2019-03-25 15:32:09 0 Comments
今日は講義の時間がずれたので、
ちょっと遠出をしてきました。運動不足も兼ねて、
徒歩で往復で約2時間、3キロほどのウエイトを背負って
8キロほどの行程を歩ってきました。
目的地は池上本門寺です。
天気は良かったのですが、風が冷たく、
コートを脱ぐにはもう少しかかりそうです。
馬込経由で歩いたのですが、馬込には
馬込文士村というのがあり
文人たちに愛された土地柄とのこと。
もうちょっと足を伸ばすと多摩川があり、
山王、田園調布と高級住宅街になるのですが、
この辺りも確かに、でかい家が多かった。
大きい家を持つのが夢という人もいますが、
「こんな大きな家、維持するのが大変でやんなっちゃう」と
言っていた知り合いが昔いました。
源氏物語の夕顔の巻に
「何処かさして」と思ほしなせば、玉の台(うてな)も同じことなり。
とあります。
恋の心も大きな家も諸行無常の響きの如し。が現実です。
話は飛びますが源氏物語なんか読んでいると、
通い婚の時代、男が通ってこなくなる恐怖に、
どう耐えたのか。尋常ではなかったと思います。
そういえば、更級日記って、
それだっけ?と調べてみると、蜻蛉日記の方でした。
更級日記を調べている最中、(例によってウイキペディアです。)
作中の「月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ」の歌が、『古今和歌集』の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て(雑歌上、よみ人しらず)」を本歌取りしていることに由来すると言われている。とあり、
「姥捨山」つい最近コラムに書いたぞ.........。とピンときて、
彼女達 我が国の女流文士の魁(さきがけ)に、
今晩は一献捧げたいと思います。
本題の池上本門寺ですが、面白いことに気づきました。
当たり前といえば当たり前なのですが神社仏閣の事務的な受付は
社務所だとばかり思っていたのですが、本門寺さんでは「寺務所」と
門に大書されていたのです(正確には石の門に刻まれていました。)
もう一つ、手水舎に「洗心」の二文字が刻まれていて、
親の墓が日蓮宗のお寺にあるので、ご縁かなとも思い、また
お参りぐらいはしようと罰当たりなことを言っている次第です。
なんでこんなことをとも思われるでしょうが、
複雑なのです。宗旨仏教というのは。
大抵同じ宗派内で罵倒しあっていることが多く、
面倒臭いのです。
この宗派は実行力がともなうぶん特にめんどくさく、
日蓮宗
現在でも時々問題を起こしているカルトに近い教団や、
平和運動、中にはインドへ仏教を逆輸入した猛者もおり、
日蓮さんの理想を求める激しさの血脈は、
今も脈々と受け継がれているようです。
今日も車の安全祈祷をしていたのですが、
強烈な気合いで、朗々と祈祷をされていました。
修行しているお坊様の中には時々凄いのがいるので
軽口を叩いていると墓穴を掘ることになるので
気をつけなければなりません。
源氏物語 夕顔の巻に興味のある方はこちらをどうぞ、「奈良で源氏物語」