2026-08-08 07:33:45 0 Comments
米、中、台湾の歴史的な関係を見ていくと、アジアにおいて
過去に何度か核戦争の危険があったことがわかります。
有名なのは朝鮮戦争においてのものですが、
1958年8月23日に起きた第二次台湾海峡危機(金門島・馬祖島への砲撃)の際、
アメリカが中国に対して核兵器の先行使用を検討しました。
これに対抗するため、毛沢東はソ連に対して
「ソ連の原爆(核の傘)による報復や支援」を打診・期待しました。
毛沢東は、この前年の1957年のモスクワ国際会議などで、
「核戦争が起きて人類の半分が死んでも、残りの半分で共産主義社会を作ればいい」という
極端な核戦争楽観論をソ連(フルシチョフ首相)に語り、ソ連側を戦慄させています。
毛沢東はソ連の外交官(グロムイコ外相ら)に対し、
「中国軍が後退してアメリカ軍を中国本土の奥深くにおびき寄せるから、そこをソ連の原子爆弾で
一網打尽にしてくれ」という、自国の犠牲をも厭わない驚くべき共同作戦を提案しました。
ソ連側を震え上がらせた毛沢東の暴言
毛沢東は台湾問題や国際会議の場で、核戦争に対する極めて過激な持論をソ連側に語っています。
「人口の半分が死んでも構わない」: 1957年のモスクワでの会談で毛沢東は、
「核戦争が起きて世界の人類の半分(あるいは中国人の半分)が死んでも大したことはない。
残りの半分で共産主義社会を作ればいい」「原子爆弾なんて紙のトラ(見かけ倒し)だ」と言い放ちました。
(当然アメリカはこの会議の内容を熟知し58年の砲撃時、核使用を検討したということでしょう。今野)
フルシチョフの恐怖:
当時、アメリカとの「平和共存(全面核戦争の回避)」を目指していたソ連のフルシチョフ首相は、
毛沢東の狂気とも言える好戦的な姿勢に強い危機感を抱き結果として中ソは決裂。
ソ連は「台湾をめぐる米中の衝突に巻き込まれ、米ソ全面核戦争になること」を恐れ、
毛沢東への協力を拒否し、1959年に中国への核技術供与協定を破棄し、
核開発の技術者を全員本国に引き揚げさせました。
後ろ盾を失った中国は自力で核開発を急ぐことになり、1964年初の核実験に成功することになります。
以上Geminiの説明を私が簡略したものです。
習近平氏がお手本にしている毛沢東の考え方がよくわかると思います。
欧米の民主的国家は核の現実的な威力を、文化として今も脈々と彼らの血の中に
流れるキリスト教的な「神の怒り」とリンクし、心の芯から恐れている間、
核を使うことはないでしょう。
ただ、それを超える恐怖にあった時はこの限りではありません。
世界中の争いが1日も早くなくなることを祈ります。