最近生徒さんが持って来る例題を見せてもらっていて
感じるのですが、人の望む幸福の姿は、本当に人それぞれで、
最高の運勢で、本人が望みさえすれば、あらゆる可能性が
成就するであろう時、多くの人が本当に平凡に、普通に
平和に暮らし、太平に住している。
運勢という視点から見ると、平凡に過ごせていることの、
凄さというのがとてもよく見えてきます。
逆に、大企業の社長交代などを見ていると、
一般的には出世と言われる社長の地位も
最悪の運勢の人が、さらに苦しむために
焼けただれた鉄板の上で踊らされるために
社長になっているようにしか見えない大企業を
何例か見ています。(日本の総理大臣なども
その類いです。)
数年前からアセンションなどと、相変わらずニューエイジを卒業出来ない人達が世紀末の次はアセンションだとある種の終末思想を吹聴していますが、一度経済的にピークを迎えた世界が衰亡の流れに入っただけで、たぶんこのまま下に流れて行くのだと思います。その流れの中で吉運の人達がどんな行動をとっているかを見ると、先に書いたように、あがく事無く、静かに、家庭を愛し、仕事を楽しみ、普通という非凡さのなかで日々をしごしている。運の悪い人は目先の野心のために爪先に炎を灯し、苦役している。
どのような生き方を望むのかは人それぞれですが、運という視点から見たときの幸福論は、こんな物です。