2011-03-20 22:17:27 0 Comments
先日、この震災に乗じてキリスト教と名乗る女性が戸別訪問で
我が家にやってきました。
自分的にはめずらしく声を荒げて追い返しましたが
その後やりきれない気持ちにさせられました。
本人は善意かもしれないが、なんて愚かで、馬鹿者なのか
信仰程度で、地震が止められるのなら、
キリストは今も生きているはずだし
あれほど平和を望んだジョンレノンも
良いおじいさんになっていたはずです
信仰は生死を別ける基準にはなりません
良い悪いは別にして死に臨んだ時
あの世を信じて、じょうずに「生」を諦められる
ただそれだけです。
なぜ日本のキリスト教徒は少年愛や
信者の寡婦に耽溺する神父に見て見ぬ振りをし、
狂った原罪を説く、隣国の亜流のキリスト教を信じ続けるのか
イスラムの民はキリスト者の何倍も祈り、
戒律を守り質素に暮らしているのに
現実は殺し合いをオンタイムで繰り広げています
一度、自分の中から宗教を消した時、そこに何が残るのかを
真剣に考えて欲しい。
布教で人が救われるのか?自分は救われるのか?
現実には、宗教で救われていない自分がいるからこそ
宗教の名の下に殉じているのではないのか。
両親を失ったり、愛する人を失った人が絶望をかかえ
おのれの価値はテロであり、それで仲間が救われると
洗脳された者が自爆テロに臨んでいることを
なぜ気付いてあげないのか。
かつてのオームの暴挙と
根っこは同じ所にあります。
自分の良心を、目の前にある、
居心地が良さそうな「主義」にすり替えた事
魂を宗教(主義)に売ったという話です。
個人の中で宗教に生き、自分の生きる拠り所として
宗教に生きる人は、自分にとって必要なのだから
誰からも文句を言われる筋合いはないと思いますが
自分の思想を他人に押し付けるのは、共産主義と同じです。
どれだけ、この主義というやつで、人の命が削られてきたかは
旧ソ連や文革時の中国共産党の歴史をひもとけば自明の理です
同じ思想の者だけが仲間で、後はそれ以外の物にされてしまう
日本でも某共産党脱退者、某宗教教団脱退者が、
もと仲間からいじめられ続けている現実に対し、
彼等の代表はなんと言い訳するのか。
現実は、人の良い信者さん達の思っているものとは違います
差別であり、逆差別がその本当の姿です。
それが「主義」の正体です。
内に主義主張を秘めるのは、とても素敵な事ですが
他人にそれを説くことは、天につばを吐く事と同じである事を
しっかり認識して下さい
同志を求めたいのならば、同志が自然に集まるように
自分自身を磨けば良いし、誰からも支持されない者が
宗教の威を借りてお仲間を作る。
これはチャンチャラおかしなことで、
愚の骨頂以外の何ものでもありません
あらゆる日本人が地震の被害に心傷め、苦しんでいる時
それにつけ込んで自分のクダラナイ主義を押し付けに来る
つけ込み商法まがいの布教には断じてNOを言うべきだし
そのような人を私は心から軽蔑します。
肚の虫が収まらないので怒りに任せて書いた文ですが
皆様も気をつけ下さい。