世間では四柱推命について様々な解釈がされています。
占いの当て物としての術、出世や財運の時期を知らせるもの、
最高の相性を教えるもの、等々、人の欲望を叶える方術として
多くの先生方は解釈し利用されています。
私が最近、推命術は、自分を知る技術であり、
それが他人にも当てはまるものと
合点(がてん)がいったとき時、
「人間とは何か」
という、青臭い命題が解ける時なのかもしれないと思っています。
人とはなんなんでしょうね?
喜怒哀楽の生き物であり、見返りを求めるものであり、
他人と自分を比べ、どうにもいかなくなったり、
ほくそ笑んだりと、一見難しい生き物に見えます。
しかし、推命術から見ると、ただ、
「普通に生きたい。」とい心の声が聞こえてきます。
問題は、その「普通」というやつが、
星の偏りに起因している場合、常に偏った選択をしてしまう。
これには善悪の判断がなく、ただ、それを選んでしまう。
そして、その結果が生じるだけなのですが、
人生の悲喜劇もまたここから始まります。
ここにさえ気づけば、運勢にひきづられる選択は
回避できるのですが.........。
痛い思いを何度しても、回復してしまうのが
人の持つ強さです。
「気づき」というのは、とても難しいことのようです。