つになってきます。

けれども「欲」は生きる上で必要不可欠な心の働きですが、行き過ぎると、毒になる。欲を否定してはいけません。ほどほどを心がければいいのですよ。ほどほどの基準は、他人を傷つけないことです。

欲心を断じる業を積むと願いが叶いやすくなるそうです

9、誰かを心の中で傷つける事

心の中なんだから、ほっといてくれと言われるかもしれませんが、心は必ず表情にあらわれます。それが続くと険難の相があらわれ、実際怪我をし易くなります。

こころは現象の種を播く畑であり、言葉が肥料、行動が結果となります。恨みの種を心に植え、何度も何度も心の中で怨恨の言葉を繰り返していたら、結局おまわりさんのお世話になる事になります。

害心を断じる業を積むとあらゆる怪我、傷害が減るそうです。

10、因果なんてありゃしない、どうせ死んだら終わりさ、などと言って人生を諦めるような考えには惑わされない事

播いた種は必ず芽が出ます。悪い種を播けば、悪い芽が、良い種を播けば良い芽がでます。

今が苦しいから、死に逃げることを考えるのですが、死に逃げた結果が今の苦しみの原因だとしたら、どうしますか?

これが事実かどうかはわかりません。でも我々は、起きている現象には理由があるということ知っています。

自殺の後の行き先はわかりませんが、いまの苦しみの理由はわかるでしょ。それが因果ということです。


当たり前すぎる事ばかり書いてきましたが、これは仏教で言われる十善業をもとに書いたものです。多くの教典に書かれていて、南伝仏教では十善戒ともいわれています。




十善業

行為について   殺生 偸盗(ちゅうとう)邪淫

言葉について   妄語(もうご) 両舌(りょうぜつ) 悪口(あっく) 綺語(きご)

こころについて  貪欲 害心 邪見(じゃけん)

この10の行為を言うのですが、実は、驚くなかれ、これが悪業のもとになっていると仏教では言うのです。つまり、この行為により地獄のような世界生まれたり、餓鬼のような世界に生まれたりすると仏家はいいます。

まさか、こんなことで?

本当に「こんなこと」程度なのか検証しましょうね。

実は、この10の行為自体も問題なのですが、この行為におよぶ動機がまた問題で、怒りによる動機、欲望から来る動機、なんも意識せずに、ただ、してしまった。これを無知、または暗愚と言い動機の一つに数えます。

それぞれの動機により、死んだあとの行き先が違うと説かれ「怒り」は地獄に、「欲望」は餓鬼の世界に、「因果の無知」は動物の世界に流れる。またそれぞれの動機が激しい場合は地獄に、中くらいの場合は餓鬼に軽い場合は畜生に生まれるそうです。その動機が軽いか重いかは死んでみればわかるということです。

なんとも皮肉な言いようですが、そうとしか言えないようです。

(十善業といいますが正確には十不善業の解説です。十種類に分類される苦しみの元になる行為「業」という言葉の見解にはいろいろあり、一般的にはその人の持って生まれた思考形態、ものごとを考える傾向そのもの、言葉、心、行動に反映される精神活動全てという意味で良いと思います。もっと単純に言えば、理由はどうであれ「自分が動いた結果」「動いた報い」ということでしょう。)

そうさせたのが何であれ、最終的には自分が選択した行為ですね。そして、この業は死んだら終わりではなく、延々と「心相続」と言う形で我々の肉体に宿り生死を繰り返す、この現象が輪廻と名付けられています。その、持って生まれた業を固定したものと見るか、業もまた因果律により浄化すれば善化すると見るかが、仏教と、いわゆる外道との差になり仏家は因果の法則を「縁起の法」といい、固定されていないもの。浄化の因を作れば浄化されると説きます。その方法が十善業で十不善の真逆の行為のことで平たく言えば、意図的に十不善を避け、他人に思いやりをもちなさい、それが業を浄化するよとお釈迦さんは説かれ、白隠さんも最澄さんも明恵さんも偉い坊さん達は、このことが書かれた七仏通解説偈をとても大事にされました。

夫が嫌い

なんとも切実な記事を見つけてしまったので

貼っておきます夫が嫌い


「望まれて(望んで)結婚した」と一概に言いますが、

夫婦というものの内実は実に様々です。

この辺りの事情を見極めることが相性の鑑定の肝になるのですが、

なかなか難しい。

相性が良ければ、一緒にいても楽チンなのですが、

情熱的な「恋愛」感情が生じるかとなると、

これは別の話になってしまう。


男女の仲というよりも、

自分と自分以外の人とのおつきあいというのは実に厄介です。

考えてみれば、

自分自身とのお付き合いも難しいのだから、

当たり前としなければいけませんね。

頑張りましょう。

バランス

ダイヤモンドオンラインの記事を「近代のエポックメーカー」に貼ってあります。

そこにも書いたのですが、

この三人は(ヒトラーを含め四人)の命式は分析積みです。

そこで、考えて欲しいのですが、

彼らの病気や病状を蔑んだり、これじゃ無理でしょと、

ハスに構えて、利口ぶるのではなく、

自分の器以上の夢を描き、それを手にしたものの苦しみを感じてください。

器量以上の責任や期待をされた時、人は壊れることもあるのです。

子供さんのに関する相談や、仕事の人事など

相性だの、貴星だので判断していたとしたら、

人が死にます。気をつけてください。

「器」の大小、すなわち、「力量」を測ること。

これを見極めることが鑑定の基礎となります。

その上で、よく相手のお話を聞くことができれば、

自然に、何をすればいいのかが見えてきます。

昨日、生徒さんと話したのですが、

私の考えでは、人の人生を作るものは、

運勢は重要な要因ではあるが、

主なる力は「教育」であると話しました。

ただ、その教育というのは、学校で習う

「教科書」的な知識ではなく、

その人が生まれた時代から与えられた「命題」

具体的な例で言えば、幕末、「西洋列強に隷属するのかしないのか」を

課題に出された武士達の、それぞれの心の中に起きた

自問自答のようなものです。

自身の武士としてのあり方(立場)に直面すること。

(自分自身の姿を(時代)の鏡に映し、欠点も長所も素直に受け入れ、そして、何をするか決める。)

その姿の一部は「エポックメーカーの欄」に、

書きましたが、残念ですが一般の方には理解しがたい

部分があると思います。けれども、なにがしか、

学んでいる方には、「なんで、こんな、無理でしょ?」と

思えるような運勢の方が、英雄として名を残しているのです。

人は、生まれながらに人生が決まっているのではありません。

何を思い、選択し、情熱を持って、やり遂げる意思によって

人生に華を咲かせることもできるし、

諦め、腐り、捨て台詞が常套句となる、

ご本人自身も、子供の頃には夢にも思わなかった人生を

過ごすはめになってしまうこともあるのです。

自分は「運が悪い」と言った途端に運は悪くなる。

そんなものなのです。人生は。

そして、人は、幸せになるよりも、運が悪くなると言っている方が、

「楽」なのです。

だって、「運」をよくする努力しなくていいんですもん。

そしてね、なんか知らないけれど、その努力が、

計り知れないほどの代償を求められる、

(例えば、1千万円の壺を買わされるようなこと)

と考える方がいるのですが、そうではありません。

ただ、普通に自分を虐める会話をやめること、

他人と自分を比べることをやめること、

他人を利用しないこと、傷つけないこと。

誰にでも親切にし、約束を守り、パートナーを大事にし、

よく、人の世界に参加し、泣いたり笑ったりしながらも、

そういう自分を大事にすることです。

反省は必要ですが、自分をいじめてはいけません。

そして、これを果たすことに、難癖をつけないことです。



人の持つ運というのは不思議なもので、運が厳しい人ほど、

こんな単純なこと、やっても無駄さ、意味がないと、

否定するものなのです。




もし自分の運の良し悪しを知りた人がいるのならば、

だいたい、これで判断がつききます。

自分と自分と同じように他人を大事にし、傷つけていない人には

運が付きます。





さて、あなたの運はどうですか?

妬み癖

妬みについての面白い記事をみつけました。

私も、もともと妬みやすい性格なので、彼らの性状が実によく理解できます。

だれの心の底にもある、暗く、濁りやすい部分です。

実は「喜心」の雅号の意味は、嫉妬心の対処法として、

「他人の喜びを我が喜びとして受け入れる」という

仏典によるものなのです。

お陰さまでしょうか、心は、だいぶ楽になりました。

自戒の意味を込めて貼っておきます。

東洋経済 地方を滅ぼす「成功者への妬み」のひどい構造 

議員さんのやり口というのは、やはり、

いろいろなこと(者)を代表している人らしく、

凄いですね。これが権力というものなのでしょう。

商品でも技術でも商売でも「品質のレベル」を保つためには、

下位のレベルに合わせてしまうと、結局、

「前と違うんですけど.......。」ということになり、騙された、

二度と買うものか。となります。



我々は「平等教育」を受けているので皆平等なんだからと、

「権利」と「能力」を区別できずに、ごちゃまぜにし、

能力までをも「平均に」したがるのです。特にお役所は

これに弱く、ごり押しされると言い訳ができなくなるようです。

どうすればいいのやら.......。

妬むことにエネルギーを使うよりも、コーチを受ける方が、

長い目で見れば、はるかに徳なはずだとわかっていても、

第三者が(善意の?)介入したり、感情が(妬みの心)が先走り、

それを拒否してしまうのです。

学歴もあり頭もいいのに「苦労」している人にも有りがちな姿です。

プライドでは飯は食えません。

同調圧力

ダイヤモンドプリンセス号で有名になった岩田教授の記事です

ウイルス感染に関する記事なのですが、

現在の日本国民の状況そのものを鋭く指摘しています。

自分の頭で考えない人々、同調圧力に従わないものをいじめ、

みんなで決めたことだからと失敗を押し通す風潮、

自力を衰えさせ続ける医療、学問、学術への政策。

日本の未来に改善の希望を持って述べられている意見だと思います。

人の心に大きな変化をもたらす潮の流れなのかもしれません。

良い潮が途絶えなければいいのですが。


中韓を嫌う方が多くいますが、個々を見ると

彼らの努力量は日本の学生の数倍はあると

認めざる終えません。

かつての日本人のように真摯でストイックに過ごすものも多く

多国の留学生にも同じことが言える。

あえて、彼らの嫌われる点を言うなら強烈な我の強さ(それが愛国心に化けている)と

集団になった時の民族差別です。しかしこれも、

日々報道される親殺し子殺しの報道を見ている彼らは

日本の方がひどいと言うでしょう。

却下照顧 他山の石等々

まず自分達が蔑視される原因を作らないこと。

正しい自己主張は絶対に必要ですが、

相手を「許す気持ち」がなければ強欲で愚かなクレーマーです。

民族のどうのこうのを言うのなら、まず自分の襟を正すことから

始めなければなりません。

的外れのヘイトスピーチほど愚かなことはありません。

ハロイン

10月31日、ハロウインとのこと。

先週末は武蔵小山商店街も、

仮装した子供達がアーケードを練り歩いていました。

本当にここ数年間の風景で、何がきっかけで流行ったのかを

調べてみると諸説噴飯で、最有力説が、

東京デイズニーランドで2000年ごろから始まった

「ディズニー・ハロウィーン」仮装イベントが最有力なのだそうです。

(アニメフェスのコスプレイベントに目をつけた連中がベースになって、

ドンキあたりと広告屋さんが家族(低)価格コスプレ商品を仕掛けたように私には思えるのですが。)


