2012/06/04:ブログ

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2012-06-04 11:13:51 0 Comments

さて昨日に引き続きですが

同時代の中国は春秋戦国時代

孔子や老子達が活躍し、かたや西アジアはペルシャに統一され

ギリシャとの間に戦いが始まり、ローマに共和制が

生まれ、商業により世界が繋がり始めた時代です。

様々な思想が出会い始めたとも言える時代ですね

現代にも通じる所があります。

王達が領土の拡大に血眼になり、社会が混乱し

人もまた獣のように弱肉強食の中で生きていた時代です

実利のあるもの、利用価値のあるもののみが

強いものの庇護を受けられた。

明日がわからない不安から、

人智を越えた存在に助けを乞い、

その代表が祖先信仰やトーテム信仰

精霊信仰(アニミズム)シャーマニズム等々

になり、その信じる対象との交信手段として

今で言う「占い」が生まれました。

(しかしお釈迦様の目から見たらどう転んでも

この世は六道輪廻の世界だから、この世の善し悪しを

判断する占いは禁じていました。時々

占いを仕事にしている坊さんがいますが

教えに導くための方便として使っていると

言うらしいのですが、どうでしょうか。)

そのくらい本来の占いは文字通りの必死の中から

生まれてきたものです。

開口健の本に確か「輝ける闇」だったと思うのですが

当時の北ベトナムの将校が星占いを活用する戦術をとり

それにアメリカの将校が辟易していた

件(くだり)があったように記憶しています。

(違っていたらごめんなさい)

日本の軍師達も同様な事をかつてはやっていたようです

いつ出陣するか、どの門から出陣するか、

決戦の端を何時開くか、等々軍師が決めていました

主に易と天文ですね。甲陽軍艦などを読むと

雲気というのがあり、兵が潜んでいる

場所の空には今で言う独特のオーラが輝いている

など、相手の勢いをオーラ視して判断する解説まで

書いてあります。生き死にが決まるのですから

人の持つあらゆる能力を結集して戦いに臨むのが

当時の武士達の生き方だったようです。

それを身につけるために凄まじい修行をしたんでしょうね

まあ、易などは、そのくらい必死の中で切磋琢磨された占いという事です

どうでしょうか?つらつら書いてきましたが

占いの持つ本来の意味が少しくらいは

見えてきたでしょうか。占いは

人の人生にコミットして行うものです。

けれどもボランティアでは、こんどは相手が真剣にならない

遊びや、レクレーションになってしまう。

本屋さんで売っている占いコーナーの延長です。

私の金運はどうかしら?

素敵な主人はいつ現れるのかしら?

しかし、皮肉な話しですが白馬の王子様が

自然に現れてくれる人は占いには頼りません。

これが現実です。なぜなら運が安定している人は

占いが必要ないからです。逆の見方をすれば

占いには常に不安がともないます。

現れないからこそ、占いで、自分を変える方法を

具体的に学ぶことです。恋愛至上主義の運勢なら、

それが結婚を縁遠くしているのですから

「恋愛」を代償にして「人生」を手に入れることも

戦略として選択肢にいれることだし、人生を楽しむ事と

結婚する事を別に考えても良いかもしれません

結婚にこだわれば結婚のための代償を払わなければ成らないし

恋愛にこだわれば恋愛のための代償を払う必要がある

あれも、これもが許されている人は、世の中にあまりいません

その数少ない人を見て、自分もそう成りたいと思っても

残念ですが、貴方の過去世は、その人とは違うのだから無理です。

だから「現在(いま)」努力をすることが大切になる。

不断の努力が星を補い、福を呼び込む事が出来るようになる

実例を挙げなければ説得力が無いのであげておきますが

(このような例として出すのは大変失礼ですが)

