2025-03-17 12:31:36 0 Comments
呼吸法と無常観をコラムに書いておきました。
私の考えるお釈迦さまの瞑想法の最も最初の、入門段階の
教えであり究極の教えだと思っています。
賢い先達の方々は、これを文書化し、心を何層にも区分し
末那識 阿頼耶識等にわけ、さらに事細かく分類し
結局、一般人にはわからなくしてしまいました。
お釈迦さまの系譜の上座部の方達も同様です。
同じお弟子さんの中で自分が一番正しいんだ、
こんなに複雑ですごいんだぞと。やはりいつの時代も
競争心が強く負けず嫌いの方達が多かったのだと思います。
(因縁が切れるわけがありません。)
しかし大乗を称する方達も修行法の基盤は四念所法と
安那般那念(あんなはんなねん、巴: ānāpāna-sati:アーナーパーナ・サティ、
梵: ānāpāna-smṛti:アーナーパーナ・スムリティ)という呼吸法が担っています。
これをわかりやすく解説したものが天台大師の有名な
「摩訶止観(まかしかん)」ですね。
漢語や仏教用語で書かれているので、本を手にしても難しいかもしれません。
お釈迦さまが生きていた頃は、お釈迦さまと一緒に瞑想することで
計り知れない効果があったに違いないのですが、その「体験」の
代々の伝承を「系譜」と言い「血脈」と称して大事にされてきました。
極端な言い方ですが、系譜のない方達には「体験が伝わっていない」
ということで、ここに祖師仏教(日本仏教)の困ったところがあって、
多くはお祖師様独自の体験でありお釈迦さまの仏教とは別物という事なのです。
仏教の装いをしたお祖師様独自の新興宗教だというのが本当のところでしょう。
しかし、この新興宗教も1000年以上の風雪に耐え自然淘汰されていないので
あればこの国に根ざした本物の宗教という事です。否定する必要はありません。
けれどもお釈迦さまの仏教ではない。お釈迦さまに憧れた方達の
作った新興宗教ということです。2500年の風雪に耐え、数限りのない
人達に平等に霊的啓示を与え続けているお釈迦さまに戻ることです。
初期経典と呼ばれる、学者の方達から低レベルの人たちへの教えだと
言われる言行録の中にこそ生きたお優しく時に厳しく
深い智慧に根ざした人柄の人間としての言葉の温かみがあるのです。
本当いう形で一対一で向かい会える幸運を是非噛み締めてください。
そして、いつか、この教えがどのように手を加えられ、今のような
形に変容したのかをご自分で探索してみてください。