時々洋画で、おしゃれな都会のオフィスの

ハロインパーテイーの場面が出てきますが、

日本でもやってる所があるらしいとのこと。

なんとなくバブリーな匂いがしてしまいます。

このレベルが日本経済のピークなのかもしれません。

とりあえず新卒の就職は順調なようですが、

甘えて、奢って、自ら潰れている企業が目立ちます。

手抜きの仕事は命取りになりそうです。

SNSにより隠し事は厳しくなっています。

不良品を流通させて技術大国じゃ、

しょうがありません。

ケルトのドルイドの信仰によると10月31日は

日本で言うところの大晦日とお盆にあたり、

あの世とこの世の門が開く時なだそうです。


ケルトといえばケルテックウーマンですね。



ドルイドによれば、この日あたりから本格的な冬が来ると言うことでしょうか。

風邪をひかないようにご注意ください。

2021年 人生相談コーナー 改 改 改

恋愛相談は駆け出しの頃ずいぶん受けていました

ご縁を得られた方も結構います。

ただし、運命の人といつ出会えますか?という相談は

無しにして下さい。

最近の男性の傾向として、女性に絶望しているタイプが多く

コミュニケーションの取り方がわからない人が多いのです。

ネットに氾濫している性の情報のせいだと思うのですが

必要以上に繊細な方が多く また露骨に暴力の対象として

女性をみている人もいる。難しいところがあります。

かといって女性側の傾向も、これもまた同様で、

愛を育む というより安定か快楽かの二択でお相手を

選ぶ人たちが多い。結婚を前提にした恋愛を望む方も

もちろんいますが、そのような方は既にお相手がおありで

生活上の注意等 実生活でのアドバイスを求める方が

ほとんどです。


運命の人 ロマンチックな響きです。

しかし 我々のような者に言わせれば、やはり、

出会う人全ては運命の人なのです。

星の組み合わせの偶然により強く引き合っている場合が

ほとんどなのですが、

しかし理屈で言えば「その人」意外にも同じ組み合わせの人が

いるのだから 別の人と出会った可能性もあるはずだ、

けれど、その人としか出会えていない。なぜか?

この辺りが人生の最も不思議な所です。


凶の時期には、その凶を加速させてくれるような人とのご縁が

生まれやすく、吉の時期でさえ、このての人と出会う人もいる

安定している人はつまらない 平凡だ 刺激がない

恋愛対象にはならない等々では 安定した生活とは最初から

縁がありません。だから、

平穏を望むのであれば自分の望むものと別の選択をすることが

求められてしまう。ここが難しいところで、

良い選択をして下さいと言えば、ほとんどの人が

わかりましたと返事はしますが、離れていってしまう。

深い淵に落ちると知らされても諦めきれない。

こればかりは仕方がありません。

だからこそ何度も、あちこちで書いているように

たとえ落ちても人生は「あざなえる縄の如し」

そこで人生は途絶えるわけではありません。

何処にいようと、自分の居場所さえ見つけれられれば

ずいぶん楽になるものです。




人と出会い、その人のことが頭から離れなくなり

その人に会いたくなる 会えないと寂しくなり

恋かも?と思い始め 恋になってしまう。

人生の最高の喜びの瞬間です。

だからといって結婚は重いし 今は望んでいない。

家庭に縛られるのは今は嫌 一人の人だけで決めるのは

もったいない。このようなボクシングで言う

hit and away戦法の恋愛を好む人もいる

それはそれで良いし人生を楽しめば良い。

強烈な傷付け合いをしなければ何の問題もありません。

恋愛相談はこのあたりのことを明確にした上でご相談ください。

安定している人を望むのであればあなたと相手の生年月日を

教えてください。

楽しむ恋愛であれば、彼の気持ちを教えて下さいで結構です。

その上で、運勢上のお話をさせていただきたいと思います








方位についてのお問い合わせは、方位の専門の先生にお尋ねください。

ただし、こちらの方位に引っ越すのだけれど、どうであろうか?

等々の問いには「易」でお答えできます。

とりあえずメールでお問い合わせください。



人生相談コーナー

初めての方のみが対象の人生に一度だけの無料メール鑑定です

メールでのみお受けいたします。電話はご遠慮ください。

「人生相談」の返信に時間がかかる時は一段下に掲載します。

最上段にこの記事があるときは、返信に余裕がある時で暇な時です。

こちらの鑑定は

ロマンチックな要素は全くなく、かと言って

英雄の運命を司るようなファンタジーなども

ありません。

ただ、地に足をつける生き方を望む方の

お力にはなれればと思っています。怖がらずお申し込みください。

多少お役に立てた方達は、よろしければ、

宣伝のほうをよろしくお願いします。

「人生相談希望」と必ず明記の上メールフォームからお申し込みください。

(「メール鑑定」の場合は料金が発生します。)



人生相談にお申し込みの方には3日以内に返信しております

返信がない場合は「迷惑メール」に落ちている可能性があるので

ご確認ください。

人生相談は初回のみの無料鑑定になりますが

従来のメール鑑定と同様です、質問があれば

無料でお受けしております。ただしこちらの

最初の返信から3日以内で質問が来ない場合は

その時点で終了させていただきます。

ご了承ください。

9月30日

9月30日

朝、メールをチェック、ついでにネットを覗く

Yahooニュース

嵐 結成21年目に届いたファンレターこんな記事が目に入り、読んでみた。

困りました。涙が止まらない。

ポータルサイトの大衆操作とか書いた覚えがあるのですが、

こんな記事を見ると、選択次第だなと思います。

最近はネタ元はどこかと注意してサイトを見るようにしているのですが、

9割がたスポーツ新聞、週刊誌などの大衆紙発の情報です。

安倍政権が終焉を告げてからの朝鮮日報の記事の減り具合を

見れば、マスコミの世界の底が見えてきます。

嗚呼。

時の流れ 未来

Stingの動画が目に入り

ずいぶん時間が流れたんだなと、つくづく思います。

ブルータートルの夢が1985年に発売され

ベルリンの壁が1989年に崩壊し、

1991年12月にソ連が解体されました。

このアルバムの中に「ロシアンズ」という曲があり

東西冷戦の中でも、ちゃんと理解し合えるはずだよねと

歌ったものです。

曲はプロコフィルの交響組曲「キージェ中尉」の第2曲

「ロマンス」が原曲だそうです。

ロシアの作曲家の曲に詩をつけている。

(なんて粋(イキ)なんでしょうか。お洒落ですね。)

今、世界中が分断を言われていますが、

上級国民であろうが、貧困家庭であろうが

子供の未来が明るく福々しくあれと思わぬ親は

いません。誰もが安全に日々を暮らしたいと思っている。

この共通項で繋がることしか人類はできないのだと思います。

もし、ここに神の意志とか思想とか人情以外のものを価値の基準に

してしまうと。受け入れる人達とそうでない人達の

争いは無限に続くしかありませんが、逆に、そうでないのであれば、

あらゆる争いには落とし所があると言うことです。

思いは叶わなくとも苦しみは変えられる。

自然とはそういうものです。

ワンピース 2

神宮外苑のいちょう祭りが、なかなかの賑わいとのこと。

暇なもので、好奇心から覗いてきたのですが、

いちょうは、やや黄色がかってはいたものの、

まだまだ緑が鮮やかでした。

主催者が来週あたりが黄葉のピークです。

よろしければ来週もおいで下さいと、

場内放送していました。

あの辺りは、代々木公園、明治神宮、新宿御苑と、

実に美しい黄葉を堪能できます。

雨曇りの日でも黄色の落ち葉が地面から銀杏を

照らし、その一角だけ別世界のような景色が見られます。



時々、独学で推命を学んでいます、格局法で見ると.....等の

質問をなさる方がいるのですが、

推命に限らず、東洋占術の世界は独学で、

それを身に付けることは奇跡に近いのです。

教室で使っている緒方先生のご著書も、

10年以上先生から直接学んで、

初めて理解ができる感があり、私はこのテキストを

全てが、「目次」だと思ってくださいと初めての講義では

生徒さんに伝えています。一般に秘伝と言われていることが

書かれており、奥が深く説明を受けなければ

誤って解釈されるきらいがあります。

(これだけは避けて欲しいのですが、先日も「最強運」とか言う人がいて、「強」は「凶」のことだよ、気をつけてねと伝えたのですが、そもそもの運の構造を知らずに星を追ってしまうと不幸なことになりかねないのです。)



独学で学ぶ10年より、数ヶ月でも、しっかりとした

先生につけばその概要は見えてきます。更に言えば、

まさにそのとき、独学で学んだことが全て生きてくる。

面白いんですよ、ここが、全部知っていたはずなのに、

単語の意味が全く違って現れてくるのです。

いままでかけた時間が鮮やかに結実していき、

一気に命式の理解が深まるのです。

真面目に学んでいればいるほど、結果が現れる。

この辺りが師を得ることの妙です。

余計なお世話ですが、良い師匠を見つけてください。

同学の氏に老婆心から申し上げます。






洗心庵にも初級講座がありますが、

泰山流四柱推命学会にお問い合わせくだされば、

他の先生方の教室の紹介もしていただけると思います。

2020年 新年に向けて

2020年 新年にむけて

いろいろ言われず 自分の思うがままに

自由に生きたいというのが

あらゆる人の願いです

私もそう生きたいと思っています

だから、占いや運勢 運命に興味のある人は

基本的に 良い事を聞きたがり 

幸運の印がないかを求め 

警鐘や都合の悪いことには聞きたくないと

耳を塞いでしまうものです

当たり前の話ですね。

運命の人との出会いはいつですか?

お金が儲かるのはいつですか?

自分に向いている仕事はなんですか?

大体9割がこの話だと某所の先生から

お聞きしました。

そのような話を聞いていると やはり

私の腹の中の天邪鬼が蠢き始めてしまう

良い亭主と出会うには それに見合う

良い女房の資質と精神的なタフさが必要です

巨万の富を築くための代償を払う覚悟はあるのか?

