2013/05:ブログ

1 / 2 ページ目を表示 最初 | 戻る | 次へ | 最後

2013-05-31 21:55:21 0 Comments

いよいよ明日から6月ですね

今年も半分が過ぎました。

少しは前に進む事が出来たでしょうか?

「衣食足りて礼節を知る」

けれども衣食が足りなければ、なんとしても、

潔(いさぎよ)く、もがくだけです。

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。」

これはアニメの台詞ですが。でも、真理かもしれません。

あと、半年、自分はどこに向うのか?

迷いながらでも、できれば、トラブルの原因を放棄する

方向に進みたいものです。

未来を「善」で満たすのは難しいかもしれませんが

悪を減らすのは、善を積むよりは楽かもしれません。









ずいぶん日本経済が変動していますが、あまり動揺してもしかたありません。ほぼ安倍首相の運勢通りの展開です。このままなら6、7月は厳しく、この2ヶ月の対応の仕方でその先の運が決まってきます。安全に過ぎれば8月辺りから一時的に安定するでしょう。アベノミクスに遠慮してか思いのほか閣僚の暴言やスキャンダルが少ないようですが、その辺にも注意が必要ですね。特に誰か(どこかの国)にはめられたり、のせられたりが注意です。


2013-05-25 07:07:05 0 Comments

色々な人がいるので、誤解の無いようにしたいのですが

何故、「良い事をする」のかというと

「良い子ちゃん」になって人から誉められてね。と

言っているのではなく、

「自由」になるためです。

因果についても、どこかの馬鹿者が

かつての軍国主義の報いで原爆が落ちたんだと

言っていましたが、その報いを受け、

苦しみ、身もだえ、そして努力し、良くも悪くも

その結果が「いまある我々の姿です」

いつまでもいつまでも、くどくどしく、

過去の一点にしがみつき、何十年たっても相手の不幸を

願う、その姿は、醜いの一言ですね。

元カレ、元カノの不幸を願う、ストーカーによく似ている

東日本大地震のときも同じようなことを言っていましたね

ただ、醜い。

けれども、もし、その自分の醜さに気付き

かつての敵の喜びを自分の喜びとする努力をし、

それが実った時

その人との過去の諍(いさかい)から解放され自由になれる

そう仏さんは言っているのですが、

なんせ、われわれは凡人ですから、難しい作業かも知れません

他人の幸せを一緒に喜ぶ、少なくても、ケチを付けない。

嫉妬の対治法としては最善だと思うのですが。

恋愛のトラウマなどには最善の治療法なので

結果を焦らず試してみて下さい。

「苦しい」と心が呻き出したら、それが効いてきた証拠です。

業払いと言われる現象になります。


2013-05-23 23:16:12 0 Comments

なかなか、手一杯で生徒さんの募集を中断しますと

言えません。一度は言ってみたいのですが、

ちょっと無理なようですね。

そこで、随時募集とします。

できれば

日曜の午後、または月曜の午後2時くらいから

3人か4人のメンバーの教室をと思っています。

お知り合いの方お誘いの上、気軽にお申し込み下さい。

のんびり、じっくりの教室にしたいと思います。


2013-05-23 22:54:13 0 Comments

積善の行為に関しては、あまり難しく考えないで下さい

難しく考えると、何も出来なくなる。

例えば、ただ、身近な人の幸せを祈るだけでも、

それは善を積むことになるし、

ほかの人が得た幸せを、一緒に喜ぶだけでも、

それは善を積む事になります。

これだったら、たった今からでもできますね。

そして、これが出来れば、少しずつでも

他人を妬まなくなるし、自分の喜びも

増えてきます。

一石二鳥です。

お寺のお賽銭箱にある

慈悲喜捨の喜とは実はこのことを言っています。

自分自分という欲心を「捨」て、他人を尊重し、自分自身と

同じように相手の幸せを「喜」ぶこと。そして、何者をも

傷つける事なく「慈」しみ、他に苦しみがあれば

それを抜く(「悲」)ことに躊躇しない。

あらゆる命に対する、優しい心遣いとでも言いましょうか。

「言うは易し」で簡単にはこれが出来ない所に人の業があります

だから修行とし、がっつりと

取り組まなければならないのかもしれませんね。



(慈悲という言葉は、抜苦与楽の解釈でよいと思います)


2013-05-22 18:18:38 0 Comments

怒りについて質問されたので少し書いておきます

怒り!

