2013-05-19 22:41:10 0 Comments
こころは、良くする事も出来るし
悪くすることも出来ます。
これは当たり前のことですね。
10の不善を行えば悪くなるし
10の善を心がければ良くなる。
面白いもので、仏教の根本でありながら
仏を信仰しろとか、教団に尽くせとかは
一言も言われていません。
ただ、行(おこな)えば、自分の利益になると
仏さん達は言っています。
自分が行じること。ただ、それだけです。
運勢が傾き、過去の報いで、ごちゃごちゃになろうと
「今」ではなく、将来の幸福のための種を
播いているのだから、お気楽と言われようが
それは「希望」そのもです。
「積善の家には余慶あり、積不善の家には余殃(よおう)有り」
易経の「坤以地」にもある通り
これは大地の掟、そのものであり、
運勢の根本基盤だと私は思っています。
苦しい。と嘆くとき、
嘆いたならば、後は、ただ善を積む事です。
そうすれば、道は開かれる。
「善」というと偽善に聞こえますが、これは
言い換えれば、
感情任せの、かつての習い性に汚染された
今に影響し続ける心の力(業)に流されるのではなく
「この瞬間を生きている、自分のこころ」を独立させることです。
感情に流されず、あまえず、ねだらず、自分の足で立つこと。
感情に流され、あまえ、ねだり、他人に依存するから
苦しみが生じる。
おもしろいもので、
最初から人生は苦(にが)いものと覚悟した人は
努力の苦しさを受け入れ、わりと幸せに人生を過ごしています
この世は、なんとも不思議な世界です。
ただ、因果律だけなのかもしれません。