普通の生活をしたいと口では言うけど

職場で他人に使われる忍耐力があるのか?

責任なんて誰かのせいと言ってるうちは

人としての魅力は現れません

恋愛しても続きません

どんな夢や希望にしても それを勝ち取るためには

目標を追い続ける厭くことなき好奇心と

忍耐力を持ち続けることが必要です

仲良し夫婦を長く続けたいのならば 

お互いが相手が 相手に心を閉ざさないよう

自分が今までの人生で身につけ固めてきた

思考方法や論理だてを柔軟にほぐし

相手や相手の血縁に対処する必要があります

こんな当たり前のことと思われるかもしれませんが

その位 誰もが成長途上の未熟者なのです

思うがままの自由な生き方というのは 

子供がダダをこねている姿そのものなのです

そして「我」の強い子は直りにくい

だからこそ 若く柔軟性が新鮮なうちから

自分自身を知ることが大事で

叶えたい夢を持っているのなら

粘り強く 

その夢を追い、技術なり学芸なりを磨き続け

チャンスがきたら脇目も振らず

大胆に その世界に飛び込むことです

これが夢を叶える最短な生き方です

好きなものを磨き続けること

「他人から愛される」「他人から認められ 喜ばれる」 

自分だけの花を咲かせることができれば

生きることには困りません

そして 

この「得たもの」を絶対に手放してはいけません。

「得たもの」

それは職場もそうだし 資格、技術もそうです

もちろん家族もそうです 

2020年 皆様にとって良い年になりますよう 

常住 心より祈念いたします





洗心庵 今野喜心

星と人と人

西洋占星術系統の先生方も干支を使う先生方も

その人の持つ星との関係性を拠り所にして

その良し悪しを鑑定しています

実星 虚星とも その人に影響を与えており

そこには普遍的な 法則が存在するというのが

運命学の定理になっています

そこで考えて欲しいのですが

遥か彼方にある惑星の影響を個人が個別に

受けているとするならば

人と人が出会い お互い認識した時

何某かの作用が そこに生じると考えるのは

自然なのではないでしょうか

これは言葉にしなくとも通じ合うもの

いわゆる相手に対する善悪の感情の判断です

「好き」「嫌い」「馬鹿にしている」

「見下している」「大事にされている」等々

特に直属の上司と部下 夫婦など

関係が濃密な場合 顕著に通じ合います

関係が円満なら いいのですが

そうでない場合 この無言の軋轢が必ず

トラブルの「見えない種」になっています

これは人事問題すべてに共通して言えることです。

個人は天にある星以上に他の者に 影響を与えている 

このことを忘れ(知らずに)

見えている原因を抑えただけでは 

本質的な問題は解決しません。

それぞれがこの辺りを意識し考慮していただければ 

だいぶ人事の環境は 変化すると思います。

現代では会議の技術として「ファシリテーション」等

優秀な総合手法が登場してきていますが

その前段階としてのグループ内の信頼関係が

曖昧では「ONE TEAM」には なれません。

前にも書きましたが

人と人の関係を見つめることは 

自分の腹の中にある 隠しておいた黒い物を

表沙汰にするようなものです

仏家の浄化法はすでに掲載してあります

ヒントとして活用してください

自分に合う独自の方法を探求するのも

面白いのではないでしょうか。

2020 教室2

お金の欲しい人には難しいと書いた理由を

書かないといけません。

「お金が欲しい、稼ぎたい。」

「頭も良い、知性も知識も豊富だ 成功するんだ」と

この世界に野心を持って参加する方たちがいます。

もし、それを望むならば、良い占い師さんを集め

起業家として立つ方が経済的には満たされます。

ご自身の能力に自信があるならそれが最善です

それでは、なぜ、こちらの教室が向かないかと

書いた理由ですが

星の解釈が「欲に迷う」ことになるからです。

お金を求めている人にとっては

「お金」は善以外の何ものでもありません。

お金にダマされても、脅されても、頭の中の公式は

お金=「善」なのです。

そしてお金のある人は「有能」で無い人は「無能」と

判断し始めてしまう

同じことが

「権力」こそ最高のものだとする人にとって起こるし

恋愛 結婚 学歴 民族差別 さらには

プライド等々実に様々な場面で意識することもなく

同様なことが起きています

独自の善悪の判断基準と言った方がわかりやすいかもしれません。

あなたの心の中にもこれがありませんか?


ここで教える推命を学ぶと明確に見えてくるのですが

誰の心にも、このような 思いがけない程堅固な

フィルターがかかっていて 強烈な場合は

こちらの学理に混乱し疑念が湧き始め受け入れ難くなり

お金と時間の無駄になりかねないのです



洗心庵の目指す鑑定は円満な人間関係をもとに

それぞれが望む夢や希望を実現するための方法を

提案することで あらゆる願望を達成するためには

必要な知識と能力を身につけるのは大前提ですが

自身と自分以外の人たちとの関係性を明確にすることだと

教えています。

これは己を知り、敵を知ることであり そのためには

「関係を結ぶ」場合も「関係を断絶する」場合もあり

誰とでも「仲良しこよしになれ」などとは

間違っても教えていません。実の子供との縁を

いち早く切ることを提案する場合さえあります。

いい子ちゃんになる教えだと揶揄していた人も

いましたが 実際は

乱世を乗り切る徹底的なリアリズムであり

本屋さんの占いコーナーのファンタジーさとは

残念ながら果てしなく無縁です。

一般受けはしません。

色々書きましたが、こちらで学ぶことを希望される方は

まずは4回の入門コースを受けていただき

その上で先に進むのかどうかを考慮していただくのが

良いかなと、ここ数日間で決めました。

自ら敷居を高くした感はありますが

10年前に比べると私自身も衰え

できれば楽をして、良い生徒さんを育てたいと

予備校の先生みたいなことを考え始めています。

このようなご時世なので通いきれない遠方の方

ご事情のある方はスカイプ等での講義もいたします

忙しさに途中で学習を中止している方にも

同様な提案をさせていただきたいと思います。

サクッと時代

今朝、テレビで「スマホ決済」について話していました。

コメンテーターのかたが、これからは「サクサク時代」

になるかもとおっしゃっていました。

今の時代はなんでもサクサクと動き、めんどくさい手続きを

排除した商売が受けるとのこと。

そうなんだーとため息をつきながら、なんとなく時代の

流れに合点(がてん)がいきました。

最近「忍耐」なんて言う人が、ほぼいません。

我慢するのは仕事の時だけ、それ以外は、なんでも

ストレスレスのサクサクでなければいけない。

そうでないのは罪だ。

多くの人の心の底の底に、このような公式が

出来上がり始めているのかもしれません。

そう言う意味では、

クレーマーと呼ばれる人たちはその代表です。

我慢することはダメと学校で教わってきたのでしょうか?

(教えていたような気もしますが.......。)

その結果なのでしょうか、

感情をコントロールできない人たちが増えています。

人生の諸先輩が範を垂れればいいのですが、

いかんせん、6、7、80代の怒れる老人が

殺人事件の加害者として世間を賑わせ、

国民の代表の議員さんが子供のような、

訳のわからない質問を国会でしています。

誰を模範に生きたら良いのか、私のようなものには

皆目見当がつきません。

格差社会を懸念されている今日この頃ですが

平和な暖かい親御さんたちに育てられた人たちと

どんなにお金や身分があっても寒々とした家庭環境の

の水で育った人たちの間での環境格差が、

「表の世界」では議論されない大きな問題になって来るのかもしれません。

離婚、不倫、いじめ、引きこもり、自殺等々等の原因になっている

「心の闇」のことなのですが、加速されないことを祈るばかりです。





でも、対処法は簡単なんです。それは、

心に太陽を持つこと。

春先の太陽の光のように暖かく、優しい心持ちで、

他人と接することができれば、

生活さえ確保できれば、なんとかなります。

忍耐強く努力ができる楽観主義者になれれば、

毎日笑うこともできるようになります。

Simple is Best.


多くの先達の方達の多大な努力で政府が動き

各自治体に命を守るネットワークが義務付けられています。

国民の権利です、堂々と利用してください。

風水

風水について書いたので誤解のないようにしたいのですが、

私は鑑定を仕事にしない生徒さんに対し、推命以外の占術を

相談された場合「伝統風水」と答えることにしています。

私見で申し訳ないのですが、一般的な風水書を見ていると、

射幸心を煽るようなキャッチが踊る本は問題外として、

学術的にしっかりとした根拠のある風水書が

最近は多く出版されるようになってきています。

畑違いのお前が言うなとの声が聞こえてきそうですが、

干支を使う東洋哲学としては同根であり、

著者の河図・洛書の解説を読み込むことができれば、

その先生の実力が大体理解できるのです。

推命術の立場からいえば、

「個人」の運勢から「環境」に視点を移すことは

私が教室で言う「自と他」を「自分と住環境」との関係に

置き換えて考えれば、より理解が深まるのではないでしょうか。

人は自分の運勢通りの家を選ぶと前に書きましたが、

逆もなた真なりで、家の持つ個性が住む人を選んでいるとも言えるのです。

この辺りが、実はとてもおもしろく、断易がそれを証明しています。

(諸口流師弟問答の、一の巻の五十六に実例として出されています。)

そこで考えて欲しいのですが、

鍵と鍵穴ではありませんが、これほどガッチリと運勢と

環境がタッグを組んだら、これを動かすのは無理だと思いませんか?