誰にでもある感情で絶対に無くす事など出来ない。

これが私の考え方です。

不条理に対する怒り、貧困や犯罪に対する怒りが無ければ、

世の中が家畜の世界になってしまう。

世界が前進たのは怒りのエネルギーがあったからでしょう。

怒りから理想が生まれ、行動から希望が生まれた。

人を愛すると同様、怒りもまた、人としての大切な感情です。

ところで、普段の生活で起きる、怒りに関する事柄。

これは、やっかいで、なかなかコントロールできません。

でも、ちょっと思い出して欲しいのですが、

怒っている時、その対象は「ひとりの個人」でしたか?

命の大切さや、人との絆を、学校の道徳の時間や

マスコミや、ドラマで毎日のように学んでいるはずですが

怒りに駆られるとき、目の前にいる人物はあなたと同じように

命を育み時を経た命ある人ではなくなり

この怒りの原因を作った、憎き敵に変わってしまう。

ただ、忘れちゃうんです。人としての相手の在り方を。

怒りが冷めた時、今度は、相手の全体の姿が見えてきて

後悔したり、それを見ないように今度はさらに蛇蝎のように

嫌ったりと、悪循環です。

個人対個人の関係で怒りが生じたとき、

少しだけ、心に、怒りと冷静さの隙間を作れるようになれば

人間関係は楽になります。

そのためには相手を嫌う自分をもう少し冷静に

自分がどんな怒りを纏って、嫌っているのかを

観察する必要があるかもしれません。



大抵は一点か二点の短所を、その人の

全体の人格として決めつけている場合がほとんどです

それが許せない!

それ以外はどうなんでしょう?