孫正義さんがそのような方です。

(台湾総統だった陳水扁さんも努力で

運を補った方でしたが、総統になった途端

運勢が変わり、自分の理想とする世界がなんだか

わからなくなり、身内に関するお金と財に関する件

(秘書、妻、娘婿が財の件で狂ってしまい)で

失墜し、今は牢につながれています。誰かに

つつかれるような事をしでかせば、遅かれ早かれ

報いが来るのがこの世の定めです。

厳しい人生は息を引き取るまで安心出来ません。)









「運勢が違うのは過去世が違うのが理由だ」

と長い間言いたかったのですが

やっと言う事が出来ました。

人は生まれながらに不平等です。当たり前です。

才能の原因を根気よく努力して積んできた人と

ろくな事をせずのたれ死にした人が生まれ変わって

同じ才能があったら、本当の意味で不平等です。

この世で幸せに見える人は、前世で我々よりも

幸福になる因を積んだ結果として幸福があるだけです

幸せになれないと他人を妬むのではなく、

幸せになるための努力を積む事です。

他人を妬み、自分を呪っている今の姿こそが

前世の自分の姿そのものなのですから。

だからこそ人生は変える事が出来る。

大変ですが、コツコツ積めば変わるのが道理です。

積んだら注意深く崩さないよう気をつけ、また

コツコツ積み上げる。その繰り返しです。

是非、人生を変えて下さい。切っ掛けくらいには

なれると思います。


2012-06-04 01:51:44 0 Comments

お釈迦様が悟りを開いた時

四聖諦を説いたと言われています。

苦集滅道の四つの真理と言われています

私流に解釈すると

1、苦  この世は苦である

2、集  苦しみに繋がることばかりするから
     苦しみが集まって来る

3、滅  苦しまなくても良い境地というのがある

4、道  そこに至る方法論


こんな感じでしょうか。

初転法輪といわれ(最初に教えの輪を回したという意味ですね)

根本仏教、原始仏教と言われる仏教の主軸の教えです

1、2の解説として縁起の法が説かれ

3を到達目標とし

4を方法論とし八正道という実践方法と

戒律という善悪の規範をつくりました。

内容は

悪い事はしない(苦しみの原因を作らない)

良い事をする(良い境地に至るための原因を作る)

という戒律の部分と縁起の法を根底にした

瞑想法が説かれたようです

「この世とは何か?」

この大命題を「苦」としてお釈迦様は捉えました。

何故「苦」か?

あらゆる生き物は果てしなく輪廻し、

その中から抜け出る事は無い

無限に六界を輪廻し続け、生まれ死に

また生まれを繰り返す。死さえ一時的な

輪廻の形態でしかないとうのが苦の理由です

「死んでも終わりでは無い」

よく考えると、とてもとても怖い考え方です。

(でも輪廻が終わる世界があると3で宣言しているので

これはこれで一安心ですね。)

お釈迦様の教えというのは本来はこのような教えです。

何かを信じれば救われるといものでは決してありません。

「えっ! 仏様って助けてくれないの?」

そのような声を聞いて沢山の大乗教典が作られ

いろいろな仏様が生み出され、

なになにしたものは自分が必ず救う

という誓願として救われる条件が色々と

提示されています。

本当に効果があるかないかは、その仏様の

誓願にすがってみなければわかりません。

ただ、共通して言える事は、どの仏様も

仏になる修行を始めるとき、

生きとし生けるもの全てを救済するという

誓願を立てて修行し、仏に成っているので

あまり問題はないと思います。

その中でも一番、間口が広く人気があるのは観音様で

一心に観音の名号(南無観世音菩薩)を唱えれば

善悪問わず誰でも、たちどころに救ってあげるよ

ということが観音経には書かれています。

けれど、悪い業が重く積もっていると、救うつもりでも

救いが届かないというのが実際のようです。

仏の顔も三度までと言われるように無努力のおねだりでは、良くて2度、窮地を救ってくれる人とのご縁を付けて下さることが多いようです。ただし業が深ければ、すぐに障害や我(が)が邪魔をして縁が切れるようです。
腰を低くして進む事が大事なのかもしれません。


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