もっと具体的にいえば、夫婦仲がうまくいかない星を持っている男女が、

夫婦仲が良くならない家を得たとしたら、

それは、その男女の運勢を成就するため,

離婚の苦痛を味あわせるために用意された負の器のようなものです。

しかし、もし、正確な風水を学び、自身の運勢を助長するような

環境を改善することにより環境からのマイナス因子は無くなります。

(あくまでも環境因子がなくなるだけで、持って生まれた

根本的な課題としての星は残ります。それでも、それがあるよりは、はるかに楽なはずです。)

このようにして環境からの影響を軽くすることができれば、

自分の中にある改善への「抵抗」が、かなり減るのです。

本当にこの辺りが面白くて、いつもなら頭にきていた、

パートナーの言葉をユーモアで返せるようになる。

(お恥ずかしい話ですが、この辺りは私の実体験です。)



伝統風水を名乗る方達はとても多い。

しかし玉石混沌です。

できるだけ系譜のしっかりとした先生を見つけてください。

注意点ですが、もし開運グッズ系でなんとかと言う方がいたとしたら、

それは「金」で運勢がなんとかなると言う思い違いです。

お金がなければ何も始まりませんが、お金ではなんともならないのが

「自分自身の欲」であり、持って生まれた星なのです。

このことに気づいてもらえれば、ありがたいのですが.........。



風水指導しているという生徒さんがいたので、

老婆心ながら風水についての私の意見を述べておきます。

メールについて

時々メールが届かない、どうなってんだと言う連絡が入ります。

どうも「迷惑メール」に落ちてしまうようです。

その節は申し訳ありませんが、もう一度メールをお願いいたします。

個人用のメールアドレスをお知らせいたします。

お手数おかけし、申し訳ありません。





今野喜心

理想と現実

なんとも、こんな時期に色々なことが起きてますね

特に最近思うのですが、お隣の国を見ていると

かつて命式研究に書いたのですが現大統領が就任した時点で、

この国まずいなと、その通りになってきました。

困ったものです。

それは彼の運の流れがその根拠になっていて、

若き日、盛運の時の実力も能力も、その理想もまた

素晴らしかったと判断できるのですが、

今の時点で、その理想を実現するには無理があります

最高権力は手にしましたが、運が終われば、そのあちこちに穴が開くのです。

例えば、運が良ければ、誰に、何を依頼したとしても

本人の意図は明確に伝わり、意図通り、時にそれ以上の

結果が得られます。しかし

運が落ちれば、どんなに詳細に意図を相手に伝えても、

曲解され、結果は散々なことになります。

さらに依頼された相手にしてみれば、こんなに忖度して

やってるのにと苛立つ。

このようにして負の循環が回り始め、

四方八方が敵だらけになってしまう。

そんな状態で理想を実現しようとするとき、

かつてのように多少の犠牲を払えば、

すべてがうまくいっていた思い出を頼って行動を起こせば、

処理すべき現実の課題が疎かになるのは当たり前のことで、

さらに悪いのは、その課題を二の次、三の次にし

逃げてしまうことです。そして、まさに、

そうなった時、怪しの連中が跳梁跋扈し始める。

おもいもかけない魔が生じるのです。

そこまで行かなければいいのですが.........。

(でも、これ、日本海で起きちゃってますね。)

それを止めようとする勢力もあるようです。

来年が正念場です。


どんなに運が弱い時でも、我々は、なすべきことを二の次にしてしまうと、

本当に面白いもので逃げた時点から、

色々な実に魅惑的なものとの出会いが生まれてきます。

そして、ストレス発散との合理的な理由をつけてそれを受け入れてしまう。

色事、薬、賭け事、酒、買い物 等々、

癒しだと思っていたものが行きすぎると魔に変わります。

これが人生の分水嶺になります。

こう書くと「逃げることが悪い」と誤解されるかもしれませんので

ちゃんと書いておきます。

最初から「魔」と出会っている人達もいます。

自分では選べない親、義務教育での同級生、望まれて結婚してしまった相手等々。

命に関わりそうなときは逃げてください。

2018年

最近思うのですが、安心して笑える時が一番幸せなのかもしれません。

目の前にある課題から逃げさえしなければ、いつか必ず笑えます。

ああ、また御説教くさいことをと生徒さんに怒られるかもしれません。

でもね、逃げるたびに、心は閉じていき、

人への優しさが冷え、人からの優しさを拒むようになるんですよ。

本当に大事なものからも逃げることになります。

そして、

大事にしてはいけないことばかりに目がいくのです。

逃げた自分自身から目をそらすために、

他人の欠点や弱点ばかりに目が行ってしまう。

(他人ばかりを意識していれば自分を見ないでいられるんだもの、これは自分を守るための安全措置です。)



私の中にもそれがあり、それに気づいて以来、閉じて固く、

鎧を被った、頑なな自我から解放されるためにこの仕事をしています。

長い時間がかかりましたが

最近、こぶし大にまで縮小し、それでも時々胸の中で騒いでいます。

これも自分なりに推命を追求し、人の持つ本質的な欠陥を知り得たことで、

得られた「楽」なのだろうと思っています。


幸い、生徒さんの中にも、同じような感想をお持ちの方が出ており、

これは普遍的な効果だと実感しています。


本年、お世話になった生徒さんや、その家族の皆さんに感謝しつつ、

2019年 ご縁を結んでいただける人が一人でも多くできることを

願いつつ、この一年を結びたいと思います。

ありがとうございました。


今野喜心 拝

現代病

「十分恵まれているのに、なぜ、その程度で苦しいと言うのか?

甘ったれるな。」昔も今もよく聞く言葉です。

その昔「一杯のかけそば」が一世を風靡した頃、

うちの母親は上品に、この話に悪態をついていました。

戦争中に生まれ、大勢の兄弟の中で生きてきた人です。

蕎麦屋に行く金があるなら、自分で作れと言うところでしょう。


生きることに、本当に必死な人は生まれた時から備わっている、

お金のかからない、使えば使うほど良くなる「考える力」

「自分の頭」を使い様々な選択肢を想定し試し、

ボロボロになってでも苦境を打開しようとしています。

「生きようとする意志の強さ」の現れです。

現代の多くの問題の根にあるものは、

思考の多様性を放棄し自分の考えに拘泥し、その中に引きこもり、

そこから他人を判定し、自分を取り巻く未来には

責任を持とうとしないことだと私などは思います。

また、必死に生きようとする意志を見せることが

かっこ悪いと思っているようにも見受けられる。


「衣食足りて礼節を知る」と格言にありますが、

衣食が足りれば、自尊心を満たそうとするのが人の業であり、

時代は「飢えの苦しみ」から「自尊心の渇き」に移行し、

「自立」と「依存」の間で揺らぎながら生きているのが

現代人です。

実体経済と資産経済みたいなもので、だからと言っては変ですが、

資産経済の苦しみの額面は天井知らずとなり、

自分に引きこもれば引きこもるほど苦しみの終わりが見えなくなる。


しかし現代は、いわゆる「弱者」には本当に恵まれた時代です。

最低限の生活は、国や自治体により保証され、

最後に困ったときは国を頼れば生きていける。

「悪用」さえしなければ、とても素晴らしい制度です。

しかし国庫は借金ばかりが膨らみ、

これを理由に税の徴収をしようとしているのも事実です。

私の知り合いにも、この制度のお世話になっている人がいて、

医療費明細を見せてもらったことがあるのですが、

普通のサラリーマンの年収を超える数字が

書いてありました。

彼の家族にしてみればこれ以上無い有難い制度です。

社会が理想を追求した成果です。

そして、理想を追求すると必ず、どこかに皺寄せや

矛盾が出てくると言う実例でもあります。


小手先の「癒し」では根本的な問題は解決しません。

小さな自分から脱皮すること。

その最初の一歩が自分の足で世の中に立つことです。

そのためには、まずは、知らぬ間にこんがらがった自分の心を整理し、

柔軟にすることです。



(うちの入門コースなんか最適ですよ。五月二十日あたりから新規募集します)

2019年

2019年1月2日

新年明けまして、おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

是非、良い歳にしたいものですね。

わたし的には入門コースをより充実させ、

昨年末より始めた河図洛書と断易の研究を前に進めることを

今年の課題に決めたところです。

なんせ奥が深くて、どこまでいけるか.......。

頑張ろう。

雑感

最近、四柱推命について考えるのですが、

私は最初、この法は士大夫が修身のために編まれたものだと

教わりました。理解が深まれば深まるほど、その意味が

わかってきます。千変万化の人の心を理解するためには

これ以上の法はありません。

ただ、私が思うに、多くの方の手に触れ、

あまりにも手垢がつきすぎているようにも

思われます。幻想、迷信とでも言いましょうか。

人の欲を煽り、方術の権威をかさにきて、

「四柱推命」を自分の権威として威張っている人

(ご本人の人格と推命術は別物です。)

運が良い人に嫁げば幸せになれると思っている人

(自分の運が良くなければ、運の良い人とのご縁はできません。)

適職に就職すれば出世できると思っている人

(これには一理ありますが、嫌な上司に我慢すること、その技能を身につけるまでの困難に耐えることができなければ、どこに行っても同じです。)

体の相性が一番合うのはどんな命式かとまで聞いてくる者もいます。

お金持ちになる命式、権力を得る命式、色っぽい命式等々

実際そのような記述のある本がたくさん出ています。

そして、それはそれで良いのではないでしょうか。

「夢」や「癒し」としての効果は間違いなくあります。

40年ほど前になりますが、「俺は外格に入っている」と

胸を張り嘯(うそぶ)く知人がいました。

はたから見ていると、そうには見えないんだがなーと思っていたのですが、

その人の同僚が、あまりにもうるさいものだから、

数人のお仲間の前で、彼の生年月日を聞きだし、鑑定し始めたのです。

結果は実に見事に正論を尽くし破格であることを論破してしまったのです。

その日、論破された彼は自損事故を起こしました。

何を言いたいのかというと、だから、いいんです、

自分が信じるものを、疑いを持たず信じ続けるのであれば、

でもね、他人にそれを自慢したり、見せびらかすと、

必ず傷つけられます。

自慢は他人の嫉妬のスイッチです。

人の世というのは、そうゆうものなのです。

人が二人以上いれば、必ず比肩、劫財の現象が起きるのです。

仲が良ければスクラムを組み、悪くなれば、

対抗心が生まれ足の引っ張り合いになるのです。

最初に書いた修身というのはこういう意味なのです。

そして、最近思うのです。

運勢鑑定というのは人間を格局で区別したり

評価したりするものだけであってはいけないのではないかと。

(もちろん、その技術を正確に身につけた上での話です。)