たぶん、あなたと、そう変わらないと思うのですが。

冷静になれば、話し合いも出来るようになります。

星のせいだけにしてしまうのは人としての可能性を

否定する事に繋がります。

そんなことは教えた事もないし、言った事もありません。

その心の葛藤を、忍耐ととるか、寛容ととるか、

忍耐はどうも苦手だという人がほとんどなので

寛容性の修行として取り組んで見て下さい。


2013-05-19 22:41:10 0 Comments

こころは、良くする事も出来るし

悪くすることも出来ます。

これは当たり前のことですね。

10の不善を行えば悪くなるし

10の善を心がければ良くなる。

面白いもので、仏教の根本でありながら

仏を信仰しろとか、教団に尽くせとかは

一言も言われていません。

ただ、行(おこな)えば、自分の利益になると

仏さん達は言っています。

自分が行じること。ただ、それだけです。

運勢が傾き、過去の報いで、ごちゃごちゃになろうと

「今」ではなく、将来の幸福のための種を

播いているのだから、お気楽と言われようが

それは「希望」そのもです。

「積善の家には余慶あり、積不善の家には余殃(よおう)有り」

易経の「坤以地」にもある通り

これは大地の掟、そのものであり、

運勢の根本基盤だと私は思っています。


苦しい。と嘆くとき、

嘆いたならば、後は、ただ善を積む事です。

そうすれば、道は開かれる。

「善」というと偽善に聞こえますが、これは

言い換えれば、

感情任せの、かつての習い性に汚染された

今に影響し続ける心の力(業)に流されるのではなく

「この瞬間を生きている、自分のこころ」を独立させることです。

感情に流されず、あまえず、ねだらず、自分の足で立つこと。



感情に流され、あまえ、ねだり、他人に依存するから

苦しみが生じる。

おもしろいもので、

最初から人生は苦(にが)いものと覚悟した人は

努力の苦しさを受け入れ、わりと幸せに人生を過ごしています

この世は、なんとも不思議な世界です。

ただ、因果律だけなのかもしれません。


1 / 2 ページ目を表示 最初 | 戻る | 次へ | 最後

カレンダー

« 2013 年 05月 »
28 29 30 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 1

アーカイブ

全て
2024 03月 (2)
2024 02月 (3)
2024 01月 (4)
2023 12月 (6)
2023 11月 (4)
2023 10月 (5)
2023 09月 (11)
2023 08月 (6)
2022 09月 (3)
2020 09月 (1)
2020 07月 (2)
2020 06月 (5)
2020 05月 (9)
2020 04月 (4)
2020 03月 (5)
2020 02月 (4)
2020 01月 (1)
2019 12月 (3)
2019 11月 (4)
2019 10月 (4)
2019 09月 (6)
2019 08月 (10)
2019 07月 (16)
2019 06月 (6)
2019 05月 (6)
2019 04月 (8)
2019 03月 (13)
2019 02月 (11)
2019 01月 (10)
2018 12月 (6)
2018 11月 (6)
2018 10月 (11)
2018 09月 (14)
2018 08月 (7)
2018 07月 (7)
2018 06月 (7)
2018 05月 (7)
2018 04月 (5)
2018 03月 (3)
2018 02月 (4)
2018 01月 (5)
2017 12月 (4)
2017 11月 (3)
2017 10月 (5)
2017 09月 (8)
2017 08月 (7)
2017 07月 (10)
2017 06月 (4)
2017 05月 (1)
2017 04月 (2)
2017 03月 (2)
2017 02月 (1)
2017 01月 (2)
2016 12月 (3)
2016 11月 (3)
2016 10月 (3)
2016 09月 (6)
2016 08月 (16)
2016 07月 (10)
2016 06月 (7)
2016 05月 (3)
2016 04月 (3)
2016 03月 (2)
2016 02月 (6)
2016 01月 (4)
2015 12月 (6)
2015 11月 (4)
2015 10月 (2)
2015 09月 (7)
2015 08月 (2)
2015 07月 (5)
2015 06月 (5)
2015 05月 (4)
2015 04月 (6)
2015 03月 (5)
2015 02月 (9)
2015 01月 (4)
2014 11月 (6)
2014 10月 (15)
2014 09月 (13)
2014 08月 (8)
2014 07月 (1)
2014 06月 (2)
2014 05月 (9)
2014 04月 (5)
2014 03月 (5)
2014 02月 (10)
2014 01月 (9)
2013 12月 (7)
2013 11月 (12)
2013 10月 (10)
2013 09月 (8)
2013 08月 (7)
2013 07月 (11)
2013 06月 (4)
2013 05月 (11)
2013 04月 (5)
2013 03月 (5)
2013 02月 (6)
2013 01月 (5)
2012 12月 (7)
2012 11月 (10)
2012 10月 (8)
2012 09月 (15)
2012 08月 (11)
2012 07月 (17)
2012 06月 (12)
2012 05月 (23)
2012 04月 (21)
2012 03月 (26)
2012 02月 (15)
2012 01月 (13)
2011 12月 (19)
2011 11月 (12)
2011 10月 (17)
2011 09月 (14)
2011 08月 (10)
2011 07月 (23)
2011 06月 (22)
2011 05月 (16)
2011 04月 (8)
2011 03月 (20)
2011 02月 (11)
2011 01月 (15)
2010 12月 (15)
2010 11月 (11)
2010 10月 (27)
2010 09月 (15)
2010 08月 (6)
2010 07月 (6)
2010 06月 (5)
2010 05月 (6)
2010 04月 (15)
2010 03月 (2)


△ページトップへ