2013-11-22 07:08:21 0 Comments
いじめる事といじめられる事、実は
同じ事なのかもしれません
なぜかというと、いじめるほうの意識には
必ず、「いじめを楽しむ心」別の言い方をすると
「いじめ行為が積み重なった意識」が働くからです
業の話しで書いたように、これが等流果として
働き、死に変わった後、加害者として楽しんだ
行為のまっただ中に落ちる訳です。
ときどき子供が、生まれ変わったら一番好きな
蜂蜜に生まれ変わりたい!
といって大人を笑わせることをしますが
それが現実になり楽しいイジメのドつぼの
中に生まれ変わる。最愛の行為のなれの
果て(結果)ということですね。
「最愛の行為」というのは言い過ぎかも
しれせんんが「いつまでも手放せない行為、
心の癖になってしまったもの。」
といえばわかりやすいでしょうか。
人生は生と死の繰り返しです
その過程で行為の陰陽が反転し
立ち位置が逆転しただけのものです
皮肉なものです。
こう考えると、憎っくきお局様の
先は見えています。
逆恨みして自分もそれに巻込まれない
ことが一番賢明な選択です。
本人の嗜好の複雑な積み重ねの結晶が今ある
われわれの人生そのものなのかもしれません。