2014-01-24 22:15:51 0 Comments
「おぼしきこと言わぬは腹ふくるるわざなり」
高校生のころ「徒然草」で習った兼好法師の言葉ですね
この兼好法師というひとは面白い人で
調べていくと、卜部氏の出自で卜部氏は古代より
卜占を司る神祇官の神職の家柄だそうです。
そんなことはどうでもいいのですが、
最近どうも、私自身はらふくるることが多く
言っていいものなのか、どうなのか悩みが尽きません
教室では、なんとなくしゃべってしまっているのですが
その価値に気付いてくれているのかどうか.........。
順番や五行の象徴としてし、ただの記号として
干支を見てしまうと、それの持つ奥深さには
一生気づかずに終わってしまいます
既存の専門書を読んでみても、あまりこのことに
触れているものはありません
たいていは「説文解字」あたりの解説で
お茶を濁しています。そして通変星と各局法に
重きを置き、奥義としている。
また、これに特別な外格を当てはめ
さらに、可能性を広げている流派もあります。
(おかかえ占い師がオーナーのご機嫌を伺うために
一生懸命あみだした売占術のようなものまで、まことしやかに
古典として残っているのが現状ですね。)
このあたりのことを四柱推命ではありませんが
断易の中興の祖といわれる九鬼盛隆先生などは
激しく論じております。
でも、人気はある。
嘘っぱちなのに、なんで?と
思うのですが、わりと答えは単純で
「人は夢を見たいから。」
がその答えになります。
「人生どうせ苦しいんだから、
せめて夢ぐらい見せて!」
これが多分、正答でしょう。
そのように、流行っている占いは
編まれています。
流行るには流行る理由がある。
「占いは生きる勇気を与えるためにある」と、
とある有名な宗教家の先生が言っていました。
その方は、あらゆる占いを身につけたと豪語していましたが
晩年のありかたは元命式通りでした。
もし、あえて運命通りの生き方を選んだのであれば
立派なかたですが、もし元命式すら読めず、
自己流の鑑定に准じたのであれば
愚かな悲喜劇です。
実際、このような実例が多い。
「紺屋の白袴」「易者の身の上知らず」という故事があります
現実と即する本物の鑑定を是非とも身につけたいですね。
(本物の鑑定には必ず、改善法が備わっているというのが私の習った流派の教えですが、鑑定しっぱなしも罪が深いのかもしれませんね。)