ブログ

[ 戻る ]

愛?

2011-06-19 15:11:02 0 Comments

恋愛で悩んでいる方がときどき

愛ってなんでしょうか?

こう問われる方がいます

前にも何度か書いた事のある問いの

一つです。

究極の愛は良心であり、仏心であると書いたような

覚えがあるのですが、それは何か?

と具体的に問われたとき

それは「空気」のようなものであり

「太陽」のようなものであり、

「大地」のようなものであり

「水」のようなものであると答えるのが

正解に近いかもしれません。

水も空気も太陽も人の行為の善悪に関係なく

平等に命を育む糧を与えてくれます

あいつは悪い奴だから、その人の周りだけ

空気が無くなることは、まずありえません。

どんなに黒い心をしていても太陽はその人を

他の人と平等に暖かく照らします。

どうでしょう、このような意味では人は始めから

神や仏の慈悲や愛の器の中で生きています。

神道の先生達は一つの霊に四つの魂があると

昔から説かれています。気象の四つの変化を

人の心の姿と見立て、神様と同じように

平等に人は神の分霊を頂いているという考え方です

べつに神や仏になる必要はありませんが、

もうすこし、おおらかな生き方を選んでも

良いのかもしれません。

人は自分を愛するために人を愛し

愛されたい人に愛されない故に苦しみます

神様(この自然界)に比べたら自分のことしか考えていない生き物です

なぜかと言うと、神は(自然は)何かの見返りを誰かに求めず

ただ、自分の仕事を(生き物を養うという仕事)

純粋に行っているだけだからです。

バカなのか、自分の欲に、ただ正直なのか

宗教家は神を自分達を守護し

生活の規範を示す指導者として崇め

結局は神の祭礼をするものに大きな権力が集中しました

ヨーロッパの宗教が行った狂気は、歴史に刻まれているし

つい最近も自称教祖により子供の頃いじめられた意趣返しの

ための子供騙しのクーデターが起こされました。

傷つけられたり、殺されたものの怨嗟は未だに

彼の弟子達が受け継ぎ、秋葉原やあちこちに潜んで

見えないエネルギーとして蠢めいています。

なんとも、本来の神々とは真逆の在り方をしているではありませんか。

人の集団は神に導かれてはいけません。

なぜなら神の命令と言えばそれは「絶対」になってしまい

「自由」を失う事になるからです。

人の集団は理性で導かれなければなりません。

信仰の代償として義務や伏従を求める宗教はダメです。

そう言うと戒律はどうなるのかという人がいますが

戒律は伏従する事とは違います。行を進化させるための助縁であり

人をその宗教に誘う事が戒律だという宗教があれば、それは

100パーセント宗教ではなく団体のトップや職員が

自分達の利益を追求するための、「宗教」の看板を掲げた

営利団体です。本来なら課税して然るべきものです。

ここまで書いて、今日はやけに宗教に厳しくあたるのはなぜかな?

と気付いたのですが、理由が判りました。

昼間見た「いいとも!」でした。(20日の番組です)


カレンダー

« 2024 年 11月 »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

アーカイブ

全て
2024 11月 (3)
2024 10月 (2)
2024 09月 (4)
2024 08月 (1)
2024 07月 (13)
2024 06月 (8)
2024 04月 (3)
2024 03月 (2)
2024 02月 (3)
2024 01月 (4)
2023 12月 (6)
2023 11月 (4)
2023 10月 (5)
2023 09月 (11)
2023 08月 (6)
2022 09月 (3)
2020 09月 (1)
2020 07月 (2)
2020 06月 (5)
2020 05月 (9)
2020 04月 (4)
2020 03月 (5)
2020 02月 (4)
2020 01月 (1)
2019 12月 (3)
2019 11月 (4)
2019 10月 (4)
2019 09月 (6)
2019 08月 (10)
2019 07月 (16)
2019 06月 (6)
2019 05月 (6)
2019 04月 (8)
2019 03月 (13)
2019 02月 (11)
2019 01月 (10)
2018 12月 (6)
2018 11月 (6)
2018 10月 (11)
2018 09月 (14)
2018 08月 (7)
2018 07月 (7)
2018 06月 (7)
2018 05月 (7)
2018 04月 (5)
2018 03月 (3)
2018 02月 (4)
2018 01月 (5)
2017 12月 (4)
2017 11月 (3)
2017 10月 (5)
2017 09月 (8)
2017 08月 (7)
2017 07月 (10)
2017 06月 (4)
2017 05月 (1)
2017 04月 (2)
2017 03月 (2)
2017 02月 (1)
2017 01月 (2)
2016 12月 (3)
2016 11月 (3)
2016 10月 (3)
2016 09月 (6)
2016 08月 (16)
2016 07月 (10)
2016 06月 (7)
2016 05月 (3)
2016 04月 (3)
2016 03月 (2)
2016 02月 (6)
2016 01月 (4)
2015 12月 (6)
2015 11月 (4)
2015 10月 (2)
2015 09月 (7)
2015 08月 (2)
2015 07月 (5)
2015 06月 (5)
2015 05月 (4)
2015 04月 (6)
2015 03月 (5)
2015 02月 (9)
2015 01月 (4)
2014 11月 (6)
2014 10月 (15)
2014 09月 (13)
2014 08月 (8)
2014 07月 (1)
2014 06月 (2)
2014 05月 (9)
2014 04月 (5)
2014 03月 (5)
2014 02月 (10)
2014 01月 (9)
2013 12月 (7)
2013 11月 (12)
2013 10月 (10)
2013 09月 (8)
2013 08月 (7)
2013 07月 (11)
2013 06月 (4)
2013 05月 (11)
2013 04月 (5)
2013 03月 (5)
2013 02月 (6)
2013 01月 (5)
2012 12月 (7)
2012 11月 (10)
2012 10月 (8)
2012 09月 (15)
2012 08月 (11)
2012 07月 (17)
2012 06月 (12)
2012 05月 (23)
2012 04月 (21)
2012 03月 (26)
2012 02月 (15)
2012 01月 (13)
2011 12月 (19)
2011 11月 (12)
2011 10月 (17)
2011 09月 (14)
2011 08月 (10)
2011 07月 (23)
2011 06月 (22)
2011 05月 (16)
2011 04月 (8)
2011 03月 (20)
2011 02月 (11)
2011 01月 (15)
2010 12月 (15)
2010 11月 (11)
2010 10月 (27)
2010 09月 (15)
2010 08月 (6)
2010 07月 (6)
2010 06月 (5)
2010 05月 (6)
2010 04月 (15)
2010 03月 (2)


△ページトップへ