運勢鑑定というのは実に微笑ましい相談から、

依頼されれば、時に人の生き死に関わる鑑定もしなければなりません。

そのような現場にいると、時々思うのですが、人の苦しみというのは

ほんの些細なきっかけがスイッチとなり、深く暗い底知れぬ闇にまで

落ちていく。

そんなとき我々の持つ技術は、時にその人達の

足元を照らす灯になることもあるのです。

だからこそ、しっかりした正しい運勢に対する知識と理解、

自分もまた目の前の依頼者と「同じ」だという共感力が必要なのです。

時々、同じ看板を挙げてふざけた鑑定をしている方の

話が耳に入るのですが、実は、あまり気にならないのです。

なぜかというと、

人は今の一番自分にふさわしい人としかご縁ができないものだと

最近、悟ったからなのです。そして、その答えもまた、

ご本人にとっては必要な「アドバイスなのです。

最近うちの生徒さんも内容の厳しい相談を受けるようになってきました。

人として成長し腕を挙げてきている証拠です。

嬉しい限りです。

風邪

風邪が流行っているようです。

生徒さんたちが立て続けに風邪(インフル?)で倒れています。

実に、ここ数年なかったことです。

節変わりが影響していると考えてよいのでしょうが、

現れかたが極端です。

より大きな規模で世の中が動くのかもしれません。

今年は禅家の言うところの「不動心」を養う年なのかもしれません。



たかが、風邪でと思う方もいるかと思いますが、

「梅花心易」と言う有名な占法があり、

ここに「外応」と言う概念があります。

日常の異常というのは、なかなか興味深いものなのです。





2月に入って以来ホームページが開かないとの

苦情が入り、サーバーに確認したところ本日復旧となりました。

ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

ホームページも「風邪」を引いたのかと、

色々なことがある一年になるのかもしれません。


2019年 2月4日

占い師と鑑定師

占い師と運勢鑑定師の明確な違いについて書いておきます。

四柱推命を標榜する先生がもしも命式の中に官星を見つけ

「素晴らしい星の一つの官星がついています。出世しますよ」と言ったら、

これは占い師の先生です。

「良い形で官星がついています。もし、真面目に一生懸命勉強し、

就職しても動かず、真面目に会社に努めれば出世する可能性が

あるのですが、〇〇と〇〇には注意してください。

これをしてしまうと星を生かすことができません。

また、この時期に、そのことが起きやすいので注意してください。」

最低でもこのくらいの鑑定ができるのが鑑定士です。

鑑定は当てものではなく、その人の生まれ持つ長所短所を

正確に測り、さらにそれが動き出す条件を割り出し、

相手が理解できる言葉で伝えることが務めなのです。

そして鑑定が正確ならば、個人に関しては外れません。

そうゆうものなのです。

これが運勢鑑定師と占い師との明確な違いです。


ついでに書いておきます

実は仏教は占いを禁じております。

スッタニパータ926「わが徒は、アタルヴァーダの呪法と

夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、

懐妊術や医術を行ったりしてはならない。」とあります。

占術と相術は間違いなく禁止されておりますが、

推命術は禁止されていません。

(これを言うと梅花心易も易も人相、地相、家相もダメ

となりますね。占いと推命術を混同している人にとっては

屁理屈かもしれないとの認識はしています。

ところが、某神社の神主さんたちは某占いを習い、

某伝統仏教教団のお坊さんたちは四柱推命を習っていると

教えてくれた人がいるのです。不思議な話です。)

地雷物件

最近は問題ありの男女を「地雷物件」と称しているとのこと。

うまいことを言う。

なんなんでしょうか、これもSNSの発展で、

皆が事件を起こしたり問題あり男女の詳細な情報を

共有した結果生み出された造語なんでしょうね。

それでも、自分ところは違うと思い込んでいる人が

まだまだ多い。知っていても考えたくないというのが

本音でしょう。でも、これは今に始まったことではなく、

神話時代からの不変的な男女の話です。

極端は回避しなければなりませんが程々ならば諦めたほうが

「楽な話」になります。

人生、時に楽しくもあり、苦しくもあり、

総じて良い人生を送るためには自立していることが

何よりも大事です。

誰かに期待しなくても良い人生は誰かを傷つけなくても

過ごせます。

そして「自分には何も無い」ではなく、

他人に喜んでもらえる何かを身につけることができれば

楽しみが増えるし、自立にもつながります。

でも、その何かは「若さ」のような枯れて消える一時的なものでは頼りない。

確固とした何か。それは何か?

なんでしょうね。

運の掴み方

アパホテルの社長さんの記事です。

ホテルのことを生徒さんから教えていただき、

命式の説明と実際が符合するのか検証のために調べてみました。

その通りにの人のようです。

 ’’運を掴む。強い自分を作る’’

そのための良い例示が書かれています。

インタビュアーに

「私なんてと......。とクヨクヨする自分が馬鹿らしく思える。」と

言わしめた人物です。

本谷芙美子

命式自体は「命式研究」にご主人のものと合わせて掲載しています。


(現役の生徒さんで解除キーを希望する方は申し出てください。)

4月5日 2020年 (4月8日改)

東京の感染者数が3桁を超えたので、

今元気なうちに思うことを書いておきたいと思います。

医学会の権威たちが言うように、もし一気に

人口が落ちるようなことがあれば、

必ずその反動で子供たちが生まれてきます。

しかし彼らの教育が今のままなら時代はあまり変わりません。

どうすればいいのか?

義務教育の一環に「赤ちゃんの育て方」を教えることです。

子供に子供の育て方を学ばせることに

抵抗を感じる人もいると思いますが、

家庭をもち子供ができたとき一番難儀するのは

子育ての分担で、将来の離婚の種が撒かれるのもこの時期です。

最近というより昭和の後半より核家族化が進み

子育ての知恵を親から継承することが困難になり

学校で子作りは教わっているが子育てができない親たちの

痛ましい事件が、途切れることなく起きている。

赤ちゃんに対する無知が原因の一つであることは

否定できないでしょう。

アドバイザーのいない新親は氾濫するネット情報に溺れ、

どうしていいのか迷い、さらに悪いことに

夫は子育ては女の仕事だと言いはり、

繊細な母親は悩み、産後鬱に落ちていく。

子育てに関心が薄く無知な親は結局赤ちゃんをペットのように扱い、

泣けば叩き、笑えば頬ずりし猫可愛がりをし

本来最も大事なはずのその子の将来を案じた育て方ができない。

いびつな愛情に育てられた子供達は自分が誰かを愛し子供を授かった時、

自分が求めて得られなかったことを

無条件で子供に与え彼らの親と同じように、

その子の将来を慮る よりも     

自分のエゴを子供で実現しようとしてしまう。

どこかでクサビを打ち、負の連鎖を止めなければなりません。

赤ちゃんに対する知識、育てるためのノウハウ

さらに欲を言えば自治体のバックアップを得られれば

子供ができたとき誰もが安心して子供を産める時代に

なるでしょう。

義務教育で男子にも子育てを学ばせれば、

女の仕事だとは言えなくなります。

素直な日本人であれば必ず一方的な男のエゴは減ると思います。


主夫を望む男性にも不可欠の知識となり文字通りの

男女平等に一歩近づくかもしれません。

そして

赤ちゃんを育てることで愛情と忍耐を学び

親としての自覚と、社会の一員としての責任を

本人たちが認識できれば、お金はなくとも

最上級の人格者にはなれます。

良い歳をした大人さえもマニュアルがなければ行動できない

時代です。悲しい話かもしれませんが

子育てのマニュアルを提供するのは

時代の必然なのではないのでしょうか。

子育ての無知が犯罪の被害者や加害者を

生み出すのであれば、これは国の責任です。

実現するといいのですが........。

木を見て森を見ず 1

時々生徒さんからこの「午」の人との相性を教えてください。

というような質問されることがあります。

その度に困ったものだと内心思いなが、

年支にしても、何にしても、命式の全体を見ずには

答えられないと答えています。

一般的な運勢鑑定では、生年月日の四つの干支の柱の、

年の柱または生日の柱の干支の納音の解釈で

その人の性格を断定することが多いように見受けられます。

それでは、残りの柱をどう解釈するのか?

気学を習いたての人が生まれ年の九星の五行の相克で

相性の良し悪しを判断し出口のない迷路に落ちた姿を

何度も見てきましたが、これと同じです。

もちろん統計学的な判断に意味がないとは思わないのですが、

それを鑑定の核心として用いたとしたら、とんでもありません。

たとえは悪いのですが、この鑑定法は個人の鼻の形で

その人の人生全てを判断しようとするようなものなのです。

遊びの範囲でだけしか許されません。


ただ、同じようなことをうちの生徒さんも言っていて、

自分は金の性で相手は木の性だから相性は悪い。

そんなことを言う人がたまにいるのです。

それに対する私の答えは、かなり辛辣で、

あなたは星の本質をちゃんと理解しているのだろうか?

入門編で教えた、命式の基本構造はどこにいった?

力量論はどこに行った?

それ以前に、人として、どうなんだ?

誠実に相手と向かい合ってきたか?

これまで相手に対し敬意を持って接してきたのか?

もしかしたら最初から、自分は金で相手に勝てるからと

相手を見下し、その結果相手の反撃にあって、

慌てているのではないのか?

もしそうなら、推命学などやる価値はない。

やめちまえ。と、かなり厳しく答えています。

お客商売として講義をしているのなら、

適当にごまかすところでしょうが、

如何せん、相手に刺さった棘を一本抜けば、

自分に刺さったトゲも一本抜けると師匠から教わり、

それを実践し、今に至るので、結果的に他人を

傷つける道具としてこの推命を使うことは絶対に

許せないのです。

でも、人とはそんなもので、自分の優位性に、

少しでも気づいてしまうと、

相手を弄びたくなるもなのです。

運勢という特別な知識を知ることによって

推命学に限らず、気学であっても、西洋でも

その学びを根拠に他人を見下すようなことは

絶対にしてはいけません。

縁起法頌

このような言葉をご存知でしょうか。

「あらゆる物事には原因があり、私の師は、その原因を説き、

 その消滅の道を教えています。」

実は、後に釈迦十大弟子の一人になる舎利弗が

お釈迦様の教えを知るきっかけになった言葉で

縁起法頌(えんぎほうじゅ)として

知られています。

八正道を知っていても、この言葉を知っている人は少ないかもしれません。

なんせ、弟子の入門のきっかけになった言葉なので、

日本では、あまり馴染みがないようです。

この当時、舎利弗はサンジャヤという方のお弟子さんだったのですが、

この言葉でそれまでの師を裏切り、有力な弟子仲間を引き連れ

釈尊の元に走ったのです。(こう書くと、悪人に聞こえますね。)

そのくらい、衝撃的な言葉だったということです。

なぜか?

人の運命も社会も神に意志で決定されているとされた

時代の常識を覆す教えだったからでしょう。

「苦しみの原因を解決すれば、苦しみは解かれる。

幸せになりたければ、幸せになる原因を積み上げていけばいい。」

ただそれだけです。

そして、ここからが大変なのですが、

楽に幸せになれる人と、そうでない人がいる。なぜか?

自分は生まれた時から不幸だ。なぜ?

努力しても報われない、なぜ?

