2017-09-09 18:52:21 0 Comments
今週はあちこちで秋祭りが続きますね。
今もお囃子と太鼓の音が鳴っています。
日課の散歩に出かけたのですが、
大人も子供も顔が開いていて、綺麗でしたね。
ところで、今日、実に面白いことがありました。
散歩の途中、砂利道で、見たことのない、
おばあさんが一人、杖をつき、たたずんでいるのです。
「こんにちは」と挨拶し、通り過ぎようとすると、
おもむろに手を挙げ、何かを私に渡そうとするのです。
「どうしたんですか?」と私も手を差し出すと、
彼女の手の中から折り紙が現れ、私の手に移りました。
「?」
怪訝そうな私の顔を見て、彼女は
「寂しくて折り紙を折っているんです。」
「誰かにもらってもらえれば、また折り紙を折ることができるから......。」
そう言って、私の顔を見つめていました。
小柄ですが、綺麗にお化粧をし、小綺麗な格好で、
上品な感じのおばあちゃんでした。
それから、ほんの一瞬の後、何かを恥じたかのように、
今度はものも言わず、指を指して、
私に先に行くように指図するのです。
「ありがとうございます。」とお礼を言い私は立ち去ったのですが、
振り返って、いなかったりしたら、どうしようと思いながらも、
振り返ると、おばあちゃんはユックリと道を歩いていました。
自分の手を開いて見ると、折り鶴が二体、手裏剣が二個あり、
胸のポケットに入れ持ち帰ってきたのです。
なんでかなーと思いながら、晩年の孤独はきついなーと
独り言ちし、秋祭りだし、神さんのメッセージかなーとも
思うのですが、
外の賑やかさに、寂寞の念が居た堪れなくなったんだよねー
と解釈する方が自然でしょうね。
思わず、見ず知らずの他人に
「さみしい」
と言ってしまうことの凄まじさ。
ちょうど数日前、エミリー・ディキンソンという
アメリカの女性詩人の書評を読んでいて、
この詩人の晩年の孤独、自分以外の他人(家族を含めて)に
自ら壁を作り、日課としての詩を書き続けた女性の姿が、
折り紙を折るおばあちゃんの姿と重なり、
涙が流れそうになってしまいました。
是非是非、晩年の自分の姿を思い描くことをしてください。
今さえ良ければ、いいや。と若い時は思いがちですが、
「今」の延長としての未来が、必ず、誰にでも来るのです。
備えましょうね。