2013-04-09 18:35:19 0 Comments
コラムに十善業について書きました。
本来は坊主どもが(失礼)言うべきことです。
でも、お坊さん自体、なぜ自分がそこにいるのか
迷っているようです。もちろん、
運勢の勉強をしている優れた方達を何人か
存じ上げているのですが
どうしても祖師仏教である日本仏教
は本来の仏教に戻ることはできず
お坊様の生活のための葬式仏教に成り下がっています。
もちろん死者を弔い、親しい方達との関係を完了させる儀式として
とても大事な役割を果たしていることには異存ありません
仏教をカタル新興宗教は集財教団ばかりが目立ち
持って生まれた業に対し、布教の力で解脱するんだと
お釈迦さんもビックリ!のスローガンをかかげています。
そんな連中の相談をされても困るのですが、
「業」としか呼べない、現実に起きている星の流れをみていると
「業とは何か?」を考えないではいられません。
もともと業は仏教というかインド哲学からの言葉なので
私は仏教にその答えを求め、少しずつですが謎を解いている所です
先の十善業は、その中でもキーワードになるものだと思っています
なによりも、ウシロメタクない生き方をするためにはとても大事な
ルールです。少なくとも死に際に、誰かを恨んだままとか、
誰かに、ごめんねと謝る必要の無い悔いの無い生き方が出来ると思います
仏様達や菩薩達が残したものです。嘘はありません。
仏教用語は難しいので大部、意訳していますが、元々の十善業に当たってみるのも
良いと思います。