そうなんです。皆、こんなこと知っているんです。

でも、知っていると、知った知識を利用することとは

別物で、持って生まれた自分の星の傾向を知らぬ上に、

「幸福の形」を知っている人は稀だからです。


余計な話ですが最近、やっと、皇族の方は幸せで羨ましい

という声が途絶え、生まれながらに特別な人間なんて

いないことが一般に知られ、なんとも複雑な気持ちです。

私も彼女の幸せを願います。

我々のような庶民は1度や2度や3度や4度、

コテンパンに恋愛に破れているのが普通なのです。

初恋でどうのこうのなんてのは、

小娘のファンタジーです。

(ごめんなさい。投げキスはハシタナイからやめときましょうね。)



人にとっての幸福は、

「言葉も、身分も、肉体も自分の自由であること。」

この3つの自由の基盤の上に成立し、その上にお金や名誉、

自他の関係上での優越感や自尊心が幸福度の拡大を促進し、

副作用として、支配欲が増加していきます。

逆に言えば、お金があっても基本の3つが不自由であれば、

「金持ちの憂鬱」状態です。



幸福を得ることは本人の心に整理がつき、家族の理解が得られれば、

特別難しい課題ではありません。


我々は会社に勤め、働き報酬を得て生活しています。

会社の方針や嫌な上司、理不尽な命令等々

腹が立つことが多々あるのが現実です。

コンプライアンスにしても、こんなクレーマーに

コンプライアンスはいらんだろと学校の先生や

クレーム担当の方たちは日々腹を立てているはずです。

やめられれば、やめたいと、皆が皆思っていると思います。

その意味では本質的な自由はありません。

でも、しょうがない、これが娑婆世界なのですよ。

そして、もし、幸福な人生を求めるのであれば、

今いる世界での自由度を少しづつでも広げていくことです。

そのためには、それを言うだけの努力をし職能の練度を上げ

客観的に評価されるだけの実績をあげる事が最短の近道です。

年功序列で先輩ヅラをしていれば、

後輩が言うことを聞いた時代は終わっています。

人を使えない上司では、部下に許してもらえません。

今の世は

「それなりの力」がなければ生き難いというのが現実です。

このようなことを書くと、真面目な方は落ち込みやすいので

もう少し書いておきます。個人の実力なんてたかが知れている。

だからチームを組んで仕事をする。ムチを入れることも必要ですが

潤滑剤の役割も管理者には求められます。

そのためのバランスとコミュニケーション能力が

問われます。もちろん、ペチャクチャ喋る事ではなく、

総合的な「人間力」です。

人間力とは知性と愛情の総合力です。

学校では教わらないものですね。だから、

マニュアルは自分で作るしかありません。

怒りの分析

自分の怒りの分析をしている人は少ない

なぜかと言うと怒りは感情によるものであり

理屈ではないと内心で思っているから

しかし、そこには間違いなく理由があり

ほぼパターン化されている それを分析してみてください。

あらゆる人が相互依存しているように「怒り」もまた

自分自身の中にある「何か」と相互依存している。

喜怒哀楽には全て それにハマるツボがあるのです。

そこを分析することです

そして 今度はその理屈がわかれば「怒り」にはまらずに済む

もちろん理屈が分かっても すぐに平気と言うわけにはいきません

生まれ持ったパターンが途端に消えるわけでもないからです

最初は少しだけ 「怒り」と自身の感情に隙間が開き始め

だんだんと その隙間が広がり「怒り」を客観視し始め

それに費やすエネルギーがバカらしくなってくる

夫婦者に多いのですが 「怒り」ではなく「いてもいない扱い」

「無視する」という状態に落ちている方達がいます

初手はささやかな抵抗から始まっているのが大体で

継続が力になり 生活のパターンにまでなってしまい

悩んでいる方が時々いる。悩むのであれば、

いまさらとは言わず 感情のなしたパターンから降りることです。

悩まないのであれば 自分の楽しみを見つけてください。

親子1

ここ最近、川崎の殺傷事件以来、親子の関係について

考えているのですが、なんとも言いようがありません。

答えるのが難しいのではなく、答えが多すぎるから難しいのです。

その一部はコラムにも書き、起きるであろうことは、

年初から予想もでき、警鐘として書いたつもりです。ただ、

その流れが予測できても、個々人の問題に関しては、

どうにもしようがない。

かつて、仏典の中に子に捨てられた親の嘆きに、お釈迦様が

子供のところに行っって、赤子の時に泣きわめく子に乳をやり、

汚れたオムツを替えたのは誰か、子供に尽くした親の

無償の行為を彼に告げよと、述べられ、その通りにすると

子は親を受け入れたという物語を読んだ記憶があるのですが

(その出典が蔵書を調べても、いまだにわかりません。私の幻想だったかもしれません。)

これが今の世の中で通じるとは思えないのです。

(正確に言えば、通じる子もいれば、通じない子もいる。)

過去の親子の歴史がその要因となるのは当然ですが、

それにも増して、やはり、そこに至るまでの、それぞれの生き方が

関係性に現れてくると思われます。

親として、なすべきことを成したとしても、

子に自立心がなく、依存心ばかり強く

そのための自己主張だけするのであれば、

親の苦しみの「種」に子供はなってしまう。

お釈迦様が言うように、「人は、ないものを求め、

ないものが手に入ると、それを持ったことに喜び、

持ったことによって苦しむ。」

あらゆる現象に当てはまる言葉ですが、これでは、

「だから、諦めろ。」の意味になってしまいます。

なんども書いてきた、カルマを受け入れることの馬鹿らしさです。

苦しいままでいい人などいない。苦しければ、もがくのが我々の

自然な性(サガ)です。もがき」を苦しみの表現とした時、

これの最短の表現を「暴力」にしてしまっているというのが

多くの悲劇の原因だと私は思います。

どうすれば、この負のスパンから離れられるのか。

文字通り、その表現から離れることからしか始まりません。

怒って、手をあげていたのなら、怒っても手をあげることを

自制する事。怒鳴ることをやめること。言い争わないこと。

気づいた方からそれをやるしかありません。

なんども書きますが、自分を変えようと思う人しか、

自分を変えられないのです。他人を変えるなど

絶対にできません。ただ、自分が変わることで、

相手も変わってくることがある。ただ、それだけです。

子にとっての親というのは、利害関係とは一番かけ離れたもので

例えば、親からもらった100円が嬉しいのではなく、

100円をくれた親の気持ちが嬉しいのです。

わかるでしょうか?

色々な場面で、どうせ、金だろというのは大人の論理なのです。

お金で感情的な色々なものを我慢してほしい、

その代価を換算するとこんなもんだろ、というのが慰謝料の意味です。

人類が生み出した、物事を一旦完了するための叡智です。

けれども、子供時代の、子供の求めているものは、愛情です。

安心であり、安全であり、逃げ場であり、最後に帰る場所です。

実は、年齢をいくら重ねようが本当に我々の求めているものは

ここなのではないのかと思うのですが、オアシスであるべき

場所で勢力争いや、主導権争いが、責任の押し付け合い、罵声や

怒声があふれているのは辛いものです。

親子2

頭でわかっていても、わからないことが多々あるので、

具体的に書いておきます。

もし、子供が大事にしている、何かを壊してしまった時、

「代わりのものを買ってあげるから。許して。」ではなく、

「ごめんね、直してみるから。」と、できれば子供と一緒に

修理に挑戦してみてください。

多分、楽しい時間が過ごせます。


子供から何かもらったら、大事にとっておくか、

家族が見えるところに飾ってください。

そして、時々褒めることです。


ネチネチとたくさんの言葉で子供を怒らないでください。

子供のへそが曲がります。

(学校の先生がこれをやっているのを目撃したことがあり、不登校の原因にもなっていると、私などは思っています。)

悪さをしたら、ダメでしょ。と小さいゲンコツで軽く、

頭に触れてください。泣きますが、

痛くて泣くのではありません。これで完了してしまうこと。


幼児、児童期は、いかに子供と信頼関係が築けるかが勝負です。

どこかに書きましたが、彼等が大人になり、

悪の道に落ちそうになった時、親の愛情、大事にしてくれた人の顔が頭に浮かぶことだけが錨となりのその先に行くことを引き留めます。

思春期、反抗期では余計な干渉をせず、

見守り、子離れをし始め、独立することを促し、

一人の個人として扱うことをし始めれば、あとは

なんとかなるものです。

人は誰かに大事にされて初めて、誰かを大事にすることを学ぶものであり、

子供の時期にこれがないと「愛」に対し、過敏になったり怖れたりし

誰かに深い愛が生じたとき、その行為はストーカーと表現されたり、

一人の人を愛することが怖くなったりするものなのです。



そして、この過去を引きづり続けている大人の数の

なんと多いことか。

もし幼少期に問題があるのであれば、この辺りを完了することが、

先決かもしれません。過去は過去です。

もし、現在が過去の記憶に支配されて生きているのかも知れないと

気づいたなら、未来は書き換えられます。

吉運

最近生徒さんによく話すのですが、

吉運の人には運が良ければ良い程、

人生に「おごる」ことに注意が必要であり、

他人を見下すことをさせないこと、

謙虚であることを忘れないこと。

もし、これができなければ、この時に撒いた慢心の種が

凶運時に芽吹いて来ると確りと伝えてください。

また、どんなに運がよく見えても嫉妬の心は

誰の心の奥深くにも存在し、恵まれている人ほどこの傾向が強い。

結局、楽しい人生を送ろうと思うのであれば

運の良し悪しは、自分の心の調教次第となり、

足る事を知ることが肝要になる。だから、

元命式だけで人を判断してはいけない、今、目の前にいる

その人の生き方をしっかり見た上でアドバイスしてくださいと

伝えています。

もちろん、元命式を正確に読み込むことができた上での

ことです。

その理由は、私は性善説も性悪説も取りません。

言いづらいのですが、人は、何度も他人に傷つけられたり、

傷つけてしまった時、間違いなく常では無い苦しみに苛まれ、

表情に表さないだけで、普通ではいられなくなる。

硬い装いに表面を固め内なる心を守ろうとする。

(合理的な理由で自分を納得させ心が麻痺していく。)

そこを見極めることができて初めて、運命鑑定士と

名乗れるのだと思っています。

高い理想かもしれませんが、目指すべき姿なのではないのでしょうか。

希望

今月も相変わらず暗い話ばかり書いてきましたが、

「時代」に希望がないわけではありません。

あと3、4年くらい

現状が続き少しづつ落ち着いてくると思います。

もちろん、こう言うだけの根拠はありますが内緒です。

今は身を引き締める時です。

来年に迫った五輪でさえ浮き足立っているのは

一部の中のさらに一部です。

どんなことにも共通しますが、物事が落ち着く時は

その前に、皆が一緒に考えさせられるような事柄が

起きやすいものです。

できれば巻き込まれないようにしたいものです。

参議院選挙が来月ありますが、今回の東京都の都議選で

NHKの如何の斯うのという政党の議員さんが

誕生しました。驚きでした。

世の中が面白くないからといって、刺激を求める

選択をすれば、世界が荒れます。

トランプを選んだアメリカ、朴氏を引きずり落とした

韓国。

卑近な例を忘れてはいけません。

ストロベリーナイト

ドラマの話で恐縮なのですが、先日、

フジテレビの「ストロベリーナイト」が最終回を迎えました。

木曜日は、「緊急取調室」と「ストロベリーナイト」の

二本立てを楽しみに、生活していたのですが、

(子供の頃から身についてしまった、週間少年マガジンとジャンプとサンデー発刊日の立ち読みと、毎週のテレビ番組が唯一の楽しみの、ごくありふれた少年時代の習慣が身につき、立ち読みが出来なくなった昨今、なかなか面白い番組もなく、新しいドラマに期待しつつ、日々を送っています。)

通称「緊取」も最終回だったのですが、なぜ、あんな臭い一人芝居を

させるのかと。最後はもんどり打って叫んでしまい、

蜷川劇場じゃん。長さん風に言うと「ダメだこりゃ」と

がっかりです。

このドラマは、ほぼ犯人役のゲストへの脚本家のアテガキだと

思って見ていたのですが、良いときは実に良いのです。

役者さん達が、本当に生き生きと芝居で踊っているのです。

そんな場で蜷川劇団の芝居(文字通りの舞台上の演技という意味です。)

をされては映像世界の役者さんたちがかわいそうです。

番組の演出家がゲストに任せてしまったのかもしれません。

(大舞台の演出もやっているゲストさんにビビったんでしょうね。)

舞台上で、より映えるための厚化粧をハイビジョンで

写したら興ざめもいいところなのですが、

何気にテレビの演出の力関係が見え怖気が走りました。

そういえば「JIN」の最終回もこんな感じで、あれ以来、

あの役者さんの芸の底が知れたようで嫌いになりました。

ただ、「緊取班」のチームワークに気圧されて、

ゲストが一番手慣れている芝居に「逃げた」とも考えられます。

これは良い意味でも悪い意味でも人対人である限り起きうる可能性です。



本題のストロベリーナイトですが、

姫川のセリフがやはり、良かったですね。

初回は竹内結子と色々比べて、なんとも言えませんでしたが、

見慣れてくると、やはり主人公役の女優さんは良い役者さんです。

最後の見せ場で、

「自分が嫌いで..........。許せなかった。でも居場所ができて、

仲間ができた。そんな自分を許していいと思った。」

というセリフがあったのですが、良い台詞だと思いました。

私自身の過去を振り返っても、どうにもならず、落ちて、転がって、

這いずり回り、将来の不安に苛(さいな)まれ、眠れぬ夜は

深酒をして無理やり眠り、また朝が来て不安に満ち満ちた

日常の繰り返しの中、生きるために学び、学び、

学び始めた時「人の苦しみの棘を一つ抜けば、

自分の苦しみのトゲも一つ抜ける」と教わり、

この一点を信じ学び続け、自分の居場所ができ、

今に至るというところです。

推命術のおかげで来る未来の映像がある程度わかり、

日々の苦しみは多々ありますが、無い物は無く、

こない未来は、まだ来ないと区別し始め、

来たる未来のために「今やるべきことをやる」

これだけを考えるようになってから

「今ない苦しみに悩むこと」をせずに済んでいるようです。





それで良いのだと最近は確信しています。

そして、良い先生でありたいと思っています。

ポリティカル・コレクトネス

「言葉狩り」なんていう言葉を時々使っているのですが

そもそもがポリティカル・コレクトネスという

世界的な潮流から派生しているとのこと。

ポリコレと略して使っている方も多いようです。

言葉には「表現」と「意味」の二面性が属性として

あると思うのですが、「表現」のみを問題にして

「意味」の本質を問うていないことが

偽善的に聞こえるのは私だけでしょうか。

これを読むと問題にされている表現の多くが性差を含む

「差別的用語」ですが、

「言葉」を消してしまうと、その言葉が生まれた

歴史的な背景をも消してしまうと思うのですが.......。


今日「学歴マウント」の記事を目にしました。

こんなもの、長くての20代までしか通用しないのに、

記者も若いなーと呟きながら読んだのですが

基本、

社内であれば上司は部下の学歴を把握しているもので、

学歴云々で部下を叱る上司がいたとしたら

下衆レベルと内心馬鹿にしていれば足ります。

(多くは2、3年で、その場にいなくなる人達です。)

恋愛にしても、これをする人がいたとしたら

そこは考えるべきお相手です。

レッテルに弱い方で、本物との出会いがあっても

スルーし易い方です。



学歴の話をすれば例えば東大に入学していても

中退していれば正式な最終学歴は「高卒」です。

これで言えば、ザッカーバーグもジョブズも

ホリエモンも、前沢社長も高卒です。

学歴でお相手を判断する方は親御さんの世代には

まだまだいると思うのですが、

現代は、実力がなければ高学歴が逆にバカにされる時代です。

また、最近は学習障害や解離性障害などの病名により

さらに組織内の慣例が混乱し始めている難しい時代です。

当たり前のことですが、人物を見極めることの大切さが

組織と個人の将来を左右します。

人事は未来の要です。

新年の所感

新年早々

カルロス・ゴーン氏が国外逃亡を果たし、

日本の司法に真っ向勝負を挑み、

朝から 酒を飲みながら箱根駅伝を観戦し 

青山復活だなーと ボーッとしていたら

アメリカとイランで騒動が起きたとの

ネットニュースの一報が入り

第三次世界大戦か?とまで書かれていました

これ、どうなるのかと

テレビ番組を注目していたのですが

某テレビ局の番組では

相変わらずの「人権」押しの番組構成でした。

人権を擁護し過ぎれば、人は「生物」です、

生きるのに安楽な方向を選択するのが

自然です。

昨年から世界中で

白虎(血神)が跋扈(ばっこ)し始めています

頼りの国連も、そもそもが、世界中の

死屍累々たる人々の歴史を基に築かれた

「人類の理想の象徴」なのですが

常任理事国が当事者の場合は全くの無力です。

そんなことを考えていると

毎日の生活を大事にするしかないなと

切に思わざるおえません

私は、人が一番「楽」なのは、

「暖かい気持ちで他人に接すること」だと思うのですが

「そんなの無理」と思うのが普通だと思います

でも、誰かに強要されることもないし

お金もかからないし、何よりも

自分が一番幸せになれる最短の方法だと思います。

「幸せになりたい」と何十万回お題目として唱えるよりも

身近な人に 

結構な勇気を出して接してみてください。

声をかける必要はありません。

心の問題です

人は他人の心を読むのが実に得意です

怒っている雰囲気 別れたがっている雰囲気

隠し事をしている雰囲気等々

人の気持ちは、すぐに相手に伝わるのです

そして、それに変な期待をするから

おかしなことになってしまう。

何事をも期待せず、裏切られることも覚悟し

日常に、少しづつでも今まで以上に

幸福な時間を増やせば

間違いなく開運の星が芽生え、育ち始めます。

世の流れ

世の流れを見ていると、どうも「令和」の時代は

意趣返し」と「仕返し」がキーワードの時代になりそうです。

嫌な世の中です。

最近NHKで「デジタルタトウー」というドラマをやっていたんですが、

子供のイジメの場面があり、対象の子をマウンテイングする場面で、

わざと自分の教科書を落とし拾わせるという場面がありました。

拾ってくれる子が優しい子だというのを

誰に教わるわけでもなく、知っているんですね。

子供達は。

そして、優しい子は弱い子、反撃しない子と

心の声が囁くのでしょう。

驚きました。

そして、ドラマでは、いじめた子が

大人になって、被害者の子からいじめ返されるという

わかりやすいストーリーでしたが、

いじめで引きこもろうが、引っ越そうが、

相手が大人になって自由意志を持った時、

加害者が仕返しされても当たり前だと

なぜ、いじめた本人たちは気づかないのでしょう。

周りの大人もそれを教えなければ、いけません。

親は自分の子が安全でいて欲しいのなら他人を傷つけることを

させてはいけません。理由は復讐されるからです。

母親たちのマウンテイングも同様です。

大人の恨みはさらに強いことを知らなければなりません。

「恨みが凝る」という言葉をご存知でしょうか。

いわゆる生き霊のことです。運が落ちます。

もし、日々のストレスで子供を叩いている親がいたとしたら、

彼や彼女が大人になった時、あなたが何倍もの苦しみを

彼等から与えられることに気づかなければいけません。

なんでこんな単純なことがわからないのか。





追記(2019年6月29日)

もし占い師さんや、人の相談を受ける立場にいる人で

この文章を読んでいる人がいて、

OLさんでも、同僚でも、親子でも、学生でも

憎い、どうにかしたい等恨み言の相談の場合、

ここで書いたことを思い出して

「みじかな人に悪意を感じるのは世の中の流れみたい。

時代の流れね、あなたはそれにはまってるのかもしれない。

少し冷静になってみてとクールダウンさせてあげてください。

一瞬でも怒りから距離を置くことができれば、

最悪の事態は避けられるかもしれません。

もしかしたら、ひどいわねーと言って

一緒になって頭にきている人もいるかもしれません。

この方法もないことはないですが

運勢の深奥が読めていない場合裏目に出て

相談された側に帰ってくることを警告しておきます。



再追記(2019年6月30日)

本当に安易に人が人を傷つけ命を奪う時代です。

あまい鑑定は取り返しのつかないことになります。

占い

プロの先生として活躍している生徒さんから、

先日、当たりますか?という女性のお客さんが回ってきて、

ことごとく違うと言われ、このようなお客さんには

どう対処したらいいのですか?

と質問を受けました。

このかたは私が推命を教え鑑定力も確りしている先生で

実力は間違いありません。

問題は当たる当たらないの次元の話に推命学を

使ったところにあります。

(他の先生方の参考にもなると思うので書いておきます。)

実際の話、このような依頼者の多くは「占い師」さんに

いじめられてきた人が多いのです。

占いに頼り始めた最初の頃は素直に自分の事情を話し、

相談していたのに、自己否定されるやら、当たらないやら、

空亡だから何をやってもダメだと言われる。

当たり前ですが抱えた問題は解決しません。

不安が晴れる事がない。

もう二度と占いなんて行くもんかと言いつつ、

不安が続くと取り憑かれたようにふっと、占い館に引き込まれる。

お前らに言われることなど最初からわかっている。

でも、未来を知りたい。占ってもらいたい。

違うことを言ってもらえるかもしれない。と、

実に矛盾していますが、

人の心は色々なパーツが複合して成り立っていて、

ここが大事なところなのです。

占われることに磨耗した依頼者は

占い師の腹のなかを見透かしています。

そんなものなのです。

ではどう対処するかといえば、

「占って」というのであれば、占術を使い、

その通りを相手に告げればいいのです。

(忖度は絶対にしてはいけません。タロットであろうと易であろうと神さんのお告げです。あなたが神様以上ならこの意見は無視してください。)

その上で、

「問題を解決するための相談」をしてみない?と

提案し、承諾されたら真っ当な運命学を使えば問題は

起きません。

(これが「当たる当たらない」を主題にした占いと、

「人生」を主題にした運勢鑑定の違いです。

私の言う「占い」と「運勢鑑定」は別物であることを知ってください。)



何でもかんでも推命術で解決するというのは、なかなか

難しいもので、それができれば達人の領域です。

そして、この教室で教えている四柱推命は正しく身につければ

相手の人生に間違いなく良い意味でも悪い意味でも

干渉してしまうだけの力のある鑑定法なのです。

それゆえに、

鑑定者の意思が卑しければ、ろくなことになりません。

なかなか難しいところがあります。



なんども繰り返しますが、

「占い」というのは現状分析力の精度の優劣により良し悪しが決まり、

運勢鑑定の良し悪しというのは、「個々の人生」

への干渉力の優劣で決まると思っています。

その場限りの勝ち負けににこだわる術は如何なものでしょうか。

相変わらず皮肉たっぷりに描いていますが、

この業界に携わるかたたちが被害者にも

加害者にもならないためにと老婆心ながらのものです。

失礼があればお許しください。

業の現れ方2

業というのはめんどくさいもので、

各個人の成したものであるにもかかわらず、

必ず、何らかの形で縁あるものにトバッチリを与えます。

よく宗教系の方達が先祖供養を言いますが、一理はあると思う。

特に恋愛関係、夫婦関間など直接的に感情が絡み合う問題を長く抱え、

不幸な亡くなり方をした人達の周りに与える影響は大きく、

関係ないでは、なかなか済まされません。隔世遺伝か?

と思われるような現象を起こしている人達も中にはいます。

このことに気づき、自分は絶対そうはならないと決断し、

目の前に生じた魅惑的で甘美に匂う縁を切り二度と近寄らないこと。

(多くは、ややこしい人間関係や正式な結婚のできない縁です)

ここが大事な所で、この覚悟がなければ莫大な額を支払い

先祖供養をしても、あまり意味がありません。

一時的に別れても、思い出したかのように再びずるずると

関係を続けるのがオチなのです。

このことを意識して自分自身が強い意志を持って

過去からの影響、支配に抵抗することです。

しかし、しばらくは苦悩すると思います。

慣れ親しんだ嗜好と行動と身に染みてしまった

快楽を手放すのは難しい。

けれども大丈夫、自然には摂理というものがあり、

人は老い、忘れ、快楽は苦しみと変わり、

諦観に埋没し、命が尽きるまでに、それぞれの心の課題を

完了していけばいいだけです。

問題が起きるとすれば、かつての若さを忘れられず、

そこから派生するあらゆるものに執着し、いわゆる

晩節を汚してしまう。

人生に起きるあらゆる問題には間違いなく解決方法はあるのですが、

解決にかかる時間はまちまちということです。

ただ、後ろから自分を操ろうとしている、

「何か」から解き放たれるための努力は今すぐ始められます。

陰を陽に転換するのも、陽を陰に転換するのも

それを意図することから始まるのではないでしょうか。

Α(アルファ)Ω(オメガ)に委託した人生と

覚悟してしまえば、どんな困難も神の意思として

受け入れられるかもしれません。それも人生の選択肢です。

業の深い私には残念ですができません。

嗚呼。

世の流れ2 

令和の御代

伝統宗教の方達が長い時間をかけて練磨してきた

心を磨く技の真価を発揮する時です。

あまりにも悲しく、言葉にすることさえ憚れる事件が

起きてしまいました。

怒りに支配されいちばん自分を傷つけていることを知らず、

他人を傷つけ、ときには命まで奪ってしまう。

こんなこと理屈では皆それなりに理解しています。

けれども生理的に頭に血が上り、体が震え、

敵しか見えなくなった時、常識は飛びます。

感情が体を支配した時(これは恋愛も同じです。)

誰がこの「感情の暴走」を止められるのでしょうか。

「感情のコントロール」こそ

本来の宗教家が主題としてきたものです。

(この意味では「嫉妬する神」は私の言う意味では不合格です。)



天台宗や禅宗で修行されている座禅(摩訶止観、坐禅)として

この手法は確立されています。

テレビに出て蘊蓄をひけらかす前に坐禅による

心の変化の科学的データを世の中に知ってもらう方が

よっぽど宗教離れの世の中に一石を投じるのではないでしょうか。

その本筋である修行を一般にも受け入れられような形で

アピールし、イベントを行い、

そして、積極的に教誨師の役割や禅の指導を

刑務所や小学校で講義するべきです。

勉強はできるけれど、繊細でキレやすく親に甘やかされ

社会に出てから毒になってしまう子を一人でも

減らす努力をすること。

それには小学生の低学年レベルから粘り強く

始めていけば自然に身に付けられるでしょう。

(本来は親が家庭でなすべきことですが、時代の流れを考えると無理です。)

思春期を過ぎてしまうと、そのための努力が

けっこう必要になります。


教誨師の仕事はお坊さまの修行が試される最高の場です。

犯罪を犯し収監され、お坊さまが彼らと

面接を繰り返すことで、お互いの人格が磨かれ、

心の更生がなされたとしたら、社会に出ても苦労はしますが、

確実に再犯率は下がるとはずです。GPSをつける必要もなくなる。


公共機関が特定宗教と協力し合うのを

信教の自由を盾に如何の斯うのを言う親や

人権派の人々が必ず現れると思いますが、

日本の将来に関することです。真剣に話し合うべきです。

実際の話、

お坊さんたちは、今の世の中をどう思っているのでしょうか。

人生は無常だとか言って、自分だけは神仏の加護で

日々の安寧を貪っているのでしょうか。

少なくともこれは大乗仏教ではありません。

大乗の名を借りた小乗の徒以外のものではありません。

葬式仏教のままで、坊主丸儲けだから

自分の子供たちに跡を継げと誇りを持って

言えますか。

だいぶまえの話ですが、

TM瞑想で有名なマハリシスクールが

テレビ番組で取り上げられていたことがありましたが、

日本では専門のお坊さんたちは、

このあたりの研究を始めているのでしょうか?

新潟のどこかでこの種の動きが始まっていると

聞いたことがあるのですが、

海外からの輸入物よりはるかに実績がある伝統宗教の

先達方が、なぜこの瞑想教育にチャレンジしないのか、

わかりません。

伝統は保守であり改革を望まず、組織の顔色を伺うことも

当たり前のこととして、そして、この辺りのノウハウを

外国から学ぶことも必要なのかもしれません。それもせずに、

伝統が培ったきた修行体系という最大の武器を捨てて、

安易に喫茶店を営業し仏教を知ってもらおうなどと

発想する気が知れません。

人類にとっての最上の発明をドブに捨てています。

伝統宗教を専門に修行する若者達は

日本の将来のために誇りを持って今こそ立ち上がる時です。

多分、

それがあなた達が仏様から負わされている課題です。

(仏様とはブッダ釈尊その人であり、仏教で社会に貢献したいと願ってきた、あなた方のご先祖様たち)



不幸な事件が起きた時、「なぜ」と問うことと、

犯人を憎むことしかできない。

でも、それでは、きっと、また何処かで事件が起きるのです。

子供の頃から

「感情のコントロール」をしっかりと学ぶこと。

 性別に関係なく「母性」を育てること。

この二つさえ、しっかりと身につければ世の中は

落ち着いてくると思うのですが。



最後に大事なことを忘れていました。

まず、それに気づいた大人から始めることです。

むき出しの感情は「正直」とは違うものです。



京都の放火事件で亡くなった方達のご冥福を合掌し衷心から祈念いたします。

「元命式の研究」について

すでにご承知だとも思いますが、

「元命式の研究」を研究科のテキストとして使用します。

今までは、実力向上の一助とも考え、

希望する教室の生徒さん誰にでもサイトを公開してきましたが、

初心者が見てしまうと多少の弊害があることに気づき、

研究科の生徒さんのみの閲覧とさせていただきます。

3月20日 2023年

桜が見頃になりました。

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

花見のニュースが流れると業平の和歌が嫌でも

思い出されます。高校1年の古文だったと思うのですが、

当時であれば薄紅色が陽光に映る山桜が主流であり

ソメイヨシノとは趣が違うように思われます。

本当に美しい薄紅色の花と瑞々しい新芽を同時に咲かせる

山桜が近所に一本だけあったのですが、

3年ほど前に切られてしまいました。個人宅だったので

アスファルトに舞い散る花と花芯の掃除を思えば

仕方なかったのかなと思っています。

ふと思うのですが、宣長の大和心も西行法師の辞世の和歌も

薄墨色の花のもとでは生まれていない。


花見酒が4年ぶりに解禁され賑やかしい「お花見」が

また始まります。酔いに任せ 仲間で騒ぎ始める

年間行事が戻って来る。騒ぐのであれば陽気であれ。

陽気は力が漲(みなぎ)り、人生の原動力になります。

苦しくとも顔に出さず、明るく、朗らかに、

期待せず、愛をねだらず。余計なことを言わない。

「すがらず。ねだらず。」嫉妬、愚痴を納める

最短距離です。




 

ドーパミン

2月24日

ドーパミンに関する面白い記事を見つけましたので

貼っておきます。

プレジデントオンライン

YouTubeにも関連した動画がたくさん挙げられています。

依存症は専門家に相談されるのが最善です。

そして、自分自身でできることもあるようです。

精力善用

自尊心が強くちょとだけ頑固で、他の人よりも

少し自分はしっかりしていると思っている方達へのアドバイスです。

精力善用 

ここには実践鑑定において伝えるべき内容の

大きなヒントが潜んでいます。

生徒さんにはこの意味がわかりますね。

命式を区別し自分の言葉に翻訳して伝えてください。


今の時代、本当に自分を律する思想や信条というものが

ありません。

国の実力が衰え始めるほど伝説がかまびすしくなるのは

世の常ですが、兎にも角にも自分の実力を養うことです。

経済も政治も我々のような分野であっても権威や

伝説に依るのではなく事実を検証し本物を見つけることです。

研究科

初級修了者の方は緒方先生の中級教室をお勧めいたします。

時間的な制約がある方は洗心庵の研究科に参加していただければ

私の鑑定力に限定されますが、ある程度は

皆様に貢献できると思います。そのために

今少しづつ研究科のテキストの整理をしています。

このテキストはあくまでも洗心庵独自のものであることを

ご理解ください。出版等の意図も全くありません。

テキスト1は初級の理解を深めるためのアドバイスです

テキスト2は個別の研究資料

テキスト3はテーマ別の資料になっています。

(現在 工事中)

推命学は身につけてしまえば実に単純ですが

初学者には複雑難解に見えるようです。

一つ一つのパーツは理解できるが 組み合わせた時

どう解釈すればいいのかが一つ もう一つが現実の

行動や思考に現れる星の動きの具体性が予測できない。

この辺りのことが書かれている本は稀有ですね。


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