2018-03-12 18:39:08 0 Comments
コラムに書いたのですが陰陽五行の歴史というのは
いたって古く、中国の歴史そのものと言っても
過言ではないような気がしています。
私もけっこう長い時間をかけて四柱推命を
研究してきたのですが、その中で
「順逆のサイクル理論」を発見した時は
なんとか先人たちの後塵を拝さずに済む、「新手一生」だ、
ついに自分のオリジナルを見つけたと自負していたのですが、
治世という形ですでに使っていた人を見つけてしまいました。
[url=https://ja.wikipedia.org/wiki/董仲舒]董仲舒
順逆のサイクルというのは、
泰山流(緒形派)の十干鑑法を身につけた者にとっては
対人関係(自他の関係)における苦労の完全な原因と
回答を導き出す理論であり、
運勢鑑定をほぼ完全な形に仕上げてくれます。
(人を活かすためには用神だけでは足りないことが実際は多々あるのです。)
また、運勢鑑定を離れた場合でも、より良い円満な人間関係を
生み出す大きなヒントを与えてくれるものです。
さらに、なぜ順となり逆となるのかの
理由までも明確にしてきました。
このような完璧なものを誰も知らなかったのかと
訝っていたのですが、
悪用と言っては語弊がありますが、
天子と臣民という自他の関係にこれを
応用していたのです。
為政者と民と自と他の関係も同様です。
さらにそれを「法制」という形で固定したのが
この董仲舒です。びっくりです。
そして紀元前の前巻の時代から清末までこの制度が敷かれていました。
なんともすごい話です。
清末のいつよ?
と、ちょっとだけ思ってもらえると嬉しいのですが、
「ぼじゅつの変法」までです。
(結局は西太后の「ぼじゅつの政変」で終焉を迎えてしまいます。)
実は「ぼじゅつ」とは「戊戌」と書きます。
干支の「つちのえいぬ」の年のことです。
そうなんです。今年がその戊戌なんですよ。
びっくりです。さらに、この戊戌の政変で
処刑された一人に譚嗣同という人物がいるのですが、
私が二十歳くらいのときに勧められた
最初の中国語のテキストが「仁学」であり、
その著者がこの方だったのです。
実に面白い偶然です。