2012-01-20 09:32:44 0 Comments
苦しい方には自我偈をお勧めしています
でも、ときどき仏様や神様に、こんなに読み上げているんだから
自分の言う事を聞け!と言っている方がいるようです。
人間の世界で言うと、お金を払っているんだから結果を出せよ!
と言っているようなものですね。
このように心を使ってしまうことがその人の
心のクセで、これを業と言いいます。
この業が深いうちは願い事は叶いません
なぜかと言うと、お経をいくらあげても
口元でパクパク言っているだけで
心では、あれが欲しい、これが欲しい
あいつが悪い、あいつが憎いと
心ここにあらずの状態だからです
最初のうちは苦しいものだから、必死に仏に救いを求め
「仏様助けて下さい!」しかないので、仏の世界に
こころが届き、なんとも暖かい温もりにつつまれたり
えも言われぬ感情に胸を打たれ、涙が流れたりするのですが
その、翌日あたりから、お経になれてしまい、こころが
別な意味で自由になり、先に書いたような状態に陥ります
まさにお経にある通りの人の姿ですね
ならばどうすればいいのかですが、
これもお経に書いてあります
心素直に仏の言葉に耳を傾けようとする事です
自我偈には永遠の仏の救いが説かれていますが
仏の悟りそのものは般若心経に解説されています
知識として仏の悟りを学ぶ事も価値があります
心素直に、尊いものに自然に頭(こうべ)を垂れることができるよう
自分を磨いて下さい。
自分に合わせろ!と怒鳴り散らし暴れるのではなく、
気付いた方が相手の波長に合わせ始めたとき、
初めて和が生じる可能性が生まれてきます
人の世界も同じですね。
神仏はものではありません。お金で動くものではなく
その方の誠意と徳で動いて下さるものです。