2011-03-15 03:41:06 0 Comments
東京との石原都知事が今回の地震災害を
「我欲を洗い流す天罰だ」と言ったらしいですね。
昔からある、天変地異を政治と結びつけ、自分の政治思想や
倫理と結びつける昔からある政治家の手法です。
でも、天は人に罰を与えはしません。
なぜかと言うと、人はほっといても自分達に罰を与える生物だからです
今回の事も天の摂理から言えば、地球が活発に生きている証拠であり
日本列島が弓なりの地形である理由を、物凄く判りやすく具体的に
明らかにする現象が起きたということでしょう。
想像もできない規模で、実際に今この瞬間も
地球が活動していると言う事です。その表面で、我々は生活している。
生活させてもらっていると言った方が的確かもしれません。
人間の尺度で自然をはかり、
ありとあらゆる場面を想定したはずの自然の脅威に対する
原発の安全確保の基準さえあっという間に超えられた。
ただそれだけです。
自然を神として崇めた時代は自然に対する畏れがありました。
それがいつからか、神は、なにか、拝んでいれば、
ご利益を与えてくれる安っぽい現世利益の対象にされ、その本質は
地球を自転させている本源的な力であることを忘れてしまいました。
長い年月をかけ人格神として語ることで、
なにか身近な存在におとしめ、反省すればどうにかなる的な
都知事の発言のような存在として今は現れています。
自然の前では私たちは小さな蟻よりも小さな存在なのかもしれません。
けれども、その小さな小さな存在でも、出会い、喜び、愛し合ったり
傷つけあったりしながら、希望と一緒に生きています。
それも、長くてもたった100年程度の間だけです。
地球のサイクルからみればカゲロウよりはかない時間
この地上に存在する生物です
だからこそ、もっともっと大事に、人としていられる時間を使い、
同じ仲間達の命を尊び、敬わなければ苦痛しか残りません。
人はそこにいてくれるだけで価値があるものです
今回の事で多くの方が亡くなりました、
そして一面識もない他民族の我々日本に
外国から、数えきれない支援の手が差し伸べられています
自分には価値がないなんて絶対に言ってはいけません
今ある命を大事に慈しみ、同じように他の人の命を慈しむ事
相手の幸せを望む事。これが生きている私たちの使命だと
